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「人形峠」とは、時代劇にでも登場してきそうな名前である。一度読んだり聞いたりすれば、そんな名前の峠もあるのかと、まずは忘れることはない。でもどこにあった峠だかは直ぐに忘れてしまう。東西に細長く伸びた中国地方の、比較的日本海側に近いところで、鳥取市より西で松江市より東だという程度は記憶している。でも地図を広げて探すと、いつもなかなか見つからず、イライラさせられるのだ。
どうも中国地方はのっぺりした感じがして、基準となるポイントが定められない。もう少し地理に詳しくなり、主要な都市の位置関係や、大山、氷ノ山といった有名な山などの配置などでも覚えられればいいのだろうが、なかなか勘所が分からない。もう何度も訪れているはずだが、相変わらずつかみ所がない中国地方なのである。
人形峠は岡山県と鳥取県の境に位置する。国道179号というのが岡山県の内陸にある津山市から、鳥取県の日本海沿岸の羽合(はわい)町まで、ほぼ北に向かって伸びるているのだが、その国道が県境を越える所の旧道の峠が人形峠である。現在の国道は峠の下を「人形トンネル」で抜けている。津山市は中国地方でも有数の大都市であり、津山市の所在を地図上で見つけるのはたやすい。そこで津山市を目印に、そこより目をほぼ上方に移せば人形トンネルなりが見つけられ、峠も発見できることになる。最近は人形峠を見つけるのに、この手を使うようにしている。 人形峠の峠道となる旧国道部分は、全長でも6〜7Kmと短く、道としてはそれほど険しいのもではない。でも地図を見ると、まず峠近くに「動燃事業団」とか、「ウラン」などと書かれているのが目につく。最近原発関係の事故も起きているので、何となくちょっと怖いのである。また峠からは美作北2号線という林道が分岐している。人形峠を最初に訪れたのは8年ほど前のことで、その時はその林道を通りたくて峠を訪れたのだった。ある本でその林道のことが紹介されていて、なんでも路面に林道名が大きくペイントされているとかで、一度行ってみたいと思っていたのだった。ただその時の旅は、それまで勤めていた会社を辞めて、次の就職口も、これからの生活の仕方も決めず、当てどもなく出発した旅だった(「サラリーマン野宿旅」の「西への長い旅」を参照)。別に深刻な気持ちではなかったが、無職とあってはあまり贅沢をするわけにもいかず、質素な食事に野宿ばかりの旅であった。 その後は旅の通過点として国道の人形トンネルを抜けることはあっても、旅の目的地としてわざわざ峠を訪れることはなかった。峠道としてそれ程魅力的ではなかったのだ。しかし何年も行ってないと、少しは峠のことが気になってくる。あの名前だけはよく覚えている人形峠とはどんな峠だったろうかと。初めて訪れた時の記憶などは、もうとっくに薄れてしまっていた。そんな折、ちょうど昨年の暮れから今年の初めにかけて、また中国地方を回る旅に出た。ほとんど何の目的もなく、ただぶらつく旅であり、丁度いい機会なので、この人形峠にも寄ってみることとした。冬場なので、以前訪れた秋とは違う峠の様子が見られるのも楽しみであった。 |
昨日は岡山県の津山市のホテルに宿をとった。
JR津山駅に隣接するα1津山と言うホテルで、津山には何回か訪れているが、数年前まではこのホテルはなかったと思う。最近できたらしく建物も新しいし、本当に駅の直ぐそばだ。α1はチェーン店で、日本のあちこちの主要都市に建てられている。値段は普段利用する安いビジネスホテルなどに比べるとやや高めのクラスなのだが、そこそこリーズナブルな値段ではある。どこにあるホテルも設備はほぼ統一された基準を満たしていて、初めてでも安心して泊まれるのがいい。滅多に使うことはないのだが、どうしても安い宿が見つからない時や、体調不良などで緊急的に安易に宿を確保したい時に利用している。偶然かどうか分からないが、いままで予約の電話をして、満室で断られたことがないのがまたいいのである。 今日は12月27日の月曜日。外はまだ真っ暗だが、ホテルの部屋の中は暖房が良く効いて温かい。部屋に備え付けの電気湯沸し器でお湯を沸かし、カップラーメンの朝食をとる。6時少し過ぎにはチェックアウトした。フロントには誰も居なかったが、呼べば直ぐに制服をきちんと着た係りの者が出てきた。安いビジネスホテルだと早朝にフロント係が居ない時があって困るが、α1だとそんな事がないのがいい。
駅前を通る国道53号を暫く西へ走ってから北へ分岐する国道179号に入る。川を渡って数キロ先で国道181号が左に分かれていった。「夜間早朝スリップ注意」と出ている。街灯の明かりに路面はぎらぎら光っているが、それがただの水かそれとも凍結しているのか区別がつかない。念の為慎重に走ることとする。後は一本道の国道をそのまま進めばいいので楽なはずだ。
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![]() 岡山県上齋原村の国道179号上より鳥取県方向を見る 前方左に人形峠への旧国道が分岐する 道路右側に人形峠の分岐を示す道路標識が立つ |
旧道の峠道への分岐の間合いを図るため、再度車を停めてマップルを確認する。どんな分岐だったか全く記憶がない。うっかり通り過ぎて、引き返したりするのは面倒である。国道482号を右に分けた後、1kmほど先で左に入る道だと記憶して、また車を走らせる。一人旅はナビをしてくれる者が居ないので、いちいち手間が掛かるのだ。
路面の雪はもう途切れることがなく、4輪駆動に入れたままとする。 分岐は心配する必要もなく、大きな道路標識が出ていて一目瞭然だった。「人形峠」と書かれている。 |
峠道の入口脇に車を停めて、暫し辺りの様子をうかがう。問題は雪で車の通行ができるかどうかである。一般に峠道は冬期通行止が多く、峠愛好家にとって冬はとても詰まらない季節なのだ。と言う訳で、実は今回も半ば諦めていた。
しかし見ると、路面は圧雪路で、除雪は行き届き、さあ入りなさいと言わんばかりの道ではないか。ただし、どこまでこの状態が続いているかは、あやしいものだ。そう簡単には騙されないのである。人間歳を取ると、慎重というか、疑り深くなるのだ。 入口でうろうろ写真など撮っていると、傍らを1台の4WD車が道を登って行った。すれ違いざま、そのドライバーは訝しげにこちらを一瞥して通り過ぎた。当然のごとく走って行くのを見て、これはもしかして峠が越えられるのかと、やっと期待したのだった。しかし後でよく考えてみれば、その車は鳥取県方面より国道を走ってきた。峠が越えられるなら、わざわざ岡山側から登る訳がない。疑り深い割には、どこか抜けているのだった。 そんなこととはつゆ知らず、先に行った4WDに続けとばかり、愛車ジムニーを走らせた。ただし勿論ゆっくり慎重な運転である。凍結路面と違って圧雪路は、スタッドレスタイヤの噛み込みがよく、グリップがしっかりしている。また坂の勾配もそれ程急ではないので、スタッドレスを履いた4輪駆動のジムニーなら、何の不安もない道であった。しかもガードレールは完備され、おまけに除雪された雪が道路の両側に低い壁を造り、万が一滑っても谷底に落ちるなどという大事に至ることはないのである。 |
![]() 峠道の入口 通れるか不安だったが、道は除雪されていた |
![]() 峠へ続く圧雪路、道路脇には除雪された雪の壁 楽しい雪道走行、県境の山並もきれいだ |
景色を見ながらの楽しい雪道走行が続く。昇ったばかりの朝日が、周囲の白い雪をきらきら輝かせている。こちらの岡山県側は南東斜面に面しているので、日当たりがよく明るい峠道である。
道は終始同じ状態を保っていた。幅員も十分で、寂しい峠道という感じではない。どこか怪しいのである。 |
峠まで4km程という距離は、それがのろのろの雪道走行であっても、たかだか10分程度しか掛からない。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
峠も近いと思う頃、右手にグラウンドの様な広場や大きな建物が現れた。そこまでの道の途中に見える物は、山ばかりで他には何もない。それが峠に近付いてから大きな人工物が出てきたので、ちょっと不可解に思える風景である。広場を埋め尽くした雪が、朝日にあたり眩しいほどの白さだ。建物がある敷地の端の雪で覆われた斜面に、「JNC」の雪文字がくっきり浮き出ていた。Japan Nuclear Corporationとかの略であろうか。 |
![]() 峠を目の前にして建物やグラウンドが現れた 斜面には雪で「JNC]と描かれていた |
![]() 峠直前 雪の轍は道路の右側にある敷地へと車を導く |
すると間もなく雪の轍は道をそれて、右側の大きな建物が建つ敷地内へと入っていった。道をそのまま進めないことはないが、轍につられてジムニーも敷地に乗り入れる。除雪された敷地内には大型のトラックが一台止まっていた。マフラーから煙が出ている。ドライバーも乗っているようだ。
車を降りて左の写真に見える建物に近づいてみる。建物の周囲は雪に埋もれ、履いていたスニーカーでは無事にはたどり着けそうにない。少し離れた所より玄関を眺めてみた。「コーヒー&レスト ニュー人形峠」と書かれてあった。勿論この様子では休業中である。 |
そう言えば昭文社の最近のツーリングマップルに「人形峠」と並んで「ニュー人形峠」と書かれてあって、前から何の事だろうと不思議に思っていた。このレストランのことを言っていたのだ。それにしても、この建物のことなどまるで記憶にない。8年前通った時はまだ無かったのだろうか。それとも寂しい林道を目指し、人が集まるレストランなどの俗世間は、眼中になかったのかもしれない。
レストラン入口と並んでもう一つ入口がある。脇には「人形峠原子力産業株式会社」の文字。その入口へは僅かながら人の足跡が残っていた。 敷地内にはレストランとは反対側に「人形峠展示館」という、原子力開発に関する展示を行っている建物が建つ。以前はこんな所は見向きも近付きもしなかったものだ。関心がない上に、人間嫌いを誇示していた。しかし最近は入館料が安かったり、ただなら尚更のこと、ついでとばかり冷やかしに入ることにしている。人間、無用なこだわりがなくなり、丸くなったのである。いいような、反面寂しいような気もするのはなぜだろうか。 |
![]() 広場の一角に建つ 「コーヒー&レスト ニュー人形峠」 レストラン入口に並んで「人形峠原子力産業株式会社」 |
![]() 人形峠 左方向が岡山県、右方向が鳥取県 奥に美作北号林道が伸び、 手前方向に進むと守衛の目が光るゲート有り |
しかし残念ながら、今は「人形峠展示館」に入りたくても入れない。こちらの建物も人が近付いた形跡がなく、入口は除雪された雪が積まれて塞がれていた。雪に埋もれた峠の広場は寂しい有様だ。これが夏などのいい時期には、訪れる者も多いのかもしれない。やはり今の季節の方がほっとするなと思うのであった。
ただ唯一展示館の奥に並んで設けられたゲートには、守衛の目が鋭く光っていた。原始力関係施設への登竜門だ。いくら人間丸くなっても、そこには近付きたくはない。なるべく守衛と目が合わないように周囲を散策する。 広場を離れ、峠に行ってみる。レストランを過ぎるとそこはもう峠であった。そして除雪は峠で止まり、雪は2方の道を塞いでいた。一つは峠より分岐する美作北2号林道。以前来た時、未舗装を期待して入ったが、見事に肩透かしを食った道だ。もう一つは肝心な鳥取へ抜ける道である。「鳥取県」と書かれた看板を目の前に、除雪で掃き溜められた雪が、車の通行を阻んでいた。やはり冬の峠道などはこんなものと、諦めることにした。 |
峠の角に立つ看板などを見ると、美作北2号林道を行った先にキャンプ場やら森林公園やらがあるようだ。公園は4月中旬開園予定とのこと。この峠の部分だけ見ていると、それ程広くもない2つの道が交わった、こじんまりした十字路である。勿論信号機などない。しかしここは岡山県と鳥取県の県境で、中国山地の分水嶺でもある。峠はやっぱりすごいなと思うのだった。
人形峠という名の峠は、元は別の所にあったそうだ。現在の峠がある県境の稜線をすこし西に目をやると、人形仙という山がある。その山のすぐ東に鞍部があるが、そこが元祖人形峠だそうだ。現在の峠より3kmほど西だ。岡山県側からは、現在の峠道より西方を南へ流れる人形仙川に沿ってさかのぼり、その人形仙東鞍部を越え、岡山県三朝町の穴鴨へ抜けていた。藩政期には「打札越え」とも呼ばれ、人形仙の西側にある田代峠(昭文社の以前のツーリングマップには峠の記載がある)と共に、津山道として明治まで使われていたそうだ。 |
![]() 峠の角に立つ標識や看板 |
その後、岡山県側の石越から天王を迂回する里道が改修され、明治37年には現在の峠道の原型ができた。しかし、峠に名前が付けられることはなく、「県境の峠」などと呼ばれていたそうだ。昭和に入ると鉄道の開通などで峠の往来はさびれたが、昭和30年には国鉄バス美伯線が開通し、津山と鳥取県の倉吉を結んだ。
時を同じくして峠道の改修箇所でウラン鉱床が発見される。峠は一躍脚光を浴びることとなった。道路改修も加速がつく。またこの頃より人形仙にちなんで、人形峠と呼ばれるようになる。世間から注目されたのに、峠に名前がないのも、なんだからということなのだろう。よって人形峠としてはこちらは元祖ではないのだ。レストランの名前ではないが、「ニュー人形峠」なのである。 昭和32年には原子燃料公社のウラン精錬工場が建設され、現在のJNCへと繋がっている。昭和38年には国道に昇格し、峠道はいよいよ我世の春である。しかしそれも長くは続かない。昭和56年10月には峠のほぼ真下に人形トンネルが開通し、交通路としての主役はトンネルに奪われてしまった。 脇役となった峠道ではあるが、昭和58年には原子力展示館がオープンし、高清水高原の観光開発なども行われ、公園やキャンプ場へと行楽に向かう車も通ることだろう。第ニの人生を歩む峠である。 |
![]() 峠の由来を示す看板 THE ORIGIN OF THE NAME OF NINGYO TOGE スニークな漫画に、英語も併記 |
ところで「人形」と言う面白い名前には、ちゃんとした由来がある。レストランの近くにその由来を説明した看板が立つ。由来は概略こうである。
昔、3メートルの大きな蜂の大王がいて、峠を通る者をたびたび襲っていた。ある日、旅の僧が通りかかり、村人が困っているのを聞きつけた。そして人間大の木の人形を造り、体全体に文字を書いて、峠に置くようにと告げた。3日後に村人が見に行くと、大きな蜂が人形のそばに倒れていた。蜂は人形を人と思い、襲い続けて果てたのである。 これは「作陽誌」という書物に記載されているそうだ。また同じ「作陽誌」に次の様な由来も示されている。 ある日、きこりが山で仙人に会い、人魚の肉をもらった。それを食べたきこりは、年老いてから骨がバラバラになった。それで人魚山。 蜂の大王の方が面白い。しかしどちらにしろ、現在の人形峠のことではなく、元祖人形峠の話である。もらった名前の由来ではあるが、この峠に蜂の大王が出没したのではないので、ちょっとガッカリだ。 |
峠より右に曲がり、レストランの裏手を行くと、正面が例のJNCのゲートである。ゲート手前で慌てて広場に向けてハンドルを切る。先ほど停車していたトラックは、いつの間にやらいなくなっていた。朝早くから何かの機械の納品にでもやって来て、ゲートが開くのを待っていたのだろう。見ていると1台また1台と車が峠に登ってきて、ゲートの中に入って行く。何やらあわただしくなってきた。越えられない峠にはもう用はないので、もと来た道を下ることにした。
下り始めて間もなく、これはしまったと思った。なんと次から次へと車がやって来る。4輪駆動のオフロード車もあれば、マイクロバスやおばチャンが運転する軽自動車まで雪道をとことこ登ってくる。時間は8時半少し前。JNCの朝の通勤ラッシュに紛れ込んでしまったようだ。登り優先だし、こちらは完全な部外者だし、車が来るたびにジムニーをすまなそうに端に停めて、通勤車両が通過するのを見送る羽目になった。 |
![]() 人形トンネルの岡山側 |
![]() 鳥取県側の峠道分岐の標識 峠まで2.5Kmとある 道はトンネルに向かって左に分岐する |
最初峠道の入口ですれ違った4WDが、怪訝そうな顔つきでこちらを見ていたのが分かった。冬期のこの峠道は、JNC専用の通勤路同然となっていたのだ。そうでなければ旧道の峠道など、これほど立派に除雪される筈がない。しかしまたそのお陰で、鳥取県側に越えられないまでも、片側から峠まで行くことができたのだ。人形トンネルに主役は奪われたといえど、観光道路として以外に、立派に役に立っている峠道なのであった。
国道に戻り人形トンネルを抜けて鳥取県に入る。トンネルを出ると直ぐに、右側に道が見える。旧道らしい。しかし分岐は雪で埋もれて全く分からない。通り過ぎて振り返ると、分岐を示す道路標識があり、やっとそうだったのかと気付く状態である。 峠までの距離は鳥取県側の方が短いが、険しい道なのか、または日照の問題があり、岡山県側だけ除雪されるのだろう。実を言うと、これまで鳥取県側を走ったことがないのだ。こんな小さな峠道だが、完走してないとなると、非常に気に掛かる。またいつの日にか越える為に訪れなければならない峠として残ってしまった。 |