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鶯宿峠 (鴬宿峠)
 
おうしゅくとうげ
 
一本の「なんじゃもんじゃ」の木が立つ峠
 
  
  
 新・鶯宿峠? (撮影 2004. 1 4)
ここは本来の鶯宿峠ではなく、その西約300mに新しくできた車道の峠
手前が山梨県笛吹市芦川町(旧芦川村、あしがわむら)鶯宿(おうしゅく)
奥が同市境川町(旧境川村、さかいがわむら)藤垈(ふじぬた)
峠の標高は約1,050m
道は林道大窪鶯宿線
 
 今回調べてみると、案の定、芦川村(あしがわむら)はなくなっていた。どうやら笛吹市と言う新しい名前の市ができ、それに組み入れられたようだ。元の芦川村の地域は、現在は笛吹市芦川町と呼ぶらしい。
 
 旧芦川村は甲府盆地の南東方面に位置し、御坂山塊(みさかさんかい)の奥懐にひっそり佇んでいた。村の東端にそびえる黒岳付近に源を発し、西走する芦川の細長い谷間に沿って、ぽつりぽつりと集落が点在する。東と南北の三方を山並みに囲まれ、芦川の下流、村の西方のみに辛うじて入口を開いているといった感じだ。村に入るには、南北に縦断する国道358号・甲府精進湖線の途中から分岐し、芦川に沿って東に延びる県道36号を利用する。この道以外、この村に辿り着くには、どれも峠越えをしなければならないことになる。特に車道が通じている峠は、村の北側の甲府盆地との間だけであり、南側の河口湖方面には車は越えられないようだ。 
 
 この旧芦川村を初めて訪れた時は、別に何の目的もなかった。芦川村はすずらんの群生で知られているが、当時はそんなことさえ全く知らぬまま、ただただ、行ったことがない所なので一度訪れてみたいという、極めて単純な動機で訪れたのだった。甲府盆地側の八代町から県道の鳥坂峠を越えて最初に村に入った。多分、前述の国道358号経由で来るより、甲府盆地と直接村を結ぶこの道の方が、村に入るには最も一般適なのではないだろうか。
 
 鳥坂峠はトンネルで、1995年5月に新鳥坂トンネルが完成している。私が最初に訪れたのは更にその5年程前で、その時越えた旧鳥坂トンネルは、今は通行止めとなって寂しく余生を送っている。当時も村と外界の甲府盆地を結ぶメインルートだったのだろうが、今はコンクリートでふさがれた坑口を眺めていると、随分と心細い峠道だったのだと感慨深い。
 
 村の最初の訪問の帰りは、東の日向坂峠(ひなたざかとうげ、別称:ドンベイ峠)を越えて帰った。それにしても当時の日向坂峠は険しかった。ガレた未舗装部分が多い林道で、特に峠を御坂町側に下り始めた所は圧巻だった。愛車ジムニーを運転しながらも、思わずしり込みしたくなる程だった。当時はカメラを持って行く習慣がなかったので、あの険しさを写真に残せなかったのはつくづく残念に思う。
 
 
峠の前にすずらん見学
 
<すずらん>
 
 その後も何度か芦川村を訪れている。どことなく芦川村が気に入ったのだろう。峠道が多いのもその理由のひとつだ。しかし、村で有名なすずらんを見たのはやっと5回目に村を訪れた時のことだった。今は舗装化されて道だけはおとなしくなった日向坂峠を御坂町から越えて行く。峠付近には登山者の物らしい車が停めてあるが、それ以外は相変らず寂しい峠道を村に下ると、今まで見たことがない村の様相である。
 
 いつもは静かな村が祭りのような大賑わいなのだ。芦川村にこれ程多くの人が訪れるのは他には滅多にないことだろう。これまで単なる砂利の広場としか思わなかったすずらん群生地の入口付近には、テントが張られ、屋台が繰り出し、大勢の客で溢れていた。駐車場も満杯である。何と大型の観光バスまでやって来ている。元々そんな大きな車が容易に行き来できるような場所ではないのだ。拡声器を使って交通整理もてんやわんや。

 すずらんの催し (撮影 2004. 5.29)
 

 すずらん (撮影 2004. 5.29)
 こちらは、普通の皆さんとは全く逆方向の、一般向きでない日向坂峠から下って来たので、道の渋滞はないし、駐車場の奥の方に出られたので、直ぐに駐車場所も確保できた。
 
 この5月の時期に芦川村を訪れたのは、一つにはすずらんの季節に合わせたのだった。自然なものはこちらで都合を合わせなければならない。気ままな旅が信条で、あまり時間や時期に縛られたくないのだが、自然相手では仕方ない。大勢の人々に圧倒されながらも、すずらんを一目見んとて駐車場から群生地の谷間に下りて行った。
 
 群生と言ってもあまり盛大に咲いているよういは見えなかった。元々小さな花で、広く眺めて壮観と言う訳ではない。一輪一輪、じっくり見つめるのがいいようだ。「可憐」という言葉が良く似合う花であった。群生地を巡る遊歩道を一通り歩き回り、目的の一つを達成したことに満足して車戻った。
 
 この笛吹市芦川町の「すずらんの里祭り」は、2008年は5月23日から25日に開かれたと、どこかでもらったパンフレットにあった。この間に特産品の販売やその他の催し物が開かれる。期間中、駐車場は無料だったようだが(変わった方向から来たので払わずに済んだのか?)、すずらんの見学には協力金のようなものを僅かに支払った気がする。尚、すずらんの見頃は5月下旬から6月上旬とのこと。
 
 
鶯宿峠の入り口へ
  
<鶯宿峠の入り口へ>
 
 さてすずらん次は芦川沿いの道を村の中心方向の西へと向かう。対向車に大型の観光バスが来るのではないかと怯えたが、幸い渋滞にはまることなく上芦川の集落に出た。ここで、北から鳥坂峠を下って来た県道に乗り、尚も芦川下流へと向かう。
 
 この旅の一番の目的は鶯宿峠だった。この年の1月にその峠を越えようとして、今ひとつの所で断念せざるを得なかった。その無念を晴らすのが第一の目的だった。旧村役場がある中芦川を過ぎ、次の鶯宿の集落まで人家が途切れる辺りに鶯宿峠への道が分岐する。
 
 鶯宿峠は鳥坂峠と同じく、芦川と甲府盆地を結ぶ峠道だ。以前は車道が通じていない山道だったらしい。尚、鳥坂峠と鶯宿峠の間にもう一本、車が越えられる黒坂峠と言うのもある。道路地図によっては、この鶯宿峠と黒坂峠は描かれておらず、その存在を知らない人も多いのではないだろうか。

 前方右に鶯宿峠入り口 (撮影 2004. 5.29)
 

鶯宿峠入り口・左側 (撮影 2004. 1 4)

鶯宿峠入り口・右側 (撮影 2004. 1 4)
この時、立て看板には「通行止」とあったが、
入り込んで行くのであった
 
<峠道の存在>
 
 以前は私もこれらの車道の存在を知らなかった。特に鶯宿峠への入り口は何度も通った県道脇にあり、峠を示す看板も立っていて、甲府盆地との間に鶯宿峠と呼ばれる峠があることだけは早くから分かっていた。しかし、歩いて登る山道の峠であって、車道が越えているとはついぞ思わなかった。理由は「なんじゃもんじゃ」である。
 
 峠道の入り口には、天然記念物の両面桧(りょうめんひのき)、通称「なんじゃもんじゃ」の木が峠にあることを看板が示している。多分、この車道はその珍しい木を見学する便宜の為に、途中まで延びているだけだろうと思ったのだ。峠付近で行き止まり、甲府盆地側には越えられないのでは面白くない。両面桧に興味を持つような趣味もなく、鶯宿峠という峠名だけは気に掛かったが、あえてその道に入ろうとは思わなかった。
 
 ところがその後、県別マップル等の詳しい地図を調べてみると、細々ながら車道が通じているではないか。うかつであった。これは是非にでも越えなくてはと、思い立ったのが2004年1月のこと。しかし、冬期通行止めの憂き目に遭い、すずらん見学を兼ねた再チャレンジが同年5月下旬となった。
 

鶯宿峠入り口の看板 (撮影 2004. 1 4)
「鶯宿峠入り口 両面檜 (なんじゃ もんじゃ)」

 鶯宿峠入り口の看板 (撮影 2004. 1 4)
「鶯宿峠・両面桧(なんじゃもんじゃの木) 3km」
 
<峠道に入る>
 
 県道から分かれて峠道に入ると、切立つ崖にへばりつく様に開削された急坂を一気に登って行く。左手眼下に県道と芦川の渓谷を見る。
 

 冬の季節 (撮影 2004. 1 4)
でも雪は全く見られない

 新緑の季節 (撮影 2004. 5.29)
 
<怪しげな分岐>
 
 急坂を過ぎ、少し進むと右手に砂防ダムがちらりと見える。何の変哲もないが、次に来る分岐の目印だ。 
 
 砂防ダムを見た直ぐ後に右へ分かれる道は、ぼんやりしていると見過す程に細く寂れている。ちょっと覗くと、草が伸びた未舗装路に車の轍が僅かに残る荒れ具合だ。車で入り込むには尻込みしたくなる。先ほど見掛けた砂防ダムの前を横切って延びているらしい。
 
 こうした分岐はついつい気になってしまうが、まずは峠を目指さなければならない。しかし、後になってまた、この道は気になる存在となるのだった。
 

 小規模な砂防ダムがある (撮影 2004. 1 4)
この直後、右に分岐あり

怪しげな道 (撮影 2004. 5.29)
 

 (撮影 2004. 1 4)
<安定した道に>
 
 最初の急坂を登り切ってからは、比較的落ち着いた地形を進む。路面もアスファルト舗装がそのまま続き、よく整備された林道と言った感じである。全般的に峠の芦川村側は、地形が穏やかである。
 
 初めて入り込む道は不安なものだが、今回は狭いながらも安心して走れそうな道でホッとさせられる。ただ、暫くは樹林の中で、ほとんど眺めがない。
 
<ゲート>
 
 程なくしてゲートが現れる。
 
 1月に訪れた時は、ゲートは開いていたものの、傍らに通行止めの看板が立っていた。「この林道は、本年12月10日から 翌年4月25日まで 冬期閉鎖です」とあった。周囲を見渡しても積雪は全く見られず、今が丁度冬期閉鎖期間の真っ最中でも、こうしてゲートは開いている。これは通れるのだと安易に思ってしまった。これが最後になって思い知らされることとなるとは、この時は思いも付かなかった。

ゲート箇所 (撮影 2004. 1 4)
この時、「冬期閉鎖です」と出ているが、ゲートは開いていた
  
<広々とした場所>
 
 ゲート箇所を過ぎると、空が開け広々とした場所に出る。木々に囲まれた狭い道ばかりの閉塞された空間に比べると、気持ちがフッと落ち着いてくる。車の運転は何かと緊張を強いられるので、こんな所では一息休憩するのがいい。前方を眺めると、峠が待っている山並みも望めるようになってきた。
 

広々とした場所に出た (撮影 2004. 1 4)

前方を眺める (撮影 2004. 1 4)
安全速度 20km/h 以下
大型自動車 通行禁止
などの黄色い道路標識が立つ
 
<林道看板>
 
 路肩に車を止め、周囲を歩いてみると、いろいろ情報も得られる。
 まず、林道看板。道路脇に比較的新しい物が立っていた。付近の林道が詳しく掲載されていて、非常に参考になる。
 
 峠道の入口には、こうした林道看板はなかった。有れば、車も越えられる峠道であることは直ぐに分かった筈だ。あえて詳しく道を記した林道看板は、立てないのかもしれない。林道をあまり無闇に走らせたくないのだろうか。
 
 ただ、この鶯宿峠を越える林道は、全線を「大窪鶯宿線」と呼ぶようだが、先程のゲートから手前は市町村営で、その後は県営林道であることが看板より分かる。単に市町村営区間では、予算の関係か何かで、林道看板を立てなかっただけかもしれないが。尚、林道名にある「鶯宿」は芦川側のある集落名であり、「大窪」は境川側の地名を指す。
 
 この後、こうした林道看板は要所要所に立っていて、現在地を知るのに役立った。
 
 林道看板の地図 (撮影 2004. 5.29)
緑色の道は市町村営
黄色は県営
赤色は現在の道を示す(大窪鶯宿線は本来は黄色表示となる)
 
<第二の分岐>
 
 次にこの場所で注目されるのは、右手に分岐があることだ。県別マップルをよくよく見ると、確かにその道が描かれていた。それは、先の砂防ダム付近で分岐していた道とつながっているではないか。本線の林道とは別のルートがあったのだ。このことは林道看板には記載がない。
 
 入り口には「通行止」の立札があり、道の荒れ具合からして現在ではほとんど使われていないようだ。峠を目指すだけなら、勿論現在の舗装路を走るに決まっている。もしかしたら峠道の旧道なのかもしれない。現在の林道が新しく開削される以前に利用されていた道で、その痕跡がそのまま残っているようにも考えられる。
 
 行止りの道でないと分かれば、益々走ってみたい気がする。入口の「通行止」の看板は右端に寄せられて、左側に車一台が通れるスペースが空けられている。現在も林業関係の車が出入りしている可能性が考えられる。しかし、怖そうな道であることも確かだ。最近めっきり、こうした道に入り込む気力が萎えてきてしまったな〜。

 第二の分岐 (撮影 2004. 1 4)
通行止」とある
  

 広場を見渡す (撮影 2004. 1 4)

 左の写真の続き (撮影 2004. 1 4)
この山の中に芦川村はある
 
<広場を見渡す> 
 
 分岐に後ろ髪を引かれつつも、広場を離れて少し進むと、広場全体が見渡せる場所に出る(上の写真)。分岐の道が広場の上方の尾根を巻いて延びている様子が分かる。
 
 芦川の谷は、もう向こうの山の底に沈んでしまった。この中に芦川村があるのかと思うと、改めて山深さを感じない訳にはいかない。
 
 
<空が近い>
 道は相変らず1.5車線の舗装路だが、周囲が開け、前方を望めば空も近い。峠の峰がもう直ぐそこだ。

 峠方向を望む (撮影 2004. 1 4)
空が近い
  

 峠へ直登する山道 (撮影 2004. 1 4)
<山道の分岐>
 
 山を少し右に回り込み、左の深い谷をほぼ登り詰めた所で、直進方向の山の中へと山道が分かれる。そこには鶯宿峠を示す看板が立つ。この山道は鶯宿峠へと直登するようである。元々からあった峠道ということだろう。
 
 
 
<旧峠道>
 
 鶯宿峠の道は、その名の通り芦川村の鶯宿から続いていた峠道であろう。国土地理院の地形図等を見ると、鶯宿集落の中を流れる谷を遡って、真っ直ぐ北へと山道がある。それが古くからの峠道だったようである。その道が現在の車道と交差するのが、この看板のある地点である。
 
 旧道のコースは車道を開削するには急な地形で、そこを避けて現在の林道が設けられたと思われる。よって林道の起点も鶯宿集落と離れている。新旧の峠道は全くルートを異にし、この地点で直角に交差してた後、二度と交わることがない。
 
 徒歩と車という交通手段の違いは大きい。それが峠道にも大きく影響する。徒歩ではなるべく距離が短い方が良いが、車なら少しばかり距離が遠くても、傾斜が緩い方が道を付け易い。 山道が分岐する地点を後ろに振返れば、谷が急に落込んでいる。そこを昔は徒歩で登って来たのだろう。一方、車道は山肌を水平に延びている。
 
 車道に面して空地がある。そこにでも車を停めて峠までの山道を歩けば、昔からの峠道がそのまま残っているのかもしれない。車道は峠とは異なるあらぬ方向へと、まだ暫く進ん行く。

 山道の分岐点から後ろを振返る (撮影 2004. 1 4)
道路脇に空地がある
  
 
 
<峠に到着>
 
 最後に大きく右にUターンし、一息登れば峠に到着する。こちらも古くからの鶯宿峠ではなく、後からできた車道の峠で、名前は特に無いようだ。強いて言えば、新鶯宿峠といったところだろうか。真新しい林道が通じ、やや殺伐として古くからの味わいなどは無い。しかし、眺めが素晴らしい。
 
峠から甲府側の景色 (撮影 2004. 1 4)
 

登山の看板 (撮影 2004. 1 4)
西へ滝戸山40分、東へ春日山70分
<峠からの眺め>
 
 峠を越えると、その目の前に大きく甲府盆地の眺めが広がるのだ。境川側の地形が急峻な点が、この眺めに寄与しているのだろう。暫くボーっと佇みたくなるような景色である。この峠道は、この眺めでもっている。
 
 
<峠の様子>
 
 峠のある稜線はほとんど水平で、峠も深い切り通しなどではなく、非常に開けた感じがある。車を停めるスペースも十分だ。景色を眺める為に停めるにも良いが、登山客が利用することも多いようだ。峠より稜線沿いを東へ春日山、西へ滝戸山と看板があった。
 
 道は稜線部分をUターンで反対側に回りこんでいる。鋭い刃の様にとがった稜線に、やっと道が通ったという感じだ。境川側には眺めが広がるが、芦川側は木々がうるさくて峠から直ぐの眺望は無い。
 
 峠全体は、如何にも林道開削に伴ってできたという雰囲気がある。柵やカーブミラー、林道看板も整備され、人工的な感じが強い。道の舗装は峠まできっちりできていて、峠でぷっつり切れている。距離の点からも、芦川側から登る易い峠道だ。
 
 
<名所山林道>
 
 峠からは、稜線の僅かに芦川側を、東に向かって林道が延びている。名所山林道と呼ぶらしい。林道看板からすると、この峠を起点に、東に位置する黒坂峠の境川側の少し下とつながっているようだ。

 峠を境川側から見る (撮影 2004. 1 4)
この左手に景色が広がる
  

峠より芦川側を見る (撮影 2004. 5.29)
左に名所山林道が分岐

左の写真の続き (撮影 2004. 5.29)
 
 
本来の鶯宿峠へ
 

名所山林道入り口 (撮影 2004. 5.29)
<鶯宿峠へ>
 
 名所山林道の看板をよく見ていると、その途中に「鶯宿峠、なんじゃもんじゃの木」と書かれていた。ここへ登って来る途中に分岐していた山道を歩かずとも、この林道を車で行けば本当の鶯宿峠に行けるようだ。道は未舗装だがよく整備された砂利道である。走るのにそれ程抵抗がない。これは一つ行ってみようという気になった。
 
 走り出した林道・名所山線はほとんど水平移動で、途中境川側に峰を跨ぎ、やや枯れ木などで覆われた路面もあったが、ものの数分で鶯宿峠に着いた。
 
<鶯宿峠>
 
 林道が旧峠道と交差する地点は、林道がやや窪んでいるが、あまり峠らしくない。しかし「なんじゃもんじゃの木」の案内看板があるので、見逃すことはない。林道から鶯宿峠を見ると、僅かな切り通しになっている。周囲は林道開削や登山道の整備で少しは変わっているが、峠自体は多分昔の面影を残しているのだろう。
 
 その証拠に、峠の側になんじゃもんじゃの木が立っている。推定樹齢540年と看板にあった。少なくともその木が立っていた間、峠の標高などは変わっていないことになる。峠に刻まれた人の踏み跡は、やはり歴史を感じさせる。

 林道の鶯宿峠付近 (撮影 2004. 1 4)
やや窪んでいる所が峠
   
 林道より鶯宿峠を見る (撮影 2004. 1 4)
 

 芦川側より峠を見る (撮影 2004. 1 4)

なんじゃもんじゃの木 (撮影 2004. 1 4)
 

なんじゃもんじゃの木の看板 (撮影 2004. 1 4)
<なんじゃもんじゃの木>
 
 この鶯宿峠はなんじゃもんじゃの木がある峠として知られているようだ。別名両面桧とも言い、結局のところ樹種が不明で、なんじゃもんじゃと呼ばれるようになったとのこと。見上げればカメラに収まらないくらい大きく立派な木だが、学術的価値などには全く疎い。ただ、峠を見守ってきた生き証人として、畏敬の念を感じるばかり。その木も根方はやや朽ち掛け、峠と共に時の流れをにじませている。
 
 
<旧峠道>
 
 峠より境川側に下る道は、林道脇より柵のある急坂で始まり、谷の中へと急降下している。道の険しさを物語っているようだ。芦川側へは、暗い林の中へと細い踏み跡が続いていた。
 

峠から境川側へ下る道 (撮影 2004. 5.29)

 峠から芦川側へ下る道 (撮影 2004. 5.29)
 
 
境川へ下る
 

 峠より境川方向を見る (撮影 2004. 5.29)
左手に滝戸山方面への登山道が始まっている
<境川へ下る>
 
 車道の峠に戻り、旧境川村・現笛吹市境川町へと下る。直ぐ左手に稜線上を行く登山道が始まっている。看板によれば滝戸山へと続いているようだ。
 
 路面は土の締まった未舗装路で、如何にも林道といった雰囲気がたっぷりある。そこまで完全舗装路だったので、何となく期待が湧いてくる。最近、おとなしい旅行ばかりで、あまり険しい林道を走っていない。歳のせいもあるのか、極端に険しい道はおのずと敬遠しがちだ。それでも、林道を走るあの楽しさ、一種の緊張感は忘れていない。それを期待させる様相である。
 
 暫くは右手に甲府盆地の空が広がる。しかし、木々が邪魔をして、あの峠で得られたほどの眺望はない。道は下るべき方向とは違う方向へどんどん進んでいく。なかなか高度を下げず、水平移動が多い。僅かに舗装路面が顔を出したりする。逆にやや荒れた砂利道だったりもする。
 
 周囲は林の中となり、方向感覚が掴め難くなってきた。何だか山の中をぐるぐる迷走している気分になってくる。途中に目を引く物もない。ただただ車を走らせているだけだ。

 境川側の峠道 (撮影 2004. 1 4)
  

 時々舗装路も (撮影 2004. 1 4)

やや路面が悪い (撮影 2004. 1 4)
 

 前方の下に急坂の舗装路 (撮影 2004. 1 4)
 地図によれば、旧境川村と旧中道町(現甲府市)の境にある狢山(むじなやま)の北を巻いて、道は一旦旧中道町に入る。旧峠道が鶯宿峠よりストンと境川の上流に下っているのに対し、新道の車道は遥か西をクネクネと迂回しているのだ。
 
 現在地を確認したくとも視界はなく、どこにその狢山があるのかも分からない。道はそれなりの林道なので、常に緊張を強いられる。これでは何も楽しいことが無い。久しぶりの林道と期待したが、どうも勝手が違う。
 
 それでも走り続けると、終わりは必ずあるもののようだ。前方に急角度で下る真新しい舗装路が、樹間に見えた。これで少なくとも、状況が変わる。
 
<舗装路>
 
 1つのヘアピンを曲がると、道は境川町大窪から延びてきた舗装路へと続いて行った。白線の白も眩しい程、真新しいアスファルト路面だ。道幅は狭くガードレールも不備だが、下界は近いと予想させ、何となく安心させられる。

大窪へと舗装路が続く (撮影 2004. 1 4)
  

眺めの良い広場 (撮影 2004. 1 4)
<休憩所>
 
 舗装路になって間も無く、道の左手に広場があった。峠より高度は低いが、甲府盆地の眺めが広がる。林道走行で気疲れしたので、休むにはもってこいの場所だ。他には沿線に何も無いので、貴重な休憩スポットとなっている。
 
 2004年の4月に初めて峠を越えて来た時は、ここでゆっくり休憩した。時間は午後の2時半で、これから中央道に乗って帰宅するには、まだ十分の時間がある。久しぶりの林道は、少し期待外れなところもあったが、まあまあ満足のワンデイ・トリップだったと思った。
 
<最後のゲート>
 
 広場を後にし、鼻歌気分で舗装路を走って行くと、何やら前方に嫌な物が見えてきた。黄色いゲートである。しかも閉まっているではないか。歩いてゲートの反対側に回ると、「冬期閉鎖です」とデカデカと書いてある。「12月10日から4月25日まで」とある。そこにも林道看板があったが、それによると、このゲートは旧境川村と旧中道町の境付近に位置する。旧境川村から旧中道町へ入ることを阻むゲートにより、今は旧中道町から旧境川村へと出られないのだ。周囲を見渡しても積雪の痕跡は全く無く、冬期閉鎖が恨めしく思われた。
 
 仕方なく、林道を引き返す。ただでさえ、あまり面白くなかった道をまた通るので、うんざりしない訳がない。林道はやたらと長く感じ、その先、峠を越え、県道を走り、国道358号の右左口トンネルを抜け、中央道に乗り継ぎ、家まで帰ることを思うと、もう気が遠くなった。

冬期はゲートが閉まっている (撮影 2004. 1 4)
  

金刀比羅神社裏参道 (撮影 2004. 5.29)
<再挑戦>
 
 5月下旬のすずらんの季節に合わせ、この鶯宿峠に再挑戦したのは、冬期閉鎖を避ける為でもあった。今度はゲート箇所をすり抜け、難なく旧境川村に抜けた。直ぐに金刀比羅神社裏参道と言う石柱が路傍に立ち、側より寂しい石段が登っていた。この付近は旧境川村の藤垈(ふじぬた)と呼ばれる地区である。大窪地区とは境川で接している。
 
 峠の西方を大きく迂回してきた峠道も、やっと終点が近い。道がやや峠方向を向くと、左手の下方に集落の屋根が見えてきた。大窪集落だ。峠道は峰を挟んでここと芦川町鶯宿の2つの集落を結んでいる。
 
 古くは鶯宿の住人が、直接背後の峰を越えて大窪集落や、その先の甲府市街に出る最短路として使用した峠道だったのだろう。しかし、車や車道が発達してからは、鳥坂峠がメインルートになったと思われる。この大窪鶯宿林道が開通した今も、一部未舗装だったり冬期閉鎖と言うこともあり、あまり使用されない峠道なのではないだろうか。芦川側からなんじゃもんじゃの木を訪ねて行ったり、登山を楽しむ為の道としての役割の方が大きいようだ。

大窪の集落 (撮影 2004. 5.29)
 

境川に架かる橋を渡る (撮影 2004. 5.29)
 道は山肌を下り切ると、笛吹川の支流である境川を渡る。ここからは県道308号・鶯宿中道線が跡を引き継いでいる。県道名には鴬宿の名があるものの、勿論この県道は峠を越えずに行止まっている。峠の未開通区間を県道に代わって林道大窪鴬宿線が通じている格好である。
 
 県道を甲府市街方向へ進めば、途中で右左口トンネルを抜けて来た国道に合流し、直ぐに中央高速の甲府南インターに出られる。後は家までひた走るばかりである。
 
 峠道としては、昔は村境で、今は同じ笛吹市内を結ぶ、言ってみれば小さな峠道だが、峠からの眺めは一見に値し、一応未舗装を残す林道ともあり、それなりに楽しめた道だ。旧芦川村には他に黒坂峠の道もあり、そちらも是非越えてみたい。こうして楽しい旧芦川村は飽きることがない。今年もすずらんの季節が近いが、また大いに賑うのだろうか。
 
  
 
<参考資料>
 
 昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行
 昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル道路地図 山梨県 2002年5月発行
 
<制作 2009. 5. 5><Copyright 蓑上誠一>
  
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