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柚之木峠
  ゆのきとうげ  (峠と旅 No.259)
  大きな2つの峠道を繋ぐ小さな峠道
  (掲載 2016. 6. 7  最終峠走行 2015.10.12)
   
   
   
林道柚ノ木越線の峠 (撮影 2015.10.12)
手前は三重県亀山市(旧鈴鹿郡関町)加太向井
奥は同県津市(旧安芸郡芸濃町)芸濃町河内
道は林道柚ノ木越線
峠の標高は約370m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

岩が露出した鋭い切通しの如何にも林道らしい峠だ
   
   
   
<林道の峠>
 表題には「柚之木峠」としたが、ここで取り上げるのは林道柚ノ木越線の峠で、本来の柚之木峠とは別物であるのをご了解願いたい。しかし、柚之木峠の峠道に代わって開削された車道の峠であり、柚之木峠の後継となる存在であることには間違いない。
 
 この峠には名前が付けられていないらしい。あえて命名していないのかもしれない。その点、「新柚之木峠」とでも呼びたいところだ。また、そこを通る道は林道柚ノ木越線なので、「柚ノ木越」などとしてもいいかもしれない。
   
<峠名>
 本来の峠は地形図に「柚之木峠」と記されている。一方、車道の方は現地に立つ林道看板などでは「柚ノ木越線」となっている。この際、「乃」でも「ノ」でもどちらでも構わないと思うが、上記の例にならって峠は「乃」を、林道の方は「ノ」としておく。
 
<読み方/ゆのき>
 道路地図でこの峠名を見掛けた時、何となく「柚之木」を「ゆのき」と読んでいた。しかし、正しい読み方かどうかは分からない。峠名に使われる以外、この付近に地名などでは見当たらず、小さな峠なので文献(角川日本地名大辞典)などにも掲載がない。
 
 ネット上では「ゆのき」とするのが多いようだ。稀に「ゆうのき」ともある。こちらの方が音の響きが良い。 「柚」は「柚子」とも書き、柑橘系の果実・ユズを指す。その為、「ゆずのき」と読んでいるケースもある。しかし、どれも根拠があまりはっきりしない。 そこで、自分の最初の感を信じ、ここでは「ゆのき」として峠リストにも掲載しようと思う。
   
<所在>
 三重県内を南北約30kmに渡って連なる布引(ぬのびき)山地の北端の東麓に位置する。布引山地の主稜は旧国名の伊勢と伊賀との国境を成す。その稜線から東に延びた尾根上に峠は位置する。
 
 峠の北側は亀山市、旧鈴鹿郡関町(せきちょう)の大字加太向井(かぶとむかい)で、南側は津市、旧安芸郡(あげぐん)芸濃町(げいのうちょう)の芸濃町河内(げいのうちょうこうち)となる。 その市境に錫杖ケ岳(しゃくじょうがたけ、676m)がそびえているが、その山の西約1kmに元の柚之木峠、更に約500m西に新しい林道柚ノ木越線の峠が通じる。
   
<地形図(参考)>
 国土地理院地形図にリンクします。

(上の地図は、マウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   
<特徴>
 車道の峠道は僅か7kmにも満たない。ほんのちょっとした峠だ。伊勢と伊賀を繋ぐ加太峠(かぶととうげ、加太越とも)と伊賀越という2つの大きな峠が国境を越えているが、柚之木はその2つの峠道を伊勢側で繋いでいる。
 
 加太峠とは、布引山地とその北に連なる鈴鹿山脈との鞍部に位置し、現在は国道25号、名阪国道、関西本線などの幹線路が通じる。また、伊賀越はそれにやや劣るものの、三重県の県庁所在地・津市街と伊賀市街とを結ぶ主要地方道42号が古くからの峠の位置に通じる。一方、柚之木峠の現状は、その国道25号と主要地方道42号を繋いで柚ノ木線という寂しい林道が細々と通じるだけである。
 
<加太村と河内村>
 古くは柚之木峠を越え、加太村(江戸期〜昭和30年)と河内村(江戸期〜昭和32年)との間で、盛んに人や物資の交流があったかもしれない。 特に河内村は山間部に位置している。柚之木峠を越えれば、加太村を経由し、東海道の宿場でもあった関・亀山に近い。 村への生活物資の搬入や、山の産物の搬出には、柚之木峠は格好な位置にあると言える。ただ、あくまで隣村どうしを結ぶ程度の峠であり、幹線路としての役割はほとんどなかったでのはないだろうか。
 
<山間の河内>
 その後、河内村へも津市方面からの車道(主要地方道42号の前身)が延びて来ると、徒歩で柚之木峠を越えるより、距離は長いが車で津市街や、途中の椋本(むくもと)経由で関や亀山へと出る方が容易になったものと思う。 遅れ馳せながら柚ノ木越林道が開通しても、険しい林道より快適な主要地方道42号の方が好まれただろう。
 
 また、河内は過疎が進んだ地である。昭和32年に芸濃町が成立、河内はその大字となるが、その後の20数年で人口が半減したとのこと。 柚ノ木越林道の開通年などは不明だが、多分、戦後遅れてのことではないかと思う。河内から加太へと車道が通じても、そもそも河内にその峠道を利用する者が居なくなっていったようだ。
   
<現状>
 錫杖ヶ岳は登山の対象としてはなかなか人気があるようだ。現在の柚ノ木越林道はその為の登山道路の意味合いが強そうである。 訪れるのはもっぱら市街地に近い亀山市(昔の加太村)側からではないだろうか。 柚之木峠から錫杖ヶ岳へは尾根上を登山道が通じるが、林道の峠から柚之木峠へは一般の登山道はなさそうである。普通の登山者は林道途中にある登山口から柚之木峠を目指す。亀山市側から登る登山客には、林道の峠はあまり縁がないかもしれない。
   
   
   
河内側から峠へ
   
<訪れた訳(余談)>
 旅先で越える峠は大抵地図を見て物色する。なるべく越え応えのある峠を探す。必然的に道程の長い峠道になる。 わざわざ小さな柚之木峠を越えたいと、遥々やって来た訳ではない。最初の目的は伊賀越だったが、津市側から向かう途中で通行止に遭い、その迂回路としたまでだった。 その時、初めて柚之木峠の存在を知った。
 
<落合橋>
 伊賀越を目指して津市街を出発する。安濃川(あのうがわ)に沿う主要地方道42号・津芸濃大山田線を延々と遡り、安濃ダムのよって堰き止められた錫杖湖(しゃくじょうこ)も過ぎると、道はいよいよ狭い谷間に差し掛かる。津市街からの走行距離は21km余り。すると赤い欄干の小さな落合橋を渡る。
   
落合橋を渡る (撮影 2015.10.12)
   
<分岐>
 ちょっと前まであんなに快適な2車線路だった主要地方道も、落合橋を渡る頃にはもうその面影はない。道と同じように寂れた落合橋の先で、道が二手に分かれていた。 橋の袂に立つ小さな道路看板が主要地方道42は左折だと示している(右の写真)。しかし、行ってはみたものの伊賀越は通行止で越えられず、結局この地点まで引き返すこととなった。
 
<峠道の起点>
 この付近は落合の集落となる。その名の通り、安濃川とその支流の川が落ち合う地点で、2つの川に挟まれた三角州に比較的広い平坦地があり、そこに古くから集落が形成されている。分岐から左の安濃川本流沿いに続くのが伊賀越の峠道である。一方、ここを起点に右の支流沿いに始まるのが柚之木峠への峠道となる。伊賀越がダメなら、柚之木峠を越えてみようということになった。

道路看板 (撮影 2015.10.12)
左折が主要地方道42号
右折が柚之木峠へ
   
<落合集落>
 安濃川上流域に広がる河内(こうち)地区には9つの集落がある(伊賀越近くの峠集落を含めると10)。 ほとんどが安濃川本流沿いに点在し、落合集落はほぼその中程に位置する。落合橋の袂から眺める現在の集落の様子はやや殺風景だ。 駐車場や工事用の敷地らしい空地などばかりが目に付く。多分、以前は田畑が広がっていたが、もう耕す住人が居ないのだろう。人家ももっと多かったに違いない。護岸工事用なのか、仮り置きされた多数のコンクリートブロックが殺伐と並んでいた。
   

柚之木峠への道 (撮影 2015.10.12)
落合橋周辺の様子
手前が落合橋

柚之木峠への道 (撮影 2015.10.12)
右手に「落合の郷」
   

成覚寺の看板 (撮影 2015.10.12)
右手奥が「落合の郷」の入口

<落合の郷(余談)>
 代わりに、落合集落は他の人家ばかりの集落とは異なり、ちょっとした観光資源がある。「落合の郷」と成覚寺だ。落合橋を後に柚之木峠方向の道を少し進むと、「平家伝承の里 落合 平維盛の墓 成覚寺」といった看板なども立つ。
 
 その右手にまず「落合の郷」への入口がある。大きな駐車場も隣接する。支流の川岸に親水公園が設けられているようだ。 バーべキューなども楽しめるらしい。折しも10台くらいの乗用車が停められていた。河内の中にある集落で、これ程賑わっている集落は他に見ない。錫杖湖畔の「ふれあい公園」周辺はちょっとした観光地だが、その近くにあった杖立集落は湖に沈んでしまっている。
   
「落合の郷」 (撮影 2015.10.12)
我賀浦川の岸辺の敷地は広い
   
<成覚寺(余談)>
 落合集落内をもう少し進むと、左手に成覚寺への道が登る。その付近の道路沿いにも7、8台の乗用車やバイクが停められていた。成覚寺への参拝者だろうか。 近世以降、日本各地に平家落人などの伝承が生れるが、この落合にある成覚寺には平維盛(これもり)の墓があるそうである。そうした伝承が起こる程、ある意味この地は山深いということになる。

左手に成覚寺 (撮影 2015.10.12)
   

支流の右岸層 (撮影 2015.10.12)
<我賀浦川>
 落合集落を後に支流の右岸沿いを更に進む。地形図にはこの上流は大きく我賀浦(わがうら)川と北畑川という2筋の流れに分かれている。 地形図上ではどちらが本流か分かり難いが、我賀浦川の方は布引山地の主稜に源を発し、流長も長そうなのでそちらが本流らしく見える。ここではそのように扱うこととする。
 
 車道に沿って暫くフェンスが張り巡らされ、我賀浦川の岸辺とは隔てられている。中には「落合の郷」の敷地がそのまま続いている様子だった。意外と広い。こうした施設が建設される以前は、やはり落合集落の田畑や人家などがあったのだろうか。
   
<北畑集落>
 フェンスが途切れ、川沿いの平坦地が狭まり始めた頃、北畑の集落が出て来る。 落合集落の人家は道沿いからはあまり見えない位置に立っていたが、北畑は川に沿って細長く人家が並ぶ。河内9集落の一つで、安濃川本流沿いではなのが特徴だ。 ただ、落合橋から500mと離れていない。元々平坦地には乏しい立地で、道路脇より登る山側の斜面に人家の敷地がある。今は10軒にも満たないようだ。
 
 この「北畑」という集落があるので、その前を流れる川は北畑川だろうかと疑いを持った。しかし、やはり我賀浦川としておく。
   
北畑集落付近 (撮影 2015.10.12)
我賀浦川沿いに遡る
   
   
   
津市側の林道起点
   

前方に林道起点 (撮影 2015.10.12)
<林道起点>
 北畑集落の最後の家屋を過ぎると、我賀浦川の谷は狭まり、岸辺の平坦地もなくなる。道もいよいよ暗い林の中に入ろうとする所で、路傍にポツリと林道標柱が立っている。 林道柚ノ木越線の津市側起点である。落合橋から我賀浦川右岸沿いを遡ること700mの地点だ。北畑集落を少し過ぎたここまでの区間は、道の名前は分からないが、元々からそれなりの道が通じていたことだろう。ここから先は車道として近年に開削されたものと思われる。
   
<林道標柱>
 林道標柱には「柚ノ木越線」とだけあり、道の延長などの記載はない。比較的新しそうな標柱である。他に林道看板などは見当たらない。 ただ、直ぐ側の路肩に「閉鎖」と書かれた柵が置かれていた。崖崩れなどで林道通行止の時はこの柵が路上に置かれるのだろう。 また、冬期間の閉鎖は毎年のことだろうから、そのまま置きっぱなしのようである。
 
<林道名>
 元からある峠名を使って、「何々峠線」と命名される例をよく見る。しかし、この林道の場合、「柚之木峠線」ではなく何故か「越」を使っている点がやや気になる。

右手に林道標柱 (撮影 2015.10.12)
   

林道標柱 (撮影 2015.10.12)

道路脇に「閉鎖」の看板 (撮影 2015.10.12)
いつでも使えるようにとの準備だろうか
   
<柚之木>
 現在の地形図などに示される峠名は「柚之木峠」であるが、ほとんど同じ意味で「柚之木越」などとも呼んだかもしれない。 ただ、「何々越え」と言う時は、どこかの地名を指すことが多い。例えば「伊賀越え」は旧国名である伊賀へ通じる峠や峠道全般を指す。 加太峠も伊賀越もそんな「伊賀越え」の一つと言える。すると、「柚之木」というのは地名の可能性が高い。ただ、河内側にも加太側にもそのような地名は見付からない。 河内側は北畑集落が最終だと思うので、加太側に柚之木という地名があったのかと想像したりする。
   

柚ノ木越林道沿い (撮影 2015.10.12)
右手の対岸のどこかから旧道が登る
<旧道>
 この先、柚ノ木越林道は新しくできた車道の峠を目指す。一方、古くからある柚之木峠へと登る旧道がある筈だ。地形図にはその山道が点線で記されている。 林道標柱が立つほんの数10m先の対岸から始まっている。しかし、現地には橋が架かっていない。登山道などの案内看板も見られない。 落合の郷から続く左岸沿いに道が通じている様子もない。河内側から柚之木峠を目指すには、渡渉する必要があるようだ。
 
 古くは簡易的な橋が架かっていたかもしれないが、林道開通後はもう旧道はほとんど使われないのだろう。 河内側から錫杖ヶ岳へ登山する場合、安濃川の少し下流側より、峠を経由せずに直接山頂に達する登山道がある。そちらが使われるのだろう。
   
林道の様子 (撮影 2015.10.12)
   
<林道の経路>
 林道は尚も我賀浦川にぴったり沿って遡る。この区間はもう林道が通じてからの新しい峠道である。 古い柚之木峠は同じ我賀浦川の水域にあるが、林道起点近くに注ぐ支流の上部に位置する。旧道は北畑集落からほぼ直線的に北の尾根へと登っている。 一方、林道は暫く我賀浦川に沿って西へと迂回する。川の蛇行にならって道の屈曲も多く、峠までの道程は旧道の2倍以上だろうか。
   

道の様子 (撮影 2015.10.12)

道の様子 (撮影 2015.10.12)
川に沿って屈曲も多い
   
<道の様子>
 路面は古いながらもアスファルト舗装が施されている。枯葉などの堆積も少なく、しっかり整備されていた。老朽化しているだけで、寂れた感じはない。意外と利用される道なのかもしれない。
 
 谷は終始狭く、岸辺に平坦地は皆無だ。集落が形成される余地などはなかったようだ。川底は路面からも近く、増水すればさぞ怖いことだろう。濁流に流されて来たであろう大きな岩がゴロゴロしている箇所も見られる。
   

道の様子 (撮影 2015.10.12)

道の様子 (撮影 2015.10.12)
   

左岸へ渡る (撮影 2015.10.12)
<我賀浦川左岸へ>
 道は川に沿いながらも一度対岸へ渡る。そこに架かる橋は古い。欄干が所々壊れている。 コンクリート製の欄干には橋の名などが記された額がはまっていたが、確認しておかなかった。それを見れば川の名もはっきりしたかもしれない。 ただ、伊賀越が越えられなかったので迂回して来たまでの峠道である。わざわざ立ち止るなどは思ってもみなかった。
   
左岸沿いの道 (撮影 2015.10.12)
   
<北畑川を渡る>
 この先林道は我賀浦川沿いからその支流・北畑川沿いに移って行く。その前に、その北畑川を渡る。道もそれに並ぶ川もほぼ直線的で、如何にもそこに北畑川が注いでいるといった格好だ。この様子から見ても、やはり我賀浦川の方が本流、北畑川はその支流であろう。
   

この先で北畑川を渡る (撮影 2015.10.12)

北畑川に架かる橋 (撮影 2015.10.12)
   
<我賀浦川の様子>
 側らを流れる我賀浦川は、川底の岩を伝って流れる様子はちょっとした渓谷である。紅葉の時期などは眺めが良いかもしれない。

我賀浦川の様子 (撮影 2015.10.12)
   
   
   
北畑川沿いへ
   
<我ヶ浦林道分岐>
 道は落合橋から我賀浦川沿いを2km遡ると、その後は北畑川沿いへと曲がって行く。そのカーブで我賀浦川上流方向へ分岐がある。
   
直進方向に分岐 (撮影 2015.10.12)
峠へはここを右へ登る
   

我ヶ浦林道入口 (撮影 2015.10.12)
<分岐の様子>
 分岐の入口はゲート箇所になっていて、ゲートの支柱に並んで古そうな林道標柱が立つ。「我ヶ浦林道」という名のようだ。 川の名に因んでいる。道の延長は2,508mとある。我賀浦川沿いに尚も西へと遡るが、車道は布引山地の稜線の手前で途切れているようだ。代わりに山道が亀山市側へと越えているらしい。
   

ゲート箇所 (撮影 2015.10.12)
火の用心の看板が並ぶ

林道標柱 (撮影 2015.10.12)
   
<北畑川沿いへ>
 我ヶ浦林道の分岐点までは北畑川を渡って300m行き過ぎているので、道はやや東に引き返すようにして山腹を登りだす。 暫くすると北畑川右岸沿いになるが、もう我賀浦川のような広い平坦な川底がある川ではない。V字に細く切れ込んだ谷底を伝って細々と流れ下る沢である。 周囲に林も多く、川面を眺めるようなことはほとんどない。

北畑川右岸沿い (撮影 2015.10.12)
   

北畑川の様子 (撮影 2015.10.12)
小さな滝になっている
<道の様子>
 明らかに道の勾配が増してきた。側らに流れる北畑川も小さな滝を成すようにして急な斜面を流れ落ちて行く。
 
 北畑川沿いになってからは、道はほぼ真北を向き、峠の峰を目指す。柚之木峠への旧道とも500m程離れて並行して登っている状態だ。
   
 沿道に見られるのは、僅かに落石注意の道路標識や「カーブ注意」と書かれた標柱くらいである。地形がやや険しくなったので、握りこぶし大くらいの石が路面に転がっていたりする。ただ、道幅は意外と広く、この林道は比較的余裕を持って開削されたように思える。

落石注意の看板など (撮影 2015.10.12)
   

道の様子 (撮影 2015.10.12)
意外に走り易い
 我賀浦川沿いでは、時折空が開けた個所があったが、北畑川沿いになってからは、全くと言っていい程視界は広がらない。林道がしっかりしていて走り易いことだけが救いだ。
   
   
   
五嶺線分岐以降
   
<五嶺線分岐>
 河内側の峠道は3段階に分かれる。我賀浦川沿い(2km)、北畑川沿い(1.1km)、そして北畑川を離れて峠まで(0.5km)である(合計約3.6km)。 その切替点にはそれぞれ分岐がある。北畑川から分かれる時には、北畑川上流方向へ五嶺線という道が分岐する。 入口から直ぐに未舗装で、ロープが張られて進入禁止になっていた。地図で見る限りは、亀山市との境の手前でその車道は尽きている。

左に五嶺線分岐 (撮影 2015.10.12)
   

五嶺線入口 (撮影 2015.10.12)

五嶺線の標柱 (撮影 2015.10.12)
   

北畑川を渡る (撮影 2015.10.12)
<北畑川を渡る>
 五嶺線が沿う北畑川の源流は、西方の布引山地の奥地になる。五嶺と呼ばれるような山や山稜があるのかもしれない。
 
 五嶺線を分けると、やや西に向き掛けていた柚ノ木越林道は方向を修正し、また北へと向かう。直ぐに北畑川を渡る。続いてその支流らしい小さな沢を過ぎると、そこから先はもう山腹をよじ登る道だ。
   
<道の様子>
 はっきりした川沿いでなくなると、もう沿道に目立った変化はなく、ただただ林の中を迷走するように登るばかりだ。勾配は一段と急になり、小刻みな屈曲が続く。

道の様子 (撮影 2015.10.12)
   

道の様子 (撮影 2015.10.12)
<周囲の様子>
 あまり日が差し込まない木々の根元を縫って走る。クネクネ曲がる内に方向感覚も失う。いつ峠が現れるのかも、全く予測がつかない。結局峠まで、何の眺望も得られなかった。
   
   
   
   
<峠に到着>
 右手に木々がうっそうとしたやや深い谷を臨みながら、道は尾根に対して鋭角に取り付く。あまり明確な開けた鞍部ではないので、峠は林の中から唐突に現れる感じだ。
   

峠直下の谷の様子 (撮影 2015.10.12)

峠から下る道の様子 (撮影 2015.10.12)
   
<峠の様子>
 空もほとんど開けない。周囲に暗い林を抱えたまま、道は鋭い切通しで尾根を突っ切っている。
   

津市側から見る峠 (撮影 2015.10.12)

津市側から見る峠 (撮影 2015.10.12)
   
<切通し>
 尾根の稜線を成す岩盤を砕いて、切通しは開削されていた。急カーブしているので、なかなか先が見えて来ない。如何にも林道の荒々しい峠といった様子だ。
 
 人が歩いて越える峠は、もっと自然のあるがままに道が通している。一方、車道の峠道は緩い勾配と広い道幅を必要とする。 柚之木峠の旧道と異なり、我賀浦川沿いから北畑川沿いへと林道が通じたのは、地形的にそこに車道が通し易かった為であろう。 しかし、最後に峰を越える時、こうして大岩を切り崩さなければならなかった。なかなかの大工事ではなかったろうか。
   
峠 (撮影 2015.10.12)
手前が津市側、奥が亀山市側
   

亀山市の看板 (撮影 2015.10.12)
<市境の看板>
 垂直に切り立つ岩に挟まれた狭い峠の両側に、小さな一対の看板が立つ。一方は「亀山市」、他方は「津市」とだけある。質素なものだ。 この市境は以前は「関町」と「芸濃町」の町境だった。広く見れば、鈴鹿郡と安芸郡の郡堺とも言える。また水系で言えば、鈴鹿川と安濃川の分水界である。
 
 この市境看板以外、ごつごつと岩が露出しているばかりで、武骨なだけの峠である。まあ、林道の峠としてはふさわしい姿のようにも思える。
   
峠から津市側を見る (撮影 2015.10.12)
   
   
   
峠の亀山市側へ
   
<亀山市側>
 峠を亀山市側に抜けると、僅かに空が広がる。道幅もあって、どうにか路肩に車が停められる。そこ以外、峠前後に休息の場はない。
   
峠の亀山市側 (撮影 2015.10.12)
右手に広場
   
<峠の前後>
 峠から稜線方向には、しばしば登山道が通じる。しかし、この林道の峠に関しては、そのような山道が峠前後から登っている様子はなかった。 地形図を見ても、この峠を横切る徒歩道の記載はない。一方、この東に位置する元の柚之木峠からは、古くから稜線上に錫杖ヶ岳への山道が通じていたようだ。 現在はその道が錫杖ヶ岳登山の一つのルートともなっている。林道の峠は後の世に単独に通じただけで、やはりそうした歴史とは無縁の存在であろうか。
   

亀山市側から見る峠 (撮影 2015.10.12)
付近に登山道はなさそうだ

亀山市側から見る峠 (撮影 2015.10.12)
峠は完全なブラインドカーブ
   
<峠の標高>
 地形図の等高線では、ほぼ370mの峰の上を柚ノ木越林道は越えている。一方、元の柚之木峠は396mだそうだ。やはり、林道は低い場所を選択して開削されていた。錫杖ヶ岳から西の布引山地主脈に続く尾根の中で、最も低い鞍部である。
   
亀山市側から見る峠 (撮影 2015.10.12)
この武骨さは林道らしい
   

亀山市側にある広場 (撮影 2015.10.12)
空地の奥に小さな計測器のような物が立つ
<峠の広場>
 峠の亀山市側が少し明るいのは、側らに僅かばかりだが空地があるからだ。きれいに草が刈られ、落葉もはかれていて、今でもこの場所だけは整備が続けられている様子だ。 車道とは側溝で仕切られていて、車は乗り入れられない。以前は何かの建物が立っていた敷地ではないかと思われた。
   
 敷地に並んで土管が置かれている。雨水を溜めたりしていたのではないだろうか。よく見ると、空地の片隅に小さな計測器のような装置が設置されていた。 以前は気象などに関した、もっと大きな観測所のような建屋があったのかもしれない。ただ、この林道沿いには電信柱が見られない。 津市側の北畑集落以降、峠から亀山市側に暫く下る間にも全くない。この峠には電気が通じていないのではないかと思う。

路肩に土管が並ぶ (撮影 2015.10.12)
   
   
   
峠より亀山市側に下る
   

亀山市側に下る (撮影 2015.10.12)
<加太向井>
 峠の亀山市側は、旧関町の大字加太向井(かぶとむかい)になる。 古くは加太村12か村の一つの向井集落であったが、昭和30年に加太村が関町の一部になり、加太向井と呼ばれるようになった。関町は鈴鹿川の最上流部に位置し、東海道の鈴鹿峠に代表される峠と関所の町だ。また、加太は現在の鈴鹿峠の前身ともなる官道・加太峠(加太越)が通じていた村であった。
 
 加太向井は、鈴鹿川(鈴鹿川水系)の支流・加太川右岸に位置し、柚之木峠などがある安濃川との分水界までがその領域となる。 ただ、村の中心地は加太川沿いに片寄っていて、集落もほとんどがそこに集中する。柚之木峠が下る目的地はその加太向井の中心地である。
   
<小神武谷川>
 林道の峠は加太川の支流・小神武谷川の最上流部に位置する。一方、柚之木峠も同じ小神武谷川水域にあるようだが、その支流の上部にある。 車道の方は比較的本流となる川に沿って開削されたが、柚之木峠は河内の落合集落と加太向井の中心地をなるべく最短に繋ぐべく、その道筋が通されたようだ。
 
 林道は小神武谷川の左岸側を下る。最初は道の右手にその谷を臨む。しかし、林に囲まれ何の眺望もない。柚ノ木越林道は終始、景色には期待できそうにない。
 
 峠から500m余り下ると、小神武谷川の小さな支流沿いになり、谷は道の左手に移る。

小神武谷川の支流を過ぎる (撮影 2015.10.12)
この先、谷は左手に移る
   

小神武谷川支流沿い (撮影 2015.10.12)
<小神武谷川支流沿い>
 道は僅かな区間、小神武谷川支流の右岸沿いを下る。この付近、やや地形が険しい。道の谷側はストンと切れ落ち、山側は苔むした擁壁が続く。
   
<小神武谷川上流部>
 峠から700m下ると、小神武谷川本流の上流部に降り立つ。急カーブを曲がりながら小神武谷川を横切り、その右岸沿いへと出る。

この先、小神武谷川の上部を過ぎる (撮影 2015.10.12)
   
   
   
小神武谷川右岸沿い
   

小神武谷川右岸沿い (撮影 2015.10.12)
<小神武谷川右岸沿い>
 小神武谷川は峠のある尾根からほぼ真北に向かって直線的に流れ下って来ていて、道は屈曲しながらやっとその川の右岸に取り付く。ここからは川筋に沿った比較的真っ直ぐな道になる。
   
<錫杖ヶ岳登山口>
 小神武谷川の谷に沿って500m弱下ると、右手に登山道が分岐する。看板には「錫杖ヶ岳登山口」とある。地図を見ると、その山道は一旦柚之木峠で尾根に至り、尾根上を錫杖ヶ岳へと進んでいる。
 
 登山道は小神武谷川の一支流の左岸沿いに始まっている。ちょっと見る限りには、登山道としてはなかなかしっかりした道で、勾配も比較的緩やかだ。

錫杖ヶ岳登山口付近 (撮影 2015.10.12)
この直ぐ右手が登山口
   
錫杖ヶ岳登山口 (撮影 2015.10.12)
   
<旧道>
 当然ながら、その登山道こそが元の柚之木峠の旧道であろう。麓の向井集落からこの地点までは小神武谷川に沿いに伝い、ここから峠へは支流沿いに登って行ったようだ。
   

錫杖ヶ岳への登山道 (撮影 2015.10.12)
柚之木峠を経由する道
これが元の峠道だろう

錫杖ヶ岳登山口の看板 (撮影 2015.10.12)
   

左手に錫杖ヶ岳登山口駐車場 (撮影 2015.10.12)
<錫杖ヶ岳登山口駐車場>
 登山口から数10m下ると、道路に沿って細長い駐車場が設けられている。看板に「錫杖岳登山口駐車場 ご自由にご利用ください」とある。 10代近い車が置かれ、駐車場は既に半ばが埋まっていた。錫杖ヶ岳は登山の対象としてなかなか人気がある山であることがうかがえる。また、こうして亀山市側から訪れる登山客の方が多いように思われる。
   
<小神武谷川左岸の道>
 後で気付いたことだが、駐車場とは反対側の小神武谷川左岸に、向井集落から川沿いに遡って来た山道が通じていたようだ。車道からはそちらへの道らしい道が分岐していたようには見られなかった。しかし、そちらが本来の柚之木峠の峠道なのかもしれない。
 
 今は林道で寸断されているが、柚之木峠から下って来た古い峠道は、小神武谷川沿いに降り立つとそのまま直ぐに川を渡り、左岸沿いに向井へと向ったのではないだろうか。 林道開削で川岸方向へと降りる道は掻き消されてしまったようだ。また、しっかりした橋なども架かっておらず、林道開通後はほとんど使われることが無くなったのだろう。

駐車場の様子 (撮影 2015.10.12)
   
錫杖ヶ岳登山口駐車場以降の様子 (撮影 2015.10.12)
   
<錫杖ヶ岳登山口駐車場以降>
 小神武谷川本流沿いになったというのに、駐車場を過ぎた辺りから何だか道の様子がおかしい。徐々に登っているのだ。このまま素直に川筋を向井まで導いてくれるようではないらしい。こういう変則的な峠道はあまり好きではない。

道の様子 (撮影 2015.10.12)
やや登っている
   
   
   
平子川水域へ
   

小さな峠越え (撮影 2015.10.12)
<小さな峠越え>
 案の定、小さな切通しの峠を越える。道は別の水域に入るようだ。地形図を見ると、この小さな峠より錫杖ヶ岳方面へと登山道が始まっていることになっている。しかし、切通しの前後を見てみても、それらしいはっきりした山道があるようではなかった。
 
<平子川>
 柚ノ木越林道は小神武谷川水域から、加太川の少し下流側に注ぐ、多分平子川と呼ばれる川の水域へと展開して行くようだ。 小神武谷川の下流側は蛇行が激しく、車道開削には不向きと判断されたのだろう。そこで、林道は平子川水域に迂回し、最終的に平子川に沿って加太向井に至る。
   
<旧道の道筋>
 こうした道筋は車道ならではと思うが、小神武谷川沿いと平子川沿いを比べると、かえって平子川を迂回した方が道程が短い。途中の小さな峠越えも、標高差で20mくらいのロスでしかない。もしかすると、柚之木峠の旧道も、今の林道と同じ平子川経由だったかもしれない。
 
 小さな峠を越えて暫くすると、路肩に石の小さな祠が祀られていた(右の写真)。古そうなものである。こうした遺物があるというのは、この道が林道開削前の昔から存在した証拠かとも思った。尚更、旧道の可能性が出て来た。
 
 ただ、加太向井から柚之木峠方向へは、小神武谷川沿い、平子川沿い経由以外に、その間の支尾根伝いなどにも道が見える。柚之木峠への峠道は、必ずしも一筋ではなかったかもしれない。

路肩に小さな祠 (撮影 2015.10.12)
   
<林道大萩線入口>
 平子川水域に入ってから、右に林道大萩線が分岐する。荒れたコンクリート舗装の道が登って行く。チェーンで進入禁止となっていた。
   
林道大萩線入口 (撮影 2015.10.12)
   

林道看板など (撮影 2015.10.12)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
<大萩林道>
 地形図では、その大萩林道は平子川上流部をぐるりと回り、また柚ノ木越林道に戻って来ているようだった。
   
 大萩林道入口から100mくらい下ると、右手にほとんど車道には見えない様な荒れた道が分岐する。大萩林道はそこに繋がっているように、地図には描かれている。

右に荒れた道が分岐 (撮影 2015.10.12)
   
   
   
平子川沿い
   

平子川沿い (撮影 2015.10.12)
<平子川左岸沿い>
 道の直ぐ右手に川らしい川が見られるようになると、それが平子川本流である。暫し、その左岸にぴったり沿って進む。道の勾配もほとんどなくなり、安定した道だ。
   
<右岸へ>
 川沿いを数100mで右岸へと移動する。直ぐに右手に作業道の様な道が急坂を登る。綱で進入禁止。

右岸へ渡った直後 (撮影 2015.10.12)
右手に作業道分岐
   

左手に監視カメラ (撮影 2015.10.12)
<監視カメラ>
 右岸沿いはやや川から離れる。路傍に何か立っているなと思ったら、監視カメラであった。付近には「不法投棄禁止」の看板が立つ。
   
   
   
亀山市側の林道起点
   
<林道看板>
 道が林の中から出る所に林道看板が立つ。「林道 柚ノ木越線」とあり、起点とも終点ともない。多分、大きな市街地に近いこちら側が起点であろう。奥には森林組合の「無断入山お断り」の看板が傾いて立つ。
   
林道看板 (撮影 2015.10.12)
   
<林道起点>
 林道が出た先の正面は、高い擁壁になる。その上に車道が通じる。名阪国道だ。元の国道25号とは別に無料の自動車道が通じている。周囲は明るく開け、まるでトンネルの中から出て来たようだ。

前方に名阪国道が通る (撮影 2015.10.12)
ここが林道の出口
   

錫杖ヶ岳登山口の案内看板 (撮影 2015.10.12)
<看板>
 林道方向には、僅かに「錫杖ヶ岳登山口」と案内があるだけだ。峠を越えた津市側の芸濃町河内のことなど、一言もない。 今回は無事に峠が越えられたが、やはり林道の峠道である。一般の道路に比べればそれなりに険しい。時には崖崩れなどで通行止になることもあるだろう。 加太と河内を結ぶ峠道としては、推奨できる存在ではなさそうだ。
 
 かつて、江戸期の隣り合う加太・河内の村同士を繋ぐ柚之木峠の道だったが、後世の柚之木越林道はそうした峠道としての役割はほとんどないのだろう。もっぱら錫杖ヶ岳登山口までのアクセス路としての利用だけと思われた。
 
<林道入口の様子>
 林道起点の付近は道がやや入り組んでいる。ここは名阪国道の向井ICの一部である。 林道を出た所を左は一方通行になっていて、平子川沿いに名阪国道をくぐって向井集落へと通じる。そちらが元の道筋であろう。しかし、名阪国道の前で平子川は消えている。多分トンネルになっているらしい。
 
 林道出口を右は、向井ICの立体交差になっている。名阪国道が開通し、この付近の様子は随分と変わったことだろう。 今回は向井ICから名阪国道を西に向かい、津市側から越えられなかった伊賀越を、伊賀市側から目指そうと思う。よって、向井集落には寄らず仕舞いであった。 名阪国道は何度か走ったことがあるが、その側らに位置する向井集落や旧加太村については、知ることはほとんどない。
   
林道入口の様子 (撮影 2015.10.12)
   
<道程>
 峠の亀山市側の林道は約2.7kmで、林道起点から向井の集落までは500m程を残す。峠道としては約3.2kmだ。 峠の津市側は落合集落から峠まで約3.6kmであった。峠道全線では7km弱といったところだ。歩いても2〜3時間で越えられるのではないかと思う。 車ならゆっくり走っても30分と掛からない。この林道さえ通行止でなければ、河内と加太との地理的距離は近い。しかし、もうその道程以上に両地区の関係は遠くになってしったように思われる。
   
   
   
 先日テレビを見ていると、日本には名前が付けられた山は15,000余りあるとのこと。 峠についてみては、例えば今回の柚ノ木越林道の峠のように、明らかに立派な峠としての形態を持ちながら、名前のない峠が意外と多い。 よって、名前だけで峠を数えてみても、実際の峠の数とは隔たりがでそうである。そんなこともあって、日本に存在する峠の数というのは、そのおおよそもよく分からない。山の数に負けず劣らず、1万は越えているだろうというくらいの認識だ。
 
 実は、日本の峠の総数どころか、自分が実際に越えた峠の数もほとんど把握していない。それでも、多分数千はあると思う。 この「峠と旅」では259の峠を掲載したが、ほぼ10峠に1つの割合で峠を選んでいることになる。 ただ、この柚之木峠は旅先で偶然に訪れた峠で、今回の掲載も全くの気まぐれである。選りすぐりという訳ではない。何の眺望もない小さな峠道で、推薦できる点が見付からない。 それでも一期一会だと思う。峠の数をあれこれ云々するより、一つ一つの峠にじっくり向き合う方が面白い。しかし、じっくりと言いながら、こうして余談ばかりが多い、柚之木峠であった。
   
   
   
<走行日>
・2015.10.12 津市 → 亀山市 パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、 こちらを参照 ⇒  資料
 
<参考動画 (youtube)>
林道柚ノ木越線の峠/津市側
林道柚ノ木越線の峠/亀山市側
 
<1997〜2016 Copyright 蓑上誠一>
   
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