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峠情報 8

1999年11月から12月



 ○ 新得峠(仮称)/北海道新得町
 ○ 有間峠(仮称)/埼玉県
 ○ 厚雲隧道/北海道八雲町・厚沢部町
 ○ 安倍峠/静岡県・山梨県
 ○ 大峠/福島県・山形県
 ○ 昔の三国峠/北海道
 ○ 鞍掛峠/岐阜県、位山峠、天生峠
 ○ 天生峠/岐阜県
 ○ 余地峠/長野県・群馬県

1999/12/16 ( 仮称新得峠/北海道新得町 )

私は北海道の新得町というところに実家があり休みのたびに帰っています。新得には全国的な狩勝峠のほかにも念仏峠(十勝ダムに水没)やヌプン峠などがあります。
山登りなどアウトドアの趣味はありませんが狩勝峠やJRの石勝線などの歴史に興味を持ちしらべているうちにはまった?峠があります。
新得市街の西にオダッシュ山という山があり、その北側にある鞍部に現在の狩勝国道が開通する前の昭和初期まで旧国道が通っておりました。
明治32年に開通したというその峠は明治40年に狩勝に鉄道が開通するまでの短い間ですが開拓のための入植ルートとして重要な役割を果たしていたようです。
もっとも、付近に交通ルートの存在することを示すアイヌ語地名もあり開拓以前、少なくとも江戸時代・アイヌ期よりの交通路だったようです。
峠の近くを昭和41年に開通した新狩勝線(この時点で狩勝の鉄道が新しいルートに切り替わった)が通るため便宜上新狩勝峠とか狩勝峠の一部として扱われているため無名の峠となっております。(仮称 新得峠)私は3度この峠を歩いて越えたことがありますが(林道・送電線の保守道があるが、南富良野町側が牧場の敷地となっているため通り抜けはできない。また峠の絶頂までは普通の車では登れない。)ハンターや山岳会のメンバーがサポートしてくれる開拓記念行事や、建設予定の主要地方道夕張新得線の踏査会に行ったきりで単独での行動はさけたほうがよいといわれております。(もちろん熊出没のため)
おそらく10数年のちには北海道横断自動車道と夕張新得線の越える新しい幹線ルートに生まれ変わっていると思いますが今から開通後の名前は何になるのかといろいろと思いをはせております。個人的なことをだらだらと書いてしまいましたが今いかにしてこの峠をメジャーにするか思案しております。(近くの鉄道の方は道内有数の鉄道写真
の撮影スポットとして鉄道マニアには有名なようです。)      
  北海道新得町 にきち でした。

自分に関係のある土地に、興味深い峠があるのは羨ましいです。でも、おいそれとは行けない峠なのは残念ですね。やっぱりクマは怖いですから。今は車では峠までも行けないそうですが、主要地方道が新しく出来るそうで、それが出来たら、私も行ってみたいと思います。でも10数年先では、その頃まで、峠の旅を続けていられるか心配です。


1999/12/ 4 ( 有間峠/埼玉県 )

どうも初めまして。
自分はセリカというスポーツカー(?)なんぞに乗ってますが、実は妖しげな峠大好きです。
下道でひたすら遠くに行ったりしています(^^;

あなたのホームページで紹介されている名栗と有馬ダムを結ぶ林道は、友人のランドクルーザーに乗って、
初めて越えた思い出の未舗装林道の峠でした。
自分の家が東京の福生にある関係で、雁坂トンネルや中津川林道を越えた帰りに
よく秩父市街をパスするために通ります。
国道の方が時間がかからないのは解りますが、こっちの方が楽しいですし。

先日も友人のジムニーでこの林道を久々に越えようとしました。
途中までは全く問題が無かったのですが、次第に霧が濃くなり、ついには数M先も見えないような状態になってしまいました。もはや林道のどの辺を走っているのかも見当がつかず、
「峠が近くなると未舗装になるから解るんだが…」なんて思っていたのですが、道は舗装されたまま。
いったいどうなって居るんだ…と思ったら、峠に到着してしまいました。
ついに、この林道も完全舗装となったようです。先月の話です。

時々、このページを見に来ています。これからも、元気に旅を楽しんでください。
7N2RGC 青銅竜
http://www.din.or.jp/~rgc  多摩武蔵野鉄道

 とうとうこの峠道も完全舗装ですか。全く残念。
 それにしても秩父市街のパスにこの峠を越えるのはちょっとやり過ぎですね(^。^)。よほど妖しげな峠が好きでなければできません。でも、だんだん妖しげではなくなっていきそうですね。
 


1999/11/23 ( 厚雲隧道/北海道 八雲町・厚沢部町 )

 うちの実家の近くにもすごい峠がありました。峠の名前はわかりませんが、主要道道なのに、車が1台通るとあとは幅が無く、待避所もろくにない峠です。
 そこの峠も最初に行ったときは何の変哲もない林道(笑)、
 2回目に行ったときは新道&トンネル工事中の、風景ががらりと変わった林道(^^;、
 それ以来5年ぐらい通らずに、2年くらい前に通ったときは立派なバイパスが 開通してました。
 場所は北海道渡島支庁八雲町落部(上ノ湯)から北海道檜山支庁厚沢部町本町(清水)に至る「主要道道67号八雲厚沢部線」です。
 他の峠道と同じように、その峠も所々に過去の名残がちらほら見えます。
 新道の頂上には「山葺(やまぶき)トンネル(字が違ってたらゴメンナサイ)」、
 旧道の頂上には「厚雲(あつうん)隧道」があります。
 八雲側から峠に向かうと銀婚湯温泉(旅館あり)、厚沢部側から峠に向かうと蛾虫温泉(旅館あり)があり、国道からもその温泉へ向かう看板を目印にできるので、わかりやすいと思います。

 ちなみに現在、自分の親は実家から札幌に向かう際、雲石峠(国道277号:八雲 〜熊石)ばかり通っていたのを、上に書いた峠の方に切り替えました(^^;
 雲石峠のお話はまた今度・・・

 ここのページをみて、改めて四国や九州の峠に興味を持つようになりました。
 これも「北に住む者の性」なんでしょうか(笑)?
 古川(shiba)でした。

 またまた北海道のshibaさんこと古川さんからの峠情報でした。
 厚雲隧道のある峠は、私も7年前に越えています。そこに新道が出来ているのですね。
 ところで厚雲は「こううん」と読めばいいのだろうか。
 

厚雲隧道

7年前の厚雲隧道 厚沢部(あっさぶ)町側


1999/11/22 ( 安倍峠/静岡・山梨県 )

せいのと申します。メールにて失礼します。
HP、楽しく拝見させていただきました。今後とも旅の参考にさせていただきます。

さて、本題なのですが私はランドナーという旅行用自転車で色々なところを走っているものです。昨日、身延から安倍峠を経て静岡まで走ってきました。急坂ながらほとんど鋪装されていて眺めも良く快適なサイクリングでした。北側で3箇所程工事中で100メートル程鋪装が途切れていました。
問題はここからですが北側で一箇所崩落箇所があって、かなり復旧作業は進んでいますが北側全線車両通行止めになっています。自転車は工事現場の方の御好意で通して頂けましたが車は通れません。

HP更新の際の参考にしていただければ幸いです。

せいのさん、ありがとうございました。
安倍峠は北の山梨側が崩れ易いのですが、今は完全に通行止なのですね。もう直ぐ、冬期閉鎖になるでしょうから、車で行くのは来年の春までおわずけになりそうですね。


1999/11/21 ( 大峠/福島・山形県 )

A BREATHNG SPACEの清水です。お久しぶりです。
実は昨日から福島・山形地方の峠をいくつか廻ってきたのですが,あの大峠も行って来ました。ですが,1999年11月20日現在の状況で,旧道は福島側・山形側ともに1車線区間の両端がゲートで封鎖されてしまっていました。福島側・山形側とも誰かが柵をどけて入っていった後がありましたが,どうもその通行止めの看板がかなり古いもので,どうやらトンネルの山形側が崩壊してからは,もうほったらかしの状態のように思います。山形側は特に厳重に通行止めをしていなかったので少し進入してみましたが,それはひどいものでした。まあジムニークラスの車であれば崩壊箇所までは進めるかもしれませんが,どう考えてもあの道に工事用車両が入れるとは思わないし,入った形跡もありません。新道が開通して何年もたった今,旧道の方は役目を終えてしまい,いずれ廃道となってしまうような気がしてなりません。旧道途中にあった国道標識(おにぎり),山形・米沢への距離表示の看板がとてももの悲しく見えました。

この峠に限らず,最近は昔の趣を残す峠の通行止めが増えているような気がします。やはり,古い道は新しいトンネルや橋梁に役目を譲って消えていく運命なのでしょうか。どこか寂しい気がしてしまいます。

突然こんなメールを出してスミマセン。「峠と旅」の大峠の記事を読んで急に昨日行って来たところの状況をお伝えしたくなったものですから。

それでは。これで失礼します。
今回訪れたところは順次ホームページにアップしていきますので,暇ができたらぜひ訪れてみてください。

 大峠は復活の見込みは全くなさそうですね。残念です。
 過去に1度だけでも通れた私は、幸運だったのですね。
 尚、「A BREATHING SPACE」はリンク集に載っています。


1999/11/21 ( 昔の三国峠/北海道 )

 初めまして。shibaといいます。北海道在住です。
 私の実家は道南(北海道南部)ですが、父親の実家は上川支庁風連町、
 母親の姉(=叔母さん)が十勝支庁足寄町在住であることから、
 小さい頃から上川から十勝に抜けるためにこの峠を何度か利用した
 経験があります。

 初めて通ったとき(小学時代)の率直な感想は
 「おしりがおかしくなっちゃうんじゃないかなぁ」
 まじめに思いました(^^)
 三国トンネルとその手前(上士幌町側だったかな?)の橋のみ
 舗装区間で、ゆっくり走って風景を楽しみながら休んだことを
 今でも覚えています。

 その後、中学時代に一度通ったときは道路工事も佳境にさしかかって
 いたころで、至る所に信号機があり、片側交互通行がなされていました。
 まだ大きな橋のしたの砂利道をガタゴトと進んでいた頃です。

 高校時代に通ったとき、道は大きく変わっていました。
 沢に大きく入り込み、小さな橋をこえていた頃とは違い、
 立派な橋が架かり、いとも簡単に通行できる峠に変わっていました。

 この峠が通年開通になったことで、中核都市同士の道路ネットワーク
 は広くなりましたが、昔の峠道を知っている者にとって、もうあの風景は
 見れないんだなぁ、と少し悲しい気分にもなりました。

 でもこうして懐かしい写真をこのページで見せてもらい、昔、ここを
 通ったことを少しだけ思い出しました。

 自分と同じ様な感覚に浸っている人はまだまだたくさんいると思います。
 その人たちのためにも、運営は大変でしょうが、頑張って下さい。
 応援しています。

 p.s. 峠の紹介のページでかかっている曲、なかなかいいですね。
      そそられるような感じがします(^^)

 shibaこと古川さん、三国峠の昔のお話し、ありがとうございました。
 私が越えた時にはもうかなり舗装化が進んでいましたが、それでもその後の峠道の変化を目にすると、なぜか切ない気持ちになります。それだけ時が過ぎ、自分も歳を重ね、もう昔の自分には戻れないという思いが、交錯するからでしょうね。


1999/11/15 ( 鞍掛峠/岐阜県、位山峠、天生峠 )

こんにちは、富山の谷村です。

さて11月14日に鞍掛峠(岐阜県下呂町側)へ行ってきました。
県道白草山公園線から向かいましたが、
ふもとから峠付近のつづら折れの道が見えるのにはびっくりしました。

災害による通行止を心配していたのですが、幸い道路情報板は
「落石通行注意」となっており、峠へ向かうことにしました。
しばらくは1車線ながらも整備された道であったのですが、
広域基幹林道下呂・萩原線との分岐以降は、
「これは舗装路なのか」と思わせるほど
アスファルトがめくれていました。

白草山登山口付近は整備されていましたが、
しばらくして「予定通り」未舗装に。
道路の中央が岩で盛り上がっていたところもあり、
車(スバルサンバー)に傷がつかないように慎重に進んでいきました。
なお途中にあるゲートは開いていました。

急峻なつづら折れを進んでいくと、程なく峠に到着。
峠には誰もいませんでした。
(帰る途中にオフロードバイク3台とすれちがいました。)
峠の様子ですが、まずゲートはしっかりと閉まっていました。
また鞍掛展望台は健在でした。

王滝村側を見ると、はるか向こうに御岳山が頂上まで見えました。
頂上付近は白くなっており、冬が近づいていることをうかがわせました。

次に位山峠(くらいやまとうげ)へ行きました。
これは「飛騨匠の道」とも呼ばれた主要地方道宮萩原線にある峠です。道路
は全線舗装
されています。
宮村側はスキー場があることもあって、開けた2車線になっています。
しかし萩原町側峠付近は1車線で、道路は杉林の中を通っています。
峠には位山登山口や、位山峠に関する歴史について書かれた
案内板があります。この日は、峠には車が2台止まっているだけで、
人影はありませんでした。

ところで話題の天生峠についてですが、
帰りに寄った道の駅飛騨古川に
「R360天生峠冬期閉鎖しました」と書かれた紙が張られていました。
なおゲートが開くのは、例年6月です。

以上が今回の私の報告です。
では失礼します。

 鞍掛峠のゲートはやはり開いていませんね。王滝村側はもう一生通れなそうですね。
 天生峠は通行止のまま冬期閉鎖に入ってしまいましたね。あの峠にあるトイレの赤い屋根も、雪に埋もれるのですね。きっと今ごろは静かな峠になっているんでしょう。


1999/11/17 ( 天生峠/岐阜県 )

 はじめまして 1730といいます。
 今、雪が降る前にと仲間三人で林道をせっせと走っています。天生峠は、楽しく拝見しました。僕は、三年越しで今年の9月に初めて通行することができました。前日、嫁さんと子供に「ドライブに行くぞ!」と言ったのですが、「天気が悪くなるからイヤ!」と断られ、しかたなく家出(我が家では、一人で出て行くことをこう呼んでいます)をして夜から天生峠を目指しました。その晩は、荘川村で一泊。翌朝雨の中を河合村から峠を目指しました。ヘアピンカーブの連続で走行距離10万キロを超えたディーゼルエンジンをうならせまわりの景色も目も触れずただひたすらと昇りました。峠のトイレで一服。未舗装道路を見つけ走って行きましたがすぐ、ゲートがありUターン。白川村にむかって下り
始めました。少し余裕がでてきてチラチラと景色を見るもガスってあまり景色がよく見えません。そこに息子から電話がかかってきました。「今どこ?」の問いに、「天生峠にいる。すごく景色がいいぞ!見れなくて残念だな!」と言ってやったら、「雨が降ってるから何も見えないんじゃないの!」と言われ、羨ましがらせてやろうと思ったのが見透かされていました。でも三年間あの青い橋を渡るとき(天生峠通行止と情報板にあっても)今日は何とか通れるぞと思い行くたびにうらぎられてきましたから感動というものがありました。家出から帰ってこのことを嫁さんに話しても、「あっそう!」で片付けられてしまいました。
 今度、どこかの峠で合えたらいいですね!

 お父さんの思いはなかなか家族に分かってもらえず、一人「家出」して峠を越えたのですね。
 それにしても9月に越えた直ぐ後に天生峠はまた通行止になり、ぎりぎりセーフだったわけです。それに恒例の通り天生峠は今年も冬期閉鎖でしょうから運が良かったですね。


1999/11/11 ( 余地峠/長野県・群馬県 )

 貴重な資料ありがたく参考にさせて頂きました。早速実行しました。
 10/22/99 12:00勧能着  1:30pm 象ヶ滝分岐を西に余地峠を目指して進む。すぐにこぶし大の 砕石の路を西に九十九折りの山道うんざりする程時間を掛けて時には十分間歩いては十分間の休憩のペース やっと林道らしき路に着く。眼前に兜岩山が忽然と現れた。頭は少し混乱してはいるものの 神々しくさえ見えた。どうにか道標の通りに来ているようなので安心はしたのだが。時間は既に4:00を過ぎている。
 理想は4:00には峠の湯に着いていたいのだが11:30下仁田発で12:00に勧能ではそれも無理。途中地図にあるデッドエンドに行き着いたので100m程 損をして引き返す。
 5:00少し前に 峠に到着 何の標識 表示もなし。僅かに火の用心の横断幕に佐久町の文字がかすかに読めたのでどうにか下山(峠の湯)には6:15pmに到着一泊 紅葉にはいまいち
 倅同道 合計年齢110才
 不慣れで失礼の段ご容赦を また来年の新緑の季節に

 木内さん、ありがとうございました。
 余地(よじ)峠は群馬県側が車では通れないので、私には困った峠道なのです。
 長野県側より峠まで車で行って引き返したことはあるのですが、群馬県側にもある程度車道が延びているのですね。長野県側の峠道の途中にある「峠の湯」というのにも一度泊まってみたいものです。
 この余地峠は、そのうち「今月の峠」で取り上げようと思います。


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