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剣 峠
 
つるぎとうげ
 
三重県にまた一つ面白い峠道があった
 
 
 
剣峠 (撮影 2004. 5. 2)
手前が三重県伊勢市宇治今在家町(うじいまざいけちょう)
奧が同県南勢町(なんせいちょう)切原(きりはら)
標高は約330m
道は県道(主要地方道)12号・伊勢南勢線
 
 三重県には意外と面白い峠が多い。特に伊勢辺りより南の、それも海岸に近い地域に、小さいながらも小気味の良い峠道がいくつも点在している。例えば鍛冶屋峠や藤坂峠、棚橋隧道の峠と錦峠、古和峠などなどである。どれもこれも狭い道で、いちいち越えていたら幾ら時間があっても足りやしない。
 
 この剣峠もその一つなのだが、実は最初の内はあまり気にも留めていなかった。ツーリングマップ(ル)などのように縮尺10万分の1より粗い道路地図では、距離が短くてそれほど険しそうにも見えないし、何しろ以前かられっきとした主要地方道である。他に越えたい峠が沢山あり、食指が動かされなかったのだ。
 
 ところが、2年程前にメールを頂いたところによると、これがなかなか面白そうな峠道なのである。国土地理院発行の2万5千分の1地形図で調べてみたら、細かい九十九折りが幾つも続いている。これは是が非でも越えてみたい。三重県はこれまでも何度か旅をした所だが、また足を運ばねばなるまい。
 

南勢町の国道260号上
右手に県道12号が分岐する
<五ヶ所浦>
 
 前日は伊勢市のビジネスホテルに宿泊し、今朝は阿児町(あごちょう)の安乗崎(あのりざき)を見学したりしながら、南勢町へとやって来た。南勢町側からの剣峠の道は、国道260号から分かれて始まる。国道を浜島町方面から来ると、五ヶ所大橋で五ケ所川を渡って直ぐ右に目指す県道12号が分岐している。
 
 この付近は五ヶ所浦と呼ばれる地区だ。熊野灘に面する五ケ所湾の湾奥に形成されている集落である。五ケ所浦は南勢町の中心地であり、県道分岐の交差点から町役場もほど近い。国道沿いは車や人の往来も多く、なかなか賑わっている。これから向かう峠道の中では、観光客で賑わう時の伊勢神宮内宮の前を除けば、この五ヶ所浦付近が一番華やいでいる。
 

国道260号を五ヶ所大橋方向に見る

県道12号より国道260号の交差点を見る
国道沿いの道路標識には
左に浜島 磯部 右に南島とある 
 
 国道から分かれて入った県道は、車がやっとすれ違うような狭い道だが、沿道に理容室や酒屋、薬屋などの店がまだ僅かに続いていた。
 

県道沿いの様子

県道沿いの様子(続き)
電柱に掲げられた標識には「伊勢 磯部」とある
 
 しかし、町並みは直ぐに途切れ、電柱に掲げられた古ぼけた道路標識に、「伊勢 磯部」のかすれた文字が見られた。いつもながら、これがゆくゆくは峠を越えて別の地に通じる道の始まりかと疑いたくなるような、寂しい出だしである。まさか「剣峠へようこそ!!!」などと書かれた横断幕で迎えてくれなくてもいいが、もう少し気の利いた看板や標識があっても良さそうなものだと思うのであった。
 
 道は途切れた町並みの代わりに五ヶ所川を右手に見て走る。正面には円錐形の小山が目立っている。その山が間近に迫った頃、川の対岸に公園のようなものが見受けられた。子供たちが遊んでいる。地図に記載の「愛洲の里」だろうか。橋が架けられているので、ちょっと寄り道したくなったが、まだ峠道が始まったばかりなので、先を急ぐことにした。

右手の五ケ所川に沿って進む
正面に円錐形の小山
 

県道迂回の看板
道路標識に「↑伊勢22Km」とある
<県道の迂回>
 
 五ケ所川の支流の川に架かる橋を渡った所で、不吉な看板が出てきた。早くも峠道は通行止かと思ったら、何かの工事で県道を少し迂回するように案内されていた。物々しく居並ぶ通行止の看板に混じって、道路標識がひとつ、「↑伊勢22Km」と出ていた。
 
 迂回路は県道12号から分岐する県道720号・横輪南勢線を少し進み、途中にある迂回路の看板に従って右折、また暫くして右折といった具合に進む。ちょうど先ほど見えていた円錐形の小山を時計回りに回る格好である。
 
<切原の集落>
 
 迂回路をぐるっと回って出た所は、切原(きりはら)地区の中心地であった。切原は南勢町側としては最後の集落である。国道からここまで1、2Kmとそれほども離れていない。狭い県道沿いに家々の軒先が並ぶ。普通の人家に混じって郵便局や保育園、JAなどもある。
 
 県道沿いをふと見ると、案内看板が立っていた。「きりはらマップ」と題して地区内の案内図が描かれていた。こんな小さな集落では珍しいくらい立派なものだ。神社や山、ダム、滝、変わったところで何だか分からないが「こうぼうの足跡」というのも案内されていた。後日調べてみると、切原はホームページまで出していた。

迂回路から県道に戻るところ
正面に県道が通る
 

切原内の県道を五ケ所浦方向に見る

切原内の県道を峠方向に見る
 

切原バス停前
<切原バス停>
 
 切原の集落内を通る県道は路線バスが通る。南勢町営バスが国道から入ってきて、まず切原口というバス停を過ぎ、そして次がこの切原で、バスはもうここで終点である。時刻表を見ると、一日に3本の便しかなかった。
 
 しかし、昔は三重交通のバスが、五ケ所浦から剣峠を越えて伊勢市まで運行されていた時期があったそうだ。この切原の集落の中も、峠越えのバスが行き交っていたのだ。その当時の方が今より村は賑わっていたのかもしれない。
 
 地元の女の子が一人、自動販売機で缶ジュースを買ってまた自宅へと戻っていった。それ以外に通る車も人もほとんどなく、静かな集落である。でも、こういう集落にどういう訳か愛着が湧く。時間さえあれば「きりはらマップ」で案内されていたものを全て訪ねてみたいものだと思う。
 

集落を過ぎ、道は狭くなった
<白滝への分岐>
 
 切原の中心地を過ぎると、集落の外れでお寺と木工体験所のような建物を見て、そこから道は一挙に狭くなる。人家はまばらで、代わって田畑が沿道に見受けられる。行く手にこれから越える山並みも望めるようになる。
 
 人家が全く視界から消えて暫くすると、左手の斜面に小刻みな九十九折りを見上げる。そして、その九十九折りに差し掛かる手前を右に、道が一本分岐する。古いツーリングマップ(1989年7月発行)には記載があるが、「白滝(しらたき)」へ通じる道だ。分岐には看板も完備である。それほど有名な滝ではなさそうだし、また滝全般に特別な関心がある訳でもないが、ちょっと寄り道することにする。せめて「きりはらマップ」で案内されているものの一つを訪ねておこうという訳である。
 

小刻みな九十九折りを見上げる

九十九折り手前を右に白滝への分岐
 

県道の分岐に立つ案内看板
<白滝へ>
 
 入った道は狭い林道の様相だが、一応舗装されている。県別マップルで見ると、この先途中で点線となって隣りの磯部町へと続いているが、車が越えられるような道だかどうだか分からない。
 
 白滝へは途中で一回、案内標識に従って右に分岐する。こちらの道もゆくゆくは行止りらしい。間もなく滝の入口を示す看板が右手に出てきた。県道からここまで看板の記述によれば0.7Kmの距離である。車なら造作もない。
 
 白滝の入り口をちょっと過ぎた路側に車を停めようとすると、近くに「野口雨情詩の細道」と題した石板が目にとまった。
 
     野口雨情詩の細道
 
 野口雨情は北原白秋西条八十と共に我が国
が生んだ三大詩人の一人である。昭和十一年
七月 雨情はここ南勢の地に遊び各地の風物
を詠んで五ケ所湾小唄を作詩した。文化協会
はこの古き良き文化を後世に伝えようと南
勢町ふるさと創生事業の一環として当区
と共同してこの地にその一節を刻み詩の細
道の一つとするものである。
 
       平成元年七月吉日
 
   南勢町 文化協会 切原区 建之

野口雨情詩の細道
 

白滝への入り口
 白滝へは、ポツンとある簡易トイレの脇を沢底へと下って行く。時折小雨が降る中、長く歩かされるのはかなわないと思ったが、折角ここまで来たのだからと、途中での引き返しも念頭において歩き出した。滝の入り口を示す看板にどの程度の距離なのか、どのくらい時間が掛かるのかをちょっと書いておいてくれると助かるのにと思う。
 
 しかし、意外と滝は近く、数分も歩くと滝の音が聞こえ始め、間もなく左手の岩の陰から一条の白糸の様に流れ落ちる滝が現れた。黒い岩肌をバックに水の白色が際立っており、そんな様子から白滝と名付けられたのだろうか。滝は小さなものだが、目の前に見ると恐ろしささえ感じる。水恐怖症なので誤って滝壷に落ちないようにと注意しながら写真を撮った。雨模様の天気で薄暗い谷が滝の周りを取り囲んでいた。
 
白滝
 
 これまでもこんな滝をどこかで見たような気がするのだが、それがどこのことだったか全然思い出せない。名前もこの「白滝」と同じか似たようなものだった筈だ。旅先でこうしていくつもの滝を見てきたが、滝に関する知識はこの程度のことである。何の役にも見識にもなっていない。考えてみれば、「峠」にちょっとこだわった旅をしているが、それが別に峠ではなく、滝でもダムでも湖でも、何でもよかったような気がする。所詮、旅の途中の気まぐれな暇つぶし。いや、旅そのものが意味のない暇つぶしのようにも思えてくる。
 
 滝から戻ってくると、雨に濡れた草の中を歩いた為か、ズボンの裾がひどく濡れてしまっていた。
 
 滝の脇の岩壁に白滝の看板が打ち付けてあった。その説明文を下記に写す。
 
 不動尊が祀られていることから「不動滝」ともいわれる。
干ばつが続くと滝壷へ飛び込み、塩で清めて雨ごいをする。
高浜虚子も明治の終りころここを訪れ、御木本幸吉が樹木
の乱伐を防ぐために五ヶ所名所のひとつとして、この滝一帯
を購入したらしいことを後の紀行文に残している。
  (「実業の日本」誌 明治四十五年一月)
五月上旬にはうす紫色の山藤がうつくしい。
 

白滝から県道に戻ったところ
 峠道の県道に引き返し、下から見えていた九十九折りに差し掛かる。ここからいよいよ剣峠への本格的な登りが始まったという感じである。九十九折りが刻まれた斜面には何かが栽培されているようだった。農機具を片手に持ったもった男性が一人、その斜面を見上げていた。
 
 この峠道に設けられたガードレールには、時折その端に道路標識が付けてあった。「伊勢南勢線」とか「県道12」とか出ている。一方、一般的な県道標識はこの沿道にほとんど見られない。一本一本道路脇に県道標識を立てるより、既にあるガードレールにシールのような標識を貼り付ける方が、ずっと安上がりなのだろう。ちょっと味気ない気もするが、標識があるだけましである。
 

ガードレールの道路標識
伊勢南勢線 三重県

ガードレールの道路標識
県道 12 三重
 

九十九折りから眺める
 きつい小刻みな九十九折りを登る。見下ろすと五ケ所川の周囲に水を張った水田が広がる。すがすがしい気分になる。これより上流には、もう大きな水田はできないだろう。峠道もここより五ケ所川から大きく離れていく。
 
 幾つかのきついヘアピンカーブが過ぎると、その内比較的落ち着いた山道となる。谷底は右手の下へと姿を消す。代わって背後に視界が広がりるようになる。道は五ヶ所湾、ひいては熊野灘を背にして登っていることになる。
 
 峠もそろそろ近いと思われる頃、道路脇にちょっとした駐車スペースがあった。立ち止まって景色を眺めるが、雨雲が立ち込める天候では遠望は利かない。残念ながら遥か先の熊野灘が広がるだろう部分は、霞んでしまって判然としない。
 

峠の少し手前にあるちょっとした駐車スペース

左の場所からの眺め
生憎に天候で、海は望めない
 
<峠の名の由来>
 
 近くの山側には八祢宣(はねぎ)山への登山口が始まっていた。この場所に車を停めて登山する者も居ることだろう。これから向かう剣峠の名は、この八称宣山が剣の様にゴツゴツした岩の山容を有することからきているらしい。しかし、峠道を車で走っている限りには、その剣に似たという山の様子を眺めることはできなかった。
 

峠直前の道
 暫し、林の中の道が続く。視界が途切れ薄暗い。落ち葉が路面に溜まった所もあり、これでも主要地方道なのである。
 
 また登山口の案内看板が道路脇に立ち、一筋の登山道が始まっていた。こちらには「京路山」とある。国土地理院の地形図を見ると、峠の100m程西の稜線上に標高375mのピークがあるが、そのことだろうか。
 
 峠の鞍部などを明確に望むことなく、道の行く手に何やら石碑の様な物が見えてきて、その前を曲がると薄暗く切り立った切り通しが現れた。それが剣峠であった。
 
 
 

峠の南勢町側(左)

峠の南勢町側(右)
 

峠からの南勢町側の眺め
<峠の南勢町側>
 
 峠の南勢町側には、車が3、4台置ける程度の広場が設けてあり、丁度我々の車を停めた辺りの木々の隙間から、南勢町側に広がる景色が眺められる。今回は相変わらずの天候で視界不良だったが、天気さえ良ければここから南勢町に重なる山並みと、その向こうに五ヶ所湾が眺められることだろう。
 
 広場の一角にある峠の碑は、なかなか洒落たデザインをしている。先の尖った造形は剣を表しているのだろう。でも、古ぼけた素朴な石柱が佇んでいたら、もっと良いのだが。下に碑文を写す。
 
   剣 峠
 
明治二十三年、伊勢へ通じる近道としてできた。
剣峠は「椿峠」の呼び名もあり、椿の純林が
あることでも知られている。
この峠道は五ヶ所街道とも呼ばれ、伊勢神宮
に参る信仰の道でもあり、土地の人々が海山の
幸を伊勢の町へ売りにいく生活の道であった。
古くは峠に茶屋もあり、徒歩や馬で往来する
人々でにぎわったようだ。
伊勢から来て、この峠から
熊野灘を見た文人は、殊に
興をそそられたらしく、多くの
作品にとりあげられているが、
作家で詩人としても知られている足立巻一はここへ
立った時の感興を「剣峠」と題し、その中で次の
ように述べている。
 
 剣峠というのは
 若い荒神が天から舞いおりてきて
 剣を岩に突き立てて
 霧とともに消えさったからだ。
 という。
  (以下略)  (「響}第一八号より)

峠の碑
 
 碑文には茶屋があったと記されているが、どこにあったのだろうか。峠の伊勢市側は狭く、茶屋が建つ余地は昔もなかったのではないか。多分、南勢町側のこの広場付近に茶屋があったと考えるのが妥当である。南向きで明るく眺めもいい。但し、今はきれいに整地された広場に、その茶屋の痕跡を示すものはどこにも見当たらない。片隅に建つ変電設備の様なボックスの横からは、西の稜線上を八称宣山への登山口が細々と始まっていた。
 

南勢町側より峠を見る(左)

南勢町側より峠を見る(右)
 
<峠の様子>
 
 南勢町側から見る峠は、切り通しの両側から木々が覆い被さり、天井の低いトンネルのようだ。奥が暗くてあまりはっきりしない。
 
 切り通しの入り口の左側に、白滝にあったと同じような、「野口雨情詩の細道」が建立されていた。石板に記された文面はほぼ同じ内容である。白滝にあった肝心な詩は忘れてしまったが、こちらは詩が書かれた石碑を写真に写しておいた。
 
 神路山越え
また来ておくれ
乙女椿の
咲く頃に
雨情  東道人書
 

野口雨情詩の細道

詩の石碑
 
<峠の伊勢市側>
 
 峠の暗い切り通しを歩いて伊勢市側へと入ると、ちょっと様相が変わってくる。苔むした岩肌が道の両側に迫り、なかなか味がある。すると峠の切り通しが終わったところで立札が出てきた。
 
 鳥獣捕獲禁止
 
ここからは、神宮
宮域林であります
法律により鳥獣の
捕獲が禁止されて
いますので御注意
下さい
 
神宮司庁
三 重 県
 
 また、立札の側らには「從是神宮宮域」と書かれた古そうな石柱も堂々と立っていた。
 

鳥獣捕獲禁止の立札

從是神宮宮域の石柱
 
 この剣峠を境に伊勢市側はご神域なのであった。そういえば何となく神秘的な、あるいは神聖な感じがしないでもない。それが特別な雰囲気を醸し出し、この剣峠を単なる深く暗く狭い切り通しではおかないようだ。伊勢市側から眺める峠は、南勢町側からとは明らかに違って見えた。
 

伊勢市側から見る峠

切り通しの途中に佇む小さな地蔵
玉田屋建之
 
<峠道の変遷>
 
 剣峠は三重県の南勢地域と伊勢を結ぶ峠であるが、往古の南勢・伊勢間は竜ヶ峠(りゅうがとうげ)が越えていたそうだ。この峠は今の伊勢市宇治今在家町と矢持町との境にあり、剣峠からは遥か北に位置する。多分、切原峠で現在の南勢町から矢持町に入り、床の木を経て竜ヶ峠を越え、伊勢内宮へと辿るコースだったのだろう。
 
 峠の碑にも書かれていたように、明治23年に剣峠が開通すると、それ以後は竜ヶ峠に代わって剣峠の道が、南勢の魚荷を伊勢河崎に運ぶ重要な経済道路となった。昭和初期には乗合バスが剣峠を通るようになったとのこと。竜ヶ峠や切原峠は現在に至るまで、車道は通じていないようだ。今はハイキングコースとして僅かにその存在価値を残すのみだろうか。
 
 ツーリングマップルには剣峠の道について「宮本武蔵が通ったという逸話が残る」とあるが、これは竜ヶ峠の方ではないかと思う。宮本武蔵に関しては、関ヶ原合戦の後、伊勢内宮から竜ヶ峠を越え、矢持町の「鷲嶺山」(別名袴腰山)で修行したと伝えられているそうだ。時代的にはまだ剣峠は存在していないのだろう。
 

伊勢市側の峠

峠の伊勢市側
 
 一時はバスも越えた剣峠であったが、昭和40年に東の磯部町を回る主要地方道16号・南勢磯部線と同じく32号・伊勢磯部線(通称伊勢道路)を繋ぐ経路が開通すると、険峻な剣峠の道の交通量は激減した。伊勢道路経由の方が距離的には長いのだが、快適な2車線路は絶大である。剣峠の道は全線舗装の主要地方道とはいえ、こうして寂しい姿を今に留める結果となった。
 
 
 
<峠道を伊勢市側に下る>
 
 道の狭さは南勢町側とさして変わらないが、何故か寂れた感じのする道が伊勢市側に下っている。その理由の一つは、ガードレールやカーブミラーといった人工物がほとんど見受けられないことだ。まあ、ご神域だからそんな無粋なものは作らせないという訳ではなかろうが、ガードレールは皆無に等しい。ただただ狭いアスファルト路面が林の中を続くのみである。
 
 暫くすると凄い九十九折りが待っていた。急なペアピンカーブの連続だ。県別マップルなどの縮尺が細かい地図で見ると、一箇所に道が寄り集まっていて異様な程である。こんな所をよくバスが通ったものだ感心する。今回は友人の軽自動車で来たので、別段走行に問題はなかったが、これで対向車でも運悪く出くわしたら、あまりいい気はしない箇所である。

伊勢市側を下る道
 

ヘアピンカーブ

ヘアピンカーブ
 

峠方向を振り返る
 道はほとんど視界が広がらないまま、宮域の林の中をひたすら下界へと下ってくる。するとひょっこり目の前が明るくなった。振り返ると、「この先 (剣峠) 道路幅員狭少のため 大型車通行不能 三重県」、「車道巾1.8m急カーブあり」と看板が出ていた。南勢町側には通行規制の看板は何もなかった筈だが、こちら側はなかなか物々しい。これを見たら、なかなかこの林の中には入りにくいことだろう。 
 
 看板を過ぎた先には沿道に人家がポツリポツリと現れ始めた。近くには五十鈴川(いすずがわ)が流れているのだろう、その周辺には田畑が広がっていた。静かな山里にカジカ蛙の鳴き声が響いている。
 
 剣峠から南勢町側に流れる川は五ヶ所川といったが、こちらの伊勢市側へは五十鈴川が下っている。偶然ながらどちらも「五」の字が付く。五十鈴川は宮川水系に属し、内宮神域南部の山に源の一つを発し、内宮の前を通って伊勢湾に注いでいる。

目の前が明るく開けたところ
 
沿道に田畑が広がる
 
 県道は尚も続く。山道に比べればなだらかで比較的直線の道だが、一向に道幅が広くなる気配がない。時折林道が分岐している。しかし、入り口にはどこも宮域だから入るなとお触書が出ている。無視して入り込むと、何しろ神の領域である。天罰が下るかもしれないので要注意だ。
 
 どんよりした雲から雨粒が時折落ちてくる。車に乗りながらワイパーの間隙を狙って写真を撮る。沿道に水を張った水田が広がる。この雨も恵みの雨である。

水田の風景がすがすがしい
 
 時間が昼食時となった。伊勢神宮に出てしまえば食事をとりにくい。県道沿いにはなかなかいい駐車スペースがないので、途中、神域の林道にちょっと入り込ませてもらうことにした。五十鈴川を渡って直ぐの林道脇に車を停め、コンロでお湯を沸かしていつもの即席の食事とした。お湯を沸かしている最中、砂利の林道を林の中からおばあさんが乗ったスクーターがよろよろと現れてびっくりした。ばつが悪い。食事を始める前には雨が強くなり、もう傘なしでは車外に居られない状態となった。これは天罰なのだろうか。
 

細い道が続く
 伊勢神宮に出る前には、道幅は広がるだろうと思っていたが、予想に反して道はいつまでも細いままだ。峠前後では全く車と会わなかったが、この辺りではさすがに数台の車と行き違う。
 
 また、林の中の暗い道となった。右手に五十鈴川が流れているのだろうが、ちらりと見える程度である。ご神域の林が続く。いつになったら快適な2車線路になるのだろうか。
 
 すると突然喧騒の中に放り出された。伊勢神宮内宮の前に出たのだ。折りしも春のゴールデンウィーク真っ最中で、車と人でごった返している。そんな事情とは露知らず、行き掛けの駄賃とばかに我々も参詣しようと思っていたが、そう生易しいものではないことがここに来て判明した。
 
 まず、駐車場が満杯で停められそうにない。ちょうど居合わせた係員にどうしたらいいか聞くと、向こうの駐車待ちの車の列に並んでくれとのこと。この時期お伊勢参りをする客は皆、伊勢市街の方からやって来る。南勢町側から剣峠越えで来る車など想定されていないのであった。車や人が右往左往する中でやっと車を転回し、車列の最後に着ける。

伊勢神宮前の駐車場より峠道方向を望む
道が続いてる様には見えない
 
 それでも暫く待っていると、辛うじて駐車を許された。ただし、本来の駐車場から外れた所で、軽自動車だからこそ停められるような狭い場所に誘導された。その誘導係りのおじさんの話では、伊勢市方向から来た車の中には、駐車待ちの列に並ぶ以前に、引き返してもらったのもあるとのこと。我々はラッキーだったのだそうだ。これもそれも反対の南勢町側から来たお陰なのであった。
 
 神宮前の広場から峠方向を眺めてみると、県道12号の起点が林の中に小さく暗い口を開けていた。それはちょっと目には道に見えない。伊勢市街方面から国道23号をやって来ると、広場の入り口に「国道 23 終点」と道路標識が出ている。道はあたかも神宮前で途切れているかのようだ。
 

伊勢神宮内宮入り口
 多くの参拝客に混じり、長い砂利道を本殿に向かって歩いた。途中、五十鈴川のほとりに人だかりができているのでのぞいてみると、色鮮やかな沢山の鯉が川の中を優雅に泳いでいた。食事をした辺りの五十鈴川は、何の変哲もない単なる小さな川だったが、ここでは流れも清らかで神聖なもののように思えた。
 
 やっと本殿前にたどり着いたと思ったら、本殿に上る石段に長い人の列ができていた。これに並ばないと参拝できないらしい。そんな忍耐力はありそうもないので、渋々引き返すことにした。強くなった雨脚が帰り道をせき立てた。
 
 僅か20Kmそこそこの峠道だが、味わいのある峠の切り通しやら印象深い九十九折りやら、剣峠はなかなか面白い峠であった。やっぱり三重県の峠はあなどれない。「山椒(さんしょう)は小粒でもぴりりと辛い」ということわざがあるが、そんな感じがする剣峠であった。
 
<参考資料>
 昭文社 関西ツーリングマップ 1989年7月発行
 昭文社 ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 三重県 1998年7月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 三重県 2004年1月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
   五ヶ所浦(南東)、五ヶ所浦(北東)、伊勢(南東)、伊勢(北東)
 角川 地名大辞典 三重県
 
<制作 2004. 6.15 蓑上誠一>
 

峠と旅