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蛭ヶ野峠
  ひるがのとうげ  (峠と旅 No.314)
  分水嶺公園で知られた峠道
  (掲載 2021. 5.19  最終峠走行 2016.10.10)
   
   
   
蛭ヶ野峠 (撮影 2016.10.10)
手前は岐阜県郡上市高鷲町ひるがの
奥は同市同町西洞
道は国道156号・飛騨街道(158号との重複区間)
峠の標高は875.95m (峠に立つ分水嶺の石碑の碑文より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
この右手に「ひるがの分水嶺公園」が広がる
 
 

概要

   

<長良川源流の峠>
 昨年(2020年)は世間のコロナ禍や自分自身の体調不良もあって、全く旅に出掛けられなかった。こんな状況は社会人になって初めての経験である。 再び旅ができるようになったらどこに行きたいかなどと、妻とは空しい会話をするばかりの日々だ。 また行きたい峠としては高倉峠(こうくら)などがいいなと思う。 岐阜と福井の県境を塚林道という車道で越える。しかし、この峠道はここ何年も通行止が続き、再び訪れることは無理のようだ。
 
 ところで、高倉峠は木曽三川(さんせん)の一つ、揖斐川(いびがわ)の最上流部に位置する。 また、木曽川を遡ると木曽谷に沿って中山道が通じ、鳥居峠を越えて行く。 更に木曽川源流部には鉢盛峠がある。
 
 それでは残る長良川の最上流部はと言うと、はて、何の峠があったかさっぱり思い出せない。 あまり気になるので道路地図を出して調べてみると、長良川源流の地となる蛭ヶ野高原を国道156号が越えて行く。峠に当たる部分には分水嶺公園もあるのだが、地図のどこにも峠名の記載がない。 分水嶺公園を訪れた時の写真まで調べてみて、やっと蛭ヶ野峠と呼ぶことを思い出した。

   

<所在>
 峠は岐阜県郡上市(ぐじょうし)高鷲町(たかすちょう)西洞(にしぼら)と同町ひるがのの境にほぼ位置するようだ。かつての郡上郡(ぐじょうぐん)高鷲村(たかすむら)大字西洞の中にあり、多分字境になるのではないかと思う。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<立地>
 長良川最上流部ということもあり、峠は中央分水嶺に立地する。本州を太平洋側と日本海側に分けて連なる峰々の頂上にあるのだ。 一般には県境になっていてもおかしくないが、峠一帯は旧高鷲村大字西洞の中にある。江戸期からの西洞村となる。どういう訳か岐阜県北部は日本海側の水域まで領域を伸ばしている。
 
<位山分水嶺>
 この辺りに通じる分水界を成す峰は位山(くらいやま)分水嶺と呼ばれるようだ(狭い範囲では蛭ケ野分水嶺とも呼ぶ)。東の位山から西の大日ヶ岳(だいにちがたけ、だいにちがだけ)へと連なる。峠は大日ヶ岳東麓の鞍部に位置する。位山と言えば位山峠を思い起こすが、位山峠自身は中央分水嶺上にはなく、位山より北に位置する苅安峠に中央分水界が通る。苅安峠にも分水嶺公園があった(位山峠参照)。
 
 余談ながら苅安峠から蛭ヶ野峠に至る間の分水嶺上の主な峠としては、県道453号・宮清見線の峠、西ウレ峠、山中峠、県道452号・惣則高鷲線の峠などがある。そのいくつかは随分昔に越えた経験がある。ただ、県道452号の峠は以前は車道が未開通で、結局今まで訪れたことがない。

   
県道453号・宮清見線の峠 (撮影 1995. 5. 4)
高山市(旧宮村)側から清見町(旧清見村)方向に見る
当時の峠道はまだ県道昇格前で、旧清見村側は未舗装の林道だった
道の名も峠の名も分からなかった
この時のことは「野宿実例集 No.10」で少し触れている
   
西ウレ峠 (撮影 1997. 9.21)
高山市清見町楢谷方向から巣野俣方向に見る
県道73号・飛騨せせらぎ街道(郡上街道)の峠
広々とした峠
ここにも分水嶺を示す石碑が立つ

   
山中峠 (撮影 1993. 9.12)
 高山市(旧荘川村)側から郡上市(旧明宝村)方向に見る
やって来る者など人っ子一人居ない寂しい峠
今頃はどんな峠になっているのだろうか

   

<蛭ヶ野高原>
 これら位山分水嶺を越える峠の特徴の一つは、地形的に峠道が穏やかな傾向にある点だ。峠自身も広々としていることが多い。苅安峠などはあまりに広過ぎてとても峠とは思えない有様だ。 中央分水嶺を越える峠と聞くと、つい険しい山脈を越える険しい峠道を想像しがちだが、この地では少し事情が違う。
 
 今回の蛭ヶ野峠についても同様で、峠の北東側(ひるがの方面)はほとんど傾斜がなく、蛭ヶ野高原と呼ばれる平坦地が広がる。南西側(西洞方面)にはさすがに勾配が急な坂道が下るが、分水嶺公園がなければ峠の存在に気付かない程だ。

   

<水系>
 峠の太平洋側は長良川(木曽川水系)の源流の一つとなる叺谷(カマス谷、かますだに)の水域にあるようだ。叺谷は大日ヶ岳の東斜面に発しており、この川を長良川の源流とする説がある。 一方、東に位置する見当山(1,352m)の西斜面から西流する川を本谷とも呼ぶが、これを長良川の源流とする説もあるようだ。 どこまでを長良川とするかははっきりしないが、少なくとも叺谷と本谷が合流した以降を長良川と呼ぶことは間違いない。本谷部分を長良川と記す地図もあるようだ。
 
 峠の日本海側は庄川(しょうかわ)の水系で、庄川上流部の支流・御手洗川の源流部に峠は位置する。一方、庄川本流の源頭部には山中峠がある。

   

<峠名>
 蛭ヶ野峠という名称は一般の道路地図などではまず見掛けない。しかし、現地に立つ石碑にこの名が刻まれているので、この峠名が存在することは間違いないだろう。地形図では峠名の代わりに、峠の位置にその石碑を示す記念碑記号が描かれている。
 
<蛭ヶ野>
 峠名となる「蛭ヶ野」は「蛭ヶ野高原」などと呼ばれるこの地を示す「蛭ヶ野」から来ていると思っていいだろう。「蛭」(ヒル)とあるからには、あの血を吸う蛭が多い地だからの由来と想像できるが、案の定らしい。文献(角川日本地名大辞典)によると、「鮎走由緒書」に「大日ヶ岳より泰澄大師(たいちょうだいし)道を東にとり、西洞の野に下り玉ふ。野に大池あり、蛭数多住めり、蛭ヶ野と名づく」とあるそうだ。泉鏡花の「高野聖」(天生峠を舞台にした話)ではないが、峠道に蛭は付き物である。
 
<ひるがの>
 最近は「蛭」という字が一般に読み難いのか、あるいは蛭があまり好ましくない為か、平仮名で「ひるがの」と書くことが多い。例を挙げれば「ひるがの高原スキー場」などである。 今では高原一帯の開発も進み、実際に蛭の生存域が減ったかもしれない。しかし、一たび山の中に入ればきっとあの気持ちの悪い蛭が鎌首をもたげて、待ち構えているに違いない。 「ひるがの」などと書くと何のことだか分からないが、「蛭ヶ野」のなら経験者だったら直ぐにも塩を用意する。

   
   
   

峠へ

   

<余談>
 今回の旅(2016年10月)は長野県の乗鞍高原を主目的とし、それに続いて岐阜県・富山県をあっちこっちフラフラと7日間さまよった。 4日目となる昨日は岐阜県郡上市高鷲町鷲見(わしみ)にある郡上高原ホテルに宿を取ることができた。調べてみると、最近は郡上ヴァカンス村ホテルと改名された様だ。 スキー場が隣接していて、見当山の西麓に位置する。本谷を源流とするなら、正しく長良川本流の源流部にそのホテルはある。ホテルより北西方向に向かって標高1,000m近い広々とした蛭ヶ野高原が広がる。
 
 今朝はホテルを発つと、まずはホテルの真北にあるゴルフクラブの裏手の道を進んだ。その名もない寂れた道が長良川水系から庄川水系へと中央分水嶺を越えるのだ。 この辺りの蛭ヶ野高原の中に分水界が通じるので、何気ないちょっとした道が太平洋側と日本海側を繋いでいることになる。 車を進めると、ちょっとした林の中に分水嶺上の峠らしい場所を見付けた。しかし、何の看板も何の味わいもない。あえなく引き返す。
 
 県道321号・通称やまびこロードに乗って国道156号へと向かう。この県道の途中で木曽川水系から庄川水系に入るのだが、車で走っていてもどこで分水界を跨いだかさっぱり分からない始末だ。県道が国道156号に突き当たった時は既に庄川水系内に居る。

   

<国道156号>
 国道156号が越える蛭ヶ野峠の部分は、国道158号との重複区間でもある。国道156号の方は概ね、南は長良川沿い、北は庄川沿いに通じるので、正しくこの2大河川の分水界を越える峠道と言える。この国道の一部は飛騨街道・郡上街道・白川街道などと呼ばれる。

   
国道156号を峠に向かう (撮影 2016.10.10)
ひるがの湿原植物園前を過ぎる
道は水平移動を続けるばかり 
   

 峠まで後500m位と近付いたが、道は一向に登って行かない。快適な2車線路が水平移動して行く。 国道156号の難所はこの中央分水嶺を越える蛭ヶ野峠ではなく、もっと庄川沿いを北に下った富山県との県境付近になる。川岸に断崖が連続した険しい地で、そこに自動車道が開通したのは昭和28年だそうだ。 その後、昭和33年に国道へと昇格している。

   

蛭ヶ野峠 (撮影 2016.10.10)
奥が西洞方面、手前がひるがの方向
この右手が分水嶺公園

<峠の様子>
 道の先が急に下り始めるその直前、「分水嶺公園」という案内看板が立つ。そこが峠になる。道は快適だし、全然登らないしで、ついつい行き過ぎてしまいそうだ。 20年前にこの付近をよく旅したが、その時は分水嶺公園には何の関心もないので、立ち止ることなどなく、あっさり通り過ぎてしまっていた。
 
 看板が指す公園方向を見ると、入口手前に車9台ほどの駐車スペースが確保されている。1箇所は身障者用。無料なので立寄るには便利だ。 目的は公園ではなく、峠の見学なのだが、都合よく使わせて頂く。先客の車が一台停まる。公園への入口を中央に、左手に「分水嶺公園」、右手に「分水嶺」と刻まれた石碑が立つ。

   
国道側より分水嶺公園方向を見る (撮影 2016.10.10)
左に「分水嶺公園」、右手に「分水嶺」の碑が立つ 
   

 峠から今来たひるがの方向を望むと、真っ平の道がどこまでも延びている。ここが峠、しかも中央分水嶺を越える峠などとは全く思えない。 本来ならこの「峠と旅」で取り上げるようなことはなかったのだろうが、まあ、長良川源流の峠ということで今回の登場となった。また、以前はただただ車を走らせてばかりの旅だったが、近年はちょこちょこ立ち寄ることにしている。それで蛭ヶ野峠にも訪れることとなった。
 
 駐車スペースに隣接して白鳥交通の「分水嶺公園」バス停が立つ。道路を挟んで公園とは反対側にも駐車場らしき敷地があり、一角に公衆トイレもあって便利だ。
 
 峠周辺にはゆったり建物が点在する。人家は少なそうだ。店舗が多いが、あまり賑わった様子はない。前を行く国道の交通量も少なく、のんびりした雰囲気の峠である。


峠よりひるがの方向を見る (撮影 2016.10.10)
全く峠らしくない
   

分水嶺の碑 (撮影 2016.10.10)

<分水嶺の碑>
 この地は峠というより分水嶺として名が知られている。大きく「分水嶺」と刻まれた石碑がそれを示している。しかし、よくよく見ると「蛭ヶ野峠」とも書かれているのだ。 この峠名はあまり世間には知られていない。私もこれを見て初めて峠の名を知った。碑文では蛭ヶ野峠は日本内地のほぼ中央部にあるとも記している。
 
<標高>
 また、峠の標高は875.95mと碑文にある。碑の建立は昭和51年(1976年)10月でその当時の数値と考える。現在の地形図では、峠の直ぐ近くに875mとの値が記されている。

   

<峠の住所>
 碑文では郡上市になる前の峠の住所を、郡上郡(ぐじょうぐん)高鷲村(たかすむら)大字西洞(にしぼら)字蛭ヶ野としている。
 
 江戸期からの西洞村は明治30年(1897年)に大鷲(おおわし)・鮎立(あいたて)・鷲見(わしみ)の3か村と合併して高鷲村となり、それ以降旧西洞村は大字西洞となった。
 
 大字西洞の時代は峠の前後を含めた広い範囲を示したようだが、郡上市になってからは北部の一部が高鷲町ひるがのとなり、西洞と呼ぶ範囲(高鷲町西洞)は狭くなったようだ。 これにより、峠はほぼ高鷲町ひるがのと高鷲町西洞との境に位置することになったと言える。少しは中央分水界らしい。
 
<釜ヶ洞>
 旧大字西洞内の字として蛭ヶ野があったことは碑文で明白だが、他にもいろいろな字があった筈だ。峠を高鷲町西洞方面に下ると直ぐに釜ヶ洞という地名が道路地図や地形図に見られる。 そこで、蛭ヶ野峠は字蛭ヶ野と字釜ヶ洞の境ではなかったかと勝手に想像するのだが、どうだろうか。


分水嶺の碑 (撮影 2016.10.10)
右端に「蛭ヶ野峠」とある
   

碑文 (撮影 2016.10.10)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<分水嶺>
 碑文では当然ながら分水嶺について物語っている。1.709mの大日嶽より下って来た清流が、この蛭ヶ野峠で太平洋側の長良川と日本海側の庄川に分かれるとしている。その清流は長良川の源流とも書いているので、ここでは大日ヶ岳説を採用していることになる。
 
 尚、大日ヶ岳(だいにちがたけ)は大日岳(嶽)(だいにちだけ)とも呼ぶそうで、峠より国道を西洞方向に2Km余り下ると道の駅・大日岳というのがある。

   
   
   

分水嶺公園へ

   

分水嶺公園入口 (撮影 2016.10.10)

<分水嶺公園>
 ついでなので分水嶺公園を散策する。林の中に入ると、分水嶺を象徴するモニュメントが造られている。一筋の小さな水の流れが二手に分かれて行く。一つは太平洋へ、一つは日本海へである。もちろんこれは人工的に造られた流れで、他の分水嶺でも同じような物を見掛ける。
 
 分かれた先は暗渠へと入って行き、その行方は分からない。道路脇の側溝にでも繋がっているのだろうか。 太平洋側に流れた水は叺谷へと下って行き、日本海側への流れは御手洗川へと注ぐものと思う。鮎走由緒書に西洞の野に大池ありとあるように、かつてのこの付近一帯は湿原地であったようだ。 水の流れなど混とんとしていたことだろう。

   
分水嶺を示すモニュメント (撮影 2016.10.10)
左は太平洋へ、右は日本海へ 
   
分水嶺を示すモニュメント (撮影 2016.10.10)
前の写真の場所を裏側より見る
先客の若いカップルが見学していた
   

「一掘一墾」の碑 (撮影 2016.10.10)

<石碑など>
 園内には歌碑なども点在する。「飛騨・美濃紅葉三十三選の地 ひるがの高原」などとも紹介されていた。園内には山の方、水源へと道が続いていたが、あまり入り込むと蛭が待ち構えているかもしれないので、直ぐに引き返して来た。
 
<蛭ヶ野の開発>
 この蛭ヶ野の高原が開発されたのは、それ程古いことではないようだ。園内に建つ「一掘一墾」という碑の碑文に簡単な説明がされている。 中屋さんという夫婦が明治40年(1907年)に居住したのが最初となるようだ。飛騨と美濃を結ぶ要衝となるこの蛭ヶ野峠に冬季避難小屋を設けたとある。 現在は立派な国道156号が通じ、さほどの苦労もなく行き来できるが、この地は高原と言えども標高1,000m近い高地である。 夫婦が営んだお助け小屋に助けられた旅人は多かったことだろう。それを機に蛭ヶ野高原は発展し、現在は高原野菜なども栽培される。

   
碑文 (撮影 2016.10.10)
   

 また文献(角川日本地名大辞典)には、戦後直ぐの昭和21年(1946年)に復員者・引揚者・戦災者から成る大日開拓団が結成され、この地で開拓を始めたとある。 当初は酪農を営んでいたそうだ。昭和38年頃からスキーブームが到来し、相次いでスキー場・キャンプ場・別荘地が開発されていった。現在の国道156号沿いなどを眺めると、やは りどこか観光地らしい雰囲気が漂う。

   
分水嶺公園奥より国道方向を見る (撮影 2016.10.10)
大日ヶ岳に発するという清水が流れ下る
若いカップルが分水嶺のモニュメントを覗いている
これ以上源流方向に深入りすると、蛭の危険があるかもしれないので、この辺りで引き返す
   
   
   

西洞側

   

叺谷を渡る (撮影 2016.10.10)

<西洞側へ>
 峠を後に高鷲町西洞(にしぼら)方面へ進む。道は叺谷(かますだに)の左岸の崖を一気に下って行く。さすがに峠道らしい様相だ。沿道に建物などはない。

   

<叺谷>
 下ること約1Km、急カーブで叺谷を渡る。右岸沿いの上流方向へと道が分かれていた。入口に「長良川源流」、「夫婦滝 長良川最上流の滝」などと看板が立つ。脇に駐車スペースがあり、夫婦滝までは歩くようだ。地図で見ると150m位ある。更にその上流には長良川源流の碑も建っているようだ。
 
 これらからすると、如何にもこの叺谷の方が長良川の源流だと主張していることになる。見当山から流れる本谷はどうなるのだろうか。まあ「源流」は2通りあってもいいのかもしれない。

   
叺谷右岸の道 (撮影 2016.10.10)
   

ひるがの高原SAからの眺め (撮影 2016.10.9)
左手が大日ヶ岳
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<ひるがの高原SA(余談)>
 かつてはお助け小屋が活躍するような蛭ヶ野高原であったが、今では東海北陸自動車道も開通している。 高原区間には「ひるがの高原サービスエリア」があり、スマートICに対応しているので、この地を訪れるには便利だ。サービスエリアの名称に「蛭ヶ野」ではなく「ひるがの」が使われているのも世の趨勢だろう。

   

<大日ヶ岳>
 サービスエリアは大日ヶ岳を望む展望地である。案内看板によると、大日ヶ岳は泰澄大師(たいちょうだいし)による開山と伝わり、頂上には大日如来が奉られているとのことだ。 それが「大日ヶ岳」の名の由来ともなった。泰澄大師は白山への道を開く為、この大日ヶ岳に登っそうだ。


ひるがの高原SAの案内看板 (撮影 2016.10.9)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 中央分水嶺の蛭ヶ野峠を越える道は、太平洋岸の伊勢湾から日本海岸の富山湾までを結ぶ壮大な峠道とも言える。その頂上に立つのが蛭ヶ野峠だ。 しかし、峠道の全線を追う訳にはいかないので、今回は峠部分のみの掲載となった。

   
   
   

<余談>
 去年から今年に掛けて体調不良が続き、4月には入院する事態にもなった。旅行に出られないばかりか、パソコンの前に長く座っているだけでもきつい。身体のあちこちがガタガタだ。生きているということはなかなか辛いものである。
 
 それでもこうしてホームページを作っている時間は比較的楽しく過ごせる。前回の更新から1年近く経ち、やっと少しパソコンに向かえるようにもなった。 旅に出られない代わり、写真を眺めながら過去に訪れた旅先でのことを思い出すのも面白い。そんな中、名前さえ忘れていたのを再び思い起こした、蛭ヶ野峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1995. 5. 2  蛭ヶ野 → 西洞 (ジムニーにて)
・2016.10.10 蛭ヶ野 → 西洞 (ハスラーにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 21 岐阜県 昭和55年 9月20日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中部 2輪車 ツーリングマップ 1988年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 21 岐阜県 2001年1月発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2021 Copyright 蓑上誠一>
   
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