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藤坂峠
 
ふじさか とうげ
 
地図で見ると小さそうだが、実際はなかなか手強い峠道
 
藤坂峠 (撮影 2001. 5. 4)
奥が三重県大宮町永会(えいかい)
手前が同県南島町(なんとうちょう)河内(こうち)
道は県道46号・南島大宮大台線(旧下楠南島線)
標高は約520m
 
 藤坂峠はそのV字の切通がなかなか見事である。あまりベタベタと法面をコンクリートやブロックで覆われることなく、比較的多く自然の岩や土が露出している。切通を過ぎる道は勿論アスファルト舗装であるが、軽自動車同士の離合もはばかられるような細さで、切通の直線距離も他に類を見ない程長い。初めて訪れた時から、峠そのものが特徴的だと感じた。
 
 代わりに峠道全般については、これといって関心を引かれるものがない。道路地図で見ても、大宮町永会(えいかい)を通る県道38号から、南島町(なんとうちょう)河内(こうち)を走る国道260号までの間を結ぶ、全長18キロの別段長そうには思えない県道だ。地図では町境に「藤坂峠」との記載があるから、これは峠道なんだろうなと峠好きの者なら1度くらいなら行ってみる気にもなろうが、そうでなければ何ら関心を持たれそうにない道である。
 
 そんな藤坂峠に訳あって、これまで3度も行ってしまった。遥々三重県まで出掛けて越える程、そのV字の切通に惚れ込んだのではないのだが。すると、その道の狭さが異常に気になる峠道なのである。狭いだけなら他にいくらでも同程度の狭さを誇る峠道は知っている。しかし、大抵はその狭さに呼応して交通量などほとんどなく、元々広くする必要がない寂しい道なのだ。ところが藤坂峠は、多いとはいえないまでも、それなりに車の往来がある。多分、熊野灘に面する南島町の市街と内陸側とを行き来するのに、少なからず利用価値が認められる道なのだろう。自分ひとりだけで走っているならいいが、対向車が現れてはなかなか気疲れする狭さだ。峠はいいのだが、道はやや気が重いのがまた大きな特徴だろうか。
 

大宮町木屋の集落
左に度会町に通じる県道151号が分岐
 3度目に藤坂峠を訪れたのは2001年の5月のことである。大宮町側からのアプローチであった。永会で県道38号に別れを告げ、藤川沿いの県道46号を藤坂峠に向かって南下する。峠名の由来は分からないが、川の名前以外にも「藤」という集落名がその近在にみられたりし、峠の名の「藤坂」も「藤」との関係から付けられたのではないかと想像する。
 
 途中、木屋という集落で左に度会町(わたらいちょう)へ通じる県道151号・度会大宮線を分ける。この道は、少なくとも10年前は藤越線・川上線という立派な(?)未舗装林道で、途中誤って行止り支線に迷い込んでしまう程の道であった。最近は道路標識を見る限り、県道なんかに落ちぶれたようだが、まだダート区間は残っているのだろうか。
 
 度会への県道分岐を過ぎると、その先で通行規制の看板が道路脇にポツンと空々しく立っている。
 
この先幅員狭小なため    
大型車(4トン以上)
  通行不能です
        大 台 警 察 署
        伊勢土木事務所
 
 これ以外には、あまり狭さを注意する看板は見当たらない。でも、峠前後は本当に狭いのである。もっと強調してもいいのではないかと思ったりする。

通行規制の看板が立つ
 

奧西河内林道の分岐 (撮影 1993. 3.26)
左上のガードレールが藤坂峠への本線
 道は暫く、センターラインもある幅の広い快適な道路が続いた。看板の文句とは裏腹である。アスファルト路面もそこに描かれた白線も真新しく、どうも前回の8年前に訪れた時以降に、改修工事が施されていたようだった。
 
 しかし、こんなことでは騙されない。きっとこの後、狭い道で苦労する。その覚悟はしておかなければならない。
 
 間もなく、今度は右に、奧西河内林道を分岐する。この道も、途中で名もない未舗装峠を越える小さな峠道であった。今はどうなっているであろうか。
 
 道がそろそろと登りだす頃、案の定、昔のなじみのある狭さとなった。平地では比較的、道路改修が容易なのであろうが、狭い谷間をくねって登る坂道となると、そう簡単ではなさそうである。路面のアスファルトの状態は悪くなく、補修が行き届いているのだが、道幅だけは何ともし難い様である。
 
 あまり展望もきかず、険しい山岳道路風の豪快さも感じられない。沿道にもこれといって目を引くものがなく、走っていても何を楽しみにしていいか分からない。ただただ目の前の狭苦しい路面を見つめて進むだけである。

狭い道を見つめて登る
 

峠への目印となる電波塔
 道のくねり方が一段と激しくなると、道の左側に沿う藤川源流の谷が深まり、それなりに視界が広がりだす。すると進行方向の左手奧に、電波塔らしきものが立っているのが望めるようになる。電波塔へ登る九十九折も見える。峠はその電波塔が立つ山の肩の部分に位置する。峠のある稜線上の鞍部は、道を走っている限りでは確認することができない。代わりにこの電波塔が峠までの距離を測る目印となっている。
 
 こうなると峠までもう少しである。道の狭さは南島町側よりこちらの大宮町側の方がやや勝っているように思う。特に峠直下のこの付近が圧巻である。何とか無事にこの難所を抜けられればいいのだが。
 
 狭いことが事前に分かっていると、かえって構えてしまう。逆に全く何も知らないままに初めて訪れると、びっくりはするものの、あれよあれよと言う間に、案外何事もなく通り過ぎてしまうものだ。それが、どうか対向車が来ないように、などと不安な面持ちで走っていると、悪い運を引き寄せてしまうらしい。
 
 峠を目前に道は相変わらず狭く、その上更に所々極端に細っている部分がある。永会で県道38号に別れを告げて以来、これまで全然車とすれ違わなかったのにも関わらず、よりによってこんな所で対向車が現れた。相手は大型のワンボックスカーである。嫌だ嫌だと思っていたことが現実になってしまい、何であんな車がこんな所を走るんだと、やや不機嫌である。当然こちらの軽自動車がバックして道を譲るのであるが、ちょっと道幅が広い所まで引き返すと、十分な余裕も空けずに、知らん振りして相手を待った。ワンボックスカーはミラーを畳み、窮屈そうにゆっくりゆっくりすれ違っていく。相手のドライバーはすまなそうにちょこんとお辞儀をして通り過ぎた。何だか悪いことをしてしまったなと思った。

この狭さ、嫌になる
 

大宮町側から峠を見る
目の前を林道国見能見坂線が交差する
 暫く振りに見る藤坂峠は、峠の大宮町側の部分が以前よりちょっと広くなっていた。峠の大宮町側で横切る林道・国見能見坂線が、アスファルト敷きの幅の広い道として改修され、その分峠が切り崩され広くなったようである。しかし、元々切通は深くはなく、明るく開けた感じの峠で、それが尚更開放的になっただけである。切通の細さも昔と変わらず健在であった。
 
 藤坂峠は今回で3回目であるが、実はちゃんと越えるのは初めてである。1991年12月の1回目は、南島町から登ってきたが、峠の切通から始まって大宮町側に積雪があった。切通を抜けるだけでもノーマルタイヤは危うげに滑った。まだスタッドレスは持っておらず、チェーンは着ける気にならずで、あえなく引き返したのである。そんな冬の峠道でも、途中2度程通る車を見かけたのだった。
 
大宮町側から見る冬の藤坂峠 (撮影 1991.12.29)
 
  
昔の国見山鉱山の道 (撮影 1991.12.29)
ゲートで通行止
 
 2度目は1993年3月だった。大宮町側の藤越林道から奧西河内林道へと走り繋いでいる途中である。以前越えることができなかった藤坂峠が気になり、ついでだからとわざわざあの狭い道を藤坂峠まで往復したのだった。峠道となれば何としても全線走っておかずには気が済まなかったのである。それにしても今考えると馬鹿なことをしていた。
 
 ただ、その時の峠の写真は今となっては貴重に思われる。改修された国見能見坂林道が通る前の峠の姿が写っていた。大宮町側から登ってくると、切通の手前に「南島町」と書かれた錆びて古ぼけた標識が、ポツンと寂しく一つ立っていたが、それは今はもうない。
 
 そんな訳で、今回が3度目であるが、峠を通して越えるのは初めてである。
 
10年前の藤坂峠 (撮影 1993. 3.26)
大宮町側から見る
 
 峠の大宮町側はあまり眺望がきかない。代わりに新しい峠で気になるのは、やはり国見能見坂林道である。この林道は峠道を横切り、ほぼ稜線沿いに伸びている。以前にも峠の西に位置する国見岩方面へと、国見山鉱山(株)三重鉱業所の道が続いていたが、ゲートで通行止であった。しかし現在は舗装路として通行止の看板もない。それではちょっと寄り道してみることにする。

峠の大宮町側の部分
 

峠の左手(西)
国見能見坂林道の国見岩方向

峠の正面(北)
大宮町側の景色
あまり眺望がない

峠の右手(東)
国見能見坂林道の能見坂方向
 

林道から峠を望む
 まず、峠の東方向の林道を行くと、直ぐにゲートで通行止であった。そこより電波塔へ登る道が分岐していたが、そこもゲートで入れなかった。ただ、そこからは峠の様子がよく分かる。それに峠からは見られなかった大宮町側の谷間の景色が一望であった。ちょっと寄ってみるのは悪くない。
 
 峠は大宮町と南島町の境を成す稜線上の鞍部に位置するが、あまり明確に切れ落ちた鞍部ではないことが眺めていて良く分かる。峠を含む稜線周辺が空に広く開けている。
 
 林道の名前からすると、更に東方を通る県道22号の能見坂(県道上は能見坂トンネル)まで続いていそうな勢いだ。しかし、稜線沿いにそんな遠くまで車道が続いているとは思えないのであった。
 
 一方、峠より西の国見岩方面へと続く道に入ると、直ぐにアスファルトは途切れ、開削したばかりの未舗装林道、と言うより鉱山用の荒々しい作業道といった様相になる。道の側らに「発破注意」の看板や「立入禁止 火薬」と書かれた小屋が立ち、どうも物騒である。何に使われるか分からない異様な建物もある。

林道から見る大宮町側の景色
 

稜線の真上で道は止まった
 峠の直ぐ上辺りまで登ってくると、道が二手に分かれた。左は稜線の南側を更に奧へと進んでいる。多分、鉱山の採掘現場へと続いているのだろう。右手の道は稜線の更に上へと駆け上がっていく。その道を進んだ。
 
 道幅は十分あり、危険はなさそうだが、本当に稜線間際を走るので、非常に高度感がある。その内、もう道というより、ただ山を切り崩した崖際を走っているようになった。心臓がドキドキするくらいに怖い。これがただ歩いているなら問題ないが、車と言う重量物に乗っているので、その重さで崖が崩れるのではないかと心配になるのだ。
 
 道は正真正銘、稜線の真上に来て止まった。そこからの眺めは素晴らしかった。怖い思いをして来た甲斐があったというものだ。東へ続く稜線と北の大宮町、南の南島町が一望である。下に掲載したパノラマ写真は、実際に撮影した景色の半分でしかない。あまり広過ぎて、ここには納めきれなかったのだ。
 
稜線上より峠方向(東)を望む
一見の価値がある眺めであった
 
 寄り道から戻り、峠の切通を抜けて南島町側に入ると、道は切通を過ぎた先で左へと急カーブして坂を下って行く。そのカーブ手前付近は、大宮町側ほど広くはないが、車を1、2台停められるだけの路側がある。そこから南島町側に眺めが広がる。先ほどの稜線に登るような無茶をしない大抵の一般人にとって、ここからの眺めがこの藤坂峠の道では一番である。
 
 折りしも、小さな子供を連れた家族の車が一台、大宮町からやって来てそこに停まり、車を降りて景色を眺め始めた。ところが、小さな女の子ひとりだけが怖い怖いと言って、ガードレール脇まで近付こうとしない。父親がいくら平気だからと言って勧めても、どうしても景色を眺めようとせず、早く行こうとしきりにせがむのであった。

峠より南島町側を望む
熊野灘が見える
 
 ガードレールから先は崖が鋭く切れ落ちている訳ではない。だからそこに立っても普通には危険など全く感じない。高所恐怖症の私でもへっちゃらである。しかし、遠くを眺められるだけあって、周囲に比べて高い場所であることは確かだ。普段見慣れない景色からくる「高い」という漠然とした恐怖を少女は感じたようである。
 
 峠から望む南島町側は、山並みが暫く続くとその先で谷の間に水が入り込んでいた。山がそのまま熊野灘に沈み込み、入江となっていたのである。
 

南島町側の途中にあるヘアピンカーブ
(撮影 1991.12.29)

左と同じ場所 (撮影 2001. 5. 4)
 

南島町側の途中からの景色
南島町市街と入江がはっきり見えてきた
 峠の南島町側の道は、狭いことは狭いのだが、それより屈曲が多くスピードが出ないので、車を運転しているとやたらと長く感じさせられる。こちらも直ぐに遠望がきかなくなり、やっぱり走る道としては面白みがないのであった。
 
 途中一箇所、鋭いヘアピンカーブを曲がるが、そこからは少し眺めがあった。路肩が広く、車を停められる。最初に来た時も、そこで停まった覚えがあった。僅かな山間の平地に、南島町の中心地の町並みが広がるのが見えた。その先に吉津港の入江や神前湾があった。海にポッカリひとつ浮かぶのは弁天島だろうか。
 
 そのビューポイントを過ぎれば、また詰まらない道が延々と続く。藤坂峠の道は、峠自体は本当にいいのだが、やはり道の方はあまり好きになれないのであった。
 
 沿道は木々が塞ぎ、視界がない。振り向いてもあの開けた峠はもうどこにも見えない。

視界のない道が続く
 

見覚えのない分岐
 道はそのまま分岐することなく、南島町市街へと一本道で下るものだとばっかり思っていた。愛用のツーリングマップ(ル)にも何の分岐も記されてはいない。ところが、全く記憶にない分岐が現れた。ほぼ同じ程度に狭い道がY字に分かれている。周囲には何の看板も、道路標識のひとつもない。普通の人ならこれでは迷う。どちらが本線の県道か判別がつかないだろう。しかし、そこは長年の感というものがある。伊達に峠の旅を長く続けている訳ではない。何となく右の道だと思って入ったのだった。
 
 するとやっぱり間違えた。本来、道の左手に河内川の谷を望む筈が、あらぬ方向へとドンドン下って行ってしまう。
 
 降り立った所は、何となく異様な雰囲気であった。こんな山の中にと思う所に鉄道が走っている。何が通っているのか、鉄道の頭上に高架が伸びている。側らには一目で廃車と分かる白のセダンが、被された青いシートが半分外れた状態で放置されている。道の角には小さな祠が佇む。祠の横には「青知山 採石・産廃 絶対反対 伊勢知区」と書かれた看板がむなしく立っている。線路はあまり使われることがないようで、赤く錆びていた。ちょっとした廃墟の雰囲気である。
 
 後で調べると、そこは河内川と小さな尾根ひとつ隔てて西側にある、伊勢地川の谷であった。鉄道は大阪セメントの専用線らしい。藤坂峠近くの稜線付近にある採石場から吉津港まで、石灰を運ぶ為に作られたものだ。

伊勢地川の谷に下りて来た
 

鉄路と高架
 鉄路に沿って、狭いがアスファルト舗装の車道が真っ直ぐ伸びていた。これを山と反対の南に下れば、間違いなく町に出られるだろう。どうやら引き返す必要はなさそうである。峠道の本線は外したが、面白い道を発見した。やはり私の感に狂いはないのである。
 
 こんな寂しい所、誰も来ないと思っていると、1台の乗用車が町の方からやって来た。見ていると、そのまま訳知り顔で線路に沿った道を、山の方へと走り去って行く。この先、一体何があるのだろうか。ちょっと気になるところだが、峠で散々道草を食ったので、今回は行ってみるのは諦める。見つけた道をその都度入っていては、旅が先に進まない。
 
 予想通り、鉄路に沿った車道は、その内町中を通るようになり、遂には止まれの標識でやや斜めに大きな道に突き当たった。国道260号である。看板に「←南島町役場300m ふれあいセンターなんとう50m→」とあった。ここは町役場も近い、まさに南島町の中心地である。が、メインストリートである国道の通行量は少なく、信号のない交差点だが、いともた易く国道に乗ることができた。一瞬これは本当に国道だろうかと心配になった。
 
 峠の高みからは町を広く眺めていたが、今はその町の中に埋もれる身である。さっさとこの場を抜けて、次の目的地へと進みたい。もう脇道には目もくれず、国道を西へ西へと走る。ツーリングマップルに「ニラハマ展望台」とポイント案内が記されていた。峠から遠くに眺めた海を、次は間近に見ることとする。

国道260号との合流点
 
 海に面して長い三重県だが、調べてみると意外に峠が多いことに気づく。この「峠と旅」に掲載したものでは、例えば石榑(いしぐれ)峠や千石越、水呑(みずのみ)峠などがある。中でも矢ノ川(やのこ)峠は別格だろう。
 
 今回のこの藤坂峠周辺では、鍛冶屋峠、能見坂、藤越などが目に付く。私は越えたことがまだないが、剣(つるぎ)峠もなかなか険しい(狭い)らしい。また、友人が藤坂峠の西方に位置する古和峠を乗用車で越えたが、その凶暴なまでの狭さには全く閉口したそうだ。狭いといえば国道260号上にも、あの棚橋トンネルがあるではないか。
 
 矢ノ川峠などの豪快な峠に比べると、藤坂峠を筆頭とするその周辺の峠は、やや格が落ちる気がする。しかし、仮にも県道や主要地方道、場合によっては国道でありながら、その道の狭いことといったら、これはまさに一級品が揃っている。峠道に関しては、三重とは何て立派な県であったろうかと、改めて見直してしまう藤坂峠であった。
 
<制作 2003. 5.18> 蓑上誠一
 
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