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序 |
<掲載理由(余談)> |
ただ、杖突峠は井出孫六氏編さんの日本百名峠の一つであり、無視できない存在だ。
また、最近になって茅野市側にある「旧杖突峠入口道標」を見付け、僅かだがその付近の旧道の様子を知ることとなった。今後、再び杖突峠を訪れる機会もなさそうなので、不完全ながらも今回掲載してしまおうと思った次第である。 |
<所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<水系> |
<立地> |
<中央構造線> |
<金沢峠など> |
<杖突街道> |
<峠名の由来> |
安国寺より国道152号へ |
<国道152号へ> |
国道20号を諏訪方面に向けて走る (撮影 2002. 4. 6) 茅野市宮川の中河原付近 この先、左に国道152号が分岐する |
国道152号分岐を示す看板 (撮影 2002. 4. 6) 行先は「高遠」 |
安国寺トンネル (撮影 2002. 4. 6) |
<安国寺トンネル> |
<トンネルの先> |
道の様子 (撮影 2002. 4. 6) 快適な2車線路 |
<花見(余談)> |
峠の茶屋 |
<峠の茶屋> |
<そば(余談)> |
店の様子 (撮影 2002. 4. 6) 「そば処 いわなみ」とある |
<無料展望台> |
<景色> |
この峠の茶屋より望む景色は、遠い昔は得られなかったかもしれない。
現在の茅野市側の国道152号のルートは、車道開削により全く新しく通じた道筋で、当然ながら今の峠の茶屋も、古くからの物ではない。
かつてはもっと川筋に沿って峠道が通じていたようで、林に囲まれて容易には視界は広がらなかったのではないかと思う。
こうした景色一つで、峠のイメージは全く違って来る。昔と今では杖突峠に関する印象は大きく異なるのではないだろうか。 |
峠へ |
<峠の茶屋以降> |
峠の茶店以降の道 (撮影 2002. 4. 6) |
道の様子 (撮影 2002. 4. 6) |
<市境> |
<峠> |
<峠の様子> |
茅野市側の旧道入口周辺 |
(峠の高遠町側は一先ず置き、ここからは暫く茅野市側の旧道を探索する) |
<旧道入口> |
バス停付近の様子 (撮影 2013. 5.19) 県道16号を茅野市方向に見る |
バス停付近の様子 (撮影 2013. 5.19) 県道16号を諏訪大社方向に見る |
「峠入口」バス停 (撮影 2013. 5.19) その手前を右に入る道が旧道らしい |
<旧杖突峠入口道標> |
<看板> |
旧杖突峠入口道標の看板 (撮影 2013. 5.19) |
道標の東面と北面 (撮影 2013. 5.19) |
<道標の北面> |
道標の北面と西面 (撮影 2013. 5.19) |
道標の南面と東面 (撮影 2013. 5.19) |
<以前の道標> |
<最近の道標> |
<金沢峠(余談)> |
<旧道入口付近> |
県道側から旧道方向を見る (撮影 2013. 5.19) |
旧道を県道方向に見る (撮影 2013. 5.19) |
左とほぼ同じ場所 (撮影 2017. 7.20) |
大きな石碑があった (撮影 2017. 7.20) 杖突街道に関する物かもしれないが、よく見て来れなかった |
道標以外に旧街道の証になる物はないかと思ったら、コンクリート塀に埋もれるようにして大きな石碑があった。しかし、県道沿いにも、この旧道沿いにも、車を停めて置けるような適当な場所がない。車を走らせながら写真は撮ったが、何が刻まれているのかは分からなかった。 |
旧道を峠へ |
<西沢川左岸> |
道の様子 (撮影 2013. 5.19) |
<西沢川沿い> |
この時は西沢川右岸を登る (撮影 2013. 5.19) 左岸をマイクロバスなどが下って来た |
右岸を登っていたら、左岸沿いにマイクロバスなどが下って来た。後で分かったことだが、この先の杖突街道旧道近くに静香苑という斎場がある。そこからの帰りだったようだ。 |
<赤凪橋> |
<赤凪橋を右岸へ> |
「西沢川」とある (撮影 2017. 7.20) |
<旧道> |
林道扇平南峠線起点へ(寄道) |
この先から林道扇平南峠線が始まる (撮影 2017. 7.20) 左手に武居城址周辺史跡マップの看板が立つ |
<林道扇平南峠線> |
<馬頭観音/杖突峠の旧道> |
赤凪橋以降 |
熊野道墓地 (撮影 2017. 7.20) 赤凪橋方向に見る |
<熊野堂墓地> |
<下馬沢川沿いへ> |
下馬沢川沿いの道に出る (撮影 2013. 5.19) 右が峠方向 |
下馬沢川沿いの道(寄道) |
下馬沢川沿いの道の県道からの分岐 (撮影 2013. 5.19) 静香苑等の看板が立つ |
<下馬沢川沿いの道の入口> |
高部交差点の近くであり、下馬橋が架かり、静香苑の看板もあって、道標のある分岐より、こちらの分岐の方が発見し易いかもしれない。
特に、金沢宿方面から来た場合には、わざわざ道標のある地点まで行く必要がない。地形図などを見ると、最終的に杖突峠旧道は概ね下馬沢川沿いに峠を目指したようだ。
それもあって、最初からこの川沿いに道が通じていてもおかしくないと思う。 |
峠方向より県道方向を見る (撮影 2013. 5.19) かなり鋭角に県道と接する |
細い道と交差 (撮影 2017. 7.20) |
<下馬沢川沿いの道> |
文献にもこの高部に「諏訪と伊那を結ぶ杖突峠道(高遠道)が通過していた」とあり、それがどこか今一つはっきりしないが、杖突峠旧道が通じていたことには間違いない。 |
この先の橋で下馬沢川左岸へ (撮影 2013. 5.19) |
<高部遺跡> |
直進が下馬沢川沿いの道 (撮影 2017. 7.20) 右は赤凪橋へ 分岐の角に高部遺跡の看板が立つ |
高部遺跡の看板 (撮影 2017. 7.20) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
しかし、残念ながら高部遺跡の看板で、杖突峠旧道に関わるような記述は見付からなかった。 |
下馬沢川沿いの先へ |
造園会社の看板が立つ (撮影 2013. 5.19) |
<下馬沢川沿いの先へ> |
<分岐> |
右に分岐 (撮影 2013. 5.19) |
造園会社の前を過ぎる (撮影 2013. 5.19) この先、路面状況は悪い |
<高部最終の人家> |
ところが、今年(2017年)に訪れてみると、何だか沿道が殺風景である。夏草が生い茂り、緑一色だ。道路脇に草地がある。そこで以前の写真と見比べてみると、あの家屋が立っていた場所であった。 |
人家が見えない (撮影 2017. 7.20) 一方、アスファルト路面は新しい |
<塚屋古墳> |
右手に塚屋古墳の看板 (撮影 2017. 7.20) |
塚屋古墳の看板 (撮影 2017. 7.20) |
<旧道> |
電信柱の先辺りに旧道があったのでは (撮影 2017. 7.20) 今は草で埋もれている |
迂回路の途中 (撮影 2017. 7.20) 麓方向に見る この辺りを旧道が横切っていたのでは |
<迂回路へ> |
2つ目の迂回路 |
<2つ目の迂回路> |
次の迂回路 (撮影 2013. 5.19) ここは峠側の分岐 |
峠側から迂回路に入る (撮影 2017. 7.20) 直ぐ左手に「小袋石と磯並社」の看板が立つ |
<小袋石と磯並社> |
小袋石と磯並社の看板 (撮影 2017. 7.20) |
小袋石と磯並社の看板 (撮影 2013. 5.19) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
看板の右脇から山の中へと道が続く(下の写真)。小袋石や磯並社は現在の車道からもそれ程離れていない場所にあるようだ。旧道がその脇に通じていたか分からないが、街道を往来する人達には近い存在だったのかもしれない。 |
小袋石以降 |
<道の様子> |
沿道に建物や重機 (撮影 2017. 7.20) 麓方向に見る |
左手に傘松への入口 (撮影 2017. 7.20) |
傘松への道 (撮影 2017. 7.20) 荒れている |
<分岐の様子> |
分岐の様子 (撮影 2013. 5.19) 麓方向に見る |
<通行止> |
<傘松の看板など> |
通行止の看板 (撮影 2013. 5.19) |
入山禁止の看板 (撮影 2013. 5.19) |
傘松の案内看板 (撮影 2013. 5.19) |
<旧道の先へ> |
車による旧道探索はここが限界となる。この先、どんな道が通じているのだろうか。杖突街道は馬の背に荷を積んで往来した道であり、ある程度質の高い道ではなかったか。それを改修し、一時期は峠まで車道が通じていたかもしれない。 |
斎場(寄道) |
<斎場へ(余談)> |
道の終点 (撮影 2013. 5.19) |
斎場前のロータリー (撮影 2013. 5.19) |
峠の高遠町側 |
<峠より高遠町へ> |
<松尾峠分岐(余談)> |
松尾峠への分岐 (撮影 2013. 5.19) |
松尾峠から下って来たところ (撮影 2013. 5.19) 下に国道152号が通る 藤沢川沿いは大規模な治水工事が行われているようだ 藤沢川は台風による洪水で田畑が流出した経験がある |
片倉集落へ (撮影 2013. 5.19) |
<沿道の様子> |
現在の国道152号は真っ直ぐな谷の中を更に真っ直ぐ通じる。旧道は既にかき消されてしまった部分が多いだろうが、時折、国道を外れて細い道が谷の端に通じる。
そちらに人家が並んでいたりする。もしかしたら、その道が元の杖突街道かと思ったりするが、今の快適な国道を突っ走っている限りには確かめようがない。
脇道を丹念に探索すれば、街道の名残となる馬頭観音や道祖神などが佇んでいるのかもしれない。 |
国道を外れた道に人家が佇む (撮影 2013. 5.19) |
沿道の様子 (撮影 2013. 5.19) |
沿道の様子 (撮影 2013. 5.19) |
<峠道の範囲> |
<高遠市街へ> |
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前回は島根半島の片隅にある小さな峠を取り上げた。出雲大社と日本海沿いの小さな集落とを繋ぐ峠だった。
出雲大社側は別として、海沿いの寒村は車で1分も走れば通り過ぎてしまう。全体像は手に取るように分かる。集落内に立つ全てのバス停も把握した程だ。
それに比べ、今回の茅野市や旧高遠町は地域も歴史も広く、扱いかねる。峠道も長い。僅かに茅野市側の旧杖突峠入口道標が立つ1km程の範囲だけ、何となく理解したような気になっている、杖突峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
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