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鍵掛峠 (仮称)
かぎかけとうげ   (峠と旅 No.204)
  
ちょっとした林道走行で紅 葉を満喫する峠道
  
(初掲載 2012.12. 2  最終峠走行 2012.11. 5)
  
  
  
鍵掛峠 (撮影 2012.11. 5)
ここは林道鍵掛峠線の町境
手前は岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)南畑(みなみはた)
奥は同県紫波郡紫波町(しわちょう)土館(つちだて)
道は林道鍵掛峠線
峠の標高は約675m(国土地理院の1/25,000地形図より読む)
  
  
峠の名など
  
 鍵掛峠と言えば、これはもう鳥取県にある鍵掛峠(右の写真)で、大山(だい せん)を望む好展望地として有名である。しかし、今回の峠はその鍵掛峠ではない。岩手県の片隅に、ひっそり佇む未舗装林道の峠である。
 
 正確には峠に名前がない。ただ、その峠の北方、約150m離れた所に、古くからの鍵掛峠がある。新しく林道を開削する時に、何らかの事情で、元からある 峠から少し外れた地点に、車道が通されたと思われる。それで、その林道の名前も「鍵掛峠線」となっている。これなら、この峠を鍵掛峠と呼んで も、それ程苦情はないであろう。ただ、ここで取り上げる峠は、鳥取県の有名な方の鍵掛峠ではないことを、くれぐれもご了解頂きたい。

鳥取県の鍵掛峠より大 山を望む (撮影 1992.10.12)
今回の峠はこの鍵掛峠ではない
  
  
盛岡市より峠へ
  
<余談>
 この鍵掛峠の存在を知ったのは、東北旅行中に宿泊したホテルでの一夜のことであった。盛岡市は、東北本線岩手飯岡駅近くのシティーホテルの一室で、明日 は西の雫石町(しずくいしちょう)方面へ車を走らせようと考えていた。ただし、ついでにどこかを観光したい。どこかこの近くで観光する場所はと地図や観光 ガイドを眺めていると、志和稲荷神(しわいなりじんじゃ)社が目に止まった。
 
 この頃歴史付いていて、つい最近もNHK大河ドラマ「炎(ほむら)立つ」をレンタルDVDで見たばかりだ。この歴史ドラマは、奥州藤原氏に関したもの だ。今回の旅でも藤原氏ゆかりの地をいくつか訪れていた。志和稲荷神社は、その奥州藤原氏の開祖とも言える藤原経清(つねきよ)とは因縁深い関 係の、源 頼義(よりよし)・義家(よしいえ)親子による創建らしい。
 
 志和稲荷神社は盛岡市の南に隣接する紫波町(しわちょう)にある。そこから雫石町に抜けるにはと、旅行に出る直前に買ってきた岩手県の県別マップルを調 べる。すると、 おあつらえ向きの道があるではないか。志和稲荷神社の裏手にある山王海ダムの上流部から、町境を越え、雫石町の大村という所に出る。しかし、如何にもか細 そうな道だ。林道であろう。妻はいぶかっている。いくら地図に載っていても、通れない可能性が大きいと主張するのだ。しかし、行ってみなければ分らない。 ダメなら、妻が安全そうだと推薦する、矢巾町(やはばちょう)から行く雫石広域農道を使うということで、説得した。
  
<県道162号へ>
 翌朝、盛岡南IC近くから県道(主要地方道)13号・盛岡和賀線に入って、一路南下する。途中、矢巾町を通り過ぎる。鍵掛峠が越えられなかったら、この 町まで引き返して来ることになる。
 
 紫波町に入って県道162号・紫波雫石線との 交差点に気をつける。道路看板 には志和稲荷(しわいなり)と出てきた。交差点を右折し、県道162号を西に向かう。
県道162号は紫波雫石線と呼ばれるが、雫石町には通じていない。紫波町との町境には、まだ 車道が通じていないようだ。よって、紫波・雫石の町境を越える車道は、鍵掛峠の林道だけということになる筈である。
  

県道13号を南下する  (撮影 2012.11. 5)
前方に県道162号との交差点

交差点の道路看板  (撮影 2012.11. 5)
この交差点を右折、紫波稲荷神社方面に進む
  
  
志和稲荷神社へ
  

左は志和稲荷神社、右 は志和古稲荷神社 (撮影 2012.11. 5)
写真には撮ったが、看板はしっかり見てなかった
<稲荷神社へ寄道>
 県道162号に入ってからは、13号の大動脈から外れたことで一安心してしまった。たいして地図も見ずに車を 進める。途中、県道を分かれて左に分岐があったが(左の写真)、そんなことはお構いなく、ただただ県道を直進するのだった。

 
 神社の直前で道路工事があり、あたふたとしたが、T字路に突き当たった目の 前が神社だった。T字路を右に行くと、通称稲荷街道(志和街道とか志和稲荷街道とも)と呼ばれた参詣街道で、古くから盛岡市街とこの稲荷神社を結んでいた そうだ。
  
 神社はなかなか広く立派な境内で、社務所に神主さんが居られたの で、妻が早速ご朱印をお願いした。書いてもらったご朱印を二人で眺めていて、ふと気が付くと、「志和稲荷神社」とある。「」が付いているのだ。嫌な 予感がして足早に車に引き返し、地図を確認すると、志和稲荷神社と志和古稲荷神社という2つの神社が、近い距離で並んでいたのだった。源 頼義・義家ゆかりの神社は志和稲荷神社の方である。早速、車で少し南に移動し、志和稲荷神社でもご朱印を貰うのであった。両神社とも藩主南部家より篤く信仰されてい たそうだ。
 
 
尚、文献では志和古稲荷神社を「しわこいなりじんじゃ」 と読みを書いていたが、「古」は「ふる」と読むのが正しいようだ。神社の縁起にも「ふる」とルビが振られていた。古来より「古稲荷さん」と呼ばれ、親しま れてきたとのこと。

志和古稲荷神社 (撮影 2012.11. 5)
  

志和稲荷神社 (撮影 2012.11. 5)

志和稲荷神社の縁起 (撮影 2012.11. 5)
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
  
  
志和稲荷神社以降
  

稲荷坂 (撮影 2012.11. 5)
 志和稲荷神社を後に、次は山王海(さんのうかい)ダムへと向かう。志和稲荷神社前から北上川の支流・滝名川 (たきながわ)の左岸沿いを登ることになる。この道は稲荷坂と呼ばれるようだ。
 
 今回の鍵掛峠は、この滝名川の上流部に位置する。
山王海ダムは滝名川途中の山間部に築かれたダムだ。そのダムまでの道は、この 稲荷坂がメインルートであるが、志和稲荷神社直後から、寂しい道が続いている。別ルートがあるんじゃないかと 思ったが、南の新山ゴルフ場方面からダム湖上流部に通じる道がありそうなのだが、そちらの方がもっと寂しそうである。
  
稲荷坂より望む滝名川右岸の紅葉 (撮影 2012.11. 5)
  
 登り始めの稲荷坂は、あまり視界が利かないが、暫くすると滝名川の対岸に紅 葉の山肌が広がった。やはりこの時期(11月初旬)、紅葉が何よりの旅の楽しみである。生憎天気が悪く、日光に輝くばかりの紅葉とはいかないが、なかなか 見応えがある。
 
 神社から2Km程で目標のダムが見えてきた。割とこじんまりしたダムに見えた。「平安 山王海  2001」とある。

山王海ダム (撮影 2012.11. 5)
  

山王海トンネル (撮影 2012.11. 5)
山王海トンネル
 ダム堰堤の直前には、山王海トンネルが掘られている。ここを抜ければダムの堰堤である。
  
  
山王海ダム
  
ダム湖
 湖には名前がないようで、ここでは山王海ダム湖と呼んでおく。渇水期なのか、ダム湖の水が少ない。堰堤脇には管理事務所があり、その周辺は園地のように 整備されているが、全く立入禁止であった。本日が休日だからだろうか。ゲートで締め出され、堰堤脇にも近付けない。ただ、道路脇には駐車スペースがあり、 その付近にいろいろ看板が立っていて、参考になった。
 
<土 館>
 雁掛峠がある紫波町の西部は、土館(つちだて)と呼ばれる地域(大字)である。町内最大の面積を持つ。大半を奥羽山脈に取り囲まれているが、東側の平野 部は、奥羽山脈の裾野に広がった田園地帯となっている。雁掛峠を源頭として東流する滝名川の上・中流域に位置する。江戸期から明治22年(または20 年?)までは、土館村と 呼ばれる村があったそうな。その後は、他の3か村と合併し、志和村(昭和30年まで)となっていった。

堰堤近くからダム湖上 流を望む (撮影 2012.11. 5)
  

「ようこそ山王海へ」の看 板 (撮 影 2012.11. 5)
(上の画像をクリックすると、地図の拡大画像が表示されます)
 土館の山間部に築かれた山王海ダムは、田園地帯の灌漑(かんがい)を目的と したそうだ。ダム下流の滝名川から引かれた用水路(滝名川用水)が田園地帯を潤している。古くからここには水争いが絶えず、死傷者も出た程だったとのこ と。ダム建設は農民達の悲願で、昭和20年頃に着工、昭和28年に完成している。
 
 しかし、その後再び用水不足が発生した為、ダム堰堤の嵩(かさ)上げと、山王海ダムの南の花巻市(旧石鳥谷町、いしどりやちょう)に新たな葛丸ダムが建 設された。
山王海 ダム湖と葛丸ダム 湖はトンネルで結ばれていて、日本で始めての親子ダムだそうだ(左の写真)。
  
<山王海>
 このダムの名前になっている山王海とは、元々はこの地の名前であった。親子ダムの看板にも「ようこそ山王海へ」とある。土館村自身がまた幾つかの村の合併 であり、その一つが山王海村であったようだ。
 
 山王海の地域は、ほぼダム湖で沈んだ部分と思われる。「山王海部 落 ダム建設で移転前の地図」の看板(右の写真)が詳しい。
 
 古くは戦国武士山王海氏
(山王海太郎)の本拠地で、「土館字小清水に山王海館があった」と文献にある。滝名川上流の 山間部にあって、平野部とは隔絶された天然の要害の地であったとのこと。

山王海部落の看板 (撮影 2012.11. 5)
地図は上が南であるのに注意
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
  

山王海部落の説明文 (撮影 2012.11. 5)
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
 看板にある山王海部落の説明文では、「山王海太郎が城を築いた舘沢周辺が集落の始まり」とある。看板 の地図には、ダム湖上流で南の諸倉山方向から流れ下った滝名川の支流・舘沢の河口近くに山王海城跡が書かれている。
  
 水争いを解消する為とは言え、こうした歴史のある集落が湖底に沈むのは、や はり寂しい気がする。
 
 道路の
湖とは反対側に、ポツンと紫波町の観光案内の看板 があった(右の写真)。紫波町は東西に細長い。西の端に鍵掛峠があるが、一方、東の端には折壁峠がある。今回の東北旅行では、その2つの峠と2つの稲荷神 社が、紫波町での観光地となった。

紫波町の観光案内図 (撮影 2012.11. 5)
(上野画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
  
  
ダム湖畔を行く
  
<柳沢>
 ダム堰堤を後に、ダム湖の左岸沿いを上流に進む。直ぐに柳沢を柳沢橋で渡る。高みを行く快適な道である。沢の渓谷沿いに紅葉が広がる。橋の上からの眺め は素晴しい。
  
柳沢を渡る (撮影 2012.11. 5)
  
<山王海一号道路>
 先の山王海部落の看板は、こうした支流の沢が事細かに記されていて、とても参考になる。また、その地図によると、この左岸に通じる道は「山王海一号道路」と呼ぶようだ。
 
 間もなく小岩ノ目沢を
小岩ノ目橋で渡る。柳沢と同じような景色が広がる。紅葉の写真を撮るのに忙し い。
  
 ダム湖の上流部は、水が枯れて湖底が現れている(下の写真)。棚田か段々畑 か、耕作跡地と思われる地形がのぞく。その中を一筋、滝名川の細い流れが下っていた。ここも山王海集落の一部だろうか。大岩ノ目沢を渡る少し手前である。大岩ノ目前・後と呼ばれる地か。対岸に道が望める。ダム湖畔の右岸には、巡 回道路とか藤倉林道という道が、新山ゴルフ場へと下っていることになっている。
  
ダム湖の上流部 (撮影 2012.11. 5)
対岸に道が通じているのが見える
  
  
新山ゴルフ場への分岐
  

左に新山ゴルフへ分岐 (撮影 2012.11. 5)
分岐の角と、道の右側に看板が立つ
 道は湖畔沿いから一旦落葉樹の林の中に入り、大岩ノ目沢を渡る。その先、左 へ分岐が出てきた。看板が親切で、分岐方向は「至 新山ゴルフ場」 とか「葛丸ダム 21.5Km」とある。戻る方向は 「山王海ダム 3.4Km」。そして直進方向は「至雫石町 大村」とあった。これを見て、この道が雫石町へ通じ ていることをやっと確認できた。通行止などの看板も今の所ない。峠が越えられる期待が出てきた。
  

分岐の角の看板 (撮 影 2012.11. 5)

道の右側に立つ看板  (撮影 2012.11. 5)
至雫石町(大村)   山王海ダム 3.4Km
  
 新山ゴルフ場への道を覗くと、直ぐにも未舗装となっていた。滝名川を渡って 山王海ダム湖の右岸に沿い、ダム下流に位置する新山ゴルフ場方面へと続く一方、途中から南隣の花巻市(旧石鳥谷町)へ抜け、葛丸ダムへと続くよう だ。21.5Kmとは、なかなか長い道程だ。

新山ゴルフ場への道 (撮影 2012.11. 5)
  
  
平成の森近辺
  

平成の森付近 (撮影 2012.11. 5)
 ダム湖より上流の地域は、「平成の森」と名付けられ、水資源の保護が行われ ている。古いツーリングマップ(昭文社 東北 1989年5月発行)には、この付近に唯一、「小清水」という地名が書かれている。文献に山王海館があったと される場所だ。ダム湖も現在より、小さく描かれていた。嵩上げ前だろうか。山王海集落の中では、この小清水が最後まで人が住んでいた所かもしれない。
  
 しかし、道の周辺に広がる平成の森には、これと言って集落の痕跡を示す物は ない。きれいなアスファルトの道が、林の中を一筋通じているばかりだ。それまで紅葉した落葉樹が多かったが、平成の森の中は常緑樹が多い。
 
 左の滝名川方向へ分岐があった。その方にもしかしたら集落があったのか。

平成の森近辺 (撮影 2012.11. 5)
左に小さな道が分岐
 

未舗装となる (撮影 2012.11. 5)
 平成の森を過ぎたのだろうか、道が悪くなり、間もなく未舗装路となった。そ れと同時にまた黄色や赤の紅葉が沿道を彩った。
 
 ダム湖の上流に峠が待っているというケースは多い。ダム湖畔は比較的整備され、観光地ともなっている場合があるが、いざ湖畔を離れ、その先へ進む段にな るとやや緊張する。道は細くなり、今回の様に未舗装になったりする。いよいよ山の中に踏み込むのだと、ちょっとした覚悟が必要だ。
  
 未舗装になって直ぐ左に分岐がある。案内看板はない。その道は、入ると直ぐ に滝名川を渡り、真っ直ぐ対岸の山の中へと登って消えて行く。多分、舘沢左岸へと続く道と思う。その先は、山王海部落の看板で山王海城跡があったとされる 場所に通じる。史跡でも残っているのなら、寄り道したいところだ。

舘沢方向への道 (撮影 2012.11. 5)
  
  
山王海林道起点?
  

山王海林道起点? (撮影 2012.11. 5)
林道山 王海線
 
山王海部落の看 板では、舘沢への 分岐を過ぎた少し後で、道の名に「山 王海林道」とあった。そういえば、林道起点のような場所が確かにあったのだが、撮った写真はピンボケである(左の写真)。
 
 緑の旗は、多分「林道交通安全」と書かれたものと思う。林道走行している折、時々目にする。
林道標柱が立っているのだが、残念ながら林道名が読めない。「山王海林道」と あるようにも思えた。
  
 道はいよいよ山の中へと分け入って行く。林道走行で楽しむ紅葉は、絨毯の様に雄大に彩られた山肌を遠くから眺める紅葉もあるが、道の両側から包み込まれる様 な紅葉も多い。鍵掛峠の道は、どちらかというと後者である。木々が多く、遠望が利かない代わり、道路の両側や、所によっては上の方まで紅葉が迫っている。 その中を走り抜ける時の面白さ。これは狭い林道ならではだと思う。いつもは、生い茂った樹木で視界がなく、あまり面白くない林道でも、ひとたび紅葉する と、別世界の感がある。
 
 
道は、やや雨に より水溜りができた箇所もあるが、概ね走り易い砂利道だ。

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
紅葉に包まれる
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
道のやや凹凸があり、水溜りになっていた
 志和稲荷神社前からここまでの間、途中に幾つか分岐があるものの、本線を外 さず真っ直ぐ走ってくれば良かった。しかし、この先で分岐を一つ曲がらなければならないことになっている。旅行直前、少し迷った末、岩手県の県別マップル を買って来たので、それが事前に分っていた。
 
 でも、価格2,500円+税はやや高かった。これでは到底、全国の県別マップル全てを揃える訳にはいかない。岩手県だけ買えば良いというものでもなく、 今回の旅も、秋田や山形なども訪れる。しかし、一番岩手県を走ることが多いと判断し、思い切って岩手県だけ買ったのだった。
そのお陰で、この鍵掛峠の存在も知った訳 で、充分活用はできたと思う。
  
<余談/カーナビのこと>
 最 近はもう県別マップルなどの詳しい道路地図なしでは、なかなか思い通りに旅ができないと感じるようになった。そこで今回の旅では、もう一つ別の手段を新た に用意した。世間並みにカーナビを装備したのだ。ただし、7インチの画面で2万円を切る廉価版である。車への取付も全て自分で行った。
 
 以前、知人がカーナビを使っていたが、林道など木々が多い所では、なかなかGPSの受信状況が悪く、思い通りに使えなかったのを見ていた。それで、どん なものだろうかと今回試してみると、トンネルに入った時以外、現在地の追尾はほとんど100%であった。かなり木々が多い林道でも大丈夫だ。これはなかな か使える。GPS受信機の性能が向上したのだろうか。
 
 また、今春発行の最新の地図が搭載されている。市街地などの詳細地図もほぼ充分だ。全県の県別マップルを買うことを思えば、2万円は安い買い物であ る。林道などかなりマイナーな道も載っていた。
 
 それに、カーナビ本体を取り外しし易いように工夫し、宿に着いたらカーナビを部屋に持ち込んでACアダプターで操作できるようにした。旅の計画をした り、翌日の目的地を入力したり、観光案内を検索したり、宿を検討したり、移動時間を試算したり、いろいろと使える。
 
 旅の途中で妻がトイレに困った時、画面に表示されたトイレマークを頼りに行ってみると、本当に狭い路地の片隅にトイレがあった。地元の人でなければ、到 底分らない場所だった。また、当たり前の話だが、目的地までの距離や時間がリアルタイムに表示されるのは、やはり便利である。これならもっと早く導入すれ ば良かったと思った。
 
 ただ、鍵掛峠の場所を目的地として入力すると、どういう訳か、ぐるっと雫石の方へ回り込んでから、峠に登るようなルートが案内された。これまでも、辺鄙 な峠 を目的地にすると、大抵とんでもない大回りの迂回路がルート設定されたのだった。そのルートを無視して進むと、女性の声が「リルートします」、「リルート します」と連発する。それでもある程度峠に近付くと、やっと観念したのか、目の前の道をルートとして選ぶのだった。
  
 妻は県別マップルとカーナビをにらめっこし、曲がらなければならない分岐に 注意する。右手に寂しい道の分岐が出てきた。荒れた林道で通行止である。この分岐は違うようだ。カーナビが示す現在地も目的の場所とは違う。多分、日暮沢 に沿う道の分岐であろう。

右に通行止の道の分岐 (撮影 2012.11. 5)
林道標柱が立っていたのだが、内容は未確認
日暮沢右岸沿いの道だったか?
  
  
大安沢沿いの道への分岐
  
 ナビ下手な妻が気に病む程のことはなかった。その分岐は非常に分り易かっ た。しっかりした看板も出ている。ほぼ直角に左へ目的の分岐があった。直進は、ゲートなどはなかったが、看板ではこの先通行止となっている。見るからに寂 れた道だ。
  

左が峠に続く (撮影 2012.11. 5)
直進は通行止

分岐の看板 (撮影 2012.11. 5)
直進方向は通行止
  

看板の前に転がる林道標柱 (撮影 2012.11. 5)
 分岐の看板の足元に、林道標柱が転がっていた。かなり傷んでいて、肝心な林 道名が読めない。林道??線起点}とあり、ここから分岐し峠に到達する林道の起点を示 していることだけは分かる。
 
 ここまでが林道山王海線だとすれば、直進方向がその続きと思われる。このまま滝名川の左岸を、真っ直ぐ西の本来の鍵掛峠へと向かっている。峠まで直線距 離で400m程だ。道路地図などでは、その半分ぐらいの位置で、車道が途切れている。潟安沢の合流点である。更にその上流には座頭滝と呼ぶ滝があるよう だ。
  
 本来の峠道から外れ、車道の峠へ続く林道は、滝名川支流の大安沢沿いを登る こととなる。分岐の直後に滝名川の本流を渡り、大安沢左岸に沿う。車道の峠道は、本来の鍵掛峠を南に迂回して町境を越えようとしているのだ。
 
 支流の沢沿いになっても、道の勾配は緩やかなままで、グングン登って行くという感じはない。坦々と未舗装路が続いている。暫くは本流の谷間の中なので、 遠望は望めない。沢からも少し離れているので、沢の様子などもうかがえない。ただただ紅葉の中を進む。

大安沢沿いの道 (撮影 2012.11. 5)
  
  
大安沢林道と鍵掛峠林道
  

路傍に林道標柱 (撮影 2012.11. 5)

紅葉の様子 (撮影 2012.11. 5)
 
 途中、路傍に林道標柱がポツンと立っているのを見掛けた(左の写真)。「大安沢林道」とある。もっともな話だ。ここは大安沢沿いの林道 である。ただ、この先で別の名が出て来るので困る。
  

林道標柱 (撮影 2012.11. 5)

紅葉の様子 (撮影 2012.11. 5)
 
 また暫く行くと、壊れ掛けた林道標柱が立っていた(左の写真)。「五十五年度農免(峰越)林道鍵掛峠線(一工区)開設事業」とあ る。峰越の鍵掛峠線と呼ぶからには、これが峠を越えている林道であることは間違いない。それでは大安沢林道はどうなったのであろうか。
 
 これは想像だが、山王海線から分岐した直後は、はっきり大安沢沿いだが、その沢の上流部付近からは、道は沢沿いを離れ、雫石町との町境となる峰へと登っ て行く。始めの内は、道の左手に大安沢の谷があったが、いつしか道の右手に谷を望むようになる。そこで、大安沢の谷を外れてから以降を、峰越林道・鍵掛峠 線と呼ぶのではないだろうか考える。それなら、どこかで鍵掛峠林道の起点があっても良さそうだが、見掛けた覚えはない。
  

林道標柱 (撮影 2012.11. 5)
 林道鍵掛峠線の林道標柱は、その後、少なくとも一回以上は見掛けた。倒れ掛 け、ガードレールに寄りかかっている物もあった。昭和五十六年度の開設工事とある。峠を越える道が開通したのは、この時期(1981年)のことだろうか。
 
 古いツーリングマップ(1989年5月発行)では、雫石町側から峠まで車道が描かれていた。紫波町側は現在の大安沢の分岐まで林道が到達している。 1997年3月発行のものでは、大安沢の分岐から沢沿いの途中までの僅かな区間だけが、未開通となっている。
 
 峠の両側から道が伸び、峠部分の開通が一番最後になるケースが多いが、この鍵掛峠の場合は違うようだ。早くから、雫石町側からは峠まで車で行けたよう だ。
  
  
峰近くの道
  
 大安沢の分岐から3Km程も走ると、空が開けた箇所が多くなる。広くは、鍵 掛峠から東の紫波町側に広がった大きな谷を右手に見 て進む。
 
 道はまず、雫石町との境となる峰に近づこうとしている。沢沿いに峠へ直登するのではなく、南の方から峰沿いに進んで、峠を捕らえようとしているのだ。
 
 いよいよ峰近くになると、道は峰の山肌の出入りに従い、屈曲が多くなる。なかなか前方の様子が分らないまま、次から次と現れるカーブを曲がるしかない。
 
 ただ、道は同じような屈曲を繰り返しながらも、少しづつ違った様相を見せてくれる。周囲の紅葉も黄色や赤といろいろで、路面の具合も、砂利道だったり、 落ち葉に埋もれていたりと、さまざまである。

紅葉の様子 (撮影 2012.11. 5)
右手に谷間を見る
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
落ち葉の絨毯
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  
 ここまで登って来ると、少し道が荒れたと感じられるところもあるが、走行困難 なことは全くない。まあ、普通の林道である。しかし、慣れているとは言え、車がガタガタ揺れる点は、アスファルト路面とは格段の差を感じる。
 
 ふと考えてみると、カーナビはこの振動に耐えられるのだろうか。乗っている人間は我慢さえすればいいが、機械はそうはいかない。一般的にカーナビは林道 走行まで考慮された製品なのだろうか。今回購入したのが廉価版なので、尚更心配である。かと言って、カーナビを手で押さえてみてもしょうがないので、なる がままとあきらめた。

この付近が最高所 (撮影 2012.11. 5)
  

やや下り始めている (撮影 2012.11. 5)
頭上が開けている
 道は相変わらずウネウネ曲がって、いつになったら峠に着くのか、道からの視界 だけでは判断がつきかねる。すると、これまで一本調子で登ってきた坂が、心持ち下りだした。やな予感である。もう頭上は空が開け、この付近にはここより高 い場所がないくらいだ。やがて前方に広い場所が見えてきた。そこが峠であった。
  
前方にやや開けた場所が見える (撮影 2012.11. 5)
そこが峠らしい
  
  
  
鍵掛峠 (撮影 2012.11. 5)
手前が紫波町、置くが雫石町
左手脇に待避所ありの看板が立つ
  
 峠らしい峠を期待したが、この車道の鍵掛峠は期待外れだった。道の最高所は 峠より200mくらい手前にあり、そこから下って峠に着いた。鍵掛峠は路肩がちょっと広いだけで、他に峠らしいところが何もないのだ。道路脇に何か看板が 立っているなと近づいてみたら、単なる「待避所あり」の看板であった。どこを探しても町境を示すものがない。ただ、カーナビだけが確かにここが紫波町と雫 石町の境であることを示していた。
 
 地形図で見ても、鍵掛峠は稜線を鋭角に通り過ぎているので、切通しを越えるような、峠らしい峠にはならない。標高を読むと、ちょうど670mと680m の間なので、ほぼ675mと思う。本来の鍵掛峠は710mくらいなので、そこよりやや低い峰を車道が越えたことになる。紫波町側にある道の最高所で 680〜690mだ。

峠より紫波町側の道を望む (撮影 2012.11. 5)
登っている
  

峠の紫波町側の少し手前 (撮影 2012.11. 5)
ここもまだ登っている
 峠の頭上は明るく開け、路肩も広く、落ち着ける場所だが、楽しめる遠望は全 くない。概ね、紫波町側はほとんど眺望には恵まれなかった。紅葉が楽しめなかったら、つまらない道だったかもしれない。もっと落葉樹の葉が全部落ちれば、 また視界が広がるのだろうか。
 
 一挙にこの鍵掛峠に連れて来られたら、穏やかに紅葉に包まれて、ひとつコーヒーブレイクにでもしようかという気になるのかもしれないが、ここに来るまで 充分に紅葉は堪能してきている。あまり長居をしたいとも思えず、また、写真を撮るべき対象も見当たらないので、そそくさと峠を後にしたのだった。
  
峠手前からの風景 (撮影 2012.11. 5)
  
  
雫石町に下る
  

峠直後の雫石町側の様子 (撮影 2012.11. 5)
道の右側が低くなったまま
右奥に稜線の峰が見える
 峠から雫石町側に道は下るが、道の右側が道より更に低いままで、尚更峠を越 えた気にならない。峠の100mほど北に、稜線の鞍部があり、その標高が670mを切るのだ。鍵掛峠はその鞍部の南の肩の、少し高い所で稜線を通過してい た。道が峰を横切る最中、常に 右手が落ち込んでいるのだ。これでは峠らしい峠にならないのも当たり前である。走っていても、どうもしっくりこない。やや不満が残った。
  
雫石町側の道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  
 雫 石町側の道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  
 雫石町側も、なかなか紅葉は楽しめる。峠直下は相変わらず遠望がなく、代わ りに沿道の紅葉に包まれながら車を走らせることとなる。
 
 町境の稜線から西に張り出した比較的大きな尾根があり、谷を挟んでその尾根の南斜面が望めるようになる。赤や黄色の紅葉の中に、杉だろうか濃い緑が混ざ り、これはこれでまた面白い眺めになっている。
  
谷が少し開けた (撮影 2012.11. 5)
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
 道は一路、尻合川の源流の一つ、コヅトメ沢の源頭部へと下って行く。尻合川 の源流は大きく二つあり、北側にあるもう一つの源流が本来の鍵掛峠を水源とする。
 
 尚、尻合沢は滝名川と同じ北上川水系で、南畑(みなみはた)の大村で南畑川に注ぎ、その後南川となって御所湖に注ぎ、湖からは雫石川となって北上川に注 いでいる。滝名川が北上川の直接の支流で、一級河川であるのに対し、尻合川は奥羽山脈の山ひだの中に分け入った、末端の支流である。
  
  
途中に分岐?
  
 地図を見ると、途中に分岐があることになっている。雫石町から紫波町の南、 花巻市(旧石鳥谷町)に越え、葛丸川の上流部へと続く道である。確かに途中、それらしき道の分岐があったような、なかったような気がする。その分岐には、 林業関係の看板だろうか、何かの記号や「林小班」といった文字が書かれている。「入口」とあったので、分岐と思われたが、車が容易に入れそうな道ではな かった。
 
 道の途中には、その林業関係の看板以外、ほとんど看板を見ない。何か立っているなと思ったら、大抵は待避所の看板である。そういえば、この林道は狭い区 間が多く、対向車が来ると離合が難しそうだ。待避所の場所はよく把握しながら走った方が良い。

分岐? (撮影 2012.11. 5)
  
待避所の看板「この先100m」 (撮影 2012.11. 5)
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
 紅葉は確かによいのだが、そのうち見慣れて、飽きてしまう。それでなくとも 今回の東北旅行では、ほとんど毎日林道を走っていて、きれいな紅葉にもやや食傷気味なのであった。ここは一つ、パッと視界が広がって、遠方の山々の景色を 眺めたいと思うのだが、なかなか視界が開けない。その内、コヅトメ沢の左岸沿いになり、尚更遠望は望めなくなった。
 
 それでも下って来ると、杉などの常緑樹の割合が多くなり、目先が変わってくる。道の両側に並んで高く伸びた杉がそびえていた。
  
道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  
道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  
  
尻合川支流の合流点
  
尻合川を渡る (撮影 2012.11. 5)
その先に分岐
  
 木々に隠れてコヅトメ沢の様子はほとんどうかがえなかったが、最後に本流の 尻合川を渡ると、その尻合川の2つの支流の合流点に出る。そこはまた、2つの道の分岐点でもあった。
 
 峠のある峰方向にその分岐を見ると、ほぼY字になっいて、右がコヅトメ沢沿いを車道の峠に続く峰越林道である。そして左は、名前が分らないが、もう一つ の沢の右岸を、本来の鍵掛峠方向へと続く。そちらが旧峠道と言う訳だろう。

尻合川の分岐 (撮影 2012.11. 5)
峠方向に見る
右が峠へ
  

分岐の中央に立つ看板  (撮影 2012.11. 5)
 Y字の分岐の股の部分に、僅かな看板が立つ。右は例の林業関係の看板で、「638ろ7 林小班ほか 林道分岐右方向へ」とある。左の林道 を指して、「女助山国有林 北ノ股沢」とある。北ノ 股沢とは、その沢の名前だろうか。北側にある支流なので、その可能性は高い。
 
 北ノ股沢沿いの道の左側には、「一般通行禁止」の看板が立つばかりだ。林道名などは全くない。総じて、この雫石町側には、道の名前はほとんど見掛けな かった。
  

通行止の看板 (撮影 2012.11. 5)

北ノ股沢沿いの道 (撮影 2012.11. 5)
  
 分岐の2股の奥を覗き込むと、草むらの中でコヅトメ沢と北ノ股沢の流れが、 一つに合流していた。渇水期なのか、僅かな水の流れである。合流箇所は小さな池のようになり、そこが尻合川の始まりということか。
 
 峠道に於いて、川の流れは密接に関係する。古くは川の流れに沿って道が築かれることが多く、車道になってからは、険しい渓谷沿いを避け、山肌を登るよう な場合も出て来る。それでもやはり道と川の流れは、切っても切れない関係である。

2つの支流の合流点 (撮影 2012.11. 5)
  

分岐以降の道 (撮影 2012.11. 5)
 分岐から下流は、尻合川の右岸沿いの道となる。その方向の道の脇に、車が2 台停められていた。山仕事の最中であろうか。車のフロントガラスには、作業中と断り書きが置かれていた。車を見掛けたのは、山王海ダム以来のことである。
  
  
尻合川本流沿い
  
 尻合川沿いになれば、これで雫石町側の峠道もほぼ半分が過ぎた。しかし、ま だ未舗装は続く。包み込むような紅葉はなくなったが、変化に富んだ道となる。路面も締まった砂利道だったり、土の道だったりする。

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
締まった砂利道
  

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
開けた所に出た

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  

側に小川が流れる (撮影 2012.11. 5)

道の様子 (撮影 2012.11. 5)
  

正面に目立つ山 (撮影 2012.11. 5)
 途中から道の正面に目立つ山が見えるようになる。下流の南畑川沿いに、男助 山と女助山という2つの山が川を挟んでそびえている。見えているのは多分、左岸の方の男助山であろう。
 
 道は険しい山間部を抜け、徐々に平地が多くなる。沿道には棚田や牧草地のような所も出て来る。山里の雰囲気が漂い始める。
  
沿道に田畑が広がる (撮影 2012.11. 5)
  
  
舗装路以降
  
 ついに未舗装路が尽き、舗装路が始まった。本来は、舗装路が尽きた場所と言 うべきだが、やはり未舗装路の肩を持ってしまう。平成の森から始まって、距離でざっと10Km程の未舗装区間であっただろうか。カーナビで調べれば、その 距離も簡単に分かるのだろう。
 
 舗装路が始まって直ぐ右手に分岐がある。その方向には畑台放牧地があるようだ。その放牧地の為に、ここまで舗装が来ているようなものである。この地点は 尻合川の中間くらいだ。

この先で舗装路 (撮 影 2012.11. 5)
  

人家が近い (撮影 2012.11. 5)
 舗装路になって直ぐに尻合川を渡り、今度は左岸沿いとなる。尻合川はあまり 大きく蛇行することがない川なので、それに沿う道もほぼ真っ直ぐだ。
 
 沿道には水田が多く、作業小屋なども見掛けるようになる。山の向こうには雪を頂いた峰が覗いた。秋田県との境をなす、奥羽山脈の脊梁が控えている。
  
沿道の風景 (撮影 2012.11. 5)
この写真では分りづらいが、山の向こうに雪を頂いた奥羽山脈が見える
  
 ついに人家が現れた。雫石町南畑の大村地区の集落だ。集落内では道が少し屈 曲する。人家は数100mで通り過ぎ、県道(主要地方道)1号・盛岡横手線(沢内街道)に出て、鍵掛峠の峠道は終わる。
  

人家が現れる (撮影 2012.11. 5)

集落の中を行く (撮 影 2012.11. 5)
  
  
南畑の大村
  
 鍵掛峠の雫石町側の入口は、県道からの小さな道の分岐である。ここから出て きたからいいものの、ここから入るには、よほど道に詳しくないとダメである。分岐に何の看板もないのだ。県道に出た正面に比較的大きな酒屋があり、近くに 岩手県交通の「大村」バス停が立つ。それらが目印だろうか。
 
 この雫石町大字南畑は、町の南西端に位置し、雫石盆地南部の南畑川流域に広がっている。南には西和賀町(旧沢内村)との境に山伏峠を控えている。また、 花巻市との境に峰越峠もある。
 
 本来、この南畑の地は、北の盛岡市の方から南川、南畑川沿いにやって来るのが本線だ。そこを鍵掛峠は、東の横っちょからひょっこり越えて来ている。

県道からの入口 (撮 影 2012.11. 5)
  

入口周辺の様子 (撮 影 2012.11. 5)
県道を西和賀町方向に見る

入口周辺の様子 (撮 影 2012.11. 5)
県道を西和賀町方向に見る
  

県道を盛岡方向に見る  (撮影 2012.11. 5)
大村のバス停が立つ
正面に見えているのは男助 山だと思う

県道を盛岡方向に見る (撮影 2012.11. 5)
   

大村集落案内図の看板 (撮 影 2012.11. 5)
(上の画像をクリックすると、地図の拡大画像が表示されます)
 県道沿いには車を止める場所も少なく、辛うじて僅かな路側にパジェロミニを 寄せた。どこかに参考になる物はないかと探すと、やっと峠道の入口左手に「豊 かで住みよい村づくりをめざして」と題した「大村集 落案内図」の看板を見付けた。大村地区はこの鍵掛峠に続く町道周辺にほとんどの人家が集まっているようだった。道の 行き先は、「至紫波 石鳥谷」とある。石鳥谷へは車 で は直接行けないと思うのだが。
 
 峠より下って来た尻合川は、ここより数100m下流で、南畑川に注いでいる。
大村集落案内図では南畑川ではなく南川と記してあった。
  
     
  
  通じていないかとも思った林道で、幸運にも峠越えができ、鍵掛峠という峠の存在も新たに知ったのは収穫だった。面白いコースを通る峠道で、なかなか利用価 値もある。紅葉も良かった。ただ、峠そのものは良くない。もっと峠らしい峠なら、これは文句の付けようがない峠道だと思う鍵掛峠であった。
  
     
  
<走行日>
・2012.11. 5:紫波町→雫石町 パジェロ・ミニ
  
<参考資料>
・県別マップル 3 岩手県 2012年4版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典  3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 角川書店
・その他、一般の道路地図など
(本ウェブサイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料
  
<1997〜2012 Copyright 蓑上誠一>
  
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