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薩捶峠
 
さった とうげ
 
(「」の字が違いますが、フォントがないので代用です。下のお断りを参照下さい)


 
薩捶峠 (撮影 2001. 4. 7)
奥が静岡県清水市興津(おきつ)、手前が同県由比町倉沢
ここは有名でない車が通れる方の峠で、残念ながら富士山は見えない
 
お断り
 薩捶峠の「」は正しくは下の写真に示す漢字を書きます。ですが、使用しているフォントによってはこの漢字が表示されません。そこで、ここでは仮に「」の漢字を代用で使用させて頂きます。
(片仮名やひらがなでは、どうも格好がつかないもので)

清水市側の分岐にある看板
左は車道の峠へ、右は遊歩道の峠へ
 
 薩捶峠がただの観光名所で、誰もが訪れる遊歩道の峠道なら、当方としては別段の関心はないのである。わざわざこうしてこの「峠と旅」に登場することも無かったであろう。ところがバイクや車が通れる車道の峠が、別にちゃんと存在するようなのだ。そうなると話は別である。
 
 ツーリングマップルなどの縮尺が10万分の1程度の道路地図を眺めたって、それらしい道の影も形も発見できはしない。勿論観光ガイドブックなどを見ても、峠を観光する為の駐車場があることや、遊歩道の紹介は出ているが、峠道として一本の車道が通じているかどうかについては全く言及されていない。しかし、もう少し詳しい分県地図などを調べると、山沿いを細い線が清水市と由比町を繋いでいるのだ。それが果たして車が通れるだけの道なのかどうかは判然としない。しかし可能性は充分にある。有名な薩捶峠に隠れたその「陰の薩捶峠」とも言える峠道を、峠フリークとして是非確認してみたいと思うのであった。そしてその存在を世に知らしめることが、私に課せられた重大な責務なのである。
  
 東京方面から東名高速に乗った関係上、峠を行き過ぎ、清水ICで下りた。よって国道1号を少し戻ることになったのだが、交通量の多い天下の国道1号はおっかい。国道1号が興津川を渡る前に国道52号に左折したいのだが、この附近は国道1号に149号が併走し、どんな具合になっているかさっぱり分からない。単なる左折ではなく、複雑な立体交差かもしれないのだ。
 結局はよく覚えていないが、標識に従って左折したように思う。国道52号では一挙に車の交通量が減り、人心地つく。
 
 北へ向かう国道52号は、直ぐに東海道本線の上を跨ぎ、またその先で東名高速の下をくぐる。目指す「陰の峠道」は高速道路の北側を通っているものと思われる。そこで東名高速を過ぎた後の比較的大きな十字路を右折した。その道は興津川を新浦安橋で渡り、その先で迷った。でも、ここまで来れば通る車もほとんどない。車を道路脇に停めて、高速道路と平行する方向の道を調べる。すると、路地裏の様な狭い道に向かって、「薩捶峠」と書かれた看板の赤い矢印が差しているのが見付かった。
  

興津井上町
「陰の薩捶峠」へ清水市側からアクセスする
 この附近は清水市の興津井上町と言う地域である。看板が指し示していた道には、人家が庭先を連ね、のどかな風景が続いていた。

 徐々に建物の数が減り、最後の民家を過ぎると、左に林道が分岐していた。林道名は林道標識が老朽化して分からないが、別の看板に「浜石岳」とある。「浜石岳ハイキングコース」とも書かれていた。浜石岳は薩捶山に連なる稜線上にあって、最高峰の山である。

 林道を左に見てやや右にカーブするように先に進む。この分岐にも峠を差す看板が立っていて、迷うことはない。間もなく道の右側を金網が覆うようになる。その下はポッカリ開いた高速道路だ。同時に両側から山が迫ってきて、いよいよ峠道かと思わせる。

 
 東名高速はこの先薩捶トンネルに入って行く。こちらの峠道はその附近でほぼY字に分かれた。Y字の付け根に看板があるのだが、どちらの方向も「薩捶峠」を示している。これはどうしたことか。

 車を降りてよくよく見ると、左はに「由比町」、右には「ごぼう坂(遊歩道)」とある。「ごぼう坂」の方は薩捶トンネルの直ぐ上を跨いで伸びている。この「ごぼう坂」が何であるか分からないが、遊歩道に出てしまっては車では進めない。一方、左の「由比町」と示す道は、狭いながらも車が通れるだけの道幅が続いている。これは車で峠を越えられそうだ。

 それでもまだ半信半疑でいると、1台の乗用車が分岐にも迷うことなく、訳知り顔で左の道を上って行った。これでもう間違いはない。


東名高速薩捶トンネル近くのY字路
左は車道の峠へ、右はごぼう坂を経て遊歩道へ
 

車道の峠への上りが始まる
 道は峠への本格的な上りとなる。古そうな舗装路面が続く。道の脇を小さな沢が流れ、周りは木立に囲まれた暗い道だ。何の視界もない。

 途中道路脇に「駒の爪址」なる小さな石碑が建っていた。何の事かも分からず、写真だけ撮って先へ進む。

 終始道幅は狭く待避所も皆無で、対向車が来ると困ったことになる。さっきの様に車が行ったとすれば、逆に向こう側からやって来る可能性もあるということだ。それだけが心配の種である。

 
 しかし、上り始めてから1kmもしないで、対向車もなく無事に峠らしい所に出た。でも、この峠の前後が凄い急勾配だ。峠を越える直前では、フロントガラスの正面は空である。道はどうかと身を乗り出して下をのぞくと、峠を境にその先がまるで断崖にでもなっているかの様に、全く先が見通せない。恐々とゆっくりゆっくり峠を通過することになる。
 
 道はちゃんとあった。そして、富士も何も見えない暗い峠の切り通しを抜けた先には、何やら明るさが待っている。

 峠を由比町側に僅かに下ると、右へ道が分岐する。その先は駐車場で終点となっている。そこまで車を進めると、目の前に大きな海の景色が広がった。駿河湾だ。そしてお待ちかねのあの富士の絶景である。


峠から由比町側を見下ろす
かなりの急勾配だ
 

遊歩道途中からの富士の眺め
 車で峠越えはできたし、天候に恵まれて富士も眺められた。撮る写真の枚数も増える増える。

 駐車場は車が10台も入れば一杯になる程度のものだったが、幸い空きがあった。早速車を停めて、駐車場より清水側へ伸びる遊歩道を歩くことにした。その途中には展望台がり、富士の眺めはそちらの方がもっとよさそうなのだ。

 左手に広い海を見て、爽快な気分で歩く。しかし、ふと足元の道に目をやると、何やらおかしなレールの様な物が走っている。これは「モノカー」と呼ばれる小さなモノレールのものだ。山腹の僅かな土地を使って課術栽培が行われており、その収穫などに使うらしい。

 遊歩道は山の中腹を僅かなアップダウンを繰り返しながらも、ほぼ水平に進んで行く。駿河湾は絶えず左手に見えているが、富士は尾根の関係で時々見えなくなる。

 展望台は道が比較的海側にせり出し、富士がよく見える位置に設けてあった。木製で味のある展望台だ。上らずとも眺めは大して変わらぬだろうが、勿論子供の様に駆け上がって富士を眺めた。

 
 「薩捶」という言葉の意味は、「ぼだいさった(菩提薩捶)」の略で、「菩薩(ぼさつ)」を意味するそうな。遊歩道沿いに設けられた解説板によると、鎌倉時代に由比倉沢の海中から、網に掛かって引き上げられた薩捶地蔵を、山上に祀ったのが薩捶山の名の始まりとのこと。
 また、一説には「沙汰」の転化とも。

 この薩捶山が直接駿河湾に切れ落ちる海食崖の地に、通う道筋は一本ではなく、古くは上道、中道、下道の3筋があったそうな。


遊歩道途中にある展望台
木製で味がある
 
 下道は海岸沿いを通っていたが、現在の様に国道やら高速道路、鉄道が通れるようになったのは、安政元年1854年)の地震により、海岸の地盤が隆起したお陰である。それ以前は、波が引いた合間を岩伝いに駆け抜ける「親知らず子知らず」の難所であったそうな。

 一方中道は、明暦元年(1655年)に朝鮮使節の来朝を迎えるに当って、新しく山腹を開削して造られた道で、「外洞」に下っていたとのこと。
 更に上道は、中道の「峠を下るところより内洞へ抜ける道であり、この道が江戸後期の東海道本道です」と看板にある。
 
 中道開削の200後に地震で海岸線が隆起し、海岸伝いを楽に通れるようになった。それが現在の国道1号や東名高速、東海道本線の発展へと繋がることになる。
 こうなるともう山腹に上る峠道などわざわざ使われはしない。地元民が僅かに利用するだけで、それまで1級国道の役を果たしてきた道はすたれる運命となった。しかしかえってそのことが昔の東海道の面影を今に残すこととなったらしい。

 
 展望台から2〜3百mで休憩舎に着いた。そこに建つ看板には大きく「東海道 薩捶峠」とある。また興津宿と由比宿の境であるような表記も見える。実際に現在の清水市と由比町の境なのかも知れない。
 
 車道の峠の方は明確な上り下りがあり、峠の箇所も嫌と言う程極めてはっきりしている。一方遊歩道の方は、駐車場を出発してからほとんど水平移動である。最初、駐車場の場所自体が峠なのかと思っていたが、この休憩舎にも「薩捶峠」の文字がある。一体どこが峠なのかと疑問が湧き上がってきた。

休憩舎
ここは清水市と由比町の境?
ここにも「薩捶峠」の看板
 

歴史解説板近辺
 休憩舎を過ぎると次は歴史解説板があった。そこにも「清水市指定名勝 薩捶峠(昭和37年7月17日指定)」とある。どこもかしこも「薩捶峠」なのであった。

 その先は狭い道が二手に別れていた。左は海岸沿いの国道の方へ下りていくらしい。右は更に興津宿方面へと進むようだ。ここで車に戻ることとした。

 駐車場から車に乗って車道に戻り、由比町側へと進む。暫くは山腹の水平移動である。この道は歴史があるだけあって、あちこちに看板やら石碑やらいろいろ建っていて、いちいち見ていたら切りがない。それより、沿道にはみかん(ポンカンだったか?)がなり、峠道と言うよりまるで果樹園の中を走っているようである。のんびりした雰囲気を楽しむ方がいい。

 
 しかし、道は農業用の作業道の様に狭い。間違っても観光道路とは言えるしろものではないのだ。こんな所で対向車がきたら大変だと思っていると、本当にやってきた。大きな乗用車である。待避所がいくつかあるのだが、農作業の軽トラックが停まっていて、全く本来の役には立たない。
 
 双方見合って暫く困っていると、遂に向こうが意を決してバックを始めた。狭い急坂急カーブである。見ているこちらも手に汗を握る。
 
 相手の車はほとんど坂の下の方まで下りてくれた。ご夫婦が乗っていたが、最後には助手席の奥さんが下りて、誘導までして道路脇に避けてくれた。丁寧に挨拶して、離合。

由比町側へと下りはじめる
ここで対向車に遭遇
 

由比町側の峠への登り口
 坂道を下り切ったところには一里塚跡があった。江戸から数えて40番目の一里塚だそうだ。1里は約4Kmだから東京より160Kmということになる。
 峠への上り道を振り返ると、如何にも狭い道である。「薩捶峠1.3Km」の看板がなければ、入り込むのも不安な道である。この1.3Kmという距離は、駐車場までのものと思われる。由比町側では駐車場も「薩捶峠」なのだ。

 坂道に入る直前を左に進む道は、国道1号の方へと続いていそうである。しかし、その手前で東海道本線を抜けなければならない。仮に国道に出られたとしても、上り車線にしか入れないと困る。そこで、由比駅方面へ真っ直ぐ進むこととした。

 
 看板によると一里塚より由比駅まで2Km。由比の集落内の道は狭い。軒先が連なり駐車車両もあってなかなか気付かれする。

 由比駅に出る直前を右に入る道に曲がると、東海道本線の上を跨いで快適な道が始まる。暫く国道1号と並走した後、信号のある交差点で国道に合流した。相手は天下の国道1号線だから、こちらの信号待ちは長い。でも、この方が安全に出られるのでよかった。

 国道を清水市方面に走りながら、右手の山の中腹を見上げると、薩捶峠の峠道らしい筋が望める。東名高速が薩捶トンネルに入る直前附近の上が駐車場である。東名高速だとトンネルに入った後、内陸の方へコースを変えて何も見えなくなるが、国道1号線からだと、暫く右上に遊歩道の薩捶峠の道が見えている。

 薩捶峠を訪れた後は宇津ノ谷峠へと足を運んだ。ここも箱根や薩捶峠、日坂などと並ぶ東海道の難所である。また、次の機会に紹介したい。

<制作 2001.12.30>
  

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