峠と旅
南峠
 
みなみとうげ?(読み方は未確認)
 
枯葉に埋もれた峠道
 
    
 
南峠 (撮影 2001.11.10)
手前が長野県諏訪市湖南こなみ大熊おおぐま方向
奧が同県湖南後山うしろやま方向
標高は1,221m(峠にあった標柱より)
道は県道442・諏訪箕輪線(峠部分は林道)
 
    
 
 ホームページ「峠と旅」を始めてから、もうかれこれ8年が過ぎた。旅先で面白い峠を越えると、ホ−ムページに掲載したいなと思うし、ホームページをやっていることが旅で峠を越える時の励みにもなっている。でも、ホ−ムページに載せたいから峠を越えるのではない。あくまで旅の楽しみの一つとして峠道を探索するのだ。だから、旅から帰って来て直ぐにその旅で越えた峠を掲載することはほとんどない。
 
 ホ−ムページに載せる峠を選ぶ時は、ちょっとした楽しみとなっている。過去に越えたいろいろな峠を思い浮かべ、あれにしようかこれにしようかと、なかなか楽しい。目星をつけた峠はそのアルバムをめくったり、旅のメモを読んだりと、峠だけでなく、その旅のことをいろいろ思い出し、一人で懐かしがっている。特に旅で撮った写真は、アルバムに整理してしまった後は、ほとんど見る機会がない。ホームページを作ろうとした時にじっくり眺めることになる。そこがまたいい。古い旅であればある程、とても懐かしく、あんな所にもそんな所にも行ったんだと、アルバムを食い入るように見つめる。
 
 でも、困ったこともある。旅から帰った直後は記憶も新鮮だが、時間が経つ内に段々忘れてくる。記憶違いも多くなる。アルバムに貼られた1枚の写真を見て、これは一体どこなんだと首をかしげることも少なくない。峠に関しても、写真ばかり多くて、それが何を写したのか良く分からない。地図と見比べてああでもないこうでもないと考える。それもまた楽しいのだが。
 
 確か、諏訪市の山の方で、枯葉が敷き詰められた峠道を走った記憶があるのだが、肝心な峠の名前が思い出せない。地図を出せば直ぐその所在地を指し示すことができるのだが、峠の名はどうにも出て来ない。仕方がないからツーリングマップルを出し、長野県の諏訪市が掲載されているページを開くと、未舗装林道の途中に、ポツリと「南峠」とある。こんな単純な名前だったのか。あまりにもシンプルなので、印象が薄かったらしい。でも、その道はとても印象深いものだった。
 
    
 
<旅へ>
 
 初冬の北陸を旅しようと思った。2泊3日の短い休暇だが、富山辺りまで足を伸ばす積りだ。11月10日の早朝、中央高速道路をひた走る。小仏トンネルを越え笹子トンネルを抜け、右手に八ヶ岳を望み、そろそろ諏訪湖も近くなったという所で、早くも寄り道の虫が湧き始めた。
 
 古いツーリングマップでは単なる県道標記だった道が、最近買ったものでは未舗装林道に標記が替わり、しかも峠の名まで書れている。「南峠」。この近くには杖突峠や有賀峠(あるがとうげ)があり、これらは既に何度か越えている。しかし、この南峠とやらはまだお目にかっかったことがない。その峠道が今走ってる中央道の直ぐ脇から始まっているのだ。富山県はまだまだ遥か先だというのに、愛車ジムニーは諏訪ICで早々と降りてしまったのだった。
 
<峠道の入口を求めて>
 
 ICからは一度国道20号に出て、諏訪湖の方に少し進み、直ぐに諏訪大社上社への県道に左折する。県道を詰めると正面が大社で車は侵入禁止。そこを右に折れて、主要地方道16号を有賀方面へ走る。この道のどこかに峠道の入口があることになっている。しかし、県道16号自身も狭く、そこから分かれる道はもっと狭い。全く道路標識が出ていないのだ。県別地図などの詳しいものがあれば、まだ判断のしようもあるが、ツーリングマップルだけではなかなか分からない。明らかに行き過ぎたと思った所でUターン。また目を皿の様にする。
 
 小さな橋を渡った所で思い切って右折の道に入る。すると川沿いの急勾配で狭いコンクリート舗装路となり、どう考えても峠道の本線とは思われない。でも、とにかく南の山へと登る道を進む。この付近で山を越えている道は南峠しかない。山の中へと入る道を選択すれば、その内峠道に合流するだろうとの考えだ。
 

高速道路脇の展望所
<展望所>
 
 斜面に立つ人家の間を抜けると、高速道路脇の展望所に出た。そこからは諏訪市街を眺められた。山際の北斜面に人家が集中し、その向こうの平地には田園が広がった。人が住む宅地より作物を育てる農地を大事にしているように思われた。やや天候が悪く、遠くの山並は霞んでいた。
 
 展望所近くには女性の名の碑を示す看板があった。展望所からの続きは高速道路を高架で渡り、そこはT字路となった。右には先程の碑があるようで、ここは勘で左に進む。
 
展望所から諏訪市街を眺める
 
<山の中へ>
 
 道は高速道路から離れ、山の方へと向かう。側らに浄水場があった。その先、険しい上り坂。小さな沢に沿って谷間を急登している。道としてはちょっとおかしい。峠を越える本線などと言えるものでは全くない。枝道となる作業道に近いものだ。しかし、他に進むべき道はない。どこか分からないが、行き着く所まで行ってみよう。

険しい登りが始まる
 

峠道との合流点
車が停まる先は、ひどい道
<峠道に合流>
 
 不安を抱えながらもジムニーを進めると、比較的しっかりした林道と交差した。それまでの道は交差した先にも伸びているが、更にひどい荒れようである。それ以上直進したいとは到底思われない。それより、今交差した道を進んだ方が良さそうだ。ここも勘で、交差した林道を右に入る。
 
 後から県別マップルなどを買って調べると、峠道の本来の入口は、もっと東にあったようだ。県道16号沿いの北大熊というバス停付近から南に分岐している。そこより始まって高速道路を渡り、暫く山腹を西に水平移動しながら、幾つかの小さな沢筋を跨いでいる。私は本線が本格的に登り始める最も近い沢筋を直登してしまったようだ。峠への近道だったが、やはり正規の峠道を通しで走りたかった。
 
<本線を行く>
 
 運良く本線に乗って峠を目指す。先程の道に比べれば、ずっとましな林道だが、それでも路面には落ち葉が堆積し、車が通る道路だか人が歩く山道だか分からないような有様だ。まだ不安が残る。
 
 沿道の左に御嶽社と書かれた立札があった。神社の跡を示しているようだ。近くには古い石垣が僅かに積まれているだけだった。
 
 深く枯葉が溜まった道は、歩くとさぞかし気持ちがいいのだろうが、車だとどこまでがしっかりした路面でどこからが崩れそうな路肩だか区別がつかない。それに落ち葉の下に枯れ枝や深い溝が隠れている可能性もある。恐る恐るタイヤを前進させる。

落ち葉が堆積した道
 

峠方向を望む
<峠方向を望む>
 
 道は本格的な登りへと転じ、峠を目指していることを確信できた。この付近は既に標高が1000m近くあり、11月も中旬になると紅葉の盛りは過ぎているのだろう。しかし、まだまだ沿道の木々は目を楽しませてくれる。
 
 尾根を左に回り込み、左手に下界が見下ろせるようになる。行く手には峠の嶺が望める。道は所々狭く、厳しさを増す。シンと静まり返った山の中に分け入って行く感じがひしひしと伝わってくる。
 
<山之神社>
 
 道に僅かな路肩があったと思うと、その下に鳥居が見えた。沿道にはこれといって見るものがないので、小さな鳥居だがちょっと立ち寄った。本道山ノ神林山之神社という。詳しいことは分からないが、簡単に言うと山の守護神を祀っているのである。こうした山の神は旅先で時々見かける。山で働く者にとって、安全を祈る対象となっている。こうして峠を越える時の安全も叶えてくれればいいのだが。
 

道の下に鳥居

本道山ノ神林山之神社
 
 峠のこちら、大熊側は急坂が多いが市街地までの距離は比較的近い。時折振り返ると、木々の間から諏訪の市街が明るくのぞく。道は相変わらずだが、登るに従ってひどく荒れることもなく、場所によっては安定した路面ともなる。
 

時折安定した道

諏訪市街を望む
 
<峠直下>
 
 いよいよ峠の鞍部もはっきり確認でき、峠に近付いた。急登が続く。やや緊張する。路面も路肩も悪そうだ。

峠の鞍部を望む
 

怖そうな道
 行く手に一段と怖そうな道が現れた。思わず車を停める。ガードレールはあるのだが、グニャグニャに曲がって落ち掛け、役に立ちそうにない。崖は鋭く切れ落ち、カーブも急だ。その先に何が待っているか分かったものじゃない。しかし、ここを越さねば峠には行き着けない。恐る恐るジムニーを進める。
 
    
 
<峠に到着>
 
 無事に難関を乗り越え、どうにか峠に着いた。峠は浅い切り通しになっていた。峠そのものは可もなく不可もなくといったところか。静かな山間の峠である。
 
 標高は地形図では1,218mとある。意外に高いが、元々諏訪市街が高所にあるので、それ程登って来たという感じはない。

大熊側より峠を見る
 

峠の木柱
<峠の標柱>
 
 峠の大熊側の右手に、看板などが立つ。中でも、「南峠」と書かれた木の柱が嬉しい。こんな寂しい峠には、名前が書かれた物がないことの方が多い。せめてこうして峠の表札の様に、峠の名前が出ているといいのだが。
 
 峠の標柱は「南真志野生産森林組合」によるものだった。南真志野(みなみまじの)とは、丁度私が県道から間違った道を登って来た付近の地名である。標高は「1,221米」と書かれていて、国土地理院の地形図とは異なるが、僅か3mの違いだ。峠に林道を切り開いた時に、古い峠が削られて低くなったというようなことも考えられる。
 
<入山禁止の茸山>
 
 残念ながら峠からの遠望はない。周囲は看板にあるように、「茸山」と称して入山禁止となっている。期間が示してあって、6月15日より11月15日までとのこと。山菜やキノコのことなどは全然分からないが、それがキノコが採れる時期なのだろうか。

峠より大熊方向を見る
 

後山側より峠を見る
<真志野峠について>
 
 峠の標柱があったが、地図でこの峠名が記されていることは少ない。ツーリングマップルぐらいではないだろうか。しかし、「真志野峠」(まじのとうげ)という記述は国土地理院の地形図にも見られる。
 
 真志野峠は南峠の北西約700mの近さに位置する。どうやら南峠の林道が開削される前の古い峠で、現在も車道は通じていないようだ。南峠に登る途中、多分その旧道への山道が分岐していた筈だ。真志野峠の標高は1,250mを少し上回り、南峠より高いが、最短距離で山並を越えている。そこを南峠の林道は大きく東へ迂回した格好だ。
 
<峠名について>
 
 真志野峠の名は、勿論山麓の真志野という地名に由来していると考えていいだろう。一方、この南峠とはどこから名付けられたのだろうかと疑問が湧く。
 
 峠のあるこの付近一帯は諏訪市の湖南(こなん)と呼ばれる地域である。諏訪湖の南に位置しているかららしい。真志野や大熊もその一部だ。また、峠を南に下った山間部には、やはり湖南の一部である後山(うしろやま)という集落がある。でも、南と言う地名はどこにも見当たらない。まさか「湖南」の「南」を取って峠名にしたとも考え難い。

峠より後山側を望む
 

 詳しくは知らないが、どうやら南峠や真志野峠よりも北西を越える林道があり、その峠を「中峠」と呼ぶらしい。 更にそのまた北西には県道50号の有賀峠がある。同じ諏訪市の同じ様な場所に、これだけいろいろ峠があるのだ。 それらの峠の中にあって、中ほどに位置しているので「中峠」と呼ぶのではないかと勝手に考える。 そして南に位置するのがこの南峠という訳である。はたして真相は?
 
 「南峠」の読み方も当然ながらはっきりしないが、ここでは普通に「みなみとうげ」と読んでおく。 上の考え方では、「みなみのとうげ」とでも読みたいところでもある。
 
(南峠、中峠の峠名については中峠のページ参照 2017. 8.25)

 
    
 
<後山方面へ下る>
 
 峠の南側にはまた同じ様な林道が続いていた。ふかふかの枯葉に覆われ、山と一体になって溶け込んだ道である。ただ、峠の諏訪市街地側に比べると幾分勾配も穏やかで、落ち着いた感じを受ける。
 
峠から後山方向へ下る道
 

作業小屋のようなものが立つ
<山懐へ>
 
 急坂は少ないが、集落までの道程は長そうである。直ぐにも坂道らしい坂道は姿を消し、比較的平坦な道を行く。付近には何かの作業小屋のような物があり、何とも落ち着いた雰囲気のある山懐である。諏訪の市街から小さな峠一つを越えただけで別世界の感がある。地形も安定していて、こんな所でのんびり野宿をしたいものだと思う。でも、下手なことをすると、キノコ採りと間違われては大変だ。怪しまれる行動は控えねばならない。
 
 尚も水平移動が続く。険しい崖などなく、全く危険を感じない道ではあるが、同時に視界もない。周囲は木々に囲まれ、どの辺を走っているのか判断もつかない。それでも、進むに連れて道は安定し、路面の落ち葉は少なくなり、替わりに砂利が顔を出す。やはり林道はこちらの方が安心して走れる。

路面も安定
 

入山禁止の看板
<入山禁止の看板>
 
 峠にあった物と同じ入山禁止の看板が出てきた。これが一つの区切りとなる。でも、周囲の様子はあまり変わらない。
 
 看板を過ぎても集落に出るには、もう少し未舗装林道を走らなければならなかった。

集落まではもう少し
 

林を抜ける
<林を抜ける>
 
 道の先が明るいと思ったら、ふっと林を抜けた。谷間の平地に田畑が広がっていた。その更に前方には人家の様なものも見える。山の中もいいが、こうした里の風景もまたいい。
 
 林を出ると同時に道も舗装となった。その部分は、左手に鋭角に道が分かれていた。その方向にも僅かに集落が認められる。後で詳しい県別地図を調べると、その道は東へ1kmほど伸びているが、どこにも抜けられない行き止まりのようだ。
 

<林道標識>
 林を抜けて暫く行くと、谷間を縫って流れる小川を渡る。その橋の手前に確か林道標識が立っていた。 勿論写真に撮ったのだが(右の写真)、写った林道標識は小さくて判読できない。もう4年も前のことで、当然ながら全く記憶にもない。 虫眼鏡で見ると、どうやら「??山線」とあるようだ。その「??」が読めない。「田?」か「出?」のようにも見える。あるいは「?後山線」か。
 
 峠の前後は県道442・諏訪箕輪線(すわみのわせん)と地図では記されているが、勿論あの未舗装の南峠部分を県道と呼ぶには抵抗がある。 元の林道としての名前があったと思うのだが、それが分からないのは悔しい。


峠方向を望む
中央に林道標識
 

<林道南後山線 追記 2017. 8.26>
 改めて写真をじっくり見たところ、「林道 南後山線 諏訪市」とあったようだ。 考えてみると、南峠を経て後山に通じる林道である。「南後山線」とうの名は当然であった。
 
 ただ、中峠を通る林道が「中峠後山線」と「峠」が付く。これは中峠を起点とした林道を示す為だろう。 一方、「南後山線」には「峠」が付かない。 この場合の「南」とは峠ではなく、峠の北面に流れる南沢川付近を示し、南後山線とは峠前後全体の道を指す為かと思ったりする。

 

「沢川」の標識
<沢川>
 
 側らを流れる川の名前が出ていた。「一級河川 沢川」とある。峠から流れ下る川と考えてよいのだろうか。尚、古いツーリングマップには「田無川」とある。その下流が「一の沢川」で、そこに日影入より合流するのが沢川となっていた。道と同じく川の名前も複雑である。
 
<分岐>
 
 ほぼその沢川沿いに道は下る。途中、左に川を渡る分岐があった。地図では南東の高遠町との境にある守屋山方面に伸びているが、やはり車ではどこにも抜けられない行き止まりの道のようだ。
 
 分岐の入口には何やら看板が立っているのだが、雨に濡れたか、文字はかすんで判読できない。
 
 分岐を峠方向に見ると、そこにも「茸山につき入山禁止」の看板が、でかでかと掲げられていた。

分岐(右の道)
 

林道中峠後山線
<林道中峠後山線>
 
 またその直ぐ後に,今度は右方向に未舗装林道が分岐している筈だ。入口からのぞいて見た限りでは、かなり荒れた感じがする。側らに車が打ち捨てられている。
 
 林道標識には、「林道・中峠後山線」とある。「後山」とはこの先にある後山の集落を指し、「中峠」とは諏訪市湖南の北真志野付近に越える峠なのだと思う。
 
 ただ、今となってはあまり自信がない。実は左に分岐していた様な気もするのである。後から地図などと照らし合わせると、どうもそれではつじつまが合わない。それで右に分岐していたと思い直したのだが、やはり記憶は曖昧なのだった。これまでの記述の中にも間違いがあるのではないかと、気がきでない。
 
<バス路線に合流>
 
 今度はこちらが大きな道に合流した。丁度ヘアピンカーブの途中に出る。県別地図で見ると、それはバス路線になっていた。有賀峠の方から来て、この先の後山が終点となっている。
 
 後山の集落と諏訪市の市街を結ぶ道として、南峠ではさすがに寂しいと思っていた。こちらの路線バスが通る道が本線のようである。住民達の車もこれを使うのだろう。

バス路線に合流
 

 これで実質的に南峠の峠道は終りである。ただ、県道はまだまだ続く。 後山の集落を抜け、箕輪町(みのわまち)に入り、もみじの綺麗な末広広場なる所を通り、箕輪ダムのもみじ湖をかすめ、やっと伊那谷へ出るのであった。
 
(この道の続きは中峠のページの後半参照 2017. 8.25)

 
後山の集落へ
集落には土塀の納屋があったりして、味わい深かった
 
    
 
 北陸を目指した旅は、更に更に長かった。伊那谷から権兵衛峠で木曽路に入り、上高地乗鞍林道から安房トンネルで岐阜に抜け、山吹峠と飛越トンネルで富山県の有峰湖に出た時は、もう辺りは真っ暗だ。泣きたい思いをしながら富山市内に予約したビジネスホテルへと車を進めるのであった。
 
<参考資料>
 
 昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2004年4月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形(インターネット試験版)
 角川 地名大辞典 長野県
 その他、インターネットより
 
<走行:2001.11.10 制作:2005.10.17 著作:蓑上誠一>
 

峠と旅