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矢ノ川峠  (回想)
  やのことうげ  (峠と旅 No.021-3)
  矢ノ川峠旅客索道/御在所ロープウェイ博物館の展示より
  (掲載 2015. 3. 8  最終峠走行 2001. 5. 4)
   
   
   
 この矢ノ川峠は矢ノ川峠(行止りの峠)(掲載 1997. 7. 5)と矢ノ川峠(再訪)(掲 載 2001.8.26)で取り上げた。 まだ、インターネット上でも情報が少ない頃で、矢ノ川峠についてあまり詳しいことは分かっていなかった。 その後、峠の茶屋の悲話などにも触れるようになると、また無性に行きたくなる矢ノ川峠である。 しかし、ちょっとした未舗装林道にも負けず劣らずの険しい峠道は、もう容易には旅ができない。 また、紀伊半島の三重県南端の地は、病の身にはやや遠い。 ただただ、昔の写真(下の写真)を眺めて懐かしがるばかりだ。
   

峠から尾鷲市側を見る (撮影 1993. 3.27)
この時から既に20年以上も経つ

峠の尾鷲市側 (撮影 2001. 5. 4)
ジムニーはほぼ同じ所に停まっている
   

峠の熊野市側 (撮影 2001. 5. 4)
この右手辺りに茶屋があったようだ
片隅に石碑が立つ
バスが停まることを考えると、それ程広い峠ではない

石碑 (撮影 2001. 5. 4)
亡くなった茶屋の主人・稲田のぶへさんへの歌が刻まれる

   

峠から熊野市側を見る (撮影 1993. 3.27)
熊野市側は以前から通行止

峠から熊野市側を見る (撮影 2001. 5. 4)
   
   
御在所ロープウェイ博物館
   
<御在所岳へ>
 そんな折、同じ三重県でも北の端辺りまで旅する機会があった。 心臓手術を控え、なるべく安易な旅とした。 滋賀県との境に位置する御在所岳へと登る御在所ロープウェイでも乗ってみようかと調べていると、 山上公園駅で「矢ノ川峠旅客索道」の展示があるとのこと。 山上公園駅の一画がロープウェイ博物館になっていて、その中で今回、 同じ三重県の矢ノ川峠に架かっていたロープウェイに関する特別展示が催されるようだった。 これは是非にでも見てみたい。
 
 旅の当日、御在所岳では初雪があり、山上公園駅から更に山頂へと続くリフトには、寒くて到底乗れる状態ではなかった。 その分、展示を眺めることとする。 何かの撮影スタッフが数人来ていたが、それ以外、博物館へと足を運ぶ者はほとんど居ない。 あの矢ノ川峠に関する貴重な情報があるというのに・・・。

御在所ロープウェイ (撮影 2013.11.13)
この日は初雪を記録
   

展示の様子 (撮影 2013.11.13)
<ロープウェイ博物館>
 博物館は御在所ロープウェイ関係の展示を主とする中、壁の一面が矢ノ川峠旅客索道の展示となっていた。パネル展示を中心に閲覧資料やワイヤーの見本がテーブルに置かれていた。規模は小さいが、まあこんなところであろう。
   
<矢ノ川峠旅客索道>
 そもそも「矢ノ川峠旅客索道」(りょかくさくどう)とは、「わが国で最初にお客さんが乗ったロープウェイ」なんだそうだ。 昭和2年の完成で、当時としては画期的な出来事だったようである。
 
 索道が建設されたのは旧尾鷲町側、今の尾鷲市側だが、現在峠まで辛うじて通じている旧道とは全く異なる場所に開通したらしい。 展示パネルの地形図を見ると、旧道入口より下流の矢ノ川右岸より登り、 矢ノ川隧道の直後から分かれる林道八十谷線の途中辺りに到達していたようだ。 麓側を大橋駅、頂上側を小坪駅と呼ぶ。

展示パネル1 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   

展示パネル1の地図 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

展示パネル1の地図の部分拡大 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   

展示パネル2 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 ただ、索道のゴンドラの乗車定員は僅か2名で、現在のロープウェイの感覚からすると非常に小さい。 ゴンドラに設けられた小さな窓から顔をのぞかした乗客の姿は、どこかおかしみがある。 この箱の中に閉じ込められ、高い空中を移動するのを想像すると、ちょっと恐い気がする。
   
展示の写真 (展示の撮影 2013.11.13)
   
<峠道の変遷>
 展示パネルによると、以下の様である。
 
@ 明治〜大正の熊野街道(明治道)
 明治21年(1888年)〜
 (文献:明治13年熊野街道が矢ノ川峠を越える)
 (文献:明治21年幅員6尺の車道完成)
 (文献:大正9年県道津木本線)
A 昭和初期の矢ノ川峠旅客索道
 昭和2年(1927年)〜
B 南谷経由の新熊野街道
 昭和11年(1936年)〜
 (文献:昭和28年2級国道170号)
 (文献:昭和34年1級国道42号)
C 現在(トンネル)の国道42号
 昭和43年(1968年)〜現在
 
 現在、国道42号から分かれる旧道は、Bの「南谷経由の新熊野街道」の一部である。 登って矢ノ川隧道をくぐった先で明治道に合し、明治道で峠に至っている。

展示パネル3 (撮影 2013.11.13)
   
矢ノ川隧道を抜けた直後 (展示の撮影 2001. 5. 4)
前を通るのが明治道
左は峠へ、右には林道八十谷線の林道看板が立つ
   

矢ノ川隧道の麓側坑口 (撮影 1993. 3.27)
こう見ると、トンネルは狭い
よくバスが通れたものだ

矢ノ川隧道の峠側坑口 (撮影 2001. 5. 4)
   
<明治道>
 国土地理院地形図で は、矢ノ川隧道より麓側の明治道は途中で消えている。 ちょうど旅客索道が通じていた付近だ。昭和初期から使われなくなった道なので無理もないだろう。 しかし、大正期には乗合自動車が走っていた道である。 どんな姿を残していることだろうか。 小坪駅の跡地なども見られたら面白いことだろう。
 
上の地形図はマウス操作による拡大・縮小・移動が行えるようです。
   

展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
   

展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13)
   

展示パネル3の一部 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)

展示パネル2 (撮影 2013.11.13)
(上の画像をクリックすると拡大画像が表示されます)
 
やはり矢ノ川峠の道にはボンネットバスが似合う
 
展示パネルによると、開鑿記念碑があるようだが、
どこにあっただろうか
確か峠にはなかったと思うが
   
   
   
 こうして矢ノ川峠を回想すると、また訪れたくなってくる。 展示パネルに険しい南谷沿いを走るバスの写真があったが、その箇所はどこだろうか。 開鑿記念碑はまだ立っているのだろうか。 八十谷林道を行くと、小坪駅があるのだろうか。 麓側の大橋駅はどうだろうか。 明治道の痕跡は・・・。 いろいろ思いは募るが、遥か遠く険しい地にある矢ノ川峠であった。
   
  
   
<走行日>
・1993. 3.27 尾鷲市側より峠まで ジムニーにて
・2001. 5. 4 尾鷲市側より峠まで ジムニーにて
・2001. 5. 5 熊野市側より3Km強進む ジムニーにて
(2013.11.13 御在所ロープウェイ博物館を見学)
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 8日発行 角川書店
・県別マップル道路地図 24 三重県 2013年 3版 9刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
 
<1997〜2015 Copyright 蓑上誠一>
   
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