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御斎峠
 
おとぎ とうげ

 初掲載 2000. 8. 4 「今月の峠 2000年8月」として

 
御斎峠
御斎峠 (2000年 1月 4日撮影)
手前が三重県上野市、奥が滋賀県信楽町
早朝で辺りはまだ暗く、カメラのフラッシュをたいた
 
 「御斎」???。この字を「おとぎ」と読める人が、どれでだけいるのだろうか。
 電子メールを送っていただいた方から、「おとぎ峠」というのが三重と滋賀の県境にあると教えていただいた。最初は御伽噺(おとぎばなし)の「御伽」という字を書くのかと思い、メルヘンチックな名前だなと思っていたら、全く違った。
 斎(とき)とは、仏事法会のときの食事(寺で出す食事)とか、僧の食事、精進料理などを指すそうだ。「伊水温故」という書物に「聖一国師が伊賀三田郡安国寺へ来られた時、西山の長(おさ)がこの山上で餐膳を奉ったために名づく」とあるそうだ。これが峠名の由来である。昭文社のツーリングマップルには「斉」の字が使われているが、それは間違いということになるのだろう。

 古く御斎峠は、伊賀上野と京都を結ぶ最短経路上の峠であった。上野から西山、御斎峠、多羅尾(たらお)、信楽(しがらき)を経て京都へというコースである。歴史には全く疎いのだが、伊賀の忍者なんかも越えたのかもしれないと思うのであった。
 昭和48年3月に上野市西高倉から信楽まで林道小山高旗線が開設された。この車道は元の峠道とはかなりコースが異なったようだ。
 現在の御斎峠の道は、道幅のたっぷりある舗装路である。県境の峠といっても険しさなどほとんど感じない。

 御斎峠は早朝に越えることになった。
 前日は上野市内のホテルに宿泊していた。朝の6時ごろチェックアウトし、峠に向かった。1月初旬ということもあり、まだ辺りは暗い。道を間違えながらも県道138号信楽上野線に乗る。しかし関西本線の線路を越えた先で、大きく峠道をそれてしまったらしい。初めて越える峠なので、どんな道なのか分からない。車一台がやっと通れる様な狭い道になって、どうもこれはおかしいと気付き、街灯もない暗い道を恐る恐る引き返してきた。道路標識が不備なのだが、その代わりに峠の近くにタラオCC(カントリークラブ)というのがあり、その看板が随所に立っている。それに従って道を選ぶのがいいことが分かった。
 着いた峠の近くには、三重県知事の名前が入った「御斎峠跡」の石碑や、山口誓子の「切り通し 多羅尾寒風 押し通る」の句碑があった。歴史のある峠なのだろうが、今はこんな早朝でも時折車がスピードを出して通り過ぎて行く。石碑などを見過ごせば、単なるありふれた車道である。しかし上野市を見下ろすと、市内の明かりがぽつぽつ灯り、ちょっとした夜景が広がっていた。そしてその向こうには赤い朝焼けである。大昔もこれと同じ朝焼けは望めたろうが、上野市の町明かりの夜景はなかった。現在の峠からの景色だけは、昔よりも綺麗なんじゃないかと思った。

 
上野市の朝焼け
町の明かりがポツポツ灯る上野市の朝焼けの風景(峠近くより)
すがすがしい、いい眺めだった
 
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