林道の行止り
クマとの遭遇地点からなるべく離れようと、元の県道の続きをひた走る。このくらい離れれば大丈夫だろうと思った時には、気が付くともうとっぷり日は暮れていた。こう暗くなっては野宿地を見付けるのは難しい。こんな事態では、路肩に車を止めて車内泊というのが常套手段であるが、何故かテント泊にこだわった。
どこぞの峠に向かう登り道の途中の路肩に、ちょっと広めの車の待避所があった。こんな道を夜中に通過する車もないだろうと、その路肩にテントを張ってしまうことにする。付近の路面に落石の小さな石がぽつぽつ転がっているのがちょっと気になった。山側の壁を見ると、もろそうな岩が露出している。念の為山側からなるべく離れ、谷側のガードレールぎりぎりにテントを設営した。地面はアスファルトか硬い岩なので、テントのペグは全く効かない。まあ、風もあまりないので、大丈夫だろう。
野宿の準備をしている最中に思いがけず一台の車が坂を下ってきた。クラクションを一つ鳴らしてそのまま通り過ぎていく。暗がりにヘッドライトの明かりが山を下っていった。その後はまたあたりはシンと静まり返り、私もテントに潜り込んで静かに眠りについた。そのまま朝まで何事もなく過ぎてくれたらよかったのだが・・・。
夜の10時頃だろうか、遠くに雷鳴が聞こえた。野宿の眠りは浅い。やはり緊張しているせいだろうか、少しの物音でも目が覚める。半分寝ているようなうつろな意識の中で、目は閉じたまま暫く雷鳴に耳を傾ける。そういえば夕方近くカーラジオを点けていると、時折ガサゴソと雑音が入っていた。やはりどこかで雷雲が発生していたようだ。雷の音は長い間隔を置いて時折夜空をこだまの様に轟き渡って行くが、まだまだ耳をすまさないと聞き逃すくらい遠くである。このままどこかに行ってしまうかもしれない。雷鳴は無視して眠ることに専念した。
ところが暫くして一際大きな雷鳴にはっきり目が覚めてしまった。まずいことに雷雲はこちらにやってきてしまったようだ。しかし、まだ雨音はしていない。雨の降っていないときは落雷の可能性が高いと聞く。雷の音はますます大きくなっていく。光ってから音がするまでの間隔も徐々に短くなっていくようだ。
稲妻が光ってから頭の中で1,2、3・・・と数え、音がするまでの秒数を計ってみる。確か音速は毎秒300メートルくらいだから、それに秒数を掛ければ雷までの距離が分かるはずだ。今のは5秒くらいだから、300を掛けて約1.5キロか、などと計算するが、距離が分かったからといってどうすることもできない。ただ恐怖心を紛らわせているだけのことだ。
そのうち距離など測っても無駄になってきた。雷の音はもうテントの頭上のあたり一面から聞こえるのである。音というよりまるで空間を引き裂く様な衝撃波だ。ゴロゴロではなくバリバリと鳴る。普段暮らしている平地と違って、ここは山の中。しかも峠を身近にした頂上近くである。雷までの標高も近いのだろう。
稲光がするたびに体に力がはいる。いつ落雷するかと身構えてしまう。光るごとにテントの中はテント地の鮮やかな黄色や青い色でいっぱいだ。しかも目を閉じていても瞼を通して光が見えるのだ。これでは目を閉じていようが開いていようが関係ない。
暫くして雨が降り始めた。降り始めたと思うと直ぐに大雨になった。バケツをひっくり返したような雨がテントをたたく。代わりに雷のピークは過ぎていったようだ。徐々に雷鳴はおさまっていった。テントから撤退しようかとも思い始めていたが、どうやら大丈夫そうだ。このままテントの中に居ることにした。
雨音がうるさいので耳栓をする。安物のテントのうえにペグが効いてないので、こんな大雨では浸水が激しく、手探りで触ってみると、テントの裏地はもうびっしょり濡れている。床の低い所には水がたまり始めている。しかし、水に濡れて死ぬことはないのだ。ほっといて眠ることにする。暫くすると、雨足もおさまり静かな夜に戻っていった。また、うつらうつらと夢の中に入って行く。
ところがである。一度鳴り止んだ雷が、またどこかで鳴り始めた。いやな予感がした。徐々に音は大きくなってゆく。そしてまたテントの上で、我が物顔に轟き始めた。まるで、大型ステレオデッキの真ん前で、ボリュームいっぱいに聞いているようだ。右から左、左から右へと雷鳴が走る。あまりにもうるさいので、耳に手をやると、耳栓はさっきからしたままだった。試しに耳栓を取ってみると、耐え難い音だ。またしっかり耳栓をする。
瞼をきつく閉じていても、何の意味もない。閃光が走るたびに、眩しいくらいの天然色が頭いっぱいに広がった。居ても立ってもいられない。落雷しないように、肌身から金属を外そうかとも思ったが、テントそのものがアルミパイプの骨組みでできている。こんな山の中では、他に金属などどこにもない。雷が落ちるとしたら、きっとこのテントや車に落ちるのだろう。結局、テントの中でただじっと耐えるだけとなった。
やがて雨がぱらつき始め、また大雨が襲ってきた。それと入れ替わるように雷は沈静化していった。どうも最初と同じパターンである。大雨が雷の峠のしるしなのである。峠を越えれば、後はどんどん雷は遠ざかっていってくれる。サルなどと違って学習能力は高いのである。
その学習能力のおかげで、無闇に雷を恐れずに済むようになった。大雨が降る峠までは恐いが、それを過ぎれば一安心なのだ。しかしその後、いくつもの峠を越えることとなったのだ。朝方近くになってやっと少しうとうとできたが、心身ともにボロボロであった。
雷に遭った野宿の翌日は、早々にテントを撤収し、通れるかどうか分からない県道の続きを走った。内ヶ谷川のダム工事現場に突き当り、ダメかと思ったがどうにか通過。旧黒田林道の峠を越えて大和町市街に出ることができた。峠から国道156号に下る途中、東に視界が広がった。昨日の雷雨が嘘の様な朝日が昇ってきた。生きててよかったな〜。