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二口峠 (その後)
 
 ふたくちとうげ
 
閉ざされて久しい峠道
 
  
  
二口峠の山形側を登る途中 (撮影 1994. 8.13)
この時は難なく峠を越えられたのだが・・・
 
 二口峠は過去に一度越えたきり、その後何度か訪れてはみたものの、峠道は閉ざされたままだ。どうにも気になる峠である。今回は、二口峠周辺を旅したことを交えて、昔越えた時のことを思い出そうと思う。
 
 
峠の山形側、山寺
  
 二口峠の山形県側の麓には、観光名所にもなっている有名な山寺がある。二口峠は知らなくても、この山寺を知っている者は多い筈だ。私も最初はそうだった。昔、鉄路の旅で山寺を訪れた時は、山形県と宮城県との境を成す二口峠などには全く考えが及ばなかった。山寺駅がある仙山線は、面白山トンネルにより仙台と山形との間を難なく越えている。
 
 一方、車道はと言えば、山形市街から山寺へ通じる道は、山寺でほぼ行き止っているも同然である。よくよく地図を調べれば、南東に二口峠へ、北東に面白山高原へと、二手に道が続いている。しかし、車で山寺を訪れる者で、更にそのどちらかに進もうと思ってやって来る者は、ほとんど居ないのではないだろうか。二口峠は山寺の影に隠れ、地元の者か林道や峠に関心がある者にしか注目されない存在に思える。

山寺駅(JR仙山線)の展望台から山寺を見上げる
(撮影 2003.12.29)
この時は雪景色の山寺を期待して来たが、
あいにく雪は少なかった
 
 山寺は登るのが一苦労だが、登った後に眺める景色は楽しい。麓の様子が手に取るように分かる。二口峠方向の眺めも利く。
 

山寺から峠方向を望む (撮影 2001. 8.11)
左方向には面白山高原への道が続く

山寺から麓を眺める (撮影 2001. 8.11)
左端の線路の高架をくぐる道が峠へ続く
 

山寺周辺の案内図 (撮影 2001. 8.11)
(画像をクリックすると拡大図が見れます)
 2006年5月、何度目かの山寺を訪れた時は、ちょっと峠道を伺ってみようと思ってやって来た。人づてに二口峠は通行止が続いていると聞いていて、通れる可能性は少ないと覚悟していたが、何かしら近況でも分かればよいと思っていた。
 
 久し振りなので、山寺に近付くにつれやや緊張する。そこはあまりにも有名な観光地。駐車場への客引きが待ち構えていたり、多くの観光客が散策してたりで、道がとても混雑する。人や車が多い所は苦手意識がまず先に来る。
 
 山形市街方向から県道をやって来て、もう直ぐ山寺という所で道は大きく二手に分かれる。うっかり左に進もうものなら、その先、観光地のど真ん中に突っ込んでしまう。そこを右に、立合川を渡る道を進むのが通である。暫く行くと、右手奥に山寺駅がある。車道一本違うだけで、こちらの道は閑散としている。
 
 うまくいったとほくそ笑んでいたら、うっかり分岐を見落とした。やたらと狭い人家の間を抜け、狭い線路の高架をくぐり、見知らぬ所に出た。以前来た道だと侮ったのがいけなかった。ツーリングマップルを見ても何が起こったかよく分からない。こんな時、詳しい県別マップルがあれば一目瞭然だが、山形県編までは持っていなかった。うろうろしている間に、結局観光地のど真ん中に出てしまった。
 
 正しくは、右手に山寺駅を見て過ぎた先の十字路で、右折しなければいけなかったのだ。そのまま直進した為、面白山高原方向の道に進んでしまった。狭い道での対向車やら、要らぬ駐車場の客引きらを振り切り、やっと軌道修正するのだった。
 

分岐の十字路を山形市街方向に見る
(撮影 2006. 5 .1)
峠へはこの十字路を北(左)に入る 

仙山線の線路をくぐる (撮影 2006. 5 .1)
 
 十字路の分岐から直ぐに仙山線の高架をくぐり、少し高台へと道は登る。ここまで来ると、もう観光客も居なくなり、静かなものだ。側に芭蕉記念館等の近代的な建物が建っているが、訪れる者も少ないようで閑散としている。車の通行もほとんどなく、道幅もまだ広いので、路肩に車を停めるのも躊躇が要らない。
 
 車から降り、周辺の田畑ののどかな風景を眺める。振り返ると、仙山線の鉄路の向こうに、山寺がそびえている。ここが大観光地のお膝元であるということが嘘のようである。

山寺を振り返る (撮影 1994. 8.13)
正面の山の頂上付近に山寺はある
 
周辺の様子 (撮影 2006. 5 .1)
 

芭蕉記念館付近 (撮影 2006. 5 .1)
 ここから峠へ延びる道は、停めた車の側に立つ県道標識などによれば、「県道 62号」となっている。山形市街から山寺までは県道24号なので、この山寺を起点として新たな県道が始まっていることになる。地図などを見ると「仙台山寺線」、別名「二口街道」と記されている。「街道」と名の付く道は、何となく情緒があっていい。少なからず歴史を持った道であることを感じさせる。
 
 さて、肝心な峠道であるが、県道らしい舗装路はこの少し先までで、途中より二口林道となる筈だ。以前登った時は、砂利道が混じっていた。その林道状況はどんなものかと思っていると、車を停めた少し先の路肩に看板が出ているではないか。「二口林道情報」とある。「直進2.5km先から二口林道」ともある。そして残念ながら「冬期閉鎖」の文字。訪れたのが5月初旬とならば、仕方ないところか。
 
 それにしても道の閉鎖を告げるには随分あっさりした看板である。もう少し大々的に掲示していてもよさそうなものだ。そのまま走っていたら、見過ごしていたかもしれない。
 
 まあ、この看板を一体どれだけの人が関心を持って見るのだろうかとも思う。山寺を訪れる多くの観光客は、鼻から宮城県へ越えようなどとは目論んでいない。こんなにしげしげと眺めているのは私くらいなものか。
 
 峠道の土砂崩れなどの状況は分からないまま、この時は看板から先には進まず、あっさり引き返すことにした。参考まで、以前峠を越えた時の、山形側を登る途中の写真を下に掲載する。
 
 ところで、看板から引き返した後、最初に間違えた面白山高原への道を更に先へ進むと、直ぐにさびしい林道となり、こちらにも通行止の看板が出てきた。やっぱり山寺はどこにも抜けられない行き止まりの地なのであった。

二口林道情報 (撮影 2006. 5 .1)
冬期閉鎖
 
山形側を登る途中で山寺方面を望む (撮影 1994. 8.13)
 
 
峠の宮城県側、秋保温泉
  
 今年(2007年)の正月休みの旅は温泉だった。山形県尾花沢市の銀山温泉をメインに、東北のいくつかの温泉地を訪れた。その中に偶然にも秋保温泉(あきうおんせん)があった。
 
 秋保温泉は宮城県の仙台市にあり、東北地方ではそれなりに名が知られた温泉なのだそうだ。仙台市にあると言っても仙台市は広く、東の太平洋沿岸から西の山形県との境までにも及ぶ。どちらかと言うと秋保温泉は県境に近いくらいな位置にある。
 
 旅の下調べにと、地図を眺めながら秋保温泉を通る県道を県境まで遡っていると、何とそこに二口峠があるではないか。秋保温泉は二口峠の峠道沿いに位置していたのだった。温泉と言うものに僅かながらも関心を持つようになったのはつい最近のことで、二口峠と秋保温泉の結びつきは、今回初めて気がついた。それに以前二口峠を山形県側から宮城県側に越えた時は、秋保温泉に達する途中で県道をそれてしまっていた。
 
 秋保温泉を訪れるのは冬の時期で、勿論峠越えなどできないが、二口峠のことについて何かしら知ることができないかと期待した。
 

秋保大滝 (撮影 2007. 1 .4)

 秋保温泉に到着した時は、まだ宿に入るには早い時刻なので、県道62号をもう少し上流に遡り、秋保大滝に寄ってみることにした。先にこの県道が二口街道と呼ばれるとしたが、秋保と言う地名にちなんでか、秋保街道とも呼ばれるようだ。
 
 名取川の左岸に沿う秋保街道は、初めはセンターラインもある立派な道だが、国道457号の分岐も過ぎ、川の右岸に渡る付近から、時折狭く寂しい様相を見せるようになる。大して標高を上げた訳でもないのに、沿道にはちらほらと雪が見え出した。山の中に分け入って来たと実感させられる。
 
 すると右手に大滝不動尊が現れ、それに隣接して大きな駐車場があった。冬の時期の夕方だというのに、少なからず車が停まっているのに驚いた。滝見物の観光客のようだ。滝は、山寺立石寺の奥の院とも言われる大滝不動尊の右脇を過ぎ、その直ぐ先にある滝見台から眺められた。名取川の本流を流れ落ちる秋保大滝は、凍て付く冬の様相をしていた。滝見台から先、滝壺まで遊歩道が延びているのだが、凍結していて歩けないようだった。
 
 滝見物で体が冷え、トイレを探したら、広い駐車場の不動尊とは反対側の隅にあった。用を済ませ、ふと脇を走る県道を見ると、道路情報が出ていた。下記のようにあった。
 
 7K先まで行けます
 二口キャンプ場 秋保ビジターセンター 磐司山荘 まで 通行可
 
 「行けます」とか「通行可」というのは、とても前向きな表現ではあるが、逆を返せば、そこから先へは「行けません」、「通行不可」ということで、やっぱり二口峠は通れないのであった。
 
 大滝より更に県道を遡りたい気もしたが、もう宿に戻らなければならない時間で、後ろ髪を引かれながらも県道を引き返した。
 

県道62号を峠方向に見る (撮影 2007. 1 .4) 

県道62号の道路情報 (撮影 2007. 1 .4)
 
 秋保温泉は、県道から分かれて名取川に架かる橋を渡った右岸に広がっていた。目を見張るような門構えの旅館が点在し、さすがに名だたる温泉と思わされた。しかし、私たちが泊まるのは、いつものように公共の宿で、大きく差をつけられてしまった。
 
 残念なのは、浴衣を着て下駄を突っかけ、そぞろ歩きできるような、温泉情緒がある道がなかったことだ。立派なのはそれぞれの旅館の敷地の中のことで、通りは寂れた感があった。
 
 翌日、旅館を立ち、名取川の景勝・磊々峡(らいらいきょう)を散策した後、旅館街の一角に立つ「秋保里センター」に立ち寄った。

名取川を上流方向に見る  (撮影 2007. 1 .5)
 

秋保里センター (撮影 2007. 1 .5)
 秋保里センターには駐車場が完備され、車でも立ち寄り易く、磊々峡にも近かった。建物の中には民芸品などが展示され、観光案内所も兼ねたような所だった。
 
 暖を取る積もりで館内を見学していると、思い掛けなく二口峠のことが出ていた。奥の壁一面に県道沿いの案内地図が描かれていて、そこに「二口林道は途中で通行止め」と掲示があった。それにはしっかりしたゲートが閉ざされた写真が載っていて、如何にも説得力があるものだった。
 

壁に描かれた案内地図 (撮影 2007. 1 .5)

林道通行止の掲示 (撮影 2007. 1 .5)
 
 他にも、二口街道や二口峠についての掲示があり、秋保里センターには思いの外、長居をしてしまった。下に二口街道の地図と峠についての記述を転記させて頂く。
 
二口街道の地図 (撮影 2007. 1 .5)
 
 藩境に近い御境目守の屋敷の傍に「右ハ山寺道 左ハかうや道」という道標が立っている。右に行き山伏峠(九三四メートル)を越えれば、最上領山寺村立石寺で、左に行けば清水峠(一一三〇メートル)を経て高野(現高沢)に通ずる。二口峠の名称の起こりについて、記録の上ではじめて出てくるのが、仙台藩の家臣の知行や来歴を記した「仙台藩家臣録」の秋保半右衛門の書上である。書上には、「貞山様(政宗)が伊達から仙台に移ったとき、半右衛門の曾祖父秋保摂津守が政宗に召し出されて秋保のうち二口の最上側境目を仰せつけられた」とある。前々から秋保に住みついていた秋保の豪族秋保氏は、政宗に服属すると、当然のことながらその任務は、対最上の藩境警備であった。
 
 二口番所は、馬場村の野尻にあり、足軽二十二名で藩境警備に当たった。番所には畳敷三部屋と道場があり、道場では武術の稽古が行われた。また竹駒神社などのおまつりにはここからもパトロールに出かけている。野尻から二里十丁(九キロメートル)西に二口があり、御境目守二名が拝眉されていた。道を隔てて二軒が向かい合い、前後に門があった。藩境の門を出ると左右に分かれ、清水峠・山伏峠までは、急坂で「馬足かなわず、歩行ばかり也」(『仙台領遠見記』)。馬で運ばれきた荷物は人の背に積み替えられる。この急坂も関山峠と同様に仙台城防衛のためにあえて改修工事が行われなかったのであろう。

二口峠について (撮影 2007. 1 .5)
 
 秋保里センターを出る折、係りの女性が居たので付近の案内地図をもらい、ついでに峠道についてちょっと尋ねてみた。女性では林道のことなど分からないだろうと思ったら、意外とはっきりした答えが返ってきた。それによると、今は当然ながら冬期通行止だが、それ以外に山形県側やこちらの宮城県側でも崖崩れが発生していて、ここ数年はずっと通行止が続いているのだそうだ。ただ、道を通そうとする努力は続けているとのこと。(果たして今年は通れたのだろうか?)
 
 以前、二口峠を越えた時は、峠道沿いに秋保大滝や秋保温泉があることなど、ほとんど気付かずにいた。また、秋保里センターの案内地図などから、他にもいろいろあることが分かる。特にその中で気を引かれたのは、「磐司岩」(ばんじいわ)であった。長さ3キロにも及ぶ大岩壁だそうだ。峠を宮城県側に下った左手にある。ならば以前峠を越えた時、それに気付かない筈はなかろうが、どうにも記憶がない。峠から撮ったパノラマ写真を引っ張り出してよくよく見ると、切り立つ岩肌が少し写っていた。それが磐司岩だろうか。「磐司」とは聞きなれない名である。どういう意味があるのだろうか。まあ、「バンジージャンプをする岩」ではなさそうだが。
 
宮城県側の眺め
峠からの宮城県側の眺め (撮影 1994. 8.13 再掲)
中央やや左上に少し見える岩肌が磐司岩だろうか?
 
 変な話だが、二口峠を越えた時に一番印象に残ったのは、何と言っても峠で見掛けたバイクであった。林道を走りにやって来たオフロードバイクなどではなく、スクーター形式の原付バイクである。ショルダーバッグを肩に掛けた男性が、ちょっと街中に出掛けてきますというような格好でトコトコと二口峠を越えて行った。峠から眺める宮城県側の景色は山深く、そこを通る峠道の路面は埃っぽい未舗装で、如何にも無骨なジムニーが似合いそうな二口峠に、そのスクーターはとても印象的だった。
 
 宮城県側に下って行くバイクを眺めたりしながら、二口峠には暫く佇んでいた筈だが、今ではもう峠の様子など、あまり思い出せなくなっている。このところ通行不能が続いているが、また越えてみたい二口峠であった。
 
二口峠
二口峠 (撮影 1994. 8.13 再掲)
奥が山形県山形市、手前が宮城県仙台市
(13年前に越えた時の様子)
 
  
 
<参考資料>
 昭文社 東北 ツーリングマップ 1989年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行
 
<制作 2007. 9. 9><Copyright 蓑上誠一>
 
二口峠(その1)
 
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