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平湯峠
  ひらゆとうげ  (峠と旅 No.284)
  乗鞍スカイラインと結ぶ峠道
  (掲載 2017.10.15  最終峠走行 2016.10. 7)
   
   
   
平湯峠 (撮影 2016.10. 7)
手前は岐阜県高山市丹生川町(にゅうかわちょう)久手(くて)
奥は同市奥飛騨温泉郷(おくひだおんせんごう)平湯(ひらゆ)
道は県道485号・平湯久手線(平湯側)と
県道5号(主要地方道)・乗鞍公園線(久手側)
峠の標高は1,684m (文献などより)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
右手に乗鞍スカイラインが長野県との県境近くの畳平へと登って行く
14年振りに訪れてみると、何だか殺風景な峠になってしまっていた
乗鞍スカイラインがマイカー通行止になったことと無縁ではなさそうだ
 
 
 
   

<平湯峠>
 この峠は過去2回訪れているが、その2度共畳平から乗鞍スカイラインを下って来て、峠からはそのまま久手側か平湯側に降りてしまっていた。 通しでこの峠道を走ったことがなかったのだ。それもあり、平湯峠を峠として意識したことがあまりない。それがやっと去年(2016年)になって通しで平湯峠を越えてみた。すると、峠の様相が一変しているのに驚かされた。

   

<所在>
 今の平湯峠は全て岐阜県の高山市に含まれる。何しろ、長野県との県境まで高山市だ。しかも、県境の先は直ぐに松本市である。県境にある安房峠や野麦峠も、みんな高山市と松本市の境となってしまった。
 
 以前の平湯峠は、吉城郡(よしきぐん)上宝村(かみたからむら)平湯(ひらゆ)と、大野郡(おおのぐん)丹生川村(にゅうかわむら、にうかわむら)久手(くて)の境であった。 村境であり郡境でもあった。現在は、高山市の奥飛騨温泉郷(おくひだおんせんごう)平湯と、丹生川町(にゅうかわちょう)久手との境になる。旧上宝村側の奥飛騨温泉郷は、地名として新しく用いられたようだ。「上宝」の文字がなくなったのは寂しい。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<平湯トンネル>
 現在の峠の下には国道158号の平湯トンネルが通じる。国道158号は遠く北陸の福井と長野県松本市を結ぶが、東京方面から見ると、松本から飛騨高山に到る道としての役割が強い。 松本から梓川を遡り、安房峠で長野・岐阜の県境を越え、更に平湯峠を越えて行くと飛騨国の中心地であった飛騨高山市街に通じる。長野県側の上高地や乗鞍岳へのアクセス路ともなり、岐阜県側に下れば平湯・奥飛騨温泉郷などの温泉地が豊富だ。国道158号は松本方面から飛騨高山周辺への観光ルートと言える。
 
 ただ、安房峠も平湯峠も冬期は豪雪の為、かつては通行途絶となる道だった。それが、昭和53年(1978年)9月18日に平湯トンネルが開通、少し遅れて1997年12月に安房トンネルが通じている。これにより松本市街と飛騨高山市街は一年を通して車の通行が可能となった。

   

<乗鞍スカイライン>
 平湯トンネル開通後は旧道となった平湯峠であったが、車の通行は絶えることはなかった。峠から乗鞍岳への登山道となる乗鞍スカイラインが分岐しているのだ。 乗鞍スカイラインは有料たが、長野県との県境近くにある畳平(たたみだいら)に到り、そこが乗鞍岳への大きな登山基地となる。また乗鞍スカイラインから先、長野・岐阜県境に通じる道が標高2,715mと、車の走る道路として日本最高所であることが知られる。
 
 初めて平湯峠を訪れたのも、その最高所を走ったついででしかなかった。 平湯峠での車の通行が絶えなかったと言っても、乗鞍スカイラインの通過点としてであり、峠として意識されたことは少ないだろう。しかも、2002年を最後に乗鞍スカイラインはマイカー通行止となった。一般人はシャトルバスを利用することとなり、わざわざ平湯峠で途中下車する者は居ない(峠にバス停があるかどうかも分からない)。

   

<峠名>
 峠名は上宝村の「平湯」の地名に因むようだ。この地にある平湯温泉は古い湯治場で、湯治客が越える平湯峠の道は平湯街道などとも称せられた。
 
 また、湫峠(くてとうげ)という呼び名もあったようだ。水草などが生える湿地帯を湫(くて)と呼び、峠の旧丹生川村側にその湫が多かった。現在の地名・久手(くて)の由来となるそうだ。
 
 峠の平湯側では平湯峠、久手側では湫峠と呼んだとのこと。平湯や久手の地元民からすると、ちょっと違和感がある様に思える。 例えば久手側から見ると、平湯へと越える平湯峠と呼びそうなものだ。ただ、地域が離れれば、平湯側が平湯峠、久手側が湫峠で、それはそれで話が通り易い。

   

<水系>
 峠の平湯側は高原川(たかはらがわ)の最上流域になる。高原川の源流は四ツ岳・硫黄岳付近から流れ始める大滝川で、途中、平湯峠方面から流れ下るトヤ谷を合わせて高原川と名を変える。
 
 尚、高原川の支流・安房谷(安房川とも)は安房峠に関わる河川だ。トヤ谷の方がより高原川本流の上流側にあるが、やはり県境越えの安房峠の方が、高原川水域を代表する峠となろう。 更に余談だが、高原川の支流・蒲田(がまた)川の方が本流より流長が長そうだ。その為、高原川の源流を蒲田川の源流となる穂高岳とする資料もある。
 
 一方、峠の久手側には久手川が流れ下り、小八賀川(こはちががわ)を経て宮川(みやがわ)に注ぐ。
 
 高原川も宮川もどちらも神通川(じんづうがわ)の源流となる。これら2つの川が富山県内に入って合流し、神通川となる。よって、峠は神通川水系にあり、その源流の高原川と宮川の分水界に位置し、更に細かくはトヤ谷と久手川の分水界となる。

   
   
   
平湯側起点 
   

<平湯側起点>
 平湯峠の平湯側は、その名の通り平湯の中心地が峠道の起点となる。

   
平湯市街の安房峠分岐 (撮影 2008. 8.16)
ここが平湯峠の起点ともなる
左が安房峠(旧道)、直進が国道158号を平湯峠(トンネル)を経て高山へ
手前は旧国道158号を神岡方面へ
   

安房峠分岐にある看板 (撮影 2008. 8.16)
「丹生川」が「安房トンネル」に変わっている

<安房峠分岐>
 高原川水系を安房峠に譲れば、平湯峠は安房峠の峠道から分かれる支線の峠道ということになる。その意味でも、平湯市街にある安房峠の分岐が、平湯峠の起点と言える。
 
 分岐に立つ看板(左の写真)には、平湯峠方向に「高山 安房トンネル」とある。多分、「安房トンネル」の下には「丹生川」が隠れているようだ。新しく安房トンネルが開通したことによるのか、あるいは丹生川村が高山市に併合された為もあるのだろうか。
 
<平湯>
 安房峠方面から流れる下る安房谷がその本流となる高原川に注ぐ。その2つの川に挟まれた三角州に平湯の中心地となる温泉街が広がる。温泉が湧き出た所が 地名の小字「湯の平」であったことから、「平湯」の名が興ったそうだ。「湯の平」は安房峠道路の湯ノ平トンネルと関係するのだろうか。

   

<平湯村> 
 当地は江戸期からの飛騨国吉城郡高原郷の平湯村であった。明治8年に上宝村平湯組、明治22年からは上宝村の大字平湯となる。
 
 平湯は古くから湯治や旅宿の村として賑わいを見せたそうだ。現在も観光旅館が立ち並び、行楽のマイカーや大型の観光バスが訪れる。しかし、高原川上流部の山間部に位置する。冬場に訪れると、その雪深さに驚かされる。特に安房トンネルが開通する前は、この平湯が岐阜県側の行止りの地であった。


平湯温泉の宿泊案内所前 (撮影 2008. 8.16)
国道158号を平湯峠方向に見る
   
平湯市街を安房峠分岐方向に見る (撮影 2003. 8.16)
マイカーや観光バスなどで賑わっている
直ぐ先の右手に宿泊案内所がある
   

神岡方向に見る看板 (撮影 2003. 8.16)

<国道471号>
 平湯温泉の安房峠分岐から神岡方面に進む道には、今は何とも記されていない。以前はそれが国道471号であった。更にその前は主要地方道・神岡上宝線と呼ばれた。現在の国道471号は温泉街を西にバイパスするルートを取っている。
 
<安房峠の峠道>
 安房峠は、その水系から見ると、平湯からそのまま高原川沿いに下り、神岡(現飛騨市神岡町)方面に向かうのが自然だ。ほぼ現在の国道471号に相当する。 ただ、飛騨国(岐阜県に北半分)の中心はやはり高山である。平湯からの国道158号は、自然な峠道の道筋とは異なり、平湯峠を越えてその先の飛騨高山市街を目指している。

   
安房峠に登る途中より平湯方向を望む (撮影 2003. 8.16)
麓に見える集落は平湯温泉
正面の山は輝(てらし)山、それに続く左手の峰に平湯峠が通じる
   

平湯峠方向を望む (撮影 2003. 8.16)
峠の鞍部は少し隠れている
右下に平湯トンネルを抜ける国道158号が見える

山間の平湯温泉を望む (撮影 2003. 8.16)
奥に通じるのは新しいルートの国道471号
   

<平湯郊外>
 奥飛騨温泉郷平湯、以前の上宝村の大字平湯の地域は、安房峠付近から南に続く岐阜・長野県境に広く接しているが、集落は中心地となる温泉街に集約される。温泉街を少し外れれば、もう人家をほとんど見ない。
 
 道は新しく、快適だ。安房トンネル開通と合わせ、大規模に改修されたようだ。間もなく、その安房トンネルを案内する看板が出て来る。


平湯温泉街を後に平湯峠方向に進む (撮影 2008. 8.16)
   
安房トンネルの案内が出て来る (撮影 2008. 8.16)
   

平湯料金所 (撮影 2016.10. 7)
安房トンネル方向に見る

<平湯料金所>
 安房峠の下に通じた安房トンネルを通る道は安房峠道路と呼ばれる有料道路だ。 安房トンネルに引き続き湯ノ平トンネルを抜け、平湯の街中よりずっと高原川上流部、大滝川に程近い地点に達する。そこにある平湯料金所が、安房峠道路の岐阜県側起点となる。平湯峠の道も、ある意味、ここが新しい起点と言える。
 
 ただ、観光客で賑わう温泉街から外れた平湯料金所周辺は、何だかとても殺風景だ。やはり、平湯峠の起点は平湯市街と考えたい。

   

 本来の平湯峠起点が平湯温泉街だと言っても、今の長野県方面から訪れる観光客はほとんど全て平湯料金所を通過する。 平湯温泉街をバイパスして来た国道471号もこの平湯料金所の目の前に接続している。夏場などは平湯料金所を出入りする車は非常に多い。ここは新しい交通の要衝になったことは間違いない。
 
 それもあり、平湯料金所を出た所には休憩所やトイレが設けられ、周辺の観光案内も出ている。平湯の狭い温泉街では車で気楽に立ち寄れる場所は見当たらないが、ここは一息つける場所となっている。


安房峠道路周辺の案内看板 (撮影 2016.10. 7)
平湯料金所近くに立つ
   
安房峠道路周辺の案内看板(一部) (撮影 2016.10. 7)
   

平湯料金所の先 (撮影 2016.10. 7)

<道の交差>
 安房峠道路ができてから、道が複雑に交差することとなり、迷い易くなった。平湯料金所を抜けた先、左に高山市街方面の国道158号が延びるのはいいが、右にも国道158号が分かれる。そちらは一旦平湯温泉を経由し、旧道の安房峠へと引き返して行く国道158号であった。
 
 一方、国道471号も何となく分かり難い。かつては平湯温泉で安房峠の道を分けてから先が国道471号だった。すなわち、行先が「平湯」と書かれた国道158号方面に行けばよい。 ところが今は、温泉街をバイパスするように国道471号か付け替えられた為、平湯料金所の先、国道471号は直進する方向となる。安房峠道路完成前のことが頭に残っていので、どうもこの道の繋がり具合は戸惑い易い。

   

左は高山方面の国道158号 (撮影 2016.10. 7)

直進は神岡方面の国道471号 (撮影 2016.10. 7)
右の平湯方面の国道158号は旧道の安房峠へと通じる
   
国道158号からの安房峠道路の入口 (撮影 2001. 7.30)
観光バスなどが往来する
奥に平湯料金所がある
   
国道158号からの安房峠道路の入口 (撮影 2003. 2. 3)
やはり冬場は閑散としている
平湯の背後には雪の飛騨山脈がそびえる
   
   
   
平湯料金所以降 
   

<国道158号の沿道>
 国道158号沿いは暫く閑散としている。平湯温泉スキー場や平湯キャンプ場脇を過ぎるが、スキーはやらないし、キャンプ場は使わない野宿だったから、この近辺で立ち止まったことがない。途中、大滝川を渡るがその上流部に平湯大滝(ひらゆおおたき)があり、平湯の名所の一つとなっているそうだ。

   

国道158号の様子 (撮影 2016.10. 7)
大滝川を渡った直後辺り

平湯キャンプ場の看板 (撮影 2016.10. 7)
   

<登坂車線>
 大滝川左岸からトヤ川右岸へと向かう頃には登坂車線が出て来る。すると電光掲示板に乗鞍スカイラインのことが出ていた。「マイカー規制実施中」とある。

 

登坂車線が出て来た (撮影 2016.10. 7)
乗鞍スカイラインの看板が立つ

乗鞍スカイラインの看板 (撮影 2016.10. 7)
「マイカー規制実施中」
   

<巨木百選(余談)>
 「平湯大ネズコ」という看板が出ていた。平湯近辺の観光案内パンフレットなどではあまり見たことがない。何でも、巨木百選の一つとのこと。峠道に関わる巨木百選としては神坂峠の神坂大檜(みさかおおひ)があったが、どれも実際には見たことがない。

   

登坂車線途中 (撮影 2016.10. 7)
平湯大ネズコの看板が出ている

平湯大ネズコの看板 (撮影 2016.10. 7)
   

<県道485号分岐>
 現在の平湯街道は国道158号としてこの先の平湯トンネルに向かって行く。その旧道である平湯峠を越える道は、現在は県道485号・平湯久手線と呼ばれる。 丁度登坂車線が尽きた所でその県道が分岐する。分岐の反対側にはアスファルト敷きの小広い駐車スペースがあるが、平湯トンネルのルートが開かれる以前は、そこを通って道がカーブしていたものと思う。

   

左に県道485号が分岐 (撮影 2016.10. 7)
右手にはちょっとした駐車スペースがある

分岐を示す看板 (撮影 2016.10. 7)
直進は下呂・飛騨・高山市街
左折は乗鞍
   

<平湯峠道>
 現在の平湯峠を越える県道の前身は、大正12年(1923年)に開通した平湯峠道だった。その道が平湯と飛騨高山市方面とを結んだ最初の車道だったようだ。 しかし、暫くの間は一車線がやっとという狭い道幅のままだった。それが昭和53年(1978年)になって、平湯トンネルを抜ける快適に2車線路に生まれ変わった。


県道の分岐点 (撮影 2016.10. 7)
左が平湯峠へ、右が平湯トンネルへ
   
   
   
県道485号を峠へ 
   

<県道485号へ>
 考えてみると、国道158号側から平湯峠に登ったことは一度もなかった。乗鞍スカイラインから峠を経由した下り道の経験しかない。 平湯トンネルを何度か抜けているが、その折、わざわざ旧道に寄り道する気も起きなかった。平湯峠がそんなに面白い峠道とは思っていなかったのだ。 その後、乗鞍スカイラインがマイカー通行止となった。それがかえって、旧道を通しで走ってみようと思い立つ切っ掛けとなったようだ。

   

ゲート箇所 (撮影 2016.10. 7)

<ゲート箇所>
 県道485号に入ると直ぐにゲート箇所がある。峠の久手側は乗鞍へのバス路線でもあり、早くから2車線路の立派な道になっていた。それとは対照的に平湯側の道は寂れた雰囲気だ。こうしたゲート箇所も久手側にはなかったように思う。
 
 一応この道も、平湯側から乗鞍スカイラインへ接続するアクセス路になるが、この様子では、一旦平湯トンネルで久手に抜け、改めて久手側から平湯峠へと登った方が良さそうだ。

   

<道の様子>
 最初の内は、「乗鞍スカイライン マイカー通行止」という看板がしつこく出て来て、運転者に注意を促していた。それも沿道から消えると、後は何もない静かな山中を行く道となった。時折、路面には落葉が吹き溜まり、侘しい雰囲気だ。
 
 乗鞍スカイラインがまだ一般車が通れた時は、この道が乗鞍登山のアクセス路として使われることも多かったろうが、今は久手側にシャトルバスが通るだけだ。平湯峠の平湯側に通じる旧道の利用価値は少ない。今後は本当の意味での旧道となって行くのではないだろうか。


道の様子 (撮影 2016.10. 7)
   
道の様子 (撮影 2016.10. 7)
   

<道程>
 国道158号から分かれて峠までの県道485号の区間は僅かに4.1kmである。道幅は常に1.5車線以上あり、屈曲は多いものの走り難いことはない。加えて、対向車など全くやって来る気配がない。快適な平湯トンネルは通らず、好き好んでこの平湯峠の旧道を走る者は居ないようだ。

   
道の様子 (撮影 2016.10. 7)
   

<道筋>
 登り始めは高原川支流・トヤ谷の右岸側に道が通じ、途中より左岸側に移る。川にぴったり沿うようなことはなく、絶えず山腹をうねって登る。その為、暗くじめじめした様子はなく、道の周囲は比較的明るい。ただ、木々が多く繁茂し、あまり眺望には恵まれない。
 
 そもそも、飛騨山脈を越える安房峠のような壮大な峠道ではない。飛騨山脈主稜から派生した、高原川水域と宮川水域を分かつ支尾根を越える峠道である。 それもあり、これまで平湯峠には関心が向かなかった。乗鞍スカイラインのマイカー規制が始まり、峠道が閑散としたのが、かえってここを訪れるいい機会となったようなものだ。全く天邪鬼なことだ。
 
<眺め>
 ほとんど眺望がないが、クネクネ曲がっている内に、時折背後の平湯方面を望める箇所があった(下の写真)。 中央に見えるのは、岐阜・長野県境近くにそびえるアカンダナ山(2,109m)だろうか。その手前の山腹にトンネルの坑口らしき物が見えるが、多分、安房峠道路の安房トンネル手前にある湯ノ平トンネルだと思う。安房峠はアカンダナ山の右の肩を越えているが、峠のある鞍部までは望めていないようだ。

   
平湯方面の眺め (撮影 2016.10. 7)
   
平湯方面の眺め (撮影 2016.10. 7)
左は国道158号、右に湯ノ平トンネルが見えるようだ
   

<沿道の様子>
 平湯峠に関しては、写真の他にドラレコ動画を保存してある。今回、改めて眺めてみたが、沿道にはこれと言って何もない。特筆すべきことが見当たらなくて困る。
 
 途中、路肩に軽ワゴン車が一台停まり、その側らに靴が揃えて置かれてあった。地下足袋か何かに履き替え、山仕事で入山しているのではないだろうか。乗鞍登山などには使われなくなったが、山菜採りなどでは利用されるのだろう。

   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
   

<安房峠を望む>
 峠の200mくらい手前で、道がまたヘアピンカーブを描くが、そこから平湯側の眺めが広がる(下の写真)。湯ノ平トンネルよりもっと右手の平湯温泉スキー場付近だと思う。 山の斜面にゲレンデらしき物が見える。その背後の峰に安房峠が越えている筈だ。2つの鞍部が見えるがその内のどちらかだろう。

   
平湯側の景色 (撮影 2016.10. 7)
背後の峰に安房峠が通じる
   

この先が峠 (撮影 2016.10. 7)

<峠直前>
 空が一段と開け、明るい雰囲気となる。峠までの200mはほぼ直線的に道が延び、ラストスパートとなる。峠を通過する送電線の鉄塔がそびえている。

   
   
   
 
   

<峠の様子>
 平湯峠を最初に訪れたのは1993年9月のことだったが、畳平方面から乗鞍スカイラインを下って来て、そのまま峠は素通りだったと思う。何の記憶も写真も残っていない。 その後、一度来ているが、やはりあまり記憶はない。それでも今回訪れてみて、何だか異様な感じを受けた。平湯峠はこんな峠だったかと、やや驚きを覚えたくらいだ。
 
 前回訪れたのは2002年の9月で、この年は畳平へのマイカー規制が始まる前の最後の年だった。畳平へと向かう多くの車で大渋滞した時である。 長野県側から登ったが、余りの渋滞振りに辟易し、畳平を素通りして平湯峠へと下って来た。その時の写真を見てみると、峠付近には店屋などが並んでいたのだった(下の写真)。


平湯側から見る平湯峠 (撮影 2016.10. 7)
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2002. 9.29)
畳平からのバスが下って来ていた
   

 今の峠は、道などの様子に変わりないようだが、峠の周辺に立っていた建物が一切取り払われてしまっている。跡地は空地や駐車場なとに変わり、ガランとしていた。僅か14年の間に大きな変貌があった。

   
畳平から下って来た乗鞍スカイライン側から峠を見る (撮影 2002. 9.29)
以前は店屋などが立ち並んでいた
   
峠を畳平方向に見る (撮影 2016.10. 7)
左が平湯方面、右が久手方面
今は沿道に建物が見られない
   

畳平方面から見る峠 (撮影 2016.10. 7)
左が久手へ、右は平湯へ

 以前の平湯峠のことをよく覚えている訳ではないが、余りの殺風景さに違和感を感じたのだった。かつては乗鞍への中継地点として、多くの車がここに立ち寄り、休憩したり土産を買ったりしていたようだ。乗鞍スカイラインのマイカー通行止は、こうしたところにも影響していたのだった。

   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2002. 9.29)
鉄塔の左に小屋があるが、今はなくなっている
   

<峠の久手側>
 道の繋がり具合は、平湯から畳平へと延びていて、久手側へ下る道は峠から分岐する形になっている。看板に「ここより 久手」とあったが、まだ「丹生川村」のままだった。今は高山市丹生川町である。
 
 峠の久手側は平湯側に比べても地形が穏やであることもあって、あまり遠望はない。道路脇に立っていた建物の跡地は広い駐車場となっているが、その端に立つと、僅かに久手側の景色が広がる。


「ここより 久手」の看板 (撮影 2016.10. 7)
まだ「丹生川村」とある
   
前の写真とほぼ同じ場所 (撮影 2002. 9.29)
左手の建物はもうなく、駐車場になっている
   
駐車場端より久手側を望む (撮影 2016.10. 7)
   

<峠の平湯側>
 一見、平湯方向にも立派な道が下っていそうだが、直ぐにセンターラインは消えてなくなる。飛騨高山市街から乗鞍を目指す車は、当然ながらこの道は通らない。 しかし、畳平から乗鞍スカイラインを下って来た車で、平湯温泉や奥飛騨温泉郷に向かう場合、あるいは安房峠(トンネル)で長野県に戻る場合にはこの道を行くこととなる。それなりに利用者が居たと思うが、道があまり良くない旨などを告げる看板などはない。

   
峠の平湯方向 (撮影 2002. 9.29)
   

峠より平湯方向を見る (撮影 2016.10. 7)

<平湯側の眺め>
 峠は開けていて、そのまま平湯側の眺めに続いている。前方に飛騨山脈の山並みを望む。多分、どこかに安房峠が見えているものと思う。

   
平湯側の眺め (撮影 2016.10. 7)
   

<乗鞍スカイライン>
 峠から南へと乗鞍スカイラインが畳平方面に向かって延びる。有料道路で、峠から200m程先に料金所があったものと思う。現在はそこから先がマイカー通行止となっている。 かつては主要地方道・乗鞍公園線も峠を起点としていたが、今は峠から久手側に下り、国道158号に接続するまでを県道5号(主要地方道)・乗鞍公園線としているようだ。

   
峠より乗鞍スカイラインを畳平方向に見る (撮影 2016.10. 7)
   

車両通行止の道路標識 (撮影 2016.10. 7)

<コロナスカイライン>
 文献(角川日本地名大辞典)では乗鞍スカイラインは国鉄(現JR)高山本線高山駅から終点畳平に至る延長約46kmの全線を指し、平湯峠から畳平までの14.4kmの区間は「コロナスカイライン」と呼んだそうだ。今はこの名にはあまり馴染がない。ほぼ平湯峠から先を乗鞍スカイラインとして認識している。
 
<乗鞍スカイラインの開通>
 この平湯峠〜畳平間の車道は第2次大戦中の昭和18年、陸軍が乗鞍岳に航空研究所を開設するに当たり、乗鞍軍用道路として開削されたのが始めだそうだ。 戦後の昭和23年に岐阜県道となり、同44年から4年間に渡り観光用として道路整備が進められ、同48年7月に乗鞍スカイラインとして完成している。 乗鞍岳の山頂付近には東京天文台コロナ観測所などが建てられたので、当初は「コロナスカイライン」といった名称も生まれたのだろう。高山駅から畳平バスターミナルまでをバスが2時間半足らずで結ぶこととなった。文献では、これにより乗鞍岳はハイヒールでも登れる山とも言われたとあったが、それ程容易でもない。
 
<平湯トンネルの開通>
 平湯トンネルが開通したのは昭和53年なので、乗鞍スカイライン開通当時は、まだ平湯峠に国道158号が通じていた。 その為、主要地方道・乗鞍公園線は国道からの分岐点であるこの平湯峠を起点としていた。平湯トンネルが開通してから後、主要地方道・乗鞍公園線は峠から久手側に延長され、一方平湯側の旧道は県道485号となったようだ。それにしても、県道485号は僅か4.1kmだけなのだろうか。
 
<マイカー通行止>
 畳平方向に見ると、車両通行止の道路標識が立つ(左の写真)。いろいろ複雑に条件が書き並べられていて、さっぱり要領を得ない。 じっくり読み解いてみると、バスやタクシーなどを除いた一般車両は、5月15日から10月31日まで終日通行止となる。また11月1日から翌年の5月14日までは、冬期により乗鞍スカイラインは営業中止となる。結局、通年で通れないことを意味しているのだった。

   

<道路看板>
 畳平方面から乗鞍スカイラインを下って来ると、今は左に「高山市街」、右に「平湯」と看板に出ていた。新しく書き変えられた跡が見られたので、以前はどのようになっていたか写真を詳しく見ると、左に「福井 高山」、右に「松本 平湯」とあったようだ。
 
 かつて、ここに国道158号が通じていた時は、確かにその道は福井県の福井市街と長野県の松本市街とを結んでいた。 しかし、今は既に国道ではなく、乗鞍スカイラインを下って来るマイカーもない。シャトルバスは暗黙裡に高山市街方向へと進んで行く。平湯峠は僅かに高山市街と平湯とを分ける分岐点でしかない。ただ、それが本来の平湯峠の峠道でもある。

   

「ここより 平湯」の看板 (撮影 2016.10. 7)

道路看板は新しい (撮影 2016.10. 7)
「上宝村」はそのまま
   

<道路看板>
 久手側から登って来ると、峠は突き当りのT字路となる。こちらにはまだ左へ「松本 63km」とある。この看板を確認する者は、もうほとんど居ないだろう。

   

久手側から峠方向を見る (撮影 2016.10. 7)

久手側から見る道路看板 (撮影 2016.10. 7)
   
   
   
石碑など 
   

<石碑など>
 峠の南東角の見晴らしがいい場所に、石碑などがかたまって立つ。一際大きな石積みの石碑は、中部山岳国立公園のものだ。中央に大きく「平湯峠」と刻まれている。この峠に名前を示した物は少なく、貴重な「平湯峠」の文字である。
 
 新潟・長野・富山・岐阜の4県にまたがる飛騨山脈のほとんど全域が中部山岳国立公園に含まれるそうだ。昭和9年に指定された。広大な山岳地帯となる。


分岐の角に立つ石碑類 (撮影 2016.10. 7)
   
中部山岳国立公園の碑 (撮影 2002. 9.29)
   

中部山岳国立公園の碑 (撮影 2016.10. 7)

中部山岳国立公園の碑 (撮影 2016.10. 7)
「平湯峠」とある
   

<炬火リレー点火地点の碑>
 中部山岳国立公園の碑の右に並んで小さな石碑がある。「炬火リレー点火地点」とある。「炬」の字は「炬燵」(こたつ)で使われるが、「炬火」は「きょか」とか「こか」と読むらしい。 「炬」一字では「かがり」というそうだ。炬火はかがり火や松明(たいまつ)、トーチを表す。碑には1965年(昭和40年)10月21日の日付が刻まれる。その前年には東京オリンピックが開かれていて、国民のスポーツ熱もまだ冷めやらぬ時である。

   
炬火リレー点火地点の碑 (撮影 2002. 9.29)
   

炬火リレー点火地点の碑 (撮影 2016.10. 7)

炬火リレー点火地点の碑 (撮影 2016.10. 7)
   

風景の案内板 (撮影 2016.10. 7)

<風景の案内板>
 眺めの良い平湯峠を象徴して、峠から望める山並みなどを説明した案内板があったようだ。飛騨山脈に連なる山々の名を記していあったものと思う。ただ、もう文字は全く読めない。

   

<円形のテーブル>
 その前にコンクリート造りの円形のテーブルがある。表面には乗鞍岳周辺の案内図が描かれていた。しかし、それも今はもうほとんど読めない。平湯トンネルがが書かれていたので、昭和53年以降に建てられた物と分かる。


円形テーブルの地図 (撮影 2002. 9.29)
   

お堂などが佇む (撮影 2016.10. 7)

<お堂など>
 中部山岳国立公園の碑とは道路を挟んで反対側の山の斜面にも、石碑やお堂がある。斜面を少し登った所に何かの建屋があったが、今は取り払われている。

   
正面に若山牧水の歌碑 (撮影 2002. 9.29)
   

<お堂>
 お堂の中には何基かの石仏が祀ってあった。

   

岩とお堂 (撮影 2016.10. 7)

お堂 (撮影 2016.10. 7)
   
お堂の中の石仏 (撮影 2016.10. 7)
   

<六地蔵?>
 地蔵菩薩には、仏教でいう「六道」、天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄のそれぞれに対応した6つの分身があり、それで六地蔵となるそうだ。 六地蔵越(六地蔵峠)という峠もあったりする。
 
 しかし、このお堂の中には6体以上祀られる。地蔵菩薩以外に不動明王などもいらっしゃるのかもしれない。お姿である程度判断できるらしいのだが、詳しいことは分からない。 それでもこの石仏は、大正12年(1923年)にこの峠に平湯峠道が開通する以前よりある古い物であろう。


石仏 (撮影 2002. 9.29)
ちょっと配置が違うが、今もほとんど変わりがない
   

<若山牧水の歌碑>
 お堂と並び、丁度峠の境となる位置に古い石碑が立っている。若山牧水の歌碑になる。乗鞍岳スカイライン(その前身の軍用道路)の開削などで、峠の南側は大きく削り取られたものと思う。 その為、古いお堂やこの歌碑は、比較的元の峠に近い北側の斜面に移されたのではないだろうか。歌碑の裏側には昭和38年9月の建之日が刻まれている。

   

若山牧水の歌碑 (撮影 2016.10. 7)

若山牧水の歌碑 (撮影 2016.10. 7)
以前は左側の説明板はなかったようだ
   

若山牧水の歌碑 (撮影 2016.10. 7)

歌碑の裏側 (撮影 2016.10. 7)
「昭和三十八年九月」とある
   

<説明板>
 以前はなかったが、今は歌碑の左隣に説明板が立っていて、とても参考になる。それによると、牧水がこの平湯峠を越えたのは、平湯側から高山方面に向かってであり、時は大正10年(1921年)10月とのこと。その前に越えた飛騨山脈は、やはり安房峠を使ったのであろうか。
 
 大正10年とは大正12年の平湯峠道開通の前であり、まだまだかつての細い山道を徒歩で越えたのだろう。安房峠も自動車道の開通前であり、当時の旅の壮絶さがうかがえる。
 
 歌碑の建立の昭和38年は乗鞍スカイライン開通(昭和48年)より前だが、平湯峠は既に乗鞍岳への登山道の起点として使われていたことと思う。その数年後には国民体育大会の炬火リレー点火地点ともなり、平湯峠が最も注目されていた時期ではないだろうか。

   
歌碑の説明板 (撮影 2016.10. 7)
   

 牧水の歌では、峠より高山盆地を広く望んだように受け取れるようだが、今の峠からは、峠直下を西に流れる久手川の狭い谷に切り取られた、狭い景色しか望めない。 元からこの峠は北の輝(てらし)山(2,063m)から南の乗鞍岳方向に延びる稜線上の比較的なだらかな鞍部に位置する。 車道の開削で峠の標高が低くなったと言っても、せいぜい5m〜10mくらいなものではないだろうか。建物がなくなった後の駐車場端より眺める景色と、大差ないと思う。 まだまだ山ひだが幾重にも重なり、その先に飛騨最大の平地となる高山盆地があるようには見えない。ただ、旅の心持ちとして、やっと高山盆地への入口となる平湯峠に登り着き、この先に飛騨高山が待っているのだと、その上空の雲を希望を持って眺めたのではないだろうか。
 
<標高>
 文献や観光パンフレットなどでは峠の標高を1,684mとしている。現在の地形図にも平湯峠の所に「1,684m」と記されていた。 文献の示す標高は、車道開通後の現在の峠のものであろう。標高そのものはかなり大きな数値だが、ここは飛騨山脈の只中にある。平湯の温泉街が既に1,250mの高所にあり、峠との標高差は430m余りとなる。久手側はゆっくり高度を下げるので、国道158号に接続する地点とは300mに満たない高度差だ。

   
   
   
久手側に下る 
   

<久手>
 平湯峠の西側は旧大野郡丹生川村(にゅうかわむら、にうかわむら)であった。その中でも東端に位置するのが久手(くて)だ。湿地帯を表す湫(くて)を由来とするそうで、現在の「久手」は当て字になるのだろう。
 
 江戸期からの久手村で、明治8年に他村と合併して丹生川村が成立、その一部となる。初め丹生川村久手組と称され、明治22年からは大字久手となった。平湯峠を境に東の旧上宝村平湯と接する。過疎地であったが、乗鞍スカイラインの開通などで観光地化が進んだ。

   
峠から久手側に下る道 (撮影 2016.10. 7)
   

<久手川>
 平湯峠は久手川の水源に近く、峠直下より西へと久手川が流れ下る。「久氐(くて)川」とも書いたようだ。谷はなだらかで、そこに通じる道も終始明るく開放的な雰囲気がある。

   

道の様子 (撮影 2016.10. 7)

道の様子 (撮影 2016.10. 7)
快適な道が下る
   

<道の様子>
 峠からの県道5号は国道158号に接続するまで僅か3kmに満たない。その短い距離を2車線路の快適な道が下る。平湯側の県道485号と合わせても、平湯峠を越える旧道の延長は7km弱だ。
 
 峠の下には平湯トンネルが開通していて、多くの場合、こうした旧道は寂れて行く運命だ。しかし、高山市街方面と乗鞍スカイラインを繋ぐルートに当たる為、このように道の改修が進められて来たのだろう。
 
 こちらの道もドラレコ画像を改めて見たが、何らコメントすることが見当たらないない。一台の乗用車とすれ違ったが、一体どこに行くのだろうかと思うばかりだ。 まさか乗鞍スカイラインのマイカー通行止を知らない訳でもないだろう。何かの関係者だろうか。今はもう、一般車が平湯峠に向かう理由が見当たらない。僅かに峠からの眺めが良いくらいだ。

   

<国道158号に接続>
 国道との接続は、早い時期から立体交差であった。1988年5月発行のツーリングマップ(中部 2輪車 昭文社)では、まだ単純な分岐だが、その後の道路地図では立体交差に変わっていた。これも大型観光バスなどの出入りを考慮して改良した結果だろう。

   

国道158号に接続 (撮影 2016.10. 7)

道路看板 (撮影 2016.10. 7)
   

<平湯トンネル>
 立体交差で国道を跨ぐ橋から、平湯トンネルが望める。このトンネルは抜けるだけなら5回は訪れている。安房峠から飛騨高山方面に続く平湯峠を快適にしたこの新道は、ほとんど峠を越えるという意識がないまま通り過ぎてしまう。旧道に並走する距離は約4.3kmとなる。

   
立体交差より平湯トンネル方向を見る (撮影 2016.10. 7)
   

平湯トンネルを望む (撮影 2016.10. 7)

 平湯トンネルは昭和46年(1971年)から工事が開始され、昭和53年(1978年)9月18日に開通している。総工費約100億円、延長2,430m、幅7m、高さ4.7mとのこと。地盤が弱いためハッパ作業ができず、ビック掘での難工事だったそうだ。
 
 道が快適ということ以上に、冬期間の通行が可能という意味は大きい。冬場に旅をしていると、積雪の為に峠が越えられるかどうか、いつも心配の種だ。その点、平湯トンネルは何の支障もなく通れた。

   
平湯トンネルを平湯側に抜けたところ (撮影 2003. 2. 3)
正面の山はアカンダナ山だろうか
この後、安房トンネルへと向かった
   
   
   
国道158号を高山市街方向に(余談) 
   

<国道158号沿い>
 国道158号へと続く平湯峠の道は、もうあまり面白くないのだが、余談として旅の思い出話を少し。
 
 平湯トンネルが冬期でも通れるといっても、その先の安房峠が越えられないと、冬の旅の制限は大きかった。南北に長い飛騨山脈がそびえ、本州の北半分を分断している。 北は日本海沿いの天険・親不知(おやしらず)を抜けるか、南は開田高原の長峰峠を越えて木曽福島まで下らないと東西の行き来が出来なかった。それが安房トンネル開通で、大きな風穴があいたようだ。時期を気にせず、長野・岐阜の県境越えができるようになった。
 
 何でもない国道158号も、冬期に訪れるとなかなか険しい。雪を頂く飛騨山脈を眺め、また一味違う旅の楽しみとなる。

   
国道158号を平湯トンネル方向に見る (撮影 2003. 2. 3)
左手の看板には
「ひだ乗鞍 ペンタピア スノーワールド」
「観光案内・レストラン サンハイネス」
とあるが、今はもうこうした施設はないようだ
現在の五色ヶ原入山口付近
   

<朴の木平入口>
 やや屈曲しながら久手川沿いに少し下ると「朴の木平」がある。最近は「ほおのき平」と書くようだ。元は朴の木平スキー場だったが、乗鞍スカイラインがマイカー通行止となった後は、畳平へのシャトルバスの発着場ともなっている。看板には「乗鞍ほおのき平バスターミナル」と出ていた。

   

ほおの木平の看板 (撮影 2016.10. 7)
国道158号を高山市街方向に見る

ほおの木平の看板 (撮影 2016.10. 7)
スキー場はバスターミナルも兼用する
   

<立体交差>
 朴の木平は国道とは反対側の左岸にあり、国道と立体交差して分かれ、朴の木大橋を渡って行く。


右に朴の木平への入口 (撮影 2016.10. 7)
朴の木平は左手にある
   
朴の木平スキー場の看板 (撮影 2003. 2. 3)
平湯トンネル方向に見る
   

<ある冬の旅(余談)>
 1995年の5月5日は春の連休・ゴールデンウィークの最終日だった。今日中に高山市街方面から平湯トンネル・安房峠と越えて帰宅する予定である。 国道158号をのんびり走っていると、防災無線が安房峠が通行止になっていることを報じているではないか。 朴の木平入口に立っていた道路情報の看板にも、「国道158号線 通行止 安房峠」と出ていた。事前に安房峠の冬期通行止が解除されたことを確認してから出て来た旅であったが、不意な降雪で急きょ通行止となったようだ。この時、まだ安房トンネルは開通していない。

   
以前の朴の木平入口 (撮影 1995. 5. 5)
平湯トンネル方向に見る
安房峠が通行止と看板にあった
   

 朴の木平入口の脇にジムニーを停め、暫く様子を窺う。ラジオを点けてみたりするが、何の情報も得られない。スマホも携帯電話もない時代では、ただただ漫然としているしかない。 これではらちが明かないと、取りあえず平湯まで行ってみることとした。周囲にほとんど積雪は見られず、うまくすると安房峠は再開しているかと期待した。
 
 平湯トンネルを抜け、平湯の温泉街まで来ると、残念ながら安房峠方向の国道158号はしっかり通行止であった。これで諦めがついたが、それからが大変である。 何とかして冬の飛騨山脈を越えなければならない。安房峠の南には野麦峠が通じるが、こちらの冬期通行止はもっと長く、この時期に越えられる筈はない。
 
 再び平湯トンネルを抜け、一旦高山市街近くまで引き返して国道361号に入る。ひたすら走って長峰峠で岐阜・長野の県境を越え、木曽福島まで南下すると、今度は木曽路(国道19号)を北上して塩尻方面へと向かった。 前日は体調を崩して散々な野宿だったが、今日は更に長距離走行を強いられる羽目となったのだった。

   

<朴の木平の様子>
 ゲレンデに隣接して広い駐車場と宿泊施設などが立ち並ぶ。多くの車が停められていたが、バスを使って乗鞍登山へと向かっているのだろう。 駐車場の片隅に新しそうなバス乗り場が立っていた。乗鞍の畳平に通じるバス路線は乗鞍線と呼ばれる。平湯温泉を起点に、ほおのき平を経由し、乗鞍(畳平)を結んでいるようだ。

   

朴の木平のバスのりば (撮影 2016.10. 7)

朴の木平の様子 (撮影 2016.10. 7)
奥がスキー場
   
冬場の国道158号の様子 (撮影 2003. 2. 3)
大洲付近より平湯峠方向を見る
   

<峠道終点>
 国道158号は久手川沿いからその本流の小八賀川(こはちががわ)沿いになる。小八賀川の源流は乗鞍岳方面で、そちらには峠らしい峠はない。小八賀川沿いは引き続き平湯峠の峠道と言ってよさそうだ。
 
 ただ、丹生川町町方(まちかた)で国道は南の高山市街方向に折れて行く。一方、小八賀川は高山市街の北5km程で宮川に注ぐ。道としては県道89号・高山上宝線が通じるが、そこまで忠実に峠道を走ったことはない。

   
国道158号を峠方向に見る (撮影 2003. 2. 3)
町方(まちかた)付近
遠くに雪の飛騨山脈を望む
   
   
   

 去年(2016年)訪れてみると、峠の様子が随分変わってしまっていたので、以前はどんな峠だったかと、思い出すついでにこのページを作ったようなものであった。峠の魅力を引き出すことより、やはり旅の思い出に浸っただけの、平湯峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1993. 9.11 乗鞍スカイライン→平湯峠→久手 ジムニーにて
・1995. 5. 5 久手→平湯トンネル→平湯→平湯トンネル→久手 ジムニーにて
・2001. 7.30 久手→平湯トンネル→平湯 ジムニーにて
・2002. 9.29 乗鞍スカイライン→平湯峠→平湯 キャミにて
・2003. 2. 3 久手→平湯トンネル→平湯 キャミにて
(2003. 8.16 平湯より安房峠へ キャミにて)
(2008. 8.16 平湯より安房トンネルへ パジェロ・ミニにて)
・2016.10. 7 平湯→平湯峠→久手→平湯トンネル→平湯 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年 1月 発行 昭文社
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
   
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