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津軽峠   (後半)
   
   
   
津軽峠(前半)はこちら
   
峠から鰺ケ沢町側に下る 
   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

<鰺ケ沢町側へ>
 峠から鰺ケ沢町側に下る道は、赤石川水系と中村川水系との分水界の尾根に並行するように進路を取る。峠直下の赤石川支流・津軽沢沿いには下らず、その上流部を横断して行く格好だ。 暫くは比較的開けた道が続く。路面状態などは特に変わりないが、西目屋村側に比べ、地形的によりダイナミックな山岳道路の雰囲気を感じる。適度に現れるカーブと引き締まった土の路面の感触も心地よい。津軽峠の道の中では走っていて最も楽しい区間だろう。

   
周囲の景色 (撮影 2018.10.13)
   

<コゲ茶色のガードレール>
 西目屋村側ではほとんど普通の白のガードレールだったが、鰺ケ沢町に入るとコゲ茶色のガードレールの割合が多くなった。機能的には変わりないのだろうから、周囲の環境からあまり目立たないコゲ茶もいいかと思う。 この色には何か意味があるのだろうか。積雪時に目立つとか・・・。


道の様子 (撮影 2018.10.13)
コゲ茶色のガードレール
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

<沿道の車>
 津軽峠を鰺ケ沢町側へと入り込み、もう車など滅多に来ないものと思った。ところが、沿道のそこかしこに車が停まっている。奥赤石展望所に至る7Km足らずの間にも、10台以上の駐車車両を見掛けた(以下の写真参照)。すれ違った車も数台あったが、圧倒的に運転者不在で停められている車である。
 
 正確なことは分からないが、多分山菜採りではないだろうか。白神山地一帯は山菜の宝庫で、そこに通じる白神ラインは格好のアクセス路になっているのではないかと思う。車種も一般の観光用というより、実用的な軽トラやジムニー、パジェロミニといった軽自動車が多い。

   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

沿道の車 (撮影 2018.10.13)
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)
側らに人が居る

軽トラとすれ違う (撮影 2018.10.13)
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

沿道の車 (撮影 2018.10.13)
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

沿道の車 (撮影 2018.10.13)
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

ワンボックスとすれ違う (撮影 2018.10.13)
   

沿道の車 (撮影 2018.10.13)

ワンボックスとすれ違う (撮影 2018.10.13)
   

<山菜採り(余談)>
 白神ラインは60Km近い長距離で、その間未舗装路も多い。途中にエスケープ路もない。ここを走り通そうという者は少ないことだろう。 普通の観光客が来るのは、白神ラインの正面口とも言えるアクアグリーンビレッジANMONから、せいぜい津軽峠までである。白神山地の奥深くには、誰も来ないかと思った。 ところが、伏兵が居たようである。山菜・キノコ採りを趣味か生業とする、その筋の方たちがやって来るようだ。季節によっては賑わう道である。半面、時期さえずらせば誰とも会わない道となるのかもしれない。経済効果がやや期待外れの弘西林道ではあったが、山菜・キノコ採りには大いに役立っているようだ。

   

<乱岩沢上流部>
 道は、津軽沢の上流部から、更に乱岩沢(らんがんさわ、らんがんざわ)の上流部へと移って行く。乱岩沢は、津軽沢と同じく赤石川本流右岸の支流で、津軽沢より2km余り下流側に流れ込んでいる。 赤石川水系と中村川水系の分水界上に位置する乱岩ノ森(らんがんのもり、885m)の西麓を水源とする。この山の北東の山腹に多数の露岩が見られるそうだが、「乱岩」という名の由来ではないだろうか。それが沢の名にもなったものと推測する。
 
 文献によると、乱岩ノ森も山菜やキノコの宝庫として知られ、春・秋には採取者で賑わうらしい。やはり白神ラインの混雑振りは、山菜やキノコに起因するようだ。

   

乱岩沢沿いに下る (撮影 2018.10.13)
道路看板が出て来た

<滝>
 「能代 98Km、岩崎 44Km」と道路看板が出て来る。岩崎経由で南に下った能代(のしろ)を案内しているが、それにしても約100kmとは遠い。
 
 看板を過ぎ、これまでにないちょっと深い谷へと下って行く。谷を詰め、橋を渡る所に滝が落ちていた。名前など付けられていないようだが、なかなか大きな滝である。 それは多分、乱岩沢上流部の支流と思う。乱岩ノ森を源流とし、ほぼ西に下って来ている。地形図で「507」mの標高が記されている地点だ。これではっきり、津軽沢水域から乱岩沢水域へと移って来たことが分かる。

   

道路看板 (撮影 2018.10.13)
能代(のしろ) 98Km
岩崎(いわさき) 44Km

ちょっとした滝がある (撮影 2018.10.13)
乱岩沢(支流)の上流部
   
谷の奥から下流方向を望む (撮影 2018.10.13)
なかなか山深い
   

<道の様子>
 道は乱岩沢上流部を横切りはするが、やはり一向に川筋へ下って行こうとしない。大小の谷の出入りを繰り返している。コンクリートで固めた高い法面が現れたりして、なかなか荒々しい雰囲気だ。時折、谷の向こうに赤石川とその西の追良瀬川との分水界の峰が覗く。


コンクリートの法面 (撮影 2018.10.13)
   
途中の眺め (撮影 2018.10.13)
奥に見えるのは赤石川・追良瀬川の分水界の峰
   

<乱岩沢右岸へ>
 また一段と深い谷へと入り込んで行く。対岸に通じる道がなかなか険しい様相だ。間もなく谷を詰めて橋を渡る。そこが多分、乱岩沢本流だと思う。

   

対岸に道が通じる (撮影 2018.10.13)
なかなか険しい

乱岩沢本流を渡る (撮影 2018.10.13)
   

乱岩沢右岸を下る (撮影 2018.10.13)
僅かに舗装路がある

<乱岩沢右岸>
 乱岩沢右岸に入ると、久し振りに舗装路になった。多分、津軽峠以来だろう。ただ、それも僅かな距離で、また元の未舗装路となった。津軽峠以西の白神ラインの舗装率はかなり低い。

   

<若干の登り道>
 道は乱岩沢右岸の高みを行く。川筋の地形が険しい為か、山腹を長々と横切って行く。増々谷の出入りによる屈曲が激しくなる。それに、道は下る一方ではなく、途中から登り始めた。これではなかなか赤石川本流沿いに辿り着けない。


道は部分的に登っている (撮影 2018.10.13)
   
   
   
奥赤石展望所 
   

<奥赤石展望所>
 道を登り詰めると、津軽峠から6.6kmの奥赤石展望所に着く。展望所付近だけ白神ラインはアスファルト舗装されている。

   

前方に奥赤石展望所 (撮影 2018.10.13)
東屋が見える

道路看板 (撮影 2018.10.13)
能代 95Km
岩崎 41Km
   

奥赤石展望所から津軽峠方向を見る (撮影 2018.10.13)

道路看板 (撮影 2018.10.13)
弘前 49Km
西目屋 33Km
   

<奥赤石展望所の様子>
 奥赤石展望所は尾根が乱岩沢へ張り出した先端にある。道はそこで尾根を巻いて急カーブしている。乱岩沢が流れる谷側に東屋やベンチと並び、弘西林道完工の記念碑が立っている。

   

奥赤石展望所の様子 (撮影 2018.10.13)
奥が津軽峠方向、左手前が赤石大橋方向

奥赤石展望所の様子 (撮影 2018.10.13)
左奥が津軽峠方向、手前が赤石大橋方向
   

<弘西林道完工記念碑>
 ここに至るまで、現在は「弘西林道」の文字をまず見ることはない。「県道28号」とか「主要地方道・岩崎西目屋弘前線」とか「白神ライン」ばかりである。 観光マップや一般の道路地図からも弘西林道の名は消えてしまった。「林道」ではややみすぼらしいので、「ライン」などと洒落ているように思えるが、この道の大元は取りも直さず弘西林道である。その記念碑が奥赤石展望所の片隅にひっそり佇む。

   
弘西林道完工記念碑が立つ (撮影 2018.10.13)
左側のベンチは倒れている
   

弘西林道完工記念碑の表 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

弘西林道完工記念碑の裏 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<碑文>
 折角だから、碑文を以下に写す(苦労した(-_-;))。
 
         弘 西 林 道 完 工
             記念碑 
津軽の奥地を通って、弘前と西海岸を結ぶ壮図は、地域住民の長きに
わたる悲願であった。
昭和三十四年、この地に林道開設の機運が俄かに高まり、弘前市、深
浦町、岩崎村、西目屋村、よりなる弘西林道開設期成同盟会を組織し
、宿願達成のため、強力な陳情を重ね遂に林野当局をして林道開設の
壮挙につかしめた。
昭和三十七年、この人跡稀なる原生林に初斧を入れ、爾来十有余年の
歳月と幾多の困難を克服し、昭和四十八年九月、総工事費九億五千万
円を投じ、総延長六十キロメートルに及ぶ産業開発道路として遂にそ
の完工をみるに至った。想えば林野庁ご当局の地域開発への深いご理
解と開発者の不断の努力がこの大事業をなさしめたのである。
この林道が今後新たな津軽地域の飛躍的な発展に重要な役割を果すこ
とを確信するとともに、この喜びを永く後世に傳えるものである。こ
こに林道完工を記念してこの碑を建立する。
             昭和四十九年十月
                  弘西林道開設期成同盟会

※注記
 壮図(そうと):大規模な計画
 爾来(じらい):それ以来

   

 初めて津軽峠を越えた時、弘西林道は待望の長大林道だったので、この記念碑はしっかり写真に撮って置いた。当時、石碑の背後は開けていて眺めが良かったようだ。乱岩沢左岸の峰が望めていたようである。

   
初めて訪れた時に撮った記念碑の写真 (撮影 1992. 7.29)
背後の見晴らしがよかった
   

<白神ラインのモニュメント>
 弘西林道の記念碑とは道を挟んで反対側に、ちょっと面白いモニュメントがある。
 世界遺産白神山地
 白 神 ラ イ ン
 主要地方道・岩崎・西目屋・弘前線

 
 と書かれている。弘西林道に代わる白神ラインを記念しているようだ。モニュメントは何を模した物かと思っていると、妻が「クマゲラ」だと言う。白神山地に関するパンフレットに載っていたらしい。 国の天然記念物で、頭が赤いのが特徴だ。頭全体が赤いのがオス、後頭部のみはメスとのこと。このモニュメントはオスである。


白神ラインのモニュメント (撮影 2018.10.13)
キツツキの仲間のクマゲラを模している
   

記念碑の所を津軽峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
看板には
「暗門の滝 16Km」とか、「岩木山 45Km」とあるが、
暗門の滝も岩木山頂上も、車では行けない所だが

案内看板 (撮影 2018.10.13)
   

記念碑の箇所より奥を見る (撮影 2018.10.13)
左手に奥赤石展望所の看板がある

<本当の奥赤石展望所>
 考えてみると、弘西林道の記念碑の周辺は、確かに展望所の様な広場になっているが、どこにも「奥赤石展望所」の文字が見られない。道が急カーブした先を覗いてみると、ポツンと看板が立っている。 そこに「白神ライン・奥赤石展望所」と書かれていた。しかし、看板の背後は木々が成長し、全く視界が得られない。看板も傷み掛けている。
 
 多分、以前はここから眺望が広がったのだろう。弘西林道記念碑の背後では、乱岩沢の谷しか望めないが、この看板の背後からは、赤石川本流方向を見通せたらしい。看板の展望の写真には、櫛石山・摩須賀岳とある。これらは赤石川上流域に位置する山だ。

   

奥赤石展望所の看板 (撮影 2018.10.13)

展望の様子 (撮影 2018.10.13)
櫛石山、摩須賀岳とある
   

<展望所の位置(余談)>
 奥赤石展望所の看板には、白神ラインの全容を示す地図が描かれている。しかし、地図は下が北になっている。通常とは逆だ。それが原因だろうか、現在地が間違っている。 奥赤石展望所は南に張り出した尾根の先端にあるが、地図では北に張り出した所に大きく「現在地」とある。実際は、次のヘアピンカーブの所である。地形ではそこに記念碑のマークが描かれる。多分、弘西林道完工記念碑を指すのだろう。

   
地図は下が北 (撮影 2018.10.13)
「現在地」は間違い
   
   
   
赤石渓流線分岐へ 
   

<奥赤石展望所以降>
 道は再び下り出す。視界はどんどん限られて行き、方向感覚も失って林の中を右往左往している感じだ。全般に暗い雰囲気で、路面も湿っている箇所が多い。いつ降った雨によるものか、水溜りも出来ていた。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

道の様子 (撮影 2018.10.13)
   

<赤石渓流線分岐へ>
 奥赤石展望所から2Km余り、津軽峠からだと9Km弱で鰺ケ沢町道・赤石渓流線の分岐に至る。最初に出て来る看板では「くろくまの滝」と出ている。直ぐに林で囲まれた大きな分岐が出て来る。

   

分岐の看板が出て来た (撮影 2018.10.13)

「くろくまの滝」とある (撮影 2018.10.13)
   

<分岐の様子>
 分岐はほぼY字に近く、Y字の股の部分に工事事務所らしい小屋と、倉庫、看板などが立っている。

   
赤石渓流線分岐 (撮影 2018.10.13)
左が県道28号の続き、右が赤石渓流線(旧赤石川林道)
手前が県道28号を津軽峠方向へ
   

県道28号の続き (撮影 2018.10.13)
頑丈なゲートが設けられている

<ゲート>
 分岐から深浦方向の県道28号には、しっかりしたゲートが設けられている。ここが閉じられれば、人が乗り越えるのも容易ではない大きさだ。やや物々しささえ感じる。 一たび災害でも発生しようものなら、この奥に延びる白神山地には何人も通さないといった気構えを感じさせる。

   

<工事看板>
 看板は工事に関した物だった。工事名は「岩崎西目屋弘前線(赤石大橋)橋梁補修工事」とある。ここより県道28号を進んだ赤石川に架かる赤石大橋で、橋梁補修を行っているらしい。通行止などの制限はないようだ。看板近くに立つ倉庫や事務所は、その工事関係者が利用するのだろう。


工事看板 (撮影 2018.10.13)
   

通行止の看板 (撮影 2018.10.13)

<赤石渓流線通行止>
 一方、分岐を鰺ケ沢町市街方面へと進む町道・赤石渓流線には通行止の看板が立っていた。土砂崩れの為とある。期間は「当面の間」とあり、あまり開通の見込みが立っていない様子である。
 
<赤石川林道>
 町道・赤石渓流線は以前は赤石川林道と呼んだ。現在の分岐の角にも、「赤石川林道」と書かれた看板が立っている。長い白神ラインの中では、最も有力な枝道である。 赤石川沿いに下り、鰺ケ沢町市街近くの日本海沿岸へと抜け出ることができる。白神ラインで不慮の事態が起こった場合など、エスケープ路とも成り得る存在だ。その道が通行止となると、白神ラインは閉塞状態に等しい。ただただ白神ラインを進むか戻るかしか選択肢はない。

   

赤石渓流線方向を見る (撮影 2018.10.13)

ゲートが締まっている (撮影 2018.10.13)
   

<ゲート>
 通行止の看板の先にはゲートが締まっていた。ゲートの先の赤石渓流線は狭いながらもアスファルト舗装が続いている。ゲート前後の路面には落葉が堆積し、暫く車が通った形跡がない。 道路看板には「鰺ケ沢 35Km、くろくまの滝8Km」と案内があった。分岐の角にブルーシートを被った案内看板があったが、多分、「くろくまの滝」など赤石渓流線沿いの案内が出ていたものと思う。 通行止となっている現在、無用のものとしてシートで覆われているのではないだろうか。

   

ゲートの先 (撮影 2018.10.13)

道路看板 (撮影 2018.10.13)
   

<一ツ森>
 この赤石川沿いを下ると、最初に現れる集落は一ツ森(ひとつもり)町だ。江戸期からの一ツ森村で、明治22年に赤石村の大字一ツ森となる。 昭和30年に赤石村が鰺ケ沢町と合併したことで、鰺ケ沢町の大字一ツ森町となった。ただ、そうは言ってみても、赤石渓流線が通れないのでは、一ツ森とはほとんど無縁の地である。

   
   
   
赤石川林道(余談) 
   

<赤石川林道>
 初めて津軽峠を越えた時は、鰺ケ沢町側から赤石川林道を遡って県道28号に至った。古くは赤石川沿いに木材運搬の為の森林軌道が敷かれていたが、それが取りはずされ、自動車道路として赤石川林道が整備されたそうだ。

   
青岩展望所 (撮影 1992. 7.29)
   

<青岩展望所>
 赤石川林道の途中には青岩展望所という赤石渓谷を望む展望地がある。県道28号からの分岐より赤石林道を5Km程下った所だ。 白いコンクリート製のちょっとした展望台が設けられ、その上から赤石川の谷が広く眺められた。側らに通じる赤石川林道はまだ未舗装で、この展望所を訪れる者などほとんど居ない。何とも寂しい観光スポットであった。
 
<くろくまの滝>
 青岩展望所から更に3Km余り下流側には「くろくまの滝」がある。日本の滝百選の一つだそうだ。ただ、林道から暫く歩かなければならなかったので、訪れてはいない。「くろくまの滝」入口の少し手前(下流側)から、赤石林道は未舗装であった。
 
 赤石林道の更に下流側は、県道191号が赤石川沿いに遡っていた。どこまで県道で、どこから林道(現在の町道)だか、地図によって異なっている。 手元の鰺ケ沢町観光パンフレット(2018年10月にもらった物)では、「くろくまの滝」と青岩展望所の間くらいまで県道で、そこから先は未舗装の町道となっている。あたかも舗装区間が県道という感じであった。
 
 


青岩展望所の看板 (撮影 1992. 7.29)
「くろくまの滝 3.2K先」とある
   
青岩展望所からの眺め (撮影 1992. 7.29)
赤石川の下流方向を望む
   

種里城址の看板 (撮影 1992. 7.29)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<種里城址>
 県道191号には八景森から下って入った。八景森は頂上まで車道(未舗装)が通じ、岩木山を正面に望める展望地だった。県道に入って種里城址(たねさとじょうし)に寄った。 ただ、詳しく見学した訳でなく、そこの看板を見たまでだった。当時使っていたツーリングマップには赤石川沿いの「くろくまの滝」や青岩展望所などといった情報が全く記載されていなかったので、参考にした。
 
<赤石渓谷線の土砂崩れ>
 鰺ケ沢町観光パンフレットでも、残念ながら種里城址についての詳しい記載がなかった。また、町道・赤石渓谷線は平成27年(2015年)2月の土砂崩れで通行できないとある。 「くろくまの滝」なども見学できないそうだ。その通行止が続いている(2018年現在)。27年前ではあるが、一度でも赤石川林道を走れたのは幸運だったと思う。

   
   
   
奥赤石林道分岐へ 
   

<赤石渓谷線分岐以降>
 赤石川沿いの道を分岐したが、津軽峠の道の範疇は赤石川を渡る所(赤石大橋)までとし、話を進める。この先、更に分岐があったり橋を渡ったりとイベントが続く。
 
<赤石川右岸沿い>
 大きな鉄の門(ゲート)をくぐると、いよいよ白神山地の奥深くに分け入るような気持ちだ。道は赤石川右岸沿いを上流方向へと進む。直ぐに看板が出て来る。「能代 92Km、岩崎 38Km」とある。まあまあ岩崎に近付いた。

   

ゲート直後の道 (撮影 2018.10.13)

道路看板 (撮影 2018.10.13)
   

<奥赤石林道分岐>
 暗く視界のない赤石川右岸沿いを1Km足らず下って行くと、不意にこ広い箇所に出る。側らに駐車スペースもある。その先に奥赤石林道が分岐する。

   

ちょっとこ広い所に出た (撮影 2018.10.13)
右手に車が停まるスペースがある
(もしかしたら県道28号の旧道?)

正面に奥赤石林道が分岐 (撮影 2018.10.13)
   

<奥赤石林道>
 初めて津軽峠を訪れた時は、まずは県道28号を岩崎(深浦)方面へと走り、この林道分岐を確認している。当時既にゲートが締まっていたかどうか記憶にないが、現在のゲートは固く閉じられている。 看板によると、センサーカメラも設置されているようだ。地図で見る奥赤石林道は、赤石川上流の櫛石山近くまで遡っている。赤石川林道を引き継ぐ存在の林道である。

   
奥赤石林道入口 (撮影 2018.10.13)
   

奥赤石林道脇の看板 (撮影 2018.10.13)

<林道看板など>
 ゲートの左脇には、林道看板や「白神山地森林生態系保護地域」、「白神山地の入山マナー」といった看板が並ぶ。細かいことだが、林道看板では「奥赤石川林道」と「川」が付く。しかし、他の多くの道路看板などでは、奥赤石林道となっていることが多い。

   
ゲートを背に分岐を見る (撮影 2018.10.13)
左が乱岩沢橋へ、右奥が津軽峠方面
手前が奥赤石林道のゲート
   

<乱岩沢>
 奥赤石林道分岐の直ぐ先で、道は乱岩沢を渡る。そこには新しそうな乱岩沢橋が架かっている。

   

前方に乱岩沢橋 (撮影 2018.10.13)

乱岩沢橋の看板 (撮影 2018.10.13)
「らんがんわ」とある
   

<乱岩沢橋>
 乱岩沢は赤石川右岸の支流で、県道28号はその上流部を横断し、やっとここで川沿いに出た訳だ。この川の名は地形図や一般の道路地図などには載って来ない。乱岩沢橋が架かり、そこに看板などがあることからその名が知れた。看板では「らんがんわ」とあるが、橋の銘板では「らんがんわ」となっている。竣工は平成7年(1995年)9月とあった。

   

橋の銘板 (撮影 2018.10.13)
「らんがんわばし」とある

橋の銘板 (撮影 2018.10.13)
「平成七年九月竣工」と」ある
   

<橋からの眺め>
 乱岩沢橋からは木々が多くてあまり川の様子は分からない。地形図で標高227mとあるあまり高くない地点だが、もう少し時期が遅れれば、紅葉がきれいだろうと思わされる。

   

橋からの眺め (撮影 2018.10.13)
上流方向に見る
治山ダムが築かれている

橋からの眺め (撮影 2018.10.13)
下流方向に見る
はっきり見えないが、直ぐそこに赤石川本流が流れている
   

<イトウ(余談)>
 乱岩沢橋の銘板には4箇所とも同じ魚が描かれる。赤石川はアユの宝庫なので、てっきりアユかと思っていたら、「イトウ」と書かれていた。魚に関しては全くの素人である。 こんな上流までアユは遡上しないのかもしれない。幻の魚と呼ばれるイトウは、北海度の一部にのみ生息するそうだ。鰺ケ沢町では赤石川の清流を利用し、そのイトウを養殖しているとのこと。


乱岩沢橋を津軽峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
   
   
   
赤石大橋 
   

この先、赤石大橋 (撮影 2018.10.13)
橋梁補修工事中

<赤石大橋>
 乱岩沢橋から更に数100m進むと、赤石川本流を赤石大橋で渡る。丁度、橋梁補修工事の最中だったが、渡るのには何ら支障なかった。
 
 工事車両が停められていた為、銘板の竣工日を確かめていない。赤石川にはその最下流に同じ名の赤石大橋が架かっているが、こちらの橋の竣工日は調べられなかった。多分、乱岩沢橋と同時期ではないかと思うが。

   
新しい赤石大橋 (撮影 2018.10.13)
手前が津軽峠方向
   

<橋からの眺め>
 赤石渓流線が通行止の現在、この赤石川上流部に至るには県道28号を使う以外にない。その道を遥々やって来て眺められる川の景色だ。

   

橋から上流方向を望む (撮影 2018.10.13)

橋から下流方向を望む (撮影 2018.10.13)
   

<旧赤石川大橋>
 初めて津軽峠に来た時、一旦は岩崎方面を目指し、この赤石大橋までジムニーを走らせて来た。すると、橋から先が通行止になっている。憧れの旧弘西林道もこれまで、ここから西へとは進むことができなかった。
 
 橋からは赤石川の谷を写真に撮って置いた(下の写真)。今回の写真と見比べると、どうも景色が一致しない。新しい赤石大橋は、以前とは少し異なる場所に架け替えられたようだ。

   
以前の赤石大橋から下流方向を望む (撮影 1992. 7.29)
前の写真と景色が異なっている
   

<橋梁補修工事>
 工事車両は見掛けるが、どこで工事しているのか作業員を見掛けない。ちなみに橋の下の方を覗くと、怖そうな足場が組んであった。なかなかスリルのある現場である。

   

赤石大橋を津軽峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
橋の銘板にはクマゲラの絵が刻まれていた

工事看板 (撮影 2018.10.13)
   

やすらぎの駐車帯 (撮影 2018.10.13)

<やすらぎの駐車帯>
 赤石大橋を渡った先には「岩崎西目屋弘前線 やすらぎの駐車帯」がある。こんな山深い赤石川上流部にしては、とても充実した施設である。 ここだけ観光地然とした垢抜けた雰囲気がする。実際に観光客らしい車も停められ、アジア系外国人観光客が橋の上で記念写真を撮っていた。 世界遺産の白神山地ではあるが、ここまで一般の観光客が入り込んで来るのは珍しいことだろう。それにしても、一体何を見に来るのだろうかと思う。

   

奥赤石山公衆トイレ (撮影 2018.10.13)

やすらぎの駐車帯の看板 (撮影 2018.10.13)
   

<古い案内看板>
 やすらぎの駐車帯の端に、木製の古そうな案内看板が立っていた。「巨木を育む森(奥赤石ブナの森)」とある。ただ、「奥赤石ブナの森」の設定が平成12年(2000年)3月とあるので、看板はそれ以降に立てられた物だろう。新しい赤石大橋の竣工とどちらが古いだろうか。
 
<旧道>
 ところで、「奥赤石ブナの森」の看板や「やすらぎの駐車帯」と書かれた大きな標柱の背後には柵が巡らされ、その奥に道が通じていたような形跡がある。また、私が所有している道路地図では全て、乱岩沢橋の記載がない。県道28号は乱岩沢を渡る前に赤石大橋を渡ってしまっている。


「奥赤石ブナの森」の看板 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

天狗峠方向を見る (撮影 2018.10.13)
大きな標柱には、
「岩崎西目屋弘前線 やすらぎの駐車帯」とある
右奥には旧道の痕跡

 初めは単なる誤植かと思っていたが、考えてみると、初めてここを訪れた時も、乱岩沢橋を渡ったという覚えがない。もしそれが正しいとすると、以前の赤石大橋は現在の位置より200m前後下流側に架かっていたことになる。それで橋から見た景色が以前と異なったのかもしれない。
 
 「やすらぎの駐車帯」の裏手に通じる道の痕跡らしきものは、県道28号の旧道ではないかと想像する。奥赤石林道が分岐する直前に車が停められたスペースがあったが、今考えた見るとそこが旧道入口ではなかったかと思う。やはり26年の月日は長かった。

   

<峠道の終了>
 赤石川沿いに達し、津軽峠の峠道もここが終点である。この先の赤石川左岸側は天狗峠の範疇と考え、次回に譲ることとする。(天狗峠は製作中)

   
   
   

 いろいろと思い出深い津軽峠を26年振りに再訪でき、また憧れの旧弘西林道(現県道28号)も今回の旅でやっと完走することができた。その為、ついつい長話しになったが、これでも控え目にした積りである。
 
 これで「峠と旅」に掲載した峠の数は229峠となる。何とか区切りとなる300峠を達成したいと思う、津軽峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1992. 7.29  鰺ケ沢町→西目屋村  ジムニーにて
・2018.10.13 西目屋村→鰺ケ沢町 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 2 青森県 1985年12月発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2018 Copyright 蓑上誠一>
   
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