ホームページ★峠と旅★ |
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峠の所在 |
東京、埼玉、群馬の関東地方と、山梨、長野の甲信地方とを隔てる山々は関東山地と呼ばれるようだが、その関東山地を越える峠(車道に限る)としては、埼玉と山梨の間に雁坂峠(雁坂トンネル)、埼玉と長野の間に三国峠、群馬と長野の間に十石峠、大上峠、余地峠、田口峠、そして今回のぶどう峠がある。(立派な国道が通じる内山峠以北は省略) 雁坂峠は日本三大峠の一つで、近年になってその下に長大な雁坂トンネルが開通した別格の峠道である。また、大上峠は十石峠と余地峠の道を橋渡しするような格好で、あまり単独な峠道としての存在感がない。更に、余地峠は峠の群馬県側で車道が未開通のままだ。そうしてみると、三国、ぶどう、十石、田口が古くから関東山地の深い山間部を車道で越えてきた峠道と言えそうだ。 これらの4峠はなかなか険しい。関東山地にはそうそうたる峠が並んでいるのだった。その4強の中にあってこのぶどう峠は、あるツーリングマップルに「このあたりの県境越えのルートで一番マトモな道」とコメントされている。確かにそんな感じはする。それでこの「峠と旅」に掲載するのも、一番最後になったようなものだ。しかし、南の三国峠と北の十石峠に挟まれ、関東山地の只中を越える峠道である。古いツーリングマップ(1989年1月発行 昭文社)には、「木次原〜中ノ沢はダートで坂もある」と記されている。木次原は北相木村側にある集落の名、中ノ沢は上野村側の集落である。私が越えた1990年代には既に全線舗装済だったと思うが、その少し前まで、峠の前後が未舗装の険しさだったのだ。 |
長野県側から峠へ |
小海大橋の交差点 (撮影 2006. 8.20)
国道141号上を北に見る ここを右(東)に入る |
現在、長野県側から峠に向かうには、小海町内を走る国道141号の小海大橋の交差点より東に分岐する道を進む。直ぐに千曲川を小海大橋で渡り、間もなく主要地方道2号・川上佐久線に接続する。
以前は小海大橋などという立派な橋はなく、もう少し北のJR小海線の小海駅近くに馬流橋が架かり、そこから主要地方道2号も始まっていた。ぶどう峠方向 から流れ下る相木川は、馬流橋の少し下流で千曲川に注いでいる。その意味でも、馬流橋からの道の方が、峠道の本道と言える。 |
尚、相木川が千曲川の支流、すなわち信濃川水系であることから、相木川の水はゆくゆくは日本海に流れ出る。一方、ぶどう峠の群馬県側は利根川水系で、よってぶどう峠は中央分水界の峠である。
主要地方道2号を数Kmも走ると、右手に北相木村の看板が出てきて、そこより北相木村に入る。相木川がずっと寄り添っている。 |
北相木村に入る (撮影 2006. 8.20)
右手に看板が立つ |
川又の分岐 |
前方に川又の分岐 (撮影 2006. 8.20
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北相木村に入って数100mで道路看板が出て来る。ここは北相木村の川又である。看板は川又から右に分岐があることを示している。直進は県道124号で、
行き先は上野、北相木。右折方向は主要地方道2号の続きで川上、南相木とある。ぶどう峠へは上野村を目指して直進する県道124号・上野小海線を行く。
以前は県道上野小海線が小海の方から続く本線で 、この川又から県道栗尾川又線が始まっていたようだ。現在は主要地方道2号・川上佐久線が、相木川の支流・南相木川に沿って南相木村に進み、馬越峠で川上村にまで通じている。 |
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南相木村に寄道 |
ぶどう峠に進む前に、確かめたいことがあった。南相木村と群馬県との境には、これまで車道は通じていなかった。それが新しくトンネルが開通したようなの
だ。もしそうならば、関東山地を越える道がまた一本できたことになる。それを確認する為に、主要地方道2号に舵を取る。
川又から曲がって数100mで南相木村に入り、直ぐに案内看板が立っていた(左の写真)。それに「御巣鷹山トンネル」とある。但し「発電所工事期間中通行止」ともあり、通れそうにないが、行ってみるだけ行くこととした。 |
残念ながら、2006年8月現在、御巣鷹山トンネルは通行できなかった。しかし、そのそばには南相木ダム・奥三川湖が完成し、周辺は園地として整備され、面白そうな場所となっていた。
群馬県の上野村側でもダム工事が進んでいるようで、上野ダム・奥神流湖と呼ぶらしい。両方のダムは水路でつながり、主に発電を目的としている。県境を越 える御巣鷹山トンネルは、そのダム建設の為だった。将来一般開放されることになれば、また楽しい旅のコースが出現することとなる。 |
御巣鷹山トンネル長野県側坑口 (撮影 2006. 8.20)
ゲートで通行止 |
大鰭トンネルを抜けて来た (撮影 2006. 8.20)
前方に県道124号が通る 左は佐久・小海、右は秩父・上野 |
南相木村からの帰り道は、大鰭(おおひれ)トンネルとした。大鰭峠に貫通したトンネルで、快適な車道として生まれ変わった峠道だ。北相木村との間には、他に栗生峠(くりゅう)が車で越えられる峠道として存在する。大鰭トンネルを抜けて下って来ると、相木川を渡って県道124号に合流する。 |
北相木村を行く |
北相木村は、その東端で群馬県上野村との間に南北約8Kmに渡って県境を接し、東西に約10Kmの長さがあり、川又を扇の要とする様な扇型をしている。こじん
まりとした村だ。村域のほぼ中央を東から西に相木川が流れ、それに沿って県道が通じ、その県道が村で唯一と言える幹線路となっている。ほとんどの集落はそ
の県道沿いに点在する。 北相木村には大字の指定がない。以前、ぶどう峠にあった北相木村案内図(左の写真)に、集落名が並んでいて参考になる。西の端の川又に始まり、東の端のぶどう峠直下には木次原という集落が見れる。この案内図にはまだ大鰭トンネルの記載はない。 |
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村の中心は久保だ。大鰭トンネルを下って来て県道に入れば直ぐに久保集落である。間もなく看板が出て来る。右に役場、公民館、博物館、左に小学校があることを示している。
村役場を過ぎた先で左に上る道があった。後で調べると、北側の小海町へと越える、よしんた峠(よしんだ峠)という峠道があるようだ。 久保の次は坂上、中尾と続く。看板に中尾とあり、左手に相木城跡、郵便局があることを示していた。その直ぐ脇にあるバス停は「坂上」であった。(下の写真) |
役場などの看板 (撮影 2006. 8.20)
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山口以東 |
山口付近 (撮影 2006. 8.20)
右に分岐有り |
山口には右方向に分岐がある。看板には直進に上野・三滝山、右折に南相木・御座山とある(左の写真)。この南相木に通じる道が栗生峠である。御座山は「おぐらやま」と読むそうで、南相木村との境に位置する2,112.1mの山だ。十文字峠(三国峠(再掲)に少し掲載)以北の関東山地北部で最高峰の山となるそうだ。
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川又から山口付近までは、集落内を通る狭い箇所も多かったが、山口付近からはかえってセンターラインがある広い県道となる。人家も少なくなり、道の拡幅工事が容易だったのだろうか。屈曲も少なく、勿論交通量も皆無に近く、のんびり走れる。
折しもオートバイが一台追い越して行った。ツーリングのようだ。こちらと同じく、これからぶどう峠を越えて行くのだろう。 |
広い県道が続く (撮影 2006. 8.20)
前方に一台のバイクが行く |
下新井で左に分岐有り。三滝入口と看板にある(右下の写真)。三滝山の山中に3つの滝があるそうな。大禅、小禅、浅間と呼ぶ。中でも大禅の滝は、冬に結氷することで知られるとか。でも、最近の地球温暖化で、結氷も難しいのでは。 |
集落内を行く (撮影 2006. 8.20)
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左に三滝入口 (撮影 2006. 8.20)
左折2.5Kmとある |
県道は、相木川を跨いで右岸を通ったり左岸を進んだりする。改修の為、元の集落を通る狭い道を避け、対岸に新しく立派な道を切り開いている所も少なくない (下の写真)。走り易いし、住民の迷惑にはならないしで、言うことなしだが、沿道に何もない真っ直ぐな道は、やはりどことなく味気ない。 |
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加和志湖近辺 |
左手に栂峠(つがとうげ)と書かれた看板が立ち、その脇を狭い道が登って行く(下の写真)。加和志荘との案内も併記されている。地図を見れば、相木川の支 流・栂峠川の右岸に沿うように始まって、上野村に越える栂峠へと続いているようだ。ただ、途中から車道ではなくなるようである。 |
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栂峠への分岐直後に栂峠川を渡ると、その右手には加和志湖(かわしこ)が広がる。昭和46年に造られた人造湖だ。釣りや冬場のスケート場としても使われるとのこと。 峠道の途中では、ままこうした小さな湖を見掛ける。三国峠の古谷ダム湖、 田口峠の雨川ダム湖。似たようなのがいろいろあるので、その内区別がつかなくなる。ずっと以前、NHKだか何かのドキュメンタリー番組で、この加和志湖近くの農村の苦境を放送していたような気がするが、加和志湖だったか、もっとべ別の湖だったか、もう記憶が遠い。 |
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県道看板には木次原とある (撮影 2006. 8.20)
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加和志湖の湖岸を行く辺りから、沿道の人けが薄れる。どことなく殺伐した感じがする。地図には木次原という集落名が記されているが、ほとんど人家を見掛けた覚えがない。道の周辺もやや山がちとなり、それまで開けていた相木川の谷も、随分と狭まってきた。
沿道に県道看板が立っていた(左の写真)。「北相木村 木次原」とある。しかし、周囲に人家はない。ただ、県道看板の裏手には空き地が広がっていた。広 い割には雑草が生えているだけなのが、どことなく不自然である。もしかしたら、ここに人家があったのではないか、などと想像させられる。 |
右手に大きな道の分岐が出てきた。どちらかと言うと、そちらが直進で、本線の方が左に鋭くカーブしている。この木次原の分岐で県道は相木川沿いを離れ、東のぶどう峠へと登って行く。右に分かれた道には、「長者の森 入口」と看板にある。そちらが相木川の本流沿いで、道は南相木村との境方向へと延びているようだ。相木川の源流は、長野・群馬の県境から御座山に至る峰々にあるようだ。
木次原の分岐には、「ぶどう峠2.6Km 群馬県上野」と看板にある。ここから峠まで、2.6Kmの本格的な登りとなる。 |
右に長者の森への道を分岐 (撮影 2006. 8.20)
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峠への登り |
カーブ番号があった (撮影 2006. 8.20)
ここは第22号カーブ |
国土地理院の1/25,000地形図では、木次原の分岐の標高が1,225mとある。峠は1,500m強で標高差はざっと300mだ。距離も2.6Kmで、あまり大したことはない。
登り始めると道は狭く、屈曲が多い。カーブ番号が出てきた。後で写真を調べると、既に木次原の分岐にもカーブ番号があった。最初が何番か分らない。峠に向かって数が減っていくことだけは確かだ。 |
ぶどう峠への登り坂は、ちょっとした九十九折りも織り交ぜながら、こつこつ登って行く。道幅は終始1.5車線で、それ程狭くはない。沿道は比較的開けていて、暗い感じは微塵もなく、時折遠望さえある。
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狭い上り坂 (撮影 2006. 8.20)
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途中の眺め (撮影 2006. 8.20)
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峠はこの直ぐ先 (撮影 2006. 8.20)
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峠 |
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ぶどう峠はあまり印象深い峠ではなかった。越えた日付がはっきりしているものだけでも2回、それ以外にも越えたことがあるかもしれないのだが、今回改めて写真を眺め、あ〜こんな峠だったかと、やっと思い出した次第だ。 峠は長野・群馬のどちら側から眺めても、峠の先に山と空が広がり、なかなかすがすがしい。17年前の写真と比べると、やや群馬県側の木々が伸び、その分眺めが悪くなったようである。 峠は県境に位置するだけあって、長野県側から見ると「群馬県 上野村」と看板があり、群馬県側からは「長野県 北相木村」とある。長野県側から見た峠には、上に大きく看板が掲げられ、「お知らせ ここから17Km間は連続雨量100mmに達した時通行止になります 群馬県」と出ている。峠から17Kmというと、かなりの距離だ。国道299号に出るまでのほとんどの区間に相当する。 |
峠から見た長野県側の景色 (撮影 2006. 8.20)
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やはり草木が多い |
峠の長野県側の様子 |
ぶどう峠の長野県側はちょっとした広場になっていて、やや大きな地蔵の社が建ち、峠の石碑があり、北相木村の案内図があり、ベンチがあり、眺めも良い。
ちょうど12時を過ぎた時刻だったので、迷わず昼食にする。峠でくつろいでいる最中、大型のスクーター式バイク1台やって来て、峠からの景色をちょっと眺め、
また下って行った。後は、車が1、2台通り過ぎたくらいである。 |
ぶどう峠の長野県側 (撮影 2006. 8.20)
車の向こうに峠の石碑がある |
ぶどう峠の長野県側 (撮影 2006. 8.20)
昼食に手頃なベンチがあった |
峠から長野県側に下る道のガードレール横に、カーブ番号の看板を見つけた(下の写真)。この峠が第1号であった。カーブ番号は長野県側だけに付けられているようだ。 |
ところで「ぶどう峠」という名は、初めて聞いた者は誰しもちょっと迷うだろう。「ぶどう」とはあの果物のぶどうのことなのかと。一般の道路地図や国土地理院の地形図にはほとんど「ぶどう峠」と記載されているが、文献などを見ると「武道峠」と書かれていることも多い。そこで「ぶどう」とは果物のことではなく「武道」のことだったのかと思うことになる。それでもまだ、どこか納得がいかない。
道路地図などで「ぶどう峠」と記載されていることが多いのは、峠の石碑の表に大きく「ぶどう峠」と書かれているからではないだろうか。この峠に車道が通じたのは、 それ程古いことではなく、石碑の裏を見ると、林道の竣工日が昭和44年10月20日とある。その後、道路地図にこの峠道が掲載されたのだろうが、石碑にな らってぶどう峠と書かれたのではないだろうか。 |
峠の石碑 (撮影 2006. 8.20)
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同じ石碑に林道名が載っている。「峯越林道武道峠中ノ沢線」
とある。この林道が現在の県道124号の前身なのだろうが、こちらではどういう訳か「武道峠」となっている。この峠の付近で「ぶどう」または「武道」と言
う名は他にないかと探すと、峠の北約0.5Kmほどの県境上に「ぶどう岳」(1,622m)と呼ぶ山があった。そのくらいで、「ぶどう」の名の由来などは
分らない。 「武道」とは当て字なのだろうかとも思う。それで時によって「ぶどう」と書いたり「武道」と書いたりもするのではないか。そもそも剣道や柔道を指す「武道」が峠の名前となるのも変な話しである。 一つ思ったのは、「武道」とは「武州」に通じる「道」を意味するのではないかと。ぶどう峠を越えた先はまだ群馬県(上野国・こうずけのくに)だが、その後、志賀坂峠などを越えれば埼玉県、すなわち武蔵国である。これはなかなかいい着眼点だと自負するのだったが、想像の域を脱しない。 |
尚、武道峠中ノ沢林道の延長は約7Kmと石碑にある。峠から群馬県上野村の中ノ沢集落までも10Km以上ありそうで、この林道は、峠から群馬県側に下る途中までの距離である。峠の群馬県側には日向沢という川が流れ、それが中ノ沢川に合流する。その付近くらいの距離だ。 |
峠の標高 |
最近のツーリングマップルを見ると、ぶどう峠に標高が書かれてあって(以前はなかった)、1,510mとある。国土地理院の1/25,000地形図の等高線からは、1,500〜1,510mと読める。それで1,510mは正しいと判断した。 問題は、峠の石碑だった。石碑の裏には標高も書かれてあり、1,560mとあった。1/25,000地形図には10m間隔で等高線が描かれているので、50mもの差は、はっきり読み取れる。どう見ても現在のぶどう峠は1,560mもない。誤記だろうか。それとも車道が通じる前の昔の峠の標高だろうかと、勘ぐってしまう。 現在の車道の峠は、南にある1,598.5mのピークと北の1,622mのぶどう岳との間の鞍部を越える為、ぶどう岳を大きく南に回り込んだコースに なっている。もし、古いぶどう峠があったなら、そこまで迂回することなく、ぶどう岳に近い適当な所で県境の峰を越えていただろう。そうすれば1,510m より必ず高くなる。しかし、これも単なる想像であった。 以前使っていた古い道路地図を見ると、1995年に越えた時に書いたとみられるメモがあり、標高を「1,480m」としてある。それがどこからの情報だ か、もう覚えていない。また、ぶどう峠を指して「全舗装」と書き込んであった。ツーリングマップに「ダート」とあったので、既に舗装化されたのを残念に思っ たのだろう。 |
峠の群馬県側 |
群馬県側から見た峠 (撮影 2006. 8.20)
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県境を示す看板 (撮影 2006. 8.20)
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峠の群馬県側は、地形が険しいせいもあってか、ただただ道が下るだけで、車1台も停める余裕がない。
ぶどう峠は長野県と群馬県の境をなす稜線上の峠で、そこから稜線方向に登山道があってもよさそうに思えたが、はっきりした登山道の入口はなかったように記憶する。県境を示す長野県の看板の左側から、南の稜線方向に道がありそうにも思えたが、確かでない。 |
群馬県側から峠の切通しを見る (撮影 2006. 8.20)
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峠から群馬県側に下る道 (撮影 2006. 8.20)
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全体的に見て、このぶどう峠は、南にある三国峠にちょっと似た所があるように思えた。同じ長野県側に眺めが良く休める空き地があること、峠が岩や土が露出
した切通しであることなどである。しかし、三国峠は路面も土が露出している。峠道としての規模も大きい。同じ関東山地にある峠ではあるが、やはり三国峠の
方が格が上である。
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群馬県側に下る |
ぶどう峠の群馬県側の道は、やや険しい。全線舗装済で、道幅もさほど狭くなく、長野県側より全般的に広いくらいだ。しかし、地形自身が険しい。法面をコンク
リートで補修してある箇所をあちこちで見る。標高差も大きく、下を流れる日向沢の岸に取り付く地点が1,100m強の標高なので、その差400mくらい
だ。でも、その分、峠道としての楽しさは倍増する。深い谷を見下ろし、遠くの山々を眺める。
この地は上野村大字楢原(ならはら)である。上野村は群馬県の南西端に位置し、南は埼玉県、西は長野県に接す。文献(角川日本地名大辞典)によると、村域の93%が山林で、群馬の秘境とも呼ばれたそうだ。その上野村にあって、楢原は最も山深い所に位置する。 |
道の様子 (撮影 2006. 8.20)
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日向沢に下る道 (撮影 2006. 8.20)
遠望がある |
道の様子 (撮影 2006. 8.20)
森林の中を下る |
道は一気に日向沢まで駆け下るが、その後も道の屈曲は収まることを知らない。日向沢の谷間を右往左往する。 案内看板が一つ出てきた(右下の写真)。「北沢シオジ原生林自然観察路」とある。シオジとはモクセイ科の落葉高木とのこと。自然観察路は、こ の日向沢からのコースと、これより下流の三岐集落付近からのコースがあるようだ。歩かなければならない観察路にはあまり関心がないが、看板の地図は参考に なった。周辺の川や沢の名前が分かるのだ。日向沢はこの先、中ノ沢川に注ぎ、中ノ沢川は神流川(かんながわ)へと流れている。 |
日向沢に降り立った辺り (撮影 2006. 8.20)
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原生林自然観察路の看板 (撮影 2006. 8.20)
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます) |
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県道標識が出てきた (撮影 2006. 8.20)
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県道標識の拡大画像 (撮影 2006. 8.20)
県道 124 群馬 上野小海線 上野村 楢原 国道299号まで 9Km |
中ノ沢川沿い |
また大きく屈曲した道に差し掛かると、これから下る道に分岐があるのが見下ろせた(下の写真)。入口にはバリケードが設けられ、関係者以外立入禁止となっていた。 林道名などは分らないが、先ほどの北沢シオジ原生林の看板からは、中ノ沢川の源流の一つ・カマガ沢の左岸に沿って遡る道であることが分かる。ツーリングマップルなどでは、ここより南に位置する御巣鷹山の北麓を回り、神流川本流へと続き、三岐(みつまた)へと抜けている。しかし、看板には「行き止まり」とあるのだが。 峠からこの分岐までがほぼ7Kmくらいだろうか。ぶどう峠方向にはゲートが閉じられるようにもなっている。武道峠中ノ沢林道とは、峠からほぼこの地点までを指していたのではないだろうか。 |
分岐が見える (撮影 2006. 8.20)
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入口にある看板 (撮影 2006. 8.20)
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中ノ沢川沿いを進む (撮影 2006. 8.20)
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通行止の分岐を過ぎると、間もなく中ノ沢川の左岸を進む道となる。ところで、中ノ沢川の本流は、日向沢とカマガ沢のどちらなのだろうか。カマガ沢の方が、御巣鷹山の西麓深くまで伸び、そちらが本流のように思える。
中ノ沢川に沿うようになって、道はやっと落ち着いた。常に右手に川を見て進む。暫くして沿道に小さな集落が出て来た。中ノ沢(中乃沢)の集落だ。折しも地元と思わ れる女性の方が3人歩いている。麦藁帽子を被ったり、日傘を差したら、リュックを背負ったり、そして手にはそれぞれほうきを携えている。お墓の掃除でもし てきたのだろうか。 |
中ノ沢の集落に差し掛かる (撮影 2006. 8.20)
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地元の方が歩いている (撮影 2006. 8.20)
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三岐付近以降 |
また少し進むと、もう少し大きな集落が現れる。三岐(みつまた)の集落だ。ここで中ノ沢川は北から流れ下って来た北沢を合し、直ぐに南から下って来た神流川本流へ合流する。神流川上流の浜平方向へと道も分岐する。 |
前方に集落 (撮影 2006. 8.20)
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三岐の集落 (撮影 2006. 8.20)
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27年前、三岐の集落は騒然としていたことだろう。神流川上流の山に日航機が墜落したのは、昭和60年8月12日夕刻のことである。三岐集落を経由し、自衛隊など多くの人が救助に向かったのだ。普段は静かな集落である。今は神流川上流に上野ダムが建設されている。 |
三岐以降、ぽつぽつ集落がある筈だが、国道299号に合流するまでの区間、道の付け替えがかなり進み、沿道に人家があまり見られない。昔の道の味わいはない。この改修は飛行機事故に関連したものかと思っていたら、どうやら上野ダム建設によるものらしい。
左に大きな分岐が出て来る。分岐に立つ看板には、矢弓沢とか長野県佐久町・林道矢弓沢線方面、十石峠などとある。 |
左に矢弓沢沿いの道が分岐 (撮影 2006. 8.20)
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分岐に立つ看板 (撮影 2006. 8.20)
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分岐に立つ看板 (撮影 2006. 8.20)
長野県佐久町 方面 林道矢弓沢線 十石峠方面 |
旧黒川林道が通行止の時に、矢弓沢線が使われた |
国道299号・十石峠への車道は、神流川の支流・黒川沿いの黒川林道経由で峠に達するように開削された。その後、神流川の支流・矢弓沢に沿って遡る矢弓沢林道が開通し、黒川林道へと接続するようになった。左の写真は、旧黒沢林道区間が通行止になった折、矢弓沢林道が迂回路として使用された時の看板である。簡略された図ながら、この付近の道の関係が分かる。
図中の現在地は、十石峠(長野県方面)への国道299号から塩ノ沢峠への下仁田上野線が分かれる地点。ぶどう峠より下って来た上野小海線は、郵便局のマーク(〒)がある所で国道299号に合流している。 |
国道に接続 |
三岐以降は快適な道で国道299号まで達する。これも上野ダム建設のお陰だろうか。旧道は神流川の左岸にピッタリ沿ってクネクネ蛇行している。一方、新道には幾つもの橋が新設され、最終的に神流川の右岸から国道に接続する。 |
前方に国道が通る (撮影 2006. 8.20)
右の角に郵便局 |
道路看板 (撮影 2006. 8.20)
左:十石峠・佐久穂 右:藤岡・神流 |
県道124号の入口 (撮影 2004. 2.15)
国道299号から見る |
ぶどう峠の県道から出た国道299号は更に立派である。この道もそれ程古いものではない。私が上野村を訪れるようになった1980年代後半には既に開通していたが、古いツーリングマップ(1989
年1月発行 昭文社)には、楢原付近はまだ点線で描かれ、計画中の表記のままであった。よって、今の郵便局の脇から始まる道も、まだぶどう峠へと接続して
いなかった。1995年にぶどう峠を訪れた時は、旧道を通っていたと思う。その後、間もなく、国道から立派な道が開通し、それがぶどう峠に続いていると
知ってびっくりした覚えがある。
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出た国道を西へと少し戻ると、直ぐに神流川本流に架かる楢原橋を渡る。橋を渡り終わるとそこに十字路がある。立派な国道もここに来て尽きる。ここは上野村の大字楢原字砥根平の地である。
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国道が楢原橋を渡る (撮影 2004. 2.15)
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大字楢原字砥根平 |
楢原橋を渡った所 (撮影 1999. 7.24)
この先、国道は急に狭くなる |
十字路を直進は国道299号の続きだが、道幅は急に狭くなる。神流川の支流・黒川の左岸に沿って遡るその道は、旧黒川林道を通って十石峠へと続く。砥根平の十字路から0.5Km程も入ると、右に塩ノ沢峠の道を分岐する。
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十字路の右角、殺風景なコンクリート擁壁の前にポツンとバス停が立つ。砥根平のバス停だ。その右には、バスを待つ乗客の便宜か、時計を掲げた低い柱が立っている。左には「砥根平」の青い看板。
上信バスが定期路線バスをこの砥根平まで初めて走らせたのは、昭和34年とのこと。ここがバス路線の終点、最奥地である。バスは国道299号の旧道を通る為か、これまで走っている姿をほとんど見掛けたことがない。本数も少ないのだろうが。 |
砥根平のバス停 (撮影 2004. 2.15)
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ぶどう峠への旧道入口 (撮影 2004. 2.15)
右の欄干に「通行禁止」の立て札 |
左と同じ所 (撮影 1999. 7.24)
砥根平から三岐まで道路工事中の看板が立っていた |
砥根平の十字路を左に黒川を渡り、その先神流川の左岸を行くのが、ぶどう峠への旧道である。蛇行する神流川に沿って集落の中を狭い道が遡って行く。入口に
は砥根平から三岐まで道路工事を行っていることが以前書かれていた。大きく「通行禁止」と立て札があり、ビックリしたら「東電関係工事車両」限定であっ
た。住民や一般者は通行可能なのだろう。
右に立つ柱に幾つもの案内板が並んでいるが、よくよく見ると、全て国道299号のことであった。ぶどう峠への道の入口に立っているのに、ぶどう峠関係は何も書いてない。 |
黒川方向から十字路を見る (撮影 1999. 7.24)
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国道の十石峠方向から十字路を見ると(左の写真)、右の黒川を渡る方向にちゃんと「小海 ぶどう峠」と道路看板が立つ(左の写真)。しかし、その看板は旧
道を示しているのか、楢原橋を渡った先にある新道のことを言っているのか、やや曖昧であった。十石峠を下って来てその看板に出くわしたら、思わず旧道に入
りそうな気もする。まあ、どちらを行ってもぶどう峠へと続いているので、問題はないが。
旧道を行くとその近くの白井という集落に関所跡の碑があるそうだ。しかし、ぶどう峠の道の関所ではない。十石峠街道の関所である。 |
現在、矢弓沢林道経由でも十石峠に行けるようになったが、昔の十石峠街道は、それに近いコースを取っていたらしい。よって、黒川を渡る旧ぶどう峠への道の入口は、元々は十石峠への峠道の入口だった訳だ。そして白井集落付近でぶどう峠への道を分けていたことになる。
かつて白井集落は街道沿いの宿場として賑わったそうだ。現在は国道299号の大きな付け替えにより、幹線路から大きく外れた存在である。楢原橋がなかっ た頃の砥根平を知らないが、神流川左岸沿いを遡って来た旧街道は、そのまま真っ直ぐ黒川を渡り、白井宿へと続いていた。今はその前を大きな国道が横切った 格好である。白井集落周辺の旧道は狭い。一度のんびり歩いて散策したいものだ。 |
神流川左岸沿いの旧国道 (撮影 2004. 2.15)
砥根平の十字路より見る |
峠を旅して上野村に来た折は、慰霊の園に寄ったり、道の駅で休憩したり、不二洞を見学したり、スカイブリッジを見たり、ついには国民宿舎やまびこ荘に宿泊 したりと、結局しっかり観光していたのだった。それでもまだまだ見たい所が残っている。上野村にはその内また峠を越えて訪れることになるだろうと思う、そ んなぶどう峠であった。 |
<走行日>
・1995. 5. 5:長野県→群馬県 ジムニー ・2006. 8.20:長野県→群馬県 キャミ <参考資料> ・角川日本地名大辞典 10 群馬県 平成 3年 2月15日再発行 (初版 昭和63年 7月 8日) 角川書店 ・角川日本地名大辞典 20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店 ・その他、一般の道路地図など (本ウェブサイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2012 Copyright
蓑上誠一>
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