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東山峠  讃岐と阿波を結ぶ古い峠道
ひがしやまとうげ


<掲載 1999/ 4/19>

峠
東山峠
切り通しの奥が香川県仲南(ちゅうなん)町塩入 手前が徳島県三好町東山

 四国でまたいい峠を見付けた。険しいとか、荒涼としたというのではないが、変化に富んだ楽しい峠道である。場所は徳島県と香川県との県境だ。徳島や高知は今更言うまでもなく、山深くて楽しい峠道が豊富にある。しかし香川となると、これまでほとんど見向きもしなかった。ところが東山峠という峠道がちゃんとあるではないか。峠の下にトンネルができ、見捨てられて残った旧道の峠、などといったものではない。通行量は勿論極少だが現役バリバリの峠道である。年末に、柄にもなく金毘羅参りでもしようと、徳島県側より峠越えをしてみた。

 徳島県池田町より県道12号で三好町に入り、目的の峠道である県道4号丸亀三好線の分岐を待つ。主要地方道なんだから当然標識ぐらいあると思っていたら、見事に肩透かしを食った。土讃線の線路を越えて通り過ぎたのを確信し、三好町の町役場の前をちょっと借りて車を引き返す。分岐は狭い県道ぎりぎりまで民家が密集した中に忽然と現れ、それなりの心積もりがないと、車で行き過ぎても当然である。入り口近くはまあまあ広いのだが、直ぐに小川谷と言う川に並ぶ道となり、その心細くなる程の狭さに唖然とさせられる。さすがに四国の峠道だな、これでも主要地方道なんだからな、と感心することしきり。もう慣れたもので、道が違うんじゃないかなどと、疑ったりはしない。四国とそれ以外の土地では、道路のランク付けに格差があるのだ。四国で「国道」と言っても、時にはそれは「県道未満」と思ったほうがいい。主要地方道や県道は全線舗装されていたらラッキー。村道は獣道に毛が生えたもの。ちょっと言い過ぎか。でもそんなか細い道の先に人が住み、学校があり、さらに峠を越えて別の町に出られるのだから、峠道とは不思議な物だといつもながらに思うのであった。

山の集落
急斜面を登る峠道沿いに立つ民家

 道を何Kmか遡ると、東山小学校のある、峠道沿いでは一番大きな光清集落を過ぎる。左へ滝久保集落への分岐がある。その分岐道の先には阿讃サーキットというサーキット場ができているらしい。

 本線である峠道沿いは、光清の先で暫く人家は途絶えるが、川筋を離れ本格的な登りになると、また人家が立ち並ぶ。南に面した山の斜面に位置し、日当たりが良ければ、眺めもすこぶるいい。

 失礼してその中の一件の民家の軒先を、写真に撮らせてもらった。入り口を塞ぐほどに薪が積まれ、軒先には何かを干して並べてある。近付いて見た訳ではないので、それが何であるか判らないが、冬の間の食料にでもなるんじゃないだろうか。

 徳島や高知ではこうした山の上の集落をしばしば目にする。遠から眺めると、よくあんな高いところに家が建てられたなと思うのである。当然交通の便も悪いだろう。はたして車道が通じているのだろうかと疑われる様なところに、ぽつんとひとつ人家が建ってたりする。これまで何度か道を間違えて、そうした集落へ入り込んだことがあるが、そのあまりの急坂、急カーブには驚かされた。道を間違えたと気付いても、簡単には無事に帰してもらえないのだ。引き返したくても、車を反転させる場所が全くない。さりとて急坂の途中で車を停めておく訳にもいかず、行けるとこまで、行きつかなければならないのだ。後になって夢に見るほど怖いところなのである。

民家
峠道沿いの民家
薪が積まれ、軒先には干し物が並ぶ

山の集落
四国独特の山の上の集落

 左の写真は峠道から眺めた山の上の集落の風景である。手前のほうは峠道沿いの民家だが、遠くを望むと、狭い分岐道の先に、幾つもの集落があるのが眺められる。こうして安全地帯から眺めている分にはまったく壮観でいい。しかし時々現れる、そうした集落に続く分岐に入り込みたいという誘惑は、極力押さえることにしている。入ったら最後、どんな目に遭うか判ったものではないからだ。

 道沿いの民家を過ぎた先に、新田神社と男山集会所が建っている。神社の前を左に男山集落への道が分岐するが、決して入らないのであった。

 神社の前の道路脇に案内板が立っていたので覗いてみると、驚いたことに民家一件一件の氏名が載っている。都会では犯罪防止の為に、個人情報は極力隠そうとするが、ここではそんな犯罪とは無縁なのであろう。案内板によると、県道丸亀三好線を中心に、細い道筋が何本も描かれている。くわばらくわばら。

 男山集落への分岐を過ぎると、後は県道沿いに人家は全くなくなる。道の様相も若干寂れた感じを受ける。途中左に二本栗キャンプ村への分岐があり、看板も立っているので判り易い。さらに行くと先ほど別れた男山集落を通る道と合流する。直進は男山への戻り、右折が香川県への本線である。その分岐には、それまで全くなかったきちっとした道路標識が立ち、カーブミラーもある。そしてそこにもまた例の男山町内会案内板である。

峠
男山町内会案内板
居住者の氏名が載っている

 分岐で車を停めてエンジンを切り、降りてぼんやり景色を眺めれば、風も穏やかな静かで落ち着いた山の雰囲気である。耳をすませば、遠くよりかすかに風が甲高いエンジン音を運んでくる。多分、あのサーキットだろう。エンジン音からすると、オートバイじゃないだろうか。年の暮れにしては、こうして外にいても、それほど寒くは感じない。今年は会社の仕事の関係で、ほとんど旅らしい旅ができなかった。それがやっと年末の休みに入って神戸を皮切に、淡路島(出来立ての明石大橋を渡った)、徳島と旅の日を続けてきた。今年も最後になってどうにかいい旅ができたと思えた。

峠遠映
峠方面を望む

 その分岐を最後に、後は峠までの一本道となる。いよいよ峠がある山並が前方に迫り、爽快感のある景色が広がる。さしづめ峠道のクライマックスといったところだ。この峠道は狭い川沿いの道に始まって、山腹の集落を通過したりと、いろいろな変化を見せてくれる楽しい峠道である。

峠
峠 奥が香川県
4WD車が一台停まっていた

 峠そのものは狭い切り通しに木が覆い被さり、日陰となって暗い感じを受ける。峠の側壁は石積で作られ、今では珍しいとのこと。さすがに県境だけあって、徳島側から来ると「香川県仲南町」、香川側からは「徳島県三好町」の看板が見える。峠名が記された物がないかと探したが、誰かが錆びた道路情報の看板に、石でも使って引っかいて「東山峠」と書いてあるだけだった。

 この峠道は塩入街道とも、七箇村(仲南町内)経由の金毘羅参詣街道とも呼ばれ、峠を塩入峠とも言ったそうだ。徳島側より金毘羅参りに利用し、東山からは歩いて日帰りもできたとのこと。讃岐から阿波へ塩や米、海産物を運び、その逆に煙草や藍、木炭などを阿波から讃岐に運ぶのに使われた峠道で、歴史が深い。明治28年頃から道路改修が進められ、現在の県道の基を成したそうだ。

 峠に一台の車が停めてあったが、人影は見当たらない。この年末に山の中でいったい何をしているのだろうか。あまり人の事は言えないが・・・。

 峠より仲南町の塩入集落に向かって下る。塩入という名前は峠を越えて東山方面に塩を運んだ事に関係するのかもしれない。徳島県側とは違って、山腹に集落などはない。ただただひたすら山の中の道を下るだけである。比較的直線的なV字谷に沿った道で、峠がみるみる後ろに遠ざかる。

塩入側
塩入への下りの道 直線的な谷に沿う

塩入集落
塩入集落を見下ろす

 最初の谷を抜け、方向を変えてさらに広い谷間が眼下に広がると、そこに香川県側最初の集落、塩入が見下ろせるようになる。さらに道は塩入川に沿って進み、途中「釜ヶ渕」と呼ばれるところがある。看板があり、それによると古来から雨乞いの渕として有名なのだそうだ。なんでも渕に棲む大蛇が女人の姿となり、雨傘をさして水面に現れるとのこと。一度会ってみたいものである。

 坂道が終わり、平地に降り立てば、周囲には民家が点在し、もはや峠道の様相はなくなる。

 尚も暫く県道を走ると、塩入川を跨いだ先に野口ダムの野口池がある。小さな池だが展望台もあり、峠道を越えて来た時の休憩スポットとして絶好である。ダムの下流には駐車場や遊歩道、おまけに塩入という温泉もある。時間に余裕があれば、寄ってみたいものだ。展望所のベンチに腰掛けていると、どこからともなく音楽が流れてきた。こんな小さな展望所も電気仕掛けなのである。隣接する満濃町にはあの満濃池があるが、野口池も負けていないのである。しかし満濃池が貯水量日本一を誇り、バックには弘法大師も控える観光地であるが、野口池がガイドブックに載ることはまずないのである。さびれた峠道を旅する者にとっての穴場なのである。

野口ダム
野口ダムと野口池

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