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椎矢峠 part2

しいやとうげ



 初掲載 < 1999. 8. 2 > やっぱり九州一の峠

 
椎矢峠
椎矢峠  快晴
手前が宮崎県椎葉村、奥が熊本県矢部町

 念願叶って椎矢峠をやっと再訪することができた。
 この峠については既に「今月の峠1997年12月」で簡単に掲載したが、そこで書いた様に最初訪れた時は天候にも体調にも恵まれず、非常に残念な思いをした。今回は体調を整え、天気予報も事前にチェックし万全の体制で臨んだのだった。



 前日は一日中しょぼしょぼ雨が降り、当然椎矢峠の峠越えは避け、十分休養する為に野宿もやめて、軟弱にも旅館に宿泊することとした。なるべく峠道の入口近くと思い、矢部町の東隣の宮崎県五ヶ瀬町で宿を求めた。以前泊まったことがある高千穂旅館は、休みなのか電話に出てくれないので、ちょっと峠道から離れてしまうが、五ヶ瀬町の役場にほど近い菊地旅館を予約した。着いてみるとその日の宿泊客は私一人で何の気兼ねも要らず、ねっころがりながらテレビで翌日の天気予報を確認したのであった。

 当日は心掛け通り快晴で、県道153号清和砥用線で矢部町に入り、緑仙峡の傍らを過ぎる。その峡谷には何やらこれから向かう内大臣橋に勝るとも劣らない橋が建設中であった。

 

内大臣橋
内大臣橋
砥用町側より
 以前訪れて道の様子など記憶にあるはずが、一度見えていたあんな大きな内大臣橋を見失い、迷走のすえ砥用町側よりやっと橋に到着した。その時に見掛けた一台のオフロードバイクも道に迷っているようであった。

 この内大臣橋とか内大臣川とかの「内大臣」とは、橋のたもとにある看板によると、「ないだいじん」と読むようである。但しある文献では「うちだいじん」とあった。読み方がはっきりしないと、どうも気持ち悪い。地元の看板が「ない」と言っているから、それに従っておく。

 「ないだいじんばし」は昭和36年9月着工、38年10月に完成している。昭和55年まで有料であったそうだ。この橋はこれから越える峠道とは無関係ではない。矢部町と椎葉村を結ぶ林道開発の一部として架けられたのだった。

 

 橋からの眺めはなかなかいい。遥か下を内大臣川が流れ、これから向かう峠道の方を遠望できる。さあいよいよ林道へ突入だ。

 ところがまた道に迷った。ひとつは1988年版の古いツーリングマップに間違いがあったからだ。ついさっきまで最近の1997年版のツーリングマップルを見ていて、それに載っていない狭い道に入り込んで迷った。後で古いツーリングマップを確かめてみるとちゃんとその道が載っていた。やっぱり古いものはいいと、内大臣橋からは古いツーリングマップを見ていて、まんまと罠にはまってしまったのだ。

 砥用側より橋を渡り、そのまま直進すればよかったのだが、渡って左側にある駐車場の前を進むとそちらにも道が続いていて、さらに進むとY字路に出る。そこを左に下ると内大臣川沿いの津留集落に降りて行く。古いツーリングマップではその先に林道が待っていることになっているのだが、あるべきところに道はなかった。

内大臣川
内大臣橋から内大臣川上流方面を見下ろす

 

内大臣林道入口
内大臣林道入口
直ぐにも未舗装路が始まるのが嬉しい
右上に県道153号清和砥用線が続く
 正解はY字路を右に登る。するとやっと見覚えのある十字路に出た。道がやや斜めに交わった変則的な十字路で、そこより延びる4本の道の内、未舗装道が一本ある。その林道の前にオフロードバイクが一台止まっていた。先程見掛けたバイクだ。彼も散々迷ったらしい。こちらが近付いて来るのに気付き、それをきっかけに意を決して峠道に突入していった。
 林道入口の左側に次の様な道路標識が立っている。
      内大臣
       ↑
 津留 ←    → 目丸
       ↓
     内大臣橋

 非常にローカルな地名ばかり並んでいるので、地元の人でもなければ見てもさっぱり役に立たない。林道方向を示す「内大臣」とは集落名を指しているのだろうが、勿論今ではこれより先に人家はない。「椎葉村」とでも書いてくれていれば、我々他所者には分かり易かったのだが。

 

 先に行ったバイクに続いてこちらもジムニーで林道に入り込む。この後は僅かな枝林道が途中で分岐しているだけで、椎葉村まで迷うことのないの一本道である。

 以前この道を通った時は前夜に風雨に襲われた後遺症で、あまり気持ちに余裕がなく、ただただ無事に完走するだけが精一杯であった。今回はじっくり味わいながら行こうと思う。

 林道沿線にはほとんど使われていそうもない木造の倉庫が建ち、クラッシックコレクションにもなりそうなトラックが捨てられている。それらはまだこの沿道に集落があり、生活や仕事の場として道が活躍していた時代の名残だろうか。

内大臣林道沿線
林道脇に打ち捨てられたトラック

 

小松神社入口
「小松神社入口」(ここより800m)
周囲は「こどもの森」
 10Kmほど行くと左に「小松神社入口」とある。そこを入り歩いて橋を渡ると対岸一帯は「内大臣製品事業所跡」である。大正5年に開設以来木材生産を続け、戦後の復興にも寄与したが、昭和55年に閉じられたとある。跡地は今では「こどもの森」(1995年4月)と名付けて公園風に仕立ててあるが、利用する者も少ないようで草木が伸び放題である。
 この近くにある小松神社は小松内大臣平重盛を祀り、それが河川名「内大臣川」の由来にもなっているとのこと。この地が道路標識にもあった「内大臣」の集落跡と考えてよさそうであり、「内大臣」という名称の発祥地なのだろう。
 昔は木材生産に従事する者達の住居もあったろうが、その発祥地も今はその痕跡さえも埋もれてしまい、生い茂った草木が周囲の散策を阻むほどである。
 そばを流れる内大臣川のこの付近を「内大臣峡」と呼び、ちょっとした景勝地としているようだが、変わらぬのはその川の流れくらいなものか。

 

 内大臣からさらに上流1〜2Kmの林道の右側に「内大臣の名水」と書かれた真新しい看板が目を引く。最近のツーリングマップルには載っていないが、古いツーリングマップによると「二本杉」と呼ばれる集落があった場所にあたる。脇から涼しげな沢水がチョロチョロ流れ出ている。その周囲が何もない平坦地なのが不自然な感じを受ける。明らかに人家などがあった跡を更地に戻したようだ。
 「森林の湧泉」なんて気取るのではなく、「何々集落跡」と書き残しておいてくれた方が、こちらとしてはジーンとくる。この泉もかつてはここの住人の生活水であったはずだ。昔はこの地に人が暮らしていたんだと判れば、その泉の水もまた違う味がすることだろうに。
 さらにその先の谷を見下ろす景勝地に、「ブフイエの森」(内大臣の自然を守る会)なる立て札が立つ。注釈によると、ブフイエという男が廃墟の村の荒地に木を植え続け、それが森となり、人々が戻ってきたという話しがあるそうだ。内大臣の森もそうあって欲しいとの願いらしい。
二本杉集落跡
「内大臣の名水 森林(もり)の湧水(いずみ)」
二本杉集落跡?

 

内大臣林道
内大臣林道を上る
内大臣川を見下ろす

 内大臣川を上流に詰めると河原が近くなり、キャンプに最適な場所が一箇所ある。こうした所はだれも見逃すはずはなく、この日も先客で埋まっていた。キャンプや川釣を楽しんでいるようだ。

 川を離れ上りが始まる。峠まではまだ10Km前後あるが、道は安定していて走り易い。広河原からの国見岳登山口を過ぎる。近くに登山客のものらしい車が何台か停めてある。この林道は熊本県と宮崎県の県境にそびえる国見岳への登山道路でもあり、林道からの登山口が2つほどある。

 川やそれまで通って来た林道を遥か下に見下ろすようになる。目を上げれば雄大な景色が広がってきた。

 

 林道脇に車を止めて写真を撮っていると、極端に遅いオフロードバイクが峠の方より降りてきた。見るからに危なっかしい腰つきで、傍らを通り過ぎる時にちょこんとこちらにお辞儀をして、さらに林道を下って行く。女の子のライダーであった。ヘルメットで顔はみえないが、きっと真剣な顔つきでハンドルを握りしめているのだろう。初心者のライダーにこの峠越えの林道は、ちょっと長く険し過ぎるようだ。でも完走できればいい思い出になる。なかなか遠ざからないバイクの後ろ姿を見送った。
女性ライダー
女性のオフロードライダー
林道をのろのろ下って行く 

 

矢部町側の景色
眺めは壮観
山肌を縫う林道の道筋が険しそう
 標高はぐんぐん上がり、内大臣林道からの眺めは壮観である。山肌を縫う林道の道筋が如何にも険しそうだ。

 峠に近付くと路面状況もやや悪くなる。崖崩れの補修個所なども見られる。標高も1500m近いとあり、荒涼とした雰囲気がでてくる。前回ここをガスに包まれながら下った時は、ちょっとした恐怖感に襲われたものだ。

 前方に峰の頂上が見える。もう直ぐ峠だ。

 

 快晴に恵まれ明るい峠に着いた。訪れたのは2回目だが、最初の時はガスで何も見えなかった。今回やっと峠の様子が分かったわけだ。やはり矢部町側の眺めが素晴らしい。

 峠は土の切り通しで、椎葉村側では稜線沿いに三方山の方へ林道が一本分岐している。その林道入口に数台の車が停めてあり、やはり登山客のものらしい。

 椎葉村側は穏やかな山並が望め、矢部町側の険し山岳的な風景とはまた違った趣である。

矢部町より峠に着く
矢部町より峠に着く
切り通しの先の左より林道が分岐する

 

峠の看板
峠の看板
古ぼけていて辛うじて「椎矢峠」と読める
 峠には見覚えのある「椎矢峠」と書かれた看板が、やはり以前と同じ様に土に埋もれて立っていた。看板に「SI−YA TO−GE」とあり、「椎矢」を「しいや」と読ませることが分かる。勿論椎葉村と矢部町の一文字づつを取ったのだ。

 峠の看板にもたれる様に「村道 椎葉矢部線 終点」と書かれた柱が傾いて立っている。地図などでは椎葉村側の道は椎葉林道と記されているが、こうした呼び方もあるようだ。

 

 峠の椎葉村側には最近建てられたものか、立派なトイレがある。主に登山客向けに造られたものだろう。女性などには便利かもしれないが、やや景色のじゃまである。

 鳥獣保護の看板は矢部町側にもあったが、トイレの横には村民上げて「めじろ」を保護しているとある。法律で捕獲を一部禁止してもいる。野鳥については全く分からないが、めじろを捕獲してどうするのだろうか。自然のままを眺めているだけでは、物足りないのであろうか。

峠のトイレ
峠のトイレ

 

椎葉村側の景色
椎葉村側の景色
穏やかな山の風景
 矢部町側の景色に別れを告げて、椎葉林道を下る。峠から見える景色と同じ様に、椎葉村側の道は矢部町側に比べると穏やかである。

 数Km下ると右に林道を分岐する(椎葉門別?林道)。入口に国見岳の標識も出ているので、その林道先に登山口があるようだ。ただし営林署の看板には車での通行はご遠慮下さいとある。

 

 谷は狭く道は屈曲が多いが、切り立った崖は少ないので、走行に危険は全く感じない。

 道を下りながら再度峠を眺めようと思うのだが、小さな尾根や木々が邪魔をして、視界はなかなか開けない。僅かに峠方面を眺められたかと思うと、また深い谷に隠れてしまい、それ以後二度と顔を現さなくなった。

 それにしても同じ峠ではあるが、その眺めは峠を挟んでむこうとこちらで全く違うのに驚く。どちらかというとやはり矢部町側のあの険しい山岳風景の方が好みである。ただしその分走行の危険度が増す。

椎葉村側の林道途中
椎葉村側より峠方面を望む 

 

椎葉林道
椎葉林道
穏やかな未舗装路が続く
 林道は山肌の細かいひだに沿ってクネクネ蛇行していく。路面は安定した土の道だ。

 この峠道は全線に渡り長い未舗装林道となっているが、全般的によく整備されていて、おうとつもほとんど無く、道幅もそれなりにあり、林道の中では非常に走り易い方である。ただガードレールが十分でないので、やはり一歩間違えると谷へはまってしまう。スピードは控えめにこしたことはない。

 やがて椎葉村を流れる耳川に沿った道となり、間もなく舗装路となった。

 

 矢部町側は林道分岐より未舗装のまま以前と変わりはないが、椎葉村側は舗装が徐々に上流に延びている。古いツーリングマップでは41Kmのダートとあるが、最近のツーリングマップルでは37Kmとある。さらに現在はそれより1〜2Km少なくなっているようだ。

 舗装路になって暫く行くと右手に堺谷キャンプ場がある。河原のそばにトイレと水道を設けたこじんまりしたキャンプ場だ。管理人なども居ず、無料なのがいい。多分ここも元は堺谷という集落で、その跡地をキャンプ場に転用したようだ。何もせずほったらかしにするより、キャンプなどで人に使われる方がいいとは思う。でも傍らにゴミが積まれて放置されているのは気に掛かった。これがここに住む人ならそんな事はしないだろうに。

堺谷キャンプ場
堺谷キャンプ場 

 

鳥居
道の途中に鳥居
 耳川の右岸に渡り、朱色の鳥居をくぐればもう少しで尾前の集落に入る。峠道もこれで終わりだ。右に五家荘林道を分け、その先で不土野峠を越える県道142号に出る。

 今回再訪してやっと椎矢峠が分かったような気がする。やはり九州で一番の峠であった。道の長さや険しさ、峠の標高や展望。どれもピカ一である。

 のんびり堪能しながら越えたので、この峠道だけで3時間半も費やしてしまった。滅多に九州の旅など出来るわけもなく、とっとと次の不土野峠に向かうとする。はたして再度椎矢峠を訪れることはあるのだろうか。

 


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