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吉見峠
  よしみとうげ  (峠と旅 No.276)
  本州も西の外れにあるささやかな峠道
  (掲載 2017. 5.12  最終峠走行 2016. 4.18)
   
   
   
吉見峠 (撮影 2016. 4.18)
手前は山口県下関市吉見上(よしみかみ)
奥は同市内日上(うついかみ)
道は林道吉見峠線
峠の標高は約255m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
ご覧の通り、何もないささやかな峠である
見えているのは林道吉見線の最高所で
この向こうに三叉路の吉見峠がある
 
 
 
   

<掲載の訳(余談)>
 「吉見」(よしみ)という名の峠は少なくとも2つあるようで、偶然ながらそのどちらも山口県に見られる。1つは宇部市の吉見(よしみ)にあり、現在の国道2号線が越えている。同じ峰を山陽新幹線が峠山トンネルで抜けているようだ。
 
 ここで掲載するのは下関市にあるもう1つの吉見峠で、国道2号という大幹線路の峠などとは対照的に、ほとんど車の通行を見ない裏寂れた林道が通じるばかりの峠だ。 立派な国道の方の吉見峠を取り上げる積りはないが、こちらの吉見峠もわざわざここで掲載する程の峠とは思っていなかった。
 
 ただ、このところ山口県内にある大ヶ峠山中峠といった小さな峠の掲載が続いた。 吉見峠はそれらの峠と同じ日に越えている。その当日の写真を眺めていると、素朴な里山の景色が目に付いた。赤田代(あかたしろ)という集落がひっそり佇む。 日本の原風景のように何とも心惹かれる光景だった。山間部のその赤田代から一山越えて響灘に面する海岸地帯へと越えるのが吉見峠であった。
 
 ならば、ついでとばかりにその吉見峠を掲載することと決したのだった。ただ、旅の最中、この様なささやかな峠など絶対「峠と旅」に載することなどないなと思っていた。その為、ドラレコ(ドライブレコーダー)の動画は保存しておかなかったのだ。今になって悔やまれる。

   

<所在>
 峠道はほぼ東西に通じ、峠の東側は山口県下関市内日上(うついかみ)で、西は同市吉見上(よしみかみ)となる。 ただ、吉見上に隣接して吉見下(よしみしも)があり、どうやらその3地区のほぼ接点に峠が位置すると言えそうだ。 現在、峠に通じる林道吉見峠線は内日上から吉見上方面へと下って行くので、その林道としては内日上と吉見上との境が峠となる。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 峠の東側は綾羅木川(あやらぎがわ)水系に属し、峠はその上流部にある支流・赤田代川の源流部に位置する。
 
 ところが、文献(角川日本地名大辞典)では、内日上は田部(たべ)川上流域に位置するとしている。田部川は木屋川(こやがわ)水系で、その主要な支流の一つとなる。 確かに内日上の大部分は田部川上流域に位置するようだが、吉見峠直下の部分は綾羅木川水系になるようだ。地形図の等高線をしげしげと眺めたが、なかなか分かり難い。
 
 峠の西側は西田川水系にあり、その中流域の支流(名前不明)の源流部に位置する。
 
 綾羅木川も西田川も山口県の西に面した日本海の響灘に注ぐが、木屋川は関門海峡より東の瀬戸内海の周防(すおう)灘に注いでいる。

   

<立地>
 峠は、ほぼ南北方向に連なる鬼ケ城山地にあって、北の鬼ケ城(619m)と南の竜王山(りゅうおうざん、614m)との間の鞍部に位置する。この山地の西側では観音崎が僅かに響灘へと突き出ていて、山地はその半島の付根辺りに横たわる。峠は海に近い。

   

<本州最西端(余談)>
 尚、その半島には本州最西端の地・毘沙ノ鼻(びしゃのはな)があることで知られる。「本州最後の夕陽が見える丘」などとも呼ばれ、近年下関市の名所として整備された。 ところで、同じ下関市(旧豊北町)の角島(つのしま)が角島大橋で繋がった。その橋は山口県の観光パンフレットの表紙を飾ったりしテレビに登場したりと有名である。 道路が通じたその角島は、どうやら毘沙ノ鼻より西に位置するようだ。本州最西端の呼び声も、ややトーンダウンの毘沙ノ鼻であった。

   

角島大橋 (撮影 2016. 4.21)
大雨だったが渡ることとした
角島灯台周辺の公園は閉鎖中で、
車を停めることさえできなかった

角島灯台 (撮影 2016. 4.21)
毘沙ノ鼻より西にあると思うのだが・・・
   
   
   
内日上から峠へ 
   

<内日上>
 吉見峠を越えるのは今回が初めてだが、調べてみると、内日上(うついかみ)の地を訪れるのはこれで三度目となるようだ。 25年前に南から深坂峠を越えて、20年前に北から田部川沿いを遡って、やって来た。されど、内日上にこれと言って何か目的がある訳ではない。 自分にとって縁もゆかりもない地である。考えてみると、この30年間、そんな放浪の様な旅を続けている。
 
<水道水源池>
 今回は深坂峠越えとなった。峠より市道安岡内日線を下って来ると県道34号(主要地方道)・下関長門線に突き当たる。 脇には綾羅木川(あやらぎがわ)上流部に設けられた水道水源池が佇む。水源池はこの上流側にもう一つあり、地形図では名称に区別がない。 ダムは下流側は内日第1ダム、上流側は内日第2ダムと呼ぶようだ。地元に立つ看板では、第一貯水池、第二貯水池などと区別していた。

   

<うつい>
 内日(うつい)とは難しいも読み方だが、文献によると、 「由来は四方を山に囲まれ、その内を日が照らすことから内の日と書き、内日と呼ぶようになったと伝える(地下上申)」、とのこと。 内日は鬼ケ城から竜王山に続く山地の東麓にあり、北の田部川と南の綾羅木川との分水界一帯に広がる。特に田部川流域は、上流部にあるにもかかわらず、平坦地が多く見られる。 この山間部にありながら広々とした様子が「その内を日が照らす」ということになるようだ。
 
 県道34号をそのまま北上すると、綾羅木川・田部川の分水界を越えて行くことになる。地理的条件としては峠と言ってもよさそうだが、内日の名の通り、広々していて峠の様相などかけらもない。
 
<内日上>
 江戸期に内日村があったが、江戸後期に植田・内日下・内日上の3か村に分村したようだ。それが明治22年に合併して再び内日村ができ、内日上は内日村の大字となった。ついで昭和30年からは下関市の大字となっている。
 
 この山間の内日上の地から西の山並みを越えて出て行くのが吉見峠となる。 田部川支流・山瀬川上流部にある内日ダムを経て石畑峠を越える県道40号のルートもあるが、以前はその峠の前後に車道が通じていなかった。 内日上と外界を結ぶ車道の峠は、深坂峠と吉見峠くらいなものだったろうか。しかし、川沿いにゆったりした道が通じる内日に、峠道の必要性はあまりない様に感じる。

   

内日ふるさと案内 (撮影 2016. 4.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<峠道の入口>
 道路地図を見ると、県道34号から分かれて吉見峠に向かうには何通りかのルートがあるようだ。どれが本線か分からない。すると、ある分岐の角に「内日ふるさと案内」と書かれた看板が立っていた。その脇には「竜王山登山口」の看板も立つ。これだろうと、その道を進む。
 
 尚、「内日ふるさと案内」に示される現在地は、内日第1ダムの近くになっているが、これは間違いだ。看板は古い物で、移設されてきたのかもしれない。今は「竜王山登山口」と書かれた道の分岐にある。

   

竜王山登山口の看板が立つ (撮影 2016. 4.18)

竜王山登山口の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

県道34号からの別ルート (撮影 2016. 4.18)

<一之瀬>
 少し進むと左手より細い道が合流して来た。そちらからも来られたようだ。これらの道は県道34号をバイパスするように通じている。今の県道ができる前の旧道かとも思われた。
 
 この付近に見られる人家は一之瀬集落のものと思う。同じ内日上の中にある集落でも、この一之瀬と更に上流側にある赤田代は、田部川ではなく、綾羅木川の水域に位置する集落となる。水系が異なるので、ちょっと特異な存在となるのだろうか。

   

<分岐>
 県道から分かれてからも、一之瀬集落内に通じる道がこまごまと通じる。迷いそうな分岐には、「第二貯水池方面」と看板が立っていた。そちらに進む。

   
一之瀬の集落内を行く (撮影 2016. 4.18)
右手に「第二貯水池方面」と看板が立つ
   

<内日霊園付近>
 一之瀬集落の人家も終わり近くになった頃、新しそうな造成地の脇を通過した。「内日霊園」と看板が立っている。別に墓に関心がある訳ではなく、そこに示された住所に関心があった。 「下関市大字内日上字権現・字下瀬戸」とある。普通、こうした字名などは知る機会がない。「権現」とか「下瀬戸」といった小さな地名が面白いと思う。 今住んでいる住所もその前も、何丁目何番地何号という味気ないものだった。狭い土地でもこうした「権現」などと立派な名前を持っているのが羨ましく思える。

   
内日霊園の看板が立つ (撮影 2016. 4.18)
   

<一之瀬集落以降>
 一之瀬の最後の人家を過ぎると道はやや上り調子になる。第二貯水池の堰堤へと登って行くようだ。若干の屈曲もある。


登り坂に (撮影 2016. 4.18)
   

監視カメラ (撮影 2016. 4.18)

<監視カメラ作動中>
 すると、黄色い看板に「不法投棄禁止 監視カメラ作動中」と出て来た。看板の上部にその監視カメラが設置してあるようだった。貴重な水道水源池があることもあり、監視が厳しいようだ。

   

<内日第2ダム>
 林から抜け出ると、直ぐに内日第2ダムの堰堤脇に出た。貯水池の周辺には金網が巡らされ、厳重に立ち入りが禁止されている。この貯水池は昭和初期に造られたそうで、なかなか古い物だ。

   
内日第2ダム (撮影 2016. 4.18)
   

<貯水池の右岸沿い>
 道は貯水池の右岸(西岸)に沿って遡る。直ぐにコンクリート製の取水塔が近くに見える。これは昭和4年の完成で、登録有形文化財に指定されているとのこと。古めかしいところがなかなか味わい深い。

   
取水塔 (撮影 2016. 4.18)
   

<赤田代へ>
 道は貯水池の畔(ほとり)に沿って進むが、木々が多く、湖面を広く見渡すような場所はない。貯水池も終り頃になってやっと林から抜け出す。すると、パッと視界が広がった。 周囲を山に囲まれた山間部ながらも意外と広く田んぼが広がり、その中に人家がポツリポツリと点在する。赤田代の集落である。

   
赤田代に出る (撮影 2016. 4.18)
   

<赤田代>
 第二貯水池に流れ込む川は、多分赤田代川と呼ぶようで、赤田代集落はその川が流れる谷底を中心に広がる。上流側の3方は吉見峠を含む峰に囲まれ、下流側には貯水池が控える。一種、独立した立地にある。
 
 水道水源池が出現する以前の江戸期には赤田代村であった。それが、江戸後期になって内日上村に編入されたと思われるそうだ。

   
赤田代の集落 (撮影 2016. 4.18)
   

<十字路>
 人家が集まる集落の中心地らしき箇所を過ぎ、暫く行くと、耕作地の只中にある十字路に出る。吉見峠へはここを左折。 右手からは第二貯水池の左岸沿いから遡って来た道が至っているが、こちらより良さそうな車道だ。どうやら、その道の方が県道34号から吉見峠へと向かう本線だったかもしれない。 ただ、今回のルートの方が、一之瀬や赤田代の集落を通り、第二貯水池のダム堰堤や取水塔が眺められ、面白い道である。 また、第二貯水池の左岸を通るルートは、田部川水系の方からやって来るので、峠道としてもあまり感心しない。


十字路に出る (撮影 2016. 4.18)
   

<中国自然歩道>
 十字路には緑色の「中国自然歩道経路」と書かれた道標が立つ。左の吉見峠方向には「竜王山」、今来た手前方向には「水道水源池」と示されていた。

   

内日五年神の看板 (撮影 2016. 4.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<内日五年神>
 同じくこの十字路には「内日五年神」の看板も立つ。文献にも記載されていたが、この赤田代地区は古くから内日五年神と呼ばれる神事が行われて来たことで知られるそうだ。 神事は「神の森」に立つご神体となる巨大なモチノキの前で行われるが、その神の森は、ここに来る途中の人家の裏手辺りにあるようだ。 現在、神の森と神事がそれぞれ市指定有形・無形民俗文化財となっている。
 
 尚、看板の地図では、十字路を直進方向に「至内日ダム」とあったようだ。田部川水域の山瀬川上流部の内日ダムまではかなり遠く、途中、道など通じていそうにないが。

   

内日ダムの堰堤 (撮影 1997. 5. 2)
今回の吉見峠とは関係ないが、
丁度20年前に内日上を訪れた時の旅の一コマ

内日ダムより下流方向を望む (撮影 1997. 5. 2)
石畑峠がまだ開通していなかったか、
あるいは開通していないと思い、
ダムから引き返しとなった
   

左に竜王山への登山口 (撮影 2016. 4.18)

<竜王山登山口>
 十字路より峠方向に200m程も行くと、左手に竜王山への登山道が始まっている。入口には道標や中国自然歩道の案内看板などが立つ。道標には登山道方向に「竜王山 1.7Km」、車道を戻る方向に「水道水源池 1.4km」とある。
 
 1.4kmは内日第2ダムの堰堤までの距離だろう。県道34号からの分岐には「竜王山山頂 約3Km」と看板があったが、実際は1.7+1.4=3.1km以上となる。別の登山ルートがあるのかもしれない。

   

登山道入口 (撮影 2016. 4.18)

手前に道標、奥に自然歩道の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

<赤田代を過ぎる>
 赤田代は吉見峠の内日上側最終の集落になる。赤田代川の谷間に約600m程の長さで広がる。土地は常に傾斜があり、田んぼも畑も全て階段状となって谷の奥へと登って行く。 山際近くになっても人家が見られた。海岸まで直線距離で3km余りの立地だが、ここはまだ静かな山里の雰囲気が漂う。

   
赤田代を振り返る (撮影 2016. 4.18)
   
   
   
赤田代以降 
   

監視カメラ (撮影 2016. 4.18)

<北へ迂回>
 峠は西にあるが、車道は一旦北へと大きく迂回のコースを取る。直接峠方向へと延びる山道が分かれていたようだが、それは車道開通前の古い峠道かもしれない。
 
 広い谷間を過ぎ、道は山の中へと分け入って行く。また例のカメラが監視の目を向けていた。

   

<寂れた道>
 集落内を通り過ぎたとあって、道は途端に寂れた。路面そのものは狭いながらも傷みは少ないが、落葉や枯れ枝の堆積が目立つ。その様子から見て、あまり頻繁に使われているとは思えない。

   
道の様子 (撮影 2016. 4.18)
   

<峠道の利用>
 峠を越えた吉見側には、山陰本線の吉見駅を中心にちょっとした市街地が形成されている。商店や病院などもあることだろう。内日上の地からは距離的に最も近い市街地と言える。 しかし、現在の吉見峠を越える道は、そうした日常生活の用途に使われることはなさそうだ。山仕事や登山などの利用がほとんどではないだろうか。 内日上と吉見を繋ぐ生活路としての役割は、今の細々とした車道では担えないようである。快適な県道34号を走り、場合によっては大都会の下関市市街まで出掛けた方が便利なのかもしれない。

   

道の様子 (撮影 2016. 4.18)

道の様子 (撮影 2016. 4.18)
   

 多分、今の様な車社会となる以前、移動手段をもっぱら人の歩行に頼っていた時代は、吉見峠の利用価値もあったのではないだろうか。 ちょっとした生活用品の調達なども、この峠を越えて行われたかもしれない。
 
<谷を望む>
 車道はもっぱら林の中を通り、ほとんど視界がない。それでも道の方向がやっと西の峠方向を向き出すと、谷を広く見渡せる箇所があった。峠は右手奥に位置する。 谷を越えて真正面に見える一番高い山が、多分、竜王山だと思う。登山対象の山となっている。頂上からの眺めは良さそうだ。


やや開けた個所に出る (撮影 2016. 4.18)
   
谷を望む (撮影 2016. 4.18)
やや右手奥が吉見峠がある鞍部
   

道の様子 (撮影 2016. 4.18)
終始寂れている

<綾羅木川源流>
 道は赤田代川の谷に面するが、この谷は綾羅木川(あやらぎがわ)本流の源流部でもあるものと思う。 文献では「鬼ケ城山南東麓」を源流としているが、地形図などを見ると、その付近は田部川水域に当たる。 第一貯水池までは確かに綾羅木川のようだが、それより上流は何処が本流か正確には分からない。ただ、吉見峠が最奥ではないにしろ、綾羅木川最源流の一つではあるようだ。
 
 道はうっそうと茂る樹林地帯を行き、あまり眺望はない。寂れた路面ばかりを眺めながら車を走らせる。

   
   
   
 
   

<峠直前>
 峠直前、道は北から回り込むように峠に接近する。正面に峰の鞍部が見えて来ないので、いつ峠に着くのか分からない。道路脇で小規模ながら植林作業が行われている箇所を通過した。周辺は開けて、空も広い。その先が峠だった。

   
植林作業場所を通る (撮影 2016. 4.18)
この先を右に曲がった所が三叉路の吉見峠
   

<三叉路の峠>
 吉見峠は極めて変則的だ。内日上側は基本的に一本道だったが、吉見側には二本の道が下る。すなわち三叉路となっているのだ。 正確には、この三叉路の部分はまだ内日上側からの登り坂の途中にあり、その意味では峠とは言えない。それでも、地形図や三叉路に立つ看板では、この地点を指して吉見峠としている。 ただ、この三叉路から道の最高所まで僅か数10mの距離しかなく、大まかにこの付近一帯を吉見峠と呼んでいるものと思う。

   
三叉路の吉見峠 (撮影 2016. 4.18)
左は林道吉見線が吉見上へと通じる
右は内日上へと下る道
手前は吉見下ヘと通じる道
   

吉見下ヘと通じる道 (撮影 2016. 4.18)

<吉見下ヘの道>
 峠から西の吉見側には西田川の支流の谷が下る。その谷の右岸(北側)と左岸(南側)にそれぞれ一本ずつ道が通じている。また谷を境に北が吉見上、南が吉見下となっているので、道はそれぞれ吉見上と吉見下ヘと分かれて下る。
 
 しかし、現状では実質的に吉見下ヘの道は車では通れない。入口にバリケードが設けられ、車両通行禁止の看板が立つ。区間は大字吉見下2372番3から吉見峠までとあった。

   

車両通行禁止の看板が立つ (撮影 2016. 4.18)
この奥が道の最高所
道の状態はとても車など通れそうにない

車両通行禁止の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

<竜王山登山道>
 吉見下ヘの道の左脇より、稜線上を南へと登って行く山道が始まっている。看板の行先には「龍王山、深坂」とある。「深坂」とは深坂峠のことかもしれない。
 
 この看板でもやはり現在地が吉見峠となっている。反対方向は鬼ヶ城山である。


竜王山登山道 (撮影 2016. 4.18)
   

竜王山登山道の看板 (撮影 2016. 4.18)

竜王山登山道方向を見る (撮影 2016. 4.18)
   

<峠からの眺め>
 峠からは東の内日上方向がやや開けた感じがするが、それでも景色らしい景色は広がらない。

   
三叉路から内日上方向を見る (撮影 2016. 4.18)
   

北方向を望む (撮影 2016. 4.18)

<北方向を望む>
 北の鬼ヶ城方向に小山が望める。ただ、鬼ヶ城よりずっと手前にある稜線上のピークのようだ。

   
   
   
林道の峠 
   
三叉路側から見る林道の峠 (撮影 2016. 4.18)
少し先に道の最高所が見える
   

<吉見上への道>
 現在、吉見へと通じる車道は吉見上の方の道だ。入口に「ここから林道」とある。ならば、ここまでは何の道かというと、それは不明である。多分、下関市の市道か何かであろう。
 
 この看板では単に「林道」としかなく、それ以外この道の名を示す看板などは見当たらなかった。後で麓に降りると、林道吉見峠線の林道看板が立っていた。
 
 三叉路から少し登った所にその林道吉見峠線の最高所があり、厳密にはそこが峠である。あるいは広い吉見峠の一部とでも言うべきか。


「ここから林道」の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

林道の峠方向から三叉路を見る (撮影 2016. 4.18)
左が内日上へ、右には吉見下への道が分岐する
左脇に鬼ヶ城山への道標が立つ

鬼ヶ城山への道標など (撮影 2016. 4.18)
   

鬼ヶ城山への道 (撮影 2016. 4.18)

<鬼ヶ城山への道>
 林道吉見峠線の右脇から、稜線を北へと鬼ヶ城(山)方面への山道が延びている。朽ち掛けた案内看板などが立っている。

   

<鬼ヶ城山への道>
 竜王山のへ看板と同じように「鬼ヶ城山」へと案内がある。「鬼ヶ城山」の先は「石畑峠」とあるようだ。


鬼ヶ城山への道標 (撮影 2016. 4.18)
   

北浦スカイラインの看板 (撮影 2016. 4.18)

<北浦スカイライン>
 看板の一部に「北浦スカイライン」という洒落た名前が載っていた。看板の欠けた部分を推測すると、
 竜王山
 吉見峠
 鬼ヶ城
 石畑峠
 川棚(?)温泉
 
 とあったように思う。この北浦スカイラインとは吉見峠を通る車道のことではなく、南北に連なる鬼ケ城山地の稜線上に通じる山道を指すようだ。稜線上だから「スカイライン」ということも納得が行く。峠道は本来、スカイラインには成り得ない。

   

<林道の峠>
 林道吉見峠線の最高所部分は両側を林に挟まれ、これと言って特徴のない峠となっている。この部分を見る限り、山口県の片隅で越えるささやかな峠でしかない。心惹かれる点は見付からない。

   
内日上側から林道の峠を見る (撮影 2016. 4.18)
   

<峠の標高>
 地形図では、三叉路も林道の最高所も、標高250〜260mの間にある。間を取って、約255mという訳だ。


峠より内日上方向を見る (撮影 2016. 4.18)
ここを下った先が三叉路
   
   
   
峠の吉見上側 
   

吉見上側から見る峠 (撮影 2016. 4.18)

<吉見上側へ>
 林道吉見峠線を吉見上へと抜ける。「ここから林道」と看板があっても、道としてはこれまでと何ら変わりのない舗装路が続く。道の状態はかえっていいくらいだ。
 
<峠の吉見上側>
 峠の吉見上側は直ぐにも谷が下るが、木々が多く、見通しが利かない。海岸付近まで望めるかと期待しても、無駄のようである。それでも、この先に視界に入る高い峰はなく、ここから続く空の下に直ぐにも海が広がっていそうな予感がする。

   

峠より吉見上方向を見る (撮影 2016. 4.18)

峠の吉見上側 (撮影 2016. 4.18)
眺望はない
   
   
   
吉見上へ下る 
   

<吉見上側>
 峠より西の吉見側に下る谷は直線的で鋭い。その右岸の高みに通じる道も、やや険しい様相だ。内日側は綾羅木川が鬼ヶ城山地の東側へぐるりと回り込んで来ていたが、吉見側はそのまま真っ直ぐ海辺へまで下って行きそうな勢いだ。

   
吉見上側の道 (撮影 2016. 4.18)
やや険しい様相
   

道の様子 (撮影 2016. 4.18)

<道の様子>
 林道と言っても、走り易い整備されたアスファルト路面が続く。落葉の堆積などもグッと少ない。内日側の道のあの寂れ具合とは明らかに異なる。
 
 吉見側は大きな市街地があり多くの人口を抱える。また、響灘の沿岸に沿って国道191号や山陰本線の幹線路が通じ、下関市市街などからの足の便も良い。 その為、竜王山などへの登山者が多く訪れるのではないだろうか。吉見峠の峠道は、もっぱら吉見側ばかりが使われるものと思う。
 
 道の左手に谷があることを感じながらも、谷を広く眺めたり、峠の鞍部を振り返ることができる箇所はない。視界はなかなか広がらない。

   

<海を見る>
 それでも半分ほども下って来ると、丁度前方に僅かばかりだが海の見える箇所がある。望遠で写真を撮ると、小山の先に響灘が広がる。小山の手前の麓には、吉見市街の建物が並んでいるようだ。その左手に僅かに湾が見えるが、吉見漁港だと思う。


海が見えて来る (撮影 2016. 4.18)
   
望遠で撮った写真 (撮影 2016. 4.18)
   

<蓋井島>
 よくよく眺めると、響灘に浮かぶ島が霞んで見えている。地図を調べたところ、多分蓋井島(ふたおいじま)だと思う。

   
奥に見えるのは蓋井島らしい (撮影 2016. 4.18)
   

<毘沙ノ鼻(余談)>
 蓋井島は、本州最西端の地・毘沙ノ鼻から響灘を眺めた時、ほぼ真正面に見える島だ。島影がやや異なるが、吉見峠の道から見えたのはやはりこの蓋井島であろう。吉見港と島を結んでフェリーが運航されているそうだ。

   

毘沙ノ鼻 (撮影 2016. 4.18)

毘沙ノ鼻より蓋井島を眺める (撮影 2016. 4.18)
   

<北へ迂回>
 僅かに海が覗いた後、道は支流の谷を巻いて北へと迂回を始める。暗い谷底となり、もう何も見えない。
 
 その最中、林道が一本分岐していた。看板に林道相刈線とある。延長742mと短い。地図ではどこにも抜けていない道になっている。


道 (撮影 2016. 4.18)
   

林道相刈線入口 (撮影 2016. 4.18)
バリケードで通行止

林道相刈線の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

貯水池を望む (撮影 2016. 4.18)

<貯水池>
 吉見峠から西に下る谷には、幾つかの貯水池が見られる。小さな池で、一般の道路地図などでは名前が掲載されていない。道はその一つの上流側を巻くようにして下る。 林の間からちらりと池が覗くが、周囲をうっそうとした森が囲み、やや不気味な感じを受ける。近寄り難い気がした。

   
貯水池を望む (撮影 2016. 4.18)
   

<道の後半>
 吉見峠の吉見側は、麓に通る県道244号に出るまで3km前後だ。その道程の後半はほとんど林の中で、建物などの人工物も見られない。寂しい道が続く。
 
 こうした道のコースは、吉見峠に車道を通す折り、新たに開削したように思われる。急勾配を避け、長々と谷の斜面を伝っている。 元々の峠道は、もっと早くに川沿いの平坦地に降り立っていたものと思う。地形図には吉見上に年永、吉見下に中町といった集落が平坦地に位置する。 こうした集落内に峠道が通じていたことと思う。見逃していたが、現在の車道からも年永集落へと下る道が分かれていたようだ。ドラレコ動画が残っていたらと思う。


道の様子 (撮影 2016. 4.18)
   
   
   
下界へ 
   

産業廃棄物の処分場 (撮影 2016. 4.18)

<産業廃棄物の処分場>
 やっと何か人工物が出て来た、と思ったら、看板に「産業廃棄物の最終処分場」とあった。入口は鋼板で覆われている。やはり後の世にできた峠道は味気ない。

   

<吉見温泉>
 その後、間もなく建物が見えて来た。下界に降り立ったようである。ひょっこり広い道に出ると、その付近は吉見温泉の広い敷地になっていた。大きな駐車場が隣接する。
 
 峠方向の狭い道を振り返ると、「ハンターのみなさん!」と書かれた注意看板が目に付いた。人が居るので狩猟に注意しましょうとのことだった。 昔、初めて九州ツーリングした時、鹿児島の開聞岳近くで、「この先は獲物もいるが人もいる」という看板を目にして驚いたことを思い出す。


建物が見えて来た (撮影 2016. 4.18)
   

峠方向を振り返る (撮影 2016. 4.18)
狩猟注意の看板が立つ

狩猟注意の看板 (撮影 2016. 4.18)
   

<林道看板>
 道に面して吉見温泉の倉庫の様な建物が立つ。その反対側は森に囲まれた神社のようで、地図には吉見上八幡宮と出ている。その神社へ通じる小道の脇に林道看板が立っていた。


吉見温泉方向を見る (撮影 2016. 4.18)
前の建物は、倉庫か何かの様だ
   
峠方向を見る (撮影 2016. 4.18)
右手奥は吉見温泉
左脇には林道看板が立つ
その左の小道は神社への脇道(参道は別にある)
   

林道看板 (撮影 2016. 4.18)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<林道 吉見峠線>
 林道看板の文字は随分変わった字体だと思ったら、白い文字の部分だけ剥がれかかっていたのだった。今はまだどうにか読めるが、その内取れて落ちることだろう。
 
 看板の内容には特に注目すべき点はない。ただ、林道の名が吉見峠線ということだけは分かった。吉見峠に車道を通すべく開削した林道であり、沿道に人家は皆無であった。
 
 吉見峠という名は、本来内日側から見て吉見に通じるという意味が込められていたものと思う。 山間部の内日にとっては、海沿いの市街地へと通じる生活路的な役割が強かったのではないか。その名を引き継いだ林道吉見峠線ではあったが、今は吉見側からたまに登山者が登って行くばかりの峠道のようである。

   

<県道244号へ>
 林道吉見峠線は吉見温泉への入口を兼ねている。林道看板から数10mで県道244号に出るが、その分岐には「吉見温泉センター」とか「吉見温泉郷」、「立ち寄り湯」などの看板が立ち並ぶ。「吉見峠」の案内はないが、いい目印にはなる。

   

県道からの入口 (撮影 2016. 4.18)
南に見る

県道からの入口 (撮影 2016. 4.18)
北に見る
   

 峠道が降り立った所は西田川本流による広い扇状地で、ほぼ扇頂の部分に当たる。ここから響灘に向かって耕作地が扇を広げていた。西田川支流に関わる吉見峠はここで終わりとする。

   

<ある従兄弟のこと(余談)>
 「よしみとうげ」と言いながら、ある別のことを思い出していた。 峠とは全く関係ない話で恐縮だが、字は異なるが「よしみ」という名の従兄弟(いとこ)がいたのだ。多分、「好美」と書いたものと思うが、はっきりしない。 私の母の直ぐ下の妹(私にとっての叔母)の息子さんだった。母の話では、その叔母は子供の頃から働き者で、小学校卒業後は兄弟姉妹の多い家計を助ける為、自ら実家を出て住み込みで働いたそうだ。
 
 しかし、大人になってからの結婚は不幸であった。夫は仕事をせず、それでいて嫉妬深く、家庭は荒廃し生活が困窮した。借金も積み重なって行く。 結局離婚して、母子家庭となったようだ。 そんな家庭だったのであまり家族ぐるみの付き合いがなく、歳の近い好美さんとは、幼少の頃に2、3度顔を合わせたこともあったかもしれないが、私には全く記憶がない。 ずっと後になって、好美さんに妹があったが、5歳で夭折していると聞いてびっくりした程だ。それまでずっと一人っ子だとばかり思っていた。 
 
 こうした不幸が重なってか、叔母は自殺を図り、一命は取り止めたが入院中に結核を発症、1年後に39歳の若さで亡くなっている。
 
 こうして好美さんは早くも身寄りを失った。私の母の姉妹はなくなった叔母も含めると6人も居て、こうした伯母・叔母たちが甥となる好美さんを何かと気に掛けた。 私が高校生の時だったと思うが、ある日、母が好美さん一人を自宅に連れて来た。私より数歳年上の好美さんと私が、いい話し相手になると思ってのことだろう。ただし、私は母から好美さんについて何の事情も知らされていなかった。
 
 当時二十歳前後の好美さんは痩せて色白で、おとなしい青年であった。何か事務の仕事をしているらしかった。詳しい事情は分からなくても、恵まれない境遇にあることだけは察していた。 やはり、どことなく陰があるように思えた。お互いに将棋が趣味ということで、一番指すこととした。棋力はほぼ互角だったが、最終盤にうまい指し手で詰まされ、私の負けとなった。 それを褒めると、少し喜んでいた様子だった。自分が勝たなくて良かったとも思った。その後、二度と会う機会は巡って来なかった。
 
 何年かが過ぎ、好美さんにも結婚相手が決まった。ところが、これから新しい人生が始まるという矢先、病に侵されて入院することとなった。 治療の甲斐なく病状は悪化を続け、遂には死をも覚悟しなければならない事態に落ち入った。 伯母・叔母たちが見舞いに行くと、普段無口な好美さんは、私の人生は辛いことばかりだったと嘆き、嗚咽したそうだ。そして亡くなっていった。39歳で世を去った叔母の血縁は、これで全て途絶えてしまった。
 
 これはもう40年近くも前のことである。たまに葬儀などで会う叔母たちの昔話の断片から、以上の好美さんのことを知った。 最近、この不幸な従兄弟のことをもっと知りたいと思うのだが、私の両親を始め、叔父叔母たちの多くが亡くなり、また高齢で容易に会って話をすることができない。 このまま詳しいことは分からず仕舞いとなりそうだ。「よしみ」繋がりで、不幸な従兄弟のことを思い出した。人の人生とは何だろうかと改めて思う。

   
   
   

 最近、掲載する峠の選定が面倒な時がある。自分の好きな峠を選べばいいだけのことだが、そんなに好きな峠が沢山ある訳ではない。 せめて何か特徴があったり、関心が持てたところがあった峠はないかと探すのだが、これがなかなか手間である。さて次はどこの峠にしようかと悩む、吉見峠であった。

   
   
   

<走行日>
(1992.10.15 深坂峠を越えて内日上へ その後県道34号から40号へ  ジムニーにて)
(1997. 5. 2 県道34号を「南下 途中に寄る  ジムニーにて)
・2016. 4.18 内日上→吉見上 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 35 山口県 1988年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・中国四国 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 6 中国四国 1997年9月発行 昭文社
・マックスマップル 中国・四国道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2017 Copyright 蓑上誠一>
   
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