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太良ヶ峠 (太良峠)
 
たらがとうげ/たらとうげ
 
山梨県の大都会・甲府市に至近の峠道
 
太良ヶ峠 (撮影 2002.11.17)
手前が山梨県甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)
奧が同県山梨市切差(きっさつ)
標高は約1,120m
道は主要地方道31号・甲府山梨線
左側の道路標識には「山梨市街14Km、国道140号12Km」とある
 
 山梨県にこんな峠があるよとメールで薦められ、それなら今度機会を見つけて越えてみようかと、よくよく調べてみたところ、昔一度だけ越えたことがある峠だった。それがこの太良ヶ峠である。
 
 太良ヶ峠は山梨県の県庁所在地でもある甲府市の北方に位置し、JR中央本線甲府駅から直線で7、8Kmの至近距離である。峠道は甲府市と山梨市を結んでいるが、両市を行き来するなら下界を通る国道140号を走る方がよっぽど理にかなっている。そこを太良ヶ峠はわざわざ山の中を迂回している峠道だ。
 
 こんな峠をどんな動機で越えたか今となってはほとんど覚えがないが、所持している道路地図には峠道に沿って色あせた黄色のマーカーが引かれている。これはその道を確かに通ったという証拠である。多分、ジムニーを走らせての日帰りドライブで山梨県を訪れ、その折についでとばかりに越えたのだろう。その日付も分からず、写真などの記録も全く見当たらない。
 
 もう10数年も前のことでは、今更何の手掛かりも探しようがなく、あとは自分の頭の中の記憶だけが頼りである。峠に車を停め、峠の側らに立ち、暫しそこからの眺めに見入ったことが、おぼろげに思い出される。甲府市の中心からも僅かな道程なのに、随分と山深い所にひっそりポツンと佇む小さな峠だなと思った。それにしては、足元にビニールの菓子袋やプラスチックの弁当箱など、打ち捨てられたゴミがやたらに多く、それが見苦しいく不可解な気がした。あまり長く居たいとは思われず、さっさと峠を後に、どこぞへと先を急いだのだった。
 
 当時はツーリングマップの代わりに、エスクード発行の道路地図を多用していた。残念ながらそれには峠名が記されていなかった。峠の名前も知ることがないまま、太良ヶ峠を越えたことは、徐々に記憶から消えていってしまったらしい。
 
 そんな太良ヶ峠を再び訪れたのは、山梨県の山の中の温泉にでものんびり浸かってこようと思い立ち、1泊2日の旅に出掛けた初日のことであった。東京都の奥多摩の方から国道411号・青梅街道で柳沢峠を越え、裂石で国道と分かれて上日川峠を越え、最近できた上日川ダムなどを見学して大和村に入り、勝沼町を抜けて山梨市街へと入ってきた。
 
 山梨市側から太良ヶ峠へ向かうには、まず国道140号・秩父街道を目指す。この国道はあの雁坂トンネルで埼玉県の大滝村栃本へと通じる道である。県境となる雁坂峠の部分は長年国道が未開通のままで、それまで埼玉県と山梨県を直接結ぶ車道は一本も存在しなかった。それが雁坂トンネルの完成に伴い、1998年4月より一般車両も通れるようになったものだ。
 
 国道140号からは八幡橋西詰の交差点より分岐している県道(主要地方道)31号・甲府山梨線に折れる。国道上には道路標識があり、県道沿いにある窪八幡神社を目印にすれば分岐に迷うことはない。
 

神社の鳥居をくぐる
正面が窪八幡神社
 県道に入ると車道がそのまま鳥居をくぐっている。鳥居には何故か「大井俣神社」とある。そのまま進むと正面に窪八幡神社がドーンと立ちはだかる。県道をただ真っ直ぐ進めばいいと思い込んでいる者は、非常に困惑することになる。そのT字路の周囲をすがるように見回しても、役立つ標識も何もないのだ。
 
 ツーリングマップル程度の粗い縮尺の地図では、よくよく見ないとそのT字路をどちらに進んでいいか分からない。私は幸い縮尺1:30,000の県別マップル山梨県を持っていた。右に折れればいいことは先刻承知である。そして直ぐに左に曲がる。後はバス路線でもある本線の道をそれずに進めば、ほぼ一本道で峠に通じる。
 
 それにしても、仮にも主要地方道でありながら、神社の周りのクランクに道路標識がないのは不親切なことだ。地図の下調べなどあまりしない以前の私なら、完全に迷っていたことだろう。
 
 神社を左に見て過ぎれば、その後はもうそれ程高い建物などはなく、比較的見通しはいい。道は住宅街の路地の様に狭かったりするが、閉鎖感はない。道は概ね西へと進んで行く。その内、前方に山梨市と甲府市を隔てる山並みが見えてくる。道を行き来する車もほとんどなくなってきた。
 
 人家が点在する地区を過ぎると、道幅が俄然広くなる。センターラインもある直線的な2車線路である。交通量が少なくなるほど道が良くなるのが何とも皮肉である。

前方に峠の山並みを望む
 

山肌は冬枯れ色
 標高は500mを越え、山肌が近付いてくる。季節は11月中旬で、紅葉のあでやかさはないが、冬枯れの落ち着いた雰囲気がある。
 
 道の左手には兄川を中心とした緩傾斜地が広がる。刈り取られた稲の跡が残る棚田や段々畑が眺められる。この田畑はなかなか見事なものだ。こういう日本的な風景には心が和ませられる。将来はこの山梨県に移り住んで、田舎暮らしをやってみようなどと夢見ているが、本当にこんな景色が身近にある暮らしが羨ましく思う。
 

道の左手には耕作地が広がる
(山梨市街方向を見る)

棚田や段々畑が見事
 
 谷が狭まり道は右手の山肌に沿って進むようになる。いつしか谷間に田畑が見えなくなる。
 
 県道に入ってから道路標識らしい道路標識はほとんどなかったが、やっと峠方向を示す標識が1つ現れた。それには「甲府(Kofu)18Km、太良峠(Taratoge Pass)6Km」とある。差し引き、峠から甲府側は12Kmの計算になるが、山梨市側もほぼ似たような距離だ。トータル24Kmほどの峠の旅ということになる。

道路標識が現れた
 

峠方向を示す道路標識
 ところで、その道路標識によれば、峠は「太良峠」と書き、読みは「たらとうげ」である。道路地図によっても、記述がいろいろ異なる。例えば以前のツーリングマップでは「太良ヶ峠」と記され、最近のツーリングマップルには「太良峠」とある。
 
 国土地理院の地形図やホームページの地名検索では「太良ヶ峠/たらがとうげ」とあったので、ここではそれを優先しているが、現地に立つ標識に「太良峠/たらとうげ」とあるのでは、そちらも捨て難い。
 
 他にも、「太良賀峠」とか「多羅が峠」、「多羅賀峠」と書いたり、「太良峠」と書いても「たらがとうげ」と読ませたりと、まちまちである。
 
 道は狭い谷間に入り、兄川の直ぐ側らに沿って屈曲する。この付近からは山梨県の切差(きっさつ)という地区だ。峠への登り坂が続くが、それほど急勾配ではない。カーブは多くなったが、車を走らせ難いとは感じない。これからどんな峠道が待っているかと、期待されるところだ。

谷が狭まる
 

切差の集落を見下ろす
 しかし、道は平凡に進んで行く。沿道にあまり見る物はない。ただ、途中で集落内に通る急なS字の坂を登るのが印象的である。なかなか立派な家屋も建っている。
 
 この切差地区は養蚕を主としていた山村であるとのことだ。昔、東京都の八王子市にあった父の実家では、小規模ながら養蚕を営んでいた時期がある。八王子は古くから絹織物で有名な土地柄だ。実家の古い大きな茅葺きの母屋には、はしごを上ると薄暗い天井裏があり、そこで蚕を飼っていた。子供の頃に何度か見た覚えがある。間もなく養蚕は行われなくなり、その古い家も取り壊された。切差の集落を見ていたら、その頃のことを思い出した。この地ではまだ養蚕は行われているのだろうか
 
 集落を登りきり、下を見下ろすと、谷間に築かれた集落が、なかなか壮観に眺められる。
 
 切差は山梨県側最後の集落となり、その先は暫く細い道が谷間を縫うように走る。最後に急な坂道を駆け上ると、ひょっこり峠に着く。
 
 峠の山梨市側の道は全般的に走りやすいという印象だ。実質的にも窪八幡神社から時間にして30分にも満たない。また、山の奥の方まで集落があり、集落を抜けてから峠まではさほどの距離もないのも、あっけなく峠に着いたと感じさせるのだろう。

峠直下の様子
集落方向を振り返る
 

山梨市側から見る峠
(逆光でいい写真にならなかった)
 峠の部分はS字にカーブしている。
 まず最初の左カーブで右手に1本道が分岐する。水ヶ森林道だ。「幅員4.0米、延長20.063米」と書かれた林道起点の標柱が立っている。
 
 この時は舗装工事の為、迂回路が示されていた。そのコースは一旦切差に戻って北の牧丘町に抜け、東山中部林道を経て一ツ木林道で水ヶ森線の途中に合流するというものだった。
 
 また、冬期は通行規制もあるようだ。12月20日から4月30日までと看板にあった。起点から5Kmの所にゲートがあるらしい。今はちょうどその規制期間に当たるが、目の前を1台の4WD車が平然と水ヶ森線に進んで行った。
 
 太良ヶ峠は甲府市と山梨市を行き来する峠道としては、沿道に住む者を除けば、前述の様にあまり価値がないと思われる。しかし、この水ヶ森林道に通じる道として、使われることが多いのだろう。
 

水ヶ森林道の分岐
クリスタルラインの看板も立つ
左の尾根上へと登山道が始まっている

水ヶ森林道起点に立つ看板
 
 峠の次の右カーブで左へまた別の道が始まる。こちらはゲートで通行止だ。NTTの看板が掛かっている。ゲート越しに見る限りでは未舗装路が伸びていた。この道の先にNTTの中継局でもあるのだろう。ゲートの前には車が1台駐車されていた。登山者の物だろうか。
 
 
 さて、峠の屈曲を過ぎるとその先で、甲府市側の眺めが大きく広がる。太良ヶ峠は連なる峰を乗り越えるような豪快な峠越えとはいかず、峠自身もこじんまりしたものだが、この眺めだけは光った存在だ。

NTTの道
 

甲府市側の眺め
 つい最近になって知ったことだが、この太良ヶ峠は地元ではちょっとは知れた夜景スポットだそうだ。今回はもやに霞んであまりいい写真も撮れなかったが、これが夜ともなると、甲府市街の灯りが眼下に広がり、なかなか見ごたえがあるらしい。
 
 それで、最初にこの峠を訪れた時、甲府市側を眺め渡す足元のガードレールに、ゴミが散らかっていた理由が分かった。夜景を見に来た者達が、飲み食いした挙句に捨てていったのだ。
 
 ゴミを捨てて何とも思わないような神経で、本当にきれいな夜景が見えているのだろうか。すさんだ心にきれいな物が写る筈がない。素晴らしい眺めを素晴らしいと受け取れるかどうかは、それを見る人間側の感受性に拠るところが大きい。同じ眺めを同じように目に写していたとしても、そこから受け取れるものの大きさは人によって違う。ちょっとしたことでも感動できる、きれいと思える、そんな感受性を持ち続けたいものだと思うのだが。
 
 太良ヶ峠は北西の帯那山(おびなやま、1,347.4m)と南東の棚山(1,171m)とを結ぶ稜線上の鞍部に位置する。帯那山は吉野ザクラの名勝と知られ、峠からは登山道が通っている。
 
 この峠は古くは秩父往還の裏街道の要所であり、切差地区の戸市集落には関門があったといわれるそうだ。秩父往還とは、山梨市で青梅街道(現在の国道411号)と分かれ雁坂峠を越え、甲府と武州秩父郡を結んだ道である。現在では前出の国道140号・雁坂みちという訳だ。
 
 また、甲斐は武田信玄ゆかりの土地だけあり、信玄公が恵林寺(えりんじ)に赴く時、この太良ヶ峠をしばしば越えたといわれる。恵林寺は国道140号の近く、塩山市小屋敷にある臨済宗妙心寺派を代表する名刹だ。信玄公は今、この恵林寺に眠る。

尾根上より甲府市側を見る
 

尾根上より山梨市側を見る
 水ヶ森林道の分岐の左脇から、尾根上へと登山道が始まっている。登山標識には「帯那山へ」とある。ちょっと登ってみると、尾根上から峠の様子や甲府市街を眺められる。
 
 尾根の林の中の更に奧をのぞくと、小さな砲台を思わせるような物が造られてあった。近付いてみると方位標識だった。展望が開ける方向に向かって、いろいろな山や峠の名前が記されている。年代を感じさせる古そうな代物だ。現在地として「太良峠」とある。工事看板などを除けば、この峠に峠名を記したものが他にないので、これは貴重である。
 
 方位標識には標高らしい数値として「1123M」と書かれている。これは尾根上にあるので、車道の峠の標高は1120mといったところだろうか。なかなか役に立つ方位標識ではあるが、ここにも落書きが無数に書かれ、気分が悪くなるほど見苦しい状態になっている。
 

方位標識

方位標識に「太良峠」とある
 
 峠から甲府市側への下り始めは、1.5車線くらいの幅があり、勿論舗装路でちょっとさびれた峠道にはありがちな何でもない道だ。
 
 最初に太良ヶ峠を訪れた時は、多分こちらの甲府市側から登ったのだと思う。峠のおぼろげな記憶以外には、その途中の峠道に関してなど全く何の印象も残っていない。だからこうした何の変哲もない道がずっと続いているのだろうと思った。

峠から甲府市側への下り
 

峠方向を望む
この付近にはもう人家がある
 それが間もなく幅の広い2車線路に変わった。比較的新しそうな道である。太良ヶ峠もこんな所まで道路拡幅の波が押し寄せてきたのだなと感じさせる。
 
 同時に僅かながらも人家がポツリポツリと現れた。やはり集落の為の道路改修なのだろう。山梨市側でも最後の集落を過ぎると、途端に道幅が狭くなっていた。
 
 道はヘアピンカーブを混じえて一気に下る。山梨市側に比べ、この甲府市側は走り応えがある。峠道らしさが感じられる。
 
 後はこのまま甲府市街まで快適に下れるものと思い込んでいると、それがとんでもなかった。一瞬道がなくなったのかと思わんばかりの極狭の古い道がまだ残っていた。広い道から入り込めば、その狭さをなお更痛感することとなる。
 
 路面はコンクリート舗装で、林道に毛が生えた程度のお粗末な道だ。それが暫く続く。崖っぷちのような危険な場所ではなく、谷間の林の中を進むので、怖いことはないが、間違っても対向車など来て欲しくはない。

狭い道が現れた
 

コンクリート舗装の狭い道が続く
 夜景を見物しようとする者は、夜中にわざわざこんな道を登って行くのだろうか。勿論街灯など皆無で、漆黒の闇であろうに。暗く曲りくねった道の走り難さは大変なものだ。
 
 好んで夜に車を走らせることはないが、旅先で時間がなくなり日が落ちてから宿に向かったりした経験は何度かある。道は曲がっていても、ヘッドライトは真っ直ぐ前を向いたままだ。暗い闇の中へとカーブしていくのは恐怖である。それに、周囲の状況が分からないので、分岐を見誤ったり、道ではない所に入り込んだり、またそこから抜け出すのに一苦労である。
 
 つい最近、車で諏訪方面に出張し、打ち合わせが長引いて、帰りが夜になったことがある。しかも雨になって視界は尚更悪い。普段乗り慣れない大きな社有車で、鳥目がちな上に出張の疲れも出てきてと、悪条件が重なった。高速道路を降りて一般道に入ってから、案の定、道を間違えた。これまでも何度か通った道の筈が、どうも周囲の様子がおかしい。段々と辺ぴな雰囲気となっていく。これは道を取り違えたと確信してから、更にUターンする場所を見つけ出すまで延々と走ることとなってしまった。
 
 その後も頭がふらふらしながらも、運転を続けるしかなかった。結局事故にならずに済んだが、随分怖い思いをした。元々旅をする為に免許をとったようなものだ。景色が見えない夜間走行は、遠慮させていただきたい。
 
 狭い道を抜けると、広い道となり、そのままセンターラインもある車道が甲府市の中心街へと下っている。道の左手に甲府の市街地がすぐそこに見渡せるようになる。

甲府市街が近い
 

謎の分岐
向かって右手に下る道から出てきたが、
道路標識は左に登る道を指している
 ふと、別の広い道に逆Y字で合流した。こちらが「止まれ」である。はてどうしたことだと、その謎の道の方を見ると、道路標識がそちらを指している。「山梨市22Km、太良峠8Km」とある。たった今その太良ヶ峠より下って来た筈なのに、不思議なことだ。どうやら、道の付け替えが行われている最中らしく、その内、その道が本線に取って代わることだろう。
 
 県道はそのまま真っ直ぐには甲府駅には着いてくれない。山梨市側の窪八幡神社にあったようなクランクが、甲府市の武田神社にもあるのだ。武田神社の裏手を右から回り込むようにして神社の正面に出る。後は神社を背にして表参道を甲府駅へと道は進んでいる。
 
 この日は芦安村(現在は南アルプス市)にある公共の宿・南アルプス温泉ロッヂに予約を取ってあった。県道20号の終点を過ぎ、芦安温泉も越えた先にある一軒宿だ。いろいろ寄り道をしたり、甲府市街を抜けるのに道を誤ったりで、宿に着く前にとっぷりと日が暮れてしまった。それでも公共の宿だから、案内看板はしっかりしているだろうと高をくくっていた。
 
 ところが、もうこんな何もない暗く険しい渓谷沿いの道の先に、宿などあろう筈がないといった事態となった。同乗の友人は不安がり、多分行き過ぎたから戻ろうと言い張る。合点が行かぬまま、狭い道をUターンして引き返す。やっぱりない。代わりに対岸に渡る赤いアーチ橋の袂で小さな看板をやっと見つけると、宿を示す矢印は、引き返してきた暗い道の方角を平然と指し示していた。友人とはもう喧嘩腰で言い合う。不安は増すばかりだ。
 
 とにかくまた車を反転して前に進むこととした。くねった急坂を登る。周囲の山の中には一点の人家の明かりも見えない。しかし、とうとう宿に通じる道の分岐を右手に発見した。大きな看板も出ている。その後は無事に宿に着くことができた。でも、やっぱり夜道のドライブは避けるのが賢明であった。
 
 ところで、その分岐した道の先にも人家などはなく、暗く寂しい道がまだ暫し続いていた。すると、小学生くらいの子供が暗い夜道を一人で歩いているではないか。大の大人でもこんな所に一人で居るのは恐ろしい。しかも、我々が宿に着くまで、やっぱり他に人家はなかったのだ。一体あの子はどこまで歩いて帰っていったのだろう。
 
 今回の峠越えをきっかけに、峠の名前もしっかり覚えたし、峠道の様子も把握できた。これならもうこの峠のことを忘れるなんてこともないだろう。次回はまだ経験のない水ヶ森林道でも走りに来た折りに、また訪れてみようと思う太良ヶ峠であった。
 
<参考資料>
 昭文社 関東ツーリングマップ 1989年1月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 山梨県 2002年5月発行
 エスコート WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行)
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
 角川 地名大辞典 山梨県
 
<制作 2004. 4.21 蓑上誠一>
 

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