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天城峠
 
あまぎ とうげ
 
険しくはなく、長くも高くもない、ちょっとした峠
 
天城峠 (撮影 2001. 1. 4)
天城隧道(旧天城トンネル)のこちら側が静岡県天城湯ケ島町、反対側は同県河津町
道は国道414号・下田街道の旧道
 
 このホームページ「峠と旅」のトップページに掲載する「今月の峠」は、毎月1回ちょっとした峠をとりあげる積りで始めたものだった。そうすればホームページの更新を、最低月に一回はやったことになり、自己満足ではあるが何となく責務を果たしたような気になる。1997年の12月から始めて、どうにか今回で47峠目と続いている。
 険しくもなく、長くもなく、高くもないが、でもちょっとさびれていて、あまり人が通らなくて、一息入れられる眺めがあって、そんな「ちょっとした峠」を選び、なるべく簡潔に、すなわちなるべく手間の掛からないように載せる魂胆であった。
 「峠と旅」では、選んだ峠を写真や文章を織り交ぜて一つのページに仕上げているが、これでもなかなか大変な作業なのだ。真っ当なサラリーマン生活を送るかたわら、暇をみてパソコンに向かっているが、そうそう十分な時間が取れる訳ではない。それにそんな暇があったら、峠について書いてなんかいるより、実際に峠を旅した方がよっぽどいいのである。そこで「今月の峠」で、少し楽をしようというのである。

 しかし、そうした意味の「ちょっとした峠」でも、いざ掲載するとなるといろいろ思い入れがあり、簡単では済まされなくなってくる。あの写真も載せたい、この写真も良さそうだ、あんなことも書こう、こんなことも話そうと、時間の節約になってくれないことが多い。
 あまりホームページ作りにのめり込むと身がもたない。寝不足で目がしょぼしょぼし、肩凝りも始まる始末。これでは本業のサラリーマン家業がおろそかになりかねない。そこで当初の魂胆通り、少しセーブさせてもらおうと思う今日この頃である。

 
 今回の天城峠なども「今月の峠」として取り上げるには、ちょうど手頃な感じがしていた。小説や映画、歌謡曲の舞台ともなり、日本人には広く知れ渡った非常に有名な峠だ。でも、単に現在の峠道をオートバイや車を使って越える旅の対象として見れば、やはり「ちょっとした峠」でしかない。

 川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」は、映画でよく楽しんだことがある。「伊豆の踊子」はいろいろな俳優が主役となり何度もリメークされていて、比較して見ると面白い。また「天城越え」は封切りを映画館で鑑賞した思い出がある。
 その後、最初にこの峠を訪れた時は、オートバイツーリングの時であった。伊豆半島の旅としても初めてで、峠の旧道を訪れるといった経験もまだ浅い時期のことだった。少なからず思い入れのある峠である。
 ちょうど今年(2001年)10年振りに天城峠を再訪する機会があった。これを期に「今月の峠」で取り上げるのもいいと思う。

 

天城湯ケ島町側より峠に向けて国道414号を走る
 半島の付け根が狭くくびれた伊豆半島は、何となく独特な雰囲気がある。まるで一つの独立した島とも思える。その半島のほぼど真ん中に天城峠はある。伊豆半島の先端に位置する下田と付け根の清水を結ぶ国道414号・下田街道の最大の難所であった。
 現在は新天城トンネルができて、車の交通は何の支障もないが、勿論ここで言う天城峠とは、残された旧道の方の天城隧道(旧天城トンネル)である。

 天城湯ケ島町側より国道を峠に向けて走ると、旧道を表す標識に従って左折することになる。こんなに有名な峠道にしては、ちょっと寂しい入り口である。最初に訪れた時は、本当にこの道でいいのかと、半信半疑であった。

 
 道自身もまた一見して寂しそう。狭くて車で通っていいのか、躊躇してしまう程だ。まして観光名所だから、歩行者専用で車両は通行止だろうかと、うろうろあたりを見回すが、そのような標識はない。時々他の車が入って行くので、車で通っていい道には間違いはないのだ。

 入り口近くに「踊子歩道」という看板が立っている。天城峠付近のハイキングコースが紹介されていた。トンネルのない本当の天城峠へ行くには、そこに描かれた地図が参考になる。

 有名な方の天城峠がある車道の旧道を進むと、暫く暗い道が続く。歴史を探訪するような目的では、本当はオートバイや車ではなく、歩いて行く方がいいのだろう。でも、これでは歩くにはちょっと寂しすぎる。それに、徒歩では峠までなかなかの距離だ。生半可な軽い観光気分で歩いては、後悔することになる。


天城湯ケ島町側の旧道入り口にある看板
(画像をクリックすると拡大図が見えます)
 

本谷川を渡る
 途中、本谷川を白橋で渡る。天城峠のある峰より天城湯ケ島町側に流れ落ちていく川で、石川ひとみの歌謡曲に出てくる浄蓮(じょうれん)の滝の源流である。

 橋を渡った先で左に林道が分岐する。行ったことはないが、湯ケ島方面へ抜けているらしい。また、モリアオガエルの生息地である八丁池へのハイキングコースの一部でもあるようだ。

 峠へ続く道は相変わらず狭く、車では対向車が来るとちょっと困るなと思いつつ、古ぼけた舗装路面を走ることになる。周囲にほとんど景色は広がらない。
 それが、ちょっとした広場に出たなと思うと、その先にトンネルが見えた。そこが峠であった。

 
 天城隧道の天城湯ケ島町側は、「旧トンネル北口園地」として整備されていた。トイレや休憩所、いろいろな立て看板が並ぶ。ぽつりぽつりと観光客の車が訪れ、暫しあたりを散策している。

 そんな中に混じって、一匹の犬がたむろしていた。毛並みも悪く薄汚れ、骨と皮でやせ細った老犬である。この峠に巣くい、やって来る観光客からの餌で、生き延びているのだろうか。
 そいつが車のそばにやって来てこちらに顔を上げた。片方の瞳が真っ赤になっている。異様な形相である。一瞬ドキリとするが、性格は大人しいようだ。暫くじっとこちらを見ていたが、餌がもらえそうにないと思うと、またふらりと他へ行ってしまった。でも、同乗していた友達は怖がって、遂に一度も車を降りようとしなかった。


旧トンネル北口園地
(隧道の上より撮影)
 

古い写真を載せた看板
 私はそそくさと車を降り、いつもの様に峠のあちこちをせわしなくうろついては写真を撮ったりする。昔来た時にはカメラを持っていなかったようで、アルバムには何の痕跡もない。峠の様子に関する記憶も薄れていて、こんなきれいに整備された園地があっただろうかと、ちょっと不思議な感じがした。

 特に、以前にはなかったと思われたのが、左に示した古い写真を載せた看板である。そのセピア色のモノトーンの写真には、今しも荷馬車がトンネルを抜けようとしている光景が写し出されている。思わず見入ってしまう、時代を感じさせる貴重な映像だ。
 トンネルの向こうには茶店らしい藁葺きの家屋も見える。太陽光線などの具合からして、トンネルは南側の出口を示していると思われる。

 
 ふと気が付くと、先ほどの老犬が私の後ろをついて廻っていた。トンネル坑口脇よりトンネル上部近くまで登った時も、狭い足場で足元に付きまとっていた。こちらに向けた顔は、相変わらずギョッとさせられるのだが、なかなか人なつっこい。
 あまり哀れなので、車に戻ってカバン中を手頃な餌になるものはないかと探した。残念ながら煎餅しかないので、それを小さく割って投げ与えた。犬は暫く鼻でクンクン匂いを嗅いでいたが、歯でも悪いのか口を付けようとはしなかった。
 
 天城隧道はそれほど大きなトンネルではなく、勿論車やバイクで走ったのではあっと言う間だ。特に車では、頑丈な鉄の鎧に守られ、ヘッドライトがトンネル内部を明るく照らし、味わいも何もあったものではない。やはりここはひとつ、歩いてトンネルの中を散策してみたい。僅かではあるが、電灯の明かりもともっている。

 普段、歩いてトンネルをくぐることなどほとんどない。中に入ると目が慣れるまで、暗くてなかなかよく見えないものだ。空気はひんやりして、風が吹き抜けていく。自分の足音がトンネル内をコダマする。ちょっとした探検気分である。それだけでも天城隧道を歩く価値はある。
 しかも、歴史あるトンネルである。往時はここをこのように歩いて人々は峠を越えた。時には馬車を引く馬の蹄も大きく鳴り響いたことであろう。疲れた体を茶店のひと時で癒し、また旅を続けていった。そんなことを思ってトンネルの中を歩くのがいい。
 但し、時折通る車には注意が必要だ。人が歩いているなんて考えてもいない人が多いことだろうから。(念のため、「歩行者に注意」の看板は立っているのだが)


「旧天城トンネル」の看板
「日本の道100選」になっているらしい
(画像をクリックすると拡大図が見えます)
 
 この下田街道は、元は現在の二本杉峠を越えていて、そこが旧天城峠ということだそうである。二本杉峠は天城隧道より西に位置する。後に天城隧道の上が天城峠となった。
 天城隧道そのものは明治33年に工事が始まり、明治38年に完成している。トンネル延長446m、幅員4.2(3.5?)mというのは、当時としては大規模な工事であったようである。「陸の孤島」とも嘆かれた伊豆半島南端の人達の思いより、当時の金額で10万円の巨費を投じて作られた。このトンネル貫通により、天城峠の難所は一挙に解決へと向かった。
 天城隧道が完成してからは、そこが下田街道の峠として往来が行われるようになる。この時期に伊豆の踊子が通り、「天城越え」の主人公の少年が隧道を歩いて抜けたことになっている。

 それも昭和42年10月には、標高差で78m下に新しいトンネルの工事が始まった。そして昭和45年3月の完成を迎え、有料道路として天城隧道を迂回する新道の通行が始まる。車の流れは新トンネルへと向かうようになった。
 天城隧道を観光目的で越えるのならいいが、ただ通過するだけではなかなか辛い道だ。よってほとんど選択の余地も無く、車やバイクは新トンネルを走ることになるのである。そこにもってきて少額ながら有料なんだから、これはちょっとひどいと思う。
 でも、お金を払うのがいやだからといって、わざわざ天城隧道を迂回する車はなさそうだ。そのお陰で旧道は静かな佇まいで残ったという訳である。これは幸いであった。

 

天城隧道の河津町側
 天城隧道を河津町側に抜けると、出口の直ぐ右手に車数台を停められる程のスペースがある。しかし、天城湯ケ島側に比べると何となく殺風景な感じを受ける。

 先の荷馬車が写った写真では、こちら側に茶屋らしき家屋が建っていた筈だ。隧道を出て左側である。しかし、その付近にはそれらしき跡地は全く見られない。もしかすると昔の道は、隧道を出た先で右に大きくカーブしていたのかもしれない。

 
 峠を河津町側に下る高低差は少なく、距離も1〜2kmで直ぐに新道に突き当たる。新道に出る直前を更に左に行けば、旧道の続きがまだ僅かに残っていたと思う。
 そういえば、いまだ新道の方の峠、新天城トンネルを通ったことがない。すなわち通行料金を払わずに済んでいる。今回、国道上では「有料」の看板を見掛けなかった。もしかするともう無料になったのだろうか。
(少なくとも平成12年/2000年には無料になっていたそうです)

 旧道途中では、東の山の中にある昭和の森(モリアオガエルの八丁池がある)へ続く林道が分岐する。伊豆半島の林道は楽しく、この道も走ってみたいのはやまやまだが一般車両通行止で、専用のバスしか通れないことになっていたと思う。

 尚、旧道が終わり、さらに国道を下ると大きなループ橋が現れる。新天城トンネルと続いて快適な国道を形成している。ループ橋の下をくぐって、河津七滝(ななだる)への道が通じる。(大滝(おおだる)以外は、あんまり見る価値なし?)
 更に河津町市街に近づくと、直進は県道14号となり、国道414号は右へと山を登って行く。河津町と下田市の境の山である。実はこの付近が驚くほど険しいのだ。
 よって下田に向かうには、一般的には県道14号で直進し、海岸沿いの国道135号に出る方が楽だ。国道414号に固執すると、狭い山道を走らされる羽目になる。全く国道とは思えない道だ。現在の下田街道の難所は、実はここにあるのである。


河津町側に立つ標識
水生地駐車場(天城湯ケ島町側)まで1.8km
二階滝(河津町側)まで1.5km
 

河津町のループ橋
 ところで、「伊豆の踊子」と「天城越え」のどちらの映画が好きかと言えば、やっぱり「天城越え」である。「伊豆の踊子」は勿論文学的な上に、さらに島出身の旅役者の哀れさが随所ににじみ出ている点がいい。
 しかし、「天城越え」のあの何ともいえない暗さの方が、やっぱり私好みである。夕暮れ時の小さな印刷所の一室で、渡瀬恒彦と平幹ニ郎が語り合うシーンなどは陰鬱そのものだ。天城隧道を抜けながら、そんな映画のワンシーンを思い浮かべるのもいい。
 

 簡単に済ませるはずの「今月の峠」も、何だかんだとまたしても長々と書いてしまった。いい加減にしないと身が持たないと思う今日この頃である。

(制作 2001.10.28)
 
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