峠と旅
見ノ越 (見の越)
 
みのこし
 
西日本第二の高峰・剣山への登山口
 
    
 
見ノ越(見の越隧道) (撮影 2004. 5. 6)
トンネルの前方が徳島県美馬市みまし(旧木屋平村こやだいらそん)川上
手前が同県東祖谷山村ひがしいややまそん名頃なごろ
標高は1,410m(地形図より読む)
道は国道438号(国道439号との併用区間)
 
    
 
 旅先で山に登りたくなることがしばしばある。奥深い峠を旅する機会が多いので、必然的に周囲は山ばかりだ。特に峠という所は稜線上の鞍部に位置しているので、そこからは稜線に沿った山道が始まっていることが多い。そんな登山口を見掛けると、車ばかり乗ってないで、たまには自分の足で歩きたいと思うのだ。ましてやその登山道が、有名な山に通じていたら尚更だ。
 
 登山が趣味だと言える程、頻繁には山に出掛けはしないが、今までもそれなりに山歩きは楽しんできた。しかし、登るのは日帰りできる低山ばかりで、近場の山はほとんど行き尽してしまった。少しは遠方にある名山にも登ってみたいものである。
 
 と言っても、旅先で急に思い立って山歩きができる訳ではない。30分から長くても1時間くらいのハイキング程度なら別だが、れっきとして登山道を数時間も掛けて登るとなると、心身共にそれなりの準備が要る。登山用の装備も必要だ。旅にはいつも使い古したボロボロのスニーカーを履いて行くが、そんな代物で岩場など歩こうものなら直に靴底が抜けてしまう。事実、これまでも旅先で靴が壊れて難儀した経験がある。そんな時はガムテープで補修して急場をしのぐのだった。だから私の車の中にはいつもガムテープが入っている。
 
 最初に見ノ越を訪れた時、そこが剣山(つるぎさん)への登山口であることを初めて知った。峠に大きな駐車場があり、一角にリフト乗り場があった。リフトを使えば剣山は比較的登り易い山のように思えた。
 
 剣山は深田久弥氏が選定した日本百名山の一つであり、西日本第二の高峰(1、955m)だ。ちなみに第一は同じ四国にある石鎚山(1,982m)だが、こちらはリフトもケーブルカーもなく、そう易々と登れる山ではない。それに標高で27mと僅かしか違わないので、これはリフトがある剣山に登った方が徳だと思うのであった。
 
 それでも、リフトを降りてから山頂まではそれなりの山歩きを覚悟しなければならない。旅で偶然寄った見ノ越から、それではひとつ山頂まで歩きましょうなどと簡単な気持ちでは登れない。周到な準備と計画が必要なのだ。せめてリフトだけでも乗って、登山気分だけでも味わおうかと思ったが、リフト代が非常に高い。リフトに乗るくらいなら山頂も拝みたい。最初に見ノ越を越えて以来、登ってみたくてしょうがない剣山だったが、結局、山頂に到達したのは、3度目に見ノ越を訪れた時だった。
 
    
 
 剣山に登ったのは、紀伊半島から四国に掛けての旅をした時だった。しっかり登山靴を用意しての旅立ちだったが、その登山靴が活躍したのは、旅も6日目になった日のことだった。その前日は美馬町(みまちょう、現美馬市)の美馬温泉にある公共の宿に宿泊した。当日は晴天の登山日和に恵まれ、青空の下、勇んで宿を出発した。チェックアウトの際、これから剣山へ登ることをフロント係に何気なく話すと、この季節(5月初旬)でも頂上は寒さ対策が必要だとのこと。十分注意しよう。
 
 道の途中でコンビニに寄り、山頂での昼食用として助六寿司と菓子パンを買った。近場の山歩きにはポケットコンロを持参し、山頂でラーメンなど温かい物を食べるのだが、この旅にはそこまで用意する余裕はなかった。狭い軽自動車に2人分のキャンプ道具と10日間分の旅行荷物を詰め込まなければならなかったからだ。
 
<どれが峠道か>
 
 見ノ越までのコースは貞光町(さだみつちょう、現つるぎ町)から国道438号(旧県道22号)を進むこととなった。剣山登山を目指す者は、このコースを取ることが多いようだ。何しろ車の便がいい。
 
 しかし、見ノ越の峠道は、東の川井峠から西の京柱峠へと続く道筋の、中間部分という位置付けで考えたい。貞光町からは見ノ越の峠に横から登って行くように思える。それに見ノ越は木屋平村(こやだいらそん、現美馬市)と東祖谷山村(ひがしいややまそん)との境に位置するが、貞光からは一旦、一宇村(いちうそん、現つるぎ町)と東祖谷山村との村境を越えて下り、再び見ノ越へと登る。一つの峠道として、2回ピークがあるのは好まない。
 
 ただ、見ノ越を通る国道438号は貞光の方へと下るコースを取る。しかしそれも、以前は国道438号などここにはなく、国道439号がずっと東の徳島市から川井峠、見ノ越、京柱峠と越え、遥か西の高知県中村市まで通じていた。現在も、見ノ越の部分などは国道438号と439号の併用区間との位置付けでもあるようだ。よってここでは、昔の国道439号の道筋を見ノ越の峠道と考えておく。
 
 すると、貞光町内で「二層うだつ」を見たり、途中の「土釜」に立ち寄ったことは、峠道と関係ないことになる。残念だがここでは割愛し、暫くは、以前木屋平村側から峠に登った時のことを参考にする。
 
    
 
<木屋平側から>
 
 四国を旅する時は、徳島に上陸することが多い。そこから西の内陸部に向かうと、必然的に国道438号(旧439号)に乗ることになる。過去に2度、木屋平村側から見ノ越に到達したのも、ほぼ同じコースだった。神山町から井川峠を越えて木屋平村の川井に下り、そこから見ノ越へと登った。
 
<川井峠と見ノ越の峠道>
 
 川井峠と見ノ越のそれぞれの峠道の接続点は、国道492号が分岐する地点と考える。国道492号は国道438号から分かれて穴吹川に沿って北に進む。穴吹川は見ノ越を源流の一つとして木屋平側に流れ下り、川井峠からの流れも合して大河・吉野川に注いでいる。
 
 地形を把握するには川の流れを調べるのがいい。川の水は絶えず低い方へと流れ、当たり前だが決して峠を越えることはない。見ノ越から発して西の東祖谷山村へ流れ下る祖谷川は、西祖谷山村を経由してやはり吉野川に流れる。先程の「どれが峠道か」の議論に戻るが、この祖谷川の流れから考えても、見ノ越から西側の峠道は、やはり祖谷川沿いの国道439号と考えたい。
 

右に県道260号が分岐 (撮影 1997. 9.25)
左の橋を渡るのが本線の国道
<寄り道>
 
 川井峠から見ノ越へと、なかなか楽しい峠道の連続だが、全く同じ道を走るのも能がない。2回目に木屋平側から見ノ越に向かった時、実は脇道にそれたのだった。
 
 木屋平村寺内という所で右に県道260号が分岐する。ツーリングマップでは、その道の先は林道標記になっていて、保賀山峠という峠を越えている。何とはなしにその道に入り込んだのだ。国道からの分岐点にある道路標識には次のようにあった。
 
直進方向:国道438 剣山
右折方向:県道260 一宇、中尾山
 
 その県道方向を指して、「中尾山高原・キャンプ場(9Km)」とか、「中尾山高原・グラススキー場」とかの看板があった。県道を少し進むと、その中尾山高原への入口が左に出てきた。直進は通行止のようで、高原入口の門の脇には、「一宇村」とも書かれていたので、そちらに進む。
 
 どうやら最初の目的の保賀山峠への道からはそれてしまったようだった。いつまで経っても峠が出てこない。

左に中尾山高原へ (撮影 1997. 9.25)
直進は通行止だった
 

看板には国道439号とある (撮影 1997. 9.25)
 道の様相はほとんど林道となった。すると道路脇に左の写真の看板が出てきた。国道標記で439号とある。行き先は剣山。この道自体が国道439号なのだろうか。それともこの先に国道439号があることを示しているのだろうか。
 
 この時、既に旧国道439号の一部は国道438号に変わっていた。するとこの道が新しく国道439号となるのだろうか。しかし、看板には次のようにもあった。
 
 この幹線道は林道と作業道になっており通行時の落石については充分注意して下さい。
 
 国道だか林道だか分からないという謎の幹線道を進むと、結局国道438号に戻った。峠の手前4〜5Kmといった所だ。国道がヘアピンでカーブする部分に横から合流する。
 
 本線の国道は、穴吹川に暫く沿ってから一気に九十九折れで登って来るが、この時使った道は、国道とほぼ平行に山腹を横切って進み、左手から登って来た国道に合流する格好だ。このルートは比較的最近の地図にも載ってないので、穴場的存在かもしれない。谷底を走る国道に比べ、眺めがいい。

国道へ戻った (撮影 1997. 9.25)
 

美馬市側より峠方向を望む (撮影 1997. 9.25)
<峠へ>
 
 道は穴吹川の北側の山肌を縫って峠を目指す。南を向いた斜面は日当たりも良く、左手の谷を大きく眺め渡すことができる。そして前方には峠の鞍部が見え隠れする。
 
 見ノ越は、東祖谷山村側より美馬市側の方が谷が険しい。その分、峠道としての醍醐味が感じられる。眺めもいいので、カーブの脇にあるちょっとした路肩に車を停めては写真を撮ることになる。同じ道で2回見ノ越を目指したが、図らずしも同じ場所で写真を撮っていた(下の2枚)。
 

美馬市側より峠方向を望む (撮影 1992. 4.27)

左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1997. 9.25)
 
    
 

美馬市側の隧道坑口 (撮影 2004. 5. 6)
<峠に到着>
 
 峠の美馬市側はあっさりしている。トンネルがポッカリ口を開け、その前の路肩に車が一台置ける程度のスペースがあるだけだ。しかし、トンネルを背にして振り返ると、いい眺めが目の前に広がる。穴吹川の谷がずっと東に伸び、山肌にはこれまで登って来た峠道の道筋が望める。なかなか爽快である。見ノ越を訪れたのなら、この景色を堪能しない訳にはいかない。
 
峠より木屋平村(現美馬市)側を望む (撮影 1992. 4.27)
 
上の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1997. 9.25)
道路脇の標識に「コリトリ ↑ 11.5Km」とある
 
<美馬市>
 
 ちょっと前までの峠には、「木屋平村」と書かれた看板が立っていたが、調べてみるとどうやら木屋平村は「美馬市」に変わったようだ。平成の大合併劇がこの山村にも及んでいたのであった。今頃は「美馬市」と書き変えられているのだろうか。山深い峠に「村」の字は似合うが、「市」の文字は不似合いなのではなかと思うのであった。

峠より木屋平村(現美馬市)側を望む
(撮影 2004. 5. 6)
 

峠の木屋平村(現美馬市)側 (撮影 2004. 5. 6)

左の続き (撮影 2004. 5. 6)
 
<コリトリ?>
 
 道路情報の看板の中に不可思議な文字がある。
通行注意 落石のおそれ 見ノ越〜コリトリ
 
 この「コリトリ」とは何なのだろうか。他の道路標識にも「コリトリ 11.5km」などとあった。多分、どこかの地名なのだろうが、一般の道路地図や国土地理院の地形図を調べても出ていない。
 
 インターネット上で調べたり、峠から11.5kmという距離から判断して、どうやら国道が穴吹川から離れて山腹を登り始める地点をそう呼ぶようだ。穴吹川の支流・富士池谷に沿う林道が分岐する所である。コリトリから見ノ越までの国道区間は、山腹を九十九折れで急登する峠道であり、落石などの危険があるという訳で、このコリトリの名が登場することになったのであろう。
 
 古く、見ノ越が開通する以前、剣山への登山道は、このコリトリから出発し、東の一ノ森(1,879m)を経由して剣山の山頂を目指すのが信仰登山のメインルートとなっていたようだ。コリトリは「垢離取」とも書く。今は車道が見ノ越まで開通し、剣山登山は非常に容易になったことが伺える。ましてや見ノ越から山腹途中までリフトが通じては、雲泥の差である。そのお蔭で、私も剣山へ登れるという訳である。
 
<美馬市側の隧道坑口>
 
 見ノ越を抜けているトンネルは、内部にポツンポツンとオレンジ色の照明が灯り、寂しい限りだ。車の離合は全く不可能な1車線幅である。対向車との駆け引きが必要で、ちょっと気がもめる。早めにヘッドライトを点けた者勝ちかもしれない。
 
 トンネルの表札には「見の越隧道」とある。道路地図などのほとんどが「見ノ越」とカタカナの「ノ」を書くが、トンネルの名としては、ひらがなの「の」を使っている。
 
 坑口の左側、目立たないが完成年月を記したプレートが取り付けられている。
 
完成昭和四十一年三月
施工者 貞光土建KK

美馬市側の隧道坑口 (撮影 1997. 9.25)
 

トンネルの表札 (撮影 1997. 9.25)
「見の越隧道」とある

完成昭和41年3月 (撮影 2004. 5. 6)
 
 車道としての峠道の開通は、このトンネルの完成とほぼ同時期だろうと推測される。ただし、トンネル開通前にも古くからの峠道があったことだろう。資料には、明治期に修験道の講中の人々で賑わったとある。
 
    
 
<峠の東祖谷山村側>
 
 見の越隧道を東祖谷山村側に抜けると、美馬市側とは打って変わって広々としている。何も知らずにやって来ると、一体何が起きたのだろうかとびっくりする。美馬市側の殺風景さとは対照的に、こちらは人や車で賑わっている。勿論この賑わいは見ノ越が剣山への登山基地であるからだ。
 

トンネルを東祖谷山村側に抜ける (撮影 2004. 5. 6)

峠の東祖谷山村側 (撮影 2004. 5. 6)
 

東祖谷山村側の隧道坑口 (撮影 1992. 4.27)
トンネルの直ぐ上がもう稜線
<トンネルの上>
 
 東祖谷山村側からトンネル方向を見上げると、そのちょっと上がもう稜線だ。トンネルの上、数10mといった近さだ。稜線上に何やら建物も見られる。そこが本来の見ノ越と呼ばれる峠なのであろう。資料では見ノ越の標高は1,450mとあった。一方、見の越隧道は約1,410mの所を抜けている。
 
 トンネル坑口近くには稜線上へと登って行くはっきりした山道は見当たらなかった。昔の道筋は現在の車道と異なる為だろうか。地形図を見ると、峠から剣神社や円福寺のある方へと山道が伸びている。それが昔の峠道なのであろうか。
 

峠の様子1 (撮影 2004. 5. 6)
左にあるのはトイレ

峠の様子2 (撮影 2004. 5. 6)
 
<峠の周辺>
 
 東祖谷山村側の峠の周辺にはいろいろある。それは下の案内図を見ても分かる通りだ。まず第1から第3まで駐車場が3つもある。峠に隣接する第1駐車場の奧にはリフト乗り場あり、付近には剣神社や円福寺が建ち、沿道には土産物屋や民宿が並ぶ。
 

峠の様子3 (撮影 2004. 5. 6)
 
峠にあった案内図 (撮影 2004. 5. 6)
 

旧一宇村との境 (撮影 1997. 9.25)
車は旧一宇村方向を向く
右手に第三駐車場への入口
 第3駐車場はやや離れ、東祖谷山村と一宇村(現つるぎ町)との境にある。その近くには県民の森、国民宿舎、夫婦池などが案内図に見られる。
 
 ただ、峠から第3駐車場までは約2Kmほどの距離があるので、剣山への登山者がここを使うとは思われない。また、案外寂しい場所で、ここに公共の宿「ラフォーレつるぎ山」があるとは全く予想できない。車道を挟んで2つの池があることになっているが、残念ながらそれも見たことはないのであった。
 
 しかし、ここも一つの峠であり、その意味では関心が向く。調べて見るとやっぱり写真が撮ってあった(左の写真)。
 
<賑わう峠>
 
 これ程険しいのに、これ程賑わっている峠も珍しい。途中の道は長く寂しく、遥々やって来たと思ったのに、峠に着くと大きな駐車場に何台もの車が停まり、土産物屋を物色している人たちが居る。これではちょっとした観光地だ。峠を旅しに来た者にとって、やや興ざめの感もある。
 
 勿論、訪れる人たち全てが登山者ではないが、古くから信仰の山として、また、西日本第二の高峰として、剣山の登山者は多かったのだろう。それが昭和41年の隧道開通に続き、登山リフトが昭和45年に完成している。見ノ越は一挙に剣山の玄関口となった。登山客を当て込んだ店が立ち、登山者ではない通りすがりの者も立ち止まる峠となったのである。

第1駐車場 (撮影 1997. 9.25)
その奧にリフト乗り場
 
 そういう意味で、見ノ越の峠道は楽しいが峠自身はあまり面白くない。誰も居ない峠でボンヤリ山の景色でも見ながら一人寂しく佇みたいと思っても、そうは問屋が卸さないのだ。実際に、第1駐車場の端から東祖谷山村側を眺めても、いい景色は得られない。人が多い所は苦手なので、さっさと峠を降りることになるが、気になるのはやはり剣山である。山は嫌いではない。しかも、百名山の一つとなれば、普段東京郊外の高尾山ぐらいしか登らない者にとって、とても魅力的なのであった。それがリフトに乗れば直ぐ手の届く所にあるのだ。
 
    
 
<剣山の山頂へ>
 
 貞光町(現つるぎ町)方面から通称「剣山ドライブウェイ」と呼ばれる国道438号をやって来て、第一駐車場に車を停めると、まずはリフト乗り場へ向かう。この様な山間地では珍しい二階建ての駐車場の脇をすり抜ける。混雑期にはこの二階も登山者の車で一杯になるのだろうか。今は、一階の一部が使われているだけだった。
 
 リフトは通常運転しており、山頂の気温は6℃と表示されていた。やはり防寒は充分に行った方が良さそうだ。車に戻り、もう二十年以上前に山歩き始めた最初に買ったキャラバンシューズを履く。一緒に登る友人の足元を見れば、偶然にも同じキャラバンシューズである。お洒落で機能的なトレッキングシューズが流行る昨今、この質素で無骨なキャラバンシューズはあまりお目にかかれない貴重品だ。ついでに私の物は穴も開いていて、長い歴史を物語っているのであった。

リフト乗り場へ (撮影 2004. 5. 6)
 
 リフトは一人往復1,800円也。なかなか高い。リフトに乗る時は緊張する。友人がリフトに乗るタイミングを苦手とし、スキー場で転倒してリフトを止めたという経歴を持つ人物だからだ。今回は無事に乗ることができ、標高1,420mの見の越駅から標高1,750mの西島駅へと向かう。
 
 リフトからは峠の東祖谷山村側が望める。峠直下で道が分岐し、その二本の道筋がはっきり見て取れる。一本は国道438号で北の東祖谷山村と一宇村(現つるぎ町)との境へ穏やかに登って行く。貞光方向から見ノ越まで辿って来た道だ。もう一本は西の東祖谷山村の名頃(なごろ)へと一気に下って行く国道439号だ。
 
 15分の空中散歩は長くて乗りでがあり、こうして眺めも良いので1,800円の価値はあると思わせる。
 
リフトからの眺め (撮影 2004. 5. 6)
左上に登る道が国道438号(一宇村との境へ)
左下に下る道が国道439号(東祖谷山村名頃へ)
 

剣山頂上周辺 (撮影 2004. 5. 6)
 リフト終点からは三本の登山コースが選べる。最短の尾根道(約40分)、中間の大剱道(約60分)、アップダウンが少なく勾配も緩い遊歩道(約80分)。我々は登りを楽にと考え、遊歩道を歩き始める。このコースは南西のジロウギュウ(1,929m)との尾根まで進み、その尾根を直登する。登り切った所が剣山の最高所で1,954.7m。西島駅から一時間で到達できた。
 
 名前と異なり、山頂から眺める剣山周辺はなだらかな高原状であった。尖った山容から「剣」の字を持つ山は幾つかあるが、この剣山は安徳天皇の御剣を山頂に埋め、それを御神体としたと言ういわれによるとのこと。
 
 頂上近くの板敷きのテラスに腰を下ろして昼食とする。吹き通る風がやや寒いが、オレンジジュースで乾杯し、コンビニで買った弁当を食べる。
 
 山頂の北の端に向かうと見ノ越から東の木屋平村(現美馬市)側が一望であった。道筋も確認できる。大きく蛇行して穴吹川に下る国道438号と、その途中よりそのまま山腹を東へ進む道が見える。それが二回目に見ノ越を訪れた時に通った林道のようであった。
 
剣山山頂より木屋平村(現美馬市)方面を望む (撮影 2004. 5. 6)
 
<峠の名>
 
 見ノ越はこの剣山と北の丸笠山(1,711m)とを結ぶ稜線上の鞍部に位置する。残念ながら剣山山頂から見ノ越の峠の部分は、尾根途中の隆起に遮られ、望むことができなかった。
 
 見ノ越の名は、木屋平と祖谷の両方を見て越えることから、そう呼ばれたとも言われるそうだ。勿論、見の越隧道ができた今の道では、同時のその両方を望むことはできない。特に、祖谷側は広い駐車場が造られたこともあってか、眺望が得られるポイントがない。
 
 多分、トンネルの数10m上にある昔の峠に立てば、木屋平と祖谷の両側を眺めることができるのだろう。見ノ越の西には高知県との県境に京柱峠がある。そこは今でも徳島・高知の両県に渡って絶景が眺められる峠だ。見ノ越もそんな峠だったのかもしれない。
 
<下山>
 
  剣山本宮宝蔵石神社に寄る。友人は若い人には珍しいご朱印を集めるという趣味を持っている。さすがに宮司は居なかったが、隣りの山頂ヒュッテで預かってあったご朱印を無事頂く。
 
 山頂からの帰りは最短の尾根道を選んだ。勾配が急なので注意する。すると、バイク用の皮ツナギとブーツで登って来る男性が居た。バイクツーリングでちょっと立ち寄った峠から、ついでとばかりに山頂を目指したという感じである。若くて元気だと、こうもた易く百名山に登れるのか。こちらは周到な準備をし、体調も整えて、恐々挑んだ百名山であった。
 
    
 
<峠から東祖谷山村へ下る>
 
 駐車場から国道を下ると、左手に民宿などが立ち並び、右手の上には剣神社や円福寺が建つ。山深い所にあって、この僅かな沿道区間だけは別世界の華やかさだ。
 
 何も知らずに初めて訪れた時は本当にびっくりした。何が起ったのかと思った。見ノ越の直前は川井峠(川井隧道)を越えて来たのだが、そちらは何もない寂しい峠であった。そこからの道も細く険しく、ところが見ノ越のトンネルを抜けると、まるで集落の中のようである。

民宿などが並ぶ (撮影 2004. 5. 6)
 

道の右上に剣神社などが建つ (撮影 2004. 5. 6)
前方に分岐の標識が見える
<分岐>
 
 峠から僅かに下ると直ぐにも分岐が現れる。左に下るのが国道439号、右に登るのが国道438号の続き。国道439号は東祖谷山村の中心部へ、国道438号を進めば一宇村から貞光町(どちらも現つるぎ町)に至る。
 
 
<昔の分岐>
 
 今の分岐は、徳島市から貞光に至る国道438号から国道439号が分岐する格好になっているが、以前はそうではなかった。分岐から貞光町までが県道22号で、徳島市からの国道439号が分岐を通って東祖谷山村へと続いていた。そちらの道が本線であった訳だ。
 
 右の写真が比較的古く、1992年に分岐を撮ったものだ。道路標識には次のようにある。
 
 国道439号 大杉 池田 大歩危 かずら橋
 県道22号 貞光 一宇
 
 
<みどりの一里塚>
 
 写真の右端を良く見ると、貞光方向を指して「みどりの一里塚 見ノ越 1.5Km」と書かれた看板が立つ。峠の見ノ越は反対方向であり、現地でこの看板を見た時は、随分当惑させられた。結局その時は分からず仕舞いだった。
 1.5Kmという距離は、一宇村との境より手前に位置する。どうやらその近辺に見ノ越西と呼ばれる標高1,440.1mの4等三角点がある。その案内だったようだが、紛らわしい話しである。

昔の分岐の様子 (撮影 1992. 4.27)
左は国道439号の続き、右に県道22号が分岐
 

国道438号からリフトを望む (撮影 1997. 9.25)
 分岐より現在の国道438号へ少し進むと、剣山登山リフトの様子が良く見える。その下の右の方からは国道439号が登って来ており、左からは国道438号が下る様子が分かる。但し、剣山の頂上はまだ見えない。
 
 更に進んで、先程のみどりの一里塚と呼ばれる付近まで来ると、なだらかな山容の剣山が姿を現す。頂上にヒュッテがあるので、それが剣山と判断できる。
 
 
<国道439号を下る>
 
 道を戻して分岐より国道439号を進む。概ね西に伸びる祖谷川の谷間に沿って下る。木屋平側に比べると、こちらの祖谷側は傾斜が緩く谷も狭い。その為、あまり眺望が広がらず、峠道としての面白さにはちょっと欠ける。振り返ると、谷の間から僅かに剣山山頂がのぞいていたが、それも直ぐに見えなくなった。

祖谷の谷間から峠方向を望む (撮影 2004. 5. 6)
 
峠にあった看板より (撮影 1997. 9.25)
 
<かずら橋と野猿>
 
 祖谷の観光名所と言えば、祖谷渓と祖谷川に架るかずら橋だ。日本三大奇矯の一つに数えられる場合もあるようだ。しかし、ガイドブックに載ったりする有名なかずら橋は西祖谷山村にある。
 
 一方、見ノ越を東祖谷山村へ7Km程も下ると、そこにも奧祖谷かずら橋というのがある。やや規模は小さい気がするが、二重かずら橋とも言われ、少しの距離を隔てて二本の橋が架けられている。こちらはあまり観光客でごった返すこともなく、丸石山を経由して剣山へ至る登山道の一部ともなっている。
 
 このかずら橋周辺の入場料は一人500円で、人が少ないこともあって、なかなか楽しめる。一部にはキャンプ場もあるが、車道からやや離れているのが難点だ。

奧祖谷のかずら橋 (撮影 2004. 5. 6)
 

野猿 (撮影 2004. 5. 6)
 一番面白かったのは野猿である。川に渡されたロープに滑車でぶら下がった縁台に乗り、別のロープを手繰って川を渡る仕掛けだ。無造作に置かれた野猿は、勝手に乗っていいものやらどうやら分からない。勿論管理人は付いてないし、周囲には他に誰も居ない。単なる公園にある子供の遊戯と違って、命の危険も感じる乗り物である。
 
 やや躊躇したが、思い切って二人で乗ってみることにした。野猿は思いの外、楽に動いた。女性でも充分扱える。降りる時はちょっと慎重になった。ロープを充分に引っ張り、野猿が川の方へ動かないようにして、まず友人を下ろさせた。次に私が降りようとすると、友人は間違って違うロープを引っ張り、危うく私は川の方へ押し戻されそうになった。力は要らないが、少しは頭が要る乗り物なのであった。
 
<祖谷川沿いを走る>
 
 奧祖谷かずら橋付近の祖谷川は、まだそれ程大きな流れではないが、その下流には名頃ダムがあり、川幅は増す。国道は終始、祖谷川の右岸に沿い、狭い谷間を川と共に蛇行しながら下る。
 
 菅生(すげおい)辺りからは沿道に集落も多くなる。菅生では、小島峠(おしま峠)からの県道261号を合わせる。

菅生(すげおい)近辺 (撮影 2004. 5. 6)
 

 祖谷川の狭い谷間を下る(撮影 2004. 5. 6)
 また、落合では落合峠からの道が合流する。祖谷川の谷は相変わらず狭く、人家はか細い国道に沿ってポツリポツリと点在する。 
 
<バイパス路>
 
 国道は村役場の手前で川の左岸に渡る。村役場をバイパスする様に新しい道が対岸に築かれたのだ。それまでの狭い道幅とは異なる快適な2車線路である。しかし、沿道に人家はない。対岸の京上(きょうじょう)と呼ばれる街角は、役場の他に商店なども建ち並ぶ、東祖谷山村の中心街である。
 
 バイパス路は、以前は1Kmも進まないまま途切れ、また元の右岸に戻された(右の写真)。しかし、去年(2004年)の5月の時点では、県道32号の分岐まで開通していたのだった。

バイパス路の終り (撮影 1997. 9.25)
直進方向はまだ工事中
 
    
 
<県道32号の分岐>
 
 見知らぬ新しいトンネルを抜けたと思うと、橋を渡ってT字路に出た。その正面の道路標識には、左:国道439号 京柱峠、右:県道32号 池田 かずらばし」とあった。
 
 右を見るとまた別の橋がある。車を降りて近付いてみると、そちらには見覚えがあった。旧道の祖谷川橋であった。

新しい県道32号の分岐 (撮影 2004. 5. 6)
 

手前の旧道と奧の新道 (撮影 2004. 5. 6)

古い分岐 (撮影 2004. 5. 6)
こちらの道路標識はなくなっている
 
 祖谷川橋の袂には、「至徳島一二八粁」と書かれていた。その距離といい、字体といい、重みを感じる。橋上から分岐方向を見ると、正面に小学校があり、これまでに何度か見た景色だ。ただ、分岐を示す道路標識がなくなっている。代わりに、「実現しよう京柱トンネル」と書かれた看板が目立っていた。
 

祖谷川橋を渡ったところ (撮影 1997. 9.25)

左と同じ場所 (撮影 1992. 4.27)
 
観光案内図(上が南) (撮影 2004. 5. 6)
県道32号の分岐部分は少し間違っている
 
    
 
 新しくできたトンネルは、京上トンネルという名であった。このトンネルを含む僅か2Km程のパイパス路が、見ノ越の峠道の中で、唯一快適な道に生まれ変わっていた。
 
 分岐を左に行けば、更なる峠道が待っている。京柱峠を越える長い長い道だ。右に行けば、祖谷川沿いを西祖谷山村に進む。その先、有名な方のかずら橋や祖谷渓を抜け、祖谷川は最終的に吉野川へと注ぐ。見ノ越の峠道もここらで終点としておかないと、いつまで経っても切りがない。
 
<参考資料>
 
 昭文社 中国・四国 ツーリングマップ 1989年7月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 中国・四国 1997年9月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 徳島県 2001年4月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形(インターネット閲覧サービス)
 角川 地名大辞典 徳島県
 朝日新聞社 日本百名山 深田久弥氏著 昭和57年7月20日発行
 その他、インターネットのウェブより
 
<走行:2004. 5. 6 制作:2005.11.28 著作:蓑上誠一>
 

峠と旅