西への長い旅 (Part2) 旅は暮らしとなる
やっと少し気持ちに余裕が出てきたので、道路脇の空地に車を止めて地図を確認する。昨夜の迷走の結果は、どうやら岐阜県七宗町の神淵川沿いの県道で車内泊をしたらしい。自分の居所が分かればこれから進む道を決めることができる。なるべく交通量の少なそうな道を選んで、右に曲がり、左に折れながらも、西の方へと車を進める。次なる目標は塚林道を走って高倉峠を越え、福井県に入ることだ。それまではしばらく如何に道を選んでも市街地を走ることになる。町中はどうも落ち着かない。後続車に追い立てられて走っているような気がする。初めて走る町では次々現れる信号機や道路標識を見落とさないよう注意しなければならない。疲れたからといって、簡単には車を止めて休める場所も見つけられない。ただただ運転に集中する。それでも根尾村から馬坂トンネルを抜け、揖斐川沿いの国道417号を走るころには、周囲は信号機や道路標識の代わりに自然の山々に囲まれ、追い立ててくる後続車もなくなった。落ち着いたところで食欲も出てきた。体にはいい傾向である。考えれてみれば昨夜より何も口に入れていない。腹痛を起したこともあり、食べ物は控えていた。遅い朝食というか、早い昼食をとることにする。こんな時、町中と違って簡単に車を止めて食事をする場所が得られるのがいい(もちろんレストランに入るわけではない)。直ぐに揖斐川の河原に下りられるところを見つけて、車ごと河原に乗り入れた。一度止んだ雨がまた時折降る中、即席ラーメンを煮る。腹痛の後にラーメンとは、あまり消化によくないと思うのだが、他に適当な持ち合わせの食料がないので仕方がない。煮えたラーメンは雨を避けて車の中でゆっくり味わいながら食べる。おいしく思えるのが嬉しい。体が正常に戻ってきた証拠だ。食後は窓から揖斐川の流れを眺めて十分な食休みをとる。なるべく体に負担を掛けない。もう二度と体調は崩したくない。
揖斐川の河原に下りて食事
小雨が降る中、即席ラーメンを煮て食べる。昨夜より何も食べていなかったので、うまい。
その後、塚林道のダート走行を楽しみ、霧の高倉峠を越えて福井県に入り、一路南下。琵琶湖をかすめ、小浜市を通り、名田庄村、大飯町を抜けて京都府綾部市に入る頃には、そろそろこの日のねぐらを探す時間とあいなった。昨夜は苦痛な車内泊だったので、今夜は是が非でも安心してゆっくりゆったり眠りたいものだ。地図を眺めて野宿がでそうな所はないかと物色する。君尾山なる山の近くにキャンプ場のマークがあった。その近くまで車道がついている。どんなキャンプ場だか分からないが、10月に入ればもうキャンプの季節ではない。それに行き止りの山道なら他に野宿地を見つけられそうだ。早速県道から外れて、その君尾山に通じる道に入る。坂を登りきり尾根伝いの道になると、間もなく道路脇にキャンプ場が現れた。アスレチック用の設備もある青少年向けの野外活動場といった雰囲気のキャンプ場である。案の定、季節外れでひっそりと誰も居ない。キャンプ場は次の季節にまた子供たちの歓声が上がるまで、冬ごもりの体勢である。道は地図とは異なって更に先に伸びていた。尾根伝いの赤茶けた土の未舗装路で、眺めがすこぶるいい。思わぬ所でのダート走行と景色を楽しみながら、少し先まで走ってみる。道の脇には野宿しようと思えばできる所がいくらでもある。しかし誰もいないキャンプ場を逃す手はない。それに今夜もまた雨が降りそうだ。キャンプ場の中にあった東屋がちょうどいい。どこまで続くのか分からない林道を途中で引き返し、キャンプ場に戻って東屋の下にテントを設えた。その夜は雨漏りを気にする必要もなく、テントの中で手足を十分伸ばしてぐっすり眠ることができた。
君尾林道 尾根伝いのダートで眺めがいい
交通事故が多い神奈川県では15Km以下の速度オーバーも捕まえていたらきりがないのだろうが、地方ではそうではないらしい。日本全国一律にして欲しいものだ。それにそれまでやってきたことだが、速度制限の標識を常に確認して走るのは、かなり大変なことである。今回の様に一個所見落とすなどということは人間ではあってもしょうがない不可抗力である。それなのに私は御用で、後ろの乱暴な運転の車はおとがめなし。捕まえる人間を間違っているんじゃないかと言いたい。その旅が終わった後、それまでずっと買う必要などないと思っていたレーダーキャッチャーを購入した。そして速度制限の標識より、ねずみ取りをやっていないかどうかの方に注意を注ぐようになった。全く安全運転とは逆方向に私を向ける結果となったのだ。今回の旅ではこの後もう一度警察と関わりを持つこととなった。
目的の氷ノ山近辺はスキー場が開発されてしまっていて、新しい道が出現していたり、もとの林道が寸断されていたりで、道に迷ってばかりいた。野宿地を求めて一度潜り込んだ林道からまた人通りの多い県道に飛び出してしまい、再度暗くなってから入り込んだ氷ノ山登山林道の途中でやっとテントを張る場所を確保できた。
氷ノ山登山林道途中の野宿の朝
昨夜は薄気味悪かった。近くに「熊注意」の看板もあり、熊除けにそこらにある物を叩いて音をたてたりした。
倉見温泉 500円なり
旅に出てから5日目、最初の風呂である
入浴料500円はちょっと高い気がしたが、頭も体もさっぱりした。車を走らせながら窓から入る風で火照った体をさます。
最初に体調を崩し、若干つまずき気味の旅の始まりではあったが、そろそろ気楽に毎日が過ごせる様になってきた。何か特別なことをやってるという気負いもなく、当たり前のこととしてその日その日を過ごせるゆとりが出てきたのだ。何の収入にもならないが車で走ることが毎日の日課、仕事のようなもの。三度の食事をとり、暗くなったらいつものねぐらであるテントの中で眠る。旅は暮らしとなった。いい野宿地が見つかったら、まだ日が高くても、あっさりテントを設営してしまう。旅の途中で面白いものを見付けたら、先を急がずゆっくり楽しんでゆく。暮らしは続けるものだから、無理は禁物である。
大山を遠望する
6日目に国道313号の犬挾峠を越えて鳥取県に入った。数日前に起こした交通違反の罰金が気にかかる。いつまで旅を続けるか判らないので、この旅の最中に支払いを済ませておく必要があるのだ。大山の方へ向けてのどかな県道を走っていると、小さな郵便局がぽつんと建っているのが見えた。中に入り、罰金など払うのは体裁が悪いなと思いながら手続きをしていると、災難だったねというような言葉が返ってきた。思わずほっとする。
鳥取から西の山陰地方は、以前に一度鳥取砂丘を訪れたくらいで、ほとんど旅行もしたことがなかった。大山を眺めた後は島根県に入り、弓ヶ浜や美保之碕、松江、宍道湖などのほとんど観光地巡りに終始してしまった。こんな日もたまにはいいのである。ついでに今夜は出雲市内のホテルに宿を予約した。日が暮れてから町中でホテルを見つけるのに苦労させられたが、久しぶりにふかふかの寝床でぐっすり眠る。
島根県で三瓶(さんべ)山という一風変わった山を通りかかった。男三瓶、女三瓶、子三瓶などの幾つかの山が峰となって円周上に連なり、その中央が窪んで池も形成されている。近隣ではそれなりに有名な山なのかも知れないが、もちろんここに来るまではその様な山があることなど全く知らなかった。その山の様相が変わっていて面白いのと、少しは運動しなければとの思いから、ここはひとつ山歩きでもしようと、重い腰をシートから上げた。この旅では山歩きの準備はしてこなかったので、普通の運動靴しかないが、取り敢えず峰の頂上まではリフトも通じている。往復切符を買ってリフトに乗る。しかしどうもばつが悪い。なにしろ私以外誰もリフトに乗っていないのだ。一人ぽつんとリフトにぶら下がっている光景はどう見ても体裁が悪い。このリフトは本来スキー用のリフトとして作られたものらしく、雪の無いこの時期、しかも平日に利用する客はいない。しかし子供の頃から元来乗り物は大好きであり、リフトに乗りながら写真など撮って十分リフト代の分は楽しませてもらった。頂上からは峰を反時計周りに歩き出した。久しぶりにかく汗は気持ちがいい。この峰は独立峰のようで、周囲に景色が広がり眺めがいい。歩き始めた場所からちょうど反対側にある最高峰の男三瓶山は、ほとんど360度の展望があった。単に運動不足解消なんかじゃなくて、歩いた甲斐があったというものだ。途中からは峰の内側に下りてみることにした。そこには鬱蒼と原生林が茂り、ひっそり佇む池は不気味に灰色に濁っていた。そんな中を一人で歩いていると、何となく恐ろしくなってきた。急き立てられるように早足になってリフト乗り場に戻って来ると、相変わらずそこにはのどかに芝生が広がり、何となく間の抜けたオフシーズンのスキー場の景色が広がっていた。
三瓶山の中の池 一人で居ると薄気味悪い
この池は自然にできたもので、また自然に消滅する運命にあるらしい。
三瓶山をリフトで下る
行きも帰りも私以外に乗る者がいない
時にはこんな山歩きもしながら、その日その日の気ままな旅暮らしが続いてゆく。
萩市街を抜けて指月公園にちょっと寄り、国道191号を西へ。青海島に渡って「波の橋立」や「青海湖」などを見学する。同じ橋立でも「天橋立」とは大違いで、観光客など誰もいない。ややみすぼらしい橋立だが、私一人で気兼ねが要らないのがいい。橋立の近くに観光ホテルが建っているのだが、どう見たって営業しているとは思えない有様なのが、これまた私には似合っている光景だ。
その後は黙々と191号を南下する。あと8Kmほどで下関市街、本州の西の終わりだという所まで来て、はたと考えた。その先に進もうとすれば、関門トンネルをくぐって九州に上陸することになる。それもいいが、少し旅に疲れてきた。九州に入れば入ったで、次の目標は九州の南端、鹿児島となり、旅はさらに長引くだろう。どこか区切りがつく所まで行かなければ、気が済まない性質だから。ならばここら辺りが潮時か。下関市街はどんどん目の前に近づいている。あまり町中は走りたくない。それに下関はこの年の1月に瀬戸内海沿いを通って訪れ、先端まで行って九州を眺めてきたばかりだ。咄嗟に国道をそれ、わき道に曲がった。これまで西へ西へと進めてきた旅を、一転して東へ、我が家がある方へと向ける。これからは家路への旅だ。そろそろ野宿には寒い季節がそこまで来ていた。
☆サラリーマン野宿旅の目次 トップページの目次へ