ホームページ★峠と旅
余地峠  車では半分しか走れません

よじ とうげ


<初掲載 1999.11.22> 「今月の峠 1999年11月」 として
 
余地峠
余地峠
手前が長野県佐久町余地 奥が群馬県南牧村熊倉

 長野県と群馬県の県境付近を地図で眺めていると、どうにも気になる峠がひとつある。余地と書いて「よじ」と読む峠だ。ほかの大抵の峠、例えば田口峠や十石峠、ぶどう峠、大上峠などは何度も訪れているのだが、この余地峠だけは最後まで行かずに残ってしまった。
 その訳は、余地峠を地図で見ると、黄色く塗られた細い帯が西の長野県側から峠までは来ている。黄色というのは一般の道路地図でよく使われる様に県道を表わしていて、勿論車が通れる道のことである。しかし峠の東側の群馬県に入ると、か細い黒い点線になってしまっているのだ。国土地理院発行の2万5千分の1の地図では、この点線は「幅員1.5m未満の道路」ということになっている。これではさすがの軽自動車ジムニーでも通行困難である。場合によっては自転車ならどうにか通れるかもしれないが、まずは歩いて登る登山道と考えておいた方がいい。余地峠は車では通り抜けできない峠ということだ。そんな事情もあり、これまで訪れたことがなかったのだ。
 数ある峠道の中には、新道の開通で旧道が廃道になりかけ、峠の半分が通行不能になったとか、峠の反対側にダムの建設が始まって、半分通行止めになったとかという例はよくある。しかしどの場合も元々は峠を越えられる車道が一本通じていて、その後に何らかの事情で峠の半分しか通れなくなったケースである。しかし余地峠はこれまで群馬県側に車道が通じたことがないのだ。長野側から峠まで県道を通しておいて、その後、長年もほったらかしなのである。
 最初は通り抜けできない峠など関心がなかったが、峠で途切れた黄色い帯を見つめていると、この県道は一体どんな道なのだろうかと、逆に興味が湧いてきた。勿論峠まで2車線の立派なワインディングロードが通じている訳がない。峠近くは多分とんでもない道だろう。未舗装林道どころの話ではないかもしれない。それにこんな峠なら訪れたことがある者は少ないに決まっている。その峠をちょっとのぞいてみたい気もする。考え様によっては峠まで片側だけではあるが車道が通じていて、全く歩かずに峠に立てるのだ。ちょっと怖い気もするが、とにかくいつものジムニーで出掛けるのであった。
 

県道下仁田佐久線分岐
左:秩父、十石峠   右:清里、小諸
国道299号から県道下仁田佐久線への分岐点
 長野県佐久町を通る国道299を十石峠に向かう途中より、問題の県道下仁田佐久線は分岐している。交差点は「余地入口」という信号機のある、比較的大きな十字路だ。そこを十石峠に向かって左に入る。
 県道は暫く幅のゆったりした2車線路だが、さすがにこの先行止りの道とあっては交通量は極小である。道の両側に広がる平地には、ぽつりぽつりと民家が建ち、その周囲を田畑が埋めている。
 余地の集落は峠直下から流れ出す余地川に沿って開かれ、下流より本郷、野尻、中谷、峠の湯といった集落を通過する。峠の湯には宿泊施設があるらしいのだが、看板などは見付けられなかったのが残念だ。大々的に宣伝などせず、品良く営んでいるのだろうか。

 

 余地は、東には県境の山々がそびえ、南と北は県境より派生した峰に挟まれ、三方を山に囲まれた地域である。南北の峰の間を余地川が西へ流れ、県道もその川に沿っている。車で走っていても非常に分かり易い地形だ。

 暫く続く平地はのどかな山村で、こうした落ち着いた雰囲気は、都会から来た者にとってはいいものである。その内、左右の峰が狭まってくると人家は途切れ、道は勾配を増してくる。常にセンターラインのあった道も、いつしか狭く荒れた道が時々顔を出す。右手に流れる余地川も谷を深くした。

集落を過ぎた
県道下仁田佐久線 県道標識が立つ
集落も過ぎ、いよいよ峠道らしくなった

 

石切場への分岐

県道の舗装が途切れた直後の、ここで迷った
前方の工事中の中を直前すればその先に道がある
しかし左に分岐する林道に入り込んでしまった

 遂に舗装が途絶えたと思ったら、行く手に工事現場が立ち塞がった。その工事現場の手前を左に道が一本登っている。ちょっとおかしいなとは思ったが、荒れてはいても道は道である。工事現場を進むより、道を走ることとした。それが間違いだった。
 平らな形をしたちょっと変わった石が路面に敷き詰められ、まるで川底のような有様だ。やっぱり峠で行止りとなる県道とは、こんなにひどいのかとも思ったが、それにしてもひど過ぎる。勾配も強暴なくらいだ。しかしもう後戻りはできない。方向転換できる場所など皆無だし、こんな急坂をバックで走れる訳がない。行けるところまで行くしかないのだ。
 前方に特に路面の凹凸が激しい場所が現れた。このまま不用意に突っ込めば、乗り上げる可能性がある。運良くその直前に僅かな待避所があり、勾配も心持ち緩やかである。そこに車の頭を入れて、クラッチを切り、ブレーキを思いっきり踏み込んだ。ジムニーは岩が擦れる音させながら少し後ずさりしてやっと止まった。

 

 ハンドブレーキを引けるところまで引いて、エンジンを切り、ギヤをローに入れたままクラッチを放す。その後で、ブレーキペダルをふんばる右足の力を恐る恐る抜くと、ジムニーはひと揺れしてまた静止した。
 そろりとドアを開けて外に出る。膝が心持ちガクガクする。生来の臆病者なのだ。念の為、後輪の後ろに石で車止めし、辺りの様子を偵察する。やはりこの場から引き返すことは狭過ぎて不可能だ。幸い路面の凹凸はコースを選べば越えられそうで、先に進む決心をする。周囲の路面の状況を頭に入れる。運転席からは車の直前や直後の様子は見えなくなるからだ。
 車に戻りギヤを4輪駆動のローギヤに入れる。普段の町中走行では、通常のローギヤさえも使わないのに、年に何度かこの4輪駆動のローギヤのお世話になる時がある。エンジン回転を上げれば、坂を登るトルクは十分なのだが、それだと車速が出てしまい、コントロールが難しい。車速を落とす為に半クラッチを使うのは、こんなガレた道では適さない。クラッチは完全にエンゲージさせ、アクセルコントロールで車を動かすのが安全だ。そんな時、低速でも十分な登坂トルクが出せる4輪駆動のローギヤは、神様のようにありがたいのだ。
石切場

悪路の先にあった頂上の石切場
平らな石が累々と積みあがっている
これが余地の地場産業の鉄平石だろう

 

石切場からの眺め
石切場からの景色
 腕がないのでこんな時、ジムニーは非常に頼もしい。他の車なら立ち往生している。お陰で頂上まで行きつけた。そこは石切場で、道にも敷いてあった平らな石が積み重なっていた。
 余地の地場産業に鉄平石の採掘がある。余地川の南にある板石山がその主な採掘場だそうだ。この何という山か知らないが、これらの石の形からして、この山も鉄平石の採掘場らしい。正式には輝石安山岩というらしいのだが、鉄平石という呼び名の方が如何にもそれらしい。庭の敷石などの飾り材として出荷されているとのこと。
 この石切場からは四方に眺めが広がる。やっぱり頂上とはいいものだ。折角苦労して来たのだからと、周囲を眺めて歩き回る。余地川を挟んで反対側の峰の所々に、やはり鉄平石と思われる石切場が見える。しかし肝心な峠のありかは定かでない。

 

 とんだ寄道から生還して、今度は工事現場の中を進んでみると、ちゃんとその先に道が続いていた。7月下旬ともあり、草木が伸びて道が塞がりそうだが、路面は土のしっかりした道だ。暫く進むと看板が現れた。「車両全面通行止」とある。先ほどあんな怖い思いをして、これで峠を見ずに引き返したのでは何しに来たのか分からない。本当は看板の文句にちょっとびくついていたのだが、1分間ほどためらった後、やはり進むことにした。

 看板から先は道が荒れた。昼なお暗く、ここ暫く晴天だというのに、道いっぱいに水溜りができていたり、どろどろにぬかるんでいたりする。スタックしないように慎重に走る。その内峠が近付いたのか、道の勾配が急になってきた。路面には枯れ枝や枯れ草が混じり、地面が見えないほどだ。道の両側の草木は伸び放題に伸び、歩いたとしても枝を掻き分けなければならない個所もある。これこそが峠で行止りとなる県道の正体だ。もう自分でもどこをどう走っているのか分からない。
 坂はますます急になり、すると草木でトンネルとなった道の先に赤い横断幕が見えた。そこだけ太陽の日が当り、明るくなっている。峠であった。

車両全面通行止
道の右側に看板が立つ
お知らせ
車両全面通行止
県道 下仁田佐久線は、これより県境まで、
巾員狭小、落石、路肩決壊の恐れがあるため、
当分の間、通行止とします
臼田建設事務所

 

看板から先の道
看板から先の道
まだまだ序の口だ
 草木で道は塞がれた
何を写したか分からないが、これでも道を撮ったのだ
草木で道が塞がっている
これが行止り県道の正体である

 

馬頭観音

馬頭観世音と書かれた石柱を中心に
石像などが何体か並ぶ

 峠に掛かる「山火事用心 東信森林管理署」と書かれた横断幕は、日の光に照らされて真っ赤に映え、これがこの余地峠のシンボルでもあるかのようだった。それ以外は草に埋もれて、めぼしい物がない。ここは長野と群馬の県境だというのに、それを示す看板さえないのだ。朽ち果ててしまったのだろうか。
 車一台がやっと方向転換できるだけのスペースと、そのかたわらに馬頭観世音と書かれた石柱や石像が幾つか並ぶ。余地峠は今でこそ県道が片側しか通じていないさびれた峠道だが、戦国時代には既に開かれていたそうだ。上州と信州、甲州を結ぶ道として、米の収穫が全くなかった上州南牧(なんもく)の地に沢山の米や酒が運ばれたり、その他の物資が往来した。そんな生活路であると同時に、中世には武田信玄侵攻の軍道ともなり、多くの兵がこの峠を越えたそうだ。峠に立つ馬頭観世音は、どんな歴史を見てきたのであろうか。

 

 峠から反対側の群馬県をのぞいてみる。群馬側も暫く車一台がやっと通れる幅の道が下っていた。人しか歩けない山道になっているかと思っていたら、そうではなかったのだ。ちょっと歩いてみる。一向に道幅は狭くならならず、車の轍らしき跡もまだ続いていた。峠に戻りジムニーで行けるとこまで行こうかとも思ったが、もう気力がなくなった。どの道、どこかで通行不能になり、引き返さなければならない。そこに方向転換できるだけのスペースがあればいいが、なければ大変な苦労をする。今日はもう悪路に悩まされるのは沢山だ。それにそろそろ日が傾いてきた。長野側に引き返し、今夜の野宿地でも探すことにする。
群馬県側への道
峠より群馬側をのぞき込む
暗いトンネルがまた続いていた

 ジムニーのお陰で今回の余地峠を含め、悪路を乗り越えていろいろな所に行くことができた。鉄平石の採掘場にも行ったことだし・・・。でも困ったこともある。以前から高所恐怖症でよく怖い夢を見る。いやだいやだと思いながら、いつの間にか鉄塔のてっぺんや高層ビルの屋上、断崖絶壁の上に居て、そこから降りられなくなるとか、鉄塔が倒れて一緒に真っ逆さまに落ちる夢である。それに最近新しいレパートリーが増えた。車で急坂を降りるという趣向だ。夢に出てくる坂は半端ではない。ほとんど垂直なのだ。それに辺りは粉雪が舞い、路面は凍結し、路肩はいまにも崩れそうで、崖の下では荒波が打ち寄せている。これまで現実に遭遇した困難を全部集め、それを10倍にしたような状況設定なのだ。自分の夢ながら想像を絶している。そんな恐ろしい夢を見て、うなされて目がさめるのだ。それもこれもジムニーのせいである。これからもこんな夢が続くとなると、この峠越えの趣味も考えものなのであった。

 

峠と旅