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鳥ヶ乢トンネルの看板 |
波賀町側から峠に登る途中、峠の名前が書かれたものはないかと沿道に注意していたら、左記のような看板が目に入った。それには次の様にあった。
頑張ろう 早期完成! |
鳥ヶ乢。看板には「乢」の字にちゃんと「たわ」とルビがふってあり、私のような無学な者の為の配慮がなされていたのは有り難い。更に、峠にあった石碑には「トリガタワ」とカタカナ書きされていた。これなら誰が読んでも間違いようがないが、「乢」などの昔から使われていたであろう漢字が、こうして段々消えていくのはちょっと寂しい気がする。
「乢」を辞書で調べると、「尾根の低くなった所、鞍部」などと載っている。「弛み」と意味や音の響きが近い気がする。「弛」の字からは大弛峠(山梨県・長野県)を思い出す。 「鳥ヶ峠」とは言わずに「鳥ヶ乢」。「峠」の代わりに「乢」が使われている訳だ。「峠」を「タオ」と読ませる場合もあり、音からすれば似通っていて、これらの文字は親戚みたいなものかもしれない。 でも、「乢」は尾根方向に見て低い部分を指しているが、「峠」は尾根に向かって麓より上り、そして反対側の麓に下ることを示唆している。「峠」は尾根に対して直角方向を意識しているような気がするのだ。「乢」と「峠」は見る方向が90度異なっているのじゃないかと、勝手に解釈している。 |
峠より波賀町側を見る 道路脇に「とりガ乢」とある |
峠にある「宍粟環境美化センター」の入り口 ゴミ処理場だと思う |
鳥ヶ乢を通る道は、現在は国道429号となっている。西の岡山県との県境の志引(しびき)峠や、東の一宮町との町境の高野峠などと繋いだ国道である。
でも、昔から使っている1989年7月発行のツーリングマップ関西では、そんな国道は影も形もない。かつてはそれぞれ別の県道だったものを、同じ国道として昇格させたのであることが分かる。何だか寄せ集めて無理やり一本の国道にしたように思えてならない。 この道を最初に通ったのは、もう10年前のことになる。とにかく兵庫県の真中あたりを東西に走ろうとしたら、現在の国道429とほぼ同じコースを行くことになった。こちょこちょと狭い道を走り繋いだ記憶がある。 |
その時、鳥ヶ乢も勿論越えた筈だが、1999年(平成11年)の暮れに再訪した時は、何だか峠の様子が違っているようだった。千種町による石碑などが立っている。以前の記憶がはっきりしないのだが、10年前にはなかったんじゃないかと思う。国道昇格を記念して建てたのかもしれない。
「ちくさ ふるさと街道 トリガタワ」と書かれた石碑の近くに、面白い形のモニュメントが立っていた。そこには峠の名前の由来が碑文として刻まれていた。その文面を次に転記させて頂く。 |
千種町による石碑 ちくさ ふるさと街道 トリガタワ 千草町 |
トリガタワの由来が書かれたモニュメント 吊り下げられた鉄板は叩いて音をだすのか? てっぺんは鶏冠(とさか)をかたどっている |
岩野辺の人々が山をおり高橋の所まで帰ったとき、急にあたりが夜明けのように明るくなり大石の上で黄金の鶏が目前に現れ大きく羽撃き、「コケコーコー」と天に向かって鳴いたので村人は大変不思議なことが起こったと驚き、これは、観音様が岩野辺に来たいというお告げに違いないと、早速引き返して観音様を大切に持ち帰りお祀りしたそうです。 これが現在、岩野辺福海寺の本尊だと言われており、その頃からこの峠を「トリガタワ」と呼ぶようになったそうです。 |
由来は千種町側に都合がよく、波賀町側としてはちょっと立場がない。勿論、モニュメントは千種町が建てたものであった。
峠名の由来などというものは、あまり当てにはならないが、そうと知りつつ、そんな物語を考え出した人達のことなどを想像すると、これはこれでまた面白い。 それに、全く何の根拠もなくて、由来とする物語が生まれたとも思われない。本当に両村による観音様の争奪戦があったのかもしれない。もしかして岩野辺側がズルをして、その言い訳に黄金の鶏の話しをでっち上げたのかもしれない。観音様のお告げとあらば、斉木の村人も我慢するしかない。そんなことなど勝手に想像する。 県道の寄せ集めの国道492号は、峠前後などまだまだ狭い区間が多い。高野峠などは冬期閉鎖となってしまう有様だ。旅をするのにいつまでもそんな面白い道であってほしい。 <制作
2002. 4.22>
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千種町側の様子 国道というよりやっぱり県道である |