ホームページ★峠と旅
不土野峠
 
ふどの とうげ
 
「ひえつきの里」椎葉より県境を越える

 
不土野峠 (撮影 1999. 5. 5)
奥が宮崎県椎葉村不土野、手前が熊本県水上(みずかみ)村江代(えしろ)
道は県道142号・上椎葉湯前(ゆのまえ)線
 
 不土野峠への峠道は不土野橋の袂より始まる。橋は耳川に流れ込む不土野川を渡っている。袂には橋の名前を記した、味のある木製の立札が立っていた。車を停めて暫く佇んでいたが、一台の車も通りかからない。ただ川のせせらぎが聞こえるばかり。

 ここは宮崎県椎葉村。「秘境」とか「落人の里」とか言われる椎葉村の中にあっても、上椎葉ダムを更に上流に遡った奥地である。ダムより湖の左岸に沿った県道142号・上椎葉湯前線をやって来ると、湖の上流で耳川の右岸に渡る。更に進むと県道は不土野橋を渡って左にカーブし、一転不土野川に沿って南へ向かう。その先に不土野峠がある。

 余談だが、不土野川沿いを行かず、耳川沿いの村道をそのまま進めば、その先はあの椎矢峠である。耳川は椎矢峠の直下より流れ下り、遥か東の日向市より太平洋の日向灘に注がれている川だ。

 

不土野橋の袂
橋の名を記した木製の看板が左端に立つ
 不土野橋の近くには、椎葉村の観光案内図などの看板が幾つか立つ。観光地として「尾前渓谷」、「焼畑伝承地」などと書かれている。
 看板に混じって小さな木製の標識に、左は「不土野峠」、右は「尾前、向山、熊本県」とあった。この「熊本県」というのが面白い。不土野峠も熊本県との県境だが、この標識では日向を通る五家荘林道で熊本県の泉村へ出ることを指しているようだ。熊本へ出るのなら、仮にも県道である不土野峠の道を行く方が、よっぽど本筋だと思うのだが。

 案内図によると、不土野橋より不土野集落まで7.3Km(不土野小学校までは6.8Km)、峠まで15.2Km、水上村まで28.3Km、人吉市まで62.8Kmだそうだ。尚、峠までの道の途中の観光名所は「不土野渓谷」とのこと。

 
 不土野橋から県道を峠へ向けて走る。道の周囲には何もない。谷川沿いの為、視界も広がらない。道幅は概ね1.5車線で、対向車さえなければ何てことない。
 片側を不土野川が絶えず寄り添っているが、車の中からだとあまり川面が眺められない。どこが「不土野渓谷」の見所かは、遂に分からなかった。

 その内、不土野の集落に出る。それなりに人家が密集している。でも、全く人影を見ない。5月の休日に、村全体が静かに安息しているようだ。

 集落も終わりに近づくと、道の左手に小学校が見える。そういえば「ちびっこ落語」と書かれた卒業記念の小学校の看板が、不土野橋の袂に立っていた。平地の少ない土地だが、小学校にはちゃんと十分な広さの校庭があった。

 小学校を過ぎると、それを最後に間もなく人家が途切れる。その先で県道は左折して鶴富橋を渡り、不土野川の右岸に出る。鶴富橋の袂にも不土野橋にあったものと同様の、橋の名を記した立て札が立っていた。
 「鶴富」とは平家落人の悲話に因んでいるのだろうが、何かこの土地にいわくがあるのだろうか。
 橋を渡らず直進する道は、地図によると峠の手前で県道に合流するようだが、確かめたことはない。


鶴富橋で不土野川を横切る
左に橋を渡って湯前まであと34Km
 

峠への視界が広がる
 鶴富橋の少し先からは俄然視界が広がる。県境の峰々までもが見渡せる。峠のこちら、宮崎県側はなだらかな緩斜面となっているのだ。気持ちのいい景色で、これが不土野峠の道のクライマックスである。

 険しい峠道もいいが、あまり険し過ぎて深く暗い谷の中を、ただクネクネ走り廻っているだけの道では胃が痛くなる。たまにはこの不土野峠の様に、遥か手前から峠を眺めつつ上る峠道もいい。峠のこちらは北側にあたり、峠道としては日当たりの悪い暗い道になりがちだが、不土野峠ではそんなことがない。

 
 せせこましいつづら折りなど勿論なく、ゆったり上って行く。道路脇から恐々覗き込む深い谷もなく、走っていて安堵感が持てる道筋だ。

 峠を見渡す景色の中で、赤い橋が一際目立っていた。想像だが、こうした立派で大きな橋は、古くからあったものではない気がする。
 峠の途中にある大きな橋というのは大抵の場合、「川」を渡ると言うより、大きな「谷」を渡っている。それにより、道が谷の奧深くまで回り込まず、ショートカットができる。それはすなわち、お金を掛けて新道を建設した時に行われがちだ。
 不土野峠の南方約20Kmに位置する横谷峠の新道が、まさにそれである。横谷峠の熊本県側にも、やはりこんな赤い橋が目立っていた。

 険しい峠道を期待するときは、この赤い橋は邪魔物扱いなのだが、不土野峠では許される存在だ。


峠への途中にある赤い橋
 

不土野峠直前
左に道が造られている

左の道の先
 
椎葉村側の眺め   赤い橋が目立っている
 

不土野峠  椎葉側より見る
 もう直ぐそこが峠という所で、左に入る作業道が造られている。鉄柵で車は通れないようになっているが、歩いて柵の間を抜けて行くと、広々とした放牧場の様な所に出る。そこからは椎葉側の景色が一望である。麓の方から緩やかな山肌を縫って、峠道が登って来ている様子が確認できる。あの赤い橋も相変わらず目立っていた。
 
 着いた不土野峠は、広々と空が開けた峠である。
 県境だけあって、「熊本県 水上村」と標識が立っている。峠道はほぼ南北に走っているが、この峠では北側が宮崎県で南側が熊本県となっている。何だか変な感じがするが、それはこの付近で熊本県と宮崎県が東西に出たり入ったり、複雑に入り組んでいるからだ。

 水上村については「湯山温泉 またどうぞ」の看板が、椎葉村については「秘境椎葉村へ ようこそ!」の看板が道の両端に、向かって立っていた。「秘境椎葉村へ ようこそ!」の看板は、椎矢峠や国見峠でも同じ物が見られる。


不土野峠  水上側より見る
 

峠の石碑
 この峠は古くは「江代越」と呼ばれたそうだ。江代とは現在の水上村側にある地名である。椎葉から峠を越えて江代の平畑(たいらこば)や古屋敷に、楮(こうぞ)や茶、麻、シイタケが運ばれた。かわって江代側からは、日用雑貨が椎葉にもたらされたとのこと。

 峠では「不土野峠」と書かれた大きな石碑が目を引く。なかなか立派なものだが、良く見ると石板の付け根部分が補修してある。それにより裏の碑文の下の方が、埋もれて見えないのも残念だ。

 碑文の最後に記された日付は、「昭和41年4月吉日」とある。
 碑文によると、椎葉村側の道は不土野林道として先に完成している。年代は昭和×8年3月である。この「×」の部分が補修で隠れて見えない。水上村側は昭和41年3月に平畑林道として完成している。そして「開通を記念して不土野峠と名づけた」と最後に結んでいる。
 すると「不土野峠」の呼び名は、昭和41年以降のものなのだろうか?

 
 熊本県水上村側に下る。不土野側に比べると、峠道としての面白味をあまり感じられない。道からの眺めも、これといってすばらしい訳ではなく、走っていてどことなく物足りなく思える。

 この県道142号は、このまま下ると市房ダムの下流で国道388号に出て終わる。ただまっしぐらに何の変哲も無い県道を走っていても詰まらないので、どこか面白そうな寄り道はないかと、車を停めて地図を調べてみた。県道の東にほぼ平行して北目平谷と言う林道が走っている。湯山温泉まで下っている。こちらを通ることにした。
 古屋敷で左に分かれる脇道に入る。この2〜3Km先で林道に合流する筈だ。その途中に滝があるように記されていたので、それもついでである。 


熊本県水上村側の景色
 

滝見物の駐車場の外れ
この下の方に滝があるのだが・・・
 脇道に入って間もなく、道路脇の沢が滝の様に流れ落ちているのが目に入った。これが地図にあった「白水滝」だろうか。何の看板も無い。側に一台の車が止まっているだけ。仮にその白水滝だとしても、あまりにも貧弱な滝である。一応写真は撮ったが、直ぐに立ち去った。

 更に進むと道が右に分岐する。もう林道に出たのかと思ったが、何やら様子がおかしい。それまでの道とは不似合いな、幅の広い直線的な道である。それにその先がやたらと賑やかだ。

 何だろうかと取り敢えずその道に曲がって行くと、道の両脇に沢山の車が止めてあり、人も大勢居る。こんな山の中で一体何の騒ぎだろうか。道は直ぐに行止りになった。ここは駐車場だったのだ。

 愛車ジムニーも他の車に混じって適当に停め、人が行く方に私も歩く。駐車場の突き当たりに看板があった。何やら吊り橋などがあり、滝を見る遊歩道が築かれているようだ。ここが本当の白水滝だったのだ。

 
 看板によると、滝は大きく二つある。しかし駐車場からはどちらも全く見えない。カメラを握り締め、遊歩道に向かい始めて、ふと立ち止まった。ここまで来て滝は見たいが、この行楽の人達に混じって散策する気が起こらない。それより何より、もう時間が無いのである。この先、横谷峠も越え、どこかで野宿しなければならない。滝が描かれた看板を写真に納め、車に引き返した。

 脇道はその後直ぐに林道に出た。しかし、舗装済みの単なる狭い車道でしかなかった。交通量は少なく、寂しい道である。これといって気にとめるものも無く、道は国道388号にぽっかり出た。目の前に湯山温泉の看板が、空々しく立っていた。

 不土野峠の前後はどこも寂しいが、あの白水滝の観光客の賑わいだけが、唯一の例外だった。


白水滝の看板
 
 宮崎県の椎葉村と言えば、まず椎矢峠と国見峠を思い出す。方や九州一長い未舗装林道の峠であり、方や新道の国見トンネルが出来て、一段と寂しさに磨きがかかった旧国道の峠である。
 一方、同じ椎葉村にあってもこの不土野峠は、全く趣を異にする峠道だった。椎矢峠や国見峠の様な険しさは微塵も無い代わりに、椎葉村側には穏やかな山容が広がり、別の意味でなかなかいい峠道だった。

 ただ、あの白水滝の見物ができなかったのは心残りである。サラリーマンに与えられる僅か1週間からせいぜい10日程度の休暇では、そんなのんびりした旅は到底望むべくもない。東京から九州までフェリーで往復するだけでも、数日間を要してしまうのだから。いつの日か、時間を気にせずのんびりじっくり旅ができる身分になりたいものだ。

 

峠と旅        峠リスト