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序 |
<旧
山伏隧道> 上の写真は、いつも見掛ける国道413号の山伏トンネルではない。旧道の方の旧山伏隧道である。入口には立入禁止と大書され、その下に携帯電話番号ら しき 数字が並んでいる。いつも馴染みの山伏トンネルは下の写真となる。坑口の左端にトンネル銘板が掛かっている。 |
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<トンネル銘板> 山伏トンネル 1982年3月 山 梨 県 延長 170m 巾 7.5m 高 4.5m 施工 秋山土建株式会社 |
11年前の状態 |
最近の状態 |
<山
伏トンネルの開通> 銘板からすると山伏トンネルは1982年3月の開通らしい。比較的最近のことで、それ以前は旧山伏隧道が使われていたことになる。残念ながら、私がバイ ク や車に乗り始めたのが1988年からなので、旧山伏隧道が現役だった頃を全く知らない。 <トンネルの呼び方> 尚、山伏峠には新旧二つのトンネルがある訳だが、新しい方の名称は銘板にもあるように「山伏トンネル」である。そこで古い方は、ちょっと古めかしく「隧 道」の文字 を使って、「旧山伏隧道」などとここでは表記して区別することとした。ただし、この「旧山伏隧道」の名称は一般に使われている訳ではないので、 ご了承を。 <道の変遷> 現在、山伏トンネルには国道413号が通じているが、元は主要地方道山中津久井線で、昭和57年(1982年)4月に国道へと昇格(編入)したらしい。 丁度 山伏トンネルの開通と時を同じくする。山伏トンネルの開通に合わせて国道になったのかもしれない。よって、旧山伏隧道には国道だった時代はないかもしれな い。 元々、峠の道志村には「道志村貫通郡道」なる道が通じていた。山伏峠に車道が通じる以前の話である。それが大正8年(1919年)に県道へと編入された そうだ。県道名は多分「津久井山中湖線」だと思う。更に文献によると、山伏峠の下にトンネルが通じたのは昭和7年(1932年)のことだそうだ。ここで言 う旧山伏隧道の開通である。その後、山伏峠を越える道は、主要地方道から国道へと移っていった。 <旧道の存在> 山伏トンネルに旧道があることは意外と気が付き難い。道志村側は旧道への道の分岐がはっきりしないし、山中湖村側からは少し奥まった所に旧山伏隧道の坑 口が隠れている。それに、新旧2つのトンネルは、あまり長さも変わらず、標高差もほとんどない。現在の山伏トンネルの直ぐ近くに、もう一本別のトンネルが 貫通 して いたとは、なかなか思いが至らないのだ。 それでも山伏峠にはどうやら旧道がありそうだと、うすうす感じるようになり、やっと訪ねてみたのは2003年のことである。山伏トンネルを越える通称・ 道志み ち (どうしみち)を走り始めてから20年近くも経った後であった。山に埋もれそうな旧山伏隧道の坑口を目の前にして、ちょっと感動した覚えがある。 |
道志村側より峠へ |
最近体調が悪く、必要な用事がある時以外は外出を控えていた。するとある日
妻が、自分が車の運転をするので、ちょっと気晴らしにドライブに行こうかと言い出した。山中湖にほど近い「花の都公園」にでも訪れてみようとのこと。車
で外出する時はいつも妻と交代に運転をするのだが、今回は彼女にハンドルをゆだね、助手席にのんびり座って出掛けることとした。 久しぶりに道志みち・国道413号を走る。神奈川県内の区間は、狭い道が多かったが、今は大幅に改修されている。都心方向から富士の麓の山中湖などを訪 れ たり、都心方向への帰宅時、国道20号やそれに並走する中央道が混雑する時のバイパス路として、この道志みちはよく利用した。帰りが遅くなり、夜暗い中を 走 り通したこともある。今思い起こすと、よくあんな長くて狭い道を平気で走れたものだと思う。 両国橋を渡ると山梨県の道志村に入る。こちら側も所々道が良くなっている。間もなく右手方向に巌道峠(がんどうとうげ)へと登る狭い道が分岐する。道志みちは長い割には、外部と 連 絡している道は少なく、巌道峠は貴重な存在だ。ただ、かなりマイナーな道ではある。 沿道にはキャンプ場が多い。民宿などの宿泊施設も見掛ける。国道から少し離れて「道志の湯」がある。「道の駅どうし」もできた。道路脇に新しい休憩ス ポットが設けられもした。この日は平日というのに、走行車両は多く、道の駅も観光客で賑わっていた。特にバイクが多いのが目立つ。ただ、注意が必要だ。万 が一人身事故が発生した場合、救急車がなかなか来れないと聞く。病院が近くになく、更に長く屈曲した道が、救急車の対応を難しくしている。 この道志みちの沿線には見所が多く、個人的にもいろいろ思い出があるが、峠道としては特に掲載したいという程のことはない。今回は旧道を含めた峠付近だ け に止める。何しろ道志みちはあまりにも長いので、交差点「青山」の起点からいちいち寄り道していては、なかなか峠に辿り着けない。 |
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峠の道志村側 |
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<ト
ンネル手前> トンネル手前の左側に、ちょっとした園地のような場所がある。ただ、ガードレールで仕切られ、普段は入口に車止めが施してある。よって山伏トンネルの道 志村側に車を停めるのは厄介だった。路肩ぎりぎりに車を寄せ、長居は禁物である。最近はその僅かな路肩も更に狭くなり、車はこの地から締め出される状況 だ。 |
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<トンネル坑口> 山伏トンネルはここ20年以上、特に大きな変化は見られない。坑口の左側に「トンネル出口 カーブ注意」の黄色い看板と、その下にトンネル銘板がある。 ただ、坑口上部の法面がコンクリートできれいに補修されていた。 |
6年前の様子 前方左手に「七里の塚」の木柱が立つ |
11年前の様子 |
坑口周辺 |
<七里塚> トンネル手前の沿道には、道志村を示す看板などが散見される。ちょっと面白 いのは、「道志七里 七里の塚」とある木柱であった。その横には「これより 山中湖村 道志村観光協会商工会」と、古そうな看板も立っていた。 道志村は 昔から「道志七里」と呼ばれ、道志川に沿って約28kmもの長い村域に及んだ。今年(2014年)の3月、記録的な大雪が降った折、道志村が外界から途絶 されたが、それ程奥まった地域である。 |
「道志村・山伏峠」とある |
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最近、道志みち沿いに塚石が新しく設けられるようになり、二里塚の地点などは駐車場も完備された。道志みちは益々整備されていく。 |
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<園地の改修?> 山伏トンネル手前が道志村最後の七里塚の地点であるが、最近、その「七里の 塚」と書かれた木柱が見当たらない。付近は何やら造成中である。その内ここにも「七里塚」と刻まれた新しい石碑が置かれるのかもしれない。ついでに沿道の 園地も整備され、車が停められるようになると良いのだが。 |
「七里の塚」の木柱が見当たらない |
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トンネルの更に手前、カーブ の角に「是より 道志村」と刻まれた石碑と「七里太鼓乃里」と書かれた太鼓のモニュメントがある。道志村に関してその歴史などを調べると、山伏峠の 旅も、更に興味深いものとなるだろうが、ここではとにかく峠の旧道の方に関心を向けることとする。 |
道志村側の旧道へ |
今回は車を停めるスペースが
なかったので、旧道へは行っていない。そこで2003年に訪れた時のことを掲載する。 <旧道のアスファルト路面> 旧道などと言っても、実は大 したことはない。山伏トンネル左の園地の奥に歩いて行く。そちらには御正体山、石割山、菰釣山などへの登山道もある。すると、古そうなアスファルト路面が 現れた。オレンジ色のセンターラインも確認できる。これが元の峠道の痕跡だ。 |
旧山伏隧道方向に見る |
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<道
志村側の坑口跡> アスファルト路面は長さ数10mで 、その先壁に突き当たる。その壁を良く見ると、トンネルの坑口らしいアーチ状の石かコンクリートの一部が僅かに覗いていた。坑口はコンクリートに塞がれ、 そこに土が崩れてきて土の斜面を成し、更に草木が覆い隠そうとしているようだった。 |
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坑口跡を背に園地方向を見ると、道に沿って電柱が並び、沿道には何かの設備 が立っていた。旧山伏隧道を抜けると、かつてはこの様な景色を眺めたのであろう。今は寂しい光景である。 |
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今回(2014年)訪れた時は、車を停めるスペースはないし、園地は土木工 事中だしで、旧坑口は見に行けなかった。今後の園地改修に伴い、僅かに残っていたアスファルト路面やその先の坑口跡も、見られなくなるかもしれない。 |
山中湖村側へ |
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<山伏トンネルの山中湖村側> 現在の国道413号の山伏トンネルは、山中湖村方向に向け、やや左カーブで抜けている。トンネル内は僅かながらも照明が灯る。トンネルを出ると直ぐに左 へ急カーブする。そのカーブの直前を左へ逆Y字に道が分岐する。それが旧道である。 |
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11年前の様子 牛乳配達の車が休憩中 |
11年前の様子 |
トンネル周辺 |
<扁額> 山伏トンネルの山中湖村側の坑口も、以前と差して変わりはない。坑口上部に掲げられた表札も同じだ。尚、こうした門戸などに掲げられた横長の額を「扁 額」 (へんがく)と言うらしい。以前どこかで見掛けた名称なのだが、なかなか覚えられないでいた。それでこれまでは適当に「表札」とか「銘板」と呼んできた。 これからは専門用語らしく、「扁額」と呼ぶこととする。 |
11年前の様子 現在とほとんど変わりはない |
正式には「扁額」と呼ぶらしい |
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現在の山伏トンネルは、明らかに2代目である。しかし、「新山伏トンネル」などとは呼ばない。扁額もただの「山伏トンネル」である。 |
<バス停> これまで何度も走った道志みちであるが、路線バスを見掛けたことがあったかどうか。それでも峠にちゃんとバス停はある。その名も「山伏峠」。道を挟んで 旧道分岐とは 反対側にポツンと立っている。ご丁寧に「やまぶしとうげ」とルビも振ってある。峠名が書かれた物は、ついつい写真に撮ってしまう。バスの時刻表なども写し たりするが、別にバスに乗る積りはない。バスがどの程度運行されているか気にか掛かる程度だ。 |
左端に国立公園の看板 |
最近の物 |
11年前 |
バスの時刻表(最近の物) (撮影 2012.11. 4) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
バスの時刻表(11年前の物) (撮影 2012.11. 4) (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
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<看板など> バス停の並びに「国立公園」の看板が立ち、他にも小さな看板類が散在し、中には朽ちて何が書かれてあったか分からない物もある。そんな中、木々に埋も れた一つの看板を発見した。山伏トンネルを山中湖村側に出て、その先左カーブになる正面の山の斜面である。大きく「高原ドライブイン」とある。 |
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真中の矢印看板の上辺り |
<高原ドライブインの看板> 辛うじて次のように読める。 山伏峠のみはらし 富士山のすがた 最高の景色 高原ドライブイン トンネル 出るすぐ左 P ←100台駐車可 丹沢山の登山道 東海自然歩道登り口 |
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このドライブインは旧道沿いにある。新しく山伏トンネルが開通し、国道の本線沿いから外れてしまった。それで、この看板を立て、店の
ある旧道方向に客を呼び込もうとしたのではないだろうか。まあ、余談はこの辺で、旧道へ進む。 |
山中湖村側の旧道へ |
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<旧道の様子> 山中湖村側に残る旧道も、これもほんの僅かな距離でしかない。国道分岐から旧山伏隧道の坑口まで100mくらいか。その間の車道の路面は比較的しっかり している。道幅は狭くセンターラインなどないが、路面を覆うアスファルトはそれ程痛んでいない。多分、この道が旧道になってからも、ある程度の補修が行わ れたのではないだろうか。この先に峠の茶屋とも言うべき、高原ドライブインがあったのだろうから。 国道沿いには駐車スペースがないので、この旧道沿いに車を停めるのが良い。ある時は、配送の小型トラックが休んでいたり、登山者の物と思われる乗用車が 停められていたりする。 |
<隧
道前にゲート> 今は坑口に至る直前にチェーンによるゲートがあり、車はその先へは入れない。車の転回が厄介になった。坑口の前は広々として車を戻すには都合良かったの だが。ただ、歩いて坑口までは行けた。 |
左にカーブして旧山伏隧道へ 今はその直前にチェーンのゲートがある |
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<旧
山伏隧道へ> 道志村側の坑口はもう自然に帰リ掛けていたが、山中湖村側の坑口は健在である。ひとつには、トンネル内を何かに利用していた為のようだ。坑口には壁が設 けられ、人の出入りの為の扉もあった。 <以前の坑口の様子> 11年前に見た時は、アーチ型の坑口一杯になかなか洒落た両開きの扉に、装飾性がある明り窓も付いた立派な壁が設けられていた。しかし、最近はコンク リートの型枠に使う様な黄色の合板が建て付けてあるだけで、ややみすぼらしい姿である。 |
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坑口の意匠など |
<坑口の意匠> 坑口を塞ぐ壁はともかくとして、旧山伏隧道の坑口がまだ見られることには価値がある。石がアーチ状に並んでいるが、ほとんどはコンクリートで覆われてい て、飾りとしての役割しかない。当初は石やレンガをアーチ状に組上げて造ったトンネルを、その後補強の為にトンネル内などをコンクリート壁で固めることが あるようだ。この旧山伏隧道もその 一例かもしれない。車が通行していたとするには如何にも狭そうに見える。そのコンクリートも一部は剥げ落ちて、現状はやはり無残な姿である。それでも角 ばったドッシリした構えは、古めかしさの中にもどこか威厳を漂わせている。 |
11年前の様子 |
<扁
額> 扁額はさすがに元のままであろう。右から左へ「山伏」とのみある。「峠」とか「隧道」、「トンネル」といった文字はない。左端には縦書きで人名が刻 まれる。 |
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右から「山伏」とある |
仮にこの旧道のトンネルの名
前が「山伏隧道」となっていたら、現在の新道のトンネルは「新山伏トンネル」とでも命名する必要があったろう。それがどうい
う訳か、元の
トンネルは単に「山伏」である。 こうした例を他に一つだけ思い出す。伊勢神峠(いせがみとうげ)である。旧 道のトンネルの扁額には「伊世賀美」(いせがみ)とだけあるのだ。一方、新道の方は「伊勢神隧道」と刻まれている。旧道のトンネルを単に「伊世賀美」で は分り難いので、「旧伊勢神隧道」とか「旧伊勢神トンネル」と呼びならわしている。今回の山伏峠の旧道のトンネルも、単に「山伏」では仕方ないので、伊勢 神峠を見習うではないが、「旧山伏隧道」としたような訳であった。 旧伊勢神トンネルは明治30年(1897年)の開通で、国の登録有形文化財ともなっている。坑口の構えや扁額の書き方などからして、旧山伏隧道も同時 代に建造されたトンネルかもしれないと思ったのだが、文献では昭和7年(1932年)とあった。それに、残念ながら文化財となるような気配もない。 |
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<トンネルの中> 坑口に壁など設けられて、トンネルの中は一体何に使われているかと興味をそそられる。以前一度だけ中を覗いたことがある。暗くてあまり良く見えなかった が、これといて目ぼしい物は確認できなかった。壁が立派な割には、中はゴミが散らかるばかりであった。 |
隧道の前の様子 |
<隧道の前> 旧山伏隧道を山中湖側に出ると、道は直ぐ右カーブで下って行く。正面には山中湖へと注ぐ大堀川の谷が眼下に広がっている。道志村側では新旧のトンネルの 坑口はそれ程標高に差がなかったが、山中湖村側では旧道の方がやや高く、見晴がいい位置にある。ただ、地形図などではその程度の標高差は読み取れず、全て の坑口は大体1,100m前後にあるとしか言えない。ちなみに峰の上にある山伏峠の標高は、文献などでは1,160mとある。ただ、現在の地形図を見る限 りには 1,140mと1,150mの間なのだが。 |
隧道を背にして見る |
右手が隧道 |
<旧峠道?> 隧道の正面をそのまま大堀川の川筋へと直接下る山道が始まっている。もしかしたら山伏峠の旧道かとも思った。しかし、ここを降りた下に何かあるらしく、 「立入禁止」と札がある。 旧山伏隧道の上には、本来の山伏峠がある訳で、その峠道の痕跡がこの付近にまだ残っている可能性はある。現在の車道は大きく蛇行して下るが、昔の峠道は 一気に川岸 へと下って行った可能性はある。 |
左が隧道の坑口、右に下るのが旧道の山道? 正面はドライブインへ |
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大堀川へと下る道 |
隧道の前から奥へ |
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<バリケード> 坑口を左に見て、更に奥の方に何やら大きな建物が見える。現在は手前にしっかりバリケードが設けられ「無用ノ者ハ 入ルベカラズ」とある。ゲート越しに 望むと、建物の前には広い空き地が広がっている。これが国道沿いの看板にあった「高原ドライブイン」と「100台駐車可」の駐車場だろうか。100台はど うか分らないが、この山中にあってはかなり広い平坦地だ。 |
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<御正体山登山口> 今回はバリケードで入れなかったので、ここからは以前の写真を掲載する。 広場の入口付近には「御正体山登山口」と小さいながらも矢印看板が立ち、登山道を案内していた。広場の外れ、建屋の近くの山側に鳥居と社が立ち、そこが 登山道の入口だった。近くに案内看板があったのだが、ほとんど読めない。ほぼ下記の様に書かれていたものと想像する。 案内■ (■は不明箇所) 天寿神社入口 森林浴入口 天寿山ハイキングコース 丹沢山登山口 東海自然歩道入口 |
社は手や口を清める手水舎だったろうか? 鳥居の先に階段が続く |
案内看板 (撮影 2003. 7.28) ほとんど読めない (上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます) |
廃屋へ |
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<廃屋> 広場の奥に立つ建物にはもう看板などはなく、それが何であったか分らない。「高原ドライブイン」だったこともあるのだろう。現在は廃屋になっていること だけは確かであ る。 直ぐに正面玄関がある。中に入ると2階まで吹き抜けのロビーのような広間だ。ドライブインの店内としてはちょっと狭い。少なくともこの建屋のほんの一部 でしかない。床に転がった椅子やテーブルが往時を偲ばせ、哀れな感じである。 |
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ロビーとなっている |
ロビーの奥の柱に、板に刻まれた短歌が一首。 谷間よりみ正のやまとせみの声 そぼくでもあり美しくもあり 「み正のやま」とは「御正体山」のことらしい。「みしょうたいやま」と読む。最初、この「正」の字が読めなくて困っていたら、妻が山梨100名山の一 つ、「みしょうたいやま」を知らないのかと、自慢そうに言うではないか。妻は地理好きで、自分ではまだ御正体山どころか、山梨100名山の内、数えるほど しか登ったことはないが、知識だけはいろいろと豊富である。 建物は奥に長い。宿泊も可能な施設だったようだ。玄関を入って直ぐの部屋は、最初はホテルのロビーとして造られたのだろう。それが一時期はドライブイン としても活用されたのではないか。廃屋の側に「智光薬湯 天寿の湯」と書かれたワゴン車が捨てられてあったことがある。この宿の車だったのだろうか。 峠の旅が廃屋の旅になってしまってはしょうがない。この辺で。 |
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妻のお陰で久しぶりの旧山伏隧道を眺めてきた。 旧道に取り残された峠の茶屋などが、廃屋になっていく姿を各地でいろいろ見てきている。この山伏峠もその一つと言えるかもしれない。ただ、元は宿泊施設 だった ようで、新道の開通が直接影響したかどうかは分らない。しかし、かつては人の生活があった地から人の姿が消えていくのは、やっぱり寂しいことである。旧 山伏隧道の坑口も、腕がまえをして考え深げに佇んでいる、そんな山伏峠であった。 |
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<走行日> ・2003. 7.28 旧道探訪 ・2008. 5. 7 新道通過 ・2014. 4.11 山中湖村側の旧道探訪 <参考資料> ・角川日本地名大辞典 19 山梨県 平成 8年 6月20日5版発行 (初版 昭和59年10月 8日) 角川書店 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
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