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大畑越
 
おおはた ごえ

<初掲載 2000. 2.13> 「今月の峠 2000年2月」 として

 
大畑越
大畑越
手前が青森県下北郡大畑町、奥が同佐井村
 


 
大間崎
大間崎(1991年7月)
本州最北端の地
オートバイで訪れた
今では少し様子が違っている
 青森県の下北半島は、旅をするには本当にいいところだ。「旅行」というよりやっぱり「旅」という言葉がぴったりくる。日本の他の土地とは明らかに異なる、どこか独特の味わいを感じる。思わず「最果て」という言葉が浮かんできてしまう。
 下北で有名なのは大間崎や恐山、仏ヶ浦などだろうか。これらはよく知られた観光地なので訪れる人も多く、少し観光地化されてしまっている感もある。左の大間崎の写真で草地となっている所は、今ではコンクリート化され、ユーモラスなカツオの一本釣りを思わせるオブジェなどが置かれている。最果てムードは薄れていく。
 それでも交通の便があまりよくないのが幸いしてか、大量の観光客がどっと押し寄せることは少ない。また、時間や時季をずらせば、本来の下北らしい味わいが感じられる。例えば早朝の大間崎ならまだ観光客も居ないし、土産物屋も開いていない。スピーカーから大きな歌が流れることもなく、本州最北端の地は、静かな漁村の一角としての姿を見せる。

 

 冬期の仏ヶ浦を訪れたことがある。国道が通る崖の上から浜辺まで歩いて下りて行くと、そこには誰も居なかった。以前来た時は夏場で、多くの観光客が散策していたが、今回は有名な観光地を独り占めだと喜んだ。しかし暫くそこに居ると、何だか恐ろしくなってきた。林立する奇岩怪石に、打ち寄せる荒々しい波。仏ヶ浦の真の素顔を見る思いだった。
 ましてやそうした観光ルートから外れると、あちこちに最果ての感がある。試しにちょっと国道からそれてみるといい。道の両側を埋める樹林の様子。名も知らぬ浜辺の風景。何か違ったものを感じるはずだ。津軽海峡を挟んでその先には北海道があるのに、こちらの下北の方が最果てを感じるのはなぜだろうか。
 しかし、こと峠となると、なかなかいいのがないのである。それなりに道としての距離があり、峠としての標高もあり、なんといっても旅の味わいがある、そんな峠道がないのだ。下北半島の地形によるものだろうが、峠の数じたい少ないように思える。しかし敢えて峠をあげるとしたら、この大畑越をあげることになる。
仏ヶ浦
仏ヶ浦(佐井村)
1994年1月2日  誰も居なくて寂しい

 

恐山
恐山菩提寺(大畑町の中にあるむつ市飛地)
山の手前に奇妙な色をした宇曽利湖が広がる
 大畑越は大畑町と佐井村を結ぶ県道284号の峠だ。大畑町も佐井村も、どちらも海岸沿いを中心に開けた漁業の町村だが、海に沿っては隣接していない。この大畑越を唯一の車道として、内陸で繋がっている。
 大畑町には下北の象徴とも言えるあの恐山がある。しかし地図をよく見ると、恐山がある所はむつ市の飛地となっている。観光収益はむつ市のものらしい。
 県道284号は大畑町側からは奥薬研(おくやげん)温泉から始まる。奥薬研温泉には無料の露天風呂もあるということで、若い女性客もちらほら見掛けるところだ。しかしそこを通り過ぎると、ぱったり人気がなくなる寂しい道となる。
 この県道薬研佐井線は、以前は大畑越林道と呼ばれていた。しかし10年前からもほとんど変わっておらず、奥薬研温泉を過ぎると間もなく未舗装となる。通称「あすなろライン」などとも呼ばれているが、相変わらず林道そのものなのだ。そんな事とは知らず、間違って入り込む一般の観光客もいるのではないだろうか。

 

 道は未舗装だが路面の状態は悪くはなく、道幅も十分である。峠の標高も310m程度とそれ程高くはないので、カーブも少なく比較的平坦で走り易い道が暫く続く。場所によっては非常に長い直線路も現れる。樹林帯の中を一直線に切り開いた道だ。4WD車などに乗っていると、ついつい車速が上がってしまう。

 しかし道の両側は垂直に林立した高い樹木の壁で塞がれ、全く視界がきかない。道以外に逃げ場所がないという、閉鎖された空間だ。こんな所に巨大迷路でも作ったら、さぞかし面白いだろう。面白いというか、かなり恐ろしい思いをすることだろう。やはり日本の他の林道とは一味違う、不気味さ、圧迫感を感じるのだ。これも下北半島のひとつの顔であろうか。

大畑越林道
これが通称「あすなろライン」の正体
両側は樹林の壁

 

川内町との境
県道から分岐して川内町に抜ける道がある
ここは大畑町と川内町との境と思われる所
何の標識もない寂しい峠
(ここは大畑越ではありません)
 標識などもほとんどないので、この道に間違いないだろうかと心配していると、一度だけ分岐が現れる。南に隣接する川内町に抜ける道だ。同じく未舗装林道で、その先は迷子になりそうな枝道もあり、怖そうな道である。名もない寂しい峠を越えて川内町に抜けている。ただし、去年(1999年)の8月現在は通行止であった。

 大畑越への登りが始まると、道の状態は幾分悪くなる。一度いつものジムニーではなく、知人の車で越えた事があった。車のことは全く分からないが、普通乗用車にしてもちょっと車高が低そうな車である。ゆっくり慎重に運転したにも関わらず、峠に着くまでに3、4回車の底を擦ってしまった。また、跳ねた石が車体に当ることも何度かあった。ゴリッとかボコッとかいう音がする度に、助手席に座る持ち主を恐る恐るのぞくと、憮然とした顔をしていたのだった。これがいつものジムニーなら全く何も気にせず走れる程度の道である。やはりジムニーは頼りになる車だと再確認するのであった。

 大畑越に着いても相変わらず何の展望もなく、わざわざ止まる必要もない、ただ通り過ぎるひとつの通過点に過ぎない。さすがに営林署の看板やら「大畑方面」、「佐井方面」と書かれた標識があり、辛うじて峠の体裁は保っている。でもツーリングマップルに「大畑越」の文字を見る以外では、他の地図などで「大畑越」の記載を見掛けたことがない。

 下北を訪れる季節は、やはり断然夏が多い。そこで大畑越の最大の難関は「蜂」ということになるのだ。ある程度のスピードで走っている時はいいのだが、車を停める前には必ず窓をしっかり閉めなければいけない。うっかり開けようものなら、何匹という蜂が車内になだれ込んで来る。スズメバチのような大きな蜂ではないが、それでも狭い車内を飛び回られてはかなわない。峠で車を降りて写真でも撮ろうと、すばやくドアの開閉を行ったが、その僅かな瞬間を狙って数匹の蜂が入り込んでしまった。窓のガラス越しに外を見ると無数の蜂が車に襲いかかっている。車を走らせても暫く蜂の群れが、黒い雲の様に後を追い掛けて来る始末だ。恐ろしい光景である。

 ある夏、佐井村より大畑越を目指した。未舗装になって暫くすると一台の対向車があった。やや凹凸がある未舗装なので、その普通乗用車は車体を大きく揺らせながら、のろのろと走ってくる。道幅も狭いということもあり、ジムニーを目一杯脇に寄せて止め、その車を行かせることにした。運転席同士が隣り合う位置まで来るとその車は止まり、なんと窓を開けて道を聞いてきたではないか。全くの自殺行為である。
 その車は父親が運転し、助手席に母親が座り、後部座席には子供達が乗っていた。家族揃って車での楽しい旅行の最中らしい。しかし運転手の父親は、突然の慣れない未舗装を峠を越えてここまで延々と走らされ、不安で一杯だったのであろう。「あすなろライン」に騙された哀れな犠牲者なのだ。やっと出会った対向車に、道を聞かずにはおれなかったのである。
 道を聞かれたこっちも必死である。なるべく手短に、もう直ぐ道も舗装路となって佐井村に着き、国道に出られることを告げた。父親はそれで安心したようだが、その背後で母親の悲鳴に近い叱責があがった。「お父さん窓を開けないでよ!!!」。
 のろのろ走り去る車を振り返ると、車中はパニックと化していた。南無阿弥陀仏。

 車の中に入ってしまった蜂とは、うまくやって行かなければならない。蜂の種類はよく分からないが、それ程大きくはなく、ミツバチ程度だ。ミツバチに比べるとちょっと黒っぽい。よく見ればそれ程恐ろしくはなく、考えようによっては可愛いものである。蜂というのは追い払ったりすると、怒ってまとわりついてくる。ほおっておくのが一番だ。そうすると大人しくしている。車を走らせると車窓の風景が流れるせいか、飛び回ることも少なくなる。お蔭様で、これまで刺されたことは一度もない。しかし、うっかり10匹以上もの蜂を車に招いてしまった時などは、じっと車のシートに座って運転するのは、相当の精神力がいるのであった。

 
 峠道は佐井村の佐井に出て終る。近くに佐井漁港もあり、佐井村の中心地だけあって、ここだけは民家が密集している。商売が成り立つのか他人事ながら心配だが、商店もちらほら見掛ける。
 佐井集落には国道338号、通称海峡ラインが抜けている。集落の外では今では立派な国道なのだが、相変わらず集落内では狭い路地道と区別がつかず、しかも途中でくねくね曲がって複雑だ。ここに来るたびに迷子になっている。
 佐井村といえば仏ヶ浦で、ここだけは是非とも訪れたい名所である。国道を脇野沢村方向に暫く南下すればいい。仏ヶ浦手前では国道より眺められるビューポイントがあり、今では簡単ながら展望台が設けられている。国道脇の駐車場も整備され、水洗トイレも完備だ。しかし仏ヶ浦を堪能するには、車を降りてから海岸までの険しい崖を、今でも歩いて往復しなければならない。以前にはなかったクマ注意の大きな看板も目につく。やっぱり下北半島なのである。
仏ヶ浦遠望
国道上より仏ヶ浦を遠望する
今ではここに展望台が造られている
 
  
流汗台
海峡ライン脇にある「流汗台」
脇野沢から仏ヶ浦への途中にある
写真左横にちらりと写る国道は、
この時まだ未舗装である
 下北半島はよく斧(おの)に例えられるが、佐井村はその斧の刃の部分に当る。下北半島の中でも最も奥に位置する村だ。陸路の発達が遅かったと言われている。
 初めて脇野沢より海峡ラインを仏ヶ浦へ向かった時は、途中で国道は未舗装となった。拡幅舗装工事の真っ最中である。これから仏ヶ浦、大間崎と回って、むつ市内に宿泊する予定が、大巾に遅れてしまい、随分慌てさせられた。まだ今からほんの9年ほど前のことである。陸路の険しさを物語っていた。

 旅は時間の流れを感じさせる。旅が似合う下北なら尚更である。今では全線舗装となった海峡ラインを走っていると、あの時の未舗装がうその様である。十数年前に路線バスからひとり、夕暮れ近い大間崎に降り立った時のことを思い出す。その大間崎には、今ではユニークなオブジェが子供達を喜ばせている。大きく変わったのではないけれど、時が過ぎたのを感じない訳にはいかない。下北が変わっていくだけでなく、自分ももう取り戻せない年月を重ねてしまったのを思い知らされる。
 仏ヶ浦と一緒に写るバイクのAX−1も、最近はあちこちガタがきている。もうリタイア寸前の老いぼれ爺さんといったところだ。バイクに並ぶ黄色いヘルメットも、使えないほど古ぼけたので、捨ててしまって、今では手元にない。
 それより何より、自分自身にバイクに跨る気力がなくなった。特に冬場の寒さはこたえるので、最近全然バイクに乗ってない。ましてや、バイクで日本中を駆け回る元気など、どこをどう探しても、もう見つからないのである。

 

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