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一ノ水トンネル (一ノ水峠)
  いちのみずトンネル  (峠と旅 No.338)
  赤倉と熊野市街を結ぶ新しい車道の峠道
  (掲載 2025. 7.17  最終峠走行 2004. 5. 3)
   
   

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一ノ水トンネル (撮影 2004. 5. 3)
トンネルのこちら側は三重県熊野市有馬町
反対側は同市井戸町
道は林道一ノ水線
トンネル坑口の標高は約550m (地理院地図の等高線より)
林道開削は平成2年(1990年)と比較的新しく通じた峠道だ
訪れた時はアスファルト舗装も白線もまだ新品であった

   

   

<紀伊山地の峠(余談)>
 はたして紀伊山地の峠道と言っていいのだろうか。今回の峠は海岸沿いから直線距離で僅かに5.5Km程しか離れていない。ただ、紀伊半島にある峠であることは間違いない。これで「紀伊山地・紀伊半島の峠」の第5弾になる。

   

<所在>
 峠道はほぼ東西方向に通じている。峠の東側は三重県熊野市(くまのし)井戸町(いどちょう)になる。
 
 峠の西側は同市の有馬町(ありまちょう)だが、そこに集落などはない。有馬町の中心地は沿岸沿いだ。道は山間部の有馬町内を少し通り、その先下って最終 的には同市の育生町(いくせいちょう)赤倉(あかぐら)へと至る。一ノ水峠は実質的に井戸町と育生町赤倉を結ぶ峠道になる。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<峠名>
 「一ノ水トンネル」というトンネル名は、古くから通じる「一ノ水峠」を引き継いで名付けらていると思われる。旧峠に対しトンネルの峠は「新一ノ水峠」とでも呼ぶべきところだが、そこはあえて区別せず、旧峠もトンネルの峠も、どちらも「一ノ水峠」と呼んでしまおうと思う。
 
 「一ノ水」は「一の水」とか「一之水」などとも記される。トンネルの扁額・銘板では「一の水トンネル」、地理院地図では「一ノ水峠」(地理院地図)、「一ノ水トンネル」(地理院地図)と記載がある。林道看板などでは「林道一の水線」となっている。
 
 総合すると、「一の水」と書かれることが多いようだ。これが最も現代風であろう。しかし、「一の水」というのは見た目にも何となく間の抜けた印象を受ける。一つの固有名詞として受け取り難い気がする。 一方、「一之水」ではやや古めかしい。間を取って「一ノ水」がいいように思う。それなら地理院地図とも合致する。よって本稿では世の中の趨勢に逆らい、許す限り「一ノ水」と記すこととした。

   

<一ノ水>
 「一ノ水」という名の由来は分からない。少なくとも付近の地名ではなさそうだ。
 
<滝の名説>
 熊野市には大小多くの滝が架かる。例えば有馬町と育生町赤倉との境に流れる尾川川上流部に三ツ滝(みつだき)がある(地理院地図)。こうした中に峠の近くに「一ノ水」と呼ばれる滝があり、それが峠の名の由来だとする話があるようだ。ただ、一ノ水滝の所在は分からず、そもそもそのような名の滝が実在するかもはっきりしない。

   

<水系>
 峠の東(井戸町)側は井戸川(地理院地図)の水系で、その一次支流の平六谷川(地理院地図)の源頭部に峠は置する。井戸川は一つの水系を成すが、二級河川であり、大きな川ではない。
 
 峠の西(有馬町・育生町赤倉)側には尾川川の支流(名前不明)が流れ下る(地理院地図)。尾川川は北山川に注ぎ(地理院地図)、更に熊野川(新宮川)に注ぐ(地理院地図)。新宮川水系は紀伊半島では最も大きな水系だ。

   
   
   

井戸町側より峠へ

   

<井戸川沿い>
 井戸川流域はほぼ全て井戸町(いどちょう)になるようだ。その本流に沿って県道(主要地方道)34号・七色峡線が遡って行く。熊野灘に面した沿岸部こそ賑やかだが、山間部目掛けて進むに連れ、谷は狭まり、周囲には穏やかな山里の景色が広がりだす。

   
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井戸川沿いの県道34号・七色峡線 (撮影 2004. 5. 3)
宇井付近(地理院地図


<瀬戸>
 井戸川の谷は一度狭まり、再び広がる。そこは瀬戸(せと)と呼ばれる集落だ(地理院地図)。井戸川上流域の谷間に位置する。古く江戸期には瀬戸村(せとむら)という一つの村だった。一方、井戸川の中・下流域は井土村(いつちむら)と呼んだそうだ。明治7年(1874年)にその井土村と瀬戸村が合併、各1字を当てて「井戸村」となったとのこと。
 
 その後、明治22年(1898年)に有馬村と井戸村が合併して有井村(ありいむら)が成立、井戸村は大字井戸となる。更に昭和29年(1954年)に有井村は熊野市の一部となる。現住所の熊野市井戸町の「井」は井土村、「戸」は瀬戸村の名残となるようだ。

   
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林道一ノ水線の分岐 (撮影 2004. 5. 3)
左が峠へ、右前方は県道を大峪(おおさこ)トンネルへ、

<峠道起点>
 瀬戸は井戸川水域最終の集落で、そこを過ぎると人家は皆無に等しい。間もなく一ノ水峠への分岐が出て来る(地理院地図)。井戸川を城ノ尾橋(じょうのおばし)で渡るさみしい道が分かれて行く。それが一ノ水トンネルを抜ける林道一ノ水線の起点(林道の終点側)になる。県道沿いにはその分岐を示す道路標識はない。知る人ぞ知るという道である。

   

<分岐の看板>
 私たちが訪れた時は、分岐の角に一つの案内看板が立っていた。一ノ水峠(トンネル)方向に「大丹倉 12Km」とあった。大丹倉(おおにぐら)とは育生町の丹倉(にぐら)にある大岩壁(地理院地図)のことだそうで、昔から修験者たちの聖地だったとのこと。一ノ水峠の峠道区間が約8.5Kmなので、大丹倉まで更に3.5Km程行くことになる。
 
<那智黒(余談)>
 一方、県道34号の続きの方向には「那智黒石の里 8Km」と案内されていた。那智黒(なちぐろ)という石のことは時々耳にする。碁石や硯に使われる。県道を進んで大峪(おおさこ)トンネルを越えた先の熊野市神川町(かみかわちょう)がその産地とのこと(地理院地図)。

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分岐に立つ案内看板 (撮影 2004. 5. 3)

   

<林道一ノ水線へ>
 林道一ノ水線は、林道の割には走り易い舗装路だ。 峠は本来、井戸川の支流・平六谷川の上流部にあるが、林道は始め別の支流(名前不明、地理院地図)の水域を登って行く。ただ、1Km余り走ると、平六谷川水域へと入る(地理院地図)。

   
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林道脇の昼食場所 (撮影 2004. 5. 3)
見晴しが抜群
連れ(結婚前の妻)は食事の準備中
今回は何を食べさせてくれるのだろうか

<平六谷川左岸>
 林道は平六谷川左岸の高みに通じる。沿道の林が途切れさえすれば、眺めは良さそうだ。
 
<昼食(余談)>
 丁度昼過ぎなので、どこかいい休憩場所がないかと探していると、絶好の場所が見付かった(地理院地図)。路肩がちょっと広くなっていて、充分に車が停められる。それに何より開放的なロケーションで、眺めがいい。
 
 街中でレストランなどを探すより、こうして偶然見付けた展望場所で、景色を堪能しながら食事をする方がずっと楽しい。食事の内容はいつものカップ麺や魚肉シーセージ、あるいはスーパーで買い込んでおいた菓子パンなどと粗末だが、野外で食べる食事は格別である。

   
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昼食場所からの眺め (撮影 2004. 5. 3)

<瀬戸集落を望む>
 昼食場所からは眼下に平六谷川の谷を見下ろし、それに続いて本流の井戸川沿いを遠望できた。そこに一塊の集落が確認できる。位置関係からして瀬戸の集落のようだ。川沿いに人家が集中し、山の斜面には棚田か段々畑が広がっている。素朴な山村の風情である。

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瀬戸集落を遠望する (撮影 2004. 5. 3)

   
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平六谷川の上流方向を望む (撮影 2004. 5. 3)

<平六谷川の上流方向>
 昼食場所から上流方向を望んでも、余り視界はなかった。峠方向は山影になってほとんど見えない。ただ、道はこの先平六谷川の右岸側を回り込んで行く。その道筋が僅かに確認できた(下の写真)。
 
 
 昼食を摂った場所は、今では林に囲まれ全く展望がないようだ。カーブミラーと岩が数個転がっているだけの寂しい場所となっていらしい。(ストリートビュー

   
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峠方向を望む (撮影 2004. 5. 3)
山腹に僅かに道筋が確認できる
(敷地の隅にあった岩の上に登って撮影) 

<林道看板>
 林道一ノ水線については、あまり看板を見掛けない。ところが、峠でも何でもない所に立っていた(地理院地図)。平六谷川最上流に架かる橋を再び左岸へと渡った直ぐ先である。「起点より4,000m」と丁度切りが良かったせいだろうか。その看板では「民有林林道」となっているが、峠にある竣工記念碑では「県営林道」と書かれていた。

   
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何でもない所に林道看板が立つ (撮影 2004. 5. 3)

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林道看板 (撮影 2004. 5. 3)

   

<林道起点>
 看板の「起点」とは育生町赤倉側を指すようだ。井戸町側の県道34号の分岐からは4.4Km程の距離がある。林道延長は合計8.4Km前後と思われる。

   
   
   

   

<峠の井戸町側>
 僅か4Km余りの舗装林道は、途中で昼食休憩しても、1時間程度で一ノ水トンネルの坑口まで辿り着いた(地理院地図)。一ノ水トンネルは見た目には極めて普通という印象だ。

   
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一ノ水トンネルの井戸町側坑口 (撮影 2004. 5. 3)
扁額と銘板が掛かる

   

 井戸町側トンネル坑口の位置は、ほぼ平六谷川の源頭部に近く、坑口を背に振り替えると、谷はV字型に広がっている。坑口手前にちょっとした広場もあり、その先に平六谷川の谷に沿った視界が広がる。

   
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井戸町側の眺め (撮影 2004. 5. 3)

   

<眺め>
 峠からの井戸町側の眺めは、平六谷川の谷がほぼ真っ直ぐ東に下っている。その終点には瀬戸の集落があることになるが、集落部分はほとんど見えてこない。その先には紀州山地の山々が連なる。

   
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峠から紀州山地の山々を望む (撮影 2004. 5. 3)

   

<峠の有馬町側>
 一ノ水トンネルの有馬町(ありまちょう)側坑口も、井戸町側とほとんど変わりない。写真を一目見ただけではどちら側だかなかなか区別がつかない。扁額も銘板も、ほとんど同じだ。扁額の字も余り特徴がなく、平凡である。

   
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一ノ水トンネルの有馬町側坑口 (撮影 2004. 5. 3)

   

<竣工記念碑>
 有馬町側の坑口前は比較的広々としている。その南側の一角に竣工記念碑が立つ。「県営林道一ノ水線開設工事」とある。林道看板などでは「民有林林道」とあったが、林道開設当時は「県営林」だったのかもしれない。

   
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竣工記念碑が立つ (撮影 2004. 5. 3)

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林道一ノ水線開設工事の竣工記念碑 (撮影 2004. 5. 3)

   

<林道開通年>
 石碑の裏側を見なかったので建立日は分からないが、トンネル銘板には「1990年9月」の日付が刻まれている。トンネル開通がほぼ林道一ノ水線の開通時期だと思う。 古いツーリングマップ(1989年7月発行 昭文社)では、まだ林道一ノ水線の影も形もない。唯一、井戸町側林道起点の城ノ尾橋だけは既に架かっていたようだ。

   

<立札と山道>
 林道開設工事の竣工記念碑に並んで、一基の立札が立つ。「熊野市指定文化財」と題している。その脇を抜けて石の階段が草深い山中へと続いている。多分、稜線上の旧峠へと登って行く道だろう。

   
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竣工記念碑の横に立札が立つ (撮影 2004. 5. 3)
その脇に山道が登って行く

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熊野市指定文化財の立札 (撮影 2004. 5. 3)

   

<道路供養塔>
 立札には下記のようにある。
 
 熊野市指定文化財
 民俗文化財 有形民俗文化財
 一之水峠の「道路供養塔」
 この供養塔は、文化12年(1815)赤倉村榎本利兵衛門らが本宮街道沿の尾川村田本辰右衛門 粉所村南孫一郎 同村吉田与左衛門 平谷村大井沢右衛門が力を合せ、赤倉側の橋の谷から峠までの道路を石畳に改修し、旅人の安全を願って立てたものです。 道端には道標 地蔵が多く立っていますが、このように古くて特殊な石造品はこの地方では大変珍しく、庶民文化を知る貴重な作例であります。
 指定 平成4年2月28日
 熊野市教育委員会

   

 今考えると、「道路供養塔」らしき石塔などは写真に写っていない。どこにあったのだろうか。
 
 ところで、文中の「橋の谷」というのが気になった。小さな地名であろう。尚、道路供養塔の所在地は「有馬町水谷2630-2」だとか。

   

<旧道>
 一ノ水峠に車道が通じたのは平成2年(1990年)と比較的最近のことだ。それ以前の旧道は地理院地図にもまだはっきり記されている。
 
 育生町赤倉・有馬町側はほぼ一本道で峠に至る(地理院地図)。現在の林道の道筋とも大筋一致する。尾川川の支流にほぼ沿っている。もし、一ノ水滝という滝があったとすれば、その支流のどこかであろう。
 
 一方、井戸町側の旧道は複数あったようだ。直ぐに瀬戸集落へと下る道と(地理院地図)、直接沿岸部方面へと向かう道筋などもあったようだ(地理院地図)。少なくとも井戸川支流・平六谷川沿いは通らなかったらしい。よって、
一ノ水滝と呼ぶ滝があったとしても、平六谷川に架かる滝ではないだろう。一ノ水林道は旧道の道筋とは大きく異なり、瀬戸集落よりもずっと井戸川上流へと至っている。

   

<有馬町側の眺め>
 峠の有馬町側もほぼ谷の源頭部にあり、V字の谷が西へと下っている。ただ、途中で谷は屈曲しているので遠くまでは見通せない。

   
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峠より有馬町側を眺める (撮影 2004. 5. 3)
ガードレールがある箇所は旧峠方向から流れ下る水が側溝を通っている

   
   
   

峠より有馬町側へ

   

<有馬町>
 道は暫く有馬町内を下る。有馬町の中心地は熊野灘に面した沿岸部にあるが(地理院地図)、この新宮川水系に属す尾川川水域の一部も有馬町になっているようで、その町域は複雑で把握し難い。尾川川水域の有馬町には人家などはなさそうだ。
 
<峠の境>
 一ノ水峠は、江戸期は有馬村と井戸村との村境であったが、明治22年にその2か村が合併して有井村となった為、大字境となった。昭和29年には熊野市の一部となって再び有馬と井戸との町境(大字境)となった。

   

<育生町赤倉>
 坑口から2Km程も下ると道は熊野市育生町(いくせいちょう)赤倉(あかぐら)に入る。しかし、境を示す看板などはなかったと思う。いつの間にやら赤倉となる。
 
 道は全般的にあまり視界は良くない。途中ちょっと開けた箇所を通過した(地理院地図)。南方にそびえる568mのピーク(地理院地図)が望めた(下の写真)。

   
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沿道より568mのピークを望む (撮影 2004. 5. 3)


<峠道の終点>
 トンネル坑口から僅か3Km余りで道は本流の尾川川沿いに突き当たる。そこは丁字路になっていて、右に民有林林道・赤倉線が分岐して尾川川沿いを遡って行く。 一ノ水峠の峠道としてはここが終点だが、林道一ノ水線はここより左に折れてまだ暫く尾川川沿いに下って行く。杉木立に囲まれた何とも寂しい分岐だ。辛うじて道標が一つ立つ。林道赤倉線方向には大丹倉(おおにぐら)とあったようだ(下の写真)。

   
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丁字路の様子 (撮影 2004. 5. 3)
奥が林道赤倉線
右は林道一ノ水線を峠へ

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丁字路に立つ道標 (撮影 2004. 5. 3)

   

<赤倉(余談)>
 峠道沿いには育生町赤倉の人家などは全く見られないが、尾川川沿いに300m程下って県道52号・御浜北上山線に接続する付近に人家などが集中するようだ(地理院地図)。
 
 江戸期からの赤倉村で、明治22年に神川村(かみかわむら)の大字となる。赤倉地内を流れる尾川川を赤倉川とも呼ぶようだ。文献(角川日本地名大辞典)では赤倉を称して「小滝が多い」地としている。何となく水ノ峠の名の由来となる滝が存在することを示唆するかのようだ。
 
 昭和29年には熊野市の大字赤倉となり、昭和40年からは「育生町」を冠称して育生町赤倉となったとのこと。

   

<峠道の役割>
 赤倉は尾川川最上流域に位置し、そこより最短で熊野灘沿いの沿岸部に出るには、県道52号・御浜北上山線を用いたものと思う。 県道52号は途中、札立峠地理院地図)を越えるなかなか険しく長い道だ。 しかし、これまでは車道としてはその道が本線だったと言える。
 
 しかし、一ノ水峠に一ノ水トンネルが開通したことで、赤倉から井戸川沿いに出て、更に井戸川沿いを下ることで熊野市の中心地(地理院地図)へと容易に至ることができるようになった。 林道一ノ水線は林道と言えどもちょっとした県道並みのいい道だし、井戸川沿いは私たちが訪れた時よりも更に立派になっている。赤倉の地にとって、現在の一ノ水峠越のルートは非常に有用な生活路であると思える。 どうやら郵便配達のバイクも一ノ水峠を越えて赤倉へと配達するようだ。
 
 元々、赤倉付近一帯の住民は、熊野市街方面との行き来にはもっぱら一ノ水峠を用いたものと思う。折立峠に車道が通じたことで、一時期は県道52号に主役の地位を奪われたが、一ノ水トンネルが奪還したのではないだろうか。そんな気がする。

   
   
   

<あとがき(愚痴)>
 これでどうにか一ノ水峠も書き終えられそうだ。
 
 毎年、何かしらの病気に罹るのだが、今年はまた特にひどい。常日頃、病気や怪我で痛かったり苦しかったりするのだけは避けたいと心掛けているのだが、そう思う側ら、毎年何かしら新しい病気に見舞われる。つらい思いをするくらいなら、長生きなどしたくないのに・・・。
 
 それにしても帯状疱疹は痛い。帯状疱疹後神経痛も耐え難い。予防接種を受けようと考えていた矢先の出来事で、悔やんでも悔やみきれない。夜は苦痛でほとんど眠れず、昼間の体調は尚更最悪だ。こんな状況でパソコンの前に座る気など起こる訳がないのだ。
 
 それでもこうしてホームページを書き始めると、それなりに夢中になれる。一時でも苦痛が和らぐ思いだ。没頭できる仕事や趣味なども持っていることは、救いであると実感する。
 
 ただ、今夜も苦痛に眠れず、深夜に一人、ソファーに座ってテレビショッピングの番組などをぼんやり眺めながら痛みに耐えて過ごす事になるだろう。自分の人生は一体何なのかと思う、一ノ水峠であった。

   
   
   

<走行日>
・2004. 5. 3 井戸町→有馬町・育生町赤倉/パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・熊野市のホームページ
・その他、地形図(地理院地図)、道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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