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津軽峠   (前半)
  つがるとうげ  (峠と旅 No.299)
  みちのく「津軽」の名を冠した峠道
  (掲載 2019. 8.27 最終峠走行 2018.10.13)
   
   
   
津軽峠 (撮影 1992. 7.29)
ここより左は青森県中津軽郡西目屋村川原平
右は同県西津軽郡鰺ケ沢町大字一ツ森町
道は県道28号(主要地方道)・岩崎西目屋弘前線(旧弘西林道)
峠の標高は約650m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
写真は27年前の津軽峠
四半世紀以上経った今でも道は未舗装で、
「津軽峠」と書かれた木製の看板もほぼ昔と変わらない
 
 
 
   

<掲載理由(余談)>
 当ホームページは1997年6月20日の開設だが、当時のトップページには幾つかの峠の写真を載せていた。
津軽峠はその一つで、この峠には木の板に大きく「津軽峠」と書かれた素朴な看板が立ち、どこの峠だか一目で分かるだろうと思ったのが選定理由だった。
 
 津軽峠の他には高倉峠、日勝峠、辰巳峠勝北峠黒森峠、長野峠などの写真を選んでみた。どれも看板やら記念碑などに峠名が記されている。また、なるべく険しい峠にしようとも思った。高倉峠などはその最たるものだったと思う。
 
 津軽峠も林道から県道に昇格してまだ日が浅い頃で、路面も未舗装のままだった。本州最北の青森県にあり、「津軽」という地名を冠しているのも、何となく「最果て」を連想されて、険しそうに思えた。
 
 初めて津軽峠を訪れた後に、峠のある白神山地が世界遺産となっている。きっと大きな変化があったことだろう。道もすっかり舗装されたかもしれない。もう一度津軽峠を見てみたいと思っていたところ、やっと今回(2018年)訪れる機会があった。

   
ホームページ「峠と旅」開設当時のトップページ(一部)
右上の写真が津軽峠
アクセス・カウンタはまだ「000713」
   

「峠と旅」のトップページに載せていた津軽峠の写真

<マーク(余談)>
 ところで、ホームページ開設に当たり、何かマークを作ろうと思った。津軽峠の看板などを参考に、古ぼけた木の板に「峠と旅」と書いたようなマークにしようと考えた。 ところが、当時はまだ適当な描画ソフトがなく、なかなか思い通りの絵が描けない。木目なども表現したかったのだが、その方法が分からない。 結局、不出来なマークで手を打ち、そのまま20年以上が過ぎてしまった。最初の意図は、津軽峠の看板を彷彿とするような渋いマークにしたかったのだが、今見ても何が何だが分からない代物である。 今回、津軽峠を掲載することにして、そんなことを思い出した。

   

津軽峠に立つ看板

「峠と旅」のマーク
津軽峠の看板に似せたかったのだが・・・
   

<所在>
 峠道は概ね東西方向に通じ、東は青森県中津軽郡西目屋村(にしめやむら)川原平(かわらたい)、西は同県西津軽郡鰺ケ沢町(あじがさわまち)大字一ツ森町(ひとつもりまち)となる。 平成の大合併で西目屋村も鰺ケ沢町も変わってしまったかと思っていたが、どうやらそれぞれの村域・町域は以前のままのようだ。 尚、峠の西目屋村側の川原平も、鰺ケ沢町側の一ツ森町も、一応峠に最も近い集落名となるが、峠周辺には広大な国有林が広がり、そうした集落からは遠く離れた存在となる。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 西目屋村側は岩木川(いわきがわ)水系に属す。 岩木川は白神山地最奥(秋田県境)の雁森岳(がんもりだけ、987m)を源流とし、最初大川として北流、東流する支流・暗門川(あんもんがわ)を合わせてから岩木川となり、行く行くは津軽平野を北流して十三湖に至り、日本海に注いでいる。 津軽峠は暗門川の更に支流・鬼川辺沢の源流域に位置する。
 
 一方、鰺ケ沢町側は赤石川(あかいしがわ)水系となる。赤石川は秋田県境の二ツ森(1087m)付近を水源とし、北流して鰺ヶ沢町大字赤石町で日本海に注ぐ。峠は赤石川中流域の支流・津軽沢(「脇の沢」とする資料もある)の上部に通じる。
 
 尚、峠は中村川(なかむらがわ)水系の幹川・中村川の源流に近い。中村川は西目屋村と旧岩木町(現弘前市)との境にある四兵衛森(しへえもり、642m)付近を源流とし、 旧岩木町側(北側)に流れ下り、鰺ケ沢町鰺ケ沢で鰺ケ沢湾に注いでいる。四兵衛森の西目屋村側(南側)には暗門川支流・鬼川辺沢が流れ下る。津軽峠は岩木川・赤石川・中村川の3水系のほぼ接点に立地する。

   

<立地>
 白神山地(しらかみさんち、しらがみさんち)は東西方向に連なる主稜が青森・秋田の県境となる山塊だ。津軽峠は白神山地の北麓に位置する。
 
 白神山地の主稜を越える峠としては長慶峠釣瓶落峠(つるべおとしとうげ、車道は釣瓶トンネル)が、 何と言っても2大峠である。車道が通じる峠としては、ほぼこの2峠しかないと思う。それに比べると、津軽峠は白神山地の北麓を東西方向に横断するだけの峠となる。必然的に県境越えの長慶峠・釣瓶落峠が持つダイナミックさにはやや劣る。

   

<岩崎西目屋弘前線の峠>
 津軽峠に通じる道は県道28号(主要地方道)・岩崎西目屋弘前線(たまに弘前西目屋岩崎線とも)である。 弘前市街を起点に西目屋村から津軽峠を越えて鰺ケ沢町、続いて天狗峠で深浦町、更に一ツ森峠で旧岩崎村(現深浦町)へと至る壮大な道だ。正に白神山地北麓を完全横断している。 津軽峠だけでは単に岩木川水系から赤石川水系へと越えるだけだが、岩崎西目屋弘前線全体で見ると、内陸の弘前から日本海に面する西海岸へと白神山地の只中を一気に貫通する道となる。 この道沿いにある津軽峠・天狗峠・一ツ森峠は「白神ラインの峠三兄弟」とも言える存在なのだ。

   

<弘西林道>
 AX−1(ツーリング・バイク)やジムニーで走り回っていた頃、なるべく長い林道を走ってみたいと思っていた。そこで、日本各地にある名だたる林道に出掛けて行った。 その一つに弘西林道(こうせいりんどう)がある。岩崎西目屋弘前線の前身になる林道だ。当時使っていたツーリングマップ(1989年5月発行 昭文社)ではまだその林道名が見られた。しかし、津軽峠を訪れた1992年(平成4年)には既に県道に昇格されてしまっていた。
 
 文献(角川日本地名大辞典)によると、この林道は白神山地の森林資源開発や観光開発、弘前と西海岸方面との経済交流などを目的として昭和36年6月(完工記念碑などでは昭和37年とも)着工、 白神山地の分水嶺をいくつも越える難工事の末、昭和48年10月(昭和47年とも)に完成した。西目屋村から旧岩崎村に至る延長60Kmを超える日本有数の大規模林道だったそうだ。
 
 しかし、積雪期間は長い閉鎖に見舞われ、路盤の改良も進まないことから期待された経済効果は薄かった。これを打開するため昭和58年4月(昭和56年とも)に県道に編入される。それが現在の県道28号・岩崎西目屋弘前線である。
 
<弘西(余談)>
 林道の名「弘西」を最初は「こうさい」と読んでいたが、正確には「こうせい」のようだ。 白神山地を「弘西山地」(こうせいさんち)とも呼ぶそうだが(青森県側の別称?)、その「弘西」と同じものと思う。「弘」は「弘前」を表すのだろう。「西」は弘前の西部というような意味だろうか。どこかで「弘東」という文字を見た覚えがある。

   

<目屋街道>
 車道である弘西林道の更に前、何らかの道が通じていたかどうかは分からない。ただ、文献に「目屋街道」とい記述が見られた。現在の県道岩崎西目屋弘前線とのこと。 弘前市街から目谷郷(めやのごう)に通じる街道だった。目谷郷とは後の西目屋村と旧東目屋村で、東目屋村は今では弘前市の一部となっている。西目屋村から更に西の広大な森林地帯には、なかなか道は通じていなかったのではないだろうか。

   

<峠名>
 峠の名はその近くにある地名や山名が使われることが多い。天狗峠(近くに天狗岳がある)や一ツ森峠(一ツ森という山がある)、長慶峠(長慶森という山がある)などはその好例だろう。 また、峠自身の特徴やいわれ・由来に起因した名が付けられる峠があり、例えば地蔵が祀られる峠は「地蔵峠」などと呼ばれたりする。
 
<津軽>
 その点、津軽峠という峠名は以前から奇異な感じを受けていた。「津軽」とは広域名称で、青森県の西半分を指す。東の「南部」に対し、西の「津軽」と呼称される。 古くはそれぞれ南部藩、津軽藩の領地だった。 余談だが、本来人間の気質も文化も異なる南部と津軽が同じ青森県となったのは、東北地方にあまり理解のない明治政府が行ったことだというようなことを、司馬遼太郎の本で読んだことがある。 また一つの民話を思い起こす。かつての南部・津軽の藩境に犬吠峠(いぬぼえとうげ)という峠がある。津軽のマタギ(クマの狩猟者)がある時誤って南部領に入り、南部藩の役人に殺されてしまう。彼の猟犬が一声吠えて石になったと伝わる峠である。 この峠名はその由来に起因した名称だ。
 
 とにかく、津軽峠とは津軽地方全体を代表するかのような印象を受けてしまう。津軽には他にも幾つもの峠があるのに、何故この峠が「津軽」なのだろうかと思う。しかも、津軽半島や津軽平野などが広がる津軽地方の中で、津軽峠は片隅の白神山地内に位置する。
 
 ただ、文献には西目屋村西部の奥地は、「津軽の秘境」と称されるなどという記述を見掛ける。確かにこの地は人里離れた広大な森林地帯が広がる。 そこを抜けて長大な弘西林道を開削した。西海岸沿いへと風穴を空けた訳だ。そして弘前市街地側から最初に越えるのが津軽峠となる。そんな思いから、ちょっと壮大ではあるが、「津軽峠」と命名したのではないかと思ったりする。
 
<津軽沢>
 一方、峠の赤石川水系側に下るのが津軽沢と地形図にある。広域な呼称である「津軽」とは別に、この狭い地域だけの字名などとして「津軽」という地名があるのかもしれない。

   
   
   
弘前市から峠へ 
   

<県道204号の峠(余談)>
 今日は県道28号・岩崎西目屋弘前線を日本海沿いの旧岩崎村まで走り通そうと思う。事前に通行止がないことを確認してある。 1992年に訪れた時は赤石大橋以西が通行止で、旧弘西林道は一部しか走れず、残念な思いをした。弘前市街のホテルを発ち、県道28号に乗る。しかし、直ぐに県道129号に乗り移った。この道は長慶峠へと至る峠道だ。ちょっと入口を覗いて、何か峠道の情報が得られないかと思ったが、何の収穫もなかった。
 
 その後、県道204号に入る。この道は岩木川沿いに通じる幹線路となる県道28号を南に迂回し、支流の相馬川水域から再び本流沿いへと戻る小さな峠道となる。 なかなか寂しい道だ。峠は弘前市と西目屋村(にしめやむら)との境で、今回はここより西目屋村に入ることとなった。これから津軽峠・天狗峠・一ツ森峠の「白神ライン 峠三兄弟」を越えようというのに、こんな道草を食っていて大丈夫かとも思ったりする。

   

県道204号の峠 (撮影 2018.10.13)
手前は弘前市、奥は西目屋村

ここより西目屋村に入る (撮影 2018.10.13)
   

<津軽ダム>
 再び県道28号に戻ると、そこは見違えるように立派な道であった。これも世界遺産効果であろうか。次の目的地は目屋ダムである。岩木川本流に架けられた大きなダムだ。 ところが、こちらも様子がおかしい。ダムの案内看板に従って県道をそれる。すると真新しいダムが待っていた。名前も「津軽ダム」という聞き慣れない名だ。ダム湖は「津軽白神湖」と呼ぶそうな。

   
展望所より津軽ダムを望む (撮影 2018.10.13)
   

<以前の目屋ダム>
 津軽ダムはかつての目屋ダムとほぼ同じ位置に、規模を拡大して再構築されたダムのようだ。これにより湖付近の道路も全く変わった。 目屋ダムの頃はダム堰堤の直ぐ脇に県道が通じ、園地の様な場所もなく、ただ管理事務所が立つだけの質素なダムだったと思う。津軽ダムになってからは県道から少し離れた所に広い敷地が設けられ、展望所などもある立派な施設となっている。

   
以前の目屋ダム付近 (撮影 1992. 7.29)
左奥がダム堰堤
   

目屋ダム・美山湖とある (撮影 1992. 7.29)

<美山湖>
 目屋ダムは昭和28年8月の着工、昭和35年3月に完成している。これに引き続き弘西林道が着工されていることになる。ダム完成時は青森県に於ける最大のダムだったようだ。ダム建設により岩木川に新しく生れた人造湖は美山湖(みやまこ)と命名された。
 
 美山湖は西目屋村の大字である砂子瀬(すなこせ)・川原平(かわらたい)・藤川(ふじかわ)・居森平(いもりたい)の4集落に影響を及ぼした。宅地や耕地・山林が美山湖に水没したそうだ。特に砂子瀬集落では多くの人家が水没したとのこと。
 
 調べてみると、津軽ダムは平成28年に竣工したそうだ。ダム湖の規模は格段に大きくなり、その影響はどのようなものになったのだろうか。

   

<砂子瀬橋>
 手持ちの道路地図はみな目屋ダムと書かれている代物ばかりで、カーナビも最新ではない。後はただただ立派な県道に従うばかりだ。津軽ダムから程なくして支流の湯ノ沢川を渡る。今は砂子瀬橋という立派な橋が架かっていた。


砂子瀬橋を渡る (撮影 2018.10.13)
   

左に県道317号が分岐 (撮影 2018.10.13)

県道28号の行先は深浦(岩崎) (撮影 2018.10.13)
県道317号の方は能代・藤里
   

<県道317号分岐>
 湯ノ沢川を渡った左岸には重要な分岐が待っている。湯ノ沢川の上流部には釣瓶落峠(つるべおとしとうげ)があり、その峠道が分岐しているのだ。 確かに砂子瀬橋の先で県道317号が南に分岐し、その行先は能代・藤里とある。釣瓶落峠(車道は釣瓶トンネル)を越えた先の秋田県の能代市・藤里町のことである。 ところが分岐付近の様子が以前とは全く違っていて、どうにも要領を得ない。

   

砂子瀬橋を弘前市街方向に見る (撮影 2018.10.13)
この右に県道317号が分かれる

分岐する県道317号方向を見る (撮影 2018.10.13)
   

<湯ノ沢橋>
 後日いろいろ調べてみると、現在の砂子瀬橋より200mくらい下流側に湯ノ沢を渡る橋が架かっていたようだ。多分、湯ノ沢橋と呼んだものと思う。尚、以前にも砂子瀬橋という橋はあったが、美山湖に架かり、北岸と南岸との行き来に使われていたようだ。

   
砂子瀬橋の下流側にかつては湯ノ沢橋が架かっていた (撮影 2018.10.13)
今は完全に水没していて、ほとんど痕跡が見えない
   
湯ノ沢橋があった付近を望む (撮影 2018.10.13)
   

 目屋ダムから津軽ダムに変わり、ダム湖の水位は随分上がったようだ。砂子瀬橋付近の湯ノ沢川は、もう川と言うより湖の一部となっている。

   
砂子瀬橋の様子 (撮影 2018.10.13)
以前と比べ随分水位が上がっている
   

県道317号方向を見る (撮影 2018.10.13)
釣瓶落峠の看板が立つ

<釣瓶落峠の看板>
 県道317号・西目屋二ツ井(ふたつい)線方向を見ると、釣瓶落峠に関する看板がしっかり立っていた。以前越えた時は、こんなに丁寧な案内はなかったように思う。 しかも、英語は勿論のこと、中国語・韓国語(もう一つは何語か分からない)などでも表記されていた。こんなに国際的になったのは、やはり白神山地が世界遺産に登録された為であろう。しかし、釣瓶落峠を越える外国人など居るのだろうか。かなり険しい峠道である。パンクして大変な目に遭った記憶がある。

   
釣瓶落峠の看板 (撮影 2018.10.13)
白神山地が世界遺産になって、看板も国際的になった
   

<通行止>
 しかし、そのような心配は無用のようだった。看板の先でゲートが半分締まり、通行止と出ていた。期間が平成30年11月下旬となっていたが、それに続いて間もなく冬期閉鎖になるものと思う。少なくとも翌年の春まで通行できないだろう。


通行止の看板が立つ (撮影 2018.10.13)
   
通行止看板 (撮影 2018.10.13)
   

ゲートを県道28号方向に見る (撮影 2018.10.13)

 県道317号側から県道28号方向を望むと、こちらにもご丁寧に看板がある。秋田県側から釣瓶落峠を越えてやって来る者がどれだけ居ることだろうか。

   

県道28号の看板 (撮影 2018.10.13)

津軽峠などの看板 (撮影 2018.10.13)
   

<かつての砂子瀬>
 改めて釣瓶落峠を越えた時(1999年8月)の写真を眺めてみると、やはり県道317号の分岐付近には集落があった(下の写真)。
 
 大字砂子瀬(すなこせ)には砂子瀬と八光の2集落があり、八光は県道28号沿いでここより少し上流側、湯ノ沢川左岸沿いにあったのは砂子瀬集落だったとのこと。しかも、元の集落が美山湖に沈んだ為、移転して来た集落であったそうだ。


県道317号の先 (撮影 2018.10.13)
もう人家などは見られない
   
かつて県道317号沿いにあった砂子瀬集落の様子 (撮影 1999. 8.11)
釣瓶落峠方向に見る
   

 岩木川上流部に於いて、砂子瀬は比較的大きな集落だったように記憶する。それがこの20年足らずで完全に消えてしまっていたのには驚かされる。 峠道にダムは付き物で、日本各地で建設途中のダムをいろいろ見て来た。しかし、こうして集落が湖底に沈む前後の様子を知るのは初めてだ。単なる通りすがりの旅人でも寂しい思いがするのに、元の住民の方たちなら尚更だろう。

   
かつての砂子瀬集落の様子 (撮影 1999. 8.11)
県道28号を弘前市街方向に見る
右手が県道317号を釣瓶落峠へ
左手の建物は砂子瀬農業共同組合
右奥に湯ノ沢橋が架かる
   
   
   
川原平 
   

<川原平橋>
 以前は、砂子瀬に続き芦沢橋を渡るとそこから川原平(かわらたい)となっていたようだが、現在の県道28号上にはもうその橋はない。何の目印もなく、いつの間にやら川原平に入ることとなる。間もなく大沢川に大きな川原平橋が架かっているが、その前後は既に川原平である。
 
<川原平>
 川原平は江戸期からの川原平村で、明治22年に西目屋村の大字川原平となった。昭和35年、目屋ダム建設によって土地の一部が水没する。美山湖の上流部に位置していた為、完全な水没は免れたようだ。 川原平は岩木川最上流に位置する集落であった。しかし、それも美山湖が津軽白神湖に変わった後は、集落の影も形も見られない。かつての集落の中心地は、芦沢橋から次の大沢橋との間にあったようだ。

   
大沢川を川原平橋で渡る (撮影 2018.10.13)
かつてはこの下流に大沢橋が架かっていた
   

左に大沢林道が分岐 (撮影 2018.10.13)
「大沢林道」の看板が立つ
この右手は津軽白神湖パーク

<大沢林道分岐>
 川原平橋を渡り切った先、大沢川左岸沿いに遡る大沢林道が左に分岐して行く。ただし、「全面通行止」の看板が立つ。
 
<弘西林道東側の石柱>
 この付近は元の川原平集落の西の外れで、かつての弘西林道の東側起点となっていた。古いツーリングマップによると、大沢林道分岐付近に弘西林道東口を示す石柱が立ち、その先ダートの弘西林道が始まっていたようだ。 ただし、現在の県道は新しく、その大沢林道分岐は以前の弘西林道起点ではない。当然ながら弘西林道東口の石柱も見当たらなかった。

   

大沢林道方向を見る (撮影 2018.10.13)
看板は全て「白神ライン」方向に関するもので、
大沢林道方向の案内はない
代わりに、奥に「全面通行止」の看板が立つ

津軽白神湖パーク (撮影 2018.10.13)
正面に見える建物は艇庫(カヌーの倉庫)
この時はまだパークは整備途中で、
湖岸までは車は入れなかった
   

<津軽白神湖パーク>
 大沢林道とは反対側の右手には、新規に「津軽白神湖パーク」が建設されていた。案内看板には下記の様な説明があった。
 
津軽白神湖パークは、湖面利用の拠点となっています。津軽ダム建設に伴い移転された記念碑の広場や、湖面まで続くサクラ並木の遊歩道、カヌーなどが楽しめる親水護岸などの湖面利用施設があります。
 
 
 津軽白神湖パークは湖岸の親水広場やカヌー岬にまで至る広い施設だが、この時はまだ建設途中の様で、県道脇の駐車場から先には車は入れなかった。


津軽白神湖パークの案内図(一部) (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

記念碑の広場 (撮影 2018.10.13)
移設された3つの記念碑が立つ

<記念碑の広場>
 このパークで注目したのは、津軽ダム建設に伴い移設された記念碑が立つ広場だ。芝生の塚の頂上に幾つかの石碑が並んでいる。もしかすると、その中に弘西林道東口の石柱があるかもしれないと期待した。

   

<目屋林道開通記念の碑>
 しかし、残念ながらそれらしき石柱はなかった。その代わり、「目屋林道 開通記念」と刻まれた石碑が目に付いた。説明文には以下の様にある。
 
●目屋林道開通記念碑
 目屋林道の開通を記念して昭和10年に建立されたとされるが、目屋ダム建設に伴い水没することとなったため、昭和35年10月に移設された。
 津軽ダム建設にあたって、砂子瀬部落とともに二度目の水没をすることとなったため、これを本地に移設した物である。
 
 
 この「目屋林道」が何であるか分からないが、昭和10年以前に開通しているので、昭和40年代開通の弘西林道とは別物であることは確かだ。
 
 前述した「目屋街道」は、弘前市街と目谷郷(西目屋村と旧東目屋村を合わせた地域)を結んだ街道であったが、そこに林道を通したのがこの目屋林道ではないかと想像する。昭和10年頃になって、やっと弘前市街とこの地が車道で結ばれたことになる。


「目屋林道開通記念」の碑 (撮影 2018.10.13)
「弘前營林署長齊藤正雄書」とある
   

記念碑の説明看板 (撮影 2018.10.13)
齊藤主開拓記念碑の説明文中に、
「岩木川の本流大川」との記述がある
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<石碑の元の位置>
 目屋林道開通記念碑が砂子瀬集落にあった時は、釣瓶落峠への分岐(湯ノ沢橋の西の袂)から更に100m程県道を西に行った南側の道路脇に、他の石碑(移轉(転)記念碑)と並んで立っていたようだ。
 
 また、齊藤主開拓記念碑は、県道から南に大沢川沿いの道(大沢林道と考える)が分岐する角に立っていたらしい。 齊藤主(つかさ)は川原平の人で、また暗門の滝までの通路開削を行ったことなどに因み、川原平から暗門の滝への道の起点に石碑を建立したのではなかったか。そこはまた、後の弘西林道の起点でもあった筈だ。
 
 今回、こうして記念碑の元の位置などが分かったのは、グーグル・マップのストリートビューのお陰である。今は津軽ダムによって水没している旧県道28号沿いの画像が残っていたのだ(撮影日は2014年5月)。 ダム建設が進み、既に砂子瀬集落などはもう見られなかったが、県道脇にまだ石碑の姿があった。ただ、開拓記念碑が立っていた大沢林道分岐付近を丹念に調べたが、やはり弘西林道東口の石柱らしき物は見付からなかった。

   

<弘西林道起点>
 古い地図などを調べてみると、県道脇にある津軽白神湖パーク入口からパーク内を親水広場方面へと続く道は、元の大沢林道の道筋に近いことが分かった。現在の地形図では、大沢川左岸側からダム湖へと突き出た小さな半島に通じる。その中にポツンと石碑のマックが描かれる。これは齊藤主開拓記念碑のことだろう。その石碑の位置が、元の県道からの大沢林道への分岐であり、かつての弘西林道起点の位置と思われる。

   
親水広場方面に続く道 (撮影 2018.10.13)
かつての大沢林道に近いのではないか
この時は通行止
   

<大沢橋の跡>
 開拓記念碑の元の位置から東に行けば、かつて大沢川に大沢橋が架かっていた。その辺りを写した写真を見てみると、確かに橋の跡のような物が湖面に確認できた。昔そこを走って旅をしたことがあるので、寂しい気がする。

   
左手奥の大沢橋はほとんど水没 (撮影 2018.10.13)
右手には新しい川原平橋が架かる
   
   
   
川原平以降 
   

美山湖パーク前を過ぎる (撮影 2018.10.13)
右手が入口

<美山湖パーク>
 かつての川原平集落付近を過ぎても、その先の大字としては依然川原平が続くのだろう。県道も立派な2車線路が続く。津軽白神湖パークに続いて美山湖パークというのがある。
 
●美山湖パーク
美山湖パークは、津軽白神湖の濁水長期化対策等のために作られた水質保全施設によりできた美山湖を望むことができる広場です。2号水質保全ダムは穏やかなカーブを描いた優美な堤体と落水表情が特徴となっています。
(津軽白神湖パークにあった看板より)
 
 以前の目屋ダムによってできたのが美山湖であったが、ここでは2号水質保全ダムによってできた小さなダム湖を美山湖と呼んでいるのだろうか。そこには大川が注いでいる。

   

<大川>
 直ぐに大川を大川白神橋で渡る。大川は岩木川の本流とされる。青森・秋田県境の峰を水源として北流して来た大川が、2号水質保全ダムの直ぐ上流側で東流して来た暗門川(あんもんがわ)と合流、その後岩木川となって東へと流れて行く。
 
 文献では、川原平より上流の岩木川を暗門川とするとしたり、暗門川は岩木川の上流部に当たる、といった記述が見られ、暗門川の方が岩木川本流であるように取れた。しかし、より多くの資料で大川の方を岩木川本流としているようだった。

   
大川白神橋に差し掛かる (撮影 2018.10.13)
手前左に青秋林道が分岐する
   

<青秋林道(余談)>
 大川白神橋の手前を大川右岸沿いに遡る道が分岐する。「青秋林道」としっかり看板がある。青秋(せいしゅう)とは青森県と秋田県を指す。その名の通り、青森・秋田県境の白神山地を縦断する林道だ。 青森側は大川沿いの途中で途切れているが、秋田県側からは八峰町八森を起点に県境付近まで道が登って来ているようだ。釣瓶落峠より更に西に位置する峠道として、峠好きとしては少なからず関心があった。 ただ、その後環境破壊で問題になったような気がする。多分、永遠に開通しない峠道だと思う。

   

大川白神橋の看板 (撮影 2018.10.13)

青秋林道の看板 (撮影 2018.10.13)
   

 大川に新しく架かった大川白神橋の下には、元の青秋林道や県道が通じ、大川白神橋の直ぐ上流側で県道が大川を渡っていた(多分、大川橋)。ちょっと下を覗いてみたが、橋の部分は水没しているようだった。

   

<旧県道を合する>
 それまで快適な2車線路を維持して来た県道が、大川白神橋から100m余りの所より急に狭くなる。そこを右手より一本の道が合流する。それが元の県道である。今は通行止のバリケードが塞いでいる。
 
<暗門川右岸>
 県道は暗門川右岸側に通じる昔からの道となる。ダム湖から上流の暗門川は渓谷の様相で、道はその右岸の高みに屈曲しながら通じている。林が多くて視界は広がらず、暗くジメジメした区間が多い。 白神山地が世界遺産となり、この先にある暗門の滝が観光地として知られるようになった今でも、まだまだこうした険しい道を走らなければならない。


右から合するのが旧県道 (撮影 2018.10.13)
車が停まる所が入口
   
暗門川右岸の道 (撮影 2018.10.13)
   

暗門大橋 (撮影 2018.10.13)

<暗門大橋>
 暗門川右岸を3Kmほど遡ると、鉄骨組みの古そうな暗門大橋で左岸に渡る。橋の竣工は昭和39年11月とあった。弘西林道の着工が昭和36年頃だから、林道工事の一環でこの橋も架けられたものと思う。
 
 車道はここより暗門川を離れる。「暗門の滝」へは暗門橋の手前を徒歩で行くようだ。文献によると、橋から約3km、往復4時間の道程とのこと。なかなか奥深い。林道開通前は途中一泊を要したそうで、それに比べればましである。
 
<アクアグリーンビレッジANMON>
 暗門大橋を渡った先で付近の雰囲気には似つかない大きな施設が現れた。「アクアグリーンビレッジANMON」とある。 最近は外国の観光客が多いのか、「AQUA GREEEN VILLAGEANMON」という表記が目立った。ここを「暗門の滝」などへの観光拠点とするようだ。大型観光バスなどもここまではやって来るらしい。

   
アクアグリーンビレッジ ANMONへの入口 (撮影 2018.10.13)
   
   
   
暗門以降 
   

<白神ライン起点>
 「アクアグリーンビレッジ ANMON」の入口前には、「ここから未舗装」、「津軽峠 9km」などと看板にある。この先の県道は、現在は「白神ライン」と呼称される。この暗門の地が白神ラインの西目屋村側起点となる。
 
 道は直ぐに暗門川の支流・鬼川辺沢を渡る。すると、早くも未舗装が現れた。その先にはしっかりしたゲート箇所が待っている。暗門までは一般車が多く、大型の観光バスさえやって来るが、このゲートを過ぎれば交通量は激減する。「通行注意!! この先42Kmは砂利道です」と看板も脅している。こうなればこっちのもである。


白神ライイン起点 (撮影 2018.10.13)
「暗門 弘前まであと33Km」と看板にある
   
ゲート箇所 (撮影 2018.10.13)
   

<白神ラインの様子>
 白神ラインは、これでも主要地方道かと思えば険しいが、憧れの弘西林道だと思うと、何ら走り難さを感じない。時々看板に、「白神ラインは整備中です。まだ砂利道が多く、道路が狭い山岳道路です。安全運転に心がけて下さい。(中南地域整備部)」とあっても、林道だと諦めてしまえば、決して狭い道ではない。一部に水溜りがあったりするが、概ね路面は良く整備され、オフロード車でなくても十分に走れる状態だ。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

道の様子 (撮影 2018.10.13)
看板には「能代 108km、深浦(岩崎)54km」とある
   

<道程>
 暗門から津軽峠まで9Kmとそれ程ないが、白神ラインを西の端の深浦まで走り通すと約55kmの距離ある。その途中、抜け出すルートはない(赤石渓流線は現在通行止)。 また、今夜は深浦町側に宿を取りたかったのだが、残念ながら見付からず、結局元の弘前市街のホテルを予約した。深浦から海岸沿いを北に回り、鰺ケ沢町経由で戻る予定だ。合計150km程になる。 それを思うと、やや気が重い。道路脇には時折県道標識と並んで深浦(岩崎)までの残りの距離が示されている。その数値はなかなか減らない。尚、以前は県道の西端は岩崎村だったが、深浦町と合併したので、この様な表記「深浦(岩崎)」になっているものと思う。
 
<鬼川辺沢沿い>
 道は鬼川辺沢沿いに真北に登って行く。視界は広がらないが、さりとてあまり暗い感じはない。途中、舗装路面が何度か出て来る。しかし、大半は砂利道である。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)
広々としている

一部に舗装路面あり (撮影 2018.10.13)
   

<深浦(岩崎)まで49Km>
 鬼川辺沢沿いを真北にほぼ登り切った所で、県道看板に「深浦(岩崎)まで49Km」と出て来る。

   

左手に県道看板 (撮影 2018.10.13)

「深浦(岩崎)まで49Km」とある (撮影 2018.10.13)
   

<四兵衛林道入口>
 その直ぐ後にまた「岩崎まで49Km」と看板にあったが、同時に「四兵衛林道 入口」とも出ていた。

   

「四兵衛林道 入口」の看板 (撮影 2018.10.13)
この先の左カーブの所から右に林道が分岐する

ここにも「岩崎まで49Km」とある (撮影 2018.10.13)
   

<四兵衛林道>
 四兵衛(しへえ)林道は通行止で、車両は入れない状態だった。地形図を見ると、岩木山方面へと続いているようだが、一般車両に開放することはないものと思う。

   

四兵衛林道の様子 (撮影 2018.10.13)

林道標柱に並び、通行止の看板が立つ (撮影 2018.10.13)
   

<中村川水系との分水界>
 四兵衛林道入口辺りから、道は概ね西へと向かい始める。地形図を見ると、四兵衛林道入口から100m余りの間、一時期的だが道は岩木川水系から中村川(なかむらがわ)水系へと入り込んでいるようだ。確かにその間、谷は右手に移っている。
 
 その後も、道は中村川水系との分水界となる尾根に近い所を進む。勾配も幾分緩くなったような気がする。


右手が谷になる (撮影 2018.10.13)
この辺りは中村川水系に入っている
   

<トラノ沢林道分岐>
 四兵衛林道に続き、トラノ沢林道という道が、やはり北へと分岐している。地形図を見ると、その林道は中村川水系との分水界を越え、中村川右岸を数キロ進むが、途中で途切れている。トラノ沢とは河川名だろうが、岩木川水系と中村川水系のどちらの川かと迷う。

   
右にトラノ沢林道が分岐 (撮影 2018.10.13)
   

<トラノ沢林道入口の様子>
 林道入口に立つ林道看板には、「一般通行禁止」とある。ただ、ゲートなどはなく、荒れた未舗装路が延びていた。側らには「遊々の森 白神インタープリテーションフィールド」と書かれた木柱が立っていた。

   
トラノ沢林道入口の様子 (撮影 2018.10.13)
左手に林道看板、右手に「白神インタープリテーションフィールド」の標柱が立つ
   

ぶな巨木ふれあいの径 (撮影 2018.10.13)

<ぶな巨木 ふれあいの径>
 トラノ沢林道入口の丁度反対側から歩道が始まっていた。「ぶな巨木 ふれあいの径」と書かれた木柱が立っている。但し、「きけん険立入禁止」のテープが張られていた。この「ぶな巨木」へは、津軽峠からも遊歩道が延びている(後述)。

   

<峠直前>
 トラノ沢林道分岐から津軽峠まで残すところ1.5Km程度だ。10月中旬ではまだ紅葉の季節に早いが、標高を上げて来たので、そろそろ木の葉が色付き始めている。分水界の尾根近くを行くので、明るい雰囲気だ。

   
沿道の様子 (撮影 2018.10.13)
木々が色付き始めている
   

<遠望>
 津軽峠の西目屋村側ではほとんど遠望がない。それでも峠の直前で、南方への景色が広がる箇所がある。秋田との県境に連なる白神山地が、ほとんど目の高さに広がっていた。

   
白神山地を望む (撮影 2018.10.13)
   
   
   
峠の西目屋村側 
   

西目屋村側から峠に着く (撮影 2018.10.13)

<峠に着く>
 道は未舗装のままに津軽峠へと登り着いた。初めて訪れてから26年の歳月が過ぎるが、以前と変わらず未舗装なのが嬉しい。
 
 青森は遠く、もう一度訪れたいと思いながらなかなか旅することができなかった津軽峠。それがやっと目の前に見ることができた。

   
西目屋村側から見る峠 (撮影 2018.10.13)
看板には次のようにある
 津軽峠
↑深浦   60km
  鰺ケ沢町 96km
(この鰺ケ沢町までの距離は、深浦経由のルートだと思う)
   

<津軽峠の看板>
 峠の西目屋村側にはちょっとした広場があり、そこにこの峠のシンボルとなる「津軽峠」と書かれた大きな看板が立つ。

   
津軽峠の看板 (撮影 2018.10.13)
   

 この峠の看板も昔と変わりないようだ。「津軽峠」と書かれた文字は書き直されて新しいが、木製の看板そのものは、かつてと全く同じ物を使用しているように見れる。冬場は深い積雪に見舞われるこの地で、木製の看板がこれ程の耐久力があるとは驚きだ。
 
 津軽峠ではやってみたいことが一つあった。26年前と同様、看板に車を並べて写真を撮りたかったのだ。あの時は鰺ケ沢町方面から登って来たので、わざわざハスラーをUターンさせ、看板脇に停めた。 すると、丁度私達の後ろから登って来た車が一台あり、一人の男性が降りて来て、付近をうろつき始めた。どうやら津軽峠の看板の写真を撮りたい様子だ。 慌てて写真を撮ると、車の位置は看板から離れ過ぎで、写真の画角から車ははみ出すし、不満足な結果となった。車を移動させてからちらちら様子を窺っていると、例の男性も私と同じような記念写真を撮っていた。 普段こんなことはしないので、やり慣れないことはするものではないと痛感した。


かつての峠の看板 (撮影 1992. 7.29)
使用されている木製の板は今と変わりないようだ
峠の看板の脇には通行止の「お知らせ」看板が立っていた
   

以前と同じポーズで写真を撮りたかった (撮影 2018.10.13)

以前の写真 (撮影 1992. 7.29)
現在は看板の後ろから、ぶな巨木への遊歩道があるが、
この時はまだないらしい
   

<津軽峠バス停>
 峠の看板横には津軽峠バス停が立つ。初めて訪れた時は、峠を鰺ケ沢町側に下った赤石川大橋から西の県道28号が通行止であることを知らせる立て看板が立っていたと思う。当時、津軽峠バス停があったかどうか、定かでない。
 
 現在は弘南バスの暗門白神号(単に「暗門号」とも)が弘前市街と田代・アクアグリーンビレッジ ANMON・津軽峠を結んで運行されている。津軽峠までの往路は弘前バスターミナル発8:50の便があるようだ。往路・復路とも所用2時間10分。なかなか乗りでがある。 白神山地が世界遺産になったことなどで、暗門号が運行されるようになったのかもしれない。尚、暗門号以外に弘前駅と西目屋村居森平(いもりたい)を結ぶ居森平線があり、弘前駅〜田代の移動に利用できるらしい。

   

津軽峠バス停 (撮影 2018.10.13)
津軽峠発(復路)の便は
田代ゆき:11:20、弘前駅前ゆき:13:00があるようだ
田代からは12:45発の居森平線に乗り継げるらしい

バスの時刻表 (撮影 1992. 7.29)
   
西目屋村側の峠の様子 (撮影 2018.10.13)
弘前市街方向に見る
奥の看板には次のようにある
アクアグリーンビレッジANMON 9km
津軽ダム 18.3km
   
西目屋村側の峠の様子 (撮影 2018.10.13)
峠の切通し方向に見る
   
   
   
峠の切通し 
   

<切通し>
 西目屋村と鰺ケ沢町との町村境となる境界部分は、短いながら切通しとなっている。中津軽郡と西津軽郡の郡境ともなる。道幅は広々として明るい雰囲気だが、切通しそのものは意外と深い。特に切通しの北側の法面は高くて急だ。

   
峠の切通し (撮影 2018.10.13)
西目屋村側から鰺ケ沢町方向に見る
   

<分水界>
 ほぼ東西方向に通じる切通しは、岩木川水系と赤石川水系の分水界上にあるが、切通しの直ぐ北側には中村川水域が迫って来ている。中村川水系の幹川・中村川の源流部になっている。その住所も、弘前市(旧岩木町)となる。文献の「乱岩の森」(らんがんのもり)の項に「赤石川水系と中村川水系の分水嶺をなす津軽峠」という記述があったが、これは間違いだろう。それはともかく、ほぼ3つの水系の接点に位置する峠というのは珍しい。
 
 余談だが、古いツーリングマップには津軽峠を指して、「岩木山を望める」としている。岩木山は峠の北東方向にあり、中村川水域に入らないと見えない位置関係だ。四兵衛林道分岐付近で一時期、道は中村川水域に踏み込むが、あるいはかつてそこから岩木山が望めたかもしれない。

   

白神ラインの看板 (撮影 2018.10.13)
「鰺ケ沢県土整備事務所」とある

鰺ケ沢町の看板 (撮影 2018.10.13)
鰺ケ沢の「あじ」では主に次の二つが使われることが多い
@:鰺
A:鯵

この看板では比較的簡単な@の方を用いているが、
地形図や鰺ケ沢町のパンフレットではAを用いていた
そこでここではAを使うこととした  
   

<標高>
 津軽峠の標高を記載した資料はなかなかない。どこかで「650m」という記述を見掛けたような気がするのだが、それがどこだか思い出せない。地形図を見るとほぼ650mの等高線に近いので、「約650m」としておく。

   
切通しより鰺ケ沢町側を見る (撮影 2018.10.13)
   

<鰺ケ沢町側へ>
 バス停から切通しへはほぼ水平移動で、切通しから鯵ケ沢町へは若干下って行くようだ。道は右カーブして行き、その先で視界が広がっている。

   
鰺ケ沢町側より切通しを見る (撮影 2018.10.13)
   

 鰺ケ沢町側から切通しを見ると、「西目屋村」の看板が見当たらない。ないのかと思ったら、切通しの少し手前にあった。

   
切通しの少し手前に西目屋村の看板がある (撮影 2018.10.13)
切通し手前を奥に入る道は進入禁止
近くに「この付近は遭難多発地帯!!」、「平成五年十月 遭難者三名死亡」などと看板が立つ
   
西目屋村の看板 (撮影 2018.10.13)
   
   
   
峠の鰺ケ沢町側 
   

<峠の鰺ケ沢町側>
 初めて津軽峠を訪れた時の記憶はあいまいだが、鰺ケ沢町側がこんなに開けていたという覚えはない。 「岩崎西目屋弘前線 津軽峠駐車帯」と呼ばれる駐車スペースが設けられ、丸太小屋風の洒落たトイレが立ち、西面の木々が切り払われて景色が広がっている。多分、これらも世界遺産に関係するのではないだろうか。

   
峠の鰺ケ沢町側 (撮影 2018.10.13)
広々としている
   

大きな標柱が立つ (撮影 2018.10.13)
「岩崎西目屋弘前線 津軽峠駐車帯」と書かれている

<駐車帯の様子>
 乗用車9台(内一台は身障者用)分とバス用のスペース一台分がある。暗門号はここでUターンし、復路の時間待ちをするのだろう。駐車スペース一帯はアスファルト舗装されている。ここまでの未舗装路に比べると、ここだけ一点豪華に設備が行き届いている。

   
西面に景色が色がる (撮影 2018.10.13)
   

看板類 (撮影 2018.10.13)

<看板類>
 駐車帯脇に立つ看板はどれも新しく、この施設と共に立てられた物だろう。
 白神ラインの展望所には次のものがあるようだ。
 奥赤石展望所  6.6km
 天狗岳展望所 19.5km
 白神岳展望所 34.4km
 
 津軽峠の峠道中にある奥赤石展望所が、次なる目的地となるだろう。

   

駐車帯の看板 (撮影 2018.10.13)
「アクアグリーンビレッジANMON(6.6km)」とあるが、
9kmの間違いか
「至 岩崎村(48.8km)」とあるが今は深浦町
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

展望所案内 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<トイレ>
 県道28号は長丁場だ。特に女性の場合、トイレの心配がある。しかし、道は未舗装林道並だが、そこは白神ラインである。看板の案内図を見ると、各所にトイレマークが記されている。

   

景色の説明と案内図 (撮影 2018.10.13)

白神ライン周辺の案内図 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<眺め>
 津軽峠は、展望所という名は付いていないようだが、赤石川の谷がある西方に視界が広がる。西目屋村側ではあまり眺望がなかったので、その意味でもこの景色は貴重だ。看板では天狗岳、白神岳、向白神岳などの山名が見られるが、それらはこの先の天狗峠を越えた深浦町にある。

   
看板にある山の説明 (撮影 2018.10.13)
   
実際の眺め (撮影 2018.10.13)
   
天狗峠方向を眺める (撮影 2018.10.13)
   

<天狗峠方向>
 天狗峠は津軽峠のほぼ真西にある。赤石川水系と追良瀬川(おいらせがわ)水系の分水界上に位置する。丁度、津軽峠から眺められる位置関係にあると思う。ただ、道筋などは確認できなかった。


この付近が天狗峠? (撮影 2018.10.13)
   

<朝食(余談)>
 本日は、弘前市街を出発し、津軽峠・天狗峠・一ツ森峠と越えて深浦町に抜け、鰺ケ沢町経由で再び弘前市街のホテルに戻らなければならない。 白神ラインの道がどのような状況か分からなかったので、朝食も摂らずに早々とホテルを出発して来た。津軽峠に辿り着き、一安心とばかりに遅い朝食とする。ステンレス・ポットに入れて来たお湯でコーヒーを作り、菓子パンやソーセージを食べる。目の前には景色が広がり、近くにトイレもあって、のんびり過ごす。

   

トイレ (撮影 2018.10.13)
妻が借用

し尿処理システムの説明看板 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 その間にも津軽峠駐車帯には、一台また一台と乗用車が弘前市街方面からやって来た。どの車も観光やドライブ目的のようである。中にはちょっと写真を撮ると、早々と弘前方面へ引き返して行く車もある。 ただ、津軽峠から更に鯵ケ沢町側へと進む車は滅多に居ない。一般的な観光は、この津軽峠までであろう。

   
   
   
ぶな巨木へ(余談) 
   

ぶな巨木への入口 (撮影 2018.10.13)

<ぶな巨木へ>
 現在の津軽峠の最大の観光資源は、ブナの巨木・通称マザーツリーであろうか。歩く距離では最短で行ける。車で津軽峠を訪れる者の多くが、そのぶな巨木を目的にしているのではないかと思う。 ただ、初めて訪れた時は、ぶな巨木への道はなかったようで、その後に発見されたのだろうか。
 
 ぶな巨木への遊歩道は、西目屋村側に立つ津軽峠の看板の後ろから始まっている。入口に立つ自然観察歩道の看板には、巨木まで270mとある。 大した距離ではないが、最近はクマの被害が怖い。朝食を済ませた後、念の為に夫婦共々クマ除けの鈴をリックにぶら下げ、出掛けてみた。

   

案内看板 (撮影 2018.10.13)

自然観察歩道案内図 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<自然観察路>
 ぶな巨木への道は、岩木川と赤石川との分水界の尾根に近い所に通じる。ほぼ水平移動で楽な道である。途中、右にアクアグリーンビレッジANMONへの道が分かれて行く。

   

右に分岐 (撮影 2018.10.13)
アクアグリーンビレッジANMON(5.5km)への道

尾根筋の道が続く (撮影 2018.10.13)
   

左にふれあいの道が分岐 (撮影 2018.10.13)

<ぶな巨木>
 更に左へは、トラノ沢林道入口近くから始まっていた「ふれあいの道」が合流して来ている。しかし、立入禁止である。
 
 歩き始めて4分程で正面にマザーツリーが現れた。しかし何か様子が変である。手前には「きけん立入禁止」の黄色いテープが張られ、近付くことはできない。木の周りには倒木が散乱している。

   
台風被害のあったぶな巨木 (撮影 2018.10.13)
   

<台風被害>
 看板に貼られた説明文によると、平成30年の台風21号によりマザーツリーは幹の途中から折れてしまったそうだ。私達の前にはやはりこのブナの木を見に来た夫婦連れが居たが、残念な様子で引き返して行った。我々もそそくさと峠に戻る。

   

ぶな巨木の案内看板 (撮影 2018.10.13)
写真にあるのが在りし日のマザーツリー

台風被害の説明文 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 その夜、ホテルのテレビで地方局を視聴していると、丁度このブナの巨木に関する話題を放送していた。何とかマザーツリーを復活させるそうである。

   
   
   
津軽峠(後半)へ
   
(話しが長くなったので前半・後半に分けました)
   
   
   
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