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<通行止> |
<所在> |
(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです) |
<利賀川沿い> |
<利賀川(水無)ダム> |
<牛首峠> |
<水無谷沿い> |
<のたのお峠・羽根峠> |
<水無集落> |
<東俣峠分岐> |
<東俣峠(余談)> |
<野宿(余談)> |
野宿の朝は冷え込んだ。まだ9月下旬だが、ここの標高は1,000mを優に超えている。温度計を見ると7℃だ。私の貧弱な身体と粗末な野宿道具では、気温5℃がリミットである。
それを下回ると、テントの中でシュラフに潜っていても身体がぶるぶる震え、寝られたものではないのだ。寒さを我慢してテントを抜け出し、焚火で暖を取る。こうして水無谷の一夜が明けた。 |
<峠への登り> |
<峠> |
<峠の岐阜県側> |
<通行止> |
2001年に楢峠の岐阜県側起点の河合村角川を訪れてみると、以下の様な内容の看板が立っていた(下の写真)。 |
もしかしたら、その時からの通行止が続いているのかもしれない。「利賀川ダム〜県境」と言えば、水無谷沿い全てである。
また、今回(2016年10月)、国道471側号からも入り込めないと分かった。二ツ屋峠はもう容易には訪れることができない峠となってしまった。
この県道34号の通行止で、二ツ屋峠や楢峠周辺に広がる無住地帯は、尚更その色を濃くしたように思える。 |
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江戸期から続いた水無村には、峠を越えて越中と飛騨との間を往来する旅人も通行したことだろう。
昭和初期に林道が通じ、昭和中期には一時期的にでも人口が増えた水無集落であったが、昭和の終りには無住地帯に飲み込まれていった。今はその跡地にも近付けなくなり、また一つ道の歴史が消えて行くように思われる、二ツ屋峠であった。 |
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<走行日> <1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
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