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横谷峠  今も人が暮らす集落のある峠
よこたに とうげ


<初掲載 1999.10. 2> 今月の峠 1999年 9月 として

横谷峠
横谷峠
手前が熊本県湯前町、奥が宮崎県西米良村
 

 上の写真はどこかのありふれた集落の中の風景かと思いきや、まぎれもない県境の峠なのだ。その証拠に道の右端に、後ろ姿だが県境によくある看板が高々と立っている。看板の表には「熊本県湯前町横谷」とあるのだ。
 ここは横谷峠。九州は熊本県湯前(ゆのまえ)町と宮崎県西米良(にしめら)村の県境である。
 一般に、峠やその近くに昔は集落があったと言う話をよく聞く。例えば長野県飯田市の大平峠(木曽峠)の峠道では、一度廃村になった大平宿を文化財として保存してあることで知られている。しかし、現在も尚、人が暮らしている現役の「峠の集落」は、滅多にないのではないかと思う。それどころか、あちこちの峠道を訪れていると、その沿道に廃屋や離村の痕跡を目にすることが多く、人は住みかとしての峠からますます離れていってしまうようだ。
 そんな中で横谷峠は、今も人が暮らす生活の場としてなりたっている貴重な峠のひとつなのだ。

 

湯前町側からの峠遠望
湯前町側から峠を遠望する
前方にそびえる山並のほほ中央の鞍部が峠
 熊本県湯前町の中心地より国道219号、通称「横谷越え」が水平に真っ直ぐ、ほぼ東に向かって延びている。しかしその道の行く手を眺めると、高く連なる山並みが壁の様にそびえ立つ。いったいこの道はどのようにしてあの山を越えて行くのだろうか。
 稜線の一角がやや窪んでいて、鞍部になっている。どうもそこが峠のようだ。道はそこを通って宮崎県西米良村に下っている。しかも峠には人が暮らす集落があるのだ。

 

 そのまま国道を進み、いよいよ山並が目の前に迫ったころ、左に一本、細い道が分岐する。道路標識が「横谷峠」と指している。
 現在の国道219号は横谷トンネル(昭和56年3月完成、全長1,608m)で峠の下をパスしている。青空の下で峠を越えているのは旧国道である。分岐にある道路標識には、トンネルを抜ける新道の方を「横谷バイパス」と称している。しかし道路としての程度の差は歴然だ。かたや登坂車線付きのセンターラインのある幅広の快適な道、かたや狭いクネクネ道。ほとんどの通行者にとって、峠を越える道の方は旧道以外の何物でもないのだ。しかし峠に住む者にすれば、トンネルを抜ける道は新道ではなく、はまさしく「横谷バイパス」である。
地蔵峠展望台
左に峠道が分岐する
左上の青い道路標識には左「横谷峠(Yokotani Pass)」
直進「219 宮崎(Miyazaki) 西都(Saito)」とある

 

湯前側の道
湯前側の峠道
写真左に塗装の剥がれた国道標識が立つ
「ROUTE 219 湯前町横谷」
 バイパスではなく「本線」を行く。峠を前にし、道筋は大きく左にそれて、山肌を迂回して登って行く。この峠道は球磨水系の一部、蓑谷川の支流都川上流に位置し、険しい難所のひとつであった。附近は奥球磨県立自然公園に属する。

 古ぼけ、塗装が剥がれかけた国道標識が道路脇に残る。昭和56年の横谷トンネル開通前のものだろうか。道幅は狭いが路面は安定した舗装路である。右手に木々の間から明るい景色がのぞく。

 分岐よる2Kmほど走ると、道幅も広くいい道になったと思ったら右下に下って行ってしまう。そちらを行くと下を通る新道に合流する。峠へはそこより左に分岐する狭い登り坂を行く。再度「横谷峠」と書かれた道路標識に従うのである。

 

 標高を上げると眺めがいい。広く開けた谷の様子が一望できる。下を新道が通っている。山肌を削り、谷を橋で渡り、新道は滑らかな道筋を描いている。こちらの旧道とは大きな違いだ。しかし新道からはこの眺めは得られまい。

 谷間は望めるが、峠の在りかがはっきりしない。湯前市街に近い国道からは見えていた峠の鞍部も、近付くとかえって分からなくなるものだ。あとどのくらいで峠に着くのかも見当がつかず、車を進めることになる。

 途中、右に湯前飯盛林道に通じる林道が分岐する。しかし通行禁止であった。

新道の眺め
谷間の景色
下に新道を眺める

 

県境
横谷峠の県境
手前が西米良村、奥が湯前町
左手奥の県境の看板は塗装がほとんど剥がれているが「熊本県湯前町横谷」と辛うじて読める
停めた車の右上には宮崎県の看板
 林道分岐から間もなく、左カーブを曲がると不意に道は平坦になった。不可解に思いながらもゆっくり車を進める。ふと気が付くと集落の中に居た。そこには人家や納屋、車の車庫、小さな畑に沿道には草花が植えられている。まったく静かな集落の中の一風景である。そこまでのあの谷間を遥かに見渡す峠道が嘘のようであった。

 ところで峠は一体どこに行ってしまったのか。
 この集落を抜けた先にあるのだろうか。
 車を降りてあたりをキョロキョロする。すると例の県境によくある看板が立っているではないか。文字の塗装はほとんど剥がれてしまっているが、「熊本県湯前町横谷」と読める。しかしその看板が立っている場所は、集落の中を通る生活路の何の変哲もない通過点にすぎない。看板がなければ県境なぞと大それた場所とは到底思えないのだ。

 

 もう一つの県境の看板を探す。こちらは停めた車のまん前にあった。しかし樹木に茂った葉に隠れて直ぐには気付かなかったのだ。「宮崎県 西米良村」とある。錆が出ていて如何にも年代物だ。
 目には見えない県境はこの県境の看板により横谷集落を二分する。横谷集落は2県にまたがる集落であった。
 しかもここは国道から眺めたあの山並の頂上の峠だ。
 集落の中の平坦な道を過ぎると、確かにその先で道は下り始めていて、ここが最高所であることが分かる。しかしこの集落の中にいると、ここが峠であることが信じられない。

 この峠道は、昭和21年11月からは湯前線の終点湯前駅よりバスも連絡していた。一時期、横谷集落には7戸の民家があったそうで、峠道はそこで暮す住民の重要な生活路でもあった。
 しかし横谷トンネルの開通で交通量は激減した。今は峠の集落の戸数も減ったように見うけられる。

宮崎県の看板
樹木の陰に隠れた県境の看板
「宮崎県 西米良村」
 
 集落ではちょうど子供が2人、家の周囲を走り回って遊んでいた。年上の女の子と小さな男の子で、様子からすると姉弟のようだ。今日は5月5日の休日。もしかすると親の里帰りに一緒についてきた子供達で、ここに住んでいるのではないかも知れない。しかし一時期のことであろうが、子供の姿を見掛ける峠道は、そうあるものではない。日本の田舎はどこも過疎が進み、見掛けるのは老人ばかりなのだから。
 姿は見えないが、他の民家の中からも人の話し声が聞こえる。横谷峠は静かだが、寂しさを感じることのない峠である。
 道からは景色が眺められない。きっと民家の軒先からは、居ながらにして峠の景色が見られるのだろう。
 
西米良側
西米良側の峠道より国道219号を見下ろす
 峠を西米良村側に下る。
 集落の西米良側の外れにあった道路標識には「村道 横谷線」とあり、もう国道ではなくなったことを示している。道が通る谷は狭く暗い。見えるものは木々ばかりで、あまり走っていて楽しい峠道ではない。

 峠にある集落を除き、勿論峠の前後の道沿いに人家は1軒もない。それを考えると、峠の暮しにはやはり厳しさがあるのではないかと思う。あの2人の子供たちも、姉弟で遊ぶ以外に同年代の遊び相手が得られるわけではないだろう。子供の足ではこの峠を下ることは困難である。

 峠から数Kmの下り坂も終わりに近付くと、眼下に国道が通っているのが見える。熊本県よりトンネルを抜けてきた新道だ。

 

 国道に出るところに右の写真の看板がある。民宿だろうか、峠で営んでいる宿の案内だ。同じ物が湯前側にもあった。そういえば子供達が遊んでいた家に続いて、看板の宿と思われる2階建ての建物があった。「砂は黄金」とは何を意味しているのか分からないが、なかなかいいネーミングだ。素朴な看板の絵も楽しい。

 国道に出て1Kmばかり湯前方向に戻ると、直ぐにトンネル入口だ。トンネル直前に未舗装林道黒仁田線が右に分岐している。進入禁止の標識が出ていたが、入ってみることにした。もう夕暮れ近いので、これから野宿地を探さなければならないのだ。その林道は数百メートル先に人家が1軒あり、その前でゲートで通行止だった。家の飼い犬にけたたましく吠えられて、慌てて引き返すはめとなった。

宿の案内看板
峠の宿の案内
西米良村側の国道からの分岐に立つ

 

横谷トンネル
横谷トンネル西米良側入り口
トンネル手前右に林道が分岐
 横谷峠の道沿いにもいい野宿地はなかったし、国道を西米良村の中心、村所に向かって走っても、尚更野宿地など見付かる筈がない。横谷峠に引き返し、あの看板の宿に飛び込みで泊めてもらおうかとも思ったが、孫がやってきて賑わった家族の中に、突然よそ者がひとり押しかけても迷惑だろう。それに私にはやっぱりひとりの野宿が性に合っている。

 犬に吠えられ少々意気消沈気味に、日がかげり始めた板谷川の深い谷間に沿う国道を、野宿地の当てもなく東に向けて走り出しだすのであった。

 


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