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万座峠
  まんざとうげ  (峠と旅 No.257)
  長野県から万座温泉に通じる万座街道が越えた峠道
  (掲載 2016. 5.13  最終峠走行 2004. 8.11)
   
   
   
万座峠 (撮影 2004. 8.11)
手前は群馬県吾妻郡(あがつまぐん)嬬恋村(つまごいむら)大字干俣 (ほしまた)
奥は長野県上高井郡(かみたかいぐん)高山村(たかやまむら)大字奥山田(おくやまだ)
道は県道466号・牧干俣線・通称上信スカイライン(群馬県側)、林道山田入線(長野県側)
峠の標高は1,830m (道路地図や地形図の等高線より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
 
ご覧の通り、峠の長野県側の山田入林道が通行できない
古くからの万座街道を引き継いだ道だったが、地形があまりにも険しかった
 
 
 
   

<片側通行止>
 前回、嬬恋村の車坂峠(標高1,973m)を掲載し、同じ村にあるこの万座峠を思い出していた。嬬恋村は群馬県の中でも最西端に位置し、長野県との県境の峰が村の西側をぐるりと取り囲んでいる。そこに標高の高い峠が多いのだ。毛無峠(標高1,823m)などもその一つとなる。
 
 ただ、残念なことに、今回の万座峠は長野県側の林道が長い間通行止となっている。 代わりに群馬県側より通じる県道466号を使うと、車でも峠にたどり着くことができ、更にその先別ルートで長野県側にも抜けられる。 しかし、本来の峠道としては、現在は群馬県側しか通じていないことになる。峠道が片側しか通れない峠としては、毛無峠もほぼ同じ状況だ。ただ、毛無峠では万座峠とは逆に、群馬県側の車道が未開通である。

   

<所在>
 峠の南側は群馬県嬬恋村の大字干俣 (ほしまた)、北側は長野県高山村の大字奥山田(おくやまだ)となる。
 
 峠の嬬恋村側は、干俣などという地名より、万座温泉や万座温泉スキー場があることで広く知られる。峠直下の標高1,700mを超える高地に位置する。大きな宿泊温泉施設が点在し、これだけ標高の高い所にある温泉地としては、極めて大規模である。
 
 一方、高山村ではこれまで笠ヶ岳峠(仮称)を掲載した。 また、あの渋峠が村の東端にそびえる。 現在、渋峠に通じる国道292号は群馬県中之条町(旧六合村)と長野県山ノ内町とを結ぶが、立地的には中之条町と高山村との境とも言える。渋峠は車道の峠としては2番目に標高が高く、国道としては最も高い峠で知られる。

  

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
   
   
万座ハイウェイで万座温泉へ
  

<万座ハイウェイへ>
 この道は何度か走っているが、万座温泉が目的で使ったのは一回だけだ。 大抵、万座温泉は通り過ぎるだけの存在で、その先、国道292号に出て渋峠などを訪れる時の経由地に過ぎなかった。 それでも最初の内は、万座ハイウェイとはどんな道だろうか、県境近くの高地にある万座温泉とはどんな所だろうかという興味を持って旅をした覚えがある。
 
<国道144号より分岐>
 万座ハイウェイは利根川水系・吾妻川(あがつまがわ)沿いに通じる国道144号から分かれる。 分岐はちょっと複雑で、一旦県道59号に入ってから更に分かれて行く。カーナビなどがない時代、一人で車を運転していた時は、道の繋がりをしっかり頭に入れておかないと、ちょっと戸惑う入口であった。
 
<起点の三原>
 万座ハイウェイは有料道路だけあって立派な道だ。入ると直ぐ左手に吾妻川沿いに広がる嬬恋村三原(みはら)の集落が望める。 三原が万座ハイウェイの麓側起点となる。面白いことに、最近2回通った時は、同じ場所を写真に撮っていた(下の写真)。何の意図もなく、全くの偶然だった。 

  
万座ハイウェイより三原集落を望む (撮影 2014. 2. 3)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
  

<万座ハイウェイの経緯>
 万座ハイウェイの大元は、昭和28年(1953年)に開通した三原〜万座温泉間の自動車道路だったようだ。 「県道万座線」という名であったらしい(後述)。これが群馬県側で万座温泉まで通じた最初の車道だったと思われる。 戦後の観光開発が進む中、翌年には西武バスが万座温泉へと乗り入れている。この車道の出現は万座温泉を急速に発展させた。 昭和30年からは多数の温泉旅館が操業を開始している。この道が改良されて「三原万座温泉有料道路」となり、現在は万座ハイウェイの名で知られる。

   
快適な万座ハイウェイ (撮影 2010. 5. 5)
   

<車道開通以前>
 車道開通以前にも、三原やその近くの石津(いしづ)より駄載(ださい)で万座温泉へと登っていたそうだ。駄載とは馬の背に荷物を載せて運搬することを表す。 万座峠の長野県側直下は地形が急峻である。一方、こちらの群馬県側は万座温泉まで比較的なだらかな地形が続く。そこに古くから山道が通じていたようだ。大正期には草軽電鉄が開通して石津に万座温泉口駅ができたことなどに伴い、三原・石津からの人馬の往来が増えて行った。
 
<万座温泉の経緯(余談)>
 万座温泉の開湯は明和元年(1764年)とも伝わるそうだが、江戸期にはまだあまり利用されることがなかったとのこと。 温泉地らしくなったのは明治以降のことらしく、明治初年に湯小屋が建てられたとか、明治7年(1874年)に旅舎が建てられたなどと文献(角川日本地名大辞典)にある。 明治初期頃(大正末期とも)までは冬は居住することができなかった秘湯と呼ぶにふさわしい温泉地だった。 明治20年頃からはやっと本建築を営む者が現れるようになり、次第に温泉集落が形成されていったようだ。 それでも昭和2年に於いて旅館が僅かに3軒だったとのこと。やはり万座温泉の本格的な発展は車道開通を待つこととなったようだ。

  

<ゲート箇所>
 看板が並ぶゲート箇所を通る(下の写真)。「この先給油所がありません」と看板にある。万座温泉内にもガソリンスタンドは見掛けない。

  

万座ハイウェイのゲート箇所 (撮影 2014. 2. 3)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
また同じ場所を撮っている
  

<冬期の万座ハイウェイ>
 万座温泉はスキー場でもあり、当然ながら万座ハイウェイは冬期も通行可能だ。しかし、万座温泉で行止りとなる。万座峠を経由して長野県の須坂方面や、あるいは国道292号へも抜けられない。

  

冬期間通行止区間の看板 (撮影 2014. 2. 3)
料金所の少し前に立つ

冬期間通行止区間の看板 (撮影 2014. 2. 3)
   

 かつて、深い雪に閉ざされる万座温泉は冬場に人が住むことはなかったそうだが、それが今では真冬でも片道20km程の万座ハイウェイを使い、車で1時間足らずで麓の三原と行き来ができる。隔世の感がある。

   

料金所 (撮影 2014. 2. 3)

<浅間−白根火山ルート>
 途中にある料金所には「浅間−白根火山ルート」と書かれている。 軽井沢町から三原まで通じる鬼押ハイウェイと三原からの万座ハイウェイを合わせて、浅間−白根火山ルートと呼ぶようだ。 どちらも快適な山岳道路で、有料ということもあって、ちょっと贅沢な道である。昭和47年(1972年)に浅間−白根火山ルートと呼ばれる環状観光バス路線が設けられたそうだが、それが名の始まりだろうか。

   

<嬬恋牧場(余談)>
 途中の嬬恋牧場は誰でも気軽に立ち寄れる場所だ。休憩には手頃である。高原野菜直売所の建物が立つ。谷を見渡す牧場には愛妻の鐘とかいうのがあり、しきりに写真を撮っていた。村の名「嬬恋」の興りに因むようだ。私は近くで飼われている兎の方に関心があった。


嬬恋牧場 (撮影 2010. 5. 5)
  

愛妻の鐘 (撮影 2010. 5. 5)
「嬬恋」の村名に因むようだ

兎が飼われていた (撮影 2010. 5. 5)
大きな黒い眼
  

冬場は休み (撮影 2014. 2. 3)

 5月に訪れた時は夫婦共々何だか非常に怠く、車の中で少し仮眠する程だった。これも標高のせいかなと思ったりした。

 
 2月の冬場に訪れた時は、さすがに嬬恋牧場は休みであった。

  

<万座川>
 万座峠は吾妻川の支流・万座川の上流部に位置する。 万座川の上流部は奥万座川と呼ばれ、群馬・長野の県境の峰に源を発し、万座温泉の地内を流れ、万座川と名前を変えて遥々流れ下り吾妻川へと注いでいる。 万座ハイウェイも概ねその万座川の川筋に沿っているが、やや東寄りに通じる。万座川は西にやや湾曲するように流れているのに対し、道は三原からほぼ直線的に万座温泉へと向かう。

  

沿道の様子 (撮影 2014. 2. 3)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2010. 5. 5)
また同じ所でシャッターを切っている
  

<道の様子>
 三原から始まる万座ハイウェイは、最初空沢という別の短い川沿いから始まり、何度か万座川左岸の支流を渡りながら徐々に本流へと近付いて行く。よって、道のアップダウンがあり、地形はなかなか複雑だ。
 
<万座川沿い>
 通常、古くからの峠道は川沿いに開かれることが多い。しかし、万座川沿いに万座温泉まで通じる山道は今の地形図などでは見られない。昔の道も今の車道とほぼ同じ道筋を辿っていたようだ。その方が近道だったのかもしれない。
 
 尚、万座川の右岸側支流に不動沢川があり、その上流部に毛無峠が位置する。毛無峠へは川筋に山道が通じるようだ。


沿道の様子 (撮影 2010. 5. 5)
   
   
   
万座温泉 
   

前方に万座温泉が見えて来た (撮影 2010. 5. 5)
大きな建屋はプリンスホテルだと思う

<万座温泉>
 途中、万山望(まんざんぼう)と呼ぶ展望地を過ぎる。吾妻川沿いの麓の方まで遠望があった。やがて前方に大きな建物が見えて来る。万座温泉は比較的大規模なホテルや旅館が多く、ちょっとした見ものである。この奥深い山岳地帯に、巨大な温泉地がその姿を現してくる。
 
<大きな駐車場>
 道は温泉地を目前に万座川本流沿いへと下りだす。そこはもう奥万座川と名を変えた後だ。下り切った所に大きな駐車場が設けてある。万座温泉にはこうした日帰り用の駐車場が何か所かあり、全て無料とのこと。

  
大きな駐車場へと下る (撮影 2010. 5. 5)
周囲は火山地帯のよう
  
上とほぼ同じ場所 (撮影 2014. 2. 3)
また偶然同じ所でシャッターを切っている
  

<有料道路終点>
 駐車場に差し掛かると、「有料道路 終点」の看板があった。一般の道路地図では、万座ハイウェイはこの先の県道466号に接続する所まで描かれているが、この終点の看板から先、温泉地内に通る区間は自由に行き来できる。


有料道路終点の看板 (撮影 2010. 5. 5)
   

<奥万座川を渡る>
 道はカーブして、一時期川を下る方向に進む。直ぐ支流の殺生沢を渡り、次に本流の奥万座川を渡ってその右岸へと出る。

   
この先殺生沢を渡る (撮影 2014. 2. 3)
  

この先奥万座川を渡る (撮影 2010. 5. 5)
右手の建物の直ぐ奥が川

<沿道に建物>
 万座温泉はほぼ奥万座川を中心のその両岸に広がる。道が奥万座川右岸に入った頃から沿道に建物が多く見られるようになる。

  
右岸沿いの急坂を登る (撮影 2014. 2. 3)
大きなホテルの脇を通る
  

<右岸沿いの急坂>
 道は右岸沿いの急坂を一気に遡り始める。道の直ぐ脇に大きなホテルが立つ。


右岸沿いを登る (撮影 2010. 5. 5)
   
   
   
県道466号に接続 
  

<県道466号の分岐>
 右岸沿いを登る途中、Y字路に出る。万座ハイウェイはここが最終で、分かれる道はどちらも県道466号である。ただ、あまり県道看板などは立っていない。大まかな行先やこの付近のホテルの案内ばかりである。

   
県道466号に接続 (撮影 2010. 5. 5)
左は長野県須坂市方面(万座峠経由)
右は草津・志賀方面(国道292号に接続)
  
前の写真と同じ場所 (撮影 2014. 2. 3)
  

県道466号 (撮影 2014. 2. 3)
万座峠方向を見る

 分岐を左に進めば万座峠に辿り着く。そちらが峠道としては本線となる。しかし、万座峠方向から下って来ると、この分岐には一旦停止の道路標識が立つ(下の写真)。

  
県道466号 (撮影 2014. 2. 3)
万座峠方向から分岐を見る
こちら側が「止まれ」
  

 分岐を右に、もう暫く奥万座川を遡る方向は、国道292号へと接続して行く道だ。万座ハイウェイからはそのまま続いていて、そちらが本線のように見える。


県道466号の分岐 (撮影 2014. 2. 3)
奥万座川上流方向から見る
   
   
   
県道466号を国道292号方面へ(余談) 
   

<奥万座川上流部へ>
 余談だが、県道466号を国道292号方面へ更に遡ってみる。分岐より200m程登ると、道は奥万座川を渡る。その右岸沿いに細い道が更に登る。そちらに万座温泉の湯畑(ゆばたけ)がある。

  

この先奥万座川を渡る (撮影 2010. 5. 5)

奥万座川沿いの道が分岐する (撮影 2014. 2. 3)
冬期は車では登り難い
   

<湯畑、万座温泉最上流部>
 冬期は雪の為、川沿いに湯畑まで近付きにくい。車は勿論入れない。歩いてどうにか辿り着いた。 湯畑より奥万座川の上流方向を望むと、薬師堂がポツリと立っている。ここはもう長野県との県境まで600m程で、万座温泉最上流部の地となる。 ここより上にもう車道は通じない。こんな奥深い地に、よくこれだけ大きな温泉地を築き上げたものだと感心する。

  

奥万座川の上流方向を望む (撮影 2010. 5. 5)
左手に薬師堂が見える
ここより上には車道は通じない

奥万座川沿いの湯畑 (撮影 2014. 2. 3)
下流方向に見る
   
雪に佇む万座温泉 (撮影 2014. 2. 3)
万座温泉の最上流部
この時はこれでも例年より雪が少ないとのこと
   

冬期閉鎖中を示す電光板 (撮影 2014. 2. 3)

<冬期通行止箇所へ>
 ついでに、県道の冬期通行止はどこで行われているか調べてみた。道は奥万座川左岸に入ってから、支流の殺生沢右岸沿いに東へと進む。直ぐに「292 志賀草津道路 冬期閉鎖中」と電光板が示していた。

   

<冬期通行止箇所>
 奥万座川を渡ってから400mでその通行止箇所に行き当たった。ゲートが閉ざされていて、その先は除雪が行われていない。 行止りの右手に殺生沢方向へ下る道が分岐する。角に看板が立ち、その先にもホテルがあることが案内されていた。 万座温泉の中心地より少し外れた立地だ。この先は奥万座と呼ばれるようである。そこに立つホテルなどの便宜の為、県道はここまで除雪が行われているようだった。


県道の通行止箇所 (撮影 2014. 2. 3)
  
行止りを右に分岐する道 (撮影 2014. 2. 3)
ホテルの案内看板が立つ
今夜は丁度そこに宿泊予約してあった
  
万座温泉の中心地を望む (撮影 2014. 2. 3)
宿から見た景色
  
万座園地概略図の看板 (撮影 2014. 2. 3)
温泉地内の参考になる
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<万座温泉の印象(余談)>
 万座温泉はそれまでただ通り過ぎるだけの存在だった。山の斜面に見上げるような大きなホテルが点在し、それに驚くと同時に何となく場違いな感じを受けた。どの旅館もホテルも高級そうである。国民宿舎のような安宿がない。自分とは無縁な温泉地と思っていた。
 
 それが、2014年2月に思い切って泊まってみることとした。食事などは質素な格安の宿泊コースである。 冬期は行止りとなる万座温泉なので、他に出向く先がない。車や徒歩で温泉地内だけを散策した。年配の宿泊客も多く見掛ける。賑やかにワイワイと楽しんでいる。意外と庶民的な面があると思った。

   
   
   
万座温泉より峠方向へ 
   

<牛池付近>
 万座ハイウェイ最終点から県道466号を峠方向に進む。ここからの峠道は奥万座川沿いから離れて行く。沿道にはあまり旅館やホテルは見られない。直ぐに牛池の前を過ぎる。その池は冬期は雪で埋もれていた。


牛池近く (撮影 2014. 2. 3)
  

牛池は雪に埋もれていた (撮影 2014. 2. 3)

<T字路>
 牛池の先でT字路に突き当たる(下の写真)。T字路を右は山腹を横切って湯畑がある奥万座川の上流部へと戻って行く。冬期は車では通り抜けできなかった。左折が峠へ。

  

T字路 (撮影 2014. 2. 3)
峠方面を背にして見る
手前が峠方向
直進は狭い道を湯畑方面へ
右に曲がるのが温泉の中心地へ

T字路の様子 (撮影 2014. 2. 3)
峠方面を背にして見る
  

<冬期の行止り>
 T字路から100mあまり進むと傍らに「HOTEL ASANO」と書かれた宿があり、その前で道は行止った。 あるいは峠まで通じているかと僅かに期待したが、そんな訳はなかった。
 
<更に峠まで>
 万座温泉から峠までは2kmあまりと短い道程だ。100m程の高低差を比較的緩やかに登って行く。地形も穏やかだ。途中、スキーリフトの下をくぐる。その付近から万座温泉やそこから三原へと延びる万座ハイウェイが見渡せる(下の写真)。


この先行止り (撮影 2014. 2. 3)
   
万座峠より下る途中からの万座温泉の眺め (撮影 2004. 8.11)
中央の駐車場より右手方向に万座ハイウェイが延びる
  
万座峠より下る途中からの眺め (撮影 2004. 8.11)
三原方向に延びる万座ハイウェイを望む
   
   
   
 
  
万座峠 (撮影 2004. 8.11)
県道466号上を万座温泉方向に見る
この先左に林道山田入線が下る
以前はこの付近の右手に料金所があったそうだ
  

<峠の様子>
 現在の峠に至る車道・県道466号は峠を越えていない。峠に着くと、また県境の峰に沿って群馬県側を西へと進んでしまう。道の勾配も上り調子のままだ。県道沿いに見る万座峠は全く峠らしくない。代わりに峠の長野県側には林道山田入線が分岐し、峠道らしく下って行く。

   
林道山田入線の入口を見る (撮影 2004. 8.11)
この付近がかつての万座峠の道筋であった
   

林道終点の看板 (撮影 2004. 8.11)
巾員4.0m 延長8,350m
右には土砂流出防備保安林の看板

<林道山田入線>
 林道看板によるとこの峠側が林道終点となっている。起点は峠を長野県側に下った所にある高山村の七味(しちみ)温泉となる。現在、この林道は通行止だが、その林道の道筋こそが古くからの万座峠の道とほぼ一致するようである。
 
 この道は戦時中の昭和19年に着工、戦後暫くして昭和34年に竣工、昭和36年からは高山村に管理が移管されている。

  

<全面通行止>
 しかし、林道を通した峠直下の谷は余りにも険しかった。開通当初から落石や土砂崩落の危険が高かったようだ。 文献にも「弱い地盤のために崩落が激しく、車は通行不能」と出ている。 通行止のゲートに「全面通行止」の看板が掛かっていたが、「平成16年8月10日〜当分の間」とあった。今もって通れない様子だ
 
 ところで、今思い出したが、万座峠を訪れたのは2004年(平成16年)8月11日であった。もう数日早ければ、この林道が通れたのかもしれない。

全面通行止の看板 (撮影 2004. 8.11)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   
峠より万座温泉方向を見る (撮影 2004. 8.11)
手前が林道山田入線
キャミの脇に地蔵が佇む
  

<峠の地蔵>
 県道と林道の分岐点に一体の地蔵尊が祀られる。石仏本体は比較的新しそうだが、台座部分はやや崩れ掛け、古そうだ。「街道厄除地蔵」と刻まれているのが読める。

  

峠に立つ地蔵 (撮影 2004. 8.11)

「街道 厄除 地蔵」とある (撮影 2004. 8.11)
   

<万座峠の経緯>
<温泉の道>
 万座峠は長野県側から登って群馬県側の万座温泉へと至る峠道である。特に、万座温泉が利用され始める明治期以降は、長野県側からも湯治客や生活資材の交通・運搬路として牛馬や駕篭の往来が頻繁であったそうだ。
 
<万座山道>
 ただ、中世には既にこの峠は開かれていたようだ。 信濃国(長野県)・高井郡地方から登って上野国(群馬県)との国境を万座峠で越え、広い関東平野へと至る「万座山道」が通じていたとのこと。 峠はその要衝であった。峠の地蔵も江戸期くらいからは既に祀られていたかもしれない。
 
<万座山越え>
 また、上州側の干俣川流域に位置する干俣集落は、古くから信州側との交流があったとのこと。 その時使われたのが万座山越え・白根山越え・沓野峠越えという山越抜道だったそうだ。「万座山越え」が現在の万座峠の道かどうかははっきりしないが、万座山近くに通じていたらしい。
 
 そして今は万座街道の後継である山田入林道が通じたが、それも現在は通行止だ。県道466号が峠の脇を通過するばかりで、もう万座峠を顧みる者は滅多に居ないだろう。

   
土砂流出防備保安林の看板 (撮影 2004. 8.11)
右端に渋峠が書かれている
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<水系>
 山田入林道は通れないが、林道看板の横に「土砂流出防備保安林」の看板が立ち、その地図が長野県高山村側の地形の参考になる。 高山村は千曲川(信濃川水系)の支流・松川沿いに広がる。松川本流の上流部に渋峠や山田峠が位置する。 一方、万座峠は松川の支流・渋沢の上流部に位置する。峠は利根川水系と信濃水系との分水界にある。ところで、この「渋沢」とは渋峠の名に何か関係するのだろうか。
 
<万座山>
 万座峠は渋峠から西に延びる稜線上、万座山(1995m)と黒湯山(2007m)の間の鞍部に位置する。 万座山は古くから木材や硫黄の産地として利用されてきた山だそうだ。
 
<万座>
 「万座」の名は、この山名を発祥とするのかもしれない。万里に届く眺めを座して見渡す山、というような意味だろうかと想像する。その「万座」が温泉の名になり、峠の名になったのかもしれない。

   

<牧と奥山田>
 尚、看板では、保安林の所在場所を「上高井郡高山村大字牧字奥日影」としている。 峠付近は大字奥山田(おくやまだ)であるが、牧は隣り合う大字だ。概ね、峠から下る渋沢から松川に続く川筋の右岸が奥山田、左岸が牧になる。
 
<山田>
 奥山田があるから「山田」という大字があるかというと、それがない。 山田峠の名の元になったと思う「山田」の地名は、現在は大字奥山田内にある山田温泉や山田牧場くらいだろうか。 調べてみると、高山村は「高中村」と「山田村」が昭和31年に合併し、それぞれの頭文字を取って「高山村」となったそうだ。かつては山田村があったのだった。

   

<峠の標高>
 一般の道路地図では1,830mの数値を見掛ける。現在の地形図もそれを裏付けている。文献では1,825mとか1,827mと記述されている。標高は時を経て更新されるので、1m単位をあまり問題にしても仕方がない。ここはスッキリ1,830mとしておこうと思う。

   

<峠からの眺め>
 群馬県側は急斜面なので眺めが良い(下の写真)。この眺めは古くからそれ程変わったものではないだろう。高山村側から喘ぎながら上り詰めた国境の峠からは、絶景に眺められたことだろう。

   
群馬県側の眺め 1/3 (撮影 2004. 8.11)
黒湯山方向を見る
  
群馬県側の眺め 2/3 (撮影 2004. 8.11)
正面に笠ヶ岳を望む
その肩を笠ヶ岳峠の道が通じる
  
群馬県側の眺め 3/3 (撮影 2004. 8.11)
万座山方向を見る
   
   
   
峠から長野県方向に進む上信スカイライン 
   

<牧干俣線>
 改めて、県道466号は牧干俣線と呼ぶ。 高山村の大字牧(まき)から県境を越え、万座峠をかすめて万座温泉に至り、更に国道292号に接続する。
 
<上信スカイライン>
 県道466号は万座峠から西の県境過ぎまで、ほぼ県境伝いに通じている。その為か「上信スカイライン」の名がある。 県道番号や県道名などより、こちらの名称で知られている。
 
<万座道路>
 今回知ったことだが、「万座道路」という呼び名があるようだ。 そのルートは万座ハイウェイの万座温泉最終点から始まって県道466号を西へ向かい、県境を越えた所で県道112号・大前須坂線に接続、 高山村中心地へと下り、その後県道(主要地方道)54号などを走り繋いで須坂市街に至る。この万座峠を越えずに長野県側の須坂市街方面と万座温泉を結ぶ一連の道を「万座道路」と呼ぶようだ。万座峠にとっては大敵となる道の存在だ。
 
<万座道路の開通>
 現在の万座道路の道筋は先の大戦中から開削が始められ、昭和26年に開通している。 当初は船舶用のブナ・モミ材を搬出することを目的とし、戦後は万座温泉への湯治客も利用したようだ。 この道路は長野県側から万座温泉へと通じた最初の自動車道であるらしい。 それまで地形的に群馬県側からのアクセスが多かった万座温泉であったが、長野県須坂市方面からの利便性が一挙に高まった。 開通の翌昭和27年からはバスの運行も始まった。
 ところが、それを追うようにして昭和28年には群馬県側にも車道(県道万座線、万座ハイウェイの前身)が開通している。 やはり、三原方面からのアクセスが優位を保っていったのではないだろうか。
 それでも、古く「万座山道」と呼ばれた時代から使われた万座峠を決定的に衰退させるには、万座道路の自動車道の出現は大きな影響があっただろう。万座峠を歩いて越える者は絶えていったことと思う。
 
<高原観光有料道路>
 万座道路の当初の車道はその後整備され、高原観光有料道路「上信スカイライン」となっていった。 現在は無料のこの県道466号も、以前は万座ハイウェイのように料金を徴収していたようだ。峠の 山田入林道入口の反対側辺りにその料金所が立っていたらしい。現在の万座ハイウェイは快適で、有料でも納得いくが、上信スカイラインの方はやや険しい感じがする。1,830mの高い県境上に詰める料金所係も、さぞかし寂しい思いをしたのではないだろうか。
 その後、須坂市から万座温泉に至るバス路線は運行停止の憂き目に遭っている。上信スカイラインを無料化したが、それでも万座ハイウェイには勝てなかったようだった。
 
<峠は分岐点>
 尚、現在上信スカイラインとか万座道路と呼ばれる道筋は、自動車道開通以前から存在していた可能性がある。 文献によると、万座峠は「万座温泉と須坂方面、および長野県の七味・山田温泉の分岐点にもあたる」とある。 この「須坂方面」とは今の万座道路の道筋を指しているようだ。

   

<上信スカイラインからの眺め>
 峠から西の長野県方面への県道466号は「スカイライン」の名にふさわしく眺めが良い。道は暫く稜線の群馬県側に通じるが、時折長野県側にも眺めが広がる。渋峠から続く国道292号の様子が一望に眺められた。

   
上信スカイラインより渋峠方向を見る (撮影 2004. 8.11)
右端が渋峠
山腹を横切るのは渋峠から長野県側に通じる国道292号
  

<渋峠(余談)>
 高山村の中心を西流する松川本流の上流部に渋峠が位置する。 渋峠から長野県側に通じる国道292号も、松川の谷の右岸上部に見える(上の写真)。 しかし、その国道は山ノ内町に属し、下る先も山ノ内町市街である。峠は地形的にほとんど高山村と群馬県中之条町との境であるが、残念ながら峠道が高山村には下らなかった。それで国道の通じる部分が全て山ノ内町の所属になったように思える。
 
<山田峠(余談)>
 余談ついでに、松川源流の一つに山田峠がある。渋峠に通じる国道292号は山田峠を通過するだけだ。しかし、 峠から高山村側には山道が下って来ている。「山田」という名も高山村側の地名から来ている。 よって、山田峠は群馬県と高山村とを繋ぐ峠と考えてよさそうだ。標高は約2,050m(2,048mとも)とかなり高い。車で訪れることができる峠としては、大河原峠(2,093m)に次いで高そうである。それでも、車道が越える峠とは言い難いので、車道の峠として標高を競うことはできないと思う。

   

<山田入線林道を見下ろす>
 渋峠を望む場所から松川の谷を見下ろすと、そこにクネクネ曲がる道が険しいい崖を下っている。通行止の山田入林道である。この道を一度は走ってみたかった。

   
上信スカイラインより山田入林道を見下ろす (撮影 2004. 8.11)
険しいつづら折りが下っている
  

<老ノ倉の分岐>
 上信スカイラインは西に進むにつれ、徐々に登っている。 上信スカイラインにとって万座峠(1,830m)は坂道の途中に位置し、その意味でも全く峠らしくない。 道は標高1,899mで県境を跨ぎ、その先の県道112号へ接続する老ノ倉の分岐が最高所の1,919mだ。 県境か老ノ倉の分岐辺りを老ノ倉峠とも呼ぶそうだ。万座道路が万座峠の代わりに越えた峠で、万座峠にとって仇敵とになる。長野県側に入った老ノ倉付近からは、松川の谷が広く眺められる(下の写真)。

   
上信スカイラインより笠ヶ岳山麓に広がる山田牧場を望む (撮影 2004. 8.11)
  

<県道112号>
 万座道路は県道112号に入ってからは、松川支流の柞沢川(たらさわがわ)沿いに牧集落へと下って行く。その途中からも笠ヶ岳が眺められる(下の写真)。この区間は毛無峠の道と重なる。

   
県道112号より笠ヶ岳、山田牧場を望む (撮影 2004. 8.11)
   
   
   
山田入林道の高山村側起点 
   

 通行できない山田入林道だが、高山村側起点を一応見ておこうと思う。
 
<県道66号の峠(余談)>
 その前に、まず高山村内を松川に沿って通じる県道(主要地方道)66号・豊野南志賀公園線はどこの峠の峠道であろうか。 豊野南志賀公園線という名が表すように、県道としては長野県の豊野から始まり高山村を通って笠ヶ岳峠を越え、山ノ内町に至る。 よって、笠ヶ岳峠の峠道に属す。しかし、松川の上流部は渋峠か山田峠である。渋峠の国道292号は山ノ内町に抜けてしまっているので、松川沿いの道は山田峠の峠道と言えそうだ。
 
 ただ、車道が通じる峠に限ると、山田峠は除外される。 車道の峠としては、笠ヶ岳峠より万座峠の方がより松川の上流部に位置するので、万座峠に軍配が上がる。 よって、松川沿いの県道66号は、万座峠の峠道となる。しかし、万座峠は車道が越えると言えども、実質は通行止なのが玉に瑕(きず)であった。

   

県道66号を松川上流方向に見る (撮影 2004. 8.11)
右に七味温泉への道が下る

<七味温泉分岐>
 高山村側から万座峠へは、県道66号から分かれて村道七味温泉線に入り、一路七味温泉を目指す。 村道七味温泉線を分けた後の県道66号は、直ぐに松川沿いを離れ、山田牧場から笠ヶ岳峠の方へと向かってしまう。 代わりに松川沿いを上流方向に進むのが村道七味温泉線になる。分岐の角には「歓迎 七味温泉」と書かれた大きな標柱が目印に立つ。

  

<復旧治山事業施工地の看板>
 温泉の標柱看板に並び、復旧治山事業施工地の看板が立つ。温泉地近辺の様子がよく分かる。昭和59年5月に地スベリが発生したことが書かれている。

分岐に立つ看板 (撮影 2004. 8.11)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
  
「山の音」遊歩道の看板 (撮影 2004. 8.11)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<「山の音」遊歩道の看板>
 また、「五色七味「山の音」遊歩道由来」と書かれた看板が分岐脇に立つ。 ここより下流側にある五色温泉とこれから向かう七味温泉を繋いだ遊歩道に関するものだ。 その道筋を通り、この高山村から群馬県草津町に至る街道がかつてあり、旧草津街道とも呼ばれた。その一部を「山の音」という名の遊歩道として整備したとのこと。その歩道は県道66号とは別に松川に沿うものと思う。ただ、入口は寂れ、あまり通る者は居ない様子だった。
 
<旧草津街道の峠(余談)>
 この旧草津街道は草津に通じるからにはもっぱら湯治客の利用が多かったことだろう。万座峠を越えて万座温泉へと通じる道筋とも重なる。 看板の説明では高山村からどの峠を越えて群馬県側へ出たか記されていないが、多分、山田峠ではなかったかと思う。 また、万座峠を越え、万座温泉経由で草津へ向かったこともあったかもしれない。ただ、草津は古い温泉である。七味や万座の温泉の開湯よりずっと前から旧草津街道は通じていたようだ。

  

<七味温泉へ>
 村道七味温泉線は僅か600mで松川沿いに出て、松川沿いに通じる細い道と交差する。 十字路を直進は松川を左岸に渡り、そちらに七味温泉がある。 川沿いを遡る方向に延びるのは、先程の看板では村道山田入線と書かれていたが、山田入林道のことと考えてよいと思う。尚、川沿いを下る道には、そちら方向にも温泉旅館が立っていることを案内看板が示していた。

  

村道七味温泉線の終点 (撮影 2004. 8.11)
車が向く左は山田入林道
右に松川を渡ると七味温泉

左の写真の分岐を県道方向に見る (撮影 2004. 8.11)
左は七味温泉
真ん中は松川沿いを下流方向へ
右へ上がるのが県道方向
  

<万座街道の碑>
 山田入林道入口の脇に大きな石碑が立つ。「万座街道の碑」とある。内容が興味深いので、下記に転記させて頂く(改行や句読点は一部変更)。
 
 万座街道
  沿革
 山田温泉より松川沿いに五色七味を経て原始林の中の急坂な山道を登り、眺望絶景の万座峠を越えて、海抜六千尺(注:1尺は約303mm、六千尺は約1,800m)の秘湯万座温泉に至る三里半(注:約14km)の山道を古くから万座街道といった。
 昭和二十八年、県道万座線が開通するまで万座への表街道の重要な役割を果してきたのがこの街道であり、湯治客や生活資材の運搬路として牛馬や駕篭の往来が頻繁であった。
 奥日影及び山田入地籍約一千七百ヘクタールの原生林に生い茂った樅(注:もみ)・栂(注:つが)・樺(注:かば)・橅(注:ぶな)などの搬出や観光客の ために、林道の開設が奥日影森林組合によって計画され昭和十九年に着工、延長八千三百五十メートル幅員四メートル、工費三千三百九十七万円をもって昭和三 十四年に 竣工した。同三十六年高山村に移管されたが、七味より峠頂上に至る間の地質は極めて悪く融雪豪雨等の災害により通行不能の状態が多かった。
 特に昭和五十六・五十七年、二か年にわたる台風豪雨災害は三十三か所に及び全線通行不能の惨状となった。これが復旧に当っては国・県の積極的な協力指導 により総工費一億五千二百余万円をもって見事に復旧、改良が完成し林道としての機能はもとより県境を越えての地域開発に大きな役割を果たすこととなった。
 ここに災害復旧工事完成にあたり、関係各位に感謝し記念碑を建立する。
    昭和五十八年十月吉日

   
左手に「万座街道の碑」が立つ (撮影 2004. 8.11)
山田入林道方向に見る
   

<山田入林道>
 碑文では単に「林道」と呼んでいるが、山田入林道であるのは間違いない。道の幅員(4.0m)や延長(8,350m)の数値が万座峠にあった林道看板と一致する。この碑が立つ場所は大字奥山田の字山田入であり、この地名「山田入」が林道名ともなったようだ。
 
<万座街道>
 碑文では「万座街道」を、山田温泉から万座峠を越え万座温泉に至る14kmの山道としている。 現在の車道では、山田温泉から七味温泉まで6.3km、七味温泉と峠を結ぶ山田入林道は8,350m、峠から万座温泉まで県道466号で2.2kmだ。合計16.85となり、3km近く長い。 車道は蛇行するので元の山道より距離が長くなる傾向がある。尚、高山村側起点の山田温泉は集落としては松川沿いで最も奥に位置する。
 万座峠を越えない万座道路や上信スカイラインなどという名の道と違って、「万座街道」は正しく万座峠を越える峠道として一番しっくりいく呼び名である。
 
<県道万座線>
 「万座」が付くまた別の道が出て来ている。この県道万座線の名は碑文以外に見付からない。 碑文の文脈からして群馬県側の車道を示しているように思える。昭和28年開通といえば、現在の万座ハイウェイの前身となる三原〜万座間自動車道路の開通年と同じだ。やはり万座ハイウェイの元が県道万座線だったと思われる。
 
<表街道>
 県道万座線が開通するまで、万座街道が万座温泉への表街道であったとしている。ただ、文献では、長野県側峠直下の地形は厳しく、一方群馬県側はなだらかな地形の為、三原などからの通行の方が多かったように記述している。
 
<林道の竣工時期>
 山田入林道竣工は昭和34年とある。 これが群馬県側の県道万座線に対抗する長野県側からの初の車道のように受け取られそうだが、上信スカイラインの前身の車道が通じたのは昭和26年とのこ と。県道万座線よりも早い時期に完成していることになる。何と、万座温泉に通じた最初の車道は、長野県側からだったのであろうか。
 昭和27年には長野県側上信スカイラインのルートに、昭和29年には群馬県側万座ハイウェイのルートに、それぞれ万座温泉までバスの運行が開始されたそうだ。ただ、長野県側のバス路線はその後廃止されてしまっている。
 
<林道の開通>
 万座温泉へと通じた他の車道とはやや遅れて完成した山田入林道だった。県道万座線が開通した後の昭和30年頃から万座温泉は本格的に賑わい始める。山田入林 道は、往時の万座街道が担った生活資材の運搬などより、戦後の観光開発が大きな目的であったようだ。 同時期の昭和33年に高山村山田牧場まで車道が開通、その後バス運行、スキー場開設へと向かう。また、それまでランプを用いていた五色・七味の両温泉に昭和36年、電灯が初めて灯った。
 
 万座峠の復活を掛けた山田入林道であったが、険しい地形に通された険しい林道である。通行不能の状態が多かったようだ。 昭和56年(1981年)以降は全線通行不能の惨状となる。それがやっと昭和58年10月に災害復旧工事が完成し、ここに記念碑の建立となった。 しかし、翌昭和59年5月には早くもこの地を地スベリが襲っている。

  

<通行止の看板>
 石碑の前から林道を数10m行くと、小さな橋が架かっていて、その右側に「当分の間 通行止」と大きく書かれた看板が立つ。
 
<冬期通行止>
 一方、左にも看板が立つが、それは冬期間通行止の物で、期間は平成15年11月17日〜平成16年5月31日となっていた。昭和59年の林道災害復旧以降の詳しい経緯は分からないが、少なくとも平成15年までは冬期を除けば通行できていたのかもしれない。
 
 平成16年に一時期通れたかもしれないが、峠側に立つ通行止の看板によれば、8月10日以降、全面通行止となる。そのまま現在に至るようだ。


通行止の看板が立つ (撮影 2004. 8.11)
   

<周囲の眺め>
 林道脇に流れる松川を望むと、川床に石が多く、やや荒々しい感じだ。対岸には七味温泉の温泉宿が望める。

  

松川を望む (撮影 2004. 8.11)
その左手に山田入林道が延びる

松川対岸に七味温泉を望む (撮影 2004. 8.11)
療養を主とする宿らしい
  

<林道の様子>
 通行止看板から少し林道を先に進む。数100mで道は松川を左岸へ渡る。その先から未舗装の険しい道が蛇行して登って行った。 見るからに険しい。上信スカイラインや万座ハイウェイのような観光道路には到底かなわない。これが万座峠を越える本来の峠道かと思うと、やや哀れな姿であった。それを確認し、林道通行は諦めて道を引き返すこととした。

   
山田入林道の様子 (撮影 2004. 8.11)
道は松川左岸を登り始める
  
   
   

 ちょっとの積りで始めた万座峠であったが、長々と余談ばかりになってしまった。 通れなかった山田入林道のことをあれこれ思ってみても仕方がないが、この道を走らない限り、万座峠を越えたことにはならない。 それにしても2004年の夏は惜しいことをした。その年が万座峠を越えられる最後のチャンスだったのかもしれない。もうこの先、万座温泉などにも行く機会がないかと思うと、尚更残念に思う、万座峠であった。

   
   
   
<走行日>
(2002. 8.10 三原から万座温泉まで万座ハイウェイ走行 ジムニーにて)
・2004. 8.11 須坂市方面から上信スカイラインで峠を経由して万座温泉へ
        その後、渋峠、笠ヶ岳峠を経て、山田入林道の高山村側起点へ キャミにて
(2010. 5. 5 三原から万座温泉まで万座ハイウェイ走行 パジェロ・ミニにて)
(2014. 2. 3 万座ハイウェイを往復して万座温泉宿泊 パジェロ・ミニにて)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 10 群馬県 昭和63年 7月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 20 長野県 平成 3年 9月 1日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・県別マップル道路地図 10 群馬県 2006年 2版15刷発行 昭文社
・県別マップル道路地図 20 長野県 2004年 4月 2版 7刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
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