サラリーマン野宿旅
野宿の災難
 
の巻
 
振り向くと、そこにテントはもうなかった

 初掲載 2000.2.24

 テントという代物は、どれほどの耐環境性があるのだろうか。それは野宿旅をする者にとって、とても大きな関心事である。勿論、ブリザードが吹き荒れる冬山などでもテントは使われるのだから、テントと言えどもかなりの性能が期待できる。しかしそれは、名の通ったメーカーのそれなりのテントについての話しだろう。野宿旅などをする者が、そんな高級なテントを持っているわけがないのである。もっぱら関心があるのは、5千円とかあるいは4千円以下で買った、どこのメーカーとも分からないテントについての耐環境性なのだ。

 例えば大雨に襲われたらどうなるのか。そのひとつの答えが前巻の「雨の巻」である。結論から言えば、テントは雨には弱いのだ。夜中に撤収を余儀なくされると思っていたほうがいい。しかし考え様によっては、たかだか水に濡れる程度の被害である。大雨で野宿地が地滑りでも起こしたらことだが、テントの雨漏りだけでは、命まで取られる心配はない。悪くてもせいぜい風邪を引くぐらいだ。まあ、野宿旅の最中に病気になるのはそれなりに厄介な事ではあるが、対処できないほどの重大事態ではない。大雨に襲われて散々な目に遭った夜は、朝まで忍の一字で、夜が明けたらどこか安全な場所で体を休め、濡れた野宿道具は気長に乾かせばいい。場合によって次の日はどこぞの安宿にでも泊まって、雨漏りのしない屋根の下で、安心してゆっくり静養すればいいのだ。

 耐環境性と言えばもうひとつ、風に対してはどうだろうか。ちょっと考えるとテントは雨に対してよりも、風に対して弱そうに思える。まさか忍者が大凧に乗って飛ぶように、テントごと飛ばされることはないとは思うが、それとて絶対ないこととは断言できない。今回はそんな風についての被害報告である。
 

 あれはもう7年近く前のことになる。5月の連休を使って、好きな四国を旅する積もりで家を出発した。高速道路を延々と走り、国道2号の渋滞にもめげず、兵庫県は明石まで行き着いた。そこから明石海峡フェリーで淡路島へ、さらに鳴門大橋を渡って四国にと上陸する予定であった。今は明石大橋が完成しているが、当時はまだ橋脚だけが海中からすっくと伸びて立っていた。ところがフェリー乗り場まで後2Kmという所まで来ると、国道脇に車の列ができていた。アッと思って咄嗟にその列の最後尾に車を付ける。案の定その列はフェリーの順番待ちであった。ゴールデンウィークを当て込んだ行楽客が、どっとフェリーに押し寄せたのである。気の遠くなる程長い車の行列だ。しかも1時間、2時間待ってもほとんど先に進まない。今から考えると、その時から歯車が狂いだし、悲劇への道に進んで行ったのだった。

 これでは日が暮れてもまだまだ船には乗れそうもないし、何しろ一人ではトイレに行くこともできないのだ。結局2時間以上待ったが途中で列を脱落した。こんな都会では野宿はできないので、仕方なく市内のホテルに宿をとる。淡路島か徳島県あたりで野宿する積もりが、余計な出費を強いられてしまったのだ。翌朝は早起きしてフェリー乗り場へ向かった。今度はそれ程待つこともなく、無事フェリーにて淡路島に。遅れを取り戻すべく、島内はほとんど素通りで、四国徳島に上陸。後は辺ぴな道を求めての迷走が始まった。今、その時の旅の経路を地図で辿っても、ほとんど無茶苦茶である。全く方向感がない。ある時は南、ある時は北。東に進んでいたと思うと、次の瞬間は西へ向いていたりする。とにかく四国にある未舗装林道などのマイナーな道を、片っ端から走り倒そうという感じである。ひとつの峠を2時間も3時間も掛けて、のんびりゆったり行こういった旅ではなかった。どうも浮き足立っていた感があるのだ。

 問題の夜は四国上陸の初日であった。朝から薄曇で、昼頃からは雨が落ち始めた。しかしそれ程の悪天候には思えなかったし、前日の思わぬ出費もあるので、その夜は最初から野宿と決めていた。国道55号で室戸岬を東から西へ回り込にだ頃、そろそろ野宿地を求める時刻である。太平洋沿岸の国道は室戸市から奈半利町と続き、そこから分岐する須川川に沿う須川林道に入り込んだ。国道を離れると間もなく未舗装である。道は寂しく通る車などありそうにない。こうなったらもうこっちのものである。野宿地は近いとの感触があった。案の定、国道から走ること僅かに5、6Kmの所で、林道脇に路面より一段高くなったちょっとした空地を見付けた。周囲は谷が広く開けて開放的である。車をその空地に乗り上げてみると、なかなか見晴らしもいい。野宿地探しなどちょろいものだと、一も二も無くそこにテントを張ることにした。

 この頃は野宿旅をはじめてから数年が経ち、野宿の経験もそれなりに積んでいたので、やや気持ちに緩みが出てきていたのかもしれない。最初の頃は何も分からないので、テントを張る場所にも必要以上に注意を向けていた。それこそ落石がテントに落ちてこないだろうかとか、雨で地盤は崩れないだろうかとか、今考えるとおかしなくらい心配していた。それがある程度場数をこなすと、要らぬ自信がでてくる。そんな頃が一番危ないのである。この時ももう少しテントの設営場所に気を留めていればよかったのかもしれない。見晴らしはいいのだが、「風」はどうなのかと・・・。

 雨も昼間に比べると幾分小降りとなっていて、テント設営はそれ程苦にもならなかった。この分なら夜中に大雨で悩まされる心配もないと、安心してテントにもぐり込んだ。ただ、日が暮れてから風が少し出てきて、時折テントのフライをばたつかせていた。地面が固く、石も混じっていたので、テントを固定するペグの半分近くは、十分地面に打ち込めず、ほとんど効いていない状態だった。それがちらりと気になったが、さほどの強風でもないので、何の気構えもなく眠りについたのだった。

 災難は夜中にやって来る。一度は寝付いたものの、風の音で目が覚めてしまった。日暮の時にそよと吹いていた風に比べると、明らか事態は変化していた。しかも時間が経つに従って、テントがばたつく音が大きくなっていく。これではもう眠れたものじゃない。暗いテントの中で、ただただ聞こえてくる音だけで状況を判断する。風は絶えず強く吹いているのではなかった。ほとんどなんの音もせず、風はもうおさまったのかと思うと、次の瞬間突風が襲ってきたりした。突風の1回の持続時間はそれ程長くはない。せいぜい10秒程度か。しかしその突風は回を重ねるごとに、その威力を強めていった。次の突風はいつくるのか。そしてその強さはどの程度か。寝ている体を硬直して身構えるようになっていった。

 危険と思われる事態に遭遇した時に、果たして何らかの行動に出るべきかどうか。そしてその行動とはどういうもか。またその時期は。野宿に限らずアウトドアなどで自然に接する場合、その判断が一番難しい。危険を必要以上に恐れては、もともと野宿などできはしない。かといって必要な時に必要な行動を敢然と行わなければ、極端な場合には命を落とすことにもなりかねない。このままテントの中に留まろうか、それともテントを撤収して、どこか安全なところに避難した方がいいのだろうか。テントを襲う突風の強さの程度をはかりながら、考えるというより、ほとんど悩んでいた。

 問題は、テントごと人が飛ばされるという現象があり得るのかという点であった。そんなことは普段考えることもないし、ましてや実験で検証できるものでもない。大きな竜巻などでは、自動車さえ空中に巻き上げられるそうだから、テントという羽をつけた人間ひとりくらい、簡単に空を飛ぶことは間違いない。しかしそんなことがこの日本のこの場所のこの程度の風で起こり得るのかだ。今のところ、テントは地面から引き剥がされて、どこかに飛んで行きそうな気配はない。でも、空を飛ぶほどではなくても、風にあおられて、地面を転がる程度のことは十分あり得る。テントの中でもみくちゃにされながら、テントごと高台から谷へ転げ落ちていく自分の姿が頭に浮かんだ。撤収することと決まった。

 ロボットがスイッチを入れられて急に動き出すように、いままで横になって硬直していた体をテキパキ動かし始めた。シュラフを丸めて畳み、エアーマットの空気を抜いて袋に詰める。その他の小物はバッグにパッキング。これらの荷物は両脇で抱えれば一度で運べる量だ。テントの入り口近くに荷物を集めて、テントのチャックを少し開けてみた。まずいことにテントの入り口は、風が来る方向に向いていた。正面からもろに風が吹きかけて来る。これもテント設営の手落ちである。今更嘆いても仕方がない。風が弱くなる頃合を見計らってテントを抜け出し、荷物を抱えて車に走った。車は直ぐ目の前である。荷台に荷物を放り込むと、直ぐにテントに引き返す積もりだった。その一瞬にまた一陣の突風が。アッと思って振り向いた時は、さっきまで自分が寝ていたテントが、跡形もなくなくなっていたのだ。入口を開け放たれたままのテントは、風を内側にもろにはらんで、飛ばされてしまったのだ。夜の闇の中では、飛んでいくテントを確認することはできない。まるで一瞬にして消え失せてしまったかのように思えた。

 直ぐにテントは諦めて車に戻る。とにかく風をもろに受けるこの少し高くなった空地から車を下ろすことにした。そして空地の下の林道脇に停めて朝を待った。風で車体は揺れるが、車を動かすほどの強風ではない。飛ばされたテントのことがちょっと気になったが、まずは安心して眠ることにした。

 

強風に襲われた野宿の朝
写真に写るべきはずのテントはもうない

 夜明けには風もおさまっていた。無駄だとは思ったが空地に再び登り、周囲の森を見渡す。森の色と同じ様な緑色のテントは、やはりどこにも姿が見えない。安物のテントだからと諦めることにした。旅を続けるには、もうひとつ別のテントも持ってきているので全く支障はない。長く野宿旅をやっていれば、こんなこともあるさと、あっさり野宿地を後にした。

 

林道途中より昨夜の野宿地を見下ろす
写真中央の少し高くなった空地
周囲に飛ばされたテントを探すも、どこにも見当たらない
 
 今回の失敗の原因は、テントの設営場所や、テントの設営方法であろうか。まず地形的に太平洋沿岸より内陸へ真っ直ぐ伸びた谷間にあった。谷は明るく開放的なのはいいが、遮る物がなく、まさしく風の通り道である。その上、ちょっとした高台にテントを設営してしまった。見晴らしがよく、野宿地としてはある意味で絶好なのだが、風に対しては無防備である。また、テントの向きもいけなかった。十分風向きを調べ、テントの入り口は風下になるようにすべきであった。
 この失敗の後は、見晴らしがいい野宿地を見つけても、まず風について注意するようにした。そこが風の通り道になっていないかどうか。直線的な谷間に位置しているような時は、いくら絶好な野宿地に思えても、わざわざ別の野宿地を探すように心掛けた。そのおかげで、それ以後はテントを飛ばされるようなことはないのである。
 
在りし日のテント
在りし日の我テント
北海道南茅部町川汲公園キャンプ場にて

 なくしたテントは値段こそ5千円の安物テントで、設営時に一人でアルミパイプを通すのが非常にやりにくいものだった。しかし、野宿旅を始めた初期の頃に一番よく使ったもので、北海道から九州までの日本の各地を一緒に旅してまわったのだった。思えば自分には値段以上の価値がある。それが今では写真の中に残るだけとなったのが残念だ。
 現在も相変わらず安物テントを使っているが、そのテントのペグの中に、形の違うペグが何本か混じっている。それは飛ばされたあのテントの跡に、辛うじて残っていたペグである。野宿地を去る前に、拾っておいといたのだ。その時はただもったいないと思って持って帰って来たのだが、そのペグが今では唯一の形見となった。


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