サラリーマン野宿旅
野宿実例集 No.15  恒例、メモリアル休暇の野宿旅 のつづき

 初掲載 1999.10. 4

 恒例、メモリアル休暇の野宿旅 第一篇

 一路、西に進路をとる。
 松本を越えて長野と岐阜の県境附近で今日は野宿し、明日はその附近をうろついてから、適当なところで中央高速に乗って帰ってこようという、極めて大雑把な計画である。
 昼食をとった長野県北御牧(みまき)村の「道の駅みまき」より、県道を走り繋いで別所温泉へ。ここは有名な温泉地だが、宿代がめちゃくちゃ高 い。一生泊まることがないだろうから、せめて冥土の土産に見学だけでもしようとかねがね思っていたのだ。いつものように温泉地内の狭く複雑な道に迷った 末、さらに西を目指す。

 保福寺峠スカイラインは名前に騙されてはいけない。
 「スカイライン」と聞くと快適な道を想像するが、とんでもないのだ。スカイラインに限らずこの沿線の道はそれが県道であっても、山の中をクネク ネと這い回る細い細い道なのだ。以前日が暮れてしまい、暗い中を鹿教湯(かけゆ)温泉から青木村まで走ったことがある。自分のヘッドライト以外に明かりは 全く無く、それはそれは恐ろしい思いをした。

 対向車が突っ込んできた。
 保福寺林道を峠方向に走っていると、カーブの出会い頭に衝突しそうになる。こちらはトロトロ走っていたので、ハンドルでかわすより先に直ぐに停 止した。しかし相手は車速が高かったので、藪の中に突っ込んで止まった。こんな所でラリーまがいなことをしているのは怖いお兄チャンかと思って、車の中に 居たまま様子を窺う。相手は車から降り、気になる自分の車のフロントを調べる。その後でこちらを向いて、両手で大きな丸を描いた。ダメージは無かったと言 う合図である。その格好がおかしく、暫く笑いながら走った。

 保福寺峠はどこか見覚えがあった。
 しかし初めて越える峠だ。デジャブというやつか。それにしては峠の様子や道の具合がどこかの峠と似ている。或いは複数の峠の部分部分が、非常に似通っているのかもしれない。何だか不思議な気分のする峠であった。

 長い国道移動が始まった。
 旅の間は、保福寺峠スカイラインのような道をずっと走り繋げればいいのだが、どうしても途中で長くつまらない国道を走らなければならない時がある。
 保福寺の前を通過した後に、松本を目指す。道路の傍らには眺めるべき景色もなく、また前後に連なった車の列の一台としては、自由な行動もとれない。ただただ前の車に遅れをとらないように車を操るだけである。

 松本市街で道に迷う。
 一級国道を走っているのに、この有様だ。市街は道が複雑な上に、道路の改修が行われるので、地図を見ても自分がどこを走らされているのか、さっ ぱり分からない。今、思い出してもいらいらする。随分大回りをさせられたが、どうにか市街を抜けて、国道158号を乗鞍方面に走る。
 
 見ると対向車線はひどい渋滞だ。
 乗鞍や上高地などからの行楽帰りの車が、松本方面に向かって殺到しているのだ。私も何度か苦い経験がある。今日は日曜日で、皆、明日に勤めを控え、家路を急いでいるのだ。こちらはメモリアル休暇である。皆とは反対方向に進めるのが嬉しい。ちょっとした優越感だ。
 それでもつまらぬ国道走行に代わりはなく、後ろに付いた車の車間距離が短いのがさっきから気になる。いつもは十分過ぎる車間距離をとるのだが、 松本でのいらいらの後遺症が残っていて、私も前の車をあおるような走りをしてしまった。精神的にハイテンションになっている。分かっていながらコントロー ルができない。こんな時が事故を起こし易いのだろう。

 野麦峠へ続く県道に入る。
 後続車は一台もいなくなった。アクセルを緩める。やっと自分のペースでのんびり走れる。
 これから、野麦峠へ行く途中より分岐する月夜沢峠を越える林道にでも入る積もりだ。そこで野宿地が得られればいいと思っていた。しかし、県道から広い河原がちらりと覗いた。直ぐに河原に降りられる道も見付かった。そこは野宿にはもってこいの場所であった。

 先ずは周囲を偵察する。 
 川を挟んで県道が通っているが、樹木が目隠しの役目をしている。車の騒音は聞こえるが、通る車は非常に少ない。河原の奥へ車を乗り入れると、先 客のワゴン車が一台止まっていた。その側から煙が立ち上っている。数十メートルまで近付く。一人の女性が焚き火の前で火を起こす為に必死で扇いでいる。他 に人影は見えないが、まさか女性ひとりでキャンプとは考えにくい。車の中かどこかに連れが居るのだろうと、挨拶することもなく引き返した。

 テントの設営にかかる。
 先客のキャンパーの視界に入らなくなる所まで戻り、そこに設営することにした。野宿者同士、お互いに干渉しないのがマナーである。
 大きな石がゴロゴロと多い河原なので、なかなか寝心地が良さそうな地面を選ぶのに苦労する。重要なのは地面が概ね水平なことだ。少なくともテン トの出入口側が少し高くなる様にする。それは、テントの中では出入口に頭を向けて眠るので、頭が足より低くなると寝にくいからだ。あとは、地面の凸凹はエ アーマットの威力でどうにかなる。テントを持って何度かうろうろした後に、どうにか妥協できる場所を見付けた。昨夜の失敗があるので、今度はしっかりフラ イを着ける。土の地面でないからペグは打ち込めない。代わりにそこらに腐るほどある河原の石を使ってペグを固定する。テントの横に車を置き直し、ポケット コンロなどの野宿道具をテントの側に並べ、自分も腰を下ろして一息つく。
 冷たい物でも飲みたいが、何にも買ってこなかった。代わりにお湯を沸かし、砂糖たっぷりのインスタントコーヒーをすする。河原の景色を眺めながら、こうしている時間がまたいい。

野麦峠下の野宿地 2日目の野宿地
広い河原だった

 今回の旅は、野宿地探しが楽であった。
 こんな事は滅多にないのだ。いつもは散々苦労する。しかも2泊ともかなりいい野宿地なのだ。
 見ると、煙が立ち上っている。あちらのキャンパーの焚き火の煙だ。夕食を作っているのだろう。 

 夕食に支度をする。
 今晩はインスタントのお茶漬けにした。自宅近くのスーパーマーケットで偶然見付け、試しに買い置きしてあった物で、今回初めての試みである。作 り方はいたって簡単、ご飯に熱湯をかけて数分待ち、その後お湯を捨ててお茶漬けの元をご飯にかけ、再度熱湯を注いで出来上がり。よくあるパック入りのご飯 は電子レンジだと3分だが、熱湯で暖めると12分から15分もかかる。それに比べてこのインスタントお茶漬けはカップラーメンの様な手軽さなのがいい。

 蜂に追われる。
 夕食の支度をしていると、夕方7時を過ぎたというのに、まだ蜂が一匹付うるさく付きまとう。あんまりしつこいので、つい持っていたタオルを振り 回してしまった。それがいけなかった。蜂を怒らせてしまったようだ。お茶漬けのカップを持って河原を逃げまどう。蜂は仲間を一匹連れてきて頭の周囲を執拗 に追いかけて飛び回る。カップの中身が半分ほどこぼれた末に、やっと車の中に逃げ込んだ。車の中は暑いが、蜂が入り込まないように窓もきっちり閉める。そ れでもインスタントのお茶漬けはなかなかいけた。また買い置きしておこう。
 ゆっくり食べた後、恐る恐る車を出ると、蜂たちもねぐらに帰ったようだった。

 夜露はすごい。
 物をうっかり河原に置きっぱなしにすると夜露にやられる。湿るとか、水滴が少しつくなどという半端なものではない。びしょ濡れと言っていいの だ。自然の力、恐るべし。マッチなどは直ぐに使い物にならなくなる。当然人間の体にもいいわけない。荷物を車の中に片付けて、自分もテントの中に退散す る。

 テントの中の気温は21℃。
 体温とローソクの炎で外気より僅かに高い程度。
 フライのおかげでテント地に直接水滴は付かないが、それでもテントの中の湿度は高く感じる。
 蜂にはてこずったが、蚊の対策は十分だ。防虫スプレーに、テントの中では蚊取り線香を点けている。
 即席のわかめスープを飲む。ローソクの明かりの中で、スープから湧きあがる湯気と、線香から一筋立ち上る煙が幻想的である。何かの儀式のようだ。

 就寝前にテントから抜け出る。
 用足しにだ。広い河原に立つ。空を見上げると雲間に月が見え隠れする。山の中から恐ろしいモンスターでもやって来るんじゃないかと、子供っぽい 妄想をする。でも、そんなことを考えると本当に怖くなってくるのが面白い。雲が切れて明るい月が河原を照らした。背筋がぞくぞくする。なぜか月に向かって 大声をあげたくなった。狼男じゃないけれど、なんだか野生が呼び起こされる気分である。でもご近所のキャンパーが不安に思うだろうから、吠えるのはやめて おいた。


 3日目

 朝、気温は15℃。
 やはり標高が高いせいか。半そで一枚では少々寒い。上着を着て外に出る。
 食欲がないので何も食べず、濡れたテントも適当に丸めて車に放り込み、出発。

 野麦峠まで往復する。
 ここは冬期閉鎖でこれまで越える機会がなかなかなかった。やっと越えられた時は、峠は観光客でごった返し、車を止めるスペースもなく素通りしてしまった。今日はじっくり見られた。早朝だというのに、既に2〜3台の車。写真を熱心に撮る男もいた。

 野宿地の近くから月夜沢峠への道に入る。
 途中、昨夜見掛けた女性キャンパーが居た。やはり一人でのキャンプだったようだ。どんな深い事情があるか知らないが(別に何もないか)、異性とは言え同じ野宿の同胞である。幸あらんことを祈るのであった。
 険しい月夜沢林道で開田村に入り、更に地蔵峠を越えて木曽福島に出る。

 テントやシュラフを干す。
 地蔵峠を少し下ったところで、道路脇に日当たりのいい場所を見つけた。そこで昨晩の野宿で夜露に濡れたテントやシュラフを乾かすことにした。野 宿道具の手入れはなかなか面倒なことだ。かといって露や雨に濡れたテントなどをそのままほおっておく訳にはいかない。旅から帰ってからそうした後始末が 待っていると思うとまた気が重い。
 そこで旅のことは旅の間に片付けてしまうのだ。普段のサラリーマン生活に野宿旅を不必要に持ち込まない。それがサラリーマンをするかたわら、野宿旅を実践する者の哲学とでもいっていいのであった。
 手入れと言っても特別なことではない。土や草のゴミを払い落とし、後は専ら日干しにするだけだ。車を停めて、テントやシュラフ、エアーマットな どを外にほおり出す。それらを車の上や路肩のアスファルトに一つひとつ広げて干す。ここは旧国道の峠道なので通る車は滅多になく、気兼ねは要らない。そこ まで計算されているのだ。
 乾くのを待つ間に即席の焼きそばで遅い朝食をとる。やることなすこと全く無駄がない。
 途中で干している物をひっくり返し、裏までまんべんなく乾かす。あれほどびしょ濡れのフライも太陽の光はあっと言う間に水分を蒸発させてしまう。
 乾いた物から順にきちっと畳んで仕舞う。手馴れたものだ。いつになるか分からないが次の野宿が気持ちよくできる為にも丁寧に行う。道具に対する愛着も湧くというものだ。

テントを干す テントやシュラフを干す
よく乾くが、暑い暑い

 しかし強い太陽光線は人間にも容赦無く降りかかった。
 道具を仕舞い終わった頃には暑さで今にも倒れそうである。計算は完璧なのだが、実践する体力が伴わない。瀕死の状態で車に乗り込んだが、車を走 らせると風が涼しく生き返る思いだ。さっきまでは大奮発でクーラーを点けようとまでも深刻に考えていたのだが、その必要がなくなってよかった。

 検問に遭う。
 木曽福島から国道19号に入り、北上している時であった。道路脇のパーキングに誘導され、何事かと思っていると、凍らせたミネラルウォーターのパックと交通安全のお守り、それと暴走族関係のパンフレットを渡され、そのまま無罪放免であった。
 パンフレットは関係無いので直ぐにゴミ扱いとなったが、ミネラルウォーターは有り難かった。安っぽいお守りは捨てる訳にもいかず、一応今でもグローブボックスの中に入っている。

 味噌川ダムに寄る。
 朝日村と木曽村の境に鉢盛という峠がある。以前、朝日村からは峠まで行けたのだが、峠から木曽村側は通行止であった。ダム工事によるものと聞い ていた。その味噌川ダムに寄ることにする。少々道に迷ったが、絵に描いた様なS字カーブが連続する道を通ってダムに着いた。大規模なロックフィル式であっ た。
 ダムの袂に「ふれあい館」なるものが建っている。ダムの展示館だ。入口を入るとちょっと歳がいったおねえさんが直ぐに案内に出てきた。野宿旅 の間は人と対面する時はちょっと緊張する。とにかくこの真夏の暑さの中、3日間下着から靴下から何から何まで着たままなのだから。ちょっと距離を置いて話 しをする。とても親切に薦めるので展示室に入ることにした。中は電気仕掛けの立派な施設で、見るだけではなくインタラクティブにクイズなども楽しめる。

 鉢盛峠へ続く林道を見に行く。
 「ふれあい館」の脇からダム湖の左岸を上流に走る。途中、野生の猿の小集団に出くわす。湖の上流に架かる奥木曽大橋を左手に見て尚も奥に進む。 その先で道はしっかりしたゲートで通行止め。鉄柵越しに楽しそうな未舗装林道が続いているのが見えた。これが鉢盛峠へ通じる峠道である。いつの日か走って みたいものだ。
 奥木曽大橋まで戻り、橋を渡り、湖を一周して帰ることにした。
 

スキー場の野宿 奥木曽大橋
木曽村の味噌川ダムの上流にある
サルも渡っていた

 峠を越えて中央高速に乗る。
 鳥居峠、牛首峠、勝弦峠と走り繋いだ。
 峠にこだわって旅の経路を決めている積もりはないのだが、ありふれた国道や立派な県道などを避けると、必ずと言っていいほど峠道を走ることになる。それほど日本には峠が多いのだ。
 岡谷インターで高速に入り、東京方面に向けてひた走る。旅も終わりに近い。

 途中、左手に八ヶ岳を望む。
 この八ヶ岳の山麓などで田舎暮らしをしてみたいと常々思っている。会社を辞めてサラリーマン稼業からキッパリ足を洗い、山里深くの廃屋寸前の様 な農家を自力で修理してひとりで住み、小さな畑に野菜でも育てて半分自給自足のような暮らしをするのである。それが本当に自分が求めているものかは、やっ てみないと分からないが、少なくともそれ程長くない残りの人生に悔いを残さない為にも、どうしても実現したいことであるのは確かである。
 高速を途中下車して現地で田舎暮らしの土地を探すこともチラッと考えたが、3日間の野宿旅の疲れも出てきたし今日の残り時間も少ないので、そ のまま家路を急ぐことにした。田舎暮らしは思い描くばかりで、まだ何ら具体的な行動に至っていない。いつになったら毎日が野宿旅の様な暮らしが実現するこ とやら。それまでは年に一度の、それもたった3日間のメモリアル休暇だが、とても貴重な存在なのであった。
 


☆実例集目次