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枝折峠
 
しおり とうげ
 
長いトンネルの代わりに越える国道の峠道
 
枝折峠 (撮影 2002.10.13)
右手前が新潟県湯之谷村、左奥が同県入広瀬(いりひろせ)村
標高は1,000m余り
道は国道352号
細い稜線の上を通過する開けた峠
 
<奥只見湖>
 
 旅の目的地として、新潟県湯之谷村と福島県檜枝岐村との境に位置する奥只見湖周辺は、非常に魅力的な地域である。奥只見ダムこそやや観光地化されてしまっていて、夏場のいい季節には観光客がひきもきらず押し寄せるが、湯之谷村から檜枝岐村に掛けて湖岸を眺めて通る道は、何とも言えない荒涼とした雰囲気が楽しめる。
 
 その奥只見湖を訪れるには、関越自動車道の小出インター方面からだと、国道352号がずっと檜枝岐村方面まで伸びている。またもうひとつ、県道50号が湯之谷村下折立で国道から分岐し、一旦銀山平で国道と連絡した後、奥只見ダムまで続いている。国道ではダムには出られない。ダムを見るにはこの県道・通称奥只見シルバーラインを使うことになる。
 
 ところがこのシルバーラインとやら、その道程のほとんどがトンネルの中ときている。これは一体どういう道なんだ。
 
<奥只見シルバーラインとは>
 
 主要地方道50号・小出奥只見線の大部分。湯之谷村下折立と同村八崎を結ぶ。トンネルの数は19あり、シルバーライン総延長22.6Kmの内、何と18.1Kmはトンネル内とのこと。
 
 昭和29年奥只見ダム建設の資材運搬道路として電源開発会社により着工、昭和32年完成、昭和46年県が譲り受け、昭和52年までは有料、以降は無料で一般開放された。
 
<トンネル>
 
 車の運転を覚え始めた頃は、トンネルというのは恐ろしい場所の1つだった。例えば中央高速の笹子トンネルや恵那山トンネルなど、数キロから10キロ近くにも及ぶ長いトンネルに初めて入る時は、もうドキドキものである。
 
 トンネル内は狭く暗く閉塞された世界が延々と続いている。そこを車で走るのだから、かなりの緊張を強いられる。途中で逃げたくても一旦入ったらもう逃げられない。休むことさえも許されない。ここで運転を誤って事故でも起こしたら大惨事である。そうでなくても、ガス欠になったらどうしよう、車が故障したらどうしようと、不安なことばかりが頭をよぎる。それに、どの車もかなりのスピードを出しているのに驚く。ついて行くだけでもやっとである。ハンドルを握り締める手にも力が入り、車線をはみ出さないように、路肩に乗り上げないようにと、出口の見えないトンネルの先をずっと凝視し続ける。何だか発狂してしまうのではないかと思えてくるのだ。
 
 そんな怖いトンネルだらけのシルバーライン。これは是非行ってみなくてはならない。怖いもの見たさである。単なる国道を走るよりずっと面白い筈だ。そこで、初めて奥只見湖を訪れた時は国道などには目もくれず、シルバーラインに突入していったのであった。
 
<国道の枝折峠>
 
 ところがその後、いろいろ噂に聞くところによると、国道352号の方にはの間に枝折峠という峠があるとのこと。そして、その道は国道と言いながらもなかなか険しく、峠道としてかなり魅力がありそうなのだ。
 
 全く迂闊であった。峠が趣味だ自負しているのに完全に見落としていたのだ。最初は枝折を「えだおり」などと誤読していたくらいで、正しくは「しおり」と読むことも、つい最近知った始末である。その道は湯之谷村の大湯から登って同じ湯之谷村の銀山平に降りている。峠の南側で僅かに入広瀬村に入っている区間があるが、一見して峠道のように見えないのだ。確かに道路地図に描かれた道はクネクネと曲がっているが、狭い谷沿いの暗い道を想像していた。まさか大展望が広がる峠道とは予想だにしなかったのだ。
 
 しかし、いざこの峠道を越えようとすると、大きな難点があった。それは峠道の全線に渡って一方通行の規制があるのだ。午前と午後で通れる方向が変わる。午前の8時から12時までは大湯から銀山平方向へ、午後の12時から4時まではその逆方向しか通れない。夕方4時から翌朝の8時まではこの規制がないが、暗くなってから峠を走ったってしょうがない。それにバイクにとってはもっとひどく、終日完全通行禁止である。
 
 行き当たりばったりの旅では、これではなかなか都合がつかず、枝折峠は越えられないまま残った。つい今年(2002年)の8月にも奥只見湖を訪れる機会があったのだが、結局旅程が合わずシルバーラインを走る羽目になった。
 しかし、いつまでもこのままで済ましてなるものか。業を煮やして遂に今回、10月12日から始まる3連休を使って、ほとんどこの枝折峠を越えることだけを目的に、旅に出たのであった。
 
<旅の出発>
 
 連休初日は適当に寄り道をした後、新潟県の六日町にある五日町というややややこしい駅の近くの旅館に投宿した。ここからなら間違いなく2日目の午前中に大湯から銀山平へと枝折峠越えができるという算段だ。しかも、なるべく朝早い時間に越えれば、誰も居なくて寂しい峠道がじっくり楽しめるだろうという魂胆でもあった。
 
 2日目の朝、7時ちょっと過ぎに宿を出発し、ひたすら国道17号を北上する。天気は上々で見渡す山並みには白い朝もやが掛かり、すがすがしい雰囲気である。小出町を過ぎ湯之谷村に入って直ぐの「井口新田」という交差点で国道352号に右折する。この近辺は小出や湯之谷の中心街で、勿論一級国道の17号沿いは賑やかに建物が連なるが、曲がった国道352号の両側にも、暫く湯之谷村の商店街の町並みが続いた。
 
 国道352号沿いの建物が閑散となる頃、一本の県道を横切る。その県道を右に入って少し進めば「道の駅ゆのたに」がある。比較的大きな施設でレストランもあり、行楽期には露店も出て賑わっている。近辺に適当な食堂がないので、昼食をとるには便利である。
 

国道352号を東に向かって行く
 国道はほぼ東に向かって真っ直ぐに進んで行く。徐々に人家が減り、代わりに田畑が広がりだす。いい雰囲気になってきた。遥か前方を望めばこれから越える山並みが、朝の太陽を背にまぶしく見えている。峠越えを目前にウキウキしてくる瞬間だ。
 
 ところがそれに水を差すように、唐突に看板が道路脇に立て掛けてあるのが目に入った。何やら「通行止」の文字が書いてあるのだ。不吉な予感。行き過ぎて慌てて車を路肩に停車。歩いて引き返し、しげしげと看板に見入った。
 
 看板の内容は10月21日からの通行止案内であった。一安心。通行止が行われるのは峠から東側で、そのまま11月中旬からの冬期閉鎖になるようである。
 
<シルバーライン分岐>
 
 交通量もほとんどない快適な国道を進むと、シルバーラインの分岐までさほどの時間は掛からない。シルバーライン入口には大きな看板が誘っており、また国道沿いには「初心者はシルバーラインへ」としきりに薦める看板がある。どうしても枝折峠は通したくないようなのであった。それほど大変な峠なのか。
 
 シルバーライン入口の左手にロータリー式の駐車スペースと側らにトイレがある。「みみずく広場」というそうだ。ここで一息入れるのもいい。

左にシルバーラインを分岐
写真では左に隠れているが、みみずく広場がある
 

奥只見レクリエーション都市公園(大湯地域)
<大湯温泉付近>
 
 シルバーライン入口を過ぎると、直ぐにまた左に道が分岐する。思わず曲がりそうになる道だ。大湯の温泉街へ続く県道らしい。国道の本線は温泉街のバイパス路の様な形になっている。国道からは温泉街の様子は分からない。
 
 代わりにその国道の右手には新しそうな公園ができていた。「奥只見レクリエーション都市公園 大湯地域」というやたらに長い名前だ。ちょっとのぞいただけだが、なかなか大規模で立派な施設である。昨夜ここに宿泊したのか、キャンピングカーなどが数台停まっていた。ただで野宿もできるのなら使ってみたい。
 
<頻繁に通り過ぎる車たち>
 
 立派な公園を過ぎ、左に栃尾又温泉への分岐を見る頃には、急に沿道からめぼしいものがなくなってしまう。さて、これからは寂しい道になるのだろうと期待していると、さっきから車が次々に通り過ぎて行くではないか。この先に何かあるのだろうか。まさか、どの車も枝折峠に向かっているとは思えないのだが。
 
 しかし、考え様によってはあの暗いトンネルばかりのシルバーラインを走るより、ちょっと道が細くて時間も掛かるだろうが、この晴天の青い空の下、枝折峠を越えた方がよっぽど気分がいいに決まっている。険しいながらもれっきとした国道なのである。通って行けない法はない。一方通行の規制もあり、あまり使われないものと思っていたが、意外と一般的に使われる道なのかもしれない。
 それにしても、車を停めて写真を撮っている僅かな間にも、1台また1台と車が峠方向に向けて走り去っていく。危なくておちおち路上に出て写真撮りなどしてられないのであった。

大湯温泉付近を過ぎ、左に栃尾又温泉への分岐
ここより道沿いには目に付く建物がなくなる
こうして写真を撮る間にも、後方より車がやって来る
 

右に駒の湯温泉への寂しそうな道を分岐
ここより先は12時から16時まで通行禁止
バイクは終日ダメ
<いよいよ峠道の始まり>
 
 右手に駒の湯温泉へ続く狭くてさびしそうな道の分岐を過ぎると、いよいよ本線の国道の方も道幅がぐっと狭くなる。そこの道路上には例の通行規制を示す道路標識がでかでかと掲げてあった。
 
 道は勾配を成し、俄然峠道らしくなる。「銀山平17Km、枝折峠10Km」と書かれた看板が出てきた。峠まで10Kmとはなかなかの距離である。時間はちょうど8時を回ったところ。これからは本来対向車があってはいけない筈だが、勿論一台の対向車も来ない積もりで走る訳にはいかない。特に狭い急カーブに気を付ける。案の定、その後数台の対向車とすれ違った。 
 
<開放的な峠道>
 
 道は登り始めると直ぐに暗い谷底を離れ、視界が広がり開放的になる。世の中にはいろいろな峠道があるが、険しくともこんなに空が開けていれば気が晴ればれするというものだ。反対に、険しい上に林に覆われた沢沿いの谷底を延々と走る峠道があるが、これにはちょっとうんざりさせられる。必要以上に気を使って疲れてしまうのだ。
 
 道幅は1.5車線の狭さになったり、元のセンターラインのある2車線幅になったりを繰り返す。ところによっては大規模な改修が行われたのか、見違えるほど快適な区間もある。噂に聞く険しさなど、どこ吹く風だ。わざわざ一方通行の規制をする程のものかと思う。険しさを感じないのは、青く広がった秋空のせいだろうか。それでも、だんだん1.5車線の割合が多くなってきた。側らの谷も深くなってくる。

開放的な峠道となる
 

駒ケ岳を望む
<越後駒ケ岳を望む>
 
 峠道を登り始めてから直ぐに気が付くが、峠に向けて右手に目立つ山がそびえている。景色として眺める山並みは好きだが、個々の山についてはあまり関心がない。それでもその山だけはどうしても気になる存在である。山全体に岩が露出しているかのように茶色をしていて、他の緑の山とは一線を画している。
 
 地図からすると、それは多分、「越後駒ケ岳」だったと思う。峠道の全線に渡り、ほぼ終始その姿が目に入る。時折見えなくなるが、また顔を出すと何となく安心する。登山に関しては詳しくないので分からないが、名の知れたな山なのかもしれない。
 
<偽りの峠>
 
 ひとしきり道を登って来ると、前方に峠の様な所が望めた。でも側らに立つ標識によると峠まで後6Kmある。どう見たってそこまでそんな長い距離はない。どうも怪しい。
 
 途中「駄尾第1スノーシェッド」というのを抜ける。スノーシェッドとは降雪時に路面に雪がなだれ込むのを防いでいる設備だ。中はトンネルの様に暗かった。ところで、その後「駄尾第2」というスノーシェッドがどこかにあったかどうか記憶にないのである。

奥の山並みに鞍部のような所が見えるが・・・
標識には「銀山平13Km、枝折峠6Km」とある
 

ここは「駄尾」
この先「県境 45Km、銀山平 10Km
<駄尾>
 
 スノーシェッドを抜けて間もなく、その峠の様に見えた場所に到着した。「駄尾」(だお)と書かれたバス停がぽつんと立つ。ここはもう湯之谷村と入広瀬村との境となる稜線にほど近く、ちょっとした鞍部の様な地形になっているようだ。だから遠くからはまるで峠の様に見えたのだった。
 
 バス停の時刻表には7時代に行きが一本、16時代に帰りが一本あるだけだった。それよりも、バスが通っていること自体が脅威に思えた。駄尾より銀山平まで10Km、大湯温泉まで14Kmとバス停にはあった。道を登り始めてからここまでの間、他にバス停はなかったように思う。
 
<次々に登って来る車>
 
 駄尾でうろうろしていると、またしても車が一台登って来た。ちょっと立ち止まって辺りの様子をうかがっていたが、また峠に向けて走り出した。
 
 駄尾以外にも時々車を路肩に停めては写真を撮ったりして来たのだが、その間に車が1、2台追い越していったり、下に眺める道を車がトコトコ登って来るのが望めたりした。これは一体どうしたことか。
 
 これだけの峠道でこんなに交通量があるというのはあまりない経験である。いつもなら、せいぜい1、2台の車とすれ違うのが関の山の筈だ。これではまるでちょっとした観光道路の様相である。晴天の休日に紅葉でも眺めようとドライブに来たのだろうか。それとも他に特別な理由があるのだろうか。謎は深まるばかりである。

一段と眺めがよくなった
ぽつりぽつりと車が登って来るのが見えた
 

かなりの高度感がある
<稜線沿いの道>
 
 駄尾を過ぎても道は稜線を越えることなく、稜線に寄り添うように更に登って行く。峠まで残すところ約3Km。まだひと踏ん張りあるようだ。右手に雄大な景色が広がる。こんなに高くまで登って来たのかと驚かされる。
 
 そろそろ峠が近付いたなと思い始めた頃、道路沿いのところどころに僅かな路肩を選んで車が窮屈そうに並んで停まっている。何となく嫌な予感がした。でも、とにかく峠まで行ってみなければ仕方がない。
 
<峠は大賑わい>

 思った通り、峠は車で大混雑していた。所狭しと車が並んでいて、しばしの間車を停める場所を確保するのにも苦労する始末だ。どうにか横に車1台が通れる幅を残し、ハザードを点けて路肩にキャミを停車させた。こんな時、小さな車でよかったとつくづく思う。
 
 この枝折峠は登山基地なのであった。峠に停められたこれらの車はほとんど全部登山客のものである。峠に来る途中で見掛けた次から次へと登って行く車は、この枝折峠からの登山目的だったのだ。
 
 考えてみれば、終始望んでいた越後駒ケ岳、峠道を一日1往復するバス、一方通行規制、これらはこの登山事情を暗示していたのではなかったか。


枝折峠は大渋滞
おまけにテントも張られている
 

左奥が湯之谷村、右手前が入広瀬村
 今しも3連休の中日。最高の秋晴れでそろそろ紅葉も綺麗に色付く頃となっては、車で峠越えを楽しむのにもいいが、同時に絶好の登山日和だったのである。今日これからの登山に備えて支度を整えている者。同行する仲間がやって来るのを路傍で手持ちぐさたに待っている者。昨夜はここに宿泊したのか、峠の片隅にはテントも張られていた。枝折峠は登山客の車と人で大賑わいである。
 
 それにしても、この新潟ではそんなに登山が人気なのだろうか。駒ケ岳とはそんなに人気のある山なのだろうか。枝折峠にはトイレや僅かな駐車スペースが設けてあるが、車も人も完全に許容量オーバーだ。遅れて来た車は駐車スペースがなくて立ち往生。それに後続の車がつっかえる。落ち着いてのんびり景色を楽しいんでもいられない。寂しい峠越えを楽しむ積りが、全くの期待外れであった。
 
<峠の変遷>
 
 どうも、現在の峠とは違う所に旧峠があったそうである。それは、古く寛永18年に開発された上田・白峰銀山の、銀を搬出するために高田藩が整備した銀山街道上にあったそうだ。銀山平から3宿場後、小出町から4宿場の距離である。
 
 銀山平は元禄年間を最盛期とし、人家1,000軒、3寺院、3青楼にも及ぶ銀山町として栄え、峠も年間1万人にも及ぶ往来で賑わったそうだ。しかし、安政6年浸水事故により銀山が閉山となると、峠も廃道となっていった。

登山道の入口
 

峠から眺める湯之谷村側の景色
 現在の峠には明治44年に林道が開通し、それを拡幅してその後の国道352号となっている。昔は銀山の道として賑わった枝折峠だが、今は登山の道として賑わいを見せている。この様子だと、多分今の賑わいの方が上を行っているのじゃないだろうか。
 
 
<峠名の由来>
 
 文献によると、「尾瀬三郎源頼国が長寛元年にこの山に入って道に迷い、童子が木の枝を折りながら道案内したという伝説による」とのことだそうだ。
 
 この枝折峠は信濃川水系魚野川と阿賀野川水系只見川の分水嶺をなしている。峠はその稜線をほとんど平行に越えている。細い稜線の真上を道が通過しているのだ。峠からは勿論湯之谷村側に壮大な景色が広がるが、入広瀬村側もなかなかいい眺めだ。
 
 ただし、眺望をのんびり楽しんだりと、あまり長居はできそうにない。こうしている間にも、次々と車がやって来て立ち往生している。そそくさと写真を撮り、自分の車も身動きできなくなる前に、さっさと峠を下ることにした。

峠より入広瀬村側を望む
 

入広瀬村側より峠方向を望む
<入広瀬村側に下る>
 
 狭い道の路肩に停まる登山者の車は、峠の入広瀬村側にもしばらく続いていた。そこを過ぎるとやっと人心地である。登山客ではなく、峠を越えてこちら側に下って来る車もちらほらいるが、その数はぐっと少ない。これから先は少しは落ち着いて走れそうだ。
 
 大湯から峠は奥深く、長い距離を進んで峠に到達していた。それに対し、入広瀬村側は比較的短距離で一気に高度を下げていく。豪快なヘアピンもある。開けた峠道であるのは変わりない。
 

銀山平へ下る
山には薄もやが掛かっている

沿道の紅葉もなかなかいい
 
 山には薄もやが掛かり、光の加減か幻想的な白い帯をなしている。紅葉も太陽の強い光を浴びて色が映えている。まだ9時を少し過ぎた時刻である。早い峠越えが奏功したようだ。早起きは三文の得というのは本当である。
 
 道を下る途中、一部に短いが工事箇所があった。10月21日8時からの通行止になる箇所だ。今回の旅がもう1週間遅ければ越えることができなかったことになる。間一髪であった。
 
 かなり下った所でまた稜線の峰が望めた。峠は隠れて判然としないが、峠直下の大きなヘアピンカーブが確認できた。

稜線の峰を望む
 

石抱橋を見下ろす(左隅)
右の赤い橋は前ー橋(まえぐらばし)
<銀山平へ>
 
 稜線が視界に入らなくなった頃、今度は眼下に眺めが広がる。これから下る銀山平の「石抱橋」(いしだきばし)が見えた。銀山平は大湯と同じ湯之谷村である。よってどこかで入広瀬村からまた湯之谷村に戻ったのだが、それには全く気が付かなかった。ただし、石抱橋が見えたらもうそこは湯之谷村である。
 
 石抱橋から少し右に目をやると、赤いアーチ型の橋が見える。「前ー橋」(まえぐらばし)というそうだ。その更に右手に目をやると、箱庭のように三角屋根の山荘の様な建物が並ぶ。最近開発された「銀山平森林公園」である。
 
<銀山平森林公園>
 
 大湯には奥只見レクリエーション都市公園があったが、銀山平の森林公園も負けてはいない。まだ一部工事中のようだが、完成している部分も多い。広い敷地内には宿泊用らしいロッヂが立ち並び、銀山平温泉「白銀の湯」という共同浴場も営業している。ゆったりした駐車場に綺麗なトイレがただで使えるのがうれしい。周囲には散策路も整備されているようだ。
 
 ただ、残念なのはキャンプサイトらしいものが見受けられない。それにお金を払わずただで野宿しようとする者には、ちょっと立派過ぎて場違いな所でもある。こうした大規模な設備があちこちに整えられるのも悪くはないが、簡単な水場とトイレがあり、あとはただ広い地面があるだけで自由に使っていいという場所を造ってくれる方がもっとうれしいのだが。

銀山平森林公園を見下ろす
 

石抱橋(峠方向を見る)
<石抱橋に到着>
 
 石抱橋まで降りて来ると、橋の手前に峠方向に向けて交通規制の道路標識が立つ。8時から12時まで車両通行禁止。枝折峠の銀山平側の起点はこの石抱橋ということである。道路標識と並んで次の様な看板も立つ。「枝折峠は転落事故多し! 初心者はシルバーラインへ」と。
 
 橋の付近は少し賑やかだ。車を停めて散策している家族連れ。「北ノ又川」の川原に下りて水遊びしている子供たち。登山の途中で休んでいる夫婦連れ。道路脇には山荘が立ち、その反対側にはトイレがある。でも、トイレを使うなら例の銀山平森林公園の方がよっぽどきれいである。
 
 橋の袂には例の1日1往復の南越後観光バスのバス停「石抱橋」があったり、石碑が立ってたり、その他ごちゃごちゃいろいろな看板が立ち並ぶ。その中に、「古道 銀の道 入口」という小さな標柱が目にとまった。北ノ又川の左岸に沿ってさかのぼる道を指しているようだ。これを歩いて行けば、旧峠にたどり着くのであろうか。
 
 橋を渡るとT字に突き当たる。左に行くのが国道の本線である。右に行けば直ぐに森林公園で行き止まりだ。桧枝岐方面から真っ直ぐ国道をやって来ると、うっかり石抱橋を見過ごすことがある。橋の袂でぶらぶらしている最中にも、2、3台の車が森林公園目掛けて突き進んで行った。しかし、程なくして引き返してきたのであった。

石抱橋の上より「北ノ又川」上流を眺める
 

銀山平森林公園の一角
<帰り道>
 
 さて、無事に念願の枝折峠を越えた。やや期待外れのところもあったが、まあまあ満足である。問題はこれからどこに行くかである。とにかく枝折峠を越えることが先決で、それから後のことはあまり考えていなかったのだ。
 
 国道をそのまま檜枝岐村方面に出る道は、荒涼とした奥只見湖を眺めてなかなか楽しい。しかし、楽しみながら走れるのも最初の数回までである。それ以上回を重ねると、考えただけでも気の遠くなる程長い道程に思えてくるのだ。特に2ヶ月前の8月にも1度通っている。また、あの長い道を走るのかと思うとウンザリだ。
 
 そこで、シルバーラインを使って大湯に引き返すことにした。これでは本当にただただ枝折峠を訪れる為だけにやって来たようなものだ。全くこんな無意味な旅はない。しかし、まあ、たまにはいいことにする。
 
 石抱橋から国道を行くと1Km強で左にシルバーラインに連絡する道が分岐する。シルバーラインとの合流点は「銀山平入口」というトンネルの中のT字路である。信号はあるにはあるのだが、合流する側は赤の点滅である。これではあってもなくても変わらない。暗いトンネルでの合流はなかなか緊張する。
 
 大湯方向のシルバーラインは道が空いていたこともあり、銀山平入口から下折立で国道に出るまで、僅かに15分程で戻って来られた。一方、枝折峠を越えての行きは、いろいろ道草をくったりしたので2時間以上掛けている。 帰りのシルバーラインでは別にスピードを出した訳ではない。寄り道する所がないのである。それどころか、時折大型の観光バスの対向車があり、そのたびに車速を十分落としていた。
 
 多分、観光バスは大勢の客を乗せて奥只見ダムに向かうのだろう。後ろに乗用車を何台か引き連れて、また1台また1台。時には数台連ねてやって来る。狭いトンネル内でこれとすれ違うのはなかなかスリルがある。前方からやって来るのが見えた時は、そのバスだけでトンネル内がいっぱいになっているんじゃないかと思える程だ。巨大な怪物が迫って来るような恐怖である。
 
 シルバーラインで舞い戻ってしまったが、こうなったらもうあまり遠くには行かず、昨夜泊まった六日町やその周辺を隈なく探訪することにした。八海山展望台や三国(さぐり)川ダム・しゃくなげ湖・十字峡、五十沢(いかざわ)キャンプ場、十二峠・魚沼スカイライン・八箇峠展望所、未開通の清水峠へ続く国道291号の車道終点。それまで名前も知らなかった六日町近辺を1日中たっぷり満喫した。夜は塩沢町巻機(まきはた)山キャンプ場に泊まって次の日帰宅した、2泊3日の旅であった。
 
<終りに>
 
 10年も前ならまだまだ未舗装区間も残す本当に険しい峠道だったろうが、今の枝折峠は全線舗装でガードレールも完備ときている。登山客や一般の紅葉見物のドライブの車が大勢押し寄せる道路となっていた。峠の麓では森林公園などが新しくでき、観光地の雰囲気で一杯だ。看板にあったように、車の運転の初心者にとってはそれなりに注意が必要だろうし、バイクが無謀な走りをすれば事故となる危険のある道には違いない。でも、他にいくらでも険しい峠道を知っているので、それらに比べると枝折峠は難なく越えられる峠に思えてしまう。
 
 一方、車の運転はもう長年経験しているというのに、相変わらずシルバーラインを走るときは初心者の様にドキドキして緊張した。峠越えは慣れたが長いトンネルは苦手のままのようである。今回初めて越えた枝折峠より、何度か走っているシルバーラインの方がずっと怖いと思うのであった。
 
<参考資料>
 ・角川 日本地名 大辞典 新潟県
 ・昭文社 ツーリングマップル 関東 1997年3月発行
 ・人文社 大きな字の地図  新潟 2001年4月発行
 ・国土地理院ホームページの2万5千分1地形図より
  奥只見湖(北西)
  大湯(南東)
  八海山(北東)
  未丈が岳(南西)
<制作 2002.11.25>
 
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