ホームページ★峠と旅
暮坂峠  文学の香りがする峠
 
くれさか とうげ

< 初掲載 2000. 4.16 > 「今月の峠 2000年4月」 として掲載

 
暮坂峠
暮坂峠
手前が群馬県中之条町、奥が同県六合(くに)村
 
 昨年11月初旬。土日の休みを使って、近場の群馬県へと一泊旅行に出掛けた。今回の目的は「峠」ではなく「温泉」で、中之条町にある沢渡(さわたり)温泉に宿泊した。しかし峠もちょっとは楽しみたいと、旅行の二日目は沢渡温泉から県道55号中之条草津線を西へと向かった。そこには隣の六合村との境に暮坂峠がある。詩人牧水で知られたこの暮坂峠を、晩秋の紅葉でも眺めながら越える積もりである。
 
 贅沢にも朝風呂に入り、朝食もきちっと食べて旅館を出発した。沢渡温泉は県道55号の旧道沿いにあり、道の両側には昔ながらの旅館や土産物屋、共同浴場が立ち並ぶ。さびれた雰囲気が何とも味わい深い温泉街だ。朝のすがすがしい空気の中で、そろそろ人々が動き始めている。土産物屋の店先のシャッターを上げるガラガラという音が響く。温泉饅頭を蒸かしているのか、白い湯気が立ち上る。ビンに詰めた牛乳でも配達しているのか、荷物を積んだ自転車がカタカタ走って行く。もう忘れかけていた昔のほのぼのとした生活の営みが、まだ沢渡温泉には残っていた。
 軽自動車でもすれ違うのがやっとな程狭い温泉街の道を抜け、センターラインのある広い新道に出た。その、山を切り開き谷を埋めて通した立派な道路の脇には、広場を設け今風の公園も造られている。先程のごみごみした温泉街とは好対照だ。しかし如何にも無味乾燥な感じを受ける。折角お金を投じて造った公園であろうが、人集めにはあまり効果がなさそうだ。沢渡温泉も若者を全く見掛けない過疎の集落のようであるが、やはり古くからの温泉街の人情味こそ、本当の魅力である。それが分かる者がもっと訪れるいい方策はないものかと思う。

 暮坂峠への道は、秋晴れの柔らかい日差しが降り注ぎ、標高の割には寒さを感じさせない。右手には山が迫り、左手の下の方には上沢渡川が流れている。この寒い山国でも狭い谷間を切り開き稲作は行われている。道路と川に挟まれた僅かな土地に、石を積んで平地を築き、棚田の様な狭い田んぼである。もう既に朝の一仕事終えたのであろうか、農作業の人達があぜ道に腰をおろし休んでいる。こんな日本的な風景が広がる道である。行き交う車もほとんどなく、落ち着いたドライブが暫し続く。

 いよいよ谷が狭まり、人家も田畑も途切れると、迫った山に視界はさえぎられてしまう。道はまだ概ね2車線路なのだが、ところどころ狭い個所が残っている。道幅が広くなったり狭くなったりを繰り返すこんな道は、事故が起こりやすいんだがなと思っていると、数台の車が停まり、人だかりがしている現場に出くわした。停車した車の脇をゆっくり通過しながらのぞいてみると、その内の一台のオフロード車が、見事に側溝にはまっていた。峠に向かって来ると、丁度道幅が急に狭くなったところで、出会い頭の急ハンドルが原因ではないだろうか。それにしても脱輪した車は峠方向を向いているが、落ちた溝は道路の右側であった。どうすれば、そういうことになるのか、不思議な事故である。
 とにかく何人かの男たちが落ちた車を取り囲み、それを数人の女が心配そうに眺めていた。現代は男女同権といいながら、こんな時女は有利である。手を汚さずとも咎められはない。もし女性までも落ちた車を引き上げようと努力していたら、私も車を降りて手伝ったが、これならさっさと先に進むことにする。どうせ私の細腕は、女性と大して変わりがなく、力仕事には全く不向きなのである。

 
ロマンチック街道
峠にある「日本ロマンチック街道」の看板
 この峠道は「日本ロマンチック街道」の一部となっている。峠にある看板によると、その街道とやらは宇都宮市から信州の上田市まで達しており、ただ一本の道筋ではなく、途中で枝分かれしたりしているようだ。
 「日本ロマンチック街道」の名前は、以前からどこかで聞いたか、看板で見たかして知っていた。しかし何のことだか今もって分からない。どのような意味があるのだろうか。これについては、リンク集の「A Breathing Space」で掲載されているようなので、興味のある方はそちらをどうぞ。

 そのロマンチック街道をさらに先に進めると、道の勾配が明らかにきつくなり始める箇所がある。道幅も一段と狭いようだ。路上に落ちている枯葉も多く、さびれた感じがする。そこから峠近くまでは、如何にも峠道らしい峠道となる。路面のアスファルトも古く、あまり道路改修が行われた様子もない。
 人家から離れ、こうした峠前後の区間では、古い道が残っているケースが多い。峠道はやはり平地の道とは異なり、利用頻度が低い割には工事が困難であるからだろう。また山間部では、道を通すコースも限られてくるはずだ。すると今は車で通る道路ではあるが、ほぼ同じ道筋を昔は人や牛馬があるいて越えたのかもしれない。牧水もその中の一人である。そんなロマンを思うのであった。

 坂道でどんどん標高をかせぐと、視界が広がってくる。紅葉の眺めも綺麗だ。すると突然、道幅が広がりセンターラインも現れ、おや、と思っているとその先は峠である。

 
 暮坂峠は賑やかであった。道の両側に車が何台か停まり、峠附近を散策している方達がいる。特に女性が多い。しかし残念ながら若い女性は少なく、どちらかというとおばちゃん達である。峠に登ってくるまで、偶然だろうか一台の車ともすれ違うことがなかったので、これほど人が居るとは思ってもみなかった。
 人が集まる峠だけあって、峠にはいろいろな物がある。まず代表的なのは、牧水像と詩碑だろうか。昭和32年に建てられたものだ。銅像の牧水はマントを着て、ハットをかぶり、ステッキをついている。
 若山牧水は大正11年10月に草津より小雨、暮坂峠、沢渡と旅をし、それを紀行文として残した。当時の牧水は銅像の様にマントを着た姿で歩いて旅をしたのだろうか。とにかくその縁で暮坂峠は有名になったのだ。
 詩碑には「枯野の旅」と題した詩が刻んである。その最後の部分を下記に示す。

 上野(かみつけ)の草津の湯より
 沢渡の湯に越ゆる路
 名も寂し暮坂峠
 

牧水像と詩碑
牧水の銅像と詩碑
  
峠の標識
「暮坂峠 頂上」の標識
標高1086mと付記してある
 牧水像などより個人的には峠の標識の方に関心がある。勿論暮坂峠にも立派な標識が立っていて、是非にでもカメラに納めたいと思う。ところが、周囲をおばちゃん達が歩き回っていたり、ちょうど標識の前に立ち止まってお喋りをしたりで、なかなかシャッターチャンスを与えてくれない。人が途切れた僅かなスキに、慌ててシャッターを切るのであった。

 道を挟んで銅像などの反対側では、峠の茶屋が営業している。板壁には「暮坂休憩舎」と書かれ、入口の暖簾には「牧水食堂」とある。入口傍らには店で飼っている犬であろうか、一匹の茶色い大型犬が狛犬の様に座り込み、通る観光客の目を引いていた。店先には地元で取れる野菜などが並べられ、おばちゃん連中の関心はそこにも向くのであった。牧水は「名も寂し暮坂峠」と詠んだが、今はおばちゃん達で賑やかな峠である。

 
 峠の茶屋の右脇を入ると、その奥に山を切り崩した広い敷地がある。峠には似つかわしくない程大きな駐車場だ。毎年10月20日には「牧水祭り」というのが開かれるそうで、多くのファンが集まるという。その為に造られたものらし。それにしても100台以上も停められるのではないだろうか。
 10月20日とは多分大正11年に牧水が峠を訪れた日なのであろう。但し牧水が越えた頃の峠とは異なって、今は峠の部分だけ車道の幅も広げ、大きな駐車場もできているので、まったく明るく開けた峠である。
峠の茶屋
峠の茶屋
右奥には広い駐車場
  
峠附近の紅葉
峠附近の紅葉
牧水もこの様な紅葉を眺めたのだろうか
 この暮坂峠の道は、江戸時代には草津、沢渡、伊香保の各温泉地を結ぶ観光幹線として賑わったそうだ。草津はご存知の様に、湯もみをしなければいけない程強い湯で、長く入ると肌がただれてしまったりする。それに比べ沢渡の湯は柔らかく、「草津のなおし湯」とか「仕上げの湯」とか呼ばれた。暮坂道は草津から沢渡へ向かう、そうした湯治客がたどった道なのである。
 しかし明治期になると、暮坂峠より南を流れる吾妻(あがつま)川沿いの道が通り、また軽井沢・草津間の街道が開かれ、暮坂道はさびれることとなった。牧水が訪れたのはその後ことである。

 その牧水のおかげで暮坂峠は、今は観光ガイドの本にも登場するほど有名な峠となった。様変わりし観光客で賑わう峠を、牧水の銅像はどんな思いで見ているのだろうか。

 図らずしも牧水が越えたのと同じ季節で、峠の周囲の山は、華やかではないにしろ紅葉がなかなかいい。峠は変わってしまったが、この同じ山の景色を牧水も眺めながら旅をしたことだろう。 

 
 六合村側に下ると、道は終始1.5車線のこまかなカーブが続く下り坂である。あれほど峠は賑やかであったのに、道はまたもや通る車もほとんどなく、寂しいくらいである。
 ところどころに詩碑らしきものが道脇に建っているのが見えた。でも、車ではあっと言う間に通り過ぎてしまう。わざわざ引き返す気にはなれないので、じっくり読むこともない。牧水の様に歩いて峠を越えなければ、味わえない詩碑である。
 道には途中で右に「野反湖」と書かれた分岐がある。手持ちのツーリングマップルにはなかった道だが、県道をこのまま国道292号まで行かなくとも、野反湖方面へ抜けられるショートカットのようだ。
 国道292号が近付くと白砂川が流れる広い谷が目の前に広がる。道も立派である。牧水が草津より訪れた時とは、隔世の感があるに違いない。
 牧水とは逆コースで沢渡よりやって来たが、ついでに草津まで行こうと思う。でも草津の旅館は高いので、生涯泊まることはないのである。
六合村側
峠の六合村側を眺める
 

峠と旅