サラリーマン野宿旅
野宿の災難
 
 の巻
 
この恐怖は言いようがない

 初掲載 2000. 9.11
 雷を生理的に怖がる人がいる。特に女性に多いようだが、実際の危険性以上にその音や光におびえるのだ。しかし私は理性と知性にあふれる人間である。科学的に物事を判断し、正しく事態を認識できるのだ。よって、避雷針などで安全を確保された家屋の中に居さえすれば、眩いばかりの閃光も、地響きを起こすほどの雷鳴も、少しも怖がることはないのである。かえって夜空を走る稲妻も、幻想的できれいだと思えるのである。

 しかし、野宿で遭遇する雷は、自分の体が無防備であるだけに、非常な危険性を感じる。現に、毎年何人かの人が、田畑やゴルフ場等の野外で落雷に遭い、命を落としているではないか。野宿ではクマに出会う危険性もあるが、クマで命を落とす人は年に1、2人程度であると聞く。雷の被害の方がクマよりずっと大きいのだ。
 雷は、悪天候として雨や風ほどポピュラーではないが、野宿で時折遭遇する厄介ものなのである。
 
 1994年の9月下旬、岐阜県板取町の県道(現在の主要地方道52号白鳥板取線)を大和町方向に進んでいた。残暑もおさまり、野宿旅には適した秋の一日であった。しかし、県道を来る途中には通行止の看板が出ていて、通り抜けできるかどうか分からない。だが、野宿地を探さなければならないし、とにかく車を進めることにした。後で分かったことだが、大和町側でダム工事が行われていたのだ。

 途中、地図にない得体の知れぬ林道に入り込んだ。いい野宿の場所が見つかるかもしれないし、うまくどこかに抜けているんじゃないかという期待もあった。しかしどうもおかしい。下るのかと思うとまた登る。登ったかと思うとまた下る。こういう道はどこにも繋がっていない可能性が高い。それに道沿いには野宿をするいい場所は全くなく、これはどうもダメそうだと思い始めている頃、カーブを曲った先にクマが居た。林道までノコノコ出てきていたのだ。こっちもびっくりしたが、クマも驚き、慌てて崖を駆け下っていった。車の中に居たので危険はないが、もうこの近辺で野宿などできたものではない。一応林道の終点まで行き、やっぱり行き止まりだったかと記念写真を一枚撮ってから、一目散に引き返してきた。

雷の去った夜明け 林道の行止り

 クマとの遭遇地点からなるべく離れようと、元の県道の続きをひた走る。このくらい離れれば大丈夫だろうと思った時には、気が付くともうとっぷり日は暮れていた。こう暗くなっては野宿地を見付けるのは難しい。こんな事態では、路肩に車を止めて車内泊というのが常套手段であるが、何故かテント泊にこだわった。
 どこぞの峠に向かう登り道の途中の路肩に、ちょっと広めの車の待避所があった。こんな道を夜中に通過する車もないだろうと、その路肩にテントを張ってしまうことにする。付近の路面に落石の小さな石がぽつぽつ転がっているのがちょっと気になった。山側の壁を見ると、もろそうな岩が露出している。念の為山側からなるべく離れ、谷側のガードレールぎりぎりにテントを設営した。地面はアスファルトか硬い岩なので、テントのペグは全く効かない。まあ、風もあまりないので、大丈夫だろう。
 野宿の準備をしている最中に思いがけず一台の車が坂を下ってきた。クラクションを一つ鳴らしてそのまま通り過ぎていく。暗がりにヘッドライトの明かりが山を下っていった。その後はまたあたりはシンと静まり返り、私もテントに潜り込んで静かに眠りについた。そのまま朝まで何事もなく過ぎてくれたらよかったのだが・・・。
 

 夜の10時頃だろうか、遠くに雷鳴が聞こえた。野宿の眠りは浅い。やはり緊張しているせいだろうか、少しの物音でも目が覚める。半分寝ているようなうつろな意識の中で、目は閉じたまま暫く雷鳴に耳を傾ける。そういえば夕方近くカーラジオを点けていると、時折ガサゴソと雑音が入っていた。やはりどこかで雷雲が発生していたようだ。雷の音は長い間隔を置いて時折夜空をこだまの様に轟き渡って行くが、まだまだ耳をすまさないと聞き逃すくらい遠くである。このままどこかに行ってしまうかもしれない。雷鳴は無視して眠ることに専念した。
 ところが暫くして一際大きな雷鳴にはっきり目が覚めてしまった。まずいことに雷雲はこちらにやってきてしまったようだ。しかし、まだ雨音はしていない。雨の降っていないときは落雷の可能性が高いと聞く。雷の音はますます大きくなっていく。光ってから音がするまでの間隔も徐々に短くなっていくようだ。
 稲妻が光ってから頭の中で1,2、3・・・と数え、音がするまでの秒数を計ってみる。確か音速は毎秒300メートルくらいだから、それに秒数を掛ければ雷までの距離が分かるはずだ。今のは5秒くらいだから、300を掛けて約1.5キロか、などと計算するが、距離が分かったからといってどうすることもできない。ただ恐怖心を紛らわせているだけのことだ。
 そのうち距離など測っても無駄になってきた。雷の音はもうテントの頭上のあたり一面から聞こえるのである。音というよりまるで空間を引き裂く様な衝撃波だ。ゴロゴロではなくバリバリと鳴る。普段暮らしている平地と違って、ここは山の中。しかも峠を身近にした頂上近くである。雷までの標高も近いのだろう。
 稲光がするたびに体に力がはいる。いつ落雷するかと身構えてしまう。光るごとにテントの中はテント地の鮮やかな黄色や青い色でいっぱいだ。しかも目を閉じていても瞼を通して光が見えるのだ。これでは目を閉じていようが開いていようが関係ない。
 暫くして雨が降り始めた。降り始めたと思うと直ぐに大雨になった。バケツをひっくり返したような雨がテントをたたく。代わりに雷のピークは過ぎていったようだ。徐々に雷鳴はおさまっていった。テントから撤退しようかとも思い始めていたが、どうやら大丈夫そうだ。このままテントの中に居ることにした。
 雨音がうるさいので耳栓をする。安物のテントのうえにペグが効いてないので、こんな大雨では浸水が激しく、手探りで触ってみると、テントの裏地はもうびっしょり濡れている。床の低い所には水がたまり始めている。しかし、水に濡れて死ぬことはないのだ。ほっといて眠ることにする。暫くすると、雨足もおさまり静かな夜に戻っていった。また、うつらうつらと夢の中に入って行く。

 ところがである。一度鳴り止んだ雷が、またどこかで鳴り始めた。いやな予感がした。徐々に音は大きくなってゆく。そしてまたテントの上で、我が物顔に轟き始めた。まるで、大型ステレオデッキの真ん前で、ボリュームいっぱいに聞いているようだ。右から左、左から右へと雷鳴が走る。あまりにもうるさいので、耳に手をやると、耳栓はさっきからしたままだった。試しに耳栓を取ってみると、耐え難い音だ。またしっかり耳栓をする。
 瞼をきつく閉じていても、何の意味もない。閃光が走るたびに、眩しいくらいの天然色が頭いっぱいに広がった。居ても立ってもいられない。落雷しないように、肌身から金属を外そうかとも思ったが、テントそのものがアルミパイプの骨組みでできている。こんな山の中では、他に金属などどこにもない。雷が落ちるとしたら、きっとこのテントや車に落ちるのだろう。結局、テントの中でただじっと耐えるだけとなった。
 やがて雨がぱらつき始め、また大雨が襲ってきた。それと入れ替わるように雷は沈静化していった。どうも最初と同じパターンである。大雨が雷の峠のしるしなのである。峠を越えれば、後はどんどん雷は遠ざかっていってくれる。サルなどと違って学習能力は高いのである。

 その学習能力のおかげで、無闇に雷を恐れずに済むようになった。大雨が降る峠までは恐いが、それを過ぎれば一安心なのだ。しかしその後、いくつもの峠を越えることとなったのだ。朝方近くになってやっと少しうとうとできたが、心身ともにボロボロであった。


 今回はテントの中に浸水してシュラフなどが濡れてしまったが、雷による直接の被害はなかった。しかし、考えてみると非常に危険な状態だったと思う。何事もなくて済んだのは幸運だったのである。もっと危険回避の具体的な手段を講じるべきであった。例えば、車の中に居れば、仮に車に落雷しても中の人間には何の影響もないことが世間一般で知られている。テントの中でおびえているより、早く車の中に逃げ込めばよかったのだ。でも、テントの中なら直接稲光を見ないで済むが、車の中からは恐ろしい稲妻を目の当たりにすることになる。それはきっと理性的な私にも恐ろしいことに違いないのである。
  
 雷の去った夜明け
雷の野宿の翌日は、眩しい朝日が昇った

 雷に遭った野宿の翌日は、早々にテントを撤収し、通れるかどうか分からない県道の続きを走った。内ヶ谷川のダム工事現場に突き当り、ダメかと思ったがどうにか通過。旧黒田林道の峠を越えて大和町市街に出ることができた。峠から国道156号に下る途中、東に視界が広がった。昨日の雷雨が嘘の様な朝日が昇ってきた。生きててよかったな〜。
 


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