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序 |
<杉本隧道> |
<所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<水系> |
<立地> |
<峠名> |
杉本より峠へ |
<杉本の分岐> |
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![]() 分岐に立つ看板 (撮影 1991.10.13) |
<余呉方面の看板> |
<丹生街道> |
<杉本隧道へ> |
![]() 杉本からの登り道 (撮影 2004. 9.26) 集落を過ぎた先 |
![]() 山間部に入った (撮影 2004. 9.26) 視界は広がらない |
<木之本町側坑口> |
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<峠の木之本町側> |
![]() 坑口前より杉本方向を見る (撮影 1995. 5. 3) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
![]() 左の写真とほぼ同じ場所道 (撮影 2004. 9.26) |
![]() 木之本町の看板が立つ (撮影 2004. 9.26) |
![]() 木之本町の看板 (撮影 2004. 9.26) |
<坑口の様子> |
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<扁額> |
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![]() 以前の扁額 (撮影 1995. 5. 3) |
![]() レンガの破損状況 (撮影 1995. 5. 3) |
<以前の坑口> |
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<標高> |
峠の余呉町側 |
<隧道を余呉町側へ> |
![]() 杉本隧道を上丹生側に進む (撮影 2004. 9.26) 先導車有り |
![]() 杉本隧道を余呉町側に出る (撮影 2004. 9.26) 路面に水が溜まっていた |
<峠の余呉町側> |
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![]() 余呉町の看板が立つ (撮影 2004. 9.26) 上丹生方向を見る |
![]() 余呉町の看板 (撮影 2004. 9.26) |
<銘板> 工費 金壹千貳百五萬圓也 (1,205万円) |
![]() 余呉町側坑口 (撮影 2004. 9.26) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
![]() 銘板 (撮影 2004. 9.26) (画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます) |
![]() 左奥の林の中に記念碑が立つ (撮影 2004. 9.26) |
<隧道記念碑> |
昭和26年(1951年)に竣工したトンネルとは、それを元に改修したものだろう。工費が当時の金額で約1,200万円だが、それでも新しくトンネルを掘削するには不足に思える。
一方、工期が3年近いと長いのもやや解せない。トンネルの使用を維持しつつ、徐々に改修した為か。 |
![]() 林の中に立つ記念碑 (撮影 2004. 9.26)
<隧道の利用> |
![]() 隧道記念碑 (撮影 2004. 9.26) |
<隧道名> |
<上丹生へ> |
![]() 余呉町側へ下る道 (撮影 2004. 9.26) |
![]() 高時川沿いの道に出た所 (撮影 1997. 4.27) |
![]() 道路看板 (撮影 1997. 4.27) 左が余呉市街へ、右が中河内へ |
現在、この峠道をどれだけの人が使うだろうか。杉野谷の地元民の利用はあるのだろうか。ちょっと変わったトンネルなので、たまには探訪好きな者がやって来るかもしれない。 |
<敦賀市へ(余談)> |
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杉本隧道は何度か越えているが、八草峠などに比べると本の些細な峠道なので、ほとんど写真を撮っていない。
それでも1995年5月に訪れた時に、坑口を撮った写真が比較的鮮明に残っている(ページトップの写真)。最近購入した精細なフィルムスキャナが役立った。
以前の杉本隧道の様子を留めるなかなかいい写真だと気に入っている、丹生峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2019 Copyright 蓑上誠一>
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