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細野峠
  ほそのとうげ  (峠と旅 No.263)
  かつて大塩と桧原を繋いだ車道の峠道
  (掲載 2016. 8.18  最終峠走行 1994. 8.13)
   
   
   
細野峠 (撮影 1994. 8.13)
峠は福島県耶麻郡(まやぐん)北塩原村(きたしおばらむら)大字桧原(ひばら)にある
手前は大字桧原の細野方向(桧原湖方面)
奥は大字大塩(おおしお)の大塩集落方向
道は旧主要地方道・喜多方北塩原線
峠の標高は865m前後 (地形図などより)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

   

峠の道路看板 (撮影 1994. 8.13)

 大塩峠(旧萱峠)、 蘭峠(あららぎとうげ)と続いて掲載したので、ついでとばかりに、それらの峠と深く関わるこの細野峠を取り上げようと思う。 ただ、この峠を越えたのは22年前に一度のみ、それも峠を撮った写真がたった一枚残るだけだ(上の写真)。 この峠道は既に廃道となり、通常の手段ではもう二度と訪れることができない峠となっている。
 
<峠の所在>
 峠には道路看板が一つ立ち、「喜多方 19.2km 大塩 9.0km」とあった。この峠を西(喜多方方面)に下ると、北塩原村大字大塩(以後大塩地区)に入り、その中心地である大塩集落に至る。看板の「大塩」とはその大塩集落を指すものと思う。
 
 一方、峠を東に下ると、1km余りで直ぐに桧原湖(ひばらこ)西岸に通じる県道(主要地方道)64号・会津若松裏磐梯線に接続する。桧原湖を中心とする北塩原村の広い範囲は大字桧原(以後桧原地区)の地となる。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<大塩と桧原を繋ぐ車道>
 桧原湖などがある裏磐梯へのアクセス路は、南から国道115号(国道459号に接続)や磐梯(山)ゴールドライン、東からは磐梯吾妻レークライン、 ちょっと工夫して北の山形県方面から西吾妻スカイバレー(最近はバレーラインと呼ぶそうだ)で白布峠(しらぶとうげ)を越えるルートがある。 そして、同じ北塩原村の西側からは快適な完全2車線路の国道459号が大塩地区から桧原地区へと取上峠を越えて来る。 この道は通称・ひばらビューラインと呼ぶそうだ。どれも観光地裏磐梯にふさわしいネーミングとなっている。
 
 しかし、大塩地区と桧原地区が車道で結ばれたのは、やっと昭和29年(1954年)になってからのことだったらしい。 その時、細野峠に林道桧原大塩線が通じた。同年3月31日には、北山村、大塩村、桧原村の3か村が合併して北塩原村が成立している。 同じ村同士となった桧原地区と大塩地区方面(村の中心地)との交通の為、車道開削が望まれたのだろう。 また、この道は生活路としてだけでなく、林産資源開発も目的として桧原地区で生産された木炭や木地の輸送に貢献したようだ。

   

<細野峠開通以前>
 細野峠に車道が開通する以前、江戸期からの大塩村と桧原村を結んで、主に2筋の道が通じていたようだ。
 
 喜多方市街から国道459号をやって来ると、大塩地区の大塩集落に至る。集落の中心地で国道は大塩川を大塩橋で渡る。その付近は大塩裏磐梯温泉の温泉地として知られ、旅館や民宿などが点在する。
 
 橋を渡った所で、左に細い道が分かれる(下の写真)。看板などないが、それは村道大塩桧原線で、この大塩集落から大塩峠(旧萱峠)・蘭峠と越えて桧原地区の桧原集落までを結んでいる。この道筋が、古くからあった「会津・米沢街道」(単に米沢街道とも)にほぼ等しい。
 
 一方、大塩川沿いに今の国道と近い道筋で旧桧原村へと通じていたのは「猪苗代道」と呼ばれたようだ。

 
大塩橋付近 (撮影 2016. 6.13)
左折が村道大塩桧原線、直進が国道459号
右端に「旧米沢街道史跡案内図」の看板が立つ
   

「旧米沢街道史跡案内図」の一部 (撮影 2016. 6.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<猪苗代道>
 大塩橋の袂に「旧米沢街道史跡案内図」と題した看板が立ち、大塩集落と桧原地区とを結んでいる道の概要が分かる。細野峠は既に廃道だが、その道筋もまだ描かれている。ただ、旧猪苗代道については記されていない。
 
 代わりに、村道大塩桧原線に少し入ると、「会津・米沢街道と大塩宿」と書かれた看板が立ち、それに旧猪苗代道の道筋が描かれている(下の写真)。 概ね細野峠方向に大塩川を遡るが、途中から分かれて滝ノ原集落を通り、現在国道が越える取上峠付近を越えて雄子沢(おしざわ)集落方面へと下っていたようだ。
 
 看板には滝ノ原集落付近に「通行不可」と書かれている。滝ノ原は旧大塩村の中では最も東の山中に位置し、木地師が住み着いことによってできた集落だったそうだ。道は途絶え、集落も既に無住のことと思う。

   

<分岐点>
 大塩橋の近くに温泉神社があるが、その参道の石段横に、「右ハいなわ志ろ道、左ハよねざわ道」と刻まれた古い道標が立つ。 かつて、ここが会津・米沢街道と猪苗代道との分岐点であったことを示している。主にこの2つの道筋が、細野峠開通以前に大塩村と桧原村を結んでいたようだ。
 
<細野峠開通>
 大塩集落は会津・米沢街道の宿駅であった。そのことからしても、猪苗代道より会津・米沢街道の方が重要な道であったろうと思われる。 しかし、大峠隧道の開通(明治17年)で会津若松市街と米沢市街とを結ぶ幹線路の役割は大峠に譲ることとなる。 また、明治21年には磐梯山の噴火で会津・米沢街道の宿駅であった旧桧原集落は猪苗代湖に沈んでしまった。 こうして大塩方面と桧原湖北部を結ぶ道の必要性は失われていったものと思う。 そんなこともあり、より桧原湖南部に通じる旧猪苗代道に近い道筋で、細野峠の車道が開通したのではないだろうか。


、「会津・米沢街道と大塩宿」の一部 (撮影 2016. 6.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<細野峠開通以降>
 大塩地区と桧原地区を結んだ初めての車道だった細野峠ではあったが、峠前後は細い道が続いた。 1994年8月に越えた時はまだ現役の主要地方道・喜多方北塩原線だったと思うが、その後間もなく、細野峠より更に南の取上峠を越える国道459号に換線されてしまったようだ。少なくとも手持ちの1996年発行の道路地図からは、主要地方道・喜多方北塩原はなくなっている。

   

<取上峠>
 現在の国道459号の取上峠を大塩方向(西)に少し下ると、スノーシェッドの手前で南へ細い道が分岐する。 地形図を見ると、峠を一つ越えて雄子沢(おしざわ)集落へと下る道のようだ。これが旧猪苗代道の名残かもしれない。
 
 そもそも、国道が越えるのは新しい取上峠で、そこより100m程南で旧猪苗代道が越えていたのが、本来の取上峠であろう。まだ、峠道が残っているのかもしれない。ただ、雄子沢集落以降の旧猪苗代道の道筋は、磐梯山噴火の折り泥流に押し流され、今は跡形もない。
 
 現在の国道の取上峠は非常になだらかな坂道になっている(下の写真)。道の最高所もどこにあるのか良く分からない程で、あまり峠らしくない。


旧猪苗代道入口? (撮影 2016. 6.14)
国道459号を大塩方向に見る
   

国道の取上峠 (撮影 2016. 6.14)
桧原湖方向に見る
なだらかな峠

国道の取上峠 (撮影 2016. 6.14)
大塩方向に見る
   

<水域>
 福島・山形の県境近く、北塩原村と喜多方市の境にそびえる高曽根山から、南に蘭峠・八森山・細野峠・取上峠と続く尾根は、西の大塩川水域と東の桧原湖の水域との大きな分水界となる。 桧原湖からは長瀬川(ながせがわ)が猪苗代湖に下るので、大塩川と長瀬川(正確にはその支流)の分水界とも言える。
 
 猪苗代湖からは日橋川(にっぱしがわ)が排水河川となるが、大塩川はその日橋川の支流の一つなので、日橋川にとっては全て同じ水域にあることになる。
 
 蘭・細野・取上とも、こうした明確な分水界に位置する峠だが、不思議なことに桧原地区と大塩地区との境にはなっていない。桧原地区は広大で、大塩川の水域にまで入り込んでいる。

   

国道を桧原湖方向に下る (撮影 2016. 6.14)
また別のスノーシェッドがある

<国道459号>
 細野峠は桧原地区の森林開発を目的として車道開削が行われたが、現在の国道459号はもっぱら観光道路としての色合いが強い。 喜多方市街方面から裏磐梯観光の中心地ともなる剣ケ峯まで、完全な2車線路が通じている。 細野峠を越えた主要地方道・喜多方北塩原線が、桧原湖北部の早稲沢(わせざわ)集落に向かったのとは対照的だ。 これでゴールドライン・レークライン・バレーライン(旧スカイバレー)に、新たにビューラインが加わり、西からの裏磐梯高原へのアクセス路も完璧となった。取上峠を桧原湖側に下ると、道の駅・裏磐梯が開設されていて、観光客で賑わっている。

   
国道を桧原湖方面に下る (撮影 2016. 6.14)
快適な道が続く
   
道の駅・裏磐梯が出て来る (撮影 2016. 6.14)
   

<道の駅・裏磐梯(余談)>
 道の駅の案内看板には北塩原村の紹介が書かれてあった(下の写真)。旧米沢街道についても少し触れられている。その旧跡を訪れるなら、こちらの取上峠ではなく、是非大塩峠・蘭峠を越えてもらいたいものだと思う。

   

道の駅の案内看板 (撮影 2016. 6.14)

看板の説明文 (撮影 2016. 6.14)
北塩原村について書かれている
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

 道の駅には「裏磐梯ビューパーク」という名称も付いている。国道の方も「ひばらビューライン」だった。しかし、なかなか桧原湖を望む良い場所がない。 やっと道の駅の建物の奥に展望所があるのを見付けた。三角屋根の建物だ。そこからどうにか湖を望むことができた(下の写真)。

   
道の駅の展望所から桧原湖を望む (撮影 2016. 6.14)
   
   
   
峠の細野側 
   

<県道64号
 桧原側から少しでも細野峠に行けないかと、桧原湖西岸に通じる県道(主)64号・会津若松裏磐梯線を北上する。この道は旧喜多方北塩原線から引き継ぎ、国道459号とバレーライン起点の早稲沢までを結ぶ。「早稲沢12km」と看板に出ていた。


県道64号を北上する (撮影 2016. 6.14)
左に「大塩」への分岐
   

分岐の看板 (撮影 2016. 6.14)

<分岐>
 国道から分かれて2km程進むと、分岐を示す看板が出て来た。行先は「大塩」とある。これが細野峠の桧原側の入口だ。

   

<細野>
 峠の名前ともなる細野は桧原村に31あったと言われる集落の一つだ。地形図なのでは細野峠入口近くにその地名が見える。しかし、明治21年の磐梯山噴火により、秋元、雄子沢の集落と同様、細野は一瞬にして泥流に飲み込まれ、全滅している。
 
 現在、細野峠への分岐近くに「史跡 細野牧場跡」といった標柱が立つが、この付近も細野の一部だったのだろうか。しかし、現在の細野には人家はほとんど見られず、集落といった様相はない。


細野牧場跡の標柱 (撮影 2016. 6.14)
   

<細野峠の道>
 国道から分かれて細野峠の道に入ったが、数10mで直ぐにも諦めざるを得なかった。ゲートは壊れ、多分通行止を示す看板さえも朽ちている。その先の道も、車が進めるような状況ではない。細野峠が越えられる日は、もう二度と来ないと確信した。

   

細野峠の道に入る (撮影 2016. 6.14)

直ぐに通行止 (撮影 2016. 6.14)
   

野鳥の森の駐車場 (撮影 2016. 6.14)
トイレなどがある

<細野付近>
 今の細野に集落はないが、キャンプ場や「裏磐梯野鳥の森」といった施設が県道沿いに点在する。この付近も裏磐梯高原としての観光地化が行われている様子だった。
 
 目の前には桧原湖を望む。幾つもの小さな島が湖面に浮かぶが、それらは「流れ山」と呼ぶそうだ(下の写真)。 泥流が流れ込んだ地帯に無数の隆起ができる。湖に没した後、その隆起の一部が水面に出ているのだそうだ。 磐梯山噴火により堰き止められてできた桧原湖ならではの独特の景観である。その流れ山の下に細野集落は眠る。

   
桧原湖を望む (撮影 2016. 6.14)
   
遊覧船より磐梯山を望む (撮影 2016. 6.14)
茶色く岩肌が露出している所が噴火の跡で、そこかこの付近一帯に泥流が流れ込んだ
休暇村裏磐梯に2連泊したが、ついに磐梯山はその全容を見せてくれなかった
   
   
   

 細野峠は、昭和期になって車道が通じる以前から、大塩方面と細野集落とを結ぶ峠道として通じていたのではないかと思う。 猪苗代道の間道的な存在だったのではないか。細野峠の車道開通は、細野集落が泥流で全滅し、一帯が桧原湖に沈んだずっと後のことだ。 その為、この細野という峠名は細野集落にまだ人々が暮らしていた時代から既にあったような気がするのだ。 そして今後は、集落と同様、この峠も草木の中に沈んでいく運命にあるように思う、細野峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1994. 8.13 大塩 → 桧原 ジムニーにて
(2016. 6.13 近くに寄る ハスラーにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  7 福島県 昭和56年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・福島県 広域道路地図  1996年7月発行 人文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
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