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修那羅峠  旧峠に佇む千体の石仏
しょならとうげ


<掲載 1999/ 1/30> 今月の峠 1999年 1月

修那羅峠
修那羅峠  深い切り通し
奥が青木村、手前が坂井村

 なぜだかこの峠については、訪れる前から修那羅を「しょなら」と読むと判っていた。でもどこでそう読むことを覚えたのか、全く記憶がない。読み方は知っていて、そのくせ峠については何も知らない。どこにあるのかも判らなかった。偶然地図で見掛けた時、居合わせた者に「しょならとうげ」とさらりと読んで聞かせた。素人が聞けばさすがに峠に詳しいと思ったに違いないのだ。別段「しゅなら」と読んでもかまわない様だが、やはり「しょなら」の方が耳に聞こえがいい。それに峠のツウならやはり「しょなら」とこともなげに言えば、人からそれらしく思われるので、その方がよい。

 地図を見る限り、修那羅峠は地形的にはあまり面白そうな峠道ではない。面白そうと言うのは、道がとても長いとか、九十九折りが続いているとか、険しい山岳道路だとか、未舗装の林道だとか、峠の標高が高いとか、山深く景色がいいとか、野宿地が豊富だとか、地図には載っていない峠だとか、全く人が通らない道だとか、代わりに時々クマが出るとかである。残念ながら修那羅峠はそのどれにも当てはまりそうにない。しかし読み方を知っているだけでは面目が立たないし、これは一度訪れてみるしかない。地図にある記述では、峠近くに「千体の石仏」とある。その石仏のことなども気に掛かる。


修那羅峠
修那羅峠
青木村から坂井村に入ると左手に石仏への道が分岐する

 峠を訪れる前日は長野県青木村の田沢温泉に泊った。季節は11月中旬で、もう信州は野宿するにはちょっと寒いのである。しかし当然りっぱな旅館などには泊らない。民営の国民宿舎で、ユースホステルも兼ねているようだ。正直言ってちょっと古めかしいが、私には似合っている宿であった。翌日朝食をしっかり食べ、暖房費込みで6千円ちょっとの宿代を払って出発する。田沢温泉からはJA保養所へ続く道が分岐しているが、その道は国道143号の青木峠の少し手前に出られるのだ。その狭い道はしばらく山を登って高度を上げ、その後右手に弘法川の谷間を望みながらほぼ水平に西へ向かう。その内山腹の一角にぽっかりあいたトンネルの入り口が見える。青木峠の青木村側の坑口である。その後間もなく国道143号に出るが、これが国道だろうかと疑いたくなる様な狭い道だ。でもあの青木峠を越える道だと考えれば、この狭さは納得する。随分前に上田から松本に向けてこの青木峠を越える国道を走ったことがある。非常に味わい深い道であった。

 国道に出てからは上田方面に向けて道を下る。ほぼ下り終わり、道幅も広くなったところで左手に県道12号丸子信州新線が分岐する。これが修那羅峠を越えている道である。2車線の走り易い県道は分岐から峠へ向かって坂をぐんぐん登る。すると直ぐに峠だ。全く物足りない。峠は深い切り通しで、日も射し込まず薄暗い。峠を坂井村側に抜けると左手に鳥居があり、鳥居をくぐって狭い道が一本登っている。県道を挟んで反対の右側には駐車場があり、そこに車を停めて辺りを偵察する。


石仏への道
石仏への道  鳥居を抜けて行く

 案内板などによると問題の石仏へは鳥居をくぐる道を800m登った所にあるようだ。平地なら800mは歩いても10分である。軽い気持ちで登り始める。少し行った所に日当たりがいい小さな畑があり、車が行き交う車道からも離れ、静かでのどかないい雰囲気である。元の峠(もちろん歩かないと越えられない峠)はこちらにあったそうで、なかなかいい峠道である。たまにはこうして峠道を歩くのもいいものだと思うのだが、なかなかお目当ての石仏が現れない。かなりきつい登りを延々登らされる。ほんとに800mかと訝しく思われ始める。途中で中年女性の二人組が足を止めて休んでいた。上の方を恨めしく眺め、どこまで歩かされるのかと不満の声を上げている。その脇をすり抜け黙々と歩く。一度振り向いたらその二人は相変わらず立ち止まったまま動こうとはしない。その後石仏の所にその二人連れは現れなかったので、結局引き返したのであろう。脱落者が出るほど大変なのである。普段歩き慣れていない体にはちょっと辛い。

 遂にはほぼ頂上にある安宮神社にまで来てしまった。結局石仏は神社にあったのだ。でもそれからがまた大変である。それほど広くない境内なのに、どこにその千体もの石仏があるのか判らない。千体などとはいっても、それはよくある誇張で、実際は千体はないかもしれない。それにしてもそれなりの数の石仏がなくては、ここまで登ってきた甲斐がない。ちょうど反対方向より2組の中年夫婦がやってきた。関西なまりでぺちゃくちゃ喋る奥さんがたの後を、少し離れて亭主2人はいやいやついてきているといった感じである。奥さんの方に聞いてみたが、こちらと同様、どこにあるのか探しているとのこと。仕方がないのでその人達の後をついて行く。奥さんがたは、ずかずか境内を歩き回る。石仏は至る所にあり、どれがその千体もの石仏なのかはっきりしない。業を煮やした亭主の一人が神主に聞いてきてやっと判った。境内の裏手に出ると、山道に沿って小さな石仏が一列にずらりと並んでいた。


石仏    石仏
石仏群  道の脇に一列に並んでいた

 雛壇の様にまとまって立っているのかと思っていたので意外である。細長く繋がっていて、壮観とはいかない。でもかなり長い。例の2組の夫婦は、夫たちの不平もあって、途中で諦めて帰って行った。私も最初の内は、しげしげと石仏を見ながらゆっくり歩いていたが、その内とにかく最後まで行こうと、ただただ歩くだけになっていた。石仏は千体までとはいかないにしても、800体前後はあるとのこと。やっと列の最後尾まで辿り着く。ついでに石仏の後ろの崖をはいつくばってよじ登ると、峰の反対側に立派な車道が通じていた。例の夫婦たちはこの道を使って来たようである。

 修那羅峠は元は安坂(あざか)峠と呼んだそうだ。江戸末期に修那羅大天武と称する行者が峠近くに修験場を開き、庶民の信仰を集めてから修那羅様に参る道として修那羅峠と呼ばれるようになったとのこと。神仏混合の民間信仰が千体近くもの石仏群を生み出した。

 石仏を見た帰りにまた長い山道が待っていたが、峠道の散策と考えるとなかなか楽しい。車道の修那羅峠はさして何の魅力もない代わりに、こちらは紅葉もまあまあきれいだし、日差しもすがすがしい。たまにはこうして歩く峠道もいいものだ。山道の往復と石仏群を一通り見て回れば、ゆうに1時間は掛かる。一つの峠でこれだけの時間を費やすことは他の峠では滅多にない。峠で即席ラーメンを作って昼食としたとしても、1時間は掛からない。修那羅峠は峠道を車で越えることより、峠での散策に時間が掛かる。峰の裏手を神社近くまで通じている車道を上がれば、時間の節約になるだろうが、私には石仏を見るのと同等以上に、旧峠道の散策が楽しいのである。

 車道の峠に戻り、車で坂井村に下る。緩やかな坂道の周辺に、のどかな山村の風景が続く。でもどちらかと言うと車道の峠道より、車道の峠から神社までの山道の方が、修那羅峠の旅らしい。


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