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蚊無峠
 
かなし とうげ
 
旧山陽道の宿場町西条と瀬戸内海を繋ぐ、小さな小さな旧道の峠道

 
蚊無峠 (撮影 1999.12.30)
奥が広島県東広島市西条町福本、手前が同県安芸津(あきつ)町三津
道は県道32号・安芸津下三永線の旧道
 

県道32号の東広島市側
前方に蚊無トンネルの坑口が見える
道の左脇に「蚊無トンネル情報板」が立つが
今のところ何も書いてない
その手前を左に峠への旧道が分岐する
 地図でトンネルを見かけると、ついトンネルを通らない旧道がないかと探してしまう。何故ならそこには峠があるからだ。
 どうせ何の当ても無い旅である。新道の立派なトンネルをアッと言う間に通り過ぎても、どこへ急ぐという訳ではない。それより、あまり人が訪れなくなった旧道の峠道を、のんびり越えた方がよっぽど面白いのである。



 昨日は広島市内に宿泊し、今朝早く原爆ドームなどを見学してから市街地を離れ、東に向かってジムニーを走らせた。早く都会の喧騒から逃れたくて、面白くもない幹線道路をひた走り、ここまで逃げてくればもう大丈夫と思ったところで、東広島市に入った。
 このまま幹線道路を走っていても仕方がない。さて、どこに行こうか。
 早速、ツーリングマップルを開いて現在位置を確認し、近くにまだ訪れたことのない場所、通ったことのない道がないかと物色する。すると「蚊無」というトンネルを抜けて瀬戸内海に出る県道32号が目にとまった。そしてそこには僅かながら旧道が残っており、「蚊無峠」の文字もある。即座にターゲットは「蚊無」と決まった。
 
 県道32号はこの先の東広島駅の方から始まっている。それとは別に、国道375号から分岐し「徳市谷」という所を通って、蚊無トンネルの少し手前で県道に合流する道がある。わざわざ市街地まで行くのも馬鹿らしいので、その道を通ることにした。
 ところがこれが難関だった。標識などほとんどないので、散々迷いに迷った。進んでは行き止まり、引き返してまた進んでは行き止まる。急ぐ旅ではないのだが、これだけ迷うとさすがに腹が立ってくる。
 もう諦めようか思ったところで、やっと小さな名もない峠を越えた。峠の下りはほぼ一本道で、小さな集落を抜けると、お目当ての県道に出た。未舗装の険しい峠道を越えるより、はるかに疲れる峠越えであった。

 県道は真新しい幅広の2車線路だった。南へ少し走ると直ぐにも蚊無トンネルが見えてきた。その手前を左に道が分岐していた。


県道から旧道への分岐
何の標識もないが、間違いなさそうだ
 

林に囲まれた用水池
 分岐には何の標識も出ていなかったが、如何にも峠越えの旧道っぽい。立派な県道にはお別れして、その狭苦しい道に入って行く。

 道の両側は林に囲まれ、ほとんど視界がきかない。間もなく右手の林の間から、チラリと用水池が見えた。車を停めて林の中を分け入り歩いて見に行った。
 土を盛った土手により堰き止めた、それ程大きくもない池である。土手以外の部分は水辺間際まで林が迫り、ひっそり静まり返っている。何となく気味悪い。
 それに私は「水」が嫌いだ。足が地に着かないという事態は、想像しただけでも恐ろしいのである。高所恐怖症と似たところがある。誤って土手から滑り落ちないうちに、車に引き返すことにした。

 
 道は終始狭く、1.5車線分の幅もないくらいだ。でも路面の舗装はしっかりしている。全く古さを感じさせない。
 後で調べて見ると、古いツーリングマップ(昭文社 中国・四国偏 1989年7月)には、まだ蚊無トンネルの記載がなかった。この峠を越える道が旧道となったのは、それほど昔のことではなさそうだ。
 途中に県道標識が立っていた。

県 道
32
広 島
安芸津下三永線
西条町福本

 この県道標識もまだまだ古くはなく、ここがつい最近まで現役の県道(しかも主要地方道)であったことを示している。しかし、現在のトンネルを抜ける幅広い2車線路の新道と比べると、天と地ほどの違いがある。


峠への上り
県道の標識が残っていた
 

前方が蚊無峠
その手前左にNTT無線中継所への分岐
 新道から分岐して以降、勿論一軒の人家もなければ、道の周辺に特に目に付く物もない。急な上りがあるわけでもなければ、九十九折りがあるわけでもない。遊歩道に毛が生えたような道が、穏やかに上っているだけである。
 
 左手にNTTの無線中継所の看板が現れると、その先が蚊無峠の切り通しである。
 峠を抜けて安芸津町側に入ると視界が広がる。稜線の南側にあたることもあり、明るい感じを受ける。
 
 ところで「蚊無」峠とは面白い名前だ。そのまま素直に「かなし」と読めばいいようである。身近で庶民的な感じがする。
 峠の南方には蚊無奥山という山があり、峠から安芸津町側には蚊無川が流れ、蚊無川沿いには蚊無という地名も見られる。このように、峠以外にもこの近辺では、「蚊無」という名前がいろいろと使われていることが分かる。
 ちょっと調べてみると、昔から峠を含めた付近の山稜は藪が多く、蚊の群がる地であることにより、この名が生まれたと言う。

 「蚊無」とは、「蚊がいない」という意味ではないらしい。逆に蚊が多いところなので、蚊がいなければいいのにと、思い願ったことによるものなのだろうか。
 峠を越える旅人も、蚊が出てこなければいいなと思い、薬草を炊くなど蚊の対策をして歩いたのかもしれない。そして願いに反して蚊に悩まされると、「悲し」峠となるのだろう。


峠の標識?
かすれているが「蚊無峠」と書いてあったようだ
 

安芸津町側から峠を見る
右手の県道標識に「安芸津町蚊無峠」とある
 そういえば、来る途中にあった用水池なども、ボウフラが湧いて蚊が発生する心配などはないのだろうか。幸い今は12月下旬で、蚊の心配はいらないが、蚊だけでなく、虫全般が苦手なので、このような冬の季節は旅をする上で有難い。
 

 この峠道は、古代、北方(東広島市側)の西条盆地と三津(安芸津町側)との官道として利用されたらしい。また中世では福成寺(現在の東広島市側)の参詣路として、近世では山海の物資の交通路として利用されたとのこと。
 西条は旧山陽道の宿場町。瀬戸内海に面した三津湾から西条の宿まで、蚊無峠を越えて海の幸などが運ばれたのだろうか。

 
 峠には「蚊無奧生活環境保全林」と題した看板が立っていた。それによると、峠を通る稜線に接した安芸津町側の一画が、自然と親しむために整備された保安林となっているらしい。
 峠よりその区域内へと延長約2.3kmの車道が伸び、その沿線に「展望の森」とか「親水の森」、「野外活動の森」、「自然探索の森」と命名された森が茂る。その中には散策路も通じている。
 

 トンネルの新道ができてしまった今では、この蚊無峠を越える峠道は、交通路としての役割がほとんどなくなってしまったと言える。これからは、こうした自然と触れ合うために訪れる人たちの道となるのだろう。それにはふさわしい峠道である。


蚊無奧生活環境保全林の看板
 

安芸津町側を下る
 私もその「展望の森」とかがどんなものか、ちょっと見てこようかとも思ったが、峠には散策に来たらしい人や車がちらほら見掛けられる。あまり人と遭遇したくもないので、このまま峠を下ることとした。
 

 安芸津町側の道は、視界が開けていて気分がいい。但し、道の狭さには変わりはない。

 
 間もなく下の方に立派な新道がちらちら見えてきた。もう少しでその新道に合流するという所で、路肩が崩れかけていた。幸い問題なく通れたが、如何にも崩れやすそうな路肩である。
 

 旧道といっても、あの保全林へ通じる大事な道である。新道のトンネルでは代用はきかない。か細い道ではあるが、大事に修理し、維持していってもらえることを願うばかりだ。


路肩崩落個所
下には新道が見える
 

左より旧道が新道に合流する
 峠を挟んだ旧道区間は、せいぜい4〜5km程度である。車にとっては短い距離だ。更に新道に出て空いた2車線路を快走すれば、瀬戸内海沿いを走る国道185号までアッと言う間だ。

 これでまたひとつ、小さな峠の旅が終わった。こんなことをしていて、自分にはいったい何が残るのだろうかと思う。「蚊無」という名前を覚え、幾つかの風景や場面がおぼろげながら脳裏に刻まれた。アルバムの写真も増えた。ただそれだけのことのようである。
 年老いて自分ひとりではどこへも行けなくなったら、たまったアルバムを一枚一枚めくり、記憶の中で旅をしようと思う。それまで、地図でトンネルを見つけては、旧道を探しつづけることにする。

 国道185号を東に走り、次のターゲットは最近できたばかりの西瀬戸自動車道だ。

<制作 2001. 5.31>
 
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