サラリーマン野宿旅
旅の思い出 No.1
 
1999年
 

 ここでは頂いたメールの中より旅に関した思い出などが綴られたものを紹介させて頂いてます。

<掲載1999/12/10 旅ではないですが、旅のようなものです>

はじめまして、ホームページを見ました。
28歳の男です。現在無職。(T_T)
愛知県東部、豊橋市の隣町に住んでいます。

ジムニーに乗って1人気ままな旅。
そして夕方になったら泊まる所を決めて、
携帯ガスバーナーで食事を作る。

ホームページを夢中になって読ませて頂きました。
胃腸が弱いとか、1人で自然に接するのが性に合っているっていうのは
妙に共感しました。自分と似ているなぁって。
僕はそういう旅をした事がありませんが、楽しそうですね。

静岡県の御前崎から愛知県の渥美半島先端までは一部の地域を除き
ひたすら砂浜が続いています。
僕はその砂浜で4月から10月までは投げ釣りに夢中になっています。
釣りに行く日は、砂浜に早朝5時に着くよう行きます。
真夏以外はその時間だと肌寒いので、
灯油バーナーを使ってコーヒーを入れるんです。
ご存知かもしれませんが、アウトドアショップに行くと
ホワイトガソリンを燃料にするバーナーがあります。
でもそういうバーナーって、燃料代が高くつくので、
僕は灯油、自動車用ガソリンが使えるバーナーを愛用しています。
ホワイトガソリンって約700円/1リットルするのに対し、
灯油なら約700円/18リットルなんですから。
灯油は点火に手間がかかりますが。

話がそれてしまいましたけど。
朝は、灯油バーナーで入れたコーヒーとコンビニのサンドイッチ。
昼は、お湯を沸かしてカップラーメンというように
灯油バーナーが役に立っています。
で、最近やりたいなぁーと思っているのが、
夜から砂浜に出かけ、愛用の灯油バーナーで食事を作ったり、
夜空を眺めながら現地で1泊して、
早朝から釣りをやるっていうことなんです。
そういえば今年の8月ですが、夕方砂浜で釣りを終えて帰ろうとしていると
ジムニーの横にテントを設置して野宿している人がいましたよ。

 T.Yさん。ありがとうございました。燃料コストにお詳しいですね。ちなみに私の使っているLPガスはNET230gで450円程度で売ってます。それをいろいろ探して一番安い店で380円で手に入れてます。それでも灯油とは比べ物になりませんね。こんど灯油バーナーを買おうかな。
 P.S 浜辺で見掛けたジムニーは私ではありませんが、同じ様なことをする人は居るものですね。



<掲載1999/ 8/22 ツーリングで熊に遭遇>

 お久しぶりです、栃木のアキオです。
お盆休みを利用して秋田県田沢湖までツーリングに行ってきました。
その帰りなんですが雨に降られ、日焼け(海で泳いだ為)と朝から走り続けた疲れで、
野宿地を探しているうち夕方になってしまいました。
場所は山形県村山市の国道13号。
地図を見ると近くにキャンプ場があるようなので、狭い山道に侵入しました。
30分ほど走りましたが雨と霧のため視界が悪く、道も荒れてきたため、引き返しました。
キャンプ場は見つからず。
朝からの雨でカッパを着ているにもかかわらず、Gパンまで濡れていたので気持ち悪く、
「何処でもいいや」と思い、山道脇の広場みたいな所にテントを張りました。
荷物をテントに入れるとテントの中までドロドロでシュラフも濡れてて最悪でした。
すぐ寝てしまおうと思いましたが、蒸し暑くてどうしてもビールが飲みたくなり、再び出動。
テントを張った場所から2〜3キロ下ったとき狭い左コーナーを曲がるとそれは居ました。
最初は巨大な猿かと思いましたが、アクセルを吹かすとそいつはこちらを振り向きました。
犬でもシカでもなく熊でした。
体長は1メートルぐらいだったと思います。ころころ太ってました。
すぐ左の森の中に消えてしまいましたがあの顔忘れません。
私は信じられない思いでふもとまでたどり着き、1件の商店を見つけ「この辺に熊は出るか」と聞いてみたら、時々畑や田んぼで見かけるが、最近は出てないと言われました。
熊のようなものを見たと話すと、少し驚いてました。
取りあえずビールを買って、テントに戻ろうとしましたが道に迷いテントを見つけたのは9時過ぎ。
ビールを飲んでクマ出んやろな〜と思いつつもすぐ就寝しました。
深夜は雨の音に混じり、枝がパキパキッと折れるような音や小さな動物(イタチかリスのようなもの?)が走り回り、生きた心地がしませんでした。
次の日は夜明けとともに出発しました。

と言うような出来事でしたが、次の日キャンプ場で会った人にクマを見たと話しても半信半疑だったようです。
野宿旅かけだしの私にしては、いきなり貴重な体験をしました。

 バイクの旅で雨に降られるのは大変ですよね。カッパの中まで濡れる思いは私も経験して十分に分かります。
 それにしてもやっぱり熊は居るんですよね。われわれ山の中の辺ぴな所で野宿する者にとっては無視できない存在なのです。今度熊対策をじっくり考えてみましょう。



<掲載1999/ 5/23>

 それは、大学4年の時です。
 1969年9月初旬、3日前に支笏湖ポロピナイのキャンプ場でテントを張り、明け方寒さで起こされたので、その後、小樽、利尻では旅館に泊まり、礼文島にきても民宿に一泊しました。しかし、利尻島を礼文から眺めていると、北の地ですが、映画「南太平洋」のバリハイの場面を思い出し、また、夜には、星空を眺めていたら、俄然、テントを張りたくなり翌日は、昼間からテントを張り、昼間は利尻富士を眺め、夜には烏賊釣りの船の明かりと、星空を眺めて過ごしました。本当に一日中、テントで過ごしました。
 しかし、夜は寒かったです。でも、支笏湖の時に寒さを経験したので、この時は兎に角着込みました。確かに、寒いより暖かいほうが過ごしやすいのですが、でも、後になって思い出すのは夜明け前に寒さで起こされ、明け方の清涼な空気を吸い、そして、夜が明けていく景色ですよね。これは、野宿というか、テントを張ったものだけにわかるものですよね。
 対岸の利尻島は海抜と標高が同じ島なのですが、北海道の裏日本側の増毛あたりから、道路を北上すると、本当にきれいな山です。しかし、秋の空気が澄んだ、9月の利尻は本当に良かったです。この時代は今みたいにテントの種類は豊富ではなく、重く、持ち運びが大変でした。また、宅急便みたいのがなく、鉄道小荷物で駅止めにしておくのです。車(乗用車)での移動ではないので、夜露が多いと翌日は重くなるのです。これが、長旅には応えてくるのです。でも、キスリングのリュックサックにこれを担いであるいていたのですから、蟹族と呼ばれて列車の乗車では嫌われものでした。当時、学生だった私は金銭的にも余裕がありません。でも、お金がない分、アイデアは豊富でした。
 この学生時代に旅した旅行は貧乏旅行なのに、最高の思いでです。
 なお、この時に積丹の神威岬に行きましたが、とてもきれいでした。と、同時に、一昨年だったと思いますが、トンネルの崩落事故があった時は、本当に悲しい気持ちになりました。
 余談ですが、90年に9月のはじめに、中国からの留学生(といっても皆、35歳以上、亜細亜大学大学院生)4人、そして、日本人2人で北海道を1週間かけて、テント3泊、旅館3泊を、私のワゴン車で回りました。彼らと会うと、今でもあのような気ままな旅をまたしたいと、いつも話題になります。テントを持っていると、旅程の変更が随時でき、法外な値段を言われた時はいつでも、断れることができて気楽ですよね。昨年の暮れに彼らとあった時に、今年の5月にどこかにあのような旅行をしたいと、言って計画をしていましたが、どうも実現できそうもありません。中国ではまだキャンプなどは皆無と言って良いので、中国人にテントを利用した遊びを私はよく進めます。また、連れていくと、大変喜びます。
 私にとっては、不当な料金を請求される旅館より、このほうが本当に安くて、楽しいです。
 私は、5月がくると52歳になります。しかし、小さい時から野外でなにかをするのが好きでした。小学生のころは近所の山に掘立小屋(小屋というしろものではなく、ただ木を切って四方に棒をはり、拾ってきた布を張ってその上に草などを載せる)をつくりゲームをしたり、していました。だから、野外生活が好きなのだと自分では思います。

 再びHKさんでした。私が野宿旅を始めるずっと前からの大先輩だったことが判りました。


<掲載1999/ 5/23>

 こんばんは、私は栃木県に住む36歳の男です。一人暮らしの独身です。
 キャンプは過去数回、連れて行ってもらったことがありますがどうもあの雰囲気に馴染めず、私も野宿をしたことがあります。と、言ってもテントも無い、寝袋とカセットコンロだけの野宿でした。私も虫が嫌いなので顔中タオルを巻いて寝たのですが、蚊取り線香が夜中燃え尽きたらしく悲惨でした。
 その頃25歳ぐらいの時だったと思いますが、テントを買おうと本気で考えました。しかし当時はテントは高くて、(今でも高いですが)テントを買うと本格的なアウトドア人間になってしまうという、迷いがありました。なんか道具や料理にばかり凝ってる人が多く見えて、ダサく見えたのです。
 さすがに30歳近くなってからは、民宿や安宿を利用してましたがついに去年の夏400ccのバイクで日本海沿いに4泊の旅をして来ました。持ち物は愛用のカセットコンロと鍋とフライパン、そして銀マットとパラソルでしたが、すごい量の荷物でした。本当はサマーベットも積みたかったのですが、すごい幅になりバイクから相当はみ出すので危ないと思いあきらめました。
 山形から新潟の海沿いは最高でした。特に夕日が何ともきれい。当初は2泊ぐらい野宿して帰る予定だったのですが、初日日焼けし過ぎたため動けなくなり(^^;)、2日目は民宿のキャンセルがあったという宿に泊めてもらいました。居心地が良く結局4泊してしまいましたが。
 その後、腰痛になりバイクは売ってしまいましたが、仕事が暇だったため、大型二輪免許を取得しました。そして今年の年明け早々、リストラ解雇されてしまいました。医者通いのため残業が出来なかったり休んだりしてたんですが。会社は仕事を辞めて腰を完全に治した方がいいと言い、次の就職先で不利になるから、自己退社してくれと言う感じです。少し困惑はしましたが、面倒になりその時会社を辞めました。貯金も少なかったので苦しい生活をしてましたが、人間関係もあまり良くなかったので辞めて正解だったかも知れません。
 本来なら、せっかく時間が出来たのだから思う存分旅に行きたくなるところですが、お金が底をつきてしまいました。失業保険は自己退社なので3ヶ月は支給できないと言われましたが事情を話し、すぐ支給してくれるような手続きをしました。それでも欠勤が多かったので1日につき、3000円しか貰えません。このままでは本当に餓死してしまうと思い、兄にバイクの購入資金を貸してくれと相談しました。結局、医者にも行けず2ヶ月もアパートにこもりきりだったので精神的にも限界でした。かなり融資は難航しましたが、なんとか借りたお金でバイクを契約し、(不人気車ですが大型バイク)8日が納車予定です。
 余ったお金は全て銀行に貯金しましたが、何とむかしから欲しかったテントを購入してしまいました。初めて買うには贅沢かも知れませんが、ハーフムーンUと言うテントです。昨日さっそく部屋に張り、薄いシュラフで寝てみましたが、やはり寒くてガマン出来ませんでした。しかし狭いテントなのに妙に安心感がありました。仕方ないのでシュラフとライトを買おうかと思っておりますが。
 いい年して自分は何やってんだろう?とも思いますが、バイクが来たらテントを積んで、馴れるまでは近場でキャンプ・野宿を楽しもうと思ってます。ただロードバイクなので林道はきついかも知れないのですが。6月までには仕事を見つけなければなりませんが、それまで楽しむつもりです。
 ではでは、いつも楽しみに見ておりますので更新がんばって下さい。

 なかなかハードなメールでした。でもその後のメールによるとシュラフも購入し、房総一周や四国の旅も元気にしているそうで、今度は九州にも行きたいと旅の意気込みは十分です。でも、就職先はまだのようで・・・。
 Aさん有難う御座いました。


<掲載1999/ 5/22>

 HP拝見させて頂ました。とても充実した内容で見ごたえ(読みごたえ)がありました。
 私は現在、レガシィーとセローと所有しており、これらで走り回るのがささやかな楽しみであります。レガシィーは長距離用、セローは日帰り用に使用しています。
 昨年の夏は、レガシィーで東北方面を回ってきました。東北の宮城には父母の実家があり幼いころは良く連れていかれました。母は夏休みなど、夜勤のある父を気遣って煩い私どもを自分の実家に預けたのでした。そこで私は実家の兄と川で釣りをし、野山を駆け回り散々遊びつくしました。母方の実家は、田んぼの中の一軒家。騒ごうが、走り回ろうが怒られません。それこそ野放し状態です。田んぼの中の一軒家、近くに山川があるこの場所は幼い私にとって天国でした。残念ながらこの時は寄れませんでしたが....
 旅行に出たキッカケは、久しぶりに「見渡す限りの田んぼ」を見たかったのと、長期休暇でやることが無かったからでしょうか。コースはR4で福島、山形を経由し、日本海側へぬけ、海岸線に沿って北上し、秋田、青森へ行ってきました。時間切れで岩手、宮城には行けませんでした。十和田湖を見て高速で横浜へ帰って来ました。
 印象に残っているのは、山形の肘折温泉、秋田の男鹿半島で見た夕日でしょうか。山形では「見渡す限りの田んぼ」も見ることができたし、田舎の雰囲気を十分堪能しました。肘折温泉は山間にある湯治もやっている温泉場でのんびりした雰囲気が気に入りました。青森は、天気が悪くて気温も17℃と寒くおまけに道に迷ってしまったなどあまり良い印象がありません。風景も天気のせいか荒涼とした感じでした。それでも、大間まで行き本州最北端を見てきました。あまり印象に残らなかったですが....
 あまり大したことは、書けませんでしたが、これからもHP拝見させて頂ます。

 「見渡す限りの田んぼ」の景色はいいものですね。特に水を張った水田の景色はすがすがしいものがあります。大間崎は随分昔に何かのテレビドラマで、俳優の小林桂樹が本州最北端の地に立つシーンが出てきて、意識するようになりました。最果てといった感じに憧れて行きたくなり、以後何度か訪れています。でも、最北端ではないですが同じ下北半島の東の端の尻屋崎の方が、最果ての雰囲気があって好きです。saijouさん有難う御座いました。


<掲載1999/ 4/19>

 これは野宿の旅といえるほどのものではありませんが、季節が今ごろなので、今から20年前のことを。

1972年の4月初め(日にちは失念)

 私は当時、大阪で勤務していました。前日から準備をして、会社にリュックサックと登山靴、寝袋をもって、勤務時間終了後、京都の大原に向かい、そこから、静原を通って鞍馬に出ました。途中の道は本当に静かでした。梟の鳴き声が聞こえ、空には月が輝いていました。鞍馬についたのち、京福電鉄の線路伝いに二の瀬まで歩きました。ここの、待ち合いの小屋みたいなところで一泊しました。翌朝は5時前に起きて、岩倉まで歩き、電車に乗り出勤しました。

この時、二の瀬ではこの待ち合いの小屋に桜が覆い被さり、また、反対側の駅には桜が月の光に映えて本当にきれいでした。 薩摩の守忠度の「行き暮れて 樹の下かげ 宿とせば花ぞ今宵の 主ならまし」の句がしのばれました。翌朝は岩倉までは、春の田園風景の中をのんびり歩きました。

  桜の季節がくると、この時のことを毎年なつかしく思い出します。でも、あの桜、一人で静かに寝ながらみた桜は一生の思い出です。

 今でも、寝袋をみるとまたどこかへいこうかと思います。

 HKさん有難う御座いました。ちょっとした旅が20年以上の月日が過ぎても思い起こされるというのがいいですね。それほど月の夜桜の一夜が印象的だったのですね。


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