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戸田峠
  へだとうげ  (峠と旅 No.235)
  西伊豆山地を越えて駿河湾に面する戸田へと通じる峠道
  (掲載 2015. 4.25  最終峠走行 2005. 3. 5)
   
   
   
戸田峠 (撮影 2001. 1. 4)
奥が静岡県(田方郡)旧戸田村(現沼津市)戸田(へだ)
手前が同県(田方郡)旧修善寺町(現伊豆市)修善寺(しゅぜんじ)
道は県道(主要地方道)18号・修善寺戸田線
峠の標高は720m (文献より)
この時の市町村境を示す看板はまだ「戸田村」となっている
私の写真の中では一番古い戸田峠の様子(14年前)
   
   
   
<「へ」で始まる峠>
 このところ、国士峠鹿路庭峠蛇石峠諸坪峠仁科峠と、 立て続けに伊豆半島の峠ばかりを掲載してきた。天城山脈から東西の伊豆山地へと連なる稜線を越える峠が、伊豆半島では代表的な峠と言えようか。前回仁科峠 を取り上げたが、それ以北の西伊豆山地にはあと土肥峠(とい)と戸田峠が残る。鹿路庭峠から北側の東伊豆山地の方はまだ手付かずだ。しかし、そう片っ端から峠を選ん でいてもしょうがない。そろそろ伊豆半島から離れようかと思っていたら、フトあることに気付いた。
 
 峠リストには「あいうえお」順に峠をリストアップしてい るが、考えてみるとまだ「へ」で始まる峠がないのだ。戸田峠の「戸田」は「へだ」と読む。この峠を最初に越えたのは1994年のことで、峠名はその時から 知っていた筈だ。しかし、「へ」で始まる峠として、この峠を思い出すことはなかった。そもそも「へ」で始まる峠など到底ありそうもないと思っていた。
 
 と言うことで、この戸田峠を逃したら、もう「へ」で始まる峠は他に見付からないだろう。これは是非にでも掲載しなくては。
   
<峠名>
  峠名は峠の西側に位置する地名「戸田」(へだ)から来ているようだ。少し前までは静岡県田方郡(たがたぐん)の旧戸田村があった。現在は沼津市に編入さ れてしまっている。旧戸田村の中は更に大字戸田と大字井田(いた)に分かれ、その大字戸田の範囲が江戸期から明治22年まで(途中一時期分村あり)戸田村と呼 ばれていた。
 
 ところで、旧戸田村の南隣は旧土肥町(現伊豆市)であった。土肥(とい)とか戸田(へだ)とか井田(いた)とか、この伊豆西海岸に並ぶ地名は、個人的に はどうにも発音し難い感じがする。特に今でも「戸田」を「へだ」と読むことには少し抵抗を感じる。時々「へた」だったろうかと記憶が曖昧になる時もある。 しかし、この「へだ」のお陰で「へ」で始まる峠がこの世に存在するのである。これは非常に価値があることかもしれないと思うのであった。
   
<所在>
 天城山脈から猫越(ねっこ)火山、達磨(だるま)火山、井田火山と続く山並みは、正確な区分けは分からないが、西伊豆山地と呼ばれるものと思う。ほぼ南 北に連なり、その稜線の東側は伊豆の中央部を占める狩野川(かのがわ)水系で、西側は駿河湾に面する伊豆西海岸である。その峰を東西に越える峠はいくつかあり、戸田峠 もその一つだ。南の達磨山(982m)と北の金冠山(816m)との間で、金冠山の直ぐ南の肩に位置する。
 
<旧修善寺町>
 戸田峠の東側は旧修善寺町(しゅぜんじちょう)で、現在は伊豆市の一部となっている。峠は狩野川の支流・桂川の源流部に位置する。文献では桂川を「修善 寺川」とも記していたが、現在の地形図や一般の道路地図では桂川となっているようだ。自宅近くには相模川の上流が流れていて、こちらも桂川と呼ぶ。桂川と いう名は有り触れていて、個人的には修善寺川だったらよかったのにと思う。桂川は大字修善寺内を東流し、旧修善寺町の市街で狩野川に合流している。峠は大 字修善寺の西端に位置する。
 
<旧戸田村>
 峠の西の旧戸田村側には戸田大川が流れ下る。単に「大川」とも呼ばれることもあるようだ。しかし、この近くには小土肥大川とか井田大川とか、「大川」と名が付 く川が多く、それらと区別するにはやはり「戸田大川」である。達磨山に水源を持つ戸田大川は、大字戸田内を約3km西流し、戸田湾に注いでいる。尚、旧戸田村 は、南部・中部の大字戸田地区と、北部の井田大川沿いの大字井田地区に分かれる。戸田峠は大字戸田の東端に位置する。
 
<標高>
 文献(角川日本地名大辞典)では戸田峠の項に標高は「720m」とある。地形図の等高線では720mと730の間と なる。ツーリングマップルなどで「770m」と書かれているものを見るが、これは誤記であろう。
 
 ここは西伊豆山地ももう北の端で、まさに駿河湾に尽きようとしているのに、その地勢は衰えず、峠はまだこれ程の標高を保っていた。同じ稜線上を越える車道の峠と しては、天城山脈西部の仁科峠が最も高く900mであるが、それと大きな差はない。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができます)
   
   
修善寺より峠へ
   
<県道18号へ>
 沼津方面から伊豆半島へのアクセスは格段に良くなった。伊豆半島の付け根部分は細くくびれているので交通のボトルネックになる。そこを通る幹線路の国道 136号・下田街道などは、休日の午後には大抵渋滞した。それが最近、東名高速道路や新東名と接続する有料道路が開通し、とても快適になった。現在、有料 道路の南の 終点は修善寺道路の修善寺ICになっているようだ。ICがあると道が立体交差していて、複雑で迷う。ただし、沼津方面から国道136号をやって来ると、ほ ぼ そのまま真っ直ぐ進めば自然と戸田峠へと続く県道18号に入る。

沼津方面から国道136号をやって来た (撮影 2005. 3. 5)
前方に修善寺道路の高架が通る
修善寺IC付近
   

修善寺の案内図 (撮影 2007. 3. 4)
地図は右がほぼ北
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 県道(主要地方道)18号・修善寺戸田線は、その名の通り伊豆市側の修善寺市街と沼津市側の戸田市街とを結ぶ。戸田峠の道は、その立地や名称などが分かり易くていい。
 
<修善寺>
 県道18号に入ると間もなく、中・北伊豆で最大の観光地と思える修善寺を通る。沿道には所々に観光名所が並び、旅館や土産物店などが軒を連ねる。路上は観光の人や車で 溢れ、時折大型の観光バスまでやって来る。主要地方道でありながら、乗用車同士のすれ違いもままならない狭い箇所があったりする。車の運転中に観光バス に出くわしたら目も当てられない。修善寺は3回程通っているが、なるべく車では入り込みたくない場所である。
 
 修善寺は伊豆でも屈指の温泉で知られるが、その発祥となる温泉は「独鉆(とっこ)の湯」と呼ばれるそうだ。県道は桂川の左岸に通じ、左手にその川面を望むが、途中で河 原の中に東屋風の足湯が見える。そこに独鉆の湯の看板が立っている(下の写真)。ただ、元の源泉は既に枯渇しているそうで、今は別の源泉が引かれているそ うだが。
   

桂川を上流方向に見る (撮影 2007. 3. 4)
河原の中に独鉆の湯がある

独鉆の湯の看板 (撮影 2007. 3. 4)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
<修善寺以降>
 観光客で大賑わいの修善寺温泉街を抜けるとホッとする。ただ、最近は県道18号の北側に少し離れて並走する立派な道が通じている。「修善寺虹の郷」とか 呼ばれる施設の脇を通る道だ。混雑する温泉街をバイパスできる。修善寺観光をしないのなら、早々とそちらに回ると良い。閑散とした立派な二車線路が伸 びている。

県道18号の北を通る道 (撮影 2005. 3. 5)
   

左から県道18号が合流 (撮影 2005. 3. 5)
直進が峠方向
<県道合流>
 修善寺の温泉街から先の県道18号は狭く、5km程で前記のバイパス路にT字で合流している。その分岐点に立つと、どちらが本線か分からないくらいである。その内に県道が入れ替わるのではないだろうか。
 
 合流点には案内看板が立つ(下の写真)。峠方向に「達磨山キャンプ場 3.0 km」などとある。
   

県道の合流点 (撮影 2005. 3. 5)
左が峠、右が虹の郷方面

合流点の看板 (撮影 2005. 3. 5)
   

温泉街方向に県道を見る (撮影 2005. 3. 5)
狭い道だ
しかもこの時は全面通行止

県道18号を峠方向に見る (撮影 2005. 3. 5)
脇に遊歩道が設けられていた
「修善寺歩道」と呼ばれる道だろう
   
   
達磨山林道起点
   

達磨山林道起点 (撮影 2001. 1. 4)
県道より林道方向に見る
以前はこちらが県道
<合流点から先>
 虹の郷からの道に合流した県道は、桂川の上流の北又川の左岸を登る。桂川の上流部はこの北又川と湯舟川の大きく二手に分かれているようだ。北又川は金冠山に、湯舟川は達磨山にその源流を持つと思われる。湯舟川の方が桂川の本流だろうか。
 
<達磨山林道起点>
 途中、左手に分岐がある。入口には達磨山林道の看板などが立つ。ここがその林道の起点である。入口の先はちょっとした切通しのようになっていて、そこを抜けて北又川の川沿いへと下って行く。
   

上とほぼ同じ場所 (撮影 2003. 7.27)

県道を峠方向に見る (撮影 2003. 7.27)
この左手が林道入口
   

林道入口の右手に立つ林道看板など (撮影 2003. 7.27)
標柱には次のようにある
広域基幹林道 達磨山線 起点
昭和58年度完成
幅員 五.0米
延長 七、六九五米


左手に立つ修善寺歩道の看板 (撮影 2003. 7.27)
   
  以前は所々に道標(矢印看板)が立ち、分岐する林道方向にも「虹の郷」とあった。北又川から桂川沿いへと温泉街方向に下るコースだろうか。多分これらの矢 印看板は、「修善寺歩道」と呼ばれる遊歩道を案内する看板だったと思う。ここまでの県道脇に設けられた歩道もその一環だろうか。
 
<旧県道18号>
 ちょっと古いツーリングマップ(関東 2輪車 1989年1月発行 昭文社)などを見ると、県道18号は今の達磨山林道の一部を通っていた。修善寺市街からずっと川沿いを登り、現在の達磨山林道の道で 川沿いから離れ、この分岐点に達し、その後峠を目指していた。北又川沿いの地形は険しく、道の改修が難しいのだろう。県道18号はどんどん川沿いから離れた道筋に変わって いく。

達磨山柿木鳥獣保護区案内図の看板 (撮影 2003. 7.27)
達磨山への登山口に立つ
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
達磨山林道起点 (撮影 1994. 4. 3)
この時は達磨山林道に入り、途中で野宿となった
   

北又川を下流方向に見る (撮影 2003. 7.27)
達磨山林道近くより眺める
ここより少し上流側まで車道が伸びているが、
峠に達っすることはなかった
<旧道>
 達磨山林道は達磨山の東の山腹を南北に縦断する林道だが、その道を行くと、湯舟川やその南の柿木川などの川沿いに登って来る細い道がいくつも分岐してい る。それらは皆、狩野川沿いから始まり、支流に沿ってまちまちに西伊豆山地の稜線を目指している。中には稜線を越え、伊豆西海岸にまで通じていた峠道もあったかもしれない。
 
 戸田峠を越える峠道も、元は北又川沿いを忠実に遡っていたと思われる。峠に車道を開削する時、今の達磨山林道起点より上を、新しい峠道として切り開いたのであろう。
   
   
達磨山林道起点から先
   
  峠を目指す県道18号は北又川沿いからやや離れ、北側の山田川(狩野川の支流)との境を成す尾根近くを登る。空が開けた明るい道である。達磨山の東側は、 緩斜面が下って狩野川沿いにまで達っする、穏やかな地形を成している。よってそこを登る道の勾配も緩やかだ。つづら折れのような急坂急カーブはほとんどなく、僅かな蛇行を繰り返し ながら、ほぼ真西に位置する峠へと進んで行く。
 
<達磨山レストハウス>
 峠までの1.8km程の所で、左手に達磨山キャンプ場があり、そこから直ぐ先の右手には達磨山レストハウス(現地の看板には「だるま山高原レストハウス」とあった)の施設がある。県道に面して大きな駐車場があり、車で立ち寄り易い。

道の様子 (撮影 2005. 3. 5)
緩い坂道が続く
温暖な伊豆には珍しく、路肩に雪が見られた
   

達磨山レストハウス (撮影 2005. 3. 5)
前を通る県道方向を見る
道に面して広い駐車場が完備されている

峠方向を見る (撮影 2005. 3. 5)
左手奥に県道が登る
マイクロバスの後ろはトイレ
   

駐車場奥にあるレストハウス (撮影 2005. 3. 5)

麓方向を見る (撮影 2005. 3. 5)
   

レストハウスの看板 (撮影 2005. 3. 5)
「富士の眺望日本一」とある
 施設の敷地中にはレストハウスの他に、別棟のトイレやロッジもあるようだ。冬場に来ても意外と観光客は多く、温かいレストハウスは賑わっている。この峠道沿いでは観光地らしい雰囲気のする場所だ。
 
<眺望>
 ここの特徴は、何と言っても展望台からの眺望である。標高は既に627mあり、西伊豆山地も北のはずれとあって、沼津市の内浦湾へと深く入り込んだ駿河 湾が北方に望める(下の写真)。山田川の最上流部で、沼津市との境も近く、北に視界を遮る山は少ない。内浦湾近くにポッカリ浮かぶ島も見える。淡島と呼ぶ ようだ。本来なら富士の眺めもある筈だが、訪れた時は霞んでいて見えなかった。
 
 賑やかな観光地が苦手な者も、このレストハウスには寄る価値がある。駐車場から少し歩いてレストハウスの脇を抜ければ、視界がパッと広がる。戸田峠の修善寺 側の道は、暗い森林の中に入ることが少なく、終始明るい感じだが、眺望の点ではあまり恵まれていない。峠から望める景色もない。その点、達磨山レストハウ スからの景色は、貴重である。
   
眺望(その1) (撮影 2005. 3. 5)
左手奥に富士がある筈だが、この日は残念ながら見えなかった
   
眺望(その2) (撮影 2005. 3. 5)
内浦湾に浮かぶのは淡島だと思う
   
<「夏草冬濤」(余談)>
 伊豆の湯ヶ島などについては、井上靖の自伝的な小説「しろばんば」で、その昔の様子などを知って興味を持った。また、「しろばんば」の続編ともいえる 「夏草冬濤」(なつぐさふゆなみ)という作品があり、作者の分身ともいえる少年洪作(こうさく)が沼津で送る中学生活の様子が描かれている。物語の最後に 洪作たち少年4人が小旅行に出掛ける。駿河湾に注ぐ狩野川河口近くにある沼津港から船に乗り込み、西伊豆への旅に出るのだ。
 
 時代は大正末頃のことである。西伊豆の海岸沿いにはまだ陸路の交通が未発達で、代わりに発動機船などによる海上交通が利用されていたようだ。洪作たちが乗る 僅か20〜30トンの土肥丸(といまる)は揺れ、乗船客は船酔いに悩まされる。船は小さな漁村などに寄港しながら海岸沿いを南下する。洪作たちが目指すの は土肥だが、旅の初日には早くも内浦湾近くの重寺(しげでら)で下船し、一泊している。重寺とは丁度淡島が対岸に見える辺りだ。沼津港から土肥までの距離 の僅か1/3にも満たない。昔の旅が如何に苦難だったかということを思わされる。
   

レストハウス (撮影 2005. 3. 5)
冬場は暖が取れてよい
以前はこうした建物内には滅多に足を運ばなかったが、
最近は遠慮なく入って行く

レストハウスにある「やすらぎ半島・伊豆」の看板
(撮影 2003. 7.27)
丁度沼津港から土肥までの海岸線が写っている
今でも沼津港を起点に、内浦・大瀬崎・戸田港・土肥港へと
船便が通っているようだ
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
   
峠直前
   
  県道18号からは、達磨山林道以外にも何本か分岐が見られる。中にはどこかへ抜けられる道もあるようだ。達磨山レストハウスの直ぐ先にも、比較的大きな分 岐が一本右にある。地形図を見ると山田川の上流部へ抜けられるような気もするが、何かの施設で行き止まりとも見える。道の入口にはその関係の石碑が 立っている。
 
 「虹の郷」から続く道は、快適な二車線路のまま峠を目指す。やがて左手には北又川の谷底が競り上がってくる。峠の頂上はもう直ぐだが、道の勾配は相変わらず緩く、道もほとんど直線に近い。

右に分岐 (撮影 2005. 3. 5)
旅の途中ではこうした行先も分からない分岐が気になる
   

峠手前の様子 (撮影 2005. 3. 5)
左手に北又川の谷を望む

峠手前の様子 (撮影 2005. 3. 5)
前方に道路看板が出て来た
   
<伊豆スカイラインの看板>
 峠の手前300mで、西伊豆スカイラインの看板が出てくる。県道127号が峠より南に分岐し、稜線沿いに土肥峠(船原峠)まで通じている。それが西伊豆スカイラインだ。
   

峠より300m手前 (撮影 2005. 3. 5)
左折は西伊豆スカイラインを土肥・達磨山方面

峠直前の様子 (撮影 2005. 3. 5)
西伊豆スカイラインの行先は「船原峠」とある
   
   
   
戸田峠 (撮影 2001. 1. 4)
伊豆市修善寺側から見る(この時はまだ修善寺町)
   
<峠の様子>
 修善寺側から登って来ると、広々とした戸田峠に着く。厳密にはその先の少し切通し状になっている部分が伊豆・沼津の市境になるのだろうが、大きく見れば戸田峠は広く開けた稜線上にある。
 
 市境を示す看板と背中合わせに「戸田峠」と書 かれた看板が路上高く揚がっている。こうした峠名を示す看板は全国的には珍しいが、伊豆では時折見掛ける。ここ以外では少なくとも土肥峠と仁科峠で同様の 看板を見たことがある。ただ、戸田峠を訪れたのはもう10年程前のことで、今でもあるかは分からない。それに市境の看板といっても、「伊豆市」とか 「沼津市」と書かれた看板を私自身はまだ見たことがない。以前は「修善寺町」と「戸田村」であった。
   
戸田峠 (撮影 2005. 3. 5)
手前の看板には「戸田峠」、向こうの看板には「戸田村」とある
戸田村はこの直後の2005年4月に沼津市と合併したようだ
   
<金冠山第二トンネル>
  峠の修善寺側が広々としているのは、一つには稜線方向に道が分岐している為でもある。まず北へは角張ったトンネルがある。扁額には「金冠山第二トンネル」 と書かれている。傍らに看板が立ち、「この先 大型車通り抜け 出来ません」と出ていた。トンネルは稜線の下をくぐって沼津市側に入り、その先、西浦方面へと下って行くようだ。大型車通行不能などという道は、かえって入り込みたくなるのだが、まだ一度も走ったことがない。
   

金冠山第二トンネル (撮影 2005. 3. 5)
この時は土砂崩れの為、通行止

金冠山第二トンネル (撮影 2001. 1. 4)
写真には撮ったが、通り抜けた経験はない
   
<西伊豆スカイライン>
 一方、南の稜線方向には県道127号・船原西浦高原線が延びる。通称「西伊豆スカイライン」である(下の写真)。
   

峠から修善寺方向に見る (撮影 2005. 3. 5)
右手に西伊豆スカイラインが伸びる
傍らに「戸田峠」のバス停が立つ

峠より西伊豆スカイライン方向を見る (撮影 2005. 3. 5)
隣接して駐車場がある
   
峠の様子 (撮影 2005. 3. 5)
左手前が戸田方向、右手奥が修善寺方向
   

駐車場脇に立つ「戸田峠」の看板 (撮影 2001. 1. 4)
2005年に来た時には、もうなくなっていた
<駐車場など>
 西伊豆スカイライン沿いには広い峠を活用して駐車場が設けてある。この峠から、富士の眺めが良いと言われる金冠山や、達磨山への登山の利便性を考慮したものだろう。付近には「修善寺歩道」の道標や「伊豆山稜線歩道」の案内看板などが立っていた(下の写真)。
 
<伊豆山稜線歩道>
 「伊豆山稜線歩道」とは天城峠から虹の郷までを結んだコースのようだ。修善寺歩道と重なる部分がある。稜線区間ではいろいろな峠を横切っていて、面白そうな道 になっている。尚、下の看板は古いもので、仁科峠と船原峠(土肥峠)の間にはまだ車道が通じていない。現在は仁科峠と風早峠の間に県道(主要地方道)59 号・伊東西伊豆線が付け替えられ、風早峠と船原峠の間は、新しく県道411号・西天城高原線が開通している。
   

修善寺歩道の道標 (撮影 2005. 3. 5)
左:達磨山、右:虹の郷

伊豆山稜線歩道の看板 (撮影 2001. 1. 4)
ちょっと古い看板
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   
 また、些細なことだが、一般の道路地図や地形図では「風早峠」と書かれているが、看板の地図では「風峠」となっていた。
 
<峠の変化>
  県道411号が未開通の頃から、この西伊豆山地を訪れて来たが、いろいろと変わって行くものだ。戸田峠も細かく見ると変わった点がある。以前は駐車場脇に 「戸田峠」と書かれた木製の看板が立っていたのだが、2005年に訪れた時にはなくなっていた。また境を示す「戸田村」と書かれた看板の下辺りに、簡易的 な棒状の「戸田峠」バス停が立っていたのだが(右の写真)、その後は金属製のしっかりしたバス停が駐車場脇に立つようになった。

以前の「戸田峠」バス停 (撮影 2001. 1. 4)
行先は「戸田」と「修善寺駅」となっている
   

沼津市戸田方向を見る (撮影 2005. 3. 5)
道の最高所は切通しの途中
<切通し>
 市境を示す看板は切通しの手前に並んでいるが、厳密にいえば、市境はその切通しの途中にあるものと思う。そこに稜線が通り、道の標高もそこが一番高い。地形図で730m近くだ。
 
 切通しは沼津市側にやや長く続く。全般的に稜線の東側(伊豆市修善寺側)に比べ、西側(沼津市戸田側)の地形は険しい。その地形の影響が峠にも表れている。峠の伊豆市側は駐車場もできるくらい広々としていたのに対し、沼津市側はただ切通しがあるだけである。
   
<峠道の変遷>
 古くから修善寺と戸田を結ぶ戸田峠は存在していただろうが、この峠に林道が開通したのは明治43年(1910年)のことだそうだ。それが現在の主要地方道・修善寺戸田線の前身となる。
 
 尚、戸田市街と沼津方面との間には、現在は海岸沿いに県道(主要地方道)17号・沼津土肥線が通じている。しかし、途中の旧戸田村と旧西浦村古宇(こ う、現沼津市西浦古宇)との間に林道が開通したのは、昭和11年(1936年)のことだそうだ。戸田峠の車道開通より後になる。大瀬崎を回る海岸沿いに車 道を開削するのは困難だったようである。よって、伊豆西海岸の戸田と沼津・三島を繋ぐ陸路は、唯一この戸田峠が担っていたことになる。
 
 大正末期、洪作ら4人の少年を乗せて沼津港を出発した土肥丸は、途中小さな漁村に寄港しながら、海岸伝いに伊豆西海岸の土肥を目指した。大瀬崎沖を過ぎ てからは外海が近い。船は更に揺れたことであろう。その当時、まだ海岸沿いに車道は通じていない。僅か20〜30トンの発動機船が貴重な交通手段であっ た。
 
 戦後の昭和25年〜26年には戸田峠を越えて定期バスの運航が開始されたそうだ。こうした陸路の発達により戸田の地は発展していった。現在でも東海バスが修善寺駅と戸田市街とを結んでいる。
   
戸田側から見る戸田峠 (撮影 2001. 1. 4)
峠の戸田側は切通しなので、あまりこちら側から峠を写真に撮ったことがない
   
   
峠から戸田側へ下る
   
<戸田へ>
 最初に出て来た県道標識には「戸田峠」とある。
 道路看板には「戸田市街 10km」とある。峠から戸田市街のある戸田湾までは、直線距離で5〜6km程だ。峠直下は道の蛇行が激しく、道程は長い。
 
<戸田側の駐車場>
 峠から100m程下ると、戸田側にも広い駐車場が設けられている(下の写真)。

峠から戸田側に下る (撮影 2005. 3. 5)
道路看板には「戸田市街 10km」とある
   

戸田側の駐車場 (撮影 2005. 3. 5)
右奥が峠方向

戸田側の駐車場 (撮影 2005. 3. 5)
峰の斜面に灌木で「戸田」と描かれている
丁度白い雪で文字が浮かび上がっていた
   
<戸田側の景色>
 戸田側に設けられた駐車場は崖に面しているので、麓方向に景色が広がる(下の写真)。しかし、戸田大川の上流部の谷は大きく屈曲し、直接海岸沿いを望める訳ではない。
   
戸田側の景色(その1) (撮影 2005. 3. 5)
   
戸田側の景色(その2) (撮影 2005. 3. 5)
   
戸田側の景色(その3) (撮影 2005. 3. 5)
   
14年前の戸田側の景色 (撮影 2001. 1. 4)
こうした風景は時を経てもあまり変わらないだろう
   

伊豆西海岸観光マップと「霧香峠」 (撮影 2001. 1. 4)
<霧香峠>
 戸田側の駐車場が面する道路脇に、「伊豆西海岸観光マップ」という大きな案内看板が立っている(左の写真)。 その足元に「霧香峠」と書かれた石碑がある。 戸田峠の別称と思われるが、残念ながら由来などは分からない。
 
 天城連山から西伊豆山地へと続く稜線上には、戸田とか土肥、船原、宇久須(うぐす)、仁科、持越、 猫越(ねっこ)などの地名から名付けられた峠が多い。 その点、霧香峠といのは地名由来ではなさそうだ。 「霧が香る」とは洒落ている。
 
 「霧」の字が付く峠としては、そのままズバリ霧峠というのがある。 しかし、こちらも由来などは分からない。 どうにも気になる霧香峠であった。
   
   
ごぜ展望地以降
   
<ごぜ展望地>
 道は暫くは谷の上部を走る。金冠山の南側の山腹にあたり、山頂から延びる幾つかの尾根を巻いては蛇行する。左手眼下に深く険しい戸田大川の谷を望む。二 度目に大きな尾根を巻く箇所は、尾根が大きく南に張り出し、西方の海岸線まで広く見通せる立地だ。この峠道最大の展望所と言っていいだろう。道路地図などに よっては「ごぜ展望地」と出ている。地形図では626mの標高が記されている地点だ。
 
<瞽女>
 「ごせ」とは「瞽女」と書き、目の不自由な女性の旅芸人のことだ。伊豆と言えば川端康成の「伊豆の踊子」によって昔の旅芸人のことを現代人も知ることが できる。そうした旅芸人の中には瞽女のような不幸な境遇の集団もあった。瞽女は伊豆に限らず全国的に見られたそうだ。何かの映画かドラマで、数人の瞽女が 互いに綱を持ち合い、先導者に導かれて険しい雪道を旅する光景が描かれていたのを目にしたことがある。この戸田峠でも険しい雪道に落命した瞽女があり、それに因んで 「ごぜ展望地と」呼ばれるようだ。
   
多分、ごぜ展望地からの眺め (撮影 1994. 4. 3)
ほぼ真西を望む
中央奥に見えるのは御浜岬に囲まれた戸田湾
私が映した戸田峠関係の写真では、最も古いもの(約21年前)
残念ながらこの時は峠自身を撮らなかった
   
<展望>
 ごぜ展望地からは、戸田大川の谷を縫った先に駿河湾に面する戸田湾が望める。湾の左手から湾を囲い込むように御浜岬(みはまざき、「御浜崎」とも書く)が伸びてきている。ここから眺める戸田湾はまだ小さな漁港だ。
 
 途中の山間部では、山肌を縫って県道18号が谷へと下って行く様子が垣間見られる。戸田峠の西側の地形は険しい。それをまざまざと見せつけられる。
   
屈曲する道の様子 (撮影 2001. 1. 4)
峠方向に見る
意外と交通量が多い
   

道の様子 (撮影 2005. 3. 5)
そろそろ右手下に戸田大川本流が見えてくる
人家も近い
<道の様子>
 道は大小の屈曲を繰り返しながら、戸田大川の本流沿いへと下って行く。 戸田大川の最上流部は南の達磨山近辺だが、道は大きく谷の北側を迂回している。
 
 地形は険しいが、道は終始二車線路の快適な道である。 休日などは観光客と思しき自家用車の往来が多いのに驚かされる。 戸田市街から大瀬崎を回って海岸沿いに沼津市街方面に達する県道17号が通じている今でも、 戸田と大観光地の修善寺を繋ぐ戸田峠の利用の方が遥かに多そうだ。 戸田の住民にとっての生活道というより、観光道路の雰囲気がする。
   
   
戸田大川沿い
   

戸田大川左岸沿いになる (撮影 2005. 3. 5)
戸田港方向に見る
<戸田大川沿い>
 道は戸田大川本流を渡って戸田大川の左岸沿いに降り立つ。ここより戸田大川はほぼ真っ直ぐ戸田湾へと西流している。道も終始その左岸に沿って戸田港を直線的に目指す。沿道の人家も増えてくる。
 
 ここに来て道は一時的に狭くなり、センターラインがない区間もある(下の写真)。人家の敷地が多く、拡幅が難しいのであろう。
   
戸田大川沿いのやや狭い区間 (撮影 2001. 1. 4)
峠方向に見る
   
<西伊豆山地の稜線を望む>
 戸田大川沿いからは、峠方向に南北に連なる西伊豆山地の稜線が望める。 その中で一番高いのが達磨山であろう。ただ、残念ながら戸田峠がある部分は山陰に隠れて見えない。
 
<戸田の立地>
 戸田大川を中心とする戸田の地は、西の駿河湾、東の西伊豆山地の高い峰とに挟まれている。 また、北は金冠山から真城山(さなぎやま)へと延びる稜線が旧沼津市との境を成し、 南は西伊豆山地の主脈から西に派生する支尾根により旧土肥町との境を成している。 三方を達磨山系に囲まれた戸田は、戸田大川河口付近の僅かな平坦地に戸田市街がある。

道の様子 (撮影 2001. 1. 4)
峠方向に見る
   
   
戸田市街
   
<峠道の終点>
  道が市街に入るとさすがに家屋が密集してくるが、あまり大きな建物は見掛けない。狭い住宅街を抜けると、直ぐにも県道17号に接続する大きな交差点「戸田 三差路」に出る。ここで戸田峠の峠道である県道18号は終点となる。この交差点より400m程北で、達磨山の西側の谷に降った雨を集め流れ下って来た戸田 大川も、戸田湾に注いで尽きる。
 
<戸田市街(余談)>
 戸田は戸田湾に面する風光明媚な土地だ。現在は観光地として宿泊施設や土産物屋などが市街の中心部に多く見られ、ちょっとした賑わいも感じられる。

戸田三差路の交差点 (撮影 2005. 3. 5)
   

戸田市街の様子 (撮影 2005. 3. 5)
県道17号沿いを北に見る
ホテルなどが見られる

戸田市街の様子 (撮影 2005. 3. 5)
戸田湾沿いの道を南に見る
土産物店などが立つ
   

戸田港を望む(その1) (撮影 2005. 3. 5)
左から御浜岬が延びてきている

戸田港を望む(その2) (撮影 2005. 3. 5)
   
<出逢い岬(余談)>
 戸田市街から大瀬崎方向に伸びる県道17号の途中に、「出逢い岬」という展望地がり、戸田湾を一望できる(下の写真)。湾を囲んで細長く家屋が並んでいる。また天候が良ければ、北に駿河湾を挟んで富士が眺められる。
   
出逢い岬より戸田湾を望む (撮影 2001. 1. 4)
   
出逢い岬より御浜岬を望む (撮影 2001. 1. 4)
岬の付け根付近にあった国民宿舎伊豆戸田荘に泊まったことがある
今はその戸田荘はないようだ
   
出逢い岬からの富士の眺め (撮影 2001. 1. 4)
   
 現在は観光地の色彩も感じられる旧戸田村であるが、海路交通に依存していた時代は、良港の戸田漁港もまだまだ寂しい漁村であったようだ。戸田峠や沼津方面と繋ぐ車道が通じるようになり、戦後には路線バスが運行されて初めて、村の人口の増加が見られたそうだ。
 
 今では東京方面からも車で容易に訪れることができる戸田である。それには戸田峠が一役買っている。一方、戸田港と沼津港などを結ぶ船便(高速船ホワイトマリンとか呼ぶ)がまだ運行されているようだ。洪作らを真似、のんびり船旅も贅沢で面白そうだ。
   
御浜岬より戸田湾を挟んで達磨山方向を望む (撮影 2005. 3. 5)
丁度客船が湾内を横切って進む
今でも戸田港と沼津港・土肥港を結ぶ高速船が運行されているようだ
対岸には戸田市街が広がる
一部に高い建物も見える
山の景色は変わらないだろうが、町の様子はこの半世紀で随分と変わったことだろう
   
   
   
 この世の中に「へ」で始まる峠など、まずないと思っていたが、伊豆のこまごまとした峠を調べていて、ハタとこの戸田峠に気付いた。意外と身近な所にあったものだ。これで暫くは伊豆半島の峠から離れようと思う。
 
  残るは「え」、「そ」、「め」、「ら」、「る」、「れ」で始まる峠である。果して見付かるだろうか。見付かったとしても、そこを訪れなければ話にならな い。もうアラカンの齢(よわい)で、今後の長旅は容易でない。取りあえず「へ」の峠だけでも掲載できて良しと思う、戸田峠であった。
   
  
   
<走行日>
・1994. 4. 3 旧戸田村 → 旧修善寺町 ジムニーにて (達磨山林道途中で野宿)
・2001. 1. 4 旧戸田村 → 旧修善寺町 ミラージュにて
(2003. 7.27 達磨山林道走行 キャミにて)
・2005. 3. 5 旧修善寺町 → 旧戸田村 キャミにて (戸田荘宿泊)
(2007. 3. 4 修善寺を観光)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 22 静岡県 昭和57年10月 8日発行 角川書店(及びオンライン版/JLogos)
・県別マップル道路地図 22 静岡県 2006年 2版20刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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