サラリーマン野宿旅
10年前の野宿旅 (その1)
旅の始まり、旅の1日目
 
 
 
 
 
 旅の始まり
 
 今年(2003年)の3月は、個人的にちょっとした区切りの時期を迎える。3月31日をもって、今の会社に勤め始めてから、ちょうど10年となるのだ。これだけ勤めれば、もうサラリーマンも沢山で、いつ辞めてもいいんじゃないかと思ったりする。勤続年数10年ともなれば、退職金の割もいい筈だなどと、みみっちいことも考える。どうせ基本給が安いのだから、退職金の額も知れたもの。
 
 思い返せば10年前の今頃は、本当に会社を辞めていた。失職の身にあったのだ。それまで過去に2回の転職経験を持ち、3回目に勤めていた会社もついに嫌になって辞めてから、半年ほどが過ぎていた。
 
 今は大卒者に就職浪人が続出し、就職しても数ヶ月であっさり会社を辞めてしまい、フリーターなどと呼ばれる身におく若者が多くいる。転職したり定職につかないことが罪悪とはされず、ある程度認知された社会となっている。しかし、我々の世代は、まだまだ終身雇用が当たり前で、そこをあえて転職するなら30歳前までが限界と、諸先輩方から忠告されていた。30歳を過ぎたら一つの会社に落ち着かなければならない。さもなければこの世の中から弾き出されて、二度と戻っては来れない。そんな恐怖感があった。それでも会社を辞めたのだった。
 
 
   今思うと会社を辞めてからの半年間、一体何をやっていたのかよく思い出せない。とにかく暫く経つと、社会とほとんど関わりを持たない生活をしている自分に、やっぱり少し不安を感じるようになってきた。そこで、再就職をしたいという意思もはっきりしないまま、何となく就職活動を始めたのだった。
 
 当時はバブル経済が破たんをきたし始めて間もない頃で、今ほどにバブル崩壊がひどいものであるという認識はなかったが、世の中の景気は明らかに傾きだしていた。そんな折り、30歳半ばのこれといってアピールできるものがない一介の技術屋に、いい就職口などおいそれと見つかる程世間は甘くない。それに、元々サラリーマンに嫌気が差して会社を辞めたのだから、就職活動に熱など入ろう筈がなかった。会社に勤める以前に、ただ就職活動をやっているだけで、社会と関わりが持てているような気がして、それで満足していた。
 
 それでも、2週間に1度は職安(職業安定所、今風に言えばハローワーク)に通い、就職斡旋会社の勧めにも応じていると、まあまあ自分でも納得がいく条件の会社に巡り合うことができた。2、3度ある会社を訪問し、最後にはそこの社長との面談をしてしまっては、もう返答するしか後がない。迷った末、入社の意思を告げたのが3月初旬のことであった。
 
 会社は直ぐに来てくれてもいいと言ってたが、ちょうど区切りがいいからと、4月1日から勤めさせてもらう約束にした。しかし、本音を言えば、半年続けてきた自由な生活に、まだまだ未練を感じていたからだ。もう少しこの自由さを味わっておきたかった。
 
 自由というのは、何もしなくていいことだ。しなくてはならないことがなく、のんびりしていていいことだ。再就職が決まった後も、何か特別なことをする訳でもなく、暫く気ままな日々を過していた。しかし、いよいよこの自由な時間も残り少ないと思うと、俄然有効に使いたくなってくる。となれば、やることはただひとつ。旅である。
 
 いざとなると、出発する前に多くのことを済ませておかなければならなかった。入社に必要な書類を用意し、健康診断を受け、国民年金保険や職安の手続きも必要であった。そして、旅の支度もそこそこに、あわただしく旅立ったのは、入社日がもう1週間後に迫った3月24日のことである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 旅の1日目
 
 向かう先は紀州方面と決めた。それも紀伊半島のなるべく南。何となく暖かそうに思えたからだ。3月下旬ではまだまだ朝の冷え込みが厳しく、野宿にはつらい季節だ。そこで、なるべく暖かいところと考えた結果だった。
 
 長らく失職の身だったとはいえ、高々1週間くらいホテル泊ができない程、お金に不自由している訳ではない。しかし、どうしても安上がりな野宿旅に固執した。この半年間、一切の仕事もアルバイトさえもせず、雇用保険の僅かな給付金だけが唯一の収入であった自分には、野宿が分相応に思えた。無職に野宿のわびしさはぴったりではないか。
 
 今日は水曜日。こんな平日に旅に出られるのもこれが最後である。会社勤めでは如何に休日が大切か、身にしみて分かっている。そして渋滞のつらさも嫌というほど経験した。でも今は、行楽客で道が混むことはない。自宅から厚木インターまで難なく走り、東名高速に乗って西へと向かう。
 
 でも、いくらすいていても高速はつまらない。紀伊半島などまだまだ先の浜名湖に寄ることにした。この無計画さが野宿旅の信条である。浜松西インターで東名を降り、浜名湖東岸の舘山寺や大草山を訪れる。それだけではまだ不満で、浜名湖の北の山腹を走るダート、奥浜名湖スカイラインに目をつけた。
 
 細江町の気賀でスカイラインへの入口にちょっと迷ったがどうにか見つけ、久々のダート走行を楽しむ。この道は尉ヶ峰に続く稜線近くを通り、南の浜名湖に向かって視界が広がっている。誰も来ない平日に、のんびりこんな道を楽しめることが嬉しい。
 
 
   その後、ごちゃごちゃと狭い舗装路を走る繋いで静岡県から愛知県に入る。この県境は瓶割峠というらしいのだが、その名を記した看板はなく、場所も全然峠らしくない。何だか腑に落ちぬまま、更なる迷走の深みへと落ちていった。
 
 瓶割峠?
静岡県三ヶ日町から愛知県新城市に入る
 
 ツーリングマップに書き込んだ走行経路は、後で見ても訳が分からない。静岡と愛知の県境付近を行ったり来たり、迷走そのものだ。繋がっているどうかも知れない道に曲がり、名もなく荒れた未舗装峠を越え、それで一体何が面白いのだろうか。自分のことながら首を傾げたくなる。
 
 それでも、ひとつの目的地があった。鳳来湖である。ここは始めて訪れるが、マップによるとこの付近にキャンプ場が多い。マップに記されていない鳳来湖上流のキャンプ場もひとつ見つけた。迷走している内に雨が降り出し、少しでもテントが張れる条件がいいようにと、キャンプ場の利用を考え始めていたのだ。
 
 
鳳来湖 
生憎の雨になった
 
 
 
 しかし、実際にキャンプ場を目の前にすると、やっぱりそのそらぞらしい造りに、どうしてもキャンプする気にはなれない。かといって、冷たい雨は強くなる一方だ。この状態でいい野宿地を見つけるのは大変である。
 
 情けないことに初日から早くも野宿は諦めた。あっさり、ホテル泊に切り替える。このところ冬場で野宿旅はとんとご無沙汰だった。若干腰が引けていても仕方がないとこである。
 
 そうと決まればホテル探しだ。マップを開き、まず、手近でなるべく大きな都市を選ぶ。野宿地とは逆に安いビジネスホテルは大都会にあるのだ。鳳来湖の西方、約40キロ先に豊田市があった。これまでその土地には縁もゆかりもなく、大自動車メーカーの町との認識が僅かにあるだけだ。どんなところか全く知らないが、マップ上ではごちゃごちゃしていて、如何にも大都市風である。  
 
   次にJTBの宿泊情報西日本編を引っ張り出す。狭い車の中で後部座席に振り返り、荷物で散乱した中から本を探し出すのは一苦労だ。窮屈な思いをしながらも、こまめに動かなければ今晩の宿は確保できないのである。
 
 やっと見つけた宿泊情報で、豊田市の掲載があるページをあたふたと開き、一番安い宿にピンク色のマーカーでしるしを付ける。宿選びに値段以外を参考にすることはない。候補に上がったのはビジネスホテルサンライズと豊田パークサイドホテルの2つだった。どちらもシングルで5,000円。この値段ならまあまあだ。もし、一番安くとも例えば7,000円以上とかだったら、その時点で別の都市を選びなおさなければならないのだ。今回豊田市を選択したのは正解であった。
 
 さて、どこかで電話ボックスを見つけなければならない。携帯電話などまだ普及してないし、普及したとしても自分が使う必要などありえないと思っている者にとって、公衆電話だけが頼りである。幸い鳳来湖近くで電話ボックスを見つけ、宿泊情報とテレホンカードを持って走り込む。
 
 電話をかける時、先ほどマーカーで目立つしるしを付けておいたのが役立つ。さもないと、目が悪いことも有り、どのホテルだったか見失うことがあるからだ。宿がまだ決まっていない時点では、不安もあっていらいらしている。その上で、細かな字が並ぶなかから目的の電話番号を拾い出すのは、厄介な作業である。
 
 
   電話をすると、一軒目のビジネスホテルサンライズにあっさり部屋が取れた。今回は比較的順調であった。後は豊田市目掛けて車を走らせるだけである。これまで細く寂しい道を迷走していたが、一転、一級国道をまっしぐらに進む。
 
 はたして、今夜のホテルはどんな宿となるであろうか。それに、場所がうまく見つかるだろうか。どちらにしろ、都会の安いビジネスホテルの部屋は、小さく殺風景で、野宿に負けず劣らずわびしいものだ。まさに自分にぴったりである。場所もきっと、路地裏のようなところで、ひっそり隠れるように建っているのだろう。見つかるかどうか、行ってみなければ始まらない。
 
 冷たく降る雨のせいで暗いばかりではなく、日が徐々に暮れていっている。暖かく明るい筈の紀伊半島はまだまだ遥か先である。代わりに沿道の街灯がぽつりぽつり灯り始める。向かう先には大都市の光の渦が待っているのだろう。その中に車ごと吸い込まれていった。
<制作 2003.03.29>
 
☆10年前の野宿旅(その2) につづく
  
 
 
 
 
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