峠と旅
岩手峠 (後編)
 
いわでとうげ
 
林道の改修で幻と消えたか岩手峠
 
(岩手峠前編)
 
    
 
<押又谷>
 
 岩手峠を探索する為に、林道池田〜明神線に戻るのだが、そのいい方法を見つけておいた。長谷川の支流、押又谷に沿う林道押又線がある。それが池田〜明神線に接続していることを「ふるさと沙羅林道」の看板で見て知っていたのだ。これなら同じ県道を戻らずに済む。
 
 古屋集落より暫し長谷川沿いの県道を下り、押又谷の右岸に沿う未舗装林道に入る。谷をほぼ上り詰めた所から押又二号林道に接続するが、そこを垂井町との境界付近に駆け上がる舗装路が右に分岐する。それを僅か数100m登ると立派な道に出た。池田〜明神線である。その分岐点に下の写真に掲載した保安林の看板があった。その図にも岩手峠の文字がある。いよいよ岩手峠への期待が高まる。
 
水源かん養保安林の看板
押又谷から池田〜明神線に出た所にある
下の方に「岩手峠」の文字
 
<林道池田〜明神線を走る>
 
 真新しい舗装林道を岩手峠へ向けて車を走らせる。稜線沿いを通る道は時折垂井町側に景色が広がる快適な道だ。
 
 途中、道路脇に展望所風の場所がある。そこより垂井町が一望に見渡せる。やや霧が出て霞んではいたが、垂井町の市街も山並の向こうに見えた。この森のどこかに岩手峠の道が通じているのだ。

展望所(林道を池田方向に見る)
 
展望所から垂井町側の眺め
中央奧に垂井町の市街
 

林道途中の町村境(垂井町側から見る)
<岩手峠はどこに?>
 
 快適な舗装林道をゆっくり慎重に走る。どこかに岩手峠の旧道の痕跡がないだろうか。しかし、これといって確信が持てる場所を突き止められないまま、県道まで行き着いてしまった。これはおかしい。また林道を引き返し、時には車を降りて道路脇の草むらを歩き、ガードレールを乗り越えて垂井町側の谷を覗き込んだりした。やっぱりダメだ。旧道らしき痕跡が全く発見できない。
 
 新しくこの林道が改修された時、岩手峠の道はかき消されてしまったのではないだろうか。県道からの分岐にほど近い所で、林道が春日村と垂井町との境を越えている(左の写真)。この場所が岩手峠だろうかとも期待したが、全く検討外れのような気もする。
 

町村境を春日村側から見る

町村境から春日村側を見る
(車は県道方向を向く)
 
 何度か道を行き来する内に霧は益々深くなり、辺りを白いベールに包んでいく。仕方なく岩手峠の探索は断念し、林道を池田町へと向かった。再び展望所の前を過ぎると、岩手峠と同じ様に、垂井町は霧の中に隠れてしまっていた。
 
    
 
<垂井町岩手へ>
 
 岩手峠そのものは見つけられなかったが、岩手峠が越えて行った先を見ておきたいと思った。池田町から梅谷越で垂井町に入り、岩手川にほぼ沿うように進む県道257号を遡上する。
 
 雨は益々強まり、フロントガラスを濡らす。田畑の中を進む県道からは、その奥で谷が狭まった所に一塊の集落を認められる。岩手の谷と呼ばれる集落だ。

県道257号
前方に岩手谷の集落
 

谷の集落内(峠とは反対方向に見る)
<谷の集落>
 
 集落内の県道は一段と狭く、折り悪く人家から1台の車が出てきた。離合などできないので、これは困ったと思っていると、その地元車は慣れたもので、さっと対岸の道にコースを変更、さっさと走り去って行った。
 
 集落内では黒い板塀を巡らした家が特に立派であった。伝統・格式のある家柄なのであろう。
 
 集落を抜けた先には明神湖のダムが立ちはだかり、岩手川もそこで一旦途切れる。それまで川に沿っていた道も、ここで右往左往することになる。小さなトンネルによるトリッキーなループを描き、方向感覚がおかしくなりながらも、どうにかダムの堰堤に辿り着いた。
 

明神湖ダム

ダムから谷の集落を望む
 
<明神湖にて>
 
 この湖は比較的新しい物らしく、古いツーリングマップには掲載がない。堰堤周辺はきれいに整備され、トイレや案内看板、石碑や亀岩・兎岩が置かれている。亀岩・兎岩には面白いいわれがあるそうだが、ダムが完成されてからわざわざここに移されて来た物だそうだ。この雨にもかかわらず湖を見学に1、2台の車がやって来ていた。

明神湖(峠方向に見る)
稜線は霞んでもう見えない
 

明神湖の石碑と亀岩(この右に兎岩もある)

<右足に異変>
 ダム周辺で写真を撮りながら雨の中を歩き回っていると、何だか右足がおかしい。今にも痙攣を起こしそうな感じである。雨で冷えたのだろうか。 それに靴の中が浸水したらしく、グチャグチャ・ヌルヌルとした感じが気持ち悪い。車に戻ると右の靴を脱いだ。 すると、靴下の半分ほどがどす黒く汚れている。泥水にしてはあまりにも黒い。 何だか分からないが、とにかく今夜はホテルに泊まって体を洗いたい。

 
<峠道へ>
 
 湖ができる前は、峠に続く道は谷の集落からそのまま岩手川の左岸に沿って登っていたようだ。湖の上流に出ると、湖に流れ込む一本の川の左岸に沿って道が山の中へと分け入っていた。その手前には次のような看板があった。
 
 春日村方面 川合垂井線
 ← 2Km先
 自動車 通行不能
 
 これこそが岩手峠へ続く道と思われる。看板から直ぐ先で道は未舗装となり、そこにも「春日村方面(県道川合垂井線)通行不能」とあった。

自動車通行不能の看板
 

ここより未舗装

湖方向を見る
 

まだ道は続いているのだが・・・
 どうせ、車は行止りだが、行ける所まで行ってみたいという気持ちはある。そろそろと車を通行不能の道に進める。路面は荒れ、段々嫌な雰囲気だ。数100mほども入ると、これは戻って来れなくなるのではと心配になってきた。車を停めて、その先少し歩いてみる。辛うじて車が通れそうな状態が続いてはいるが、辺りを見回せば木々に覆われ薄気味悪い道である。丁度、どうにか車を回転できる場所を見つけたので、そこまで車を進め、看板の所まで戻って来てしまった。
 
 結局、岩手側での峠道に関して、得られた物は多くはないが、訪れたということだけでも満足である。これ以上は、自分の足で歩いて峠道を探索するしかないようだ。
 

<ヒル>
 ところでその足だが、やはり右足が変である。また靴を脱いで調べる。よくよく見ると、どす黒いのは血だった。 慌てて靴下も脱ぐと、足の甲の丁度血管が浮き出た所に、僅かな傷跡がある。そこからぬぐってもぬぐっても止めどなく血が出てくるのだ。

 
 これはと思い当たることがあった。脱いだ靴の中を覗くと、小さなゴムの玉の様に膨れた物が入っていた。血を吸って丸々太ったヒルだった。 靴を車の外に放り出し、自分も裸足でアスファルトの路面に出た。そしてズボンの裾を確かめた。やぱりそこにも居た。尺取虫の様に動き回るヒルである。 噛み付く相手を探して、しきりに鎌首を持ち上げていた。半狂乱の様になってタオルで振り払う。


ひどい道から戻って来た所
 

 ヒルの実物を見るのも、ましてやヒルに喰われのも今回が初めてである。虫が大嫌いな上に、ただでさえ気持ち悪いヒルに噛み付かれるなんて、とんでもない話しだ。
 
 ヒルに関しては、話しだけはいろいろ聞いて知っていた。天生峠を舞台にした泉鏡花の「高野聖」(こうやひじり)にも、山ヒルが恐ろしい物として登場する。 ただ、高野聖ではヒルは木から降って落ちて来ていた。私の場合は、明神神社やさざれ石公園、岩手峠探しで、草むらを歩き回り、靴やズボンの裾に取り付かれたようだった。

 

 ズボンのヒルを払い落とすと、靴に付いたヒルも丹念に取り除いた。車のシートやマットも確認する。 自分の体も調べたが、幸い噛まれたのは右足の甲だけのようだ。靴下は別の物に履き替える。
 
 こんな所はもうこりごりだ。車に乗り込むと岩出を後にし、今日の宿を予約してある長浜市へと急いだ。 その最中も、まだどこかにヒルが居るのではないかと気が気でない。宿に着くと、部屋で裸になって体中をくまなく調べ、衣服も丹念にチェックした。 バスルームでシャワーを浴びると、傷口からまだ鮮血が流れ出た。手持ちの傷薬を塗りたくり、絆創膏を何枚も重ねて貼ったが、なかなか血は止まらない。 痛みはないのだが、ベッドのシーツを汚さずに寝るのに苦労した。
 
 実は翌日、伊吹町で国見峠の旧道を探索している時にも、沢山のヒルに煩わされた。この年はヒルの当たり年だったのだろうか。 とにかく、これからは峠道ではヒルに気をつけることにする。

 
    
 
 ちょっとした峠を巡る半日ほどの旅だったが、雨に降られ、ヒルの災難もあったが、なかなか思い出深いものとなった。それにしても春日村と関ケ原町との境に旧峠があったとは迂闊だった。その峠は今もひっそり残っているのだろうか。相変わらず気になってしょうがない岩手峠であった。
 
<参考資料>
 
 昭文社 中部ツーリングマップ  1988年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル21 岐阜県 2001年1月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図(インターネットの地図閲覧サービス)
 ホームページ:ぎふこくナビ http://www.gifukoku.go.jp/
  国土交通省 中部地方整備局 岐阜国道事務所
  道の文化 美濃の峠 http://www.gifukoku.go.jp/mino/
 
<走行 2004. 9.24、制作 2005. 8. 1 蓑上誠一>
 
岩手峠前編
 

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