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富士見峠  (再訪)
  ふじみとうげ  (峠と旅 No.063-2)
  大井川最奥の地・井川への主要路となる峠道
  (掲載 2019. 7. 4  最終峠走行 2019. 4. 9)
   
   
   
富士見峠 (撮影 2019. 4. 9)
手前は静岡県静岡市葵区口坂本
奥は同区井川
道は県道60号(主要地方道)・南アルプス公園線(旧井川林道)
峠の標高は1,184m(地形図より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
平坦な稜線上に位置する広々とした峠
かつてここを越えて静岡市街から井川への直行バスが通っていた
 
 
 
   

<長距離路線バス(余談)>
 この峠はこれまで7回前後越えている。初めて訪れたのはかれこれ35年程前、二十歳代のこと。 まだバイクや車の免許を持たず、バスや電車などの公共交通機関を利用し、後はひたすら歩いて旅をしていた頃だ。 ある時、時刻表で静岡市内から富士見峠を越え、井川(いかわ)に至る路線バスがあるのを見付けた。 それ以外何の旅行ガイドもないまま、この大井川最上流に位置する井川とはどんな所かと思い、旅をすることとした。
 
 もう昔のことでその旅の前後の経緯は全く覚えていないが、とにかく静岡鉄道の新静岡駅前から出発する路線バスに、旅行カバン一つを肩に下げ、単身乗り込んだ。 まずは井川ダムの近くにある大井川鉄道井川線の終着駅・井川駅まで行く積りである。その後は出たとこ勝負だ。片道2時間30分近い長距離路線バスとあって、やや緊張気味である。 その時の様子は既に掲載した富士見峠で少し触れている。
 
 今回(2019年4月)、JR静岡駅にある静岡市総合観光案内所で聞いてみると、井川まで行く直通バスはもうなくなったとのこと。 途中の横沢(よこさわ)止まりで、その先はデマンド・バスになるという説明だった。 高速道路を使う長距離バスや観光バスなどを除けば、2時間を超えて普通の路線バスに乗ったのはあの時が最初で最後となる。その懐かしい路線がもうないというのは残念だ。
 
<再訪>
 ただ、井川へと至る道路は問題ないようである。もう午後になろうとする時刻だったので、「これから車で井川まで行っても単に往復するだけになりますよ」と、案内係の女性の言だった。 ちょっと迷ったが、行ける所まで行ってみることにした。最初に大日峠に登り、そこよりほぼ尾根沿いに富士見峠に移り、そこで時間切れとなった。 結局、井川には下ることなくそのまま静岡市内に戻って来ったのだが、久しぶりに富士見峠を見ることができた。調べてみると、21年振りであった。

   

<峠の所在>
 峠道は概ね東西方向に通じ、東側は静岡県静岡市葵区(あおいく)口坂本(くちさかもと)、西側は同区井川の地となる。これは大日峠と同様だ。 静岡市は2005年に政令指定都市になったが、その前は静岡市の大字口坂本と大字井川の境であった。
 
<口坂本>
 江戸期から明治22年までは口坂本村があった。文献(角川日本地名大辞典)によると、 「大日峠を越えて井川地域へ至る入り口にあたる」(駿河国新風土記)ことから「口坂本」の名があるようだ。 かつて大日峠は駿府城下(静岡市街)と井川を繋ぐ主要路であった。一般に峠の麓に「坂本」という地名がある場合は多く、大日峠の場合もそうだろう。 実際にも戦国期には「坂本」と呼ぶ地名があり、現在の口坂本付近に比定されるそうだ。その「坂本」に後になって「口」が付いたものと思う。
 
<井川>
 一方、大井川最上流域に位置する井川の地は、古くから「井川7か村」などと呼ばれて来たことを大日峠のページで触れた。 後、井川・岩崎(いわさき)・上坂本(かみさかもと)・田代(たしろ)・小河内(こごうち)の5か村で構成される。富士見峠や大日峠はこの時の井川村に属するものと思う。 明治22年には井川側の5か村と口坂本村が合併して新しい安倍郡井川村となった。 口坂本だけ峠の静岡市側に位置しているにも関わらず、大井川水域側の村々と同じ井川村に含まれたのだ。それだけ大日峠を介して口坂本と井川とは深い関わりがあったことをうかがわせる。 その後、昭和44年(1969年)に井川村が静岡市と合併し、井川や口坂本は静岡市の大字となって行く。尚、この時、安倍郡に残る全ての村が静岡市に合併したので、安倍郡という郡名は消滅したそうだ。
 
<上坂本(余談)>
 尚、大井川上流左岸にある上坂本は、口坂本とは位置的には直接関係ないようだ。多分、口坂本と区別する為に、「上」を付けたのではないかと想像する。 上坂本は井川峠(大日峠から北に延びる稜線上6.6Km程)の西麓に位置する。こちらも元は単に「坂本」と呼ばれていたのではないかと思われる。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 富士見峠に関わる水系は、ほぼ大日峠と同様である。
 口坂本側は安倍川(あべかわ)水系で、その右岸の一次支流・中河内川(なかごうちがわ)の源流部に峠は位置する。 大日峠の方がより中河内川本流の源流に近く、富士見峠はやや支流(名前不詳)寄りとなる。
 尚、中河内川は安倍川水系の川であることを明確にする為か、時に「安倍中河内川」とも記述される。「中河内」などという地名は他にも使われる為だろう。
 
 井川側は大井川水系で、井川湖左岸の小さな支流・大沢渡の上流部に位置する。大日峠よりやや下流側である。
 
<西河内川>
 峠は確かに中河内川水域に属すが、道は中河内川水域から間もなく中河内川の支流・西河内川水域に移り、主に西河内川沿いに下って、再び中河内川沿いに安倍川の岸に達する。中河内川と西河内川との分水界では笠張峠(1057m)という名の峠を越える。

   

<横沢>
 大日峠はその水系通り、中河内川最源流の口坂本と大井川源流の井川を結んでいるが、富士見峠の道の方は口坂本集落を通らない。 西河内川最上流にある横沢(よこさわ)集落と井川とを結ぶ峠となっている。室町期から横沢村という地名が見られ、江戸期からの安倍郡横沢村。 明治22年に安倍郡玉川村(たまかわむら)の大字となり、昭和44年からは静岡市の大字。現在は静岡市葵区横沢である。
 
 ところで、中河内川と西河内川があるなら、同じ安倍川の支流に「東河内川」も存在するかと思って探したが、見当たらない。地形図には出て来ない小さな川にそんな名の川があるのかもしれないが。

   

<立地>
 北の勘行峰(かんぎょうみね、1450m)から南の三ツ峰(みつみね、1350m)に至る安倍川水系・大井川水系の分水界上に峠はある。 地形図上、富士見峠の少し北にある1,201mのピークは大日山と呼ぶようだ。勘行峰の北に井川峠、南に大日峠、そして大日山と三ツ峰のほぼ中間にある鞍部に富士見峠は位置する。
 
<大日高原/井川高原>
 文献によると、大日峠から富士見峠にかけた一帯の平坦な稜線や山腹緩斜面をもつ高原状の地域を、大日高原(だいにちこうげん)と呼ぶそうだ。 地形図の等高線を眺めてみると、大日峠・富士見峠の口坂本側は等高線が密集していて如何にも険しく、口坂本や横沢の集落は峠からずっと下った川沿いになって初めて現れる。 一方、井川側は等高線がまばらの緩傾斜地である。僅かながらも稜線近くに既に人家が点在する。 第2次大戦後、開拓地として大日高原への入植があり、高冷地を利用した蔬菜(そさい)栽培や家畜の飼育が行なわれたそうだ。入植者の方の人家が多いのかもしれない。
 
 尚、最近は大日高原という名称は聞かない。一方、大日峠付近の高原を「井川高原」と呼んでいる。ほぼ「大日高原=井川高原」でいいのかもしれない。
 
<標高>
 峠の標高は地形図に1184mと出ていて、静岡市の観光パンフレットなどでも同じ数値が記されている。文献では1180mとの記載も見られたが、これは古い数値なのであろう。

   

<県道60号>
 現在、峠を通過する車道は県道60号(主要地方道)・南アルプス公園線となる。 しかし、峠を口坂本側に下った県道60号は笠張峠の手前で南へと分かれてしまい、笠張峠前後から西河内川沿いは県道189号・三ツ峰落合線となる。 更に下った中河内川沿いは県道27号(主要地方道)・井川湖御幸(みゆき)線だが、こちらは大日峠の峠道の領域だ。
 
<井川林道>
 ところで、古くは大日峠が静岡市街と井川とを結ぶ主要路だったが、最初に車道が開削されたのは富士見峠の方であった。 昭和30年2月27日着工、昭和33年3月31日完成、延長24,965m、幅員4.6mの井川林道が峠を越えた(開通記念塔の碑文より)。 延長約25Kmとは、ほぼ横沢集落から井川ダム付近までの距離に一致する。それまでの大日峠の道に代わる車道なので、一時は「大日林道」とも呼ばれたそうだ。 工期3年以上を要したこの井川林道は、当初は有料だったとのこと。

   

<峠名>
 富士見峠という峠名は、多分、井川林道が通じる前からあったのではないかと思う。補助的な峠でしかない笠張峠の名も残ることからして、井川と中河内川・西河内川水域、それらの間を行き来する峠道が昔から細々ながらも通じていたのではないかと想像する。
 
<富士見峠(余談)>
 富士見峠という峠名は多い。国土地理院の地形図(電子国土web)で検索すると7つの富士見峠がヒットする。他にも俗称などで富士見峠と呼ばれる峠は多いことと思う。 野反峠で掲載した峠も富士見峠の別称を持つ。
 
 勿論、富士見峠の名は富士を望む地であることを示すものと思う。しかし、今回の富士見峠からはあまり富士を望めない。 静岡市の観光パンフレットにもこの富士見峠は南アルプスの展望地となっていて、富士山のことにはほとんど触れられていない。ただ、位置的には峠の北東方向に富士を眺められる立地だ。 峠周辺の木々を切り払えば、富士が見えるのかもしれない。
 
<旧峠?(余談)>
 ところで、井川林道は元の富士見峠と同じ場所に通じたのかどうか、やや疑問が残る。大日峠では旧峠と現在の車道の峠は全く異なった。 地形図では旧峠の位置に「大日峠」と記載があるが、一般の道路地図などでは新峠の方に「大日峠」と出ていて、現地にも「大日峠」の看板が立つ。
 
 井川林道の方も近くにあった富士見峠の名をそのまま持って来てしまったのかもしれない。地形図では、現在の車道の峠より北北東470mくらいのに、口坂本から登って井川に下る徒歩道が描かれている。もしかしたらこれが富士見峠の旧峠ではなかったかと邪推したりする。

   
   
   
静岡市街より峠へ 
   

富士山展望ロビーより北側を望む (撮影 2019. 4. 9)
正面に富士山

<静岡市街(余談)>
 路線バスで井川を旅した折り、静岡市街の駿府城公園なども訪れたかもしれないが、もう全く記憶にない。それに、妻はまだ静岡市街を観光したことがないと言うので、それなら一度訪れてみようということになった。
 
<富士山展望ロビー(余談)>
 駿府城の次は静岡県庁別館21階にある「富士山展望ロビー」を見学した。無料な上に静岡市街が一望に見渡せ、なかなかいい観光スポットだった。遠くの富士も丁度雲が切れ、見事に見えた。今川義元も常日頃、この富士を眺めて暮らしていたのだろうか。

   
富士山展望ロビーより富士山を望む (撮影 2019. 4. 9)
   

<展望(余談)>
 富士山展望ロビーからは、富士見峠の位置は富士の少し左手方向になる。しかし、手前に高山という山がそびえ、全く様子は望めない。更に左手には白い南アルプスがちらりと覗いた。

   

遠くに白銀の南アルプス (撮影 2019. 4. 9)

正面に高山 (撮影 2019. 4. 9)
富士見峠などはこの山の背後
   

<静岡駅周辺(余談)>
 展望ロビーから南を望むと、静岡駅を中心とする静岡市街のビル群が広がる。なかなかの大都市だ。 車でこの付近には乗り入れたくなかったので、駿府城公園の北側の駐車場に車を停め、後は徒歩で散策した。これは正解だった。
 近くに新静岡駅の駅ビルも見られた。35年程前、その駅前から井川への路線バスに乗ったが、その頃から静岡市街はこんな大都市だったろうかと思う。

   

JR静岡駅周辺を望む (撮影 2019. 4. 9)

新静岡駅の駅ビル (撮影 2019. 4. 9)
   

<安倍川右岸>
 車に戻り、一路、安倍川左岸側に通じる県道27号(主要地方道)・井川湖御幸線を遡る。道路看板の行先には、「井川53Km、梅ヶ島44Km」などと出ていた。 この「井川」とは、静岡市の井川支所もある井川の中心地・井川本村を指すものと思う。静岡駅前を起点にすれば、井川本村までざっくり60Kmの工程だ。なかなか長い。

   

<道路休憩施設>
 最近の旅では駅などにある案内所に立寄って観光パンフレットを集めることにしている。今回も静岡駅に入っている静岡市総合観光案内所で「奥静岡ガイドマップ・オクシズ」なる物をもらって来た。 これがなかなか役に立つ。ほぼ静岡市全域の地図が描かれ、安倍川や大井川上流部まで詳しく案内されていた。特に幹線路の沿線にある「道路休憩施設」が設備アイコンで明記されているのが便利だった。
 
 この道路休憩施設は別名「オクシズの駅」とも呼ばれる。「道の駅」並の大規模な施設ではないが、駐車場にトイレが隣接してあり、ちょっとした休憩には立ち寄り易い場所となっている。 安倍川沿いにまず「安倍ごころ」というのが出て来る。富士見峠からの帰りにトイレ休憩で立寄った。安倍川上流部にも幾つかあるようだ。大日峠への途中には柿島に一軒あり、そこで昼食休憩した。 富士見峠までの間には横沢にあり、帰りに立ち寄った。富士見峠自身も道路休憩施設の一つに指定されている。
 
 井川は旅先としてお気に入りの地であり、これまで10回は訪れているだろう。井川への旅の行きか帰りには大日峠や富士見峠を越えることが多かった。 しかし、その峠道の途中で立ち止まることはほとんどなかった。井川の地は奥深く、道程が長いのでゆっくりする時間がないせいもあるが、途中で気楽に立ち寄れる適当な場所がなかったのもその理由の一つだ。今は道路休憩施設の整備が進んだりして、以前より寄り道し易くなった気がする。

   

県道27号線を北上する (撮影 2019. 4. 9)
左手に道路休憩施設の看板が立つ

道路休憩施設の看板 (撮影 2019. 4. 9)
部分のマークが設備アイコンとなる
   

<大日峠は大型車終日通行止(余談)>
 電光表示板に「口坂本〜大日 大型車終日通行止」と出ていた。「大日」とは大日峠を井川側に下った直ぐの地名であろう。 「大型車通行止」ということは大型でなければ通れるということだ。ところが、口坂本集落を過ぎた先で、大型重機が道路補修の為に道を塞いでいた。 わざわざ移動してもらって通行させて頂くこととなった。

   

大日峠の情報が出ていた (撮影 2019. 4. 9)

「大型車終日通行止」とある (撮影 2019. 4. 9)
   

<「安倍ごころ」通過>
 新東名の新静岡ICをくぐれば市街地の喧騒も納まり、少しは落ち着いた旅になる。ただ、まだまだ交通量は多い。道は安倍川の直ぐ脇を通るようになり、川面も見渡せる。 ちょっと見は「道の駅」に似た看板が出て来て、「安倍ごころ」が案内されていた。賤機(しずはた)都市山村交流センターという比較的大きな施設にもなっていた。

   

賤機都市山村交流センター「安倍ごころ」 (撮影 2019. 4. 9)
比較的大きな施設

安倍ごころ周辺の案内図 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
   
   
玉機橋 
   

玉機橋の少し手前 (撮影 2019. 4. 9)
「12Km 玉川キャンプセンター」などと案内がある

<玉機橋袂>
 静岡市街から17Km程で玉機(たまはた)橋の袂に至る。県道27号はその橋を渡り、以降は中河内川沿いとなる。一方、安倍川沿いには県道29号が梅ヶ島へと延びる。
 
 県道27号方向には、「井川ビジターセンター 43Km、口坂本温泉 22Km」などと案内がある。井川へは何度も訪れたが、「井川ビジターセンター」とはこれまで耳にしたことがなかった。ガイドマップ「オクシズ」によると、南アルプスがユネスコエコパークに登録された(平成26年6月)ことをきっかけに設けられたようだ。以前は「南アルプス井川観光会館 えほんの郷 井川情報ステーション」と呼ばれた建物が、そのまま井川ビジターセンターとなったらしい。井川本村にある。

   

玉機橋手前に立つ案内看板 (撮影 2019. 4. 9)

玉機橋手前に立つ道路看板 (撮影 2019. 4. 9)
   

<玉機(余談)>
 玉機橋の名は以前から知っていたが、何故このように呼ぶのかは分からなかった。今回考えてみると、玉機橋の東側は葵区油島(ゆじま)で、かつての湯島村。 途中、北賤機(きたしずはた)村の大字を経て明治42年から賤機村の一部となっていた。 一方、玉機橋を渡った西側は葵区中沢で、横沢などと同様、明治22年に玉川村(たまかわむら)の一部になっている。 すなわち、玉機橋はかつての玉川村と賤機村を繋ぐ橋であり、それで双方から一文字づつ取って「玉機」としたのではないだろうか。

   
玉機橋の東側の袂 (撮影 2019. 4. 9)
ここは油島
左が玉機橋を渡って井川方面へ、直進は梅ケ島へ
   

<玉機橋を渡る>
 安倍川沿いではまだ後続車があったが、玉機橋を渡る時にはもう一台の車も付いて来なくなった。これで気兼ねなくのんびりと走れる。

   
玉機橋を渡る (撮影 2019. 4. 9)
   

<安倍街道>
 玉機橋袂の分岐付近には県道標識等とは別に、玉機橋を渡る方向に「安倍街道」、安倍川を遡る方向に「梅ケ島街道」と看板が出ている。 道路地図でも現在の県道27号を「安倍街道」、県道29号を「梅ケ島街道」と記載していて、安倍街道が本道でそこから分かれて梅ケ島街道が始まる格好になっている。
 安倍街道につて、文献では「駿府から安倍川上流へ至る」街道という単純な記述を見付けた。安倍川沿いに通じるので安倍街道かと思ったのだが、その道は玉機橋以降、支流の中河内川沿いに進んで行ってしまうようだ。
 
 文献の井川村(近代)の項に、「大日峠から大字口坂本に通ずる山道が唯一の生活路で陸の孤島として隔絶しているため、 明治43年に安倍街道終点から口坂本に至る道路の改良工事が実施された」(静岡県安倍郡誌)とあった。どうやら安倍街道の終点は井川となるようだ。 すなわち、大日峠を越える道が安倍街道ということになる。
 
 玉機橋はまだ安倍川の中流域にあり、梅ケ島などは更にずっと上流部だ。それなのに井川へと続く道を「安倍街道」と呼んだのは、ちょっと不思議な気がする。それだけ駿府城下と井川を結ぶ道の方が重要視されたということだろうか。

   
玉機橋より分岐方向を見る (撮影 2019. 4. 9)
手前が井川方面
   

<路線バス(余談)>
 かつて静岡市街と井川を結んでいた路線バスもこの玉機橋を渡っていた。ある時、井川で一泊野宿した帰り道、丁度玉機橋の信号で一台の路線バスに追い付いた。 多分、遥々井川から新静岡駅へと戻る便だったのだろう。2時間以上もの長距離を走るのだが、見た目には街中を通る普通の路線バス何ら変わりない。 この大きな図体で富士見峠の細く曲がりくねった細い坂道を上り下りするのだから大変である。運転手もそうだが、乗客の方もただでは済まない。 車に酔い易い人は、苦労することだろう。
 
 「峠酔い」と呼んでいるのだが、峠道の酷い九十九折りでは、自分で運転していても気分が悪くなってしまう。 幸なことに、初めて井川までバスに乗った時は、何事もなかった。まだまだ若かったようだ。しかし、最近では数10分バスを乗るだけでも、酔い止めの薬を欠かさないようにしている。

   
玉機橋を渡る路線バス (撮影 2000. 5. 6)
井川からの帰りだろうか
   
玉機橋より安倍川上流方向を望む (撮影 2019. 4. 9)
広い川床だが、あまり水量はない
   

<中河内川沿い>
 玉機橋を渡れば中河内川沿いである。直ぐに西山橋で左岸から右岸へ渡る。橋の手前に立つ看板では「一級河川 安倍中河内川」と書かれていた。

   
安倍川の支流・中河内川を西山橋で渡る (撮影 2019. 4. 9)
橋上より上流方向を望む
   

<玉川(余談)>
 現在の静岡市の行政区域を表す名称では「玉川」(たまかわ)の名は使われないようだ。 しかし、沿道の看板には「玉川キャンプセンター」、「玉川路」、「静岡市立玉川中学校 玉川太鼓」、「玉川青空市」、「ここは本山茶山地 玉川」などと「玉川」の文字は溢れている。
 
 明治22年、中河内川とその支流・西河内川の流域15か村が合併して玉川村が成立した。古くこの地方を「玉川郷」と称したのが命名の由来だそうだ。 また中河内川はかつては玉川とも呼ばれた。元々「玉川」と言う川の名があり、その流域を「玉川郷」と称し、後に「玉川村」が誕生したのではないかと想像する。 昭和44年1月1日に静岡市に合併して玉川村はなくなったが、地元では今でも「玉川」は馴染みのある呼称なのかもしれない。

   
   
   
県道189号分岐へ 
   

玉川橋を渡る (撮影 2019. 4. 9)
その先に分岐

<分岐>
 中河内川の谷はまだまだ広く、沿道には集落が多い。その中を快適な2車線路が延びる。中河内川沿いを数Km行って玉川橋を渡ると、県道27号は右に折れて行く。行先は口坂本で、「口坂本温泉」の案内看板も立つ。
 
 その分岐を直進するのが富士見峠へと続く県道189号・三ツ峰落合線となる。行先は井川だ。県道27号も新しい大日峠を越えて井川に至るが、先に車道が開通した富士見峠の道の方が今では本道という様相だ。

   
分岐の様子 (撮影 2019. 4. 9)
直進が富士見峠方面、右が口坂本を経由して大日峠へ
   

<27号と189号>
 今回は大日峠への登りで県道27号、富士見峠からの下りで県道189号を走ったが、やはり、県道27号の方が道の狭い箇所が多い様な感じを受けた。 特に大日峠直前は険しい山岳道路の様相を呈していた。勿論、交通量も県道27号の方が格段に少なく、特に口坂本温泉を過ぎると、通る車はほとんどない。 ただ、いつも軽自動車で狭い道ばかり走っている者には、さほどの差はない。また、井川と静岡市街を結ぶ経路が、このように2系統維持されているのは、災害時などには有効であろう。

   
分岐を静岡市街方向に見る (撮影 2019. 4. 9)
手前が富士見峠方面
   

 今回の旅は一旦大日峠に登り、尾根沿いに富士見峠に移り、そこから再び静岡市が市街へと戻って来た。しかし、話の都合上、ここでは県道189号沿いに富士見峠まで遡ることとする。


大日峠方面より分岐を見る (撮影 2019. 4. 9)
手前が大日峠方向
   
   
   
県道189号沿い 
   

川島付近 (撮影 2019. 4. 9)
道はやや狭い

<三ツ峰落合線>
 県道189号は三ツ峰落合線と呼ばれる。西河内川が中河内川に注ぐ地が葵区落合である。また、三ツ峰は富士見峠から南に延びる稜線上にある山(1350m)で、西河内川の源流となる。

   

<道の様子>
 県道189号に入ってからは、センターラインは途切れがちになる。一部に狭い箇所も通る。西河内川の谷も徐々に狭くなり、屈曲も多くなった。ただ、部分的だが道が立派に改修されている箇所も見受けられる。以前来た時よりは、全般的に走り易い道になっているようだ。


内匠付近 (撮影 2019. 4. 9)
部分的に道が改修されている
   

<沿道の様子>
 沿道の人家の点在は続く。岸辺の平坦な地形では、穏やかな佇まいを見せている。静岡市街のあの喧騒を思うと別世界の感がある。しかし、谷が深い箇所も時折現れるようになり、同時に険しさも見せるようになる。

   
沿道の様子 (撮影 2019. 4. 9)
   

<茶畑>
 静岡ではお茶の栽培が有名だが、この地でも茶畑が見られる。ただ、県道27号沿いの方が茶畑は多かったように思える。

   
斜面に広がる茶畑 (撮影 2019. 4. 9)
(静岡市街方向に見る)
   
   
   
横沢へ 
   

<横沢へ>
 西河内川も中流域くらいになると沿道の人家もパッタリ途切れる。すると、支流の玉川大沢川を渡合橋(どあいはし)で渡った先、道は左に折れて行く。 正面には商店らしき建物があるが、もう営業している様子はない。近くに「横沢入口」のバス停が立つ。ほぼここより西河内川上流部は葵区横沢(よこさわ)の地となる。

   
渡合橋を渡る (撮影 2019. 4. 9)
橋の奥を左が富士見峠へ、右は大沢へ
   

<大沢(余談)>
 一方、支流の玉川大沢川沿いに細々延びる道の先には、大沢の集落があるようだ。道の入口に「大沢」と看板が立つ。また、「大沢縁側カフェ」という案内看板も少し手前に出ていた。 玉川郷の地ではほとんどの集落が中河内川か西河内川の川沿いに点在するが、大沢のように更にその支流沿いに立地するのは珍しい方だ。しかも比較的大きな集落を成す様で、「オクシズ大沢観光トイレ」なるものも設置されているらしい。


奥が玉川大沢川沿いに大沢に至る道 (撮影 2019. 4. 9)
入口に「大沢」とある
手前が富士見峠、右が静岡市街方面
   

横沢集落の様子 (撮影 2019. 4. 9)
静岡市街方向に見る

<横沢集落>
 大沢への分岐を過ぎると、再び西河内川沿いにポツポツと人家が現れる。それが横沢集落だ。ただ、谷は狭く、横沢は一箇所に大きな集落を形成することなく、沿道に細長く人家を点在させている。 畑や茶畑も見られるが、やはり規模は小さく、斜面に細々と耕作されていた。かつては尋常小学校の分教場も設置されていたようだが、やはり過疎の傾向は否めない。
 
 横沢は西河内川最奥の集落となる。この地の大きな転機は、昭和33年に富士見峠を越えて井川に至る車道が横沢を通過したことだろう。 それ以前は口坂本から大日峠を越えていた経路が、横沢を起点とする井川林道に取って代わられた。井川と静岡市街との往来はほとんど全て横沢を通過する。昭和38年からは定期バスも通うようになった。 

   
横沢集落の様子 (撮影 2019. 4. 9)
静岡市街方向に見る
   

<オクシズの駅>
 横沢の集落も後半に入った頃、「オクシズの駅 横沢観光トイレ」という、一見「道の駅」に似た看板が出て来る。道路脇に一部木造の比較的新しそうなトイレと、それに隣接して車6台程度が停められる駐車場がある。何かの店も並んでいるようだが、本格的に飲食ができるような施設はなさそうだ。


オクシズの駅が出て来る (撮影 2019. 4. 9)
   
オクシズの駅・横沢観光トイレ (撮影 2019. 4. 9)
静岡市街方向に見る
   
横沢観光トイレの駐車場 (撮影 2019. 4. 9)
手前にトイレ、奥が峠方向
井川の観光案内看板や横沢のバス停も立つ
   

井川の観光案内看板 (撮影 2019. 4. 9)

<オクシズの駅の様子>
 この「オクシズの駅・横沢」は以前には見掛けた覚えがない。やはり最近になって整備されたようだ。気兼ねなく気軽に立ち寄れるのがいい。 妻がトイレを借りたが、きれいで設備も最新だったそうだ。今の世の中、こうした施設が充実してきて、車の旅が随分便利になった。30数年前にバイクや車で旅を始めた頃に比べても、格段に良くなっている。
 
 オクシズの駅・横沢では井川に関した白樺荘などの案内や、井川周辺の大きな観光マップなどが立っている。特に注目する点はなかったが、一つ、西河内川を「西大河内川」、中河内川を「大河内川」としているのが気になった。誤植にしてはちょっと変だ。実際にその様な呼び名もあるのかの知れない。

   
看板の一部 (撮影 2019. 4. 9)
「大河内川」、「西大河内川」とある
   

<横沢バス停>
 オクシズの駅には横沢バス停が立つ。「静岡市井川地区運行バス」と「しずてつジャストライン」という2つのバス停が並んでいる。 以前は「静岡井川線」と呼ぶ井川までの直通バスが運行していたが、今は静岡市街からの便はこの横沢止まりのようである。 代わって横川から先は井川地区運行バスが通うらしい。ただ、時刻表を見ると、井川方面行は朝と夕方の2便しかない。まあ、しずてつジャストラインの安倍線も一日に4本程度で、大差ないが。
 
 井川地区運行バスは横沢の次は富士見峠で、井川側に下った最初に大日というバス停がある。大日峠直下の集落だ。終点は赤石温泉の白樺荘になっている。井川は10回近く訪れているお気に入りの地で、バスの経路図を見ているだけでも懐かしく思えてくる。
 
 安倍線の経路図を見ると、県道27号の方にも通っているが、終点は上落合となっている。温泉のある口坂本までは行ってないようだ。
 
<静岡井川線>
 かつて井川まで通じていた静岡井川線のバスは、2時間以上の長距離を走るが、至って普通の路線バスであった。ハイウェイバスの様な乗り心地のいい座席ではないし、勿論トイレの設備などない。 どうしても途中でトイレ休憩が必要だ。もう記憶が定かでないが、多分この横沢で小休止したと思う。新静岡駅より約30Kmと、ほぼ井川までの中間地点にあり、既に1時間近く乗って来ている。 この先、曲がりくねった富士見峠越えが控えいて、バスの運転手も一息入れたいところであろう。


横沢バス停 (撮影 2019. 4. 9)
   
井川地区運行バスの経路図 (撮影 2019. 4. 9)
   

横沢観光トイレ前の様子 (撮影 2019. 4. 9)
静岡市街方向に見る
かつての路線バスの休憩地点だった?

<井川へのバス旅>
 初めて井川へバスで旅した時のこと。路線バスは寂しい山間部に差し掛かると、道路脇の狭い路肩に窮屈そうに停車した。直ぐ横には一軒の商店が建ち、何人かの乗客がバスを降りて店内に入って行った。 店内にトイレがあったようだ。多分、今の横沢観光トイレがその場所ではなかったかと思う。周囲にはこれと言って見るべき景色もなく、ぼんやり車内で出発を待った。何とものんびりしたバスの旅であった。
 
 静岡市街地と旧井川村大字井川との間に定期バスが運行され始めたのは、井川林道開通から5年後の昭和38年(1963年)とのこと。また、調べてみると静岡井川線の運行廃止は平成20年(2008年)だったようだ。横沢は45年の間、バスの往来を見守って来たことになる。

   

<横沢集落の続き>
 オクシズの駅・横沢以降ももう少し横沢集落の人家が続く。

   

峠方向よりオクシズの駅(横沢)付近を見る (撮影 2019. 4. 9)
静岡市街33Kmと看板にある

オクシズの駅(横沢)以降の集落の様子 (撮影 2019. 4. 9)
   

<与左橋>
 横沢集落ももう尽きる頃に西河内川を与左橋(よさはし)で渡る。その先に電光式の道路情報の看板が立ち、「通行注意 落石」とある。異常気象時通行規制(区間内)の看板もある。また、「一級河川 安倍川水系 西河内川 起点」と書かれた看板もある。ここから先は道の屈曲がますます多くなり、勾配もきつくなる。いよいよ峠への本格的な登りの開始である。
 
 与左橋を渡った先で、西河内川沿いの平坦地に人家が佇むのが見下ろせた。しかし、それを最後に沿道からはパッタリ人気がなくなった。


道路情報看板などが立つ (撮影 2019. 4. 9)
   
峠方向より望む横沢集落の様子 (撮影 2019. 4. 9)
西河内川最奥の人家になるのだろう
   
   
   
横沢以降 
   

臥龍橋を渡る (撮影 2019. 4. 9)

<臥龍橋>
 道は西河内川上流部の険しい谷に入り込み、大きく蛇行しながら石橋、臥龍橋と続いて橋を渡る。地図を見ると、臥龍橋の少し上流側に権現滝という滝があるようだ。 橋からはその滝までは見られないが、橋の目の前まで大きな岩が迫って来ていて、その岩の間を食んで水が流れ落ちて来ている。大雨によってこれら大小の岩々が流れ下って来たのかと思うと、何とも恐ろし気な光景だ。

   
臥龍橋より上流側を見る (撮影 2019. 4. 9)
大きな岩がゴロゴロと迫って来ている
   

<道の様子>
 横沢集落を過ぎてから富士見峠の頂上に至るまで、まだ10数Kmの道程を残す。峠道としてはなかなかの距離だ。その間、狭小部もあるが、センターラインのある2車線部分も意外と多い。 拡幅可能な箇所はどんどん改修されてきたという感じがする。さすがに元はバス路線である。
 
 峠の旅としては本来この区間で楽しむべきなのだが、ちょっと困ったことがある。交通量は極めて少ないが、かといってゼロではない。 のんびり走っていると、いつの間にやら後続車に追い付かれてしまう。待避所などを見付けて追い越してもらおうと思うのだが、屈曲が多く峠道ではなかなか安全な場所がない。結局後続車を気にしながらそそくさと先を急いでしまい、十分には楽しめなかった。


道の様子 (撮影 2019. 4. 9)
臥龍橋を過ぎた少し先
前方遥かに峠が通じる稜線が少し見えている
   

<余談>
 逆に以前の旅では、この程度の峠道は物の数に入らなかったので、ただただ通り過ぎるばかりだった。この近くにある安倍峠山伏峠(大笹峠とも)を越えた後では、富士見峠の道など単なる移動でしかなかった。それでも今回久し振りに走ってみると、それなりに楽しい峠道だった。歳を取って味わいを感じ易くなったのかもしれない。

   

横沢洞門(長さ25.6m)をくぐる (撮影 2019. 4. 9)
この洞門は以前からあった

店の様な建物を過ぎる (撮影 2019. 4. 9)
横沢集落方向に見る
   

<西河内川を詰める>
 道は西河内川本流を詰めた所で京塚橋を渡る。これ以降は本流沿いを離れ、左岸の支流(名前は不明)沿いに笠張峠に向かう。京塚橋の手前を寂しい林道が分岐する。 地図では葵区大間(おおま)方面へと下る県道60号・南アルプス公園線に接続しているようだ。林道名は横沢大間線と呼ぶらしい。

   

京塚橋を渡る (撮影 2019. 4. 9)
橋の手前を左手に林道が分岐

京塚橋 (撮影 2019. 4. 9)
横沢集落方向に見る
   

<支流を詰める>
 西河内川本流をそれた道は大きく蛇行する。まずは支流を詰める。この川の源頭部に笠張峠がある。地形図では標高777mとある地点だ。

   

支流を詰める (撮影 2019. 4. 9)
地形図では標高777mの場所

支流を詰める (撮影 2019. 4. 9)
横沢集落方向に見る
   

<標高923mのカーブ>
 支流からも外れた道は、笠張峠方向とは真逆へと登り進める。大日峠の道には及ばないが、ちょっとした山岳道路の雰囲気も出て来る。 登るに従い、かえって道が良くなった。センターラインがある2車線路だ。地形図に923mと標高がある地点を過ぎると、道はやっと笠張峠方向を向く。

   
この先、標高923mのカーブを曲がる (撮影 2019. 4. 9)
   

<尾根沿い>
 道は西河内川と中河内川の分水界となる尾根近くに登り付き、その後は尾根に沿って進む。直ぐに林道の分岐がある。権七峠という峠に続く道で、多分林道権七峠線というのではないだろうか。

   

右に林道分岐 (撮影 2019. 4. 9)

林道分岐を横沢集落方向に見る (撮影 2019. 4. 9)
   

<見晴らし>
 笠張峠までもう数100mという所まで来ると、開けて見晴らしの良い箇所を過ぎる。眼下に西河内川上流部の谷の景色が広がる。奥には大井川水系との分水界となる峰々が連なっている。

   

見晴らしの良い箇所 (撮影 2019. 4. 9)

見晴らしの良い箇所 (撮影 2019. 4. 9)
横沢集落方向に見る
   
西河内川上流部の景色を望む (撮影 2019. 4. 9)
   
   
   
笠張峠 
   
笠張峠 (撮影 2019. 4. 9)
手前は静岡市葵区横沢
奥は同区口坂本
標高は1057m(地形図より)
   

<笠張峠>
 尾根沿いの明るい雰囲気の中、笠張峠に着く。この峠名は普通の道路地図にも載っていて、以前から知っていた。実際にも何度か通過しているのだが、峠の実態については全く記憶になかった。 その理由は、最初に手にした道路地図では、この先の県道60号との分岐付近を笠張峠としていたのだ。その後に見たツーリングマップルなどでは、縮尺が荒く、場所が特定し難かった。 また、当時は地形図などは容易に手に入らない。
 
 今回じっくり地形図を眺めてみると、中河内川と西河内川の分水界上、標高1057mと書かれた鞍部を笠張峠としている。 これなら納得がいく。県道189号の笠張峠は分水界の尾根を鋭角に横切るので、峠の前後で道のアップ・ダウンが緩慢だ。それでも峠を通過すると、谷の景色が左から右へと転じ、尾根を越えたことが明確に分かる。

   
横沢側から見る笠張峠 (撮影 2019. 4. 9)
もしかすると、元の峠道はこの車道とは直角方向に通じていたかもしれない(後述)
   

<峠の口坂本側>
 峠の口坂本寄りに県道標識が立つ。それにはまだ「葵区 横沢」とあるが、その先に立つ水源かん養保安林の看板辺りはもう口坂本であろうか。 ただ、口坂本側に続く道は、少し下ったかと思うと再び次なる富士見峠に向けて登って行くのだ。道の最高所を峠とするなら、ここはあまり峠らしくない。こうしたことも笠張峠の存在を曖昧にしている要因の一つだ。

   

峠より口坂本側を見る (撮影 2019. 4. 9)
谷は右手に移る
左手奥に水源かん養保安林の看板が立つ

県道標識 (撮影 2019. 4. 9)
   

<水源かん養保安林の看板>
 水源かん養保安林の看板では現在地のマーク「⦿」が消えていて分からない。多分、車道が保安林の境界を跨ぐ部分だろう。点線で示される字界に囲まれて「笠張」の文字が見える。 この字名から笠張峠の名が興ったものだろう。多分、笠張は横沢側の字と思われるので、やはり笠張峠は口坂本との境に位置すると考えて良さそうだ。尚、看板の地図では口坂本側は単に「井川」とだけなっている。これは旧井川村の名残だろうか。

   

水源かん養保安林の看板 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

看板の一部 (撮影 2019. 4. 9)
「笠張」とい字名が見えるが
現在地のマーク「⦿」は見えない
それにしても多くの小さな字に分かれている
   

<林道オオグナ線>
 峠からは中河内川水域へと下る林道オオグナ線が分岐する。林道看板を見ても、その道の詳しいことは分からない。多分、「オオグナ」とは口坂本側にある字名ではないだろうか。

   

峠の横沢側を見る (撮影 2019. 4. 9)
左手に林道オオグナ線が分岐する

林道オオグナ線入口 (撮影 2019. 4. 9)
左手に林道看板が立つ
   

林道オオグナ線の看板 (撮影 2019. 4. 9)
右手の小さな看板には「不法投棄禁止」とある

<笠張峠のこと>
 この笠張峠に関しては、名前だけで詳しいことは全く分からない。文献(角川日本地名大辞典)の井川林道の項に、「富士見峠・笠針峠などを経由する」とあるだけだ。多分、「針」は「張」の誤植だろう。今回、「笠張」とは横沢にある字名であることだけは分かった。
 
 元々「笠張」と呼ぶ峠が存在し、そこに井川林道(後の県道189号)が通じたものと思う。考えてみると、必ずしも現在の車道の道筋が元の峠道に一致するとは限らない。
 場合によってはオオグナ林道方向が中河内川水域側の峠道だったかもしれない。一方、西河内川水域側では、峠直下の谷へと直ぐに(字ガタジと字クロクヤの境を)下って行った可能性がある。 その方が如何にも峠道らしい。
 すると、現在の尾根沿いを進む車道は、本来の笠張峠をほぼ直角に横切っているのかもしれない。ただ、峠の形態はいろいろあり、一概には言えないが。

   
林道オオグナ線の看板 (撮影 2019. 4. 9)
行先など詳しい内容は分からない
   
   
   
笠張峠〜県道60号分岐区間 
   

<中河内川水域へ>
 笠張峠と富士見峠の間は3Km弱の距離がある。笠張峠から数10mは何となく下るが、そこからまたはっきり登り始める。道は中河内川源流の峰にほぼ並行して進む。 源流域の険しい急傾斜を横断する格好だ。如何にも車道開削用に通した新しい道筋と思える。この点からも、現在の車道は笠張峠を通る元の道筋ではないように思える。
 
 右手には中河内川本流の水源となる谷が広がる。ただ、沿道の木々が多く、あまり眺望には恵まれない。急な崖に沿って狭い道が続く。多分、井川林道の開削当時と大して変わりがないのではないか。この険しい地形では、道の拡幅は容易でないのだろう。

   

道は下ってまた登る (撮影 2019. 4. 9)
(富士見峠方向に見る)
右手に作業道が下る

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2019. 4. 9)
(笠張峠方向に見る)
   

<県道60号>
 暫くすると、頭上にガードレールが見えて来る。この先で分岐する県道60号だ。

   
上に県道60号のガードレールが見える (撮影 2019. 4. 9)
   

<県道60号分岐>
 正確には富士見峠を越えている県道60号から県道189号が分岐しているのだろうが、道の繋がりは、笠張峠から富士見峠へと一直線だ。分岐以降は自動的に県道60号となる。 左に曲がって行くのは県道60号の続きを大間へと至る道だ。県道189号は県道27号と県道60号を繋ぐだけの存在である。
 
<看板>
 井川方面へは、
井川ダム 14Km
井川ビジターセンター 19Km
井川オートキャンプ場 24Km
 などと案内されている。ビジターセンターの看板は最近の物だろう。


県道60号分岐 (撮影 2019. 4. 9)
左が県道60号を大間へ
直進は県道60号を富士見峠へ
手前は笠張峠
右手に「笠張」と看板がある
   
分岐を笠張峠方向に見る (撮影 2019. 4. 9)
手前が富士見峠方面
左手に「笠張」と看板がある
   

<以前の分岐の様子>
 21年前の写真と見比べても、道の様子や道路看板など、ほとんど変わりがない(下の写真)。センターラインの白線が薄れてしまった程度の違いである。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1998. 5.23)
21年前の映像だが、今とあまり変わりがない
ただ、「笠張」の看板はどこにもないようだ
   

道路看板 (撮影 2019. 4. 9)

<大間方面の道(余談)>
 県道60号を大間方面へは、相変わらず「右折 大型車通り抜けできません」と出ている。そもそも1991年頃に訪れた時は、まだこの道は開通していなかった。 分岐から入った直ぐの所で、車道の開削途中だった。丁度、工事が行われていなかったので、どんな道かと思い、歩いて未開通箇所を通り抜けた覚えがある。 斜面を切り崩して土が露出した狭い切通しの様な所を歩いた。何だが非常に歩き辛かった記憶があるが、AX-1でやって来てバイクブーツを履いていたからかもしれない。
 
 数年後の1994年頃に大間側からジムニーで登って来てみると、道は見事に開通していた。一般人で県道60号の未開通部分を通った(徒歩だが)のは、私が最初だったかもしれないと思ったりした。

   

 大間方面の案内看板の内容も以前と全く変わりはない。
 湯ノ島温泉 18Km
 福養の滝 9Km
 駿墨庵 9Km

 
 大間方面の県道60号は開通直後に一度しか走ったことがなく、写真は撮っていない。もう、何の記憶も残っていない。
 
 大間方面への県道60号は依然として険しいようで、奥静岡ガイドマップ「オクシズ」では、「平成28年7月現在通行止め」と出ていた。ただ、今回来た時は何の看板もなく、一台の軽トラがひょっこり出て来たのを目撃している。


大間方面の案内看板 (撮影 2019. 4. 9)
   

「笠張」と看板が立つ (撮影 2019. 4. 9)
分岐を静岡市街方向に見る

<笠張の看板>
 この分岐に関し、以前とは決定的に異なることがある。3本の道のどの方向から分岐を見ても、必ず「笠張」(kasahari)と看板があることだ。
 
 笠張峠に立つ「水源かん養保安林」の看板では、「笠張」とは横沢側にある字名だった。この口坂本にある分岐が何故「笠張」なのだろうか。 横沢・口坂本という大字を跨って同じ字笠張が存在するのだろうか。あるいは信号機のある交差点名と同じように、近くにある地名を取って単にこの分岐の名を「笠張」としただけとも考えられる。

   
分岐を大間方向より見る (撮影 2019. 4. 9)
こちらにも「笠張」の看板が立つ
   

県道標識 (撮影 2019. 4. 9)
分岐の少し富士見峠寄りに立つ
ここに「葵区 横沢」とある

<中河内川水系の中の横沢>
 ドラレコ動画などをいろいろ調べていると、分岐より少し富士見峠寄りに県道標識が立つ。それを読んでみると、「県道 60 静岡 南アルプス公園線 葵区横沢」とあるようだ。何とここは「葵区横沢」であった。既に笠張峠を越え、中河内川水域に入り込んでいる。国土地理院の地理院地図で調べてみても、この分岐付近の住所は「葵区口坂本」と出て来る。ただし、「正確な所属を示すとは限らない」との注意書きはある。
 
 これは想像だが、笠張峠から富士見峠に至る区間は、元来は大字口坂本であった。しかし、横沢方面から井川林道が通じ、麓にある口坂本集落などを通らずそのまま井川の地へ至ることとなった。 道路管理などの観点からは、全て横沢地区の管轄とした方が都合が良いのではないだろうか。そこで、この区間の付近だけ大字口坂本から大字横沢の字笠張へと変更(便宜的に)したのではないだろうか。その変更後、分岐に「笠張」と看板を設けたのではないかと想像する。

   
   
   
富士見峠直前 
   

<道の様子>
 笠張峠から富士見峠に到るまでが、この峠道で最も危険な区間ではないかと思う。中河内川源流域の急傾斜地を横断して行くのだ。 道の勾配は緩く、急カーブなどはないが、崖にへばり付くように開削された道を行く。崩れた個所を補修した跡が随所に見られた。擁壁も多い。路線バスの運転などは神経を使うことだろう。 ただ、乗用車にとって道幅は十分だし、ガードレールも完備なので、恐怖を感じる程ではない。
 
<眺め>
 東面に開かれた道筋なので、富士見峠の名の通り、本来は富士が見られる位置関係だ。井川林道の開削当初は絶景が望めたことだろう。 ただ、現在は沿道の木々が多くて車を流しながらではほとんど景色が開けない。適当な樹間を見付けてじっくり眺めればいいのだろうが、長く車を停めて置けるような場所はない。


僅かに東面の景色が覗く (撮影 2019. 4. 9)
うまくすれば富士山が見えるかも
   
道の様子 (撮影 2019. 4. 9)
なかなか険しい
   

道路休憩施設の看板 (撮影 2019. 4. 9)
この先500m

<沿道の様子>
 眺めがないので後はひたすら走るばかりだ。例の道路休憩施設のアイコンが書かれた看板が時折出て来る。「1Km」とか「500m」とある。富士見峠自身が道路休憩施設の一つとなっているので、この距離は峠までの残りの距離を示す。
 
<作業道(余談)>
 沿道に何かないかと見ていると、峠の少し手前で谷の方へ道が分岐していた。何かの作業道らしく、一般車通行止だった。こんな山奥でも林業などが行われているようだ。これも井川林道開通の恩恵である。

   

右に作業道が分岐 (撮影 2019. 4. 9)

作業道分岐を笠張峠方向に見る (撮影 2019. 4. 9)
   
   
   
 
   

<峠に着く>
 現在の富士見峠は、なだらかな稜線を道が鋭角に横切って行く。谷は右から左へと移る。峠の前後だけセンターラインがある立派な道が通じ、尚更広々とした雰囲気だ。 前方には南アルプスの峰が見通せるようになる。峠の横沢方面側に数10m程、旧道の跡らしきものが見られる。多分、井川林道開通当時はもう少し狭い峠だったのだろう。

   
横沢方面から辿り着いた富士見峠 (撮影 2019. 4. 9)
右手に旧道の跡?
   

<以前の峠>
 30年以上前、路線バスでこの峠を越えた時の記憶はさすがにもうない。その後も何度かバイクや車で越えたが、ほとんど写真は撮らなかった。辛うじて21年前(1998年5月)に訪れた時の写真が数枚残る(下の写真)。井川方面の案内案内に「えほんの郷 18Km」とあったのが、今は「井川ビジターセンター 18Km」に変わった程度で、峠全体の雰囲気はあまり変わりないようだ。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1998. 5.23)
今から21年前の峠の様子
   

<鉄塔など>
 峠の井川寄りに高い鉄塔が立つのがやや目を引く。上部に鉄骨で組まれた球体が乗る。鉄塔の3面には以下の文句が書かれている。
 秘境南アルプス表玄関口(静岡)
 大自然の宝庫リゾート井川
 ゆずりあい・ありがとう!

   
峠のバス停周辺 (撮影 2019. 4. 9)
鉄塔が立つ
「オクシズの駅 富士見峠駐車場」の看板は新しい
   

 以前の写真を見てみると、かつてそこには一本の木が立っていたようだ。枯れてしまったか交通の邪魔になるので、除かれたようだ。ちょっとした峠のシンボル的存在であった。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1998. 5.23)
現在鉄塔が立つ所には、以前は一本の木が茂っていた
   

 峠から横沢方面には、「静岡市街 43Km」と看板が立つ。こうした様子は以前とほとんど変わりない。

   
井川側から見る峠 (撮影 2019. 4. 9)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1998. 5.23)
それ程変わりない
   
 
 
展望休憩舎など 
   

<駐車スペース>
 車道から分かれ稜線に沿って広い駐車スペースが設けられている。以前もあったが、今は石積みの擁壁が築かれ、奥にかなり深くなっている。

   

駐車場は広くなった (撮影 2019. 4. 9)
奥にトイレと展望休憩舎がある

展望休憩舎 (撮影 2019. 4. 9)
この右手がトイレ
   

<展望休憩舎など>
 駐車スペースの突き当りには、立派なトイレに並んで富士見峠展望休憩舎ができていた。その手前には井川湖周辺観光案内の看板が立つ。どれも比較的新しそうだ。

   

井川湖周辺観光案内の看板 (撮影 2019. 4. 9)

案内図 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
展望休憩舎より峠方向を見る (撮影 2019. 4. 9)
左手がトイレ、右手に井川湖周辺観光案内の看板が立つ
   

<眺め>
 富士見峠は本来富士を望んだのだろうが、現在は南アルプス・赤石山脈の展望地となっている。富士見峠展望休憩舎は峠の井川側に突き出ていてそこからは、富士山ではなく、赤石山脈を遙かに望む。

   

展望休憩舎の中 (撮影 2019. 4. 9)

案内図 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
展望休憩舎からの南アルプスの眺め (撮影 2019. 4. 9)
   
峠の看板など 
   

<峠の看板など>
 この富士見峠は、横沢方面側は地形が険しいので、バス停などは地形の緩やかな井川側に設けられている。稜線の峰に沿って看板などが並ぶ。

   
擁壁に沿って峠の看板などが立ち並ぶ (撮影 2019. 4. 9)
   

峠の看板と井川高原国民休養地の看板 (撮影 2019. 4. 9)

<峠の看板>
 峠の看板自身は古い物と変わりなく、以下のように書かれている。
 井川高原国民休養地
 富士見峠
 ようこそ井川へ

 
 ただ、ちょっと移設されたようだ。以前は地面とほぼ同じ高さに立っていたが、今は擁壁が築かれて、その上に乗っている。

   
峠の看板 (撮影 1998. 5.23)
以前は少し別の所に立っていた
   

井川高原国民休養地の看板 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<井川高原国民休養地>
 井川高原国民休養地の看板も以前からあり、立っていた場所もほぼ現在と変わりない。大日高原は昭和46年に「井川高原国民休養地」として指定されている。現在は「大日高原」より「井川高原」の方が通りがよさそうだ。
 
 休養地内に歩道が整備されていて、その一つの「稜線コース」は富士見峠から勘行峰まで約4キロ・往復約3時間あるそうだ。国民休養地の施設は概ね稜線より井川側に点在する。

   

<大日山>
 看板の案合図を見ると、稜線上の1200.6mの三角点のある山は、「大日山」となっている。地形図なのではこの山名は載っていない。元の大日峠はその山の直ぐ北側の肩に通じていた。


看板の案内図 (撮影 2019. 4. 9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
   
   
バス停など
   

<バス停>
 道路脇に真新しい富士見峠バス停が立つ。それまで静岡市内と井川を直接結んでいた静岡井川線に代わる井川地区運行バスのものだ。
 
 1998年5月に訪れた時、丁度井川方面より路線バスがやって来てこのバス停に停まり、暫くして静岡市街方面へと下って行った。あの様な光景はもうこの峠では見られないのだろう。

   

富士見峠バス停 (撮影 2019. 4. 9)

時刻表 (撮影 2019. 4. 9)
   

バス停の看板 (撮影 2019. 4. 9)

路線図 (撮影 2019. 4. 9)
横沢の次が富士見峠
   

<以前のバス停>
 現在は静岡方面側にのみバス停が立つ。しかし、以前は井川方面側にもバス停があった。ログハウス風のしっかりした小屋が立っていた(下の写真)。
 
 富士見峠は開けた峠だったが、避難小屋のような物はなく、そのバス停は登山者などが雨をしのぐには便利だったかもしれない。現在は展望休憩舎がその役割を果たすのだろうか。


かつてバス停が立っていた場所 (撮影 2019. 4. 9)
   
以前のバス停 (撮影 1998. 5.23)
「南アルプス えほんの郷」の看板が掛かっていた
   

大日古道の看板 (撮影 2019. 4. 9)

<大日古道(余談)>
 今回の旅では大日古道の案内看板を随所で見掛けた。以前はこの「大日古道」の名を目にした記憶がない。最近、にわかに注目されているようだ。
 
 富士見峠バス停の並びにも、新しそうな大日古道の看板が立っていた。大日古道は旧大日峠を越える道なので、富士見峠とは直接には関係ない。看板にも、「現在地は富士見峠、ここより2Km東側に大日古道があります。」と書かれている。2Km東側とは口坂本集落付近になる。

   

大日古道の説明 (撮影 2019. 4. 9)

大日古道の案内図 (撮影 2019. 4. 9)
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開通記念塔 
   

<井川林道開通記念塔>
 富士見峠には大きな井川林道開通記念塔が立っている。1992年8月に訪れた時、写真に収めておいた。ところが、ちょっと見渡しただけでは峠のどこにあるのか分からない。 私もすっかり忘れていた。やっと峠の看板やバス停などが並ぶ奥の林の中に、コンクリート製の塔らしき物が立っているのを見付けた。 バス停左手横の階段で稜線の上に出ると、そこに人の背より遥かに高い井川林道開通記念塔がひっそり佇む。何の予備知識もなければ、生い茂る木々に混じって立つこの塔の存在には、もう気付く者は居ないだろう。

   

峠の看板などの奥に塔が見える (撮影 2019. 4. 9)

稜線上に立つ井川林道開通記念塔 (撮影 2019. 4. 9)
塔はほぼ南を向く
   
井川林道開通記念塔 (撮影 1992. 8.15)
(写真機のバンドがちょっとかぶさってしまった)
   

<碑文>
 記念塔の表には「井川林道開通記念塔 静岡縣知事 齋藤壽夫畫(?)」とあるようだ。また、裏には次のような碑文が刻まれている(一部不明)。
   井川林道の由来
 井川ダムの建設により村の大半は湖底に
 沈むこととなり村民は郷里に留まる氣力
 を失い憂色ひとしお深かった時は昭和二
 十九年八月廿六日であった斉藤静岡県知
 事は現地に臨み井川林道の開發と村造り
 の構想を明かにし奥地(?)の開発により井川
 村の将来は非常に明るいものがあると力
 説されたので村民の生氣はよみがえり再
 生の意氣がたちまち村内にみなぎった
 而して井川林道開発の準備は順調に進行
 し昭和三十年二月廿七日着工延長二万四
 千九百六十五米幅員四・六米総工費二億四
 千八百三十七万三千円の巨額を要したそ
 の内訳は国費七千二百四十九万六千円県
 費四千三百九十五万一千円地元負担静岡
 市一千九百九十六万三千円井川村一千七
 百九十六万六千七百円玉川村百九十九万
 六千三百円中部電力株式會社九千二百万
 円で昭和三十三年三月三十一日を以て完
 成したのである
 この林道の開通はただに井川村を始め受
 益市村の為めのみならず大井川上流水陸
 資源の開発に寄與し我が国産業振興の一
 翼を担うものと確信する
 地元井川村はここに本村の再生を記念し
 ?つに関係各位の御厚配に対し敬意と感
 謝を表するためこの塔を建設してこれを
 永く後世に傳えることにしたのである
  昭和三十三年五月 安倍郡井川村
   静岡???????

 
<林道開通年など>
 井川林道は昭和30年2月27日着工、昭和33年3月31日完成となっている。この林道開削の起因となった井川ダムは昭和32年に完成している。 ダム建設にほぼ並行して林道開発も進められたようだ。ただ、ダム建設には現在の大井川鉄道井川線の前身である中部電力の井川ダム建設資材運搬用専用軌道が用いられており、井川林道はもっぱら井川村住民の便宜を目的にしていたようだ。
 
<林道延長など>
 登山地図(南アルプス南部 1990年版 日地出版)の解説文では、林道延長は24,956mとなっていたが、碑文では24,965mとある。 幅員はどちらも同じ4.6mだ。
 尚、同じ登山地図の解説文で、井川林道起点を笠張峠としていた。笠張峠から約25Km進むと、井川湖右岸の井川本村(ほんむら)を更に5Km程過ぎてしまう。 また、大井川鉄道井川線の井川駅から本村を通る道は井川右岸幹線道路と呼ぶ。やはり井川林道の区間は、横沢集落を起点に井川ダムまでと思う。
 
<工費(余談)>
 碑文では工費の内容がやたらと詳しく記載されている。
・総工費 248,373,000円
・国費    72,496,000円
・県費    43,951,000円
・静岡市  19,963,000円
・井川村  17,966,700円
・玉川村   1,996,300円
・中部電力 92,000,000円
 内訳を合計してみると248,373,000円となり、ぴったり総工費に一致していた。
 
<玉川村>
 この碑文を調べていた時、初めて「玉川村」の名を知った。しかし、現在の地図を眺めても、玉川村は見付からない。代わりに玉川小学校とか玉川中学校などが地図にあり、それがヒントとなった。 文献を調べると、かつて中河内川水域全体がその村名で呼ばれていたと分かった。開通記念塔の建立は昭和33年で、その当時はまだ安倍郡に井川村や玉川村が存在していた。
 
<雑談>
 井川ダムの建設は、当時の井川村の一部が湖底に沈むなど、村にとって大きなダメージであったようだ。井川林道の開通は村人にとっての希望であり、その表れが大きな林道開通記念塔になったものと思う。
 
 かつて駿府城下と井川を結んだ道程は約54Kmあり、途中大日峠越えの難所を通る。多分2日がかりの旅であったろう。それが井川林道の開通で、車で約2時間の距離となった。これは劇的変化である。昔を思えば2時間超えの長距離路線バスに不満を言っては罰が当たるというものだ。
 
 今はそのバス路線はなくなったが、峠に佇む僅かの間にも、車の往来はポツポツ見られた。一般乗用車以外にも工事車両などが通る。赤い郵便局のワンボックスカーが井川へと向かって行ったりする。トイレに立ち寄る車もある。井川林道の命は受け継がれているようだ。

   

稜線上にベンチ (撮影 2019. 4. 9)

<富士の展望>
 登山地図(前出)の解説文では、やはり富士見峠から富士が望めたことを示している。ガイドマップ・オクシズにも峠から眺めた富士の写真が掲載されていた。ただ、距離が離れていて、富士の姿は山並みの彼方に小さく霞む。
 
 富士を眺めるなら、東面が開ける稜線上に立たねばならない。そこから北東方向に富士はある。林道開通記念塔の少し前にベンチがポツンと置かれていた。 多分、そこが富士を望む展望所ではなかったか。しかし、今は周辺に木々が多く、ほとんど視界はない。多分、林道開削当時は眺めが広がったのだろう。林道開通記念塔も富士を望むこの場所を選んで建立されたのではなかったか。

   
   
   
稜線上 
   

<国立公園指定記念碑>
 富士の展望ベンチから北へ続く稜線上を歩道が長く延びる。石垣で整備された下の駐車スペースに並行する。途中、国立公園指定記念碑が立つ。 大井川源流域の赤石山脈稜線部が南アルプス国立公園に指定されたことを記念するものだ。ただ、今はかなり朽ちてしまい、見る影もない。石碑の表には次のようにある。
 昭和39年6月1日
 南アルプス
 国立公園指定記念 静岡市
 
 昭和33年の井川林道開通で、富士見峠は赤石山脈登山の重要なアクセスルートになった。国立公園指定記念碑が建立された頃は、この稜線上も多くの登山客で賑わったかもしれない。


国立公園指定記念碑 (撮影 2019. 4. 9)
   
石垣が築かれた稜線の尾根 (撮影 2019. 4. 9)
階段を登ると稜線上に通じる歩道に出る
   
稜線上の歩道の北端 (撮影 2019. 4. 9)
左手の歩道は稜線上を開通記念塔へ、右手の建物はトイレ
   

<トレイルランニングコース>
 稜線上の歩道は駐車スペース奥のトイレ脇を通る。「トレイルランニングコース 13折り返しポイント」などと看板が立つ。その先、歩道は大日山を経てピクニック広場に至るようだ。ピクニック広場がほぼ旧大日峠の位置である。

   

トレイルランニングコースの看板 (撮影 2019. 4. 9)
「13折り返しポイント」とある

左手奥に稜線コースが続く (撮影 2019. 4. 9)
右手の看板には「ピクニック広場」とある
   

<三ツ峰ハイキングコース>
 一方、峠から南に延びる稜線方向にも歩道が延びる。車道脇に入口があり、「三ツ峰ハイキングコース案内図」と看板が立つ。案内図には三ツ峰の先に「梅地パイロット農場」というものが記されている。ここも第2次大戦後に入植があった開拓地の一つであろうか。

   

三ツ峰ハイキングコース入口 (撮影 2019. 4. 9)

ハイキングコース案内図 (撮影 2019. 4. 9)
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峠の井川側 
   

<井川へ下る>
 富士見峠の井川側は井川高原と呼ばれるだけあって視界が広い。そこを県道60号・南アルプス公園線が豪快に下って行く。

   
峠より井川側に下る道 (撮影 2019. 4. 9)
   

道は直ぐに狭くなる (撮影 2019. 4. 9)

<道の様子>
 峠前後の数100mはセンターラインがある車道になっているが、それも直ぐに狭い道に戻る。
 
<ヘアピンカーブ>
 間もなくきついヘアピンカーブを曲がる。その角に稜線コースの歩道が接続して来ている。すなわち、一瞬だがこの箇所で車道は再び稜線上に出ていることになる。

   
峠から下った最初のヘアピンカーブ (撮影 2019. 4. 9)
右手から富士見峠からの歩道が合流する
   

<古い峠の位置(余談)>
 県別マップル道路地図(22 静岡県 2006年 2版20刷発行 昭文社)では、どういう訳かこのカーブの所に「富士見峠」と記載があった。 稜線上ではあるが、やはりこれは単なる誤植だろう。車道が稜線を横切るのは富士見峠バス停より更に手前であり、そこが現在の富士見峠であることは間違いない。
 
 ただ、もし古い富士見峠があったとすると、現在の位置とは異なった可能性はある。井川林道を前身とする今の県道は、笠張峠から中河内川源流域の険しい急斜面を横切って来ている。 これは如何にも車道の道筋に思えてならない。徒歩による峠越えは、もっと単刀直入である。口坂本集落から、大日峠への旧道とは別に、現富士見峠の500m程北の鞍部に至る徒歩道が地形図に書かれている。これなどは如何にも旧峠道らしく思える。
 
 また、西河内川水域から井川に至る道筋を考えると、確かに笠張峠を経由し、現富士見峠付近を通ることになる。 しかし、車道はヘアピンカーブを曲がると、井川本村とは反対方向の南へと大きく迂回して下る。これは旧道の道筋とは思えない。 稜線コースの歩道がヘアピンカーブよりピクニック広場方面へと進むが、こちらの方が旧道に近いのではないか。
 すると、県別マップルの示す富士見峠の位置は、あながち見間違いではないかもしれない。 笠張峠からの旧道は、一旦稜線上に到り、現在井川林道開通記念塔や国立公園指定記念碑などが立つ稜線上を進み、ヘアピンカーブ辺りから本格的に井川側へと下って行ったのかもしれない。 ただ、全くの想像だが。

   
遊歩道入口の看板が立つ (撮影 2019. 4. 9)
左手奥にピクニック広場への歩道が延びる
   

<梅地方面分岐>
 ヘアピンカーブを過ぎ、また少し下ると左手に分岐がある。「梅地方面(行止り)」と看板にある。例の梅地パイロット農場へと続く道のようだ。尚、梅地(うめじ)は静岡市ではなく、川根本町(旧本川根町)に属し、大井川沿いに集落があるようだ。行止りとあるので、分岐する車道は梅地集落までは通じていない様子だ。

   

この先、左に分岐 (撮影 2019. 4. 9)

分岐の看板 (撮影 2019. 4. 9)
梅地方面(行止り)とある
   
   
   
大草利 
   

<大草利集落>
 峠から1Kmも下ると、もう沿道に建物が現れる。地形図や一部の道路地図に「大草利」とある。周囲には人家や作業小屋のような建物が点在し、ちょっとした集落の様相を呈している。 ここも第2次大戦後に入植があった開拓農民の集落であろうか。それにしても、その開拓は井川林道開通前に始まっていることになる。 開拓当初は交通の便も悪かったであろう。今は立派な2車線路が集落内に通じている。

   
大草利付近 (撮影 2019. 4. 9)
   

<大草利・大草履(余談)>
 大草利とはどのように読むのであろうか。「おおぞうり」かと思ったりする。とにかく大字井川の内の字名の一つであろう。 調べてみると、大井川の更に上流部に架かる畑薙第一ダムは大字田代の字大草利に位置するそうだ。 世の中にはこうした小さな字が無数にあるだろうが、文献などに詳しく掲載されることはなく、そのいわれなどほとんど分からない。
 
 全く関係ないことだが、八草峠の岐阜県側になる揖斐川町坂内広瀬に、似たような「大草履」という地名がある。 こちらは「おおぞり」と読むようだ。 そこには夜叉ヶ池の伝説があり、鳥越峠から下って来た時にその看板を見掛けたことがある(下の写真)。 看板の説明文からすると、「草履」は正しく履物の「ぞうり」のことで、それが名前の由来となるようだ。 ただ、地名の由来はいろいろあり、そのまま鵜呑みにはできないだろう。それでも、そのような伝承が残っていることは興味深い。 世の中の多くの字名にも、それぞれそれなりの起源があることと思う。

   

揖斐川町坂内広瀬の大草履 (撮影 2001.11.12)
前方が八草峠への国道303号
手前は鳥越峠を越える鳥越林道
分岐の角に「大草履・小草履伝説」の看板が立つ

大草履・小草履伝説の看板 (撮影 2001.11.12)
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<分岐>
 大草利に入って直ぐ、右手に大きな分岐がある。入口の看板には「口坂本温泉 9.8Km」とあった。これはこの市道を通って新大日峠に至り、県道27号で口坂本に下るルートを指すようだ。また「大日古道ピクニック広場登山口」とも案内がある。但し、「大型車通行禁止」とも出ていた。確かに道は狭いが舗装路ではある。

   
右手に大きな分岐 (撮影 2019. 4. 9)
   

分岐の様子 (撮影 2019. 4. 9)
青い看板に「口坂本温泉 9.8Km」とある

分岐に立つ看板 (撮影 2019. 4. 9)
   

分岐を大日峠方向より見る (撮影 2019. 4. 9)

<大日峠分岐>
 登山地図(前出)の解説文では、富士見峠バス停に続き、「大日峠分岐」、「開拓部落」、「キャンプセンター入口」とバス停があったそうだ。多分、この分岐が「大日峠分岐」であろう。
 
<バス停(余談)>
 尚、現在の井川地区運行バスでは峠から「大日」、「井川自然の家」と続く。「大日峠分岐」に相当するバス停はないようだ。 かつての「開拓部落」はその後「開拓事務所前」となり、今の「大日」ではないだろうか。「部落」が差別用語となったり、「開拓」が現状に合わなくなった為ではないだろうか。「キャンプセンター入口」は「少年自然の家」とか今の「井川自然の家」に相当するのであろう。

   

 今回は新大日峠〜旧大日峠〜富士見峠と訪れたが、井川方面に下る時間がなく、残念ながらそのまま再び静岡市街へと戻ってしまった。大日峠分岐以降の最近の様子は分からない。

   
   
   

 最初は富士見峠越えの路線バス、その後はバイクや車と、移動手段を変えて何度となく訪れた井川である。野宿も4回経験した。考えてみると、最後に井川を旅してからもう15年近くの歳月が経つ。あれ程気に入っていた井川だが、もう再びかの地を踏むことはないと思う、富士見峠であった。

   
   
   

<走行日>
・年月日不明 路線バスで静岡市街〜井川駅を往復
・1991. 4.20 口坂本→井川 バイクAX−1にて
・1992. 8.15 井川→口坂本 ジムニーにて
・1994. 4.23 口坂本→井川 ジムニーにて
・1994.11. 5 口坂本→井川 ジムニーにて
・1995.10. 8 井川→口坂本 ジムニーにて
・1998. 5.23 口坂本→井川 ジムニーにて
・2019. 4. 9 井川→口坂本 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 22 静岡県 昭和57年10月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・県別マップル道路地図 22 静岡県 2006年 2版20刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・登山地図 南アルプス南部 1990年版 日地出版
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2019 Copyright 蓑上誠一>
   
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