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日向坂峠(ドンベイ峠)
ひなたざか とうげ
 
あまり目立たないが、越えてみるとなかなか険しい峠道

<初掲載 2000.11. 2>
  
日向坂峠
日向坂峠 (撮影 2000. 4.30)
手前が山梨県芦川村、奥が同県御坂町
御坂町側は舗装化が進み、アスファルト路面も新しい
  
 日向坂(ひなたざか)峠と聞いて、ピンとくる人は少ないのではないだろうか。一体どこの峠かと言うと、山梨県の御坂(みさか)町と芦川(あしがわ)村との町村境の峠だ。同じ御坂町でも、天下茶屋で有名な御坂峠なら、山梨県やその近県に住んでいる者でなくても、知っている者は多いことだろう。しかし日向坂峠となると、地元の人か、登山好きか、私の様な辺ぴな道の愛好家くらいにしか、知られていないのではないだろうか。
 我々が頼りにするツーリングマップには、道の名は「蕪入沢上芦川林道」と記されていたが、肝心な峠の名前は明記されていなかった。しかも最近のツーリングマップルでは、林道名さえも削除されてしまっている。以前は「かつての悪路も今は舗装化が進行中」とコメントされていて、林道マニアなどにとっては少しは興味をそそるものがあったかもしれない。しかし、今ではほとんど見逃しそうで、間違っても目立つ存在の峠道ではないのだ。

 実はこの私もつい最近まで峠名を全く知らなかった。でも、ちょっと無理すれば自宅から一日で行って来れる距離にあるので、バイクや車に乗り始めてから比較的直ぐに訪れた峠道でもある。走りたての頃は、とにかくいろいろな所に行きたくて、面白そうな道をツーリングマップで見付けては、毎週末と言っていい程どこかしらに出掛けていた。日向坂峠の道も、そんな頃に訪れた峠道の一つである。そして訪れてみると、林道の未舗装区間がまだ多く残り、予想外に険しい様相を見せる山岳道路ではないか。これは面白い道を見付けたものだと、ほくそえんだのだった。

 
国道からの峠道分岐
御坂町側からの峠道の入口
前を走っているのは国道137号線
こんな感じの入口を探せばいいのだが・・・
 しかし、この峠道には致命的な欠点が一つあった。御坂町側からの道の入り口が、なかなか見付けずらいのだ。
 御坂町側から峠に向かうには、ほぼ南北に走る国道137号線の途中のどこかで分岐する必要がある。それがどこだか、なかなか分かりにくいのである。勿論、国道上に分岐を示す道路標識など有りはしない。
 それに紛らわしい道が国道からいくつも分岐しているのだ。うっかり入ろうものなら、人家の軒先に出て大ひんしゅくをかってしまう。ちゃんとした道なのか、民家への入口なのか、判別がつかないのである。
 更に、国道137号は快適な道で、車がビュンビュン飛ばしている。のんびり道を探しながら走れる状態では決してない。

 最初に日向坂峠を越えたのは、図らずしも芦川村からだった。一度越えた経験がある峠道だからと、楽観して二度目に御坂町から行ったら、見事に道を見失ってしまった。国道を引き返してまで探す気にはなれず、そのまま通り過ぎてしまった経験がある。その後も何度か入り損ねて、悔しい思いをしている。どうやら疑心暗鬼にかかってしまったようだ。
 今年の春(2000年4月)に久しぶりに訪れた時も、やはり一度通り過ぎてしまった。頭にきてしつこく国道を引き返し、やっと見つけたのだった。
 分岐の場所を示すいい目標物もなく、そう頻繁に訪れる訳ではないので、2、3年も経てばどうしても記憶があいまいになる。そこで今回は、わざわざ入り口の写真を撮ってきた(左の写真)。この次行った時は、一発で見つけてやろうと思うのだが、どうなることやら。

 
 しかし、うまく国道から分岐してしまえば、それまでの車の喧騒がうその様に静かな落ち着いた道となる。わずかに建つ人家の間を縫って屈曲する狭いアスファルト道。そこに住んでいる者だけが使う路地裏の生活路といった雰囲気である。これがあの険しい峠まで続いている道の助走となっているとは到底思えない。
 すぐに「県営林道 蕪入沢 上芦川線」と書かれた林道標柱が、道の左脇に出てくる。石積みの庭先には花が咲き誇っていた。
 更に進めば、舗装はアスファルトからコンクリートへと変わり、黄色いゲートの設置場所が現れる。コンクリート路面はひび割れ、道の古さを感じさせる。道の両側は枯葉に覆われ、それはひび割れの中まで入り込んでいる。道が周囲の自然に溶け込んでいるように感じる。こんな雰囲気の道は好きである。
 ゲートを通過すれば、いよいよ人の普段の生活領域から抜け出て、自然の中へと入り込む。道幅は狭いが、通る車などほとんどないので、のんびり景色を見ながら走りを堪能できる。道の周囲は林に囲まれ、もはや余計な人工物は目に入ってこない。
ゲート
御坂町側のゲート設置場所
ひび割れたコンクリート舗装と落ち葉
国道の喧騒がうそのように静かな林道が始まる
 
新しいアスファルト舗装
真新しいアスファルト舗装
道の周囲も整備された
道路脇に車を停めて、昼食とする
沢の護岸に腰を下ろして、コンビニ弁当を食べる
 ゲートの先で記憶にない真新しいアスファルト路面が現れた。以前の峠から御坂町側には、比較的長い未舗装区間が残っていた筈だが、最近舗装工事が進んだらしい。黒く引き締まった色のアスファルトに、白線の白さが引き立つ。
 道の周辺も整備されている。ガードレールの作りが凝っていた。ありふれた味気ない白い鉄製のものではない。一見、木の柵の様な雰囲気のあるガードレールだ。側を流れる沢(スモモノ沢)の護岸工事も行われた。山肌に治山工事らしきものも、現在なお継続中のようだった。

 沢を右岸に渡る橋の手前で、道路脇に手ごろな平坦地が造られていた。車を停めるにはもってこいである。残念ながら眼下に広がる雄大な眺めとはいかないが、折角だからそこで昼食とする。前もって国道137号沿線のコンビニで弁当を買い、この峠道のどこかで食べようと目論んでいたのだった。
 峠道は、ただ景色を眺めながら素通りするだけでは物足りない。そこで、よく昼食の場とすることがある。静かで落ち着いて食べられるし、場合によっては、いい眺めを見物しながらの食事ともなる。安いコンビニ弁当が、豊かな自然を前にして、気分だけはリッチである。
 椅子も何もないが、小さな沢の護岸に腰を下ろし、のんびり一時を過ごせば、お腹も心も満足である。

 
 日向坂峠の道はいろいろな様相を見せてくれる。
 峠までの登りの半分も来たろうか、ついに舗装が途切れて土と石の路面が現れた。昔からの道である。少し懐かしく思える。荒れた様子はなく、問題なく走れそうだ。

 道が整備されて、洒落たガードレールなどが造られるのもいいが、やっぱり峠道はその険しさが魅力だ。それにはやはり未舗装の道の方がいい。ガタガタ揺られながら走っていると、険しさを実感できる。

 このまま峠まで未舗装かと期待したが、残念ながらそうもいかなかった。時折、新品のアスファルトが顔を見せたのだった。

未舗装
この先で未舗装が始まった
 

登って来た道を振り返る
 この日向坂峠のクライマックスは、何と言っても御坂町側の峠直下の険しさである。
 峠を目前にして、道は大きく蛇行を始める。その附近は視界が開け、山の斜面につけられた道が、大きなジグザグを描いているのが見渡せる。道の側面の崖は、ところどころ岩肌が露出している。如何にも山岳道路といった雰囲気だ。周囲の山々の景色も広がり、これぞ峠道と思わせる。
 峠道全体はそれ程長くも高くもなく、地図から受ける印象は険しさとは縁遠い。しかし、意外なこのクライマックスがあるので、日向坂峠はなかなかの峠なのだ。

 以前は未舗装路の荒々しさと相まって、尚更険しい峠越えを感じさせられた。特に、比較的穏やかな芦川村から峠を越えて御坂町に入ると、一瞬ギョッとさせられる光景であった。
 しかし、そのクライマックス部分の舗装化も進み、残りのダートはあと僅かである。

    
日向坂峠
これからが峠へのクライマックス
舗装化は進んでいるが、この先でまだ少しダートが残っていた
  
 道は峠に着く前に稜線に到達し、それまで見えていたのとは違う谷間が顔をのぞかせる。稜線沿いの僅かなアップダウンを経て峠に着いた。
 峠は黒岳と釈迦ヶ岳の鞍部に位置する。どちらの山も「山梨百名山」というのに入っているそうだ。登山者のものらしい車が2台置かれてあった。以前通った時は、すれ違う車さえ一台もなかった。舗装化が進むにつれ、訪れる者も多くなったのだろうか。
 峠にはゲートがあり、傍らには「冬期閉鎖」とある。冬場はゲートが閉まってしまう危険があるようだ。

 ふと、峠に停められた車の脇を見ると、ガードレールに「どんべえ峠」と落書きの様に書かれてあった。近くに立つ登山道の標識にも同じ峠名が記されている。カップうどんじゃあるまいし、何をふざけた名前だと、信じる訳にはいかない。しかし、この時はまだ、峠の名前を知らなかった。

峠
ゲートがある所が峠
手前が御坂町、奥が芦川村
  
峠の芦川村側
峠の芦川村側
芦川の谷間の景色が望める
 峠からは林に邪魔されて御坂町側のあの険しさが望みにくい。逆に芦川村側の方は展望が広がる。芦川に沿った谷間が西へ延びている。その谷間に下って行く。
 芦川村側の道の状況は、私が最初に訪れた頃から比べても、ほとんど変わりはなさそうだ。ツーリングマップのコメント通り、10年くらい前から既に全線舗装となっている。しかし、古そうなコンクリート路面の区間が長く、路面に落石した石がゴロゴロと転がっていた時もあった。峠近くはそれなりに険しいのである。

 芦川村は北と、南、東の3方を山で囲まれた村である。村の東端にある黒岳に源を発する芦川が西走し、その芦川沿いに生まれた集落だ。
 よって芦川村に出入りするには、西以外はすべて峠越えとなる。北には甲府方面と行き来する県道の鳥坂峠(トンネル)があるが、南には車道の峠はない。そして東にはこの日向坂峠が唯一の車道の峠となっている。

 
 御坂町側から峠道に入るのは大変だが、芦川村側からは非常に簡単だ。すなわち、何でもいいから芦川村を東に向かえば、おのずと日向坂峠の峠道に入る仕掛けになっているのである。これなら迷いようがない。

 余談だが、考えてみると芦川村に通じる車道は3本しかない。芦川沿いに西へ出る県道と、前記の2つの峠道である。その内の1つはこの「峠と旅」で取り上げようという程の道だから、実質2本ということだ。芦川村はなかなか大した村なのである。
 以前、芦川沿いの県道が土砂崩れに見舞われた現場に出くわしたことがある。危なく、もと来た道を引き返しとなるところであった。しかし村人にとってはそれどころではない。この道を完全に塞がれたら他に迂回路もなく、村は半分陸の孤島じゃないかと思った。村人にとってはさぞかし重要な道なのであろう。


ここにもひび割れたコンクリート路面が続く
  
すずらん群生地
すずらん群生地の看板
 芦川村はすずらんの群生地として知られている。峠道を芦川村の集落に降りていく途中、左に群生地への入り口がある。道路脇に駐車場が整備されていて、傍らにポツンと小さな看板が立つ。あまり大々的でないのがいい。芦川対岸の群生地までは、そこから暫く歩くことになる。
 この本州随一と言われるすずらんの群生は、5月下旬が見頃とのこと。訪れる者も多いらしい。残念ながら訪れた時期に恵まれず、畑一面に咲かせたその可憐な花を見たことはない。
 
 日向坂峠を芦川村の麓に降り立つと、そこは上芦川の集落である。それまで山と森林ばかりだった景色が、人家が点在し、その間を畑が埋める様に広がる落ち着いた人里の風景へと変わる。斜面に造られた畑は、石を積み上げた段々畑となっている。高冷地野菜やコンニャクの栽培が行われているそうだ。畑の中にもゴロゴロと石が目立ち、土は白く埃っぽく、あまり肥沃な土地には見えない。
 
 集落内の道は細い。それを避けて芦川の左岸を通る道がある。そちらに向かって集落の途中より道が左に折れている。真っ直ぐ集落内を通っても、その先で同じ県道に出られる。

 橋を渡って左岸の道に出たすぐ左側に、車が停められる場所があり、芦川村の大きな案内板が立っていた。ハイキングコースの案内である。よく見ると峠の名前が載っている。「日向坂峠」の文字に続いて、括弧付きで「(ドンベイ峠)」ともあった。峠にあった落書きは、一応間違いではないようだ。但し、落書きは「どんべえ」で、案内板は「ドンベイ」である。「え」と「イ」が違う。細かい話しだが・・・。

 上芦川の集落を過ぎた所で県道36号・八代芦川三珠線に出る。県道を北に進めば鳥坂トンネルを通って甲府方面へ、西に向かえば渓流と紅葉で知られる芦川沿いを通って、国道358号・甲府精進湖線へと続く。芦川村を抜け出すには、このどちらかである。

上芦川集落
上芦川の集落
斜面に段々畑が築かれている
   
案内板 案内板の一部
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 それにしても例の案内板のお陰で、峠の名前が分かったのはよかった。名無しなら芦川村の花であるスズランに因んで、「すずらん峠」とでも仮称をつけようかと思っていたが、他にちゃんとすずらん峠があることも分かった。
 ツーリングマップル等の一般の道路地図に記載がないと、なかなか簡単には峠の名前は分からない。何かで調べればいいのかもしれないが、いちいち面倒である。それより実際に峠に訪れた時に、現地で確認できればそれが一番だ。峠に峠名が書かれた標識が立っていれば、それに勝るものはない。但し、落書きは要注意。
 また、日向坂峠のように、峠からずっと離れた所にある案内看板で分かこともある。だから案内図等が載った看板の前を通りかかると、わざわざ車を停めて、なるべく立ち寄ることにしている。それが今回奏効した。
 場合によっては地元の人に聞くこともできる。漢字の読み方もいろいろあって難しいので、現地で実際に使われている呼び方を聞くのが最も確かである。

 細かい話しだがこの日向坂峠の「坂」の字を、「さか」と読むのか「ざか」なのか、それだけでも悩ましいものだ。どちらでもいいことなのかも知れないが、一般に地元ではどう呼ばれているのか気になるところではある。それより何より「日向」を「ひなた」と読むことじたい、考えてみれば簡単なことではない。ところによっては「ひゅうが」と読ませないとも限らない。芦川村の案内板には、ご親切にも「ひなたざか」と仮名がふってあり、非常に助かるのである。

 家の近くに大栗川という川がある。幼い頃から最も身近にある川で、「おおくりがわ」と言って昔は子供のいい遊び場になっていた。私の母親も近在の出で、少なくとも母親が小さい頃からその川はそう呼ばれていたらしい。自分が子供の頃の30年前に比べると、大栗川は護岸工事が進み、土や草が姿を消した川となり、子供が遊ぶことも少なくなったように思う。それと同時に川岸に河川名が記された看板が立つようになった。見るとそこには「おおぐり」と大書されていた。市が立てたのだから間違いはないのだろうが、呼びなれた「おおくり」ではないので、妙な気持ちがしたものだった。落書きなどではなく、看板の活字てなると誰でも信じてしまうが、案外当てにならないものかもしれないと、不安が残るのだった。

 
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