峠と旅
天丸峠 (峠名は仮称)
 
てんまるとうげ
 
(天丸トンネル)
 
埼玉と群馬の片隅で人知れず県境を越える峠道
 
    
 
天丸トンネル (撮影 2005. 6.26)
トンネルのこちら側が群馬県上野村
反対側が埼玉県大滝村
標高は約1,240m(地形図より読む)
道は林道上野大滝線
一見、2車線路の何でもない峠に見えるが、
これがどうしてなかなか山深い
 
    
 
 群馬県の上野村は県の最南端に位置し、村の南は埼玉県と、西は長野県との稜線を形成する、非常に山深い立地にある。長野県との境には、十石峠やぶどう峠など、なかなか険しい峠道を擁していることでも、その山深さが知れようというものだ。
 
 一方、埼玉県の最西端に位置するは大滝村で、北は埼玉県と、西は長野県、おまけに南は山梨県と境を接している。長野県との県境にはあの三国峠があり、山梨県との間には近年やっと完成した雁坂トンネルが通じている。
 
 十石峠と三国峠、雁坂峠(トンネル)、これらは既にこの「峠と旅」に掲載している。こうした蹌々(そうそう)たる峠がある上野村と大滝村だから、これまでも旅では何度も訪れ、見知った村となっている。でも、群馬・埼玉の県境を越えてその両村を直接繋ぐ峠道があるとは、迂闊にもつい最近まで知らなかった。あの山深い中を車道が通じているとは思ってもみなかったのだ。
 
 地図上で群馬と埼玉の県境を少し東に目をやれば、志賀坂峠や矢久峠、土坂峠といった車が通れる峠が明記されている。特に埼玉県小鹿野町と群馬県中里村の境の志賀坂峠は、国道(299号)の峠であり、埼玉県の秩父方面から群馬県に抜けるには最も一般的な道となっている。
 
 その志賀坂峠でさえ、つい最近のこと、埼玉県側の土砂崩れで長い間通行止の憂き目に遭っている。国道が何ヶ月もの間、不通という異常事態だったのだ。それ程、この付近の峠は険しい。今回の峠はその志賀坂峠より更に西に位置するのだ。
 
 県境は天丸トンネルというトンネルで抜けている。比較的新しく開削された道で、峠に名前は付いてないようだ。そこで例のごとく、ここでは「天丸峠」と題してもらったが、あくまで仮称であることをお断りしておく。
 
    
 
<群馬県側からのアプローチ>
 
 2004年の2月に上野村を訪れ、塩ノ沢峠下にある国民宿舎「やまびこ荘」に宿泊した。チェックアウトの折、無駄と思いつつフロント係の若い女性に聞いてみた。「天丸トンネルは抜けられますか」。
 
 仮に地元の人といえども若い女性がそんな寂しい林道のことなど知っている筈がない。しかし、意外にもちゃんとした答えが返ってきて驚いた。峠を越えた埼玉県側が険しく、冬期ということもあって、通れないでしょうとのことだった。ついでに、志賀坂峠が越えられない(この時まだ土砂崩れで埼玉県側通行止)ので、峠から分岐する八丁峠の道についても聞いてみた。その女性は八丁峠も理解していたが、通行の可否については不明だった。
 
 一般に林道などに関心がない女性が、天丸トンネルや八丁峠を知っているのには、とにかく感心した。宿泊客への対応として、やまびこ荘の教育が行き届いているのだろうかとも思った。結局その時は、野栗沢(のぐりさわ)の元村(本村)の分岐まで行ってみたが、女性の忠告に従い、そこから引き返したのだった。
 

国道299号からの分岐
国道を前方が中里村方向
手前が村役場や道の駅がある方向
新要橋を渡ったところ
<国道299号からの分岐>
 
 やっと天丸トンネルを越えられたのは、それから1年以上が過ぎた今年(2005年)の6月のことだった。前回と同じく、上野村からのアプローチとなった。前回道に迷ったこともあり、国道299号から野栗沢方面への道の分岐は良く分かっていた。村役場や道の駅「上野」のある方から中里村方向(東)に国道を来ると、新要橋で神流川(かんながわ)を渡った所で右に分岐する。国道沿いには民宿「すりばち荘」などの看板がその道を指し示している。
 
 国道から分岐した道は、ほんの僅かな間、右に神流川を間近に見る。現在の国道は幅の広い直線的な2車線路となっているが、昔の幹線路はこの蛇行する神流川に沿う道だったと思われる。その証拠に、今の国道沿いに人家は少なく、そこより分岐する狭い道沿いに人家が密集している。

右に神流川が大きく蛇行
 

直進が峠方向(上野9号線)
右は新羽へ
<村道上野9号線分岐>
 
 間もなく神流川はその支流・野栗沢との合流点に出る。野栗沢を渡って尚も神流川沿いを行く道が昔の幹線路で、新羽(にっぱ)の集落へと進む。天丸トンネルの峠へは直進(左)方向の野栗沢の右岸に沿う道を行く。
 
 分岐手前の道路標識には、左に「村道上野9号線」、右に「国道299号線」とある。また、分岐に並ぶ看板には、「龍神の滝・野栗キャンプ場、鈴木工芸センター、天丸山・帳付山登山口、民宿すりばち荘、福寿草群生地」といった案内が野栗沢方向を指す。
 
<野栗沢沿いの集落>
 
 村道9号と思われる野栗沢沿いの道を行くと、国道から分かれて以来、この沿線で一番の集落が現れる。この先、天丸トンネルができる以前は、車道はどこにも通じず、神流川沿いの幹線路から分岐した行止りの枝道に形成された集落ということになる。
 
 この後、道を更に山奥に分け入った先にも集落が点在することに驚くこととなった。普段、道が縦横に走り回る平野部に住まいしているが、こうした山間部ではたった一本の道が生活を支える貴重な存在となるのだろう。時には人の生命に関わることにもなるかもしれない。目の前に続くか細い村道は何だか危うい気がした。そんなことを思いつつ、沿線の集落を眺めるのであった。

野栗沢沿線の集落 (撮影 2004. 2.15)
 

野栗沢の左岸に渡る
<野栗沢の左岸へ>
 
 国道分岐から1Kmちょっとで、道の本線は野栗橋で野栗沢の左岸へと渡る。右岸にも道はまだ僅かに続いていたが、見るからに寂しい道だ。その方向を「龍神の滝・野栗キャンプ場、福寿草群生地」といった看板が指し示していた。
 
 こうした看板は分岐の随所によく整備されていて分かり易くていいのだが、果たしてその実態はどうなのだろうか。川の対岸から眺める限りには、滝やらキャンプ場は判然としなかったのだが・・・。
 
<左岸の道>
 
 左岸に入ってから道は一気に寂しくなった。人家は少なく、山は両側から迫った。その谷間越しに特徴的な山容の山が覗いた。あれが天丸山だろうか。頂上が切り立って尖った形をいるので、「天丸」という名とは違うかもしれない。
 
 天丸山(1,505.8m)は埼玉県との県境近く、上野村側にあり、登山口の案内看板も出ていたように、ある程度名が知られているようだ。何しろ、今回の峠(トンネル)の名前にもなった山である。何とかそれを見分けたいのだが、山に詳しくないので思うに任せない。
 
 群馬と埼玉の県境付近は、一際高い山が一列に連なって嶺を成している訳ではなく、稜線以外に高いピークが幾重にも重なっている地形だ。天丸山が稜線上に位置しないことでもそれが分かる。それに、有名な山ほど高いと言う訳でもない。天丸山より天丸トンネルに近い倉持山の方が1572mと高い存在だ。山の地形を読み慣れない者だと、どれがどの山だか判別がつかない。

谷間を通して特徴的な山容が望める
 
<すりばち荘>
 
 途中、道の左手に目立つ建物がある。それまでも看板が出ていた民宿「すりばち荘」だ。あまり何もないこの近辺では、比較的大きな施設となる。しかし、こちらには「別館」と表札にあって、本館はこの先の元村にある。
 
 野栗沢上流の所ノ沢という場所から鉱泉が湧き、それが野栗沢温泉と名付けられた。その鉱泉を利用してできたのがこのすりばち荘のようである。すりばち荘別館の煙突からは、白い煙が昇って谷間にたなびいていた。こんな静かな山間で一夜を過ごすのも、旅の情緒があってよさそうだ。
 

民宿すりばち荘別館 (撮影 2004. 2.15)

すりばち荘別館の玄関付近
 

元村の分岐
胡桃平方向を見る
正面の石垣に「入山者の皆さんへ!!」の看板
その右上に「野栗澤案内マップ」
<元村の分岐>
 
 国道から約2.5Kmで元村に到着する。この付近は以前、野栗沢村と言う一つの村で、元村はその中心の集落だったそうだ。それ程人家が密集している訳ではないにしろ、今でもここに来ればふと立ち止まりたくなるような集落だ。
 
 元村より野栗沢の左岸をそのまま進む方向には、「林道・野栗沢線」と書かれた林道標識が立つ。それを進むと所ノ沢や胡桃平(くるみだいら)と呼ばれる集落に出ることになっている。
 
 一方、元村より右に分岐するは、支流・奧名郷沢に沿う道で、こちらが天丸トンネルへと続く。標識は見られなかったが、多分、林道・奧名郷線と呼ばれる道だと思う。
 
<野栗沢林道と赤岩峠>
 
 分岐の石垣の上に「野栗澤案内マップ」(平成14年10月記)があり、それがこの付近の道の参考になる。野栗沢林道を進み、胡桃平を過ぎた先の県境に、「赤岩峠」という文字が見られる。
 
 現在でも車道が通じているのは胡桃平付近までで、赤岩峠は徒歩でやっと通行できる山道だったそうだ。古くは埼玉県側の中津の鉱山より、人の背によって鉱石を運搬するのに利用した峠らしい。明治末期から昭和初期に掛けてのことだ。
 
 この赤岩峠が上野村と大滝村を結んでいた古い峠であり、天丸トンネルの先代といった存在なのだろう。ただ、大滝村側に大きな集落はなく、赤岩峠を越えて集落同士の人の交流が行われたような峠道ではなかったと思われる。もっぱら鉱山なのど山仕事に利用されたのではないだろうか。

元村の分岐 (撮影 2004. 2.15)
国道方向を見る
路面には昨夜の雪がうっすら残っていた
 
野栗澤案内マップ (撮影 2004. 2.15)
(上が南であるのに注意)
現在地●は旧野栗澤村本村
左上に赤岩峠が記されている
 

元村より奧名郷方向を見る (撮影 2004. 2.15)
<奧名郷林道>
 
 一方、奧名郷沢沿いの道は、この先にある集落・奧名郷を過ぎた山奥まで開削が進み、遂には県境に天丸トンネルが開通することとなった。天丸山や帳付山への登山道ともなっている。最近、天丸山で山林火災があったそうで、「入山者の皆さんへ!!」の看板に注意書きが出ていた。
 
 2004年の2月にこの元村まで来た時は、通行止の看板が出ていた。
 
 この先7.0Km上野大滝線工事中につき
 埼玉県側へ通り抜け出来ません
 期間 平成15年10月10日から
     平成16年 3月31日まで
 
 丁度まずい時期に訪れてしまったようだった。
 
 尚、道路標識に不可解なことが書いてあった。「胡桃平−奧名郷 車の通り抜けは出来ません」。これは胡桃平と奧名郷を直接結ぶ道の存在を言っているのだろうか。それとも胡桃平と奧名郷のどちらも行止りで、埼玉県側に抜けられないと言いたいのだろうか。多分後者だろう。でも、奧名郷の方は、今では天丸トンネルがある。
 
<本村>
 
 「野栗澤案内マップ」の現在地の所をよくよく見ると、「旧野栗澤村 本村」とある。参考にした資料では「元村」とあったが、同じものと解釈させていただいた。
 
 元村(本村)の集落内を奧名郷沢沿いに少し登ると、川の対岸に木造建ての大きな建物が並ぶ。その一部がすりばち荘の本館らしい。歴史を刻んだなかなか味わいのある佇まいである。直ぐ目の前の沢に面した2階建てに客間が並ぶ。こうした趣の宿はもう最近では滅多に見られない。一度泊まってみたいものだ。

元村集落の中(奧名郷沢下流方向を見る)
左手にすりばち荘などが立ち並ぶ
 
    
 

奧名郷沢に沿う道
<奧名郷へ>
 
 元村を後に、奧名郷へと続く道を行く。人家はぱったり途切れる。少し上流で左岸に渡る。道は尚も奧名郷沢にぴったり寄り添う。沢には幾つかの砂防ダムが築かれていた。勾配が急である証拠だ。谷は狭まり、山奥に分け入って来たと感じる。この先に集落があるとは思えない程だ。方向は概ね南西へ向いている。南にそびえる県境には、まだ直接向かっていない。
 
<九十九折れ>
 
 沢が左下に見えなくなったと思うと、九十九折れが現れた。豪快に右の斜面を登り、一気に高度を稼ぐ。こうした道の様相は、如何にも峠道らしくていい。道幅はそれ程広くないにしても、整えられたアスファルト路面で、十分走り易い道だ。やはりこの先に集落がある為だろう。

九十九折れで高度を上げる
 

大きな人家
<人家>
 
 登りの最中に大きな人家が一軒現れた。急な斜面に石垣を築いて木造の2階建てを構え、その下に僅かな畑が耕されていた。
 
 こうした山の中の生活とは一体どんなものなのだろう。都会に住む者にはなかなか想像がつかない。いい面もあるだろうが、悪天候などのことが心配になる。以前、九州の山中で野宿した折、夜中に大雨に襲われた。山ごと押し流されてしまうのではないかと恐怖する程ひどかった。自然の脅威は図りがたい。
 
 こうして2階に洗濯物が干された人家を眺めている限りでは、のどかで羨ましく思えるのだが。
 
<奧名郷の集落>
 
 突然、山間に人家が集まっている所に出る。奧名郷の集落だ。群馬県側最奧の集落となる。それにしても意外と戸数が多いのに驚かされる。人家が集まった脇には、山の斜面を切り開いた畑が広がる。しかし、現代の現金を必要とする生活を営むには十分なものとは言えそうにない。将来、田舎暮らしをしたいと願っているが、やはり現金収入が問題である。考えれば考える程、夢は遠ざかるのであった。
 
 そんなことはさて置き、峠道の先を進む。天丸トンネルを抜けて埼玉県側に下れるかどうか、まだはっきり分かっている訳ではないのだ。まだ見ぬ峠への期待と同時に、不安も徐々に高まっていく。

奧名郷の集落
 

例の山を望む
 道は尚も奧名郷沢の源頭を目指して南西へと進む。また例の山が望めた。野栗沢沿いの道から垣間見た同じ山容である。やはりあれは天丸山だろうか。
 
 沢の源頭付近と思われる部分に達すると、逆Y字に右へと林道が分岐していた。側らに朽ち果てかけた橋が架かり、これを天丸橋と言うらしい。近くにはプレハブ小屋が建ち、道路脇に天丸山への登山案内の看板も立っていた。
 
 ここが天丸山への登山口のようである。しかし看板は山林火災で登山は遠慮するようにと促していた。
 
<林道上野大滝線>
 
 道は登山口より沢を横切って南東方向へと向きを一転する。付近に林道看板が立っていた。「林道上野大滝線」とある。どこが林道始点かはっきりしないが、「終点まで4.0Km」とあった。多分看板から峠のトンネルまでの距離を示しているのだろう。
 
 路面は登山口付近まで舗装路だったが、そこを過ぎると道は様相を変える。ここからは比較的最近に開削された林道という感じである。登山口までは昔からあった道で、やはり走っていても何となく安心感がある。しかし、新しい道はどことなく違う。ちょっとした違和感さえも覚える。

林道上野大滝線の看板
 

険しい山岳道路
<尾根を回り込む>
 
 天丸山の登山口を過ぎれば、後はただただ峠が待つばかりだ。道の前方が大きく尾根を巻いている様子が望めた。如何にも険しい山岳道路といった雰囲気である。こうした眺めは峠道の雄大さを醸し出しているようで嫌いではないのだが、一方、そこをこれから自分の車で通ることを思うと、ちょっとした恐怖感も湧き上がってくる。いい意味での緊張感がハンドルを持つ手に伝わってくる。
 
<砂利道>
 
 路面は綺麗に砂利が敷き詰められた道となった。ガードレールも完備され、整備が行き届いた立派な林道である。どちらかというと、舗装化一歩手前の状態とも思えた。走り易いとは言え未舗装路、運転は慎重にする。
 

整備された未舗装路
 

天にも登るような道
<クライマックス>
 
 いよいよ尾根を回り込む。道の行く手は空を向き、天にも登る思いである。視界が広がりすがすがしい。この峠道のちょっとしたクライマックスである。
 
 峠道を走る醍醐味がこんなところにあると思う。山道をコツコツ歩くのとは違い、車やバイクではのんびり走っても移動速度はそれなりに速い。周囲に広がるパノラマはダイナミックに変化し、それが楽しい。こうした山岳道路なら尚更である。ついつい目を奪われるが、よそ見は禁物である。
 
 
 
<所ノ沢上流>
 
 大きな尾根を回り込んだ先には、また別のパノラマが展開した。峠の嶺まではまだまだ幾重にも山が連なっていた。もしそこを歩くとなると、気が遠くなる程である。距離的には峠まで2Km程度を残すばかりだが、本当に峠に行き着くのだろうかと心配になってくる。
 
 地形的には野栗沢の支流・所ノ沢が流れる谷間に面するようになる。それでそれまでの眺めとは一変する。所ノ沢の源頭方向を覗くようになるのだ。
 
 ただ、山並を見回しても、相変わらずどれがどの山だかさっぱり分からない。特徴的な山容の山を写真に収めてみたが、今もって何という名か判明していない。

面白い山容
名前は不明
 

太尾トンネル
<太尾トンネル>
 
 道の様相はやや穏やかになり、南の峠へとほぼ真っ直ぐ進んで行く。谷は進行方向左手(東)にある。途中、短いトンネルが1本現れる。太尾トンネルと名付けられている。周囲の地形からして峠のトンネルと間違えることはない。東に張り出した支尾根をショートカットするものだ。
 
<林道太尾線>
 
 路上から左前方の斜面を登る険しそうな林道が見え隠れする。それは天丸トンネルへ通じる道ではなかった。太尾トンネルを過ぎた少し先で、同じ名前の林道が左に分岐していた。太良林道がその正体だ。その道は入口から垣間見ただけでは、やや荒れた感じがした。地図で見る限りには、天丸トンネルより東の稜線手前で行止りである。

左に林道太尾線が分岐
 

舗装路が始まる
<舗装路に>
 
 終始整備された砂利道が、真新しい舗装路になった。すると峠は近い。白線の白が眩しい程のセンターラインがある2車線路と変貌し、峠へのフィニッシュに入る。こんな山の中に似つかわしくない立派な道である。
 
    
 
<峠に到着>
 
 天丸トンネルは、山肌にポッカリ口を開けていた。まだコンクリートの白さも新しく、まるで作り物の様である。これが群馬と埼玉を繋ぐ県境越えのトンネルなのだ。県境を示す看板など皆無で、全くあっさりしたものだ。右手のガードレールの切れ間の先に、車が数台停められる僅かばかりの空き地があるだけで、他には何もない。
 
 トンネルの入口に掛けられたプレートを見ると、2001年10月の日付となっていた。総延長480.9m、巾6.5m、高5.6m。
 
 トンネルを背に上野村側を眺めると、山肌を縫って切り開かれた道が、なかなか険しい。谷は峠に向かって急激に登り詰めている。砂防ダムが幾重にも築かれていた。

天丸トンネルの群馬県側
 

峠の群馬県側

群馬県側の眺め
山肌を縫う道が険しい
 
    
 
<峠の埼玉県側へ>
 
 天丸トンネルの埼玉県大滝村側も、すっきりしたものだ。同じく県境を示す看板はないが、トンネル横にトンネルの案内看板が立つ。
 

天丸トンネルの埼玉県側

天丸トンネルの看板
 
 トンネルを出て直ぐ左に整地された広場がある。谷は入り組みそこからの遠望は利かないが、車を停めての休憩場所には打って付けだ。
 
 こうしたトンネルには珍しく、トンネル内の両側に狭いながらも歩道がある。しかも木製だ。環境にやさしく、資材が現地調達できるなどのメリットがあるらしい。しかし、その歩道を使う者がどれだけ居るだろうか。ここまで来る者は大抵車だろうし、歩いたとしても車など滅多に通らないから歩道を使う必要もなさそうだ。
 

トンネル出口の様子(左)
木製の歩道がある

トンネル出口の様子(右)
 
<昼食>
 
 峠では必ず一休憩するが、お昼時だと迷わず食事にする。食料はいつも持参しているので心配は要らない。この日も手持ちのカップ麺やらお菓子やら、道の駅上野で買った新鮮なきゅうりをかじって昼食とした。日差しは暑く、じっと座っていても汗がにじんできた。時折、群馬県側から埼玉県側にトンネルを抜ける風が吹き、それが心地よい。
 
 峠では昼食を含めて40分程滞在したが、通る車の一台もなかった。それが私の天丸峠となった。

峠の広場で昼食
 
    
 

埼玉県側に立つ通行不能の看板
<埼玉県側に下る>
 
 道路脇に不吉な看板が立っていた。「通行不能」。ここまで来て嫌な看板だ。しかし、「気象条件により」という限定付きだった。天候は良好でこれなら問題なさそうだ。どうにか峠越えが達成できそうに思えた。
 
 天丸トンネルの埼玉県側は、ちょっとトリッキーな道である。急峻な谷を避け、道は一旦稜線方向に反転した。するまたトンネルである。山吹トンネルとある。日付は天丸トンネルと同じだ。道はほとんど下らず、山吹トンネルは天丸トンネルより高所にあるのではないかと思われた。
 
 山吹トンネルを抜けた先は、今度は大きな橋である。トンネルと橋で繋いで険しい谷に道を切り開いてあった

 
 道は峠から南に下る山吹沢の右岸の山肌を、ほぼ直線的に下って行く。谷は狭く急峻だ。あまり左右に視界が広がらない。九十九折れは少なく、急勾配で一気に高度を下げていく。路面は簡易舗装で道幅もあり、ガードレールも整い危険な感じはない。
 
 暫く下ると、西に伸びた谷の源頭方向に大きく迂回を始める。その付近になると視界が広がる。山また山のロケーションで、奥深さを痛感させられる。この山中から抜け出せるのだろうかと、心配になるくらいだ。

山吹トンネルを抜けた先
 

暫し谷は狭く視界が広がらない

見渡せば山また山のロケーション
 

未舗装路となる
<未舗装路>
 
 西への迂回途中、それまでの簡易舗装が未舗装に変わった。群馬県側が完全舗装間際なのに対し、埼玉県側にはまだまだ未舗装区間が残っているようだった。
 
<広河原沢の上流部へ>
 
 道は北西に伸びた広河原沢の上流部を目指して下って行く。本来進むべき方向とは逆の西を向いている。いつになったら谷まで降りれるのか。そこからどれだけ引き返さなければならないのか。気が遠くなる思いだ。道もなかなか険しい。こういう道は登りの方が楽しいかもしれない。

谷底へと下る道
 

沢沿いの道に
<沢沿いの道に>
 
 広河原沢の上流部まで降り立つと、一転して沢沿いを東へ下るようになる。この付近からは間違いなく昔からある林道だ。最終的に八丁峠から降りて来た道に合流する筈だが、そんな林道の分岐に記憶がない。八丁峠はこれまでも数回越えているのだが、行き止まりの林道ばかりと思い、周囲に気を留ていなかったようだ。
 
 沢沿いの道は勾配が少ないが、代わりに視界が全く広がらない。垂直に切り立った谷底を蛇行して流れる川にぴったり寄り添い、後は頭上の空を見上げるばかりだ。
 
<トンネルを抜ける>
 
 時折沿道に岩肌が険しい。今にも崩れてきそうに思われる所もある。そんな岩を貫いたトンネルが何度か現れる。道幅は狭く、豪快な山岳道路とはまた違った、地味な険しさが感じられる。それが嫌だと思うと、道は長い。どこまで行っても出口が見えない迷路のようだ。目の前のカーブを曲がっても曲がって、その先に同じ様なカーブが待ち受けている。周囲には川面以外に見るべき物もなく、単調な走りが続く。

幾つかのトンネルを抜ける
 

ゲート
右上に雁掛トンネル
<林道出口へ>
 
 やっと出口が現れた。前方で舗装路に合流している。八丁峠から下って来た道だ。今は県道210号・中津川三峰口停車場線となっている。林道分岐の少し上には、何やらトンネルが見える。雁掛トンネルのようだ。こんな所で分岐していたとは、やっぱり全く記憶にない。
 
 県道からの分岐より少し手前に林道のゲートがある。そこには残念ながら「工事関係者以外 立入禁止」の看板が立つ。しかし、それより更に奧には工事看板があり、「自)平成17年5月27日 至)平成17年12月12日」とあり、別段通行止とはなかった。
 

林道の分岐点

林道の分岐点
 
 峠の群馬県側には奧名郷などの集落があったが、埼玉県側に降りて来た所には集落がない。それがちょっと寂しい。県道を八丁峠方向へ少し登れば鉱山があるが、それは普通の集落とは違う。県道を行き交う車も、土ぼこりを巻き上げて走るダンプばかりだ。同じ村でも上野村と大滝村では、明暗が分かれたと感じた天丸峠であった。
 
<余談>
 
 その後県道を下り、三国峠へと続く中津川沿いの道に入ると、道の様相は随分変わっていた。更にその下流には巨大な滝沢ダムが姿を現した。この付近の変貌には目を見張るものがある。道は快適になったが、その沿道に温かみのある集落はない。あの懐かしい昔の狭い道は一体どこに行ったのだろうか。新道を走りながらも谷底を覗き込んでばかりいた。
 
    
 
<参考資料>
 
 昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形(インターネット試験版)
 角川 地名大辞典 埼玉県、群馬県
 
<走行:2005. 6.26 制作:2005. 9. 5 著作:蓑上誠一>
 

峠と旅